「ハァ……ハァ……ハァ……!」
逃げ惑う人々の流れに逆らい、紬は一人、街の中心部目がけて走っていた。
肩で息をつきながら、燃えるような夕陽を見上げる。
(さっき飛んで行った影……あれはきっとデストルドーだわ。だとすれば、その先に姉さんがいるかも……!)
グルルルル………!!
「――――!?」
突如聞こえた不気味なうなり声に、紬は慌てて立ち止まった。
周囲を見回し、サッと植え込みのそばへ逃げ込む。
ズシン――。
ビルの陰から、小型のドラゴンのような生き物が姿を現した。
(な、何……あれ?)
高さは大人の背丈くらいだが、頭部だけは異様に発達している。子供一人くらいなら、簡単に丸呑みできてしまいそうだ。
ドラゴンは地面に顔を寄せ、すんすんと鼻を鳴らした。
執拗に臭いを嗅ぎ回り、何かを探し求めるように辺りを見回す。
(何をしているのかしら……)
訝る紬の耳に、かすかな呼び声が聞こえた。
「――たす、けて」
はたと顔を上げ、周囲に視線を巡らす。
(いまのは、女の子の声……?)
勘違いではない。たしかに聞こえた。
耳をそばだて、声の主を探す。
「だれ、か……助、けて………」
目を凝らすと、数メートル先の瓦礫の下で、救いを求める小さな影が見えた。
(あそこだわ!)
立ち上がろうとした瞬間、ドラゴンがぐりんと巨大な頭部をこちらへ向ける。
慌てて屈み込み、身を隠した。
(まずいわね……)
ウゥウゥゥウウゥゥゥ………!
低いうなり声を発しながら、ドラゴンが脚を踏み出す。
瓦礫の陰で、女の子がビクリと身をすくめる。
(このままじゃ、見付かるのも時間の問題だわ……)
女の子とドラゴンの距離は、せいぜい数メートル。いまは瓦礫の下に隠れているが、もう2、3歩進めば、すぐに気付かれてしまう。
(あの子を助けなきゃ。けど、いま飛び出せば、わたしも……)
膝がガクガクと震えた。
汗が吹き出し、吐き気が込み上げてくる。
(見捨てるわけにはいかない。けど、姉さんの身にも危険が迫っている……)
紬は奥歯を噛み、ギュッと目を閉じた。
(わたし、どうすればいいの――!?)
*
すーっとドアが開き、冷たい空気が病室に流れ込んできた。
もぐり込んだベッドの下で、歌織は震えながら恐怖に耐える。
ズル……、
足音が、部屋の中へ入ってきた。
室内に、血の臭いがむわっと広がる。
ズル……、
ズル……、
吐いた息が、蒸れたゴムの床に白い円を描いた。
ギュッと目を閉じ、足音が去ってくれることを祈る。
(お願い、こっちにこないで……!)
足音が、ピタリと止まった。
(………………?)
病室がしんと静まり、物音一つ聞こえなくなる。
(いなく、なった……?)
瞼を開き、ゆっくり顔を上げる。
すると――、
ギロッ!!
「―――――!?」
黒い影と目が合った。
それは、モンスターではなく、人の形をしていた。
「そこにいたのか……」
紅い瞳の少女が、にぃっと口の端をゆがめる。
黒い軍服に、金モールの飾り緒。
間違いない。特務参謀だ。
少女は立ち上がり、いきなりベッドの縁を蹴り上げた。
ドカァ!!
「きゃっ!?」
寝台は紙切れのように吹き飛び、壁にぶつかってズシンと倒れ込む。
「探したぞ、歌織よ……」
朦々と立ち込める埃の中、軍服の少女は、歌織を冷たい目で見下ろした。
その顔に、いつもの仮面は嵌められてない。
「さて、改めて自己紹介をさせてもらおう」
特務参謀は軍帽を脱ぎ、慇懃な素振りで頭を下げた。
「わたしがデストルドーの特務参謀……『ミライ』だ」
(―――――!!)
歌織は床の上を、ずるずると後ずさる。
「わ、たしを……どう……する、気……?」
声を聞いた瞬間、ミライはピクリと眉をひそめた。
「ひどい声だな……」
他人事のようなセリフに、カッと頭へ血が上る。
「あ、なたの……せい、で……しょ……?」
「わたしのせい?」
ミライは怪訝そうに眉をひそめた。
「それは違うな。お前は大きな勘違いをしている」
「かん、ちがい……?」
「そうだ」
軍服の少女は屈み込み、じっと歌織の目を覗き込む。
「いいか、よく聞け。お前は――」
言いかけた瞬間、ミライは「うっ」と口を押えた。
「ゴホッ! ゴホッ、ゴホッ!!」
指の隙間から、赤い血が飛び散る。
「…………? どう、したの……?」
脂汗を浮かべながら、ミライはグイッと口元を拭った。
「見苦しい姿を見せてしまったな。どうやらこの身体も、限界に近付いているらしい……」
「げん、かい……?」
「そうだ。デストルドー因子の力に耐えきれなくなって、身体が崩れ始めているのだ」
意味が分からず、歌織は瞬きを繰り返す。
「時間が惜しい。単刀直入に言わせてもらうぞ」
そっと息を吐き出し、少女は相手の両目をじっと見据える。
「歌織よ……お前の身体が欲しい」
「――――!?」
歌織は再び困惑の色を浮かべた。
「どう……いう、こと………?」
「戸惑うのも無理はない。だがこれを見れば、少しは理解できるだろう」
言いながら、ミライは懐から黒いダガーを取り出す。
その刃は、以前よりも一層禍々しい気配を放っている。
「見ろ、この美しい刀身を」
恍惚とした表情で、少女は黒いブレードを撫でた。
「これこそが、暗黒核で作られた我が本体……【ネメシス】だ」
「ネメ……シス?」
こくりと頷き、ミライは口元にゆがんだ笑みを浮かべる。
「いまの身体は仮の住まいに過ぎない。この黒い刃に宿る怨念や憎悪こそ、わたしの核であり、魂そのものなのだ」
「……………!」
こめかみを、冷たい汗がしたたり落ちた。
武器が意思を持ち、人の身体を乗っ取るなど、にわかには信じがたい話だ。
しかしそれが事実だとすれば、この参謀に過去の経歴が一切ないことも含め、すべて辻褄が合う。
「どう、して……わたし、に……その、話を……?」
ミライは静かに歌織の目を覗き込んだ。
「この少女の身体では、わたしのダークパワーに耐え切れない。だが、お前の身体なら別だ」
オレンジ色の夕陽を背に、赤い瞳がギラリと光を放つ。
「お前は優れたデストルドー因子を有している。お前なら、この【ネメシス】の力を最大限に発揮することができる」
―――――!?
「わた、しが……デ、ストルドー……因子を、有、して……いる?」
歌織は愕然と目を見開いた。
わたしはアイドルヒーローズだ。
平和を守る、正義の象徴だ。
そのわたしが、デストルドー因子を保有している……?
「そ、んな……バ、カな………」
「バカではない。お前も本当は気付いているのだろう? 自分自身の本性に」
逆光を背に浴びながら、ミライがささやく。
「思い出してみろ、あの時のことを。破壊の衝動に身を任せ、守るべき者たちを傷付けた、あの時のことを」
脳裏に忌まわしい記憶がよみがえった。
吹き飛ぶ街並み、逃げ惑う人々。そして、湧き上がる暴力への渇仰。
「だから言っただろう、わたしのせいではないと。あれは……すべてお前自身が望み、お前自身が引き起こしたことだ」
「―――――!!」
息が詰まり、ぎゅっと胸を押さえた。
酸素が不足し、視界がどんどん狭まっていく。
「ウ……ソよ。そんなこと………」
「ウソかどうかは、お前自身が一番よく分かっているはず。もう一度思い起こせ、あの時の解放感を。甘美でしびれる、狂おしいほどの解放感を!!」
少女の声が、耳を貫いた。
汗ばむ手の平を、じっと見詰める。
信じられない……。
信じたくない……。
だがあの時味わった快感の余韻は、いまも肌にまとわりついている。
下腹をかき回されるような悦楽の波。全身を突き上げるようなエクスタシー。
その一つ一つが、どんな言葉よりも鮮明に真実を物語っている。
「もう一つ、いいことを教えてやろう」
ミライが薄い唇をにっと持ち上げた。
「わたしと一体になれば、お前が失った声も、力も、美しさも……すべて、完璧に取り戻すことができる!!!!」
「――――――!!!?」
燃えるような衝動が、歌織の胸を駆け抜けた。