ビル全体が、いななくように鳴動していた。
向かい合った二人の間で、空気がピシリと爆ぜる。
黒髪はすっと腕を上げ、手招きした。
「どこからかかってきてもいいよ」
余裕――。
それは強者にのみ許された特権。
唇の片端が、嘲笑うように吊り上がる。
「どこからでもいいの?」
だが挑発されたはずの麗花は、怒るどころか不思議そうに首をかしげた。
「ああ、もちろんさ」
「じゃあ――」
フッ――
「後ろからでもいいよね」
「――――!?」
一瞬で背後に回り込んだ麗花が、黒髪の腹部に鉛のごとく重い蹴りを打ち込む。
ドボォォォオオォ!!!!
「~~~~ッ!!!?」
実力差が大きすぎると、相手の攻撃が「見えない」ことがある。
漫画のような話だが、本気で格闘技を学んだ者なら、一度は経験したことがあるはずだ。来ると分かっている一撃が、早すぎて目にも留まらないのだ。
麗花の蹴りが、まさにそれだった。
黒髪が気付いた時には、スナップの利いた虎趾がみぞおち深く突き刺さっていた。
「ぐっ……はぁ!」
「まだまだ!!」
続けざま、剛拳が驟雨のごとく降り注ぐ。
ドドドッ、ガッ!!!!
黒髪の顔が右へ左へ、パンチングボールのように跳ねる。
止まらない怒涛の連打。右左右左右左右左。
そして相手のバランスが崩れたところへ、腰のひねりを加えた強烈な上段回し蹴り。
ズガアァ!!!!
頭部を蹴り抜かれた黒髪は、半回転して地面に叩き付けられた。
「と・ど・め♪」
最後に後足を抱え込むように引き寄せた麗花が、バウンドして宙に浮いた相手の脇腹目がけ、猛烈な足刀を叩き込む。
ドゴォアァァァ!!!!
衝撃波が広がり、黒髪の身体が木の葉のように吹き飛ばされた。
キィィ―――ン! ドガ! ドガ! ドガァ!
壁を幾枚もぶち抜いた黒髪は、建物を支えるコンクリートの柱に深々とめり込む。
「か………は」
小さなうめき声を残し、デストルドー最強の戦士はドサリと床に崩れ落ちた。
シュウウウゥゥゥゥ……。
気が付けば、辺り一面、瓦礫の山と化していた。
立ち込めた粉塵が、朦々とフロアを覆う。
コツ……、 コツ……、 コツ……、
煙の向こうから、ツインテールの美少女が姿を現した。
「黒髪って言うから黒帯くらい強いと思ったんですけど、意外と普通なんですね~」
邪気のない口ぶりで、相手を貶める。
戦ってみて、麗花は確信した。
黒髪の実力は、空手で言うところのせいぜい初段程度だ。
素人にしては立派なものだが、命のやり取りをするにはまるで足りない。
最強の名は尾ひれが付いた噂だったのか。
それともデストルドーには余程人材がいないのか。
「そろそろ終わりにしますよー。いいですかー」
瓦礫の下で、黒髪の指がピクリと動いた。
コンクリート片を落としながら、少女はよろめくように立ち上がる。
「……ぺっ」
唾を吐き出すのを見て、麗花が「わぁ」と目を丸くした。
「すごいですね、まだ立てるなんて」
皮肉ではなく、本心からの賛辞だった。
あの手応えではアバラの一本や二本では済まなかったはず。恐らく内臓にも深刻なダメージを受けているだろう。
そんな状態で立ち上がるなんて、実際大したものだ。
「無理しないほうがいいですよ、全身ずたぼろになっているはずですから」
だが黒髪は、口元を拭いながらニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「そうはいかないな。まだ仕事中なんでね」
「ふぅん。そんな身体でお仕事も休めないなんて、デストルドーさんはとってもブラックなところなんですねぇ」
「まあね。けど、そっちも大概じゃないかな」
言いながら、黒髪はひょいと何かを放り投げた。
ぺちゃり。
床に落ちたそれは、コンクリートの上で湿った音を立てる。
「ん……?」
一見すると、それは薄いゴムのようだった。
だが、違う。ゴムにしては産毛のようなものが生えているし、断面からは赤い液体がにじみ出ている。
「え?」
そこでようやく、麗花は自分の首筋を生温かいものが流れ落ちていることに気付いた。
伸ばした指が、ぬるりとした何かに触れる。
赤く、錆臭い液体。
これは……、
「………血?」
そして、あそこに落ちているのは……、
まさか……、
わたしの……、
耳―――!?
認識すると同時に、痛みがズキンと襲いかかってきた。
「あッ……ぐぅ!?」
屈み込む麗花を、黒髪が冷たい目で見下ろす。
「痛いかい? ねえ、痛いかい?」
顔を上げた麗花は、いまさらながら相手が無傷であることに気が付いた。
「ど、どうして……?」
黒髪は、フンと鼻を鳴らす。
「なぁに、大したことじゃないさ。ぼくの身体はダークパワーのバリアで覆われているんだよ」
「ダークパワーの、バリア……?」
頷きながら、黒髪は麗花の耳を拾い上げる。
「そう。だからボクは、生まれた時から一度も痛みというものを感じたことがない」
「――――!?」
黒髪が拳を握り締めると、潰れた肉片が指の隙間からぶちゅっと飛び散った。
「さあ教えてよ、痛みという感覚を。ボクにも分かるように、いろんな表情(カオ)で……」
深紅の瞳が、獲物をなぶるように麗花の肢体を睨め回す。
少女のこめかみを、冷たい汗がしたたり落ちる。
「わたし、教えるのは苦手なんですけどね……」
つぶやく声は、かすかに震えていた。