以後は1日1話ずつ投稿予定です。
第1話 狙撃①
夜風が髪を揺らし、潮の香りをそっと頬に吹き付けた。
ビルの屋上は埃っぽく、見下ろす人工島の無機質さと相まって、どこかディストピア然とした空気を醸し出している。
「今日は冷えるわね……」
歌織はシートの上で、ライフルの銃身を撫でた。
気温が低ければ火薬の燃焼速度が落ち、弾丸の飛翔速度も低下する。今夜の狙撃は、少し上を狙ったほうが良さそうだ。
《エンジェル1(ワン)、こちらストラテジー。感明送れ》
耳元の骨伝導スピーカーが、無線のコールを告げた。
すかさず通話機をつかみ、スイッチを入れる。
「ストラテジー、こちらエンジェル1。感明よし。感明送れ」
《エンジェル1、ストラテジー、感明よし。敵発見、敵状を通報する。準備はいいか、送れ》
はやる気持ちを押さえながら、月明かりの下に地図を広げる。
「準備よし。送れ」
《場所、126443地点。時、0146。UH-60(多用途ヘリ)1機が南西へ向けて飛行中。速度、約140ノット》
ペンライトをつかみ、さっと地図の上へ走らせた。
(発見地点は幕張付近。南西方向ということは、間違いなくこちらへ向かっている)
緊張で、ライトを持つ手が小刻みに震える。
《エンジェル1、今夜は『特務参謀』を仕留める絶好のチャンスよ。何としてもミッションを成功させて》
「了解。エンジェル1はこれより戦闘行動を開始する」
拳をぐっと握りしめ、無線を切った。
ターゲットは、仮面を被った謎の幹部「特務参謀」。
数か月前にデストルドー日本支部へ着任して以来、残虐なテロ行為を繰り返している。
用心深い特務参謀が姿を現すのは絶好のチャンスだ。この機会を逃したら、また多くの市民が犠牲になってしまう。
(それだけは、絶対にさせない……!)
素早く地図を折り畳み、ポケットにねじ込んだ。
間もなく北東の空から、バタバタとローター音が聞こえてくる。
(あれね……)
機体の左右に灯された航空灯が、蛍火のように瞬いた。
ブラックホークの名で知られる多用途ヘリは、速度を落としながらゆっくりと降下を始める。
(チャンスは一瞬。絶対外せない……)
眼下の発着場に、誘導員が集まってきた。
黒い機体は、慎重にバランスを取りながら地面へ近付いていく。
バタバタバタバタバタバタ……!!
排気の臭いが、ツンと鼻を衝いた。
歌織はビルの上で、じっと機会を伺う。
(あと少し……)
ダウンウォッシュを吹き付けながら、ヘリは沈み込むように接地した。
駆け寄ってきた誘導員がランディングギアをロックし、キャビンドアを開く。
(きた……!)
歌織はスコープを覗き込み、ターゲットを探した。
すると、
(―――――!?)
照準線が予想外の人物を捉え、思わず息を飲み込んだ。
「あれは……」
視線の先に映っているのは、中性的な容貌をしたショートカットの美少女。
あの服装、まさか……、
「黒髪――!?」
少女がレンズの向こうで二ッと口元をゆがめた。
ブラック・ストレングス、通称「黒髪」。
デストルドー最強と呼ばれる戦士で、これまで数多のヒーローを返り討ちにしてきた強敵だ。
(事前情報では本部に残っているはずだったのに、どうしてこんなところへ……)
「ストラテジー、こちらエンジェル1。黒髪を発見した、指示を請う。送れ」
骨伝導スピーカーの向こうから、慌ただしい声が返ってくる。
《エンジェル1、ストラテジー。作戦に変更はない。エンジェル1は目標a(アルファ)を狙撃せよ。了解か?》
「了解……」
歌織はライフルのグリップをぐっと握りしめた。
黒髪がいる以上、撃ったらすぐ離脱しないと、確実に殺られる。
(二発目はない。一発で仕留める……)
眼下の発着場では、高級士官らが出迎えに現れていた。
彼らの敬礼を受けながら、キャビンドアからもう一人の人物が姿を現す。
鮮やかなローズピンクで縁取られた漆黒の軍服。顔の上半分は白い仮面で覆われ、暗闇の中で幽鬼のように浮かび上がっている。
歌織はゴクリと唾を飲み込んだ。
(あれが、特務参謀……)
日本を恐怖のどん底に叩き落した冷酷なテロリスト。
奴のために、どれほどの血が流されたことか。
(絶対に許せない……!)
怒りの炎を滾らせながら、仮面の真ん中へ狙いを定める。
一般的な狙撃銃の場合、有効射程はおおむね1km程度と言われる。
だが今回の狙撃距離は2km以上。通常の弾薬では届かないので、大型の12.7mm弾を使用する。
ヒュオオオオ―――。
ビルの合間を風が吹き抜けた。
狙撃の距離は、そのまま難易度の高さへとつながる。
たとえば弾丸は、重力の影響で毎秒9.8m落下する。
このため、2km先の標的を狙った場合、(弾速にもよるが)放物線の頂点は50m以上もの高さに達する。
つまり、もし1km先のターゲットを2km先と見誤って撃った場合、弾は標的の頭上を約50mも飛び越えていくということだ。
おまけに弾丸は、風や空気抵抗の影響を受けて直進しない。
ライフリングによる高速回転も加わるため、右回転であれば右へ、左回転であれば左へと流されていく。
こうした諸元をすべて知識と経験で計算し尽くし、狙った獲物を一撃で仕留める。それが、狙撃という総合技術なのである。
「フー……」
歌織はそっと息を吐き出し、止めた。
呼吸を止めてから照準を完了するまでの時間は約10秒。
それ以上になると、酸素不足で視力が低下し始める。
眼下では、ヘリの整備員たちが慌ただしく駆け回っていた。
肩章を付けた幹部が、両手を広げてターゲットのほうへ歩み寄る。
ステップに足をかけた特務参謀は、ストンと地面へ降り立った。
(いまだッ!!)
トリガーを静かに絞る。
だが――、
「くっ!」
予想外の邪魔が入り、歌織は咄嗟に指を止めた。
(こんなタイミングで……)
視線の先では、整備員が特務参謀を覆い隠すように作業している。
彼らは発着場に勤務する一般人。巻き込むわけにはいかない。
(早くどいて、お願い……)
グリップを握りながら、祈った。
だが歌織の願いも虚しく、整備員は特務参謀の前に張り付いて、一向に離れようとしない。
整備員が歩けば特務参謀も歩く。整備員が屈めば特務参謀も屈む。
まるで影と形のように、両者の挙動はピッタリ一致している。
(おかしい……)
違和感を覚え、歌織は眉根を寄せた。
二人の動きは、あまりにも重なり過ぎている。
まるでこちらが狙っていることを知っているかのようだ。
(まさか……作戦が漏れてる?)
慌てて通話機を取り出し、戦闘指揮所を呼び出した。
「ストラテジー、こちらエンジェル1。目標aを整備員がカバーしている。作戦が露見している可能性はないか?」
《エンジェル1、ストラテジー。機密保持に問題はない、作戦を続行せよ》
スイッチを切り、マイクを握り締めた。
機密保持に問題はない。
たしかにそうかもしれないが、何か嫌な予感がする……。
《――(ザザッ!)》
不意に骨伝導スピーカーが、別の無線機からのコールをキャッチした。
《エンジェル1、こちらエンジェル3! 敵が狙撃ポイントのビルへ接近中! 送れ!》
エンジェル3――杏奈の声だ。
素早く通話ボタンを押し、呼びかけに応じる。
「エンジェル3、こちらエンジェル1! 敵状送れ!」
《エンジェル1、エンジェル3! 敵は自動小銃で武装した戦闘員3! 現在、ビルの1階へ進入中!》
報告を聞いて、思わず歯噛みした。
(まずいわね……)
再び戦闘指揮所を呼び出す。
「ストラテジー、こちらエンジェル1。敵戦闘員3がエンジェル1の現在地へ接近中。指示を請う」
《エンジェル1、ストラテジー。エンジェル1は現在地にて待機。エンジェル3は【VIVID イマジネーション】で敵を足止めせよ》
ストラテジーの指示に、不吉な予感が脳裏をかすめた。
【VIVID イマジネーション】は杏奈が持つ特殊スキルだ。キネティックパワーで敵の五感を操り、幻を見せることができる。
だがこれを使うということは……。
(まさか、作戦中止――!?)
歌織の予測を裏付けるように、戦闘指揮所から潜入中のヒーローズ全員へ向けて指示が下された。
《オールエンジェル、こちらストラテジー。エンジェル3を除く全エンジェルは作戦を中止し、直ちに現在地から離脱せよ》
歌織は反射的に通話機をつかんだ。
「待ってください!!」
無線交話がピタリとやむ。
「今回のオペレーションは、千載一遇のチャンスです。これを逃したら、特務参謀を討つ機会はありません」
イヤホンの向こうから、ストラテジーの苦しげな声が聞こえてくる。
《……エンジェル1、こちらストラテジー。それはわたしも分かっているわ。けど、これ以上続けるのはあまりにも危険よ……》
「それならば、せめてわたしだけでも作戦を継続させてください! これでもわたしは、エンジェルフォースのリーダーです!」
《ダメよ》
ストラテジーが、ピシャリと言い放った。
《ここであなたを失うわけにはいかないわ。それに、ターゲットが隠れたままでは狙撃もできないでしょ》
「いいえ、撃てます」
《え?》
通話機の向こうで、ストラテジーが驚きの声を上げた。
《ど、どういうこと?》
「ロコ博士が作ってくれたこの銃なら、キネティックパワーで弾道を曲げることができるんです」
その名も「キネティック・スナイパーライフル」。
弾丸にキネティックパワーを込めることで、軌道を操作することができる。
《でも、それはあくまでも試作段階の機能だって……》
「そうです。けど、他に方法はありません。お願いします、やらせてください!」
《……………》
無線機が沈黙した。
歌織は胸のアミュレットを祈るように握り締める。
《はぁ………》
骨伝導イヤホンから、小さなため息が漏れた。
《分かったわ。けど、撃つのは一回だけよ。当たっても外れても、すぐにその場から離脱すること。いい?》
「了解!!」
すかさず通話機のスイッチを切り、スコープを覗き込んだ。
レンズの向こうでは、特務参謀が部下たちに何か指示を下している。
「フー……」
再び息を吐き出し、呼吸を整える。
正中線は、銃軸線に対し約40度。両肘で銃を支え、全身から余計な力を抜き去る。
(距離は……黒髪の身長が3/4ミルだから、約2,100m)
指を伸ばし、引き金に触れた。
金属の冷たさが、ひやりと伝わってくる。
《―――(ザザッ!)》
不意に、骨伝導スピーカーが緊迫した声を伝えた。
《エンジェル1、こちらエンジェル3! 敵兵3が【VIVIDイマジネーション】を突破! 屋上へ向かっている!》
耳元のセンサーが、警報音を鳴らし始める。
ピ――、ピ――、ピ――、ピ――!
ノイズを遮断し、指先に全神経を集中させた。
心拍数が下がり、意識が空気の中へ溶け込んでいく。
《エンジェル1、こちらストラテジー! 作戦は中止よ! いますぐ離脱して!》
ピーピーピーピーピー…
整備員の陰から、白い仮面がちらりと覗く。
テロ現場で見た犠牲者たちの痛ましい姿を思い出す。
(地獄で罪を詫びなさい……)
指が、コトリと落ちるようにトリガーを絞った。