絢辻さんを救いたい話 作:紳士
翌日の昼休み。絢辻さんに言われた通り、僕は購買で買ったパンを持ったまま教室の後方へ移動した。普段なら机が並んでいる場所には、何枚かの色画用紙と、創設祭後のパーティーについて書かれた紙が広げられている。飲み物、菓子、飾りつけ、机の配置。思っていたより、決めることは多いらしい。
「望月君、遅い」
「まだ昼休みが始まって二分くらいだよ」
「あたしはもう準備できてるけど」
絢辻さんは既に何枚かの紙を項目ごとに並べ終え、赤いペンまで手元に置いていた。僕が来る前から始めていたのだろう。
「絢辻さんが早すぎるんじゃない?」
「人を待たせるよりはいいでしょ」
反論はできない。僕は近くの机へ購買の袋を置き、空いている椅子を引いた。
「それで、何を手伝えばいいの?」
「まず、これ」
絢辻さんが一枚の紙を僕の前へ滑らせる。クラスメイトから集めた意見がまとめられており、それぞれが自由に書き込んだらしく、文字の大きさも向きも揃っていなかった。
『ジュースは多め』
『ケーキがほしい』
『音楽を流したい』
『先生も呼ぶ?』
『クリスマスっぽくしたい』
『片づけが面倒じゃないもの』
「最後の意見だけ、妙に現実的だね」
「誰が書いたか、何となく分かるけどね」
赤いペンの先で紙の中央を軽く叩いた後、絢辻さんは別の用紙を重ねた。
「今日は、この中から実際にできそうなものを選ぶの」
「もう大体決めてるんじゃない?」
「どうして?」
僕が紙の並びへ目をやると、彼女もつられて視線を落とした。ここまで準備して呼んだのなら、何も考えていないはずはない。
「絢辻さんが、何も考えずに僕を呼ぶとは思えないから」
「ある程度は決めてる。でも、あたし一人で全部決めるのも違うし」
「それで僕?」
「無理なものは無理って言えるでしょ。たぶん」
最後の一言だけ余計だった。僕が不満そうな顔をすると、絢辻さんは気にする様子もなく次の紙へ手を伸ばす。
「随分信用されてるな」
「期待しすぎると疲れるから、そのくらいでいいの」
「急に扱いが雑だなぁ」
絢辻さんは取り合わず、赤いペンを持ち直した。
「じゃあ、飲み物から。炭酸飲料、オレンジジュース、お茶。この三つで十分だと思う」
「コーヒーは?」
「高校生のパーティーで必要?」
「高橋先生が飲むかもしれない」
ペン先が止まった。先生を呼ぶか自体、まだ決まっていないらしい。
「じゃあ、先生を呼ぶなら考える。それでいい?」
「うん」
そこで終わるかと思ったが、昨日の屋上で交換したクリームパンを思い出した。絢辻さんは僕が渡した大きい方を迷わず選び、思っていたより甘いと言いながらも嫌そうにはしていなかった。
「絢辻さんって、コーヒー飲む?」
「飲むけど」
「砂糖は?」
「入れない」
即答だったので、逆に怪しい。思わず顔を覗き込むと、絢辻さんの眉が寄った。
「ミルクは?」
「入れない。何、その顔」
「甘いものは好きそうなのに」
「甘いものが好きでも、何でも甘くするわけじゃない」
絢辻さんは僕の返事を待たず、赤いペンの先で次の欄を指した。
「望月君は?」
「砂糖もミルクも入れるよ」
「子ども」
「苦いものを我慢して飲む方が大人なの?」
「我慢してない。はい、次」
取りつく島もない。これ以上続ければ本当に話が進まなくなりそうなので、僕も次の紙を見ることにした。
「ケーキは予算的に難しいから、小分けのお菓子を何種類か。甘いものだけだと飽きるから、塩気のあるものも欲しい」
「ポテトチップスとか?」
「教室が汚れる」
「せんべい」
「音が大きい」
迷いなく切られ、僕は紙を眺めながら別の案を考えた。
「じゃあ、クラッカー」
「床に落ちる」
「何ならいいんだよ」
「小袋のスナック菓子。一人分ずつ分かれてれば散らかりにくいから」
あまりにも答えが早い。最初から考えていたのではないかと疑いながら、僕は紙の上に並ぶ候補を見直した。
「最初から決めてたんだ」
「意見を聞いてるの」
「僕の意見、全部却下されてるけど」
絢辻さんは「それは望月君のせい」とでも言いたげな顔で、赤いペンを指先に挟んだ。
「もっといい案を出せば採用する」
「採用する気はある?」
「あるわよ」
多分、半分くらいは怪しい。彼女の中では既に、予算や片づけまで含めた答えができているのだろう。
「じゃあ、個包装のチョコレート」
「溶けるかも」
「十二月だよ?」
「暖房つけるでしょ」
そこまでは分かる。けれど、次に挙げたクッキーは粉が落ちる、飴は食べ終わるまで時間がかかる、とほとんど考える間もなく返された。
「何を出しても駄目じゃないか」
「だから、ちゃんと考えて」
絢辻さんは真面目な顔をしている。からかっているわけではなく、本当に僕が自分の考えているところまで辿り着くのを待っているらしい。
少し考えてから、目の前の紙をもう一度見た。
「……最初から、買う物の候補があるんじゃない?」
「候補くらいはあるわよ」
「それを教えてくれた方が早くない?」
「望月君の意見を聞きたいの」
その返事で、引っかかっていたものの形がようやく分かった。
「意見というより、正解を当てさせようとしてない?」
絢辻さんのペンが止まる。
「どういう意味?」
「絢辻さんの中では、もう大体決まってるんだろ。僕が違うことを言ったら、理由をつけて却下する」
「理由があるから却下してるの」
声は強くないが、返事は早かった。僕も言葉を選びながら続ける。
「でも、それなら相談じゃなくて確認だよ。僕に決めさせたいなら、違う意見も残してほしい」
絢辻さんの表情が硬くなる。
「じゃあ望月君は、どうしたいの?」
「絢辻さんが決めたいなら、それでもいいよ」
「そういう逃げ方、一番嫌い」
すぐに返されて、僕は言葉に詰まった。
「逃げてるつもりはないけど」
「どっちでもいいって言えば、望月君は何も決めなくて済むもの」
今度は僕が黙る番だった。完全に間違っているとも言い切れない。相手に考えがあるなら合わせればいい。細かいことで空気を悪くするくらいなら、自分が折れた方が早い。そう考えることは、今まで何度もあった。
「……じゃあ、相談するなら相談にしてほしい」
「してるわよ」
「僕には、絢辻さんの考えを当てるゲームに見えた」
言った後で、少し言いすぎたかもしれないと思う。それでも、何でも従うことが本当に手伝うことになるのかは、最近少し分からなくなっていた。
「あたし、そんなに押しつけてた?」
「言い方というより、進め方かな」
「望月君が変な案ばっかり出すから」
チョコレートもクッキーも、そこまで変ではないと思う。そう返しかけたところで、絢辻さんが先に紙を指した。
「片づけるのは誰?」
「僕たち」
「どうして望月君まで入ってるの?」
「手伝うんだろ?」
そこで彼女の眉が上がった。
「まだ頼んでないけど」
「じゃあ、絢辻さん一人?」
「そうは言ってない」
「ほら。やっぱり答えが決まってる」
絢辻さんが口を閉じた。黒い瞳が、僕の顔をまっすぐ見ている。
怒らせたかもしれない。けれど、ここで全部引っ込めれば、言った意味までなくなる気がした。
「……生意気」
「ごめん」
「すぐ謝る」
「言い方は悪かったと思ったから」
絢辻さんはまだ僕を見ていた。
「じゃあ、言ったことは?」
「取り消さない」
答えるまでに少し勇気が必要だった。しばらくして、絢辻さんは視線を外し、赤いペンを机へ置く。
「そう。じゃあ決めて」
「何を?」
「甘いお菓子。チョコレートかクッキー」
思わず紙を見る。
「さっき両方却下しただろ」
「相談するんでしょ?」
棘のある言い方だった。それでも、今度は本当に僕へ選ばせるつもりらしい。
「チョコレート」
「理由は?」
「クリスマスっぽい箱に入ってるものが多そうだから。食べ終わった後も飾りにできるし、クッキーより好きな人も多そう」
絢辻さんはすぐにはペンを取らなかった。
「溶けたら?」
「暖房の近くへ置かなければいい」
「床に落ちたら?」
「拾う」
眉を上げられ、僕は肩をすくめた。
「誰が?」
「僕が拾うよ」
「そこまで言うなら、チョコレート」
紙の『甘い菓子』の横へ赤い文字が書き足された。本当に採用されたことが意外で、ついその手元を見てしまう。
「何?」
「いや。通ると思わなかった」
「決めろって言ったのはあたし」
「後で変えない?」
「望月君が責任持つならね」
選ぶだけなのに随分重い、と言うと、絢辻さんは「選ぶってそういうこと」と短く返した。パーティーのお菓子で大げさに考える必要はない。それでも、一度決めたなら最後まで自分で扱う。彼女にとっては、それが当たり前なのだろう。
「次は飾り」
色画用紙が僕の前へ並べられる。赤、緑、金、銀、青。
「教室全体は赤と緑を中心にするつもり。でも全部同じだと単調だから、もう一色入れたい」
「金か銀?」
「普通はね」
「じゃあ青」
絢辻さんの手が止まった。
「どうして?」
「普通じゃない方が面白そうだから」
「統一感なくならない?」
僕は青い紙を一枚引き寄せ、赤と緑の間へ置いてみる。
「少しくらい違う色があった方が、赤と緑も目立つと思う」
「……本気?」
「今度は、正解を当てなくてもいいんだろ?」
絢辻さんはしばらく三色を見比べた後、青い紙を一枚だけ残した。
「分かった。少しだけ」
「いいの?」
「採用したのに文句ある?」
予想よりあっさり通り、反応が遅れたらしい。絢辻さんが僕の顔を見て、楽しそうに笑った。
「もう少し嬉しそうにしたら?」
「今そんなに変な顔してる?」
「採用されると思ってなかった顔」
「当たってる」
「分かりやすい」
最初より、少しだけ空気が軽くなったように思う。
「じゃあ、今日の放課後に買いに行くから」
「どこへ?」
「駅前の雑貨店。紙皿も飾りもまとめて売ってるみたい」
「僕も?」
嫌な予感がして聞き返すと、絢辻さんは当然のように頷いた。
「チョコレートと青を選んだ責任」
「本当に重いなぁ」
「嫌なら断れば?」
断らないと思っているような顔だった。けれど、それと実際に断らないことは別だ。
「部活があるから、終わってからなら」
「何時?」
「五時半くらい」
「遅い」
「じゃあ今日は無理だね」
すぐに返すと、絢辻さんの眉が寄った。
「三十分だけ早く終われない?」
「顧問に聞いてみないと」
「途中で抜けるだけでしょ」
僕にも部活の予定がある。そう返すと、絢辻さんは紙へ目を落とし、今日買わないと在庫がなくなるかもしれないと言った。
「明日でも間に合うんじゃない?」
「なくなったら?」
「予約できるか電話で聞く」
「そこまでしなくても、望月君が早く――」
「それは絢辻さんの都合だろ」
口から出た言葉に、僕自身が一番驚いた。絢辻さんも目を見開く。
「……何?」
「ごめん。言い方は悪かった」
「またそれ?」
僕は一度だけ息を整えた。
「でも、部活を抜けるかどうかを絢辻さんが決めるのは違うと思う」
「決めてない。頼んだだけ」
すぐに返され、今度は僕が詰まる。
「それはそうだけど」
「嫌なら嫌って言えばいいでしょ。あたしに言わせないで」
確かに、頼まれたから断れないと思っていたのは僕の側だ。絢辻さんが勝手に決めた、と全部相手のせいにするのも違う。
「……部活は最後まで出たい」
「最初からそう言えばいいのに」
「言いにくかったんだよ」
「知らない。そこまで面倒見きれない」
ぴしゃりと言われる。少し腹は立つが、その言い方の方が妙に納得できた。
「じゃあ、五時半からなら手伝う」
「分かった」
「いいの?」
「望月君がそう決めたんでしょ」
絢辻さんは赤いペンを取り直し、予定欄へ何かを書き込んだ。
「それだと店を出る頃には暗くなるけど」
「もう十二月だし、五時でも暗いだろ」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ何?」
聞き返すと、絢辻さんはペン先を止めた。
「……別に」
それ以上は答えず、紙の端へ『17:30 昇降口』と書き込む。
「五時半。遅れないで」
「善処する」
「善処じゃなくて、遅れない」
「はい」
そこで昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。絢辻さんは紙をまとめ、色画用紙を重ねる。僕も机の上に置いたままだったパンを手に取った。結局、ほとんど食べる時間がなくなっている。
「望月君」
「何?」
絢辻さんは手を動かしたまま、こちらを見ずに言った。
「さっきのこと」
「部活の?」
「……あたしが決めることじゃなかった」
周囲には届かないくらいの声だった。
「うん」
「でも、望月君も言わなさすぎ」
「それは……そうかも」
ようやくこちらを見る。
「でしょ。だから五時半には来て」
「分かった」
「遅れたら怒るから」
「怖いな」
絢辻さんは何でもない顔で資料を抱えた。
「遅れなければ関係ない」
結局、最後は僕が押し切られた。
◇
放課後、部活を終えて昇降口へ向かうと、絢辻さんは既に壁際へ立ち、腕時計を確認していた。
「ごめん。待った?」
「七分」
「着替えに少し時間がかかったんだよ」
怒ると言われたことを思い出しながら様子を窺うと、絢辻さんは腕時計から僕へ視線を移した。
「遅れるなら連絡して」
「連絡先、知らないけど」
言ってから、二人とも少し黙った。
放課後に一緒に帰ったことも、仕事を手伝ったこともある。それなのに連絡先は知らない。考えてみれば当然で、僕たちは学校の外で待ち合わせをしたことすらなかった。
「……じゃあ、教える」
「今?」
「また遅れられたら困るから」
「そういう理由?」
絢辻さんは鞄から白い携帯電話を取り出した。
「他に何がいるの?」
「ないけど」
僕も携帯を出し、赤外線通信で連絡先を交換する。画面に表示された名前は『絢辻詞』。ただそれだけで、特別な記号も呼び方もついていない。それでも、自分の携帯の中に彼女の名前が増えたことが妙に目についた。
「何を見てるの?」
「ちゃんと入ったか確認してた」
「望月君のも入った」
僕は表示された名前をもう一度確認した。
「試しに送る?」
「目の前にいるのに?」
「届くか確認しておこうかと思って」
絢辻さんは呆れたように僕を見る。
「いらない」
「それもそうか」
携帯を閉じようとしたところで、短い電子音が鳴った。
一通のメール。
『今度から遅れる時は連絡すること。』
送信者は、今登録したばかりの名前だった。
「送ってるじゃないか」
顔を上げると、絢辻さんはもう携帯を鞄へ戻している。
「確認」
「必要ないって言っただろ」
「届かなかったら困るから」
「僕と同じことしてるよ」
すると、絢辻さんは一拍置いて僕を見た。
「……一緒にしないで」
「返事、ちょっと遅かったね」
「うるさい。行くよ」
先に歩き始めた背中を追い、僕も校舎を出た。外は既に暗く、校門を出る頃には街灯が歩道を白く照らしている。
「部活、最後まで出られた?」
「うん」
「そう」
短い返事だった。
「待つの、嫌だった?」
「別に」
「七分待たせたし、怒ってる?」
絢辻さんは前を向いたまま、腕時計を軽く叩いた。
「次から連絡すればいい」
「怒ってないんだ」
「しつこい」
横顔を見ていると、すぐに視線だけがこちらへ向く。
「また見てる」
「少しだけ」
「見すぎ」
それ以上続ける前に歩幅を速められ、僕も置いていかれないよう速度を上げた。
◇
駅前の雑貨店は、思っていたよりも広かった。入口には小さなクリスマスツリーが置かれ、赤や金の飾りが電飾の光を反射している。店内にも季節商品が並ぶ一角が作られていた。
「まず紙皿と紙コップ」
「色は?」
「白」
「普通だな」
柄つきは高い、と絢辻さんは値札を見せるように指した。必要な枚数を迷わず籠へ入れていくあたり、ある程度は事前に調べてきたらしい。
「じゃあ僕、やっぱり必要なかったんじゃない?」
「まだ言ってるの?」
「確認しただけ」
「チョコレート見てきて。予算内、個包装、数が足りるもの」
僕が「箱がクリスマスっぽいもの」と条件を足すと、絢辻さんは眉を寄せた。
「それは望月君の希望」
「採用されたはずだけど」
「分かったから、早く行って」
少し離れた菓子売り場へ向かい、条件に合うものを探す。赤い箱、金色の箱、雪の結晶が描かれた青い箱。三十人以上へ配るとなると一箱だけでは足りず、値段と個数を見比べる必要があった。
迷っているうちに、いつの間にか絢辻さんが隣へ来ていた。
「遅い」
「今選んでるところ」
「この赤いのは?」
「一番安いけど、二箱買うと余りすぎる」
僕は隣の青い箱を手に取った。
「こっちなら三個だけ余る。箱も飾りにできそうだし」
「赤と緑の中に青?」
「青も使うことになっただろ」
「少しだけね」
それでも止める様子はない。僕が雪の結晶が描かれた箱を差し出すと、絢辻さんは裏面の表示を確認した。
「中身は普通のミルクチョコレート」
「絢辻さんは苦い方がいい?」
「別に」
「コーヒーはブラックなのに?」
箱から僕へ視線が移る。
「まだ言ってるの?」
「少し気になる」
「望月君には飲ませない」
思わず口が先に動いた。
「一緒に飲む予定があったの?」
絢辻さんの手が止まる。
「……ない」
「じゃあ困らないな」
「本当に腹立つ」
青い箱が、少し乱暴に籠へ入れられた。
「怒った?」
「知らない」
それ以上聞くのはやめておいた。
次に飾りの売り場へ移る。色とりどりの紙飾りや雪の結晶、小さな鈴、サンタクロースやトナカイを模した置物まで並んでいた。
「この辺は、予算が余ったら」
「これくらいなら買えるんじゃない?」
棚の端にあった、小さな雪だるまの飾りを手に取る。白い身体に青い帽子。手のひらに収まる程度の大きさだ。
「何に使うの?」
「教卓に置く」
「一個だけ?」
高橋先生の前に、と答えると、絢辻さんは雪だるまを一度見ただけで首を振った。
「いらない」
「即答だな」
「パーティーに必要な物を買いに来たの」
「可愛いと思うけど」
「望月君、こういうの好きなの?」
僕が「嫌いじゃない」と答えると、絢辻さんはもう一度雪だるまを見た。
「……意外」
「今日はそれ何回目?」
「望月君が意外なことするから」
「じゃあ、これは僕が出すよ」
今度は本当に予想していなかったらしく、絢辻さんが僕を見る。
「何で?」
「選んだ責任」
「それ、チョコレートの話」
「青い帽子だし、飾りにも合う」
無理やり、と言われても引っ込める気にはならなかった。
「駄目?」
「……好きにすれば」
「じゃあ買う」
「本当に買うんだ」
僕が雪だるまを持ち直すと、絢辻さんは呆れたように肩を落とした。
「子ども」
「後で可愛いって言っても貸さないよ」
「言わないから安心して」
紙飾りやテープを選び終え、会計へ向かった。クラス用の品物は学校から出た予算で払い、雪だるまだけは僕の財布から支払う。
店を出ると、絢辻さんが紙皿などの入った大きな袋を持とうとした。
「そっちは僕が持つよ」
「何で?」
「重いから」
「あたしでも持てる」
持てるかどうかではなく、分けた方が楽だと返すと、絢辻さんは少し考えた後、大きな袋と小さな袋の両方を僕へ差し出した。
「じゃあ、全部」
「全部は持たないよ」
重い方だけを受け取り、紙飾りの入った小さな袋をそのまま差し返す。
「絢辻さんも一つ持って」
「手伝うって言ったよね?」
「分担だよ」
絢辻さんは袋を受け取らず、僕の顔を見た。
「何?」
「本当に断るようになったんだ」
「全部じゃないよ」
「前なら何も言わずに両方持った」
そうかもしれない。少し前の僕なら、持てない重さでなければそのまま受け取ったと思う。それで相手が楽になるなら、自分が持てばいいと考えただろう。
「どうして変わったの?」
「分からない」
「また曖昧」
「でも、全部持つことが手伝うことなのかなって」
絢辻さんの眉が動いた。
「何それ」
「僕が全部やったら、絢辻さんは何もしなくなるだろ」
「別にいいじゃない」
僕は差し出した袋を軽く持ち上げる。
「よくないよ。一緒に買いに来たんだから、一緒に持って帰る方がいい」
「それ、理由になってる?」
「僕の中では」
「効率悪い」
「今日は効率だけで決めないって話だっただろ」
絢辻さんが一瞬黙った。
「……それをここで使う?」
「駄目?」
「生意気」
そう言いながら、ようやく小さな袋を受け取った。僕は重い方を右手に持ち、駅へ向かって歩き始める。絢辻さんも隣へ並んだ。
「望月君」
「何?」
「雪だるま、本当に教卓へ置くの?」
「そのつもり」
高橋先生に怒られても知らない、と言われたので、その時は自分の机に置くと返す。
「最初からそうすれば?」
「パーティーの時だけ教卓」
「変なところで頑固」
「絢辻さんほどじゃないよ」
隣から視線が飛んできた。
「今、何て?」
「聞こえてたでしょ」
「もう一回言って」
「嫌だよ」
絢辻さんが目を丸くする。その反応がおかしくて、今度は僕の方が先に笑いそうになった。
「言いなさい」
「やだ」
「本当に生意気になった」
「今日二回目だよ、それ」
「増えるかもね」
結局、袋を持たせたくらいでは会話の主導権までは取れないらしい。
しばらく進んだところで、隣から携帯電話を開く音が聞こえた。
「連絡?」
「先生から。パーティーの許可が出たって」
「よかったね」
絢辻さんは画面を読み進める。
「終了後三十分以内。飲食物は各自で片づけること」
「十分じゃない?」
「予定を少し短くしないと」
もう次の段取りを考えているらしい。先ほどまで買い物をしていた時間も、彼女の中ではその先の準備へ続いている。
僕は隣を歩きながら、ふと聞いた。
「絢辻さん、今日は楽しかった?」
「買い出しが?」
「うん」
絢辻さんは携帯電話を閉じた。
「必要な物を買っただけ」
「そうだけど」
「楽しいとか、そういうものじゃない」
予想していた答えだった。僕も前を向くと、駅の明かりが少し先に見えている。
「望月君は?」
「僕?」
「楽しかったの?」
「うん」
絢辻さんがこちらを見る。
「何で?」
「絢辻さんと色々選んだから」
特別なことを言うつもりはなかった。ただ、思ったままを答えただけだった。
絢辻さんはすぐには返事をしない。風に流れた黒い髪が頬へかかり、表情の一部を隠している。
「……変なの」
いつものように呆れているような声だった。ただ、嫌そうには聞こえない。
少し歩いたところで、絢辻さんが僕の持つ小さな別袋を指した。
「それ、見せて」
「雪だるま?」
「他に何があるの」
「いらないって言ってたじゃないか」
近くで見ていないから、と手を出される。
「可愛いって言わないんだろ?」
「言わない」
袋から雪だるまを取り出して渡す。
絢辻さんは足を止め、手のひらの上で飾りを回した。青い帽子、小さな黒い目、曲がった赤い口。
「作りが雑」
「安かったからね」
「鼻も曲がってる」
「それがいいんだよ」
絢辻さんが雪だるまから僕へ目を移した。
「どこが?」
「完璧じゃないところ」
口にした後、自分でも別の意味に聞こえた。
絢辻さんの指が止まる。
「今の、どういう意味?」
「雪だるまの話だよ」
「本当に?」
こちらを見たまま、返事を待っている。
「本当に」
しばらくして、雪だるまが返された。
「やっぱり可愛くない」
「そう?」
「うん」
僕は受け取った雪だるまを袋へ戻した。
「じゃあ教卓へ置いても、気にならないね」
「……好きにすれば」
絢辻さんは僕より半歩前へ出、そのまま歩き始める。
来た時と同じ道を、同じ二人で歩いている。けれど、買い物袋の中には僕が選んだチョコレートと青い飾りが入り、絢辻さんの手にも半分の荷物がある。それだけの違いなのに、今日はちゃんと二人で選んだ気がした。
返された雪だるまの青い帽子には、彼女の指が触れていた場所だけ、まだ僅かな温かさが残っていた。