絢辻さんを救いたい話   作:紳士

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第八話 カタヅケ

 

 六時間目の終了を知らせるチャイムが、視聴覚室の中へ鳴り響いた。

 

「それでは、今日の講演はここまでです。講師の先生に、もう一度拍手をお願いします」

 

 高橋先生の言葉に合わせ、教室中から拍手が上がる。

 

 僕も周囲に続いて手を叩きながら、前方へ視線を向けた。壇上では、講師として来ていた男性が何度も頭を下げている。

 

 話の内容は、進路選択について。高校を卒業した後、何を基準に進む道を決めるのか。興味、適性、将来性。聞いている間は、それなりに参考になると思っていた。

 

 ただ、こういう話を聞いた直後だけは将来について真剣に考えるのに、数日も経てば日々の課題や部活へ意識が戻ってしまう。少なくとも僕は、そういう人間だった。

 

「それじゃあ、教室へ戻るぞ」

 

 誰かが席を立つ。

 

 それを合図にしたように、視聴覚室の空気が一気に緩んだ。机の脚が床を擦る音、鞄を持ち上げる音。講演中に話せなかった分まで取り戻すように、生徒たちの声が飛び交い始める。

 

「湊、行こう」

 

 純一が、少し離れた席から僕へ声をかけた。その隣には梅原も立っている。

 

「先に戻ってて」

 

「何か忘れ物?」

 

「今日は違うよ」

 

 純一が首を傾げる。僕は答える代わりに、視聴覚室の前方へ目を向けた。

 

 高橋先生が講師の男性と話している。その少し後ろで、絢辻さんが他の生徒たちが使った机と椅子を確認していた。

 

 昨日の朝、誰も手を挙げなかった片づけ。結局、もう一人の担当者が決まったという話は聞いていない。

 

「片づけを手伝ってから行くよ」

 

「そういえば、昨日言ってたやつか」

 

 純一も絢辻さんの姿へ目を向けた。

 

「部活は大丈夫?」

 

「少しくらいなら」

 

「なら、先に行ってるよ」

 

「うん」

 

 純一はそれ以上何も聞かなかった。

 

 梅原が何か言いたそうにこちらを見ていたが、純一に肩を押され、そのまま視聴覚室を出ていった。

 

 他の生徒たちも、次々と廊下へ流れていく。薫は友人と話しながら教室を出る途中で僕に気づき、小さく手を振った。僕も軽く手を上げて返す。

 

 数分もしないうちに、さっきまで埋まっていた座席のほとんどが空になった。

 

 最後の生徒が扉を閉める。

 

 急に、部屋が広くなったように感じた。

 

「望月君?」

 

 絢辻さんが、こちらを見ていた。

 

「どうしたの?」

 

「片づけ。手伝おうと思って」

 

 一瞬、彼女の視線が僕の後ろへ向く。他に残っている生徒を探したのだろう。

 

 けれど、室内にいるのは高橋先生と講師の男性、それから僕たちだけだった。

 

「部活は?」

 

「あるよ」

 

「だったら、行った方がいいんじゃない?」

 

「少しくらい遅れても大丈夫だから」

 

 絢辻さんはすぐには納得しなかった。僕の顔を見た後、前方で話している二人へ一度だけ視線を送る。

 

「昨日、あたしからは頼まないって言ったよね」

 

 声量は小さい。高橋先生たちには聞こえていないだろう。

 

 僕は一度頷いた。

 

「覚えてるよ」

 

「それなのに残ったの?」

 

「頼まれなかったから、残らないっていうのも違う気がして」

 

「どう違うの?」

 

「……上手く説明できないけど」

 

 絢辻さんは、少し呆れたように目を細めた。その表情は、教室で他の生徒へ向けているものよりも遠慮がない。

 

「昨日、先生へ相談したことを気にしてる?」

 

「それも少しはあるかな」

 

「罪滅ぼし?」

 

「そこまで大げさじゃないよ」

 

 僕は近くの机へ手をかける。

 

 視聴覚室は、普段の教室とは机の並び方が違っていた。講演のために前方へ詰められ、通路も広く取られている。元の位置は、床へ貼られた小さな目印を見れば分かりそうだった。

 

「一人でこれを全部戻すのは、大変だろ」

 

「一人でもできるよ」

 

「できるかどうかじゃなくて」

 

「じゃあ何?」

 

 そこで言葉に詰まる。

 

 助けたいから、と言えば簡単だった。でも、それだけでは少し違う気がした。

 

「二人なら早く終わるから」

 

 それ以上、特別な理由は浮かばなかった。

 

 困っている人を助けたい。絢辻さんが気になる。頼まれなくても、自分で決めたかった。どれも間違いではない。

 

 ただ、口に出せば出すほど、もっともらしい言葉を後から付け足しているような気もした。

 

「それだけ?」

 

 昨日も聞かれた言葉だった。

 

「それだけだよ」

 

 今度は、すぐに答える。

 

 絢辻さんは、僕の顔を数秒見つめた。

 

「本当に?」

 

「多分」

 

「そこで曖昧になるのね」

 

 思わず視線を逸らす。

 

「自分でも、全部は分かってないから」

 

「何それ」

 

 絢辻さんの口元が僅かに緩んだ。笑われたというより、呆れた結果、そのまま笑ってしまったように見えた。

 

「まあいいわ」

 

 彼女も、反対側の机へ手をかける。

 

「手伝いたいなら、止めない」

 

「ありがとう」

 

「どうして望月君がお礼を言うの?」

 

「手伝わせてもらえるから」

 

 絢辻さんが今度こそ呆れたように息を吐く。

 

「やっぱり変」

 

 言いながらも、本気で嫌がっている様子はなかった。

 

「それじゃあ、まず机を元の位置へ戻しましょう。床の印に脚を合わせて」

 

「分かった」

 

「椅子は後でまとめて動かした方が早いから、今は端へ寄せておいて」

 

「うん」

 

 絢辻さんは室内を見渡し、作業の順番を頭の中で組み立てているらしい。視線が手前の机から奥へと流れていく。

 

「それと、前から順番にやって。適当に動かすと通路が塞がるから」

 

「……僕、まだ何もしてないよね?」

 

「始めてから間違えられるよりいいでしょう?」

 

「信用がないなぁ」

 

「効率の問題よ」

 

 絢辻さんは既に、一つ目の机を動かし始めていた。

 

 僕も反対側から持ち上げる。見た目ほど重くはない。ただ、片側だけを引けば床へ大きな音が響く。

 

 互いに持ち上げるタイミングを合わせ、目印の位置まで運んだ。

 

「ここ?」

 

「もう少し右」

 

「このくらい?」

 

「行きすぎ」

 

 僕は机を戻しかけて、絢辻さんを見る。

 

「細かいね」

 

「全部ずれていたら、最後には大きく曲がるでしょう?」

 

「確かに」

 

 言われた通り、机の脚を印へ揃える。

 

 絢辻さんは一歩下がり、全体を確認した。

 

「うん。大丈夫」

 

「一台目から結構時間かかったな」

 

「最初だけよ。位置が決まれば、それを基準にできるから」

 

 次の机へ移る。今度は先ほどよりも早く終わった。

 

 三台目、四台目。同じ動作を繰り返しているうちに、自然と互いの動くタイミングが分かってくる。

 

 僕が机の片側へ手を伸ばせば、絢辻さんは反対側へ回る。持ち上げる時も、どちらかが声をかける必要はなくなっていた。

 

 少し持ち上げ、前へ運び、床の目印へ合わせる。

 

 単純な作業。それでも一人でやるのと二人でやるのとでは、進む速さが全く違う。

 

「望月君」

 

「何?」

 

「そっち、少し下げて」

 

「うん」

 

 言われた通り机を動かす。

 

「そこで止めて」

 

「はい」

 

 絢辻さんが机の位置を確認しながら、ふと僕を見る。

 

「素直ね」

 

「手伝いに来て逆らう理由がないから」

 

「普段からそのくらい素直なら扱いやすいのに」

 

 手が止まりかけた。

 

「……今、何て?」

 

 絢辻さんは何食わぬ顔で机から手を離す。

 

「褒めたのよ」

 

「扱いやすいって聞こえたけど」

 

「気のせいじゃない?」

 

「絶対に違うと思う」

 

 絢辻さんは、何事もなかったように次の机へ向かう。横顔には、薄い笑みが浮かんでいた。

 

 多分、わざとだ。手帳へ書いてあったことを気にしている僕へ、あえて似た言葉を使っている。

 

「性格悪いなぁ」

 

 思ったことが、口から漏れた。

 

 絢辻さんの足が止まる。

 

 まずい。

 

 そう思った時には遅かった。

 

 彼女がゆっくりと振り返る。

 

「今、何て言ったの?」

 

 笑顔だった。

 

 ただ、僕の知っているいつもの笑顔ではない。

 

「……聞こえてた?」

 

「残念ながら」

 

「独り言だよ」

 

 笑顔のまま、絢辻さんが一歩だけこちらへ近づく。

 

「内容を聞いてるの」

 

「言わない方がいいと思う」

 

「言いなさい」

 

 逃げる場所はない。机を挟んでいるとはいえ、視線だけで逃げ道を塞がれているような気がした。

 

「少しだけ、性格が悪いなと思った」

 

「少しだけ?」

 

「そこを確認するの?」

 

 絢辻さんの笑顔が、ほんの少し深くなる。

 

「いい度胸ね」

 

「絢辻さんが先にからかったんだろ」

 

 言い返した後で、昨日ならここまで口にできなかっただろうと思う。

 

 手帳を見た直後、初めて彼女の遠慮のない言葉を聞いた時は、何を返せばいいのかも分からなかった。今も緊張はしている。

 

 ただ、何を言っても急に別人へ変わるわけではない。そう分かった分だけ、少し話しやすくなっていた。

 

 絢辻さんは僕の顔を見た後、小さく息を吐いた。

 

「昨日までは、もっと大人しい人だと思ってた」

 

「僕も、絢辻さんはもっと優しい人だと思ってたよ」

 

「優しいでしょう?」

 

「自分で言うんだ」

 

 絢辻さんは当然だと言いたげに胸を張る。

 

「お弁当まで作ってあげたのに」

 

「それを出されると何も言えないな」

 

「でしょう?」

 

 満足そうに頷く。

 

 結局、言い負かされたような形になる。納得できない部分はある。ただ、不思議と嫌な気分ではなかった。

 

「ほら。手が止まってる」

 

「止めたのは絢辻さんだろ」

 

「人のせいにしない」

 

 僕は諦めて机へ手を戻す。

 

「理不尽だなぁ」

 

 再び作業へ戻る。

 

 机を全て元へ戻した頃には、視聴覚室の前方で話していた高橋先生たちの姿もなくなっていた。いつの間にか講師の男性を見送ったらしい。

 

 扉の近くには、持ち帰る予定だった資料だけが置かれている。

 

「次は椅子ね」

 

「これは一人で二脚ずつ運べそうだな」

 

「無理に持って落とさないでよ」

 

「それくらいは大丈夫だよ」

 

 二脚を重ね、両手で持ち上げる。重くはない。そのまま机の前へ運ぶ。

 

「ほら」

 

 少し得意げに言うと、絢辻さんは椅子ではなく僕の顔を見た。

 

「まだ一回目でしょう?」

 

「最初に信用してくれてもいいのに」

 

「信用は積み重ねるものよ」

 

「手帳を勝手に読んだ人間が言うのもあれだけど、その言葉は少し刺さるな」

 

 口にした瞬間、絢辻さんの動きが僅かに止まった。

 

 僕も椅子を置きながら、言わない方がよかったかもしれないと思った。手帳のことへ、無理に触れる必要はなかった。

 

「ごめん」

 

「すぐ謝るのね」

 

「嫌だったかなと思って」

 

 絢辻さんは僕を見た後、静かに椅子を一脚持ち上げた。

 

「嫌なら、そう言うわ」

 

「うん」

 

「それに、勝手に見たのは事実でしょう?」

 

 責めるような声ではなかった。

 

「なら、忘れないで」

 

「忘れないよ」

 

「そう」

 

 短い返事。

 

 怒ってはいないようだった。けれど、先ほどまでよりも会話が少し遠くなる。

 

 僕は次の椅子へ手を伸ばした。

 

 手帳を見たこと。秘密を知ったこと。それが二人の間へ近づくきっかけになったのは間違いない。

 

 ただ、近づいたからといって、何を言ってもいいわけではない。そこを勘違いしてはいけない気がした。

 

「望月君」

 

「うん?」

 

「どうして、先生に相談したの?」

 

 昨日も聞かれた質問だった。

 

「昨日答えたと思うけど」

 

「どう接したらいいか分からなかったから、でしょう?」

 

「うん」

 

 絢辻さんは椅子を置き、次に運ぶものへ視線を移す。こちらを見ないまま、続きを尋ねた。

 

「それで、分かった?」

 

 何でもない会話のようにも聞こえる。けれど、答えを誤魔化してはいけないような気がした。

 

「分からないままかな」

 

「何それ」

 

「だって、昨日までと同じようには見られないし」

 

 僕も椅子を持ち上げる。

 

「だからって、昨日見た方だけが本当だとも思わない」

 

 絢辻さんの顔が、僅かにこちらへ向いた。

 

「どういう意味?」

 

「教室で笑ってる絢辻さんも、今こうして僕をからかってる絢辻さんも、どっちも絢辻さんなんだろ」

 

 少しの間、彼女は何も言わなかった。

 

「……随分簡単に言うのね」

 

「難しく考えても、答えが出なかったから」

 

「考えるのをやめただけ?」

 

「そうかもしれない」

 

 絢辻さんが小さく息を吐く。

 

「適当」

 

「でも、無理にどっちかを嘘だって決めるよりはいいと思う」

 

 最後の椅子を机の前へ置く。

 

 椅子の背もたれを持ち、他の列と位置を揃える。

 

 返事はなかった。

 

 顔を上げる。

 

 絢辻さんは、まだ椅子を持ったまま立っていた。

 

「絢辻さん?」

 

「……何でもない」

 

 いつもより短い声。

 

 彼女は僕の隣を通り、残っていた椅子を置いた。そのまま背もたれへ手をかけ、数センチだけ位置を動かす。

 

「これで終わりね」

 

「確認しなくていい?」

 

 僕が聞くと、絢辻さんは当然のように視聴覚室の後方へ目を向けた。

 

「するに決まってるでしょう?」

 

「だよね」

 

 二人で視聴覚室の後ろへ下がる。

 

 机の列、椅子の位置、前方まで続く通路。大きくずれているところはなさそうだった。

 

「右から二列目。三番目の机が少し斜め」

 

「分かるの?」

 

「見れば分かるでしょう?」

 

 言われた場所へ目を凝らす。

 

「僕には全部真っすぐに見えるけど」

 

「望月君の目は信用できないね」

 

「また信用を積み重ね直しか」

 

 言われた机へ向かい、少しだけ角度を直す。

 

「これで?」

 

 絢辻さんは後ろから確認してから頷いた。

 

「うん。大丈夫」

 

 教卓に置かれていた資料をまとめる。僕も自分の鞄を持ち上げた。

 

「思ってたより早く終わったね」

 

「二人だったから」

 

「珍しく素直に認めるんだ」

 

「手伝ってもらったことまで否定するほど、性格は悪くないつもりだけど」

 

 絢辻さんは、資料を胸元で抱え直した。さっき僕が口を滑らせたことを、どうやら本当に忘れるつもりはないらしい。

 

「さっきの聞いてたんだ」

 

「忘れると思った?」

 

「そうだったら助かったんだけど」

 

 僕が苦笑すると、絢辻さんの口元も僅かに緩んだ。

 

「ありがとう、望月君」

 

 声が、少しだけ柔らかかった。

 

 教室で誰かへ向けるものと同じようにも聞こえる。ただ、今ここには僕たちしかいない。誰かに見せる必要もないはずだった。

 

「どういたしまして」

 

 僕は鞄を肩へかけ、扉へ向かう。

 

「でも、次からは先に頼ってくれた方が助かるかな」

 

「どうして?」

 

「手を挙げるか迷わなくて済むから」

 

「迷ってたんだ」

 

 扉へ伸ばしかけた手を止める。

 

「部活もあったし」

 

「それでも残ったのね」

 

「うん」

 

 絢辻さんはすぐには何も言わなかった。僕も自分で口にしてから、昨日の「頼まない」という言葉を思い返す。

 

「だから、次は頼んでくれていいよ」

 

 振り返ると、彼女は視聴覚室の中央に立ったまま僕を見ていた。

 

「頼まれたら断れないのに?」

 

「無理なことなら断るよ」

 

「本当に?」

 

「努力する」

 

 数秒の沈黙の後、絢辻さんが吹き出すように笑った。

 

「全然成長してないじゃない」

 

 先ほどまでの会話で少し遠くなった距離が、また元へ戻ったような気がした。

 

「でも、覚えておく」

 

「何を?」

 

「望月君は、頼めば手伝ってくれるってこと」

 

 絢辻さんはそう言いながら僕の横まで歩いてくる。どこか楽しそうな顔をしているのが、少しだけ嫌な予感をさせた。

 

「結局、手帳の評価通りになってない?」

 

「嫌なら断れば?」

 

「それが難しいんだよ」

 

「知ってる」

 

 即答だった。

 

 やっぱり、しっかり利用される側として認識されている気がする。

 

 絢辻さんは、僕より先に視聴覚室を出た。

 

 廊下へ出た瞬間、抱えていた資料を整え、姿勢を正す。遠くから歩いてきた教師へ気づくと、柔らかな笑顔で頭を下げた。

 

「お疲れ様です」

 

「絢辻さん、片づけは終わった?」

 

「はい。望月君が手伝ってくれたので、思ったより早く終わりました」

 

 教師が僕の方を見る。

 

「そう。ありがとう、望月君」

 

「いえ」

 

 教師はそれだけ言い、階段の方へ歩いていった。

 

 姿が見えなくなるまで待ってから、僕は隣の絢辻さんを見る。

 

「ちゃんと、僕が手伝ったって言うんだね」

 

「言わない方がよかった?」

 

「そうじゃないけど」

 

 絢辻さんが怪訝そうに眉を寄せる。

 

「なら、どうして聞くの?」

 

「手柄を独り占めする人ではないんだなと思って」

 

 一瞬、何を言われたのか分からないような顔をした後、絢辻さんの目が細くなった。

 

「望月君は、あたしを何だと思ってるの?」

 

「まだ考えてる途中」

 

「そう」

 

 短く答えた後、彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「ゆっくり考えれば?」

 

「答えが出なくても?」

 

「困るのは望月君だから、あたしは別に」

 

 どうやら答えを教えてくれるつもりはないらしい。

 

「無責任だなぁ」

 

「勝手に考えてるのはそっちでしょう?」

 

 否定できなかった。

 

 並んで廊下を歩き、階段の前まで来たところで、絢辻さんが足を止める。

 

「私は実行委員会へ行くから」

 

 いつの間にか、声が戻っていた。

 

 さっきまで視聴覚室で話していた「あたし」ではなく、廊下で誰かに聞かれても困らない「私」の声。

 

「望月君は部活でしょう?」

 

「うん。急がないと」

 

「遅刻した理由を、私のせいにしないでね」

 

「しないよ」

 

 絢辻さんは一度だけ頷き、会議室のある方向へ身体を向ける。

 

「ならいいけど」

 

「また明日、絢辻さん」

 

「うん。また明日」

 

 絢辻さんは会議室のある方向へ、僕は昇降口へ向かう階段へ。それぞれ別の方角へ歩き始める。

 

 部活には遅れる。顧問へ何と言われるかは分からない。

 

 けれど、残ったことを後悔はしていなかった。

 

 頼まれなかったから。

 

 自分で決めた。

 

 そのことを絢辻さんがどう受け取ったのかは、結局分からない。

 

 ただ、最後に見せた笑顔は、誰かへ向けるために整えられたものではなかった。

 

 そう思った。

 

 僕の勝手な判断かもしれないけれど。

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