絢辻さんを救いたい話 作:紳士
翌日の昼休み。
絢辻さんに言われた通り、僕は購買で買ったパンを持ったまま、教室の後方へ移動していた。
普段なら机が並んでいる場所に、今は何枚かの色画用紙と、創設祭後のパーティーについて書かれた紙が広げられている。
飲み物。菓子。飾りつけ。机の配置。
思っていたよりも、決めなければならないことは多いらしい。
「望月君、遅い」
「まだ昼休みが始まって2分くらいだよ」
「あたしはもう準備を終わらせてるけど」
絢辻さんは、既に何枚かの紙を項目ごとに並べ終えていた。赤いペンまで手元に置かれている。
「絢辻さんが早すぎるんじゃない?」
「人を待たせるよりはいいでしょう?」
反論はできない。
僕は近くの机へ購買の袋を置いた。
「それで、何を手伝えばいいの?」
「まず、これを見て」
絢辻さんが、1枚の紙を僕の前へ滑らせる。
クラスメイトから集めた意見が、項目ごとにまとめられていた。文字は彼女のものではない。
それぞれが自由に書き込んだらしく、大きさも向きも揃っていなかった。
『ジュースは多め』
『ケーキがほしい』
『音楽を流したい』
『先生も呼ぶ?』
『クリスマスっぽくしたい』
『片づけが面倒じゃないもの』
「最後の意見だけ、妙に現実的だね」
「誰が書いたか、何となく分かるけどね」
赤いペンの先で、紙の中央を軽く叩かれる。
「今日は、この中から実際にできそうなものを選ぶの」
「もう大体決めてるんじゃない?」
「どうして?」
「絢辻さんが、何も考えずに僕を呼ぶとは思えないから」
彼女はすぐには答えなかった。手元の紙を一度見下ろす。
「ある程度はね」
「やっぱり」
「でも、他の人の意見も聞いた方がいいと思って」
そこでようやく顔を上げる。
「それで僕?」
「望月君なら、無理なものは無理って分かると思ったから」
「随分期待されてるな」
「学年4位か5位くらいなんでしょう?」
「勉強とパーティーの企画は、あまり関係ないと思う」
絢辻さんは当然のように首を振る。
「考えることは同じよ」
「本当に?」
「余計な時間を使わず、一番いい方法を選ぶ」
絢辻さんらしい答えだった。
ただ、パーティーまで効率だけで決めてしまうと、少し味気ない気もする。
「じゃあ、飲み物から」
絢辻さんが赤いペンを持つ。
「炭酸飲料、オレンジジュース、お茶。この3種類で十分だと思う」
「コーヒーは?」
「高校生のパーティーで必要?」
「高橋先生が飲むかもしれない」
「先生を呼ぶかも、まだ決まってないから」
絢辻さんは紙へ視線を戻す。
「じゃあ保留?」
「いらないでいいでしょう?」
「絢辻さん、コーヒー嫌い?」
「嫌いとは言ってないけど」
「飲める?」
「……飲めるよ」
僅かに間があった。
「砂糖は?」
「入れない」
「ミルクは?」
「入れない」
あまりにも迷いのない返事なので、逆に疑いたくなる。
「本当に?」
「何で疑うの?」
「甘いものが好きみたいだから」
屋上で交換したクリームパンを思い出す。
絢辻さんは、僕が渡した大きい方を迷わず選んだ。思っていたより甘かったと言いながらも、嫌そうにはしていなかった。
「たとえ甘いものが好きでも、コーヒーまで甘くするとは限らないでしょう?」
「そうだけど」
「望月君は?」
「砂糖もミルクも入れる」
絢辻さんの口元が少しだけ上がる。
「子どもね」
「苦いものを我慢して飲む方が大人なの?」
「……我慢はしてないわよ」
「その割には、返事が遅かったけど」
赤いペンの先が、紙を軽く叩いた。
「望月君」
「はい」
「話が進まない」
これ以上追及すると、本当に怒られそうだった。
「コーヒーは一応、先生を呼ぶことになったら追加する。これでいい?」
「うん」
「次。食べ物」
絢辻さんが別の紙を取り出す。
「ケーキは予算的に難しいから、小分けのお菓子を何種類か。甘いものばかりだと飽きるから、塩気のあるものも用意する」
「ポテトチップスとか?」
「教室が汚れる」
「せんべい」
「音が大きい」
「クラッカー」
「床に落ちる」
あまりにも即答で却下され続け、僕は思わず彼女を見る。
「何ならいいんだよ」
「小袋のスナック菓子」
「結局、似たようなものじゃない?」
「一人分ずつ分かれていれば、散らかりにくいでしょ」
「最初から決めてたんだ」
絢辻さんは、いかにも公平に検討しているような顔をする。
「意見を聞いてるの」
「僕の意見、全部却下されてるけど」
「もっといい案を出せば採用するよ」
「採用する気はある?」
「もちろん」
多分、半分くらいは嘘だ。
彼女の中では既に、予算や片づけまで含めた答えができている。
僕に求められているのは、新しい案ではなく、その答えに納得することなのかもしれない。
「じゃあ、個包装のチョコレート」
「溶けるかもしれない」
「12月だよ?」
「暖房をつけるでしょう?」
「クッキー」
「粉が落ちる」
「飴」
「食べ終わるまで時間がかかる」
僕はとうとう紙から顔を上げた。
「何を出しても駄目じゃないか」
「だから、もっとよく考えて」
絢辻さんは真面目な顔をしていた。
からかっているわけではない。本当に、僕が自分の考えている正解へ辿り着くのを待っているらしい。
少しだけ考える。
「……最初から、買う物の候補があるんじゃない?」
「候補くらいはあるわよ」
「それを教えてくれた方が早くない?」
「望月君の意見を聞きたいって言ったでしょう?」
僕は目の前の紙をもう一度見る。
「意見というより、正解を当てさせようとしてない?」
口にした瞬間。
絢辻さんのペンが止まった。
「どういう意味?」
「絢辻さんの中では、もう大体決まってるんだろ」
「ある程度はね」
「僕が何を言っても、決めたものと違えば理由をつけて却下する」
声が強くなりすぎないよう気をつける。
怒っているわけではない。ただ、少しだけ疲れてきた。
「ちゃんと理由があるもの」
「でも、それなら最初から相談じゃなくて、確認だよ」
絢辻さんの表情が少しだけ固くなる。
「僕に決めさせたいなら、違う意見も残してほしいし。絢辻さんが決めたいなら、それでいいと思う」
「……望月君は、どうしたいの?」
「どっちでもいいよ」
「それが一番困る答えなんだけど」
「じゃあ、相談するなら相談にしてほしい」
「相談してるじゃない」
僕は一度だけ息を吐いた。
「僕は、絢辻さんの考えを当てるゲームをしてる気分だった」
言った後、少し言いすぎたかもしれないと思う。
数日前までの僕なら、そのまま合わせていただろう。相手には相手の考えがある。細かいことへ反論して空気を悪くするくらいなら、自分が折れた方が早い。
そう考える方が多かった。
今も、その考えが完全になくなったわけではない。
ただ。
何でも従うことが、本当に手伝うことになるのか。
最近、少しだけ分からなくなっていた。
「……あたし、そんな言い方してた?」
返ってきた声が、少し低くなる。
教室には他の生徒もいる。けれど周囲の会話が大きいため、僕たちの声まで聞いている者はいないだろう。
「言い方というより、進め方かな」
「望月君が変な案ばかり出すからでしょう?」
「チョコレートもクッキーも、そんなに変じゃないと思うけど」
「片づけるのは誰?」
「僕たち」
絢辻さんが、すぐにこちらを見る。
「どうして望月君まで入ってるの?」
「手伝うんだろ?」
「まだ頼んでない」
「じゃあ、絢辻さん一人?」
「そうは言ってない」
やっぱり、と僕は思う。
「ほら。答えが決まってる」
絢辻さんが口を閉じた。
黒い瞳が、僕の顔をまっすぐ見ている。
怒らせた。
そう思った。
けれど、ここで謝れば、今までと同じになる気がした。
言い方が悪かったことは謝ってもいい。ただ、自分が感じたことまでなかったことにはしたくない。
「……生意気」
しばらくして、絢辻さんが言った。
「ごめん」
「すぐ謝る」
「言い方は悪かったと思ったから」
絢辻さんはまだ僕を見ている。
「言ったことは取り消さないの?」
「うん」
答えるまでに少し勇気が必要だった。
絢辻さんの目が細くなる。手帳を拾った直後に見せた、相手の反応を確かめるような目。
「本当に?」
「本当に」
「そう」
赤いペンが、机の上へ置かれる。
絢辻さんは一度だけ、小さく息を吐いた。
「じゃあ、決めて」
「何を?」
「甘いお菓子。チョコレートか、クッキー」
思わず紙を見る。
「さっき両方却下しただろ」
「相談するんでしょう?」
少しだけ棘のある言い方だった。
それでも、選ばせるつもりはあるらしい。
「チョコレート」
「理由は?」
「クリスマスっぽい箱に入ってるものが多そうだから」
「中身じゃなくて箱?」
「飾りにも使えるだろ」
食べ終わった後の箱を、机の上へ置いておく。それだけでも多少は雰囲気が出るかもしれない。
「それに、クッキーより好きな人が多そう」
「溶けたら?」
「暖房の近くへ置かなければいい」
「床に落ちたら?」
「拾う」
絢辻さんが少しだけ眉を上げる。
「誰が?」
「僕が拾うよ」
「……そこまで言うなら、チョコレートにする」
紙の『甘い菓子』の横へ、赤い文字が書き足される。
本当に採用された。
自分から言ったことなのに、少し意外だった。
「何?」
「いや。採用されると思わなかった」
「決めろと言ったのはあたしでしょう?」
「後で変えない?」
絢辻さんは赤いペンの蓋を閉じながら答える。
「望月君が責任を持つなら」
「お菓子を一つ選ぶだけで、随分重いな」
「選ぶって、そういうことでしょう?」
絢辻さんは、何でもないことのように答えた。
けれど、その言葉は少し耳へ残った。
選ぶ。
何かを一つ取れば、別の何かは取れなくなる。失敗した時に、自分が決めたのではないと言い訳することもできない。
パーティーのお菓子であれば、そこまで大げさな話ではない。
ただ、彼女にとっては小さなことでも同じなのかもしれない。
「次は飾り」
絢辻さんが色画用紙を僕の前へ並べる。
赤。緑。金。銀。青。
「教室全体は赤と緑を中心にするつもりだけど、全部同じだと単調だから、もう一色入れたいの」
「金か銀?」
「普通はそうね」
「じゃあ青」
絢辻さんの手が止まる。
「どうして?」
「普通じゃない方が面白そうだから」
「統一感がなくならない?」
「少しくらい違う色があった方が、赤と緑も目立つと思う」
彼女は青い画用紙を見る。
「……本気?」
「今度は、絢辻さんの正解を当てなくてもいいんだろ?」
言い返す。
絢辻さんは一瞬だけ黙り、それから青い画用紙を1枚持ち上げた。
「分かった。少しだけ使う」
「いいの?」
「意見を採用したのに、文句がある?」
「ないけど」
予想よりあっさり通ってしまい、反応が遅れる。
「なら、嬉しそうな顔をすれば?」
「僕、今そんなに変な顔してる?」
「採用されるとは思っていなかった顔」
「当たってる」
絢辻さんの口元が、僅かに緩んだ。
教室で誰かへ見せる笑顔とは違う。僕の返事が予想通りだったことを、少し楽しんでいるような表情だった。
「じゃあ、今日の放課後に買いに行くから」
「どこへ?」
「駅前の雑貨店。紙皿や飾りも、まとめて売ってるみたい」
嫌な予感がして、僕は一度だけ瞬く。
「僕も?」
「チョコレートと青を選んだ責任」
「本当に責任が重いなぁ」
絢辻さんは、断らないことを知っているような顔をしている。
「嫌なら断ってもいいけど?」
少し前なら、それを見ただけで何も考えず頷いていたかもしれない。
「部活があるから、終わってからなら」
「何時?」
「5時半くらい」
「遅い」
「じゃあ今日は無理だね」
すぐに返すと、絢辻さんが僅かに眉を寄せる。
「……30分だけ早く終われない?」
「顧問に聞いてみないと」
「途中で抜けるだけでしょう?」
「僕にも部活の予定があるんだよ」
絢辻さんは少し考えるように紙へ視線を落とした。
「パーティーの準備は、今日買わないと間に合わないかもしれない」
「明日でも間に合うんじゃない?」
「在庫がなくなったら?」
「予約できるか電話で聞く」
「そこまでしなくても、望月君が少し早く――」
「それは絢辻さんの都合だろ」
口から出た言葉に、僕自身が一番驚いた。
絢辻さんも、同じだったように見える。
教室の音が、急に遠くなった気がした。
「……何?」
「ごめん。言い方は悪かった」
「また、それ」
僕は一度だけ息を整える。
「でも、部活を抜けるかどうかを絢辻さんが決めるのは違うと思う」
怒っているわけではない。
ただ、少し引っかかった。
僕が断りにくいことを、彼女は知っている。知った上で頼まれること自体は構わない。
けれど、僕が持っている予定まで、最初から譲るものとして扱われるのは違う。
「手伝うよ。でも、5時半から」
「それだと店を出る頃には暗くなるわ」
「もう12月だし、5時でも暗いだろ」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、明日にする?」
絢辻さんはすぐには答えなかった。
ペンを持ったまま、紙の端へ視線を落としている。
怒らせた。
今度こそ、そう思った。
それでも、自分が間違ったことを言ったとも思えなかった。
「……5時半でいい」
絢辻さんが小さく言った。
「本当に?」
「望月君の部活が終わってから行く」
「ありがとう」
彼女が顔を上げる。
「どうして望月君がお礼を言うの?」
「待ってくれるから」
「私が頼んだのに?」
声が戻っている。
誰かに聞かれても不自然ではない、柔らかな話し方。
ただ、手元にある赤いペンは、いつもより少し強く握られていた。
「じゃあ、昇降口で待ち合わせね」
「分かった」
「遅れないで」
「善処する」
絢辻さんの視線が鋭くなる。
「善処じゃなくて、遅れないで」
「はい」
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
絢辻さんは紙をまとめ、色画用紙を重ねる。僕も机の上に置いたままだったパンを手に取った。
結局、ほとんど食べる時間がなくなっている。
「望月君」
「何?」
絢辻さんが、僕を見ずに言う。
「さっきのこと」
「部活の?」
「……あたしが決めることじゃなかった」
声は小さかった。
近くを通ったクラスメイトには聞こえていない。僕だけへ向けられた言葉だった。
「うん」
「でも、間に合わなくなったら望月君のせいだから」
「そこは譲らないんだ」
顔を上げた絢辻さんは、少しだけ不機嫌そうだった。
それでも。
自分が決めることではなかった。
彼女がそう認めたことの方が、僕には意外だった。
◇
放課後。
部活を終えて昇降口へ向かうと、絢辻さんは既にそこにいた。
壁際へ立ち、腕時計を確認している。
「ごめん。待った?」
「7分」
「細かいな」
「5時半って言ったのは望月君でしょう?」
「着替えに少し時間がかかったんだよ」
絢辻さんは腕時計から僕へ視線を移す。
「遅れるなら連絡して」
「連絡先、知らないけど」
言ってから。
二人とも、少しだけ黙った。
今まで放課後に一緒に帰ったことも、手伝いをしたこともある。
それなのに、連絡先は知らない。
考えてみれば、当然だった。
僕たちは学校の外で待ち合わせをしたことがない。今日も、昇降口という学校の中を選んだ。
「……じゃあ、教える」
先に口を開いたのは、絢辻さんだった。
「今?」
「また遅れられたら困るから」
「そういう理由?」
少しだけ間が空く。
「他に必要?」
「ないけど」
携帯電話を取り出す。
絢辻さんも、自分の鞄から白い携帯を出した。
赤外線通信を使い、連絡先を交換する。
画面に表示された名前。
『絢辻詞』
ただ、それだけ。
特別な記号も、呼び方もついていない。
それでも、自分の携帯へ彼女の名前が増えたことが、妙に気になった。
「何を見てるの?」
「ちゃんと入ったか確認してた」
「望月君のも入ったわよ」
「試しに送る?」
絢辻さんが怪訝そうにこちらを見る。
「何を?」
「届くかどうか」
「目の前にいるのに?」
「確認」
「必要ないでしょう?」
「それもそうか」
携帯を閉じようとしたところで、短い電子音が鳴った。
一通のメール。
送信者は、今登録したばかりの名前だった。
『今度から遅れる時は連絡すること。』
顔を上げる。
絢辻さんは既に携帯を鞄へ戻していた。
「送ってるじゃないか」
「確認」
「必要ないって言っただろ」
絢辻さんは何でもないような顔をしている。
「届くか確かめておいた方がいいでしょう?」
「僕と同じことをしてるよ」
「一緒にしないで」
返事が早い。
少し前にも似た会話をした気がする。
「行きましょう。店が閉まる前に」
「まだ1時間以上あるよ」
「望月君と話していると、予定より時間がかかるの」
「僕のせい?」
絢辻さんが先に歩き始める。
「半分くらい」
「残り半分は?」
「あたしが悪いとでも言いたいの?」
「質問しただけだよ」
僕も隣へ並んだ。
外は既に暗い。
校門を出た頃には、街灯が歩道を白く照らしていた。
「部活、抜けなくてよかったの?」
「うん。最後までできた」
「そう」
「待つの、嫌だった?」
「別に」
僕は横目で絢辻さんを見る。
「7分を数えてたけど」
「時間を確認しただけ」
「怒ってる?」
「怒ってない」
少し前へ出た絢辻さんの横顔を見る。
怒っていないと言う割には、口元が僅かに尖っているように見える。
ただ、本当に怒っている時の目ではない。
少なくとも、今のところは。
「何?」
「いや」
「また見てたでしょう?」
「少しだけ」
絢辻さんは前を向いたまま、小さく息を吐く。
「見すぎ」
「何回目かな」
「直すまで言うわよ」
その歩幅に合わせ、僕も速度を少し上げた。
◇
駅前の雑貨店は、思っていたよりも広かった。
入口には小さなクリスマスツリーが置かれ、赤や金の飾りが電飾の光を反射している。店内にも、季節商品が並ぶ一角が作られていた。
「まず紙皿と紙コップ」
「色は?」
「白」
「普通だな」
絢辻さんは値札と枚数を確認し、必要な数を籠へ入れる。
「柄つきは高いの」
「なるほど」
迷う時間がほとんどない。事前に商品まで調べてきたのかもしれない。
「望月君、チョコレートを見てきて」
「どれでもいい?」
「予算内で、個包装で、数が足りるもの」
「箱がクリスマスっぽいもの」
僕が付け足すと、絢辻さんが少しだけ眉を寄せる。
「それは望月君の希望でしょう?」
「採用されたはずだけど」
「分かったから、行ってきて」
少し離れた菓子売り場へ向かう。
条件に合うものを探す。
赤い箱。金色の箱。雪の結晶が描かれた青い箱。
値段と個数を見比べる。
30人以上へ配るとなると、1箱だけでは足りない。同じものを複数買うか、何種類か混ぜるか。
迷っていると、いつの間にか絢辻さんが隣に立っていた。
「遅い」
「今選んでるところ」
「この赤いのは?」
「一番安いけど、個数が少ない」
「2箱買えば足りる」
「でも、それだと余るよ」
僕は隣の箱を手に取る。
「こっちの青い箱なら、3個だけ余る」
「赤と緑の飾りに、青い箱?」
「青も使うことになっただろ」
「少しだけね」
「じゃあ、これ」
雪の結晶が描かれた青い箱を持ち上げる。
「箱も飾りにできそうだし」
「……本当に青が好きなの?」
「嫌いじゃないよ」
「そう」
絢辻さんは箱を受け取り、裏面の表示を確認する。
「中身は普通のミルクチョコレートね」
「絢辻さんは苦い方がいい?」
「別に」
「コーヒーはブラックなのに?」
絢辻さんの視線が、箱から僕へ移る。
「まだ疑ってるの?」
「少し」
「望月君には飲ませない」
「一緒に飲む予定があったの?」
口にしてから、少しだけ意識する。
絢辻さんも一瞬、言葉を止めた。
「……ないけど」
「じゃあ困らないな」
「そういう問題じゃない」
青い箱が籠へ入れられる。
次に、飾りの売り場へ移動した。
色とりどりの紙飾り。天井から吊り下げる雪の結晶。小さな鈴。サンタクロースやトナカイを模した置物。
「この辺は、予算が余ったらね」
絢辻さんが、値札を確認しながら言う。
「これくらいなら買えるんじゃない?」
僕は棚の端にあった、小さな雪だるまの飾りを手に取った。
白い身体に、青い帽子。
手のひらに収まる程度の大きさだった。
「何に使うの?」
「教卓に置く」
「1個だけ?」
「高橋先生の前に」
絢辻さんは雪だるまを一度見て、すぐに首を振る。
「邪魔にならない?」
「可愛いと思うけど」
「望月君、こういうのが好きなの?」
「嫌いじゃないよ」
「意外」
「さっきからそればかりだね」
絢辻さんは、僕の手にある雪だるまを見る。
「必要ない」
「即答だな」
「パーティーに必要な物を買いに来たの」
「少しくらい遊びがあってもいいだろ」
「予算が限られてる」
「これは僕が出すよ」
今度は絢辻さんが、少しだけ意外そうな顔をする。
「どうして?」
「選んだ責任」
先ほど言われた言葉を返す。
「それはチョコレートの話でしょう?」
「青い帽子だし、飾りにも合う」
「無理やりね」
「駄目?」
絢辻さんは、雪だるまと僕の顔を交互に見る。
「……好きにすれば?」
「じゃあ買う」
「本当に買うんだ」
「駄目って言われなかったから」
僕が雪だるまを持ち直すと、絢辻さんが少し呆れたように見る。
「子ども」
「後で可愛いって言っても貸さないよ」
「言わないから安心して」
雪だるまを自分の買い物として持つ。
紙飾りやテープを選び終え、会計へ向かった。
クラス用の品物は学校から出た予算。雪だるまだけは僕の財布から支払う。
店を出ると、絢辻さんが紙皿などの入った大きな袋を持とうとした。
「そっちは僕が持つよ」
「どうして?」
「重いから」
「あたしでも持てる」
「持てるかどうかじゃなくて、分けた方が楽だろ」
絢辻さんは少し考えた後、大きな袋と小さな袋の両方を僕へ差し出す。
「じゃあ、全部お願い」
「全部は持たないよ」
差し出された袋のうち、重い方だけを受け取る。
「絢辻さんも一つ持って」
「手伝うって言ったわよね?」
「分担だよ」
紙飾りの入った小さな袋を差し出す。
絢辻さんは、それを受け取らずに僕を見ていた。
「何?」
「本当に断るようになったんだ」
「全部じゃないよ」
「前なら、何も言わずに両方持ったでしょう?」
「そうかもしれない」
絢辻さんはまだ袋へ手を伸ばさない。
「どうして変わったの?」
聞かれ、少し考える。
絢辻さんの言う通り。
少し前の僕なら、両方とも持ったと思う。持てない重さではない。頼まれた相手が楽になる。それで済むなら、自分が持てばいい。
「分からない」
「また曖昧」
「でも、全部持つことが手伝うことなのかなと思って」
絢辻さんの眉が僅かに動く。
「何、それ」
「僕が全部やったら、絢辻さんは何もしなくなるだろ」
「別にいいじゃない」
「よくないよ」
「どうして?」
僕は差し出した袋を軽く持ち上げる。
「一緒に買いに来たんだから、一緒に持って帰る方がいい」
自分でも、随分単純な答えだと思う。
効率だけなら、僕が両方持った方が早い。腕力も、絢辻さんよりはある。
けれど。
手伝うという言葉の中に、どちらか一方が全部背負うことまで含まれているとは思えなかった。
「……変な理屈」
「よく言われる」
「誰に?」
「最近は絢辻さんに」
絢辻さんは少しだけ呆れたように息を吐く。
「それは納得」
ようやく小さな袋を受け取る。
僕は重い方の袋を右手に持ち、駅へ向かって歩き始めた。
絢辻さんも、少し遅れて隣へ並ぶ。
「望月君」
「何?」
「雪だるま」
「うん」
「本当に教卓へ置くの?」
「そのつもり」
彼女は小さな袋を揺らさないよう持ち直す。
「高橋先生に怒られても知らないよ」
「その時は自分の机に置く」
「……それなら、最初から自分の机でいいんじゃない?」
「パーティーの時だけ教卓」
「こだわるね」
「絢辻さんほどじゃないよ」
隣から視線が飛んでくる。
「何か言った?」
「何でもない」
袋の中で、買った物が歩くたびに小さく揺れる。
ふと横を見る。
絢辻さんは、紙飾りの袋を片手に持ちながら、もう一方の手で携帯を確認していた。
「連絡?」
「先生から。パーティーの許可が出たって」
「よかったね」
絢辻さんの視線は、既にその先の文章へ移っている。
「ただし、終了後30分以内。飲食物は各自で片づけること」
「十分じゃない?」
「予定を少し短くしないと」
既に次のことを考えている。
先ほどまで買い物をしていた時間も、彼女の中では次の準備へつながっているらしい。
「絢辻さん」
「何?」
「今日は楽しかった?」
足が一瞬だけ遅くなる。
「買い出しが?」
「うん」
絢辻さんは携帯を閉じる。
「必要な物を買っただけ」
「そうだけど」
「楽しいとか、そういうものじゃないわよ」
「そっか」
予想していた答えだった。
僕も前を向く。
駅の明かりが、少し先に見える。
「望月君は?」
「僕?」
「楽しかったの?」
「うん」
絢辻さんが少しだけこちらを見る。
「どうして?」
「絢辻さんと、色々選んだから」
特別なことを言うつもりはなかった。
ただ、思ったままを答えた。
絢辻さんは、すぐには返事をしなかった。
隣を歩いているのに、顔が少しだけ見えにくくなる。黒い髪が風に流れ、頬の一部を隠していた。
「……変なの」
小さな声。
いつものように呆れている。
ただ、完全に嫌そうには聞こえなかった。
「それ」
「何?」
絢辻さんが、僕の持っている袋を指す。
雪だるまの飾りが入った、小さな別袋。
「少しだけ見せて」
「いらないって言ってたじゃないか」
「近くで見てないから」
「可愛いって言わないんだろ?」
「言わない」
袋から雪だるまを取り出し、渡す。
絢辻さんは足を止め、手のひらの上で飾りを回した。
青い帽子。小さな黒い目。少し曲がった赤い口。
「作りが雑」
「安かったからね」
「鼻も曲がってる」
「それがいいんだよ」
絢辻さんが雪だるまから僕へ視線を移す。
「どこが?」
「完璧じゃないところ」
口にした後。
少しだけ、別の意味にも聞こえた。
絢辻さんの指が止まる。
僕の顔を見る。
「今の、どういう意味?」
「雪だるまの話だよ」
「本当に?」
「本当に」
何かを疑うように、しばらく見つめられる。
やがて絢辻さんは雪だるまを僕へ返した。
「やっぱり、可愛くない」
「そう?」
「うん」
「じゃあ教卓へ置いても、気にならないね」
絢辻さんは僕より半歩前へ出る。
「……好きにすれば?」
再び歩き始める。
そのため、表情までは見えない。
ただ。
返された雪だるまの青い帽子には、彼女の指が触れていた場所だけ、ほんの少し温かさが残っていた。