「さあ、これでフィナーレです!」
降り注いでくる水滴を睨み付け、歌織はぎゅっと拳を握り締めた。
(逃げられない……なら、これしかない!!)
サッと腕を掲げ、歌織は叫ぶ。
(キネティックシールド!)
瞬間、空中に光の壁が出現した。
キィンッ!!
輝く盾は雨を弾き、ステージ上に水滴を飛び散らせる。
バシャシャッ……!
歌織を取り囲むように、薄い水溜まりが出来上がった。
その縁から、少女の上半身がにゅっと突き出す。
「……しぶといですね。しかし、この程度でわたしの攻撃を防ぐことはできませんよ」
言いながら、ジョーカーはずるりと水の中から這い出した。
歌織は光の盾を構え、攻撃に備える。
「無駄です!」
パリン――!!
次の瞬間、少女の拳がシールドを粉々に打ち砕いた。
「――――!?」
「わたしがスキルだけの怪人だと思ったら大間違いです。腕力だって、ほかの怪人には負けません」
虹色の欠片が、キラキラと舞い落ちる。
不敵な笑みを浮かべた敵が、一気に間合いを詰めてくる。
「さあ、とどめです!」
再び拳を振り上げ、ジョーカーはオーバーハンドブローを繰り出した。
「くっ!!」
パキン――!!
咄嗟に展開したキネティックシールドを貫き、剛腕が床に大穴を開ける。
バゴオォォォ!!
砕けた板が飛び散り、歌織はステージの上をゴロゴロと転がった。
「くっ!!」
背中を打ち付けられ、小さな悲鳴を上げる。
「ふふふ……」
コツ、コツと足音を立てながら、ジョーカーが近付いてきた。
「言ったでしょう。そんなシールド、何の役にも立たないと」
歌織の脳裏に、楽屋で見た奇妙なビジョンが甦る。
両脚を失い、ダルマのような姿で床を這いつくばる自分。
(まさか、あれは予知夢だったとでもいうの……?)
恐ろしい予感に、ぞっと背筋が粟立つ。
(けど、まだ両脚は失っていない。そうなる前に、何とか勝機を見出さないと……)
起死回生の一手を求め、歌織は敵の様子をじっと観察した。
(無敵の能力なんてあるはずがない。きっとどこかに弱点があるはず……)
ん……?
直後、瞳がかすかな違和感を捉える。
(あれは……?)
頬に刻まれた小さな切り傷。
大した怪我ではないが、わずかに血がにじんでいる。
普通であれば、気に留めるほどのこともない些細な怪我だろう。
しかし、
(変ね。彼女に物理攻撃は一切効かないはず……)
銃弾ですら傷をつけることができなかった液体の身体。
それなのに、どうして……。
(―――はっ!)
そこまで考え、歌織はようやく「ある事実」に思い至った。
(たとえ身体を液体にできても、攻撃の瞬間だけは固体に戻らざるを得ない。きっとあの怪我は、床を殴った時の破片で付いたんだわ……)
歌織の視線に、ジョーカーが警戒の色を浮かべた。
「その目、まだ戦意を失っていないようですね。そろそろとどめを刺しておきましょう」
言いながら、脚を一歩踏み出す。
(くっ………)
歌織はごくりと唾を飲み込んだ。
たしかに敵の弱点は分かった。
けど、片手片脚しかない状態でカウンターを叩き込むのは至難の業だ。
コン、コン――。
(――――?)
ふと天井からかすかな物音が聞こえ、歌織はわずかに目線を上げた。
薄暗い梁の上で、胡桃色の髪の少女が手を振っている。
(あれは……桃子ちゃん!)
どうやら頼んでいたものを持ってきてくれたらしい。
歌織はそっと、指先で床を叩く。
トン―、ト、ト、トン―、ト。
(気付いて、桃子ちゃん。わたしのモールス信号に……)
メッセージを理解した桃子が、梁の上からOKのサインを送り返した。
(通じた! よし、これで……)
「――何をしているんですか?」
そこにサッと黒い影が差す。
「いまさら何をしても無駄ですよ。策を弄する前に、これでフィナーレです!」
同時に少女は床を蹴り、ステージの上へ飛び上がる。
「はぁっ!!」
ドシュッ!!
全身から鋭い槍が突き出し、無数の穂先が歌織へ襲いかかった。
(いまだ!)
すかさず歌織は、腕の先から黄金色のエネルギーを放つ。
キネティックシールド!
光の障壁が箱型に展開し、ジョーカーを上下左右から挟み込んだ。
「むっ!?」
空中に閉じ込められたジョーカーは、一瞬だけ驚いた様子を見せる。
だがそれも、束の間のこと。
「無駄だと言ったでしょう。この程度のバリア、時間稼ぎにもなりません!」
叫びながら、拳を大きく振りかぶる。
(いまよ、桃子ちゃん!)
同時に歌織が合図を送った。
直後――、
ヒュゥゥゥ……ドズンンンッッッッッ!!!!
天井から落下してきた巨大な金属の塊が、ジョーカーの身体を押し潰した。
「~~~~~~!!」
スキル【メタル桃子】
桃子はキネティックパワーで、身体の構成原子を変えることができる。
いま彼女の全身を覆っているのは、最重の金属タングステン。比重は19.3、単位体積当たりの質量は鉄の倍以上にも及ぶ。
(やった!)
舞い上がる埃の中で、歌織は思わずガッツポーズを作った。
ギリギリの戦いだった。
桃子の到着があと少し遅かったら、確実に負けていただろう。
(何とか両脚までは失わずに済んだわね)
正夢でなかったことが証明され、ホッと胸を撫で下ろす。
(ん……?)
とそこで、歌織はハタと動きを止めた。
(ちょっと待って。どうしてまだ喉や手足が治っていないの……?)
たしかジョーカーは、自分を倒せばすべて元に戻ると言っていたはずだ。
それなのに手足が失われたままということは……、
ヒュン!
「ぐっ!?」
突如飛び出した水の鞭が、歌織の左脚を貫いた。
太ももが根本から溶け落ち、ごろりと床の上を転がる。
“……残念でしたね、歌織さん”
メタル桃子の下から、くぐもった声が響いた。
“液化したわたしは、目の位置も自由に変えることができます。天井に仲間が隠れていたことくらい、とっくにお見通しです”
(そんな、あの奇襲攻撃が読まれていたというの……?)
透明な液体が、桃子の下からじわじわとにじみ出た。
“さあ、今度こそ年貢の納め時です。大人しく溶かされてください”
最後の策を打ち砕かれた歌織は、瞳に無念の色をにじませる。
「そうね……もう逃げるのはやめにするわ」
水溜まりが、勝利を確信したかのようにポコポコと泡を立てた。
“ようやく逃げるのをあきらめましたか”
「ええ、あきらめたわ。だって……その必要がないもの」
“…………?”
同時に歌織の腕が、床に落ちていた「あるもの」をつかむ。
唯一残された歌織の左腕が握り締めているもの。
それは――、
“――サイクロン掃除機!?”
水溜まりの中から、引き攣った声が響いた。
「最近の掃除機は便利ね。コードレスなのに吸引力も抜群なんだから」
スイッチを入れると、モーターが激しい音を立てる。
“くっ! そんなもの、液化を解いてしまえば――”
「もう遅いわ! ゴミの気分を味わいなさい!」
ブオオォォォオオオオォォォォオォォ!!!!
“あ……ひ、ひえええええええええ!!!!”
絶叫が轟き、液体がホースの中へ吸い込まれていく。
ズルルルルルルルル………ドプン!!
“………………!!”
ダストカップの中に浮かんだ顔が、すぐに溶けてなくなった。
「ふぅ……、お掃除完了っと」
同時に失われていた手足が、アメーバのように復元する。
「あ……治ったわ」
床に散らばっていた水溜まりの中から、杏奈たちも姿を現した。
「う、うぅ……」
「よかった。みんな無事だったのね……」
胸を撫で下ろす歌織のそばで、スキルを解いた桃子がひょいと肩をすくめる。
「まったく……サイクロン掃除機を持ってきてなんて言われた時は何に使うのかと思ったけど、こういうことだったのね」
「ええ。今回の勝利は、桃子ちゃんのおかげよ」
言われた桃子は、顔を赤らめ照れ臭そうにそっぽを向く。
「さて――」
歌織は掃除機を脇に置き、劇場内を見渡した。
「デストルドーの戦闘員たちも撃退できたみたいだし、あとは逃げ遅れた観客の手当てをするだけね」
だがその時――、
ドゴオオォォオォオォォォン!!!!
突然、客席のど真ん中で大爆発が起こった。
衝撃で窓ガラスが割れ、破片がバラバラと飛び散る。
「な、何!?」
耳の骨伝導スピーカーが、ザッと音を立てた。
《エンジェル1、こちらストラテジー! 劇場内でセムテックス(高性能プラスチック爆薬)が多数発見されたわ! 自動で爆発するようセットされていたみたい! 早く、逃げ遅れた観客の避難を!》
「――――!?」
歌織の脳裏に、惨劇の記憶が甦った。
紬と出会ったあの日。
炎が少女の家族を焼いた、あの運命の日――。
歌織はすぐさま桃子のほうへ向き直る。
「桃子ちゃんは2階の救助をお願い! わたしは1階を回るわ!」
「分かった!」
二人は頷き合い、弾かれたように駆け出した。
*
(ひどい……なんて有様なの……)
周囲には、焼けただれた患者や、血を流した怪我人が息も絶え絶えに横たわっていた。
「重傷者はバトルナースのところへ! 軽傷者は外の救護所に!」
歌織はシアター内を駆け回り、矢継ぎ早にヒーローズへ指示を下していく。
「ほかに残っている人は……」
すでに客席は炎で覆われていた。
カーテンが激しく燃え、天井を火で炙っている。
「歌織さーん!」
2階の救助作業を終えた桃子が、肩で息をつきながら戻ってきた。
「歌織さん、そろそろ桃子たちも避難しないと」
「そうね。でも最後に残っている人がいないか、もう一度確認してくるわ」
そう告げて、歌織は瓦礫が散乱した通路に飛び込む。
「誰か、逃げ遅れた方はいませんか!」
炎の中で、歌織は声を張り上げた。
ハンカチで口元を押さえながら、何度も念入りに呼びかける。
「誰か、いたら返事を!」
「うぅ……」
一瞬、煙の向こうからかすかなうめき声が聞こえた。
「いまのは……?」
立ち止まった歌織は、周囲を注意深く見回す。
「あ……!!」
そして、息を飲み込んだ。
積み上がった瓦礫の下で、中学生くらいの男の子が苦悶の表情を浮かべていた。
周囲からは炎が押し寄せ、いまにも飲み込まれてしまいそうだ。
「いま助けるわ!」
歌織はタッと駆け出した。
だが、
ゴォォォォォォォ!!!!
「あっ!!」
天井から焼けた梁が落ちてきて、行く手を紅蓮の猛火でふさいでしまう。
「くっ……!!」
炎が燃え広がり、視界をオレンジ色に染め上げた。
(何てこと……)
男の子の許へ行くには、瓦礫のわずかな隙間をくぐり抜けていかなければならない。
だがその道は、熱でゆらゆらと揺らめいている。体感温度は軽く50度を超えているだろう。
(このまま見捨てるわけにはいかない……)
歌織は意を決し、灼熱の地獄へ足を踏み出した。
「う……くっ………!!」
吹き付ける熱風に目をすがめながら、焼けた梁の下へ身を屈める。
直後、顔のすぐそばでパチンと火の粉が爆ぜた。
「つッ!!」
頬に鋭い痛みが走り、思わず手で押さえる。
「くうぅ………熱っ……」
ドクン!
その瞬間、楽屋で聞いた風花の言葉が脳裏をよぎった。
『気を付けてください、アイドルは顔が命なんですから』
『わたしのヒーリングガンは火傷を治すことはできても、その傷痕まで消すことはできないんですよ』
立ち昇る炎を前に、歌織はごくりと唾を飲み込む。
あの子の許へたどり着くには、焼けた瓦礫の隙間をくぐり抜けて行かなければならない。
何とか通過できたとしても、そこから無事に戻ってこられる保証はない。
ゴオオォォォオォォォオォォォッ!!
燃え盛る焔が、歌織の横顔を赤々と照らした。
目の前に立ちふさがる業火の壁は、まるで地獄の門のように見えた。