─ ─空気が死んだ。
外から聞こえる喧噪がうるさく思えるほど、カナタとサレンは硬直を得た。
サレンは笑みを浮かべたまま喉の奥から変な音を漏らし、カナタはカナタで口元に持っていった紅茶が口の端から零れた。
いや。よりを戻すもクソもないんだが。
しかしまぁ、仮にもうら若き乙女の居場所にこうして足繁く通う男がいれば、そりゃあ下手な勘ぐりもされるだろう。
しかしその勘ぐりの仕方が生々しい。
なんで元サヤ扱いされてんねん。
下手に対応を間違えないよう、最新の注意を払ってカナタが声を上げた。
「あ、あのな? アヤネ。そもそもが俺はな?」
「えっ! カナタさん! クルミたちのパパになってくれるんですかっ!?」
更に空気が死んだ。
凄い。こんな辛い気持ちになることもそうそうない。
普段自己主張のない子が喜びながら言う言葉を、否定しろと?
おいどうにかしろよママさんよぉ?
責めるように視線をサレンへと持っていくと、同様に硬い視線でこちらを見ていた彼女がゆっくり視線を外した。
──まさかの裏切りである。
一人でどうにかしろと申すか。
仕方ない。元上司の頼みなのだ。
一度深呼吸をし、少しの衝撃で砕けてしまう宝玉を扱うように、丁寧に丁寧にと口を開き──。
「たっだいまですサレン様ぁ!!! スズメ、なんとか二時間しか迷わないで帰ってこれましたぁ〜〜〜!!!」
『おかえりなさい!!!!!』
「ぎょわ! サレン様とカナタ様!? いつもにまして熱烈ですぅ!?」
空気をぶち壊すように帰ってきたスズメに、飛びつくようにしてなんとか逃れた。
ありがとうスズメ。今度なんか美味いもん食わせてやるからな。
カナタは心の中で固く誓い、チラリと横を見るとサレンが「ありがとうスズメ。いつも、本当にありがとう……!」と震える声で抱きしめていた。
◆
「おっちゃん。この串くれ。2本」
「おう、騎士の兄ちゃん。いいのかい仕事中に。ほいよ」
「いーんだよ。俺は巡回中に串が食えてハッピー。おっちゃんも売上が増えてハッピー。誰も損してねぇ」
「ははは、そうだな。まいどあり」
串を1本咥えながら、もう一本は手に持ちながら街を歩く。
散歩のような状況ではあるが、立派な巡回である。
誰がなんと言おうと、巡回中である。
こればっかりはどれだけ団長にやめろと言われてもやめない。辞めるつもりもない。
そもそも暇なんだし良いだろうが。
給料を経済回すのに使ってんだから硬いこと言うなよ。
誰に言うわけでもない言い訳を考えながら、活気のある街を歩く。
そんな時だった。
「───!」
どこからか、声が聞こえた。
「…………」
その方向を見やる。ちょうど建物と建物の隙間……路地裏からだった。
目を細めながら迷い無くそちらへと足を運べば、そこにいたのは一人の青年と、それを囲む三人の男。
「おい兄ちゃん。いいカッコしてんな? ワリィけど俺らのために全部おいてってくれねぇかな?」
「おいパンツは残してやれよ可哀想だろ?」
「ぎゃっはっは! この見た目ならパンツくらいそこらのババアに売れんだろ! バーカ!」
ぎゃはぎゃはと聞こえる笑い声に、不愉快な感情が蓄積される。
さてどうするべきか、そう悩んだ時だった。
『……は?』
笑いながら青年を囲んでいた男たちが呆けた声を漏らし、それを見ていたカナタも、同様に瞠目した。
青年が、躊躇いなく服を脱ぎ始めたのだ。
「困ってるなら、いいよ」
そう言って、外套を男に手渡す。
あまりに無邪気。お人好し。聖人的。
馬鹿といえばそれまでの愚行。決して最善とは言えぬその行いに、他ならぬカナタが心を揺さぶられた。
「困ってるって……なんなんだおめぇ! バカにしてんのか!?」
「……? 他にもいる?」
「そ、そうじゃねぇ!」
いつの間にか脅していたはずの男たちのほうが怯えるように後ずさる。
「ま、そこまでにしとこうや。あんたら」
そしてそこに、カナタが前に出た。
「お、お前のその制服……NIGHTMAREか!」
「おうそうだよ。んで、これ以上なんかすんなら問答無用でしょっぴくが、どうする?」
「ぐ……! そんなこと言ったって、どうせ捕まるだろうが!」
「いいや? だってお前らが強請って、あの少年がその外套を与えた。別に悪いことはしてねぇんだろ? ただまぁ、俺もそいつが欲しくてたまらないから、渡してもらえると助かるがね」
そう言って人睨みすると、男の一人が外套を投げて渡す。
「ありがとよ。ほら、駄賃だ」
そう言って金貨を代わりに一枚渡し、それを受け取った男達が怖じけながらもすごすごと下がっていく。
「二度とこんな馬鹿すんなよ。──ほら、少年。お前んだろ」
「ん、ありがと」
「ありがと、じゃねえよ。ったく。肝座ってんのかアホなのか分からねぇやつだな……お前、名前は?」
「ユウキ」
「ユウキね。俺はカナタ。この街で……まぁ、自警団みたいな事やってる奴って覚えておけ」
「うん」
まるで子供のようだと思いながら、話しているとユウキの視線が一点に集中しているのが分かった。具体的に言うとカナタの右手。
視線をやると、そこにあるのは食いっぱぐれた露店の串。
「……ほしいのか?」
「うん」
「……はぁ。まぁいい、ほらよ」
どうにも、よくわからないやつだ。
そう思いながらすでに冷えてしまった串を渡すと、タレをベタベタと口の周りにつけながら、よほど腹が減っていたのかユウキはすぐに食べてしまった。
そして、満面の笑みを浮かべて──。
「美味しかった! ありがとう!」
『美■し■■■で■! ■■さ■!』
──ノイズが、走った。
ユウキを通して、まるで何かを思い出すような。
その笑みを、何処かで見た気がした。
突如脳内を虫が這いまわるように、ジクジクとした痛みが発生し、グラグラと視界が揺れた。
「ん? 大丈夫?」
「あ、あぁ……大丈夫。大丈夫だ。悪いが、俺は行く。もう、面倒事に巻き込まれるんじゃないぞ」
まくし立てるように、ユウキにそう伝え、覚束ない足取りでその場を去っていった。
──行かなければ。彼女の元へ、行かなければ。
見上げればあるその場所へ、彼の脚は自然と向かっていた。
◆
やたらと豪勢なドアを開き、外に出る。
肩をぐるぐると回し、不調がない事を確認する。
さて戻ろうか、そう思ったとき入り口に見知った姿を見つけた。
黒髪と、その頭上に生えた猫耳。獣人のソレだ。
同様に相手もこちらを認識したようで、目に剣呑な光が宿った。
「……アンタ」
「お前か、野良猫」
たしか、名前はキャルとかいう。
彼女の『玩具』だ。
「私は野良猫なんて名前じゃない……!」
その目に宿るのは敵愾心。
その姿を見て喉が鳴る。
野良猫ではないとこちらを睨むそのナリこそ、まるで見るものすべてを威嚇する野良猫そのものだったからだ。
「知るか。俺にはそうとしか見えないから言ってるんだ。薄汚くて、誇りもない。いつ死んだ所で誰に気付かれもしない、ただの捨て猫だろう」
「…………ッ! そんなことない! 陛下は私を認めてくださる! 私には陛下がいるッ! お前にそんなことを言われる筋合いなんて──」
「悪いがお前の与太話に付き合ってやるほど暇じゃなくてな。妄想だけなら勝手にしてろ」
嘲笑を交えて言葉を返し、それ以上は何も言わず横を通り過ぎる。
──あぁ。なんだか今日は疲れた。
ふとそんなふうに思ったカナタは、NIGHTMAREへと向かう足を早めた。
キャ虐ノルマクリア