第七十五層、最前線であるボス部屋で、ヒースクリフの正体は暴かれた。
イモータル・オブジェクト<不死存在>、カーディナルシステム下においてシステム的に守られた存在であるそのカーソルは、プレイヤーにはあってはならないことだった。
二十五層おきに現れるクウォーター・ポイント、通常のボス攻略とは異なるそれは結晶無効化空間と攻撃力が異常に高いボス、スカルリーパーによるものだった。
本来なら七十四層ボスの攻撃にもある程度耐えられるはずの攻略組のタンクがボスの奇襲によって一撃で殺され、ユニークスキル持ちがスカルリーパーの攻撃を相殺することで辛うじて勝てた中、キリトの警戒は消え去ったボスではなく、この場において未だにイエローバーを保っているヒースクリフに向いていた。
キリトはヒースクリフが油断しているこの時にその疑いを晴らすために、ヒースクリフを切りつけた。
理性では黒と判断していても、感情はグレーだと見ていた結果はヒースクリフのカーソルによって多くの攻略組の前で判明することになる。
茅場晶彦は、よりにもよって攻略組ギルドのトップにいた。
その事実は血盟騎士団のみならず、攻略組全体に動揺を与えた。
「ヒースクリフ、あんたがそうだったんだな。」
「そうだな、本来であればまだ正体を明かす予定では無かった。」
ヒースクリフ<茅場晶彦>は少し困惑したようでありながらも、余裕すら感じさせる表情を維持していた。
よほど自信があったのだろう。その自信は表情を取り繕えない仮想空間において困惑と余裕という反発する感情になってヒースクリフに現れていた。
「茅場はどこにいるのか。ずっと疑問に思っていたよ。」
「私は前から君に疑われていたのか、キリト君。」
「あんただけを疑っていたわけじゃない。少なくともプレイヤーの中にいるとは思っていただけさ。ただ、明らかに避けれない攻撃を弾いたのは失敗だったな。」
キリトが気づいたのはほんのわずかな違和感からであった。もしもヒースクリフと決闘をしなければ、半信半疑のまま強硬手段に出ようとはしなかっただろう。
「認めよう、君と決闘をしたのは私のミスだったようだ。」
茅場はうまく立ち回っていた。ただ一つ、速すぎたことを除けば疑いきることはできなかった。
キリト自身の感覚と、外から見ていてその異常性に気づいたクレハしか疑っている人間はいなかった。
「キリト君、君にチャンスを上げよう。」
「ずいぶん余裕だな、皆殺しにでもするつもりか。」
「まさか、そこまで無粋ではないさ。君は数少ない情報をもとに、大魔王を特定したんだ。その報酬だよ。」
その言葉に仲間を失った怒りが振り切れたのだろう。
「まだゲームのつもりかよ、この裏切り者が。」
ヒースクリフの後ろで武器を向けていた血盟騎士団のメンバーが、大剣を振り上げ切りかかった。
「いっただろうこれはゲームではあっても遊びではないと。」
キリトとヒースクリフを除いたすべてのプレイヤーに異常が襲う。
「体が動かねえ。」
「これは、麻痺か。ゲームマスターだからってこんなのありかよ。」
クラインとその仲間たちが悔しそうに地面に倒れた。
「キリト、戦わないで、今のままでは勝てない。」
「そうよ、私もあなたを失いたくない。彼は不死なんだから。」
クレハとアスナは、少なくともチャンスを言葉通りにはとらえなかった。
今のヒースクリフにとってキリトは自分のゲームを邪魔してる存在なのだ。
最悪ここで取り逃がしてでもキリトを戦わせてはならないと、必死に声をかけた。
「君のお姫様たちは君を戦わせたくないようだが、君はどうかねキリト君。
もちろんイモータル・オブジェクトは外そう、君が勝てればあと二十五層上らずともここでクリアできる。彼女たちも死の恐怖に怯えることもない。」
ヒースクリフがシステムを外し、構えをとる。
「あんたに攻撃した時から心は決まっているさ。」
キリトもまた二刀流の構えをとった。
「茅場、あんたを殺して、そこで終わりだ。もう誰も犠牲なんて出さない。」
「ここは剣で語るところだ、キリト君。」
その言葉を最後に二人の剣先が交わった。
キリトはソードスキルを使わず己の技術のみで攻撃をする。
袈裟に振るわれた剣は盾に弾かれ、陰から貫こうとすれば剣で抑え込まれる。
互いに足場を固定せずアインクラッドで経験したあらゆる技術を持って打ち合い、その結果双方の力はほぼ互角のまま、わずかにそらしきれない傷のみがついていく。
ヒースクリフはキリトの思いのほか高い技量に攻めあぐねていた。
キリトがソードスキルを打てないようにこちらも打てば隙になる、神聖剣のソードスキルは自分以外知らないが、予備動作が存在する以上避けられる可能性があった。
剣と剣が交差し、盾と剣がぶつかり合う。
どちらも一歩も引かずただ最速の手数と最硬の守りでもって互いに潰しあう。
気迫のこもった雄たけびとともにキリトが押し切り、一歩引いたヒースクリフが構えた。
ソードスキルだ。
キリトは反射的に<ジ・イクリプス>により迎撃するための構えをとってしまった。
あるいはソードスキルに頼りすぎてしまっていたツケはここにきてヒースクリフに一度だけ味方したのだろう。
キリトは自分のミスに気付いたが一度発動したソードスキルは止まることはない。
誘いに気づいたときにはもう遅く、わずかに笑みを浮かべたヒースクリフが連続二十七回攻撃を次々とさばいていく。
「君との戦いもここまでのようだ、さようならキリト君。」
そして二十七回目の攻撃を終えたキリトの体をヒースクリフの剣が貫こうとしていた。
しかしキリトがその時受けたのは優しく押されたような衝撃だけで、傷はなかった。
そしてキリトの前で誰よりも知っている背中がヒースクリフの剣で貫かれた。
「姉さん、なんで。」
どさっという音がする。
「これは、麻痺か。」
ヒースクリフの腹には短剣が刺さり、立ち上がれないようだった。
しかしキリトにはそれすら碌に目も向けれず。
氷になったように目の前の姿から目を離すことができなかった。
赤に染まる最愛の姉の姿、致命傷としか言えない傷。
大切な姉の命が削れていく。
「キリト、直葉を頼んだわよ。」
振り返る姉は、まるで遺言のように、やさしく声をかけた。
なんで、どうして、もうこれ以上大事な人を失いたくなかったから戦ったのに。
そして姉の姿が崩れた。
ヒースクリフは立ち上がっていた。
姉が付けた麻痺さえもゲームマスターには大して効かなかった。
「素晴らしい姉弟だね、システムすらはねのけるなんて。」
ウルサイ。
「まるで、スダンドアローンRPGのシナリオのようじゃないか。」
ウルサイ、うるさい、煩い。
全身が沸騰するほど暑い。どす黒いマグマのような感情が体を駆け巡る。
ヒースクリフの言葉は聞き取れなかった。
こいつだけはこの手で■す。
雄たけびを上げて襲い掛かる。
剣の振り方は知っている。他ならぬ姉から教わったそれはここにきてキリトの中で歯車が噛み合うように一体となった。
そしてその剣は振れば振るほどに速くなっていった、それはまるでキリトの感情に、心に共鳴するかのようにより鋭くなる。
ヒースクリフの守りすらすり抜けて手首を飛ばし、腕を落として、脚を削ぎ、そして茅場の首を刎ねた。
其の後のことはおぼろげにしか覚えていない。
「たとえ血がつながってなかったとしてもずっと愛している。」
姉は何もかも知っていた。全部知っていてそれでも弟としてずっと愛してくれていた。
そんな姉を失ったんだ。キリトは涙が止まらなかった。
『ゲームはクリアされました。』
カーディナルの無機質なアナウンスが全てのプレイヤーの元に響き渡った。
二年という月日をかけてゲームはクリアされた。
姉という大事な人を守れなかった結果を残して。
予定を変更してキリトの話を書きました。
アインクラッド第七十五層の話です。
一話とややリンクしています。
ちなみに目覚めてすぐに姉の遺体を見ています。しかし限界状態で見てしまったがために覚えていません。
直葉が頑張って介護しますが、完全復帰(完全とは言ってない)にはアスナが必要です。
つまり須郷さんが死にます。
姉が命かけて皆を解放したのに、それを邪魔しているんだから、アスナさん関係なくても全力で潰しにかかるでしょう。
今のキリトはアリスを失ったユージオ君と大して変わりません。