アイドルヒーローズネメシス   作:闇の皺

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第23話 瑠璃色の記憶

 植え込みの陰から、紬はそっと周囲の様子を窺った。

 

 スンスン……、スンスン………。

 

 ドラゴンは、臭いを嗅ぎ回りながら交差点の向こう側をウロウロしている。

 

(いまならあの子を助け出すことができるかもしれない……)

 

 立ち上がろうとして、一瞬躊躇した。

 

(わたし、震えてる……?)

 

 失敗した時のことを想像して、ぞっと肌が粟立つ。

 巨大な鉤爪、ギザギザに並んだ牙。

 それらが腕に噛み付き、脚を引きちぎる様子をイメージして、思わず全身を強張らせる。

 

(考えてみれば、わたしはアイドルだけど、ヒーローじゃないわ。危険を冒してまで誰かを助けるなんて、そんなことをする義理はない……)

 

――本当にそう?

 

 誰かの声が、耳の奥に響き渡った。

 

――たしかにわたしはヒーローじゃない。できることだって限られている。

 けど、姉さんだって、乗り越えられるかどうか分からない試練に、何度も飛び込んできたんじゃない?

 そこに、ヒーローかどうかないかなんて違いはないはずよ。

 

(でも……)

 

 もう一つの声が、紬を呼び止めた。

 

(もしわたしが死んでしまったら、誰が姉さんを助けに行くの……?)

 

 デイパックのヒモが、ずしりと肩に食い込む。

 

(ここであの怪物に食べられてしまったら、ドレスも届けられなくなってしまう……)

 

 自分の声が、脳内で反響する。

 互いに正反対のことを主張し、真っ向から対立する。

 

(わたし、どうすれば……)

 

 紬は頭を抱えた。

 

(あの子の命と、姉さんの命。どちらか一つを選ぶなんて、わたしにはできないよ)

 

 それに、二人だけの命ではない。

 自分自身の命もかかっている。

 

(こんな時、姉さんだったらどうするの……?)

 

 救いを求め、天を仰ぐ。

 

 その瞳に、まばゆいオレンジ色の夕焼けが映った。

 記憶の底から、かつて見た景色がよみがえる。

 

『――ねえ、紬。一つだけ、あなたに覚えておいて欲しいことがあるの』

 

 あの時、姉さんは優しく微笑みながら言った。

 

『どんなことがあっても、絶対に譲れないもの。それは……あなた自身の正義よ』

『あなたの正義はどこにあるのか。それをしっかり見極めて、心に留めておいてね』

 

 わたしの正義……。

 わたし自身の正義……。

 

 一体、どこにあるのか……。

 

 目を閉じ、首を左右に振る。

 

(分からない……わたしは姉さんみたいに頭が良くないから、考えても分からないよ)

 

 けど……、

 

 再び顔を上げ、瓦礫の山を見詰める。

 

(だからこそ、分かるかもしれない。頭の悪い……わたしだけの正義)

 

 打算じゃない。

 計算でもない。

 正解なんて、最初から分からない。

 

 けど、伸ばした手は、留めない。

 つかむと決めたら、離さない。

 

 いま目の前にいる人を助けたいという気持ち。

 

 それが……それだけが……、

 

(わたしの正義!!)

 

 拳を握り締め、大きく息を吸い込んだ。

 

「そうだよね……きっと姉さんも、そう思って戦い続けてきたんだよね」

 

 恐怖がなくなったわけじゃない。

 不安を克服したわけでもない。

 だがいまは、そうすることが当たり前であるかのように、身体が動いた。

 

 タッ――!

 

 植え込みの陰から飛び出し、素早く道を渡る。

 足音を潜めながら、瓦礫の下で怯える少女の許へ駆け寄る。

 

「大丈夫!?」

 

 突然呼びかけられた少女は、驚きに目をみはった。

 

「お、お姉、ちゃ――」

「し――っ!!」

 

 口に指を当て、言葉を遮る。

 

 ドラゴンは、交差点の反対側にある総菜屋へ顔を突っ込み、食べ物を漁っていた。まだこちらには気付いていないようだ。

 

「待っててね、いま助けてあげるから」

 

 少女は足を鉄筋に挟まれている。まずはこれをどうにかしなければならない。

 

「うっ……んん………!」

 

 ためしに持ち上げてみようとしたが、紬の細腕ではびくともしなかった。

 

(ダメだわ。時間がかかるけど、回りの瓦礫を少しずつどけていくしかない……)

 

 デイパックを下ろし、今度は足元のコンクリート片に手を伸ばす。

 

「ん……うっ!」

 

 つかんでみると、ブロック大の塊は予想以上の重さだった。

 息を止め、顔を真っ赤にしながら持ち上げる。

 

 ゴトン――。

 

 一個取り除くだけで、ひと苦労だった。手は汚れ、指先から薄く血がにじんでいる。

 

 痛い……。

 けど、いま立ち止まるわけにはいかない。

 

「………くっ!」

 

 気合を込め、ひとつひとつ丁寧にコンクリート片をどかしていく。

 除かれた瓦礫は、背後にうずたかく積み上がっていく。

 

「はぁ、はぁ………」

 

 しばらくすると、鉄筋がわずかながら動くようになった。

 

「頑張って、もう少しよ!」

 

 紬は笑顔で少女を励ます。

 

 だが……、

 

「…………?」

 

 少女は紬の顔を見て、カタカタと歯を打ち鳴らしていた。

 

「どう、したの……? 急に……」

 

 言いかけたその時、

 

 グルルルル……。

 

 背後で、うなり声が聞こえた。

 交差点の向こうにいたドラゴンが、いつの間にか姿を消している。

 

 ハァ―……、ハァ―……、ハァ―……。

 

 腐臭のようなにおいが、埃に混じってツンと漂ってきた。

 

(ま、まさか………)

 

 恐怖に慄きながら、恐る恐る振り返る。

 

 そして――、

 

「ゴアァァァアアアアァァアァァァァ!!!!」

「きゃああああああああああああああ!!!?」

 

 紬は反射的にデイパックをつかみ、ダッと駆け出した。

 

 ビリィッ!

 

 長い爪が背中をかすめ、ワンピースを腰まで引き裂く。

 

 ズシン! ズシン! ズシン!

 

 足音が轟然と追いかけてきた。

 すぐ後ろに、獣の息遣いを感じる。

 

(くっ、速い! でも……)

 

 交差点の向こうを見て、紬は奥歯を噛み締めた。

 

(あの総菜屋へ逃げ込めば、エサで足止めすることができる!)

 

 目的地までわずか数メートル。だがその小さな距離が、無限に長く感じられる。

 アスファルトが揺れ、獣の足音がすぐ背後に迫ってくる。

 

「はぁ! はぁ! はぁ!」

 

 息が切れ、足がもつれた。

 肺が悲鳴を上げ、脇腹に鈍痛が走る。

 

 それでも必死に腕を振り、夢中で道路を駆け抜ける。

 

(あと少し……!)

 

 残り2メートルを切ったところで、紬は勢いよく地面を蹴った。

 

「たあっ!」

 

 頭から店内へ飛び込み、床の上で一回転する。

 

(やった!)

 

 紬はガバッと起き上がった。

 

(――――!?)

 

 だが店内を見回した瞬間、絶望に頬が引き攣る。

 

(そ、そんな……ウソでしょ?)

 

 食い散らかされたパックに、割れたショーケース。

 すぐそばには、バラバラに引き裂かれた店員の死体が転がっている。

 

 店内は、すでに食い散らかれた後だった。

 

 ジャリ……。

 

 巨大な影が、ドアの向こうから差し込む。

 獣独特の臭気が、狭い店内にむわっと立ち込める。

 

「グルルルル………」

 

 恐ろしさのあまり、紬は声を上げることすらできなかった。

 ゆっくりと振り返り、牙の並んだ咢を見上げる。

 

「あ、あぁ………」

 

 死の予感が心臓を鷲づかみにした。

 血液が凍り、喉の奥がきゅっとすぼまる。

 

 怖い、死にたくない……。

 

 だが、不思議と後悔だけはなかった。

 自分はやり遂げたんだという達成感と、他に選択肢はなかったという諦観が、胸の中をスッキリ洗い流している。

 

 歯の根が合わさらないほど怯えているが、自分の行動に悔いはない。

 恐怖で膝の震えが止まらないが、あの子への恨みはない。

 

 そして気付く。

 

 ああ……お父さんとお母さんも、きっとこんな気持ちだったんだ……。

 

 てっきり恨んでいるのかと思っていた。

 怒り、嘆き、悔やんでいるのかと思っていた。

 

 けど、違った。

 それは、自分の勝手な思い込みでしかなかった。

 だっていま……わたしの心はこんなにも澄み渡っている。

 

 お母さん、お父さん。待たせちゃってごめんね。

 わたしも……すぐそっちへ行くよ。

 

『―――紬』

 

 えっ?

 

 突然耳元で聞こえた声に、紬は慌てて周囲を見回した。

 

『こっちよ、紬。わたしたちは……ここよ』

 

 ――――!?

 

 再び呼び声が聞こえ、紬はくるりと振り返る。

 瞬間、景色がガラリと入れ替わった。

 

(え……? こ、ここは……)

 

 薄暗い部屋に、ロウソクが立ったケーキ。

 小さなこたつと、それを囲む親子。

 

 それは、在りし日の我が家の光景だった。

 紬の両脇で、父と母が、にっこり微笑んでいる。

 

(ど、どうして、お父さんとお母さんが……?)

 

 不思議がる紬に、父がメガネの奥から優しい視線を投げかけた。

 

『やっと僕らの声に気付いてくれたね、紬』

 

 隣に座る母が、紬の頬にそっと触れる。

 

『紬ったら、いくら呼んでも全然気付いてくれないんだもの』

(呼んでいた? わたしを? 一体いつから……?)

 

 両親が、同時に微笑んだ。

 

『『ずっとだよ、紬』』

 

 ロウソクの炎が、ふわりと揺らめく。

 

『あの日から、わたしたちは毎日、あなたに呼びかけていたの』

 

 気が付くと、目から大粒の涙がこぼれていた。

 抑えても抑えきれない感情が、頬をぽろぽろ伝い落ちる。

 

(知らなかった……全然気付かなかった。わたし、ずっと二人に会いたいと思っていたのに……)

『わたしたちもよ。ずっと、あなたとお話ししたいと思っていたわ』

 

 そこは、とても暖かい部屋だった。

 心地良くて、穏やかで……すべてが安らぎに満ちた世界。

 

(ねえ、お母さん。わたし、ずっとここにいてもいい?)

『ダメよ、紬。あなたはもう行かなければならないの』

(そんな……いやよ、せっかく会えたのに)

『大丈夫よ、紬。またすぐに会えるから』

 

 母がそっと、紬の手に指を重ねる。

 その上へさらに、父が大きな手の平を乗せる。

 

『そうだよ紬。僕らだって、僕らのお父さんやお母さんと、ここで会えたんだ』

(お爺ちゃんや、お婆ちゃんと?)

 

 父が微笑みながら頷く。

 

『そうさ。だから紬には、これだけは知っておいてほしいんだ』

 

 言いながら、娘の手をぎゅっと握り締める。

 

『紬、君は僕らの宝物だ。だから君も……そろそろ自分を許してあげてほしい』

(自分を……許す?)

 

 母が、涙ににじむ目で紬の顔を覗き込んだ。

 

『そうよ、紬。だって……わたしたちは最初から、あなたのすべてを許しているんだもの』

 

 カアァァァァァアァァァァ――!!

 

 その瞬間、光が溢れ出し、全身を包み込んだ。

 不思議な浮遊感が身体を覆い、胸の痛みがすうっと溶けていく。

 

 ああ、そっか。

 わたしは、とっくに許されていたんだ。

 

 気付くと同時に、涙がとめどなく溢れ出た。

 

 どれだけ……どれだけその言葉を聞きたかったことか。

 

 八年間流すことのできなかった想いが、心の一番奥から、堰を切ったように溢れ出す。

 

『さあ、行きなさい、紬。あなたはもう、自由よ』

 

 

 キィィィィイイイィィィイイィィィン!!!!

 

 

 不思議な力が背中を押した。

 懐かしい景色が、はるか彼方へ遠ざかっていく。

 

(お父さん、お母さん、ありがとう)

 

 もう、寂しさは感じなかった。

 

(少し先になっちゃいそうだけど……また会おうね)

 

 消え去る二人の笑顔へ向けて、紬はそっと手を振る。

 

(それじゃ……行ってくるよ、お父さん、お母さん)

 

 

 スウ――――。

 

 目を開けると、そこは先ほどの総菜屋だった。

 ドラゴンが、怯えた表情を浮かべ、じりじりと後ずさっている。

 

 キィィィィイイイィィィイイィィィン!!!!

 

 全身から、黄金色の光が迸っていた。

 

(これが……キネティックパワー)

 

 力が湧き上がってくるのを感じる。

 鼓動が高鳴るのを感じる。

 

(いまなら分かる。お父さんとお母さんが、わたしを見守ってくれていたこと……)

 

 紬を抑圧していた罪悪感は、心の蓋を抑え込むことで、逆に力のキャパシティを限界まで押し広げていた。

 その許容量は並みのヒーローをはるかにしのぎ、いまや超人と呼ぶべき域にまで達している。

 

 すーっと息を吸い込み、静かに吐き出した。

 

「キネティック……パンチ」

 

 瞬間、右の拳に爆発的なエネルギーが集中する。

 

「グルルル……」

 

 ドラゴンの瞳に、恐怖の色がにじんだ。

 低いうなり声を上げ、一歩、さらに一歩、後ずさる。

 だが自分より強い生物に出会ったことのなかった若い獣は、本能に逆らって雄叫びを上げた。

 

「グォアァァァァァアアァ!!」

 

 それは、この若いドラゴンにとって致命的なミスとなった。

 

 巨獣を前にして、紬はゆっくり呼吸を整える。

 その瞳が、黄金色に輝く。

 

 キィィィィイイイィィィイイィィィン!!!!

 

「キネティックパワー・アクセラレート!!」

 

 少女は吼える。

 

「オォォバアァァァァ…………ブーストオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 刹那、空気が爆発した。

 太陽のような白い光が、ドラゴンの頭部を貫く。

 

 カッ!!!!

 

 死の間際、ドラゴンは悟った。己が最強の生物でなかったことを。

 そして悔やんだ。この場から尻尾を巻いて逃げ出さなかったことを。

 

 超高熱の拳が突き刺さると同時に、血と脳漿が蒸発し、頭蓋が内側から破裂した。

 厚い皮膚は一瞬で炭化し、巨体を支えていた筋肉と骨も、たちまち塵となって爆散する。

 

 ドゴオオォォオォオォォォン!!!!

 

 衝撃波が大気を揺らした。

 荒れ狂う爆風が、轟音とともに竜の死骸を彼方へ吹き飛ばしていく。

 

 藤色の髪をなびかせながら、紬は自分の姿を見下ろした。

 

「これが、わたしの力……」

 

 そして同時に確信した。

 この力は、わたしの味方なんだと。

 わたしを守るために、父と母が授けてくれた力なんだと。

 

「もう、大丈夫……」

 

 振り返り、窓の外を見た。

 交差点の向こうには、まだ瓦礫の山が残っている。

 あの子はきっと、怯えながらわたしの助けを待っているだろう。

 

 タッ―――。

 

 駆け出そうとしたところで、紬はふと立ち止まった。

 

「あ………」

 

 そして、ボロボロになった自分の姿を見詰める。

 ガラス戸に映った自分は、ひどい格好だ。

 ワンピースが腰まで裂け、羽織っていたボレロもいつの間にか千切れ飛んでいる。

 上半身は胸まではだけ、ほとんど半裸に近い。

 

「こんな状態じゃ、外に出られないわ……」

 

 せめて身体を隠すものがあればいいのだが……。

 

「ん………?」

 

 そこで紬は、床に転がるデイパックに目を留めた。

 

「そうだ、これなら……」

 

    *

 

 そのころ、病室では二人の人物が静かに向き合っていた。

 

「くっくっくっ……歌織よ、それがお前の答えか」

 

 病室の床に、ぽたり、ぽたりと赤い雫が滴り落ちる。

 ダガーの柄を、血まみれの手が握っている。

 

 ミライの胸には、黒い刃が深々と突き立っていた。

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