歌織は呆然と、天井を眺めていた。
テレビがチカチカ瞬くそばで、死んだようにパネルの染みを見詰め続ける。
《――政府は今回の事件について、アイドルヒーローズに対する強い憤りを示すとともに――》
《事件を起こしたヒーローについては、すでに叙勲の取り消しが決定されており――》
キャビネットには、見慣れたタイトルのファッション誌が置かれていた。
かつて自分が映っていた表紙では、いまや知らないモデルが艶然と微笑んでいる。
「……………」
手に取ろうとして、やめた。
どうせ書いてあることは、自分に対する悪口ばかりだ。
(みんな、どうしてるのかしら……)
入院してから、訪ねてくるものは誰一人としていない。
アイドルヒーローズの仲間はおろか、妹の紬でさえ一度も顔を見せない。
(こんな状態じゃ、仕方ないか……)
いまや自分は完全に犯罪者扱いだ。
そんな人間に関わりたいと思う者など、一体どこにいるだろうか。
だがそれは、歌織にとって一種の救いとも言えた。
そっと自分の身体を見下ろす。
やせこけた手足、シミだらけの肌、抜け落ちた頭髪。
握り締めたシーツに、ぽたぽたと小さな雫がこぼれ落ちる。
(こんな身体じゃ、ドレスも着られないわ……)
せっかく買った衣装は、すっかり無駄になってしまった。
楽しみにしていた自分が馬鹿みたいだ。
(どうして……どうして、こんなことになってしまったのかしら……)
自分はただ、ヒーローになって、誰かを救いたいだけだった。
困っている人を助け、少しでもその痛みを取り除きたいと願っただけだった。
それなのに、こんな……。
ドガァアアアァァン!!!!
「―――――!?」
突如響き渡った轟音に、歌織はハッと顔を上げた。
(あ、あれは……!?)
窓を見て、ハッと息を飲み込む。
燃え盛る炎が、ビルをオレンジ色に染め上げていた。
立ち上った黒煙が空を覆い、あちこちでサイレンが鳴り出している。
(何が起こったの……?)
ただの事故にしては規模が大きい。
まさか、デストルドーのテロだろうか。
ズシン――!!
突き上げるような衝撃に、身体がふわりと浮き上がった。
(い、いまの振動は……?)
ベッドから身を乗り出し、もう一度窓の外を覗き込む。
ズシン――!!
再び足元が揺れ、マットレスがぎしりと音を立てる。
(この音、まさか……)
目を凝らした歌織は、ビルの合間でうずくまる巨大な影に、思わず息を飲み込んだ。
グルルルルルル…………。
(うそ、でしょ……)
炎の中から、巨大な獣が立ち上がる。
爬虫類じみた皮膚に、竜のような頭部。
(あれは……)
真っ黒い瞳が、ギロリとこちらを睨み付けた。
歌織は慌てて身を屈める。
(……聞いたことがあるわ、デストルドーが開発している生体兵器があるって。名前はたしか、『暗黒怪獣』。まさか、もう完成していたの……?)
蠢く影は、黙示録の獣そのものだった。
冒涜と破壊を具現化した咢が、天に向かって雄叫びを上げる。
グオオオォォォオォォオオオォォォン!!!!
「ひっ!?」
思わず耳を押さえ、身体をすくめた。
窓がビリビリ震え、院内のあちこちから緊急速報のアラーム音が上がる。
ウィン、ウィーン! ウィン、ウィーン!
不安を煽るその音に、歌織は自分の肩をかき抱いた。
(どうして……どうしてまだアイドルヒーローズは現れないの……?)
通常であれば、すぐにホットスクランブルがかかるはずだ。
それなのに、姿を現さないというのはどういうことか。
(まさか、彼女たちの身にも何か……?)
見上げる空に、ターボファンエンジンの排気音が鳴り響いた。
白い飛行機雲が、真一文字に天を切り裂いていく。
(あれは……空自のF-2?)
二機の戦闘爆撃機は、銀翼を閃かせながら、暗黒怪獣目がけてレーザー誘導爆弾を投下した。
ドガァァァアアァァン!!!!
炎の華が咲き乱れ、巨体が業火に包まれる。
しかし……、
ブルルル……。
(ダメ、あんな攻撃じゃ……)
煙の下から現れたのは、傷一つ負っていない魔獣の姿だった。
(暗黒怪獣の身体はダークパワーで守られている。それを打ち破ることができるのは、キネティックパワーによる攻撃だけ……)
巨獣が尾を振ると、機体は空中で真っ二つに裂けた。
黒い煙を後に残し、F-2がビルの谷間へと墜ちていく。
(ああ……このままじゃ、街が……)
爆発がオフィス街を揺らした、その時だった。
「グルルルル……」
暗黒怪獣が不意に立ち止まり、尻尾の先端を地面に向けた。
鱗の下から赤い光が漏れ、巨体がぶるぶると震える。
(え……? な、何をする気……?)
尾の付け根が、ぼこりと膨らんだ。
先端部が花弁のように割れ、中から白い卵が吐き出される。
「――――!?」
粘液で包まれた球体は、ドスンと音を立てて地面にめりこんだ。
キャビネットの上にあるテレビが、その様子をリアルタイムで映し出している。
《ご覧ください! 怪獣の尻尾から卵のようなものが生まれました!》
マイクを持ったリポーターが、興奮した口調で卵へ近付いていく。
(いけない、離れて!)
その目の前で、厚い殻にピシリとひびが入る。
《あ、卵の中から何か出てきました!》
固い表面が剥がれ落ち、中から茶色い物体が飛び出す。
同時にモニタの向こうで悲鳴が上がる。
《な、何でしょうかあれは。生き物でしょうか。これまで見たこともない姿をしております》
揺れる画面の中を、黒い影がサッと走る。
《おい、こっちに来たぞ!!》
《危ない、離れろ離れろ!!》
突然カメラが横倒しになり、バタバタと足音が響き渡った。
《ちょ、待っ……あ、ぎゃあああああ!!!!》
アスファルトに、赤い液体が広がる。
ザッ――。
映像が途切れ、すぐさまスタジオへ画面が切り替わった。
プツン。
震える手が、テレビのスイッチを切る。
(に、逃げなきゃ……)
窓の外では、怪獣が卵を産み続けていた。
じきにここにもあのモンスターが押し寄せてくるだろう。
(ひとりじゃ動けない。看護師さんを呼ばないと……)
頭上のナースコールに手を伸ばし、ボタンを押す。
カチリ。
だがマイクからは何の反応もない。
(まさか、また……)
再びボタンを押す。
だが、インターホンはずっと沈黙している。
(どうして……? どうして誰も出ないの?)
カチカチカチ、カチカチカチカチ。
何度もボタンを押した。
だがいくら押しても、ナースステーションからは返事がない。
(まさか……わたし、置いていかれた?)
恐ろしい予感が脳裏をよぎった。
もしそうであれば、自分の脚で逃げるしかない。
意を決した歌織は、ベッドから身を乗り出し、松葉杖へ手を伸ばした。
だがしびれる指は、グリップを握ろうとして、そのまま押し倒してしまう。
カタン、カラカラ――。
アルミ製の杖が、椅子の下へ転がり込んだ。
(しまった……!!)
ベッドの縁から身を乗り出し、必死に松葉杖を拾い上げようとする。
だがいくら腕を伸ばしても、指先は杖に届かない。
「あっ!?」
不意にバランスを崩し、歌織は頭から床に転げ落ちた。
ガツン!
「うっ!?」
激しく肩を打ちつけ、痛みでうめき声を上げる。
(こ……こんなことをしてる場合じゃ――)
ガシャン!!
その時、階下からガラスの割れる音が聞こえた。
同時に玄関口で悲鳴が湧き起る。
ゴルルウゥゥウゥゥゥゥ……。
「―――――!?」
獣のようなうなり声に、背筋がぞっと凍り付いた。
(まさか……モンスターがもう院内に!?)
頭上の蛍光灯が頼りなく瞬き、プツリと消える。
病室が薄闇に覆われ、恐怖がどっと押し寄せてくる。
(に、逃げなきゃ……! 早くここから逃げ出さなきゃ!)
歌織は必死に松葉杖へ手を伸ばした。だが、
ズル………、
ズル………、
「……………!!」
廊下のほうから、脚を引きずるような音が聞こえてきた。
それは、ゆっくりとこの病室へ近付いてくる。
(ダメ、間に合わない……!!)
逃げることをあきらめた歌織は、ベッドの下へもぐり込んだ。
そのまま息を殺し、足音が通り過ぎるのをじっと待つ。
(ハァ、ハァ、ハァ……)
自分の息遣いだけが、やけにハッキリと聞こえた。
心臓が激しく脈打ち、耳の裏の血管をドクドクと鳴らす。
ズル………、
ズル………、
ズル………、
不気味な足音は、じりじりと部屋に近付きつつあった。
通り過ぎてくれることを念じながら、ベッドの下でぎゅっと目を閉じる。
ピタ――。
病室の前で、音が止まった。
ハァ………、 ハァ………、
息遣いが聞こえてくる。
扉の向こうで、何かがじっとこちらの気配を窺っている。
歌織は首をすくめながら、曇りガラスをそっと見上げた。
「―――――!?」
赤い瞳が、じっと歌織の視線を捉えていた。