第13話 獅子身中の虫
「なに、これ……」
事務所でノートPCを開いた杏奈が、画面を見るなりサッと顔を青ざめさせた。
「どうしたの?」
覗き込んだ律子が、モニタ越しに息を飲み込む。
「こ、これは……!?」
動画サイトに映っていたのは、先日起こったシアター襲撃事件の様子だった。
立ち昇る炎、崩れ落ちる天井。
瓦礫の中で、少年が必死に助けを求めている。
その手前で、歌織がふいと顔を背け、逃げるように立ち去った。
「歌織さんが……悪者に見えるよう……編集、されている」
「かなり悪質ね。意図的に歌織さんのイメージダウンを図ったものだわ」
閲覧数は、すでに数万回に達している。
アップロードから数時間しか経っていないことを考えると、かなりのアクセス数だ。
「早く……止め、ないと……」
「そうね。ヒーローズ本部に至急連絡を取ってみるわ」
カチャリ――。
まさにその時、ドアの向こうから渦中の人物が姿を現した。
「おはようございます。あら? 皆さん何を見てるんですか?」
「か、歌織さん……」「いえ、別に……」
うろたえる二人を訝った歌織は、テーブルの上のノートPCを覗き込む。
「こ、これは……!?」
画面を見た瞬間、歌織の表情が凍り付いた。
「き、気にしないほうがいいわよ、歌織さん」
「そう……こんな中傷、相手にするだけ、時間のムダ……」
杏奈と律子が慌ててたしなめる。
歌織の脳裏に、あの時の記憶がまざまざとよみがえった。
*
客席は、紅蓮の炎に包まれていた。
灼けた瓦礫が道を阻み、押し寄せる熱風が肌を焦がす。
「こうなったら……」
歌織は炎に向けて、手の平をかざした。
「キネティックシールド!」
シュン――。
だが光の壁は、一瞬のうちに消え去ってしまう。
「くっ、さっきの戦闘でエネルギーが……」
こうなれば、生身のまま飛び込むしかない。
しかし……、
周囲を見渡し、歌織はごくりと唾を飲み込んだ。
燃え盛る炎、渦を巻く火柱。
少年の許へ行くには、この中をくぐり抜けて行かなければならない。
通路を覆う瓦礫の山は、触れただけで火傷してしまいそうなほど熱せられている。
一瞬、
ほんの一瞬、躊躇した。
それは、時計で測ることもできないほどの一刹那。
だがその瞬きするほどの逡巡が、歌織と少年の運命を分けた。
ガラッ――!!
「あっ!!」
ドオォォォォ!!
傾いたコンクリート片がバランスを崩し、一気になだれ落ちる。
“た、たす――”
ゴォォォォォォォ!!!!
赤い炎が、少年の身体を飲み込んだ。
パチパチと音を立て、小さな影は猛火の中へ消え去る。
「なにボーッとしてるの、歌織さん!」
桃子がぐいっと腕を引っ張った。
「も、桃子ちゃん! わたし、あの子を助けに行かないと!」
「バカ言わないで! 自殺する気!?」
「けど……!」
「けどもなにもない! いいからこっち来なさい!」
取り乱す歌織を羽交い絞めにして、桃子は無理やりシアターの外へ引っ張っていった。
*
(――あの時、わたしが踏み出していれば)
一瞬ためらってしまった自分。
ほんのわずかな勇気が足りなかった自分。
本当に彼を救えなかったのかと問われれば、堂々と反論することができない。
モニタには、容赦ないバッシングの嵐が吹き荒れている。
《どうせ誰も見てないと思ったんだろうな》
《天知る、地知る、我が知る》
《こんなのが勲章もらうとかいうクソ事実》
《やっぱヒーローも、立場を得ると保身に走るものなのか》
《言うな。ヒーローだって自分が可愛い》
《俺がこの子の親だったら死んでも許せない》
脚が震える。
吐き気が込み上げてくる。
視界が狭まり、目の前が暗くなっていく。
ソファの陰で、誰かがつぶやいた。
「助けることができて当たり前、助けられなければ非難される。何なんだろうね、こんな世の中……」
重い沈黙が、事務所を覆った。
*
ストロボフラッシュを浴びて、歌織はハッと我に返った。
「歌織ちゃん、どうしたの? 今日はちょっと調子悪い?」
カメラマンの問いに、思わず「え?」と尋ね返す。
いつもと同じ笑顔、いつもと変わらないスマイル。普段と何一つ違わないはずなのに……。
「もしかして、例の動画のこと?」
カメラマンが、何気ない口調で尋ねた。
「気にしないほうがいいよ。ネットの中傷なんてトイレの落書きみたいなもんだから」
歌織は曖昧な笑顔で応える。
そうは言うものの、あの動画が拡散して以来、明らかに仕事のオーダーが減っていた。
なじみのファッション誌からは声がかからなくなり、予定されていた撮影もいくつかキャンセルされた。一部では、ティアラ章の叙勲を取りやめるべきという声も上がっているらしい。
「気分が乗らないなら、今日はやめにしとく?」
「いえ、大丈夫です。さっきのカット、もう一度撮り直していただけませんか?」
仕切り直しのお願いに、カメラマンがバツの悪そうな表情を浮かべた。
「ごめんね歌織ちゃん。実は、撮り直してる時間はないんだ。この後、もう一人予定が入っちゃってて……」
「え?」
すまなそうに詫びながら、カメラマンは奥の部屋へ声をかける。
「そっちの準備はいい?」
「はい」
聞き覚えのある声に、歌織はギクリと身を強張らせた。
(もう一人って、まさか……)
スタジオに姿を現したのは、藤色の髪にアクアマリンの瞳の少女。
あれは……、
「紬――!?」
驚く歌織の前で、妹は照れくさそうに微笑む。
「黙っててごめんね、姉さん。実は、わたしもアイドルの真似ごとを始めてみたの。本当はこういうの苦手なんだけど、姉さんみたくなれたらと思って……」
バチッ――――!
一瞬、脳裏に閃光が走った。
(また、いつもの……)
そして意識が彼方へと吸い込まれていく。
……………。
そこは、荒廃した街だった。
崩れかけたツインタワーから、赤い炎が立ち昇っている。
ガキン!
ビルの向こうから、何かがぶつかり合う音が聞こえた。
戦っている。
二人の戦士が、空でせめぎ合っている。
白いマントの少女が、黄金色に輝く拳を繰り出す。
それをかわした軍服姿の女が、黒いサーベルを薙ぎ払う。
シュバッ!
セーラー服に鮮血が飛び散り、少女の身体がぐらりと傾いた。
ゴホッと血を吐き出し、少女はビルの谷間へと落ちていく。
ヒュオオオオオオ……。
冷たい風が、女の軍帽を傾けた。
揺れる前髪の下から、見覚えのある顔が現れる。
長いまつ毛に、特徴的なギブソンタック……、
あれは……あの姿は……、
まさか……、
「……わたし!?」
――はっ!
シャッターが切られる音で、歌織は再び意識を取り戻した。
(い、いまのは、幻……?)
スタジオでは、紬が恥ずかしそうにポーズを取っている。カメラマンの視線も、心なしか熱を帯びているように見える。
(……………)
胸の奥で、もやっとしたものがうごめいた。
経験したことのない、黒い気分。
その陰鬱な感情の名を、歌織はまだ知らない。
「姉さんっ」
歌織の視線に気付いた紬が、嬉しそうに手を振った。
その屈託ない眼差しに微笑み返しながら、歌織は自らの内で渦巻く名もなき感情を、ぐっと押し殺した。
*
大型モニタの前で、ストラテジーこと律子が、ピシャリと指示棒を叩いた。
「それじゃ、作戦の概要を説明するわね」
画面に首都の地図が映し出され、その一か所に赤い光点がプロットされる。
「捕獲したデストル怪人、ジョーカーを尋問した結果、奴らの秘密基地の所在が分かったわ」
作戦室に、ピリリとした緊張感が漂う。
「今回は、そのサーバールームに侵入して、敵の本部につながる機密データを吸い出してもらいます」
言いながら、律子はジュラルミンケースから手の平サイズの小型端末を取り出す。
「これはロコ博士が開発した『携帯型量子コンピューター』よ。どんなパスワードも、あっという間に解読することができるわ。問題は潜入方法だけど、今回は……杏奈、あなたにミッションをお願いしたいの」
片隅で呆けていた杏奈が、ハッと目を開けた。
「杏奈、に……?」
「そう。あなたの【VIVIDイマジネーション】は潜入作戦にうってつけよ。ただ、基地の入り口には生体認証キーがあるの」
今度は作戦室の真ん中で、桃子が立ち上がった。
「だったらそこは桃子に任せてちょうだい」
ヒーローズの視線が、幼い少女に集中する。
「桃子なら、キネティックパワーで身体の構成原子を変化させることができるわ。他人に変身することだってお手のものよ」
少女の説明に、律子が頷く。
「そうね、桃子のスキル【ラストアクトレス】なら、ジョーカーに変身して入口の生体認証キーも簡単に突破できるわ。問題は……」
律子が困り顔で頬を掻く。
「桃子がパソコンを使えないところかしら」
慌てて桃子が言い訳を始めた。
「しょ、しょうがないでしょ! 桃子、お家でもまだパソコン触らせてもらったことがないんだもん!」
キャリアが長いので忘れがちだが、彼女はまだわずか11歳の少女なのだ。
「律子さん、パソコンなら……杏奈が、操作する」
「うーん……杏奈にはスキルに集中してほしいのよね」
「だったらわたしが行きます」
すかさず歌織が名乗りを上げた。
律子はわずかに眉をひそめる。
「歌織さんが行ってくれれば安心ですけど、いまは無理をしないほうが……」
「いいえ、むしろじっとしてるほうが落ち着かないんです。だからお願い、いいでしょ?」
ヒーローズのエースから懇願され、さすがの律子も断りあぐねてしまう。
「……そういうことでしたら、お願いします」
希望が受け入れられ、歌織はホッと息を吐き出す。
「ありがとう。今度こそミッションを成功させてみせるわ」
律子は頷き、再びモニタに向き直る。
「それでは、これから作戦の詳細を説明します。まずこれが、デストルドー秘密基地の内部図面です」
大画面に、迷路のような立体図が表示された。
「目標のサーバールームは、地下の最深部にあります」
図面上で、赤い点がチカチカと瞬く。
広い基地の最下層、進入路はエレベーター1本だけだ。
「危険な任務ですけど、平和のため、未来のため、何としてもこのオペレーションを完遂してもらいたいの。三人とも、いい?」
「「「はい!!」」」
「未来」という言葉に、こめかみがズキンと痛んだ。
なんだか妙に落ち着かない。
ざわざわと胸が波立つ。
(ダメよ歌織、これは汚名を返上するチャンスなんだから……)
かすかな不安を押し殺しながら、歌織はモニタをキッと睨み付けた。