爆発音とともに、上階の窓がボンと白い煙を吐き出した。
「――始まったみたいね」
落ちてくる破片を避けながら、歌織は外付けの非常階段を駆け下りていく。
途中で合流した杏奈が、不安そうにビルを見上げた。
「麗花さん、大丈夫かな……」
「心配ないわよ。麗花ちゃんなら、すぐに追い付いてくるわ」
「そう……ですよね」
その時、眼下の踊り場にサッと黒い人影が飛び出した。
「二人とも、こっちです!」
ナース服のようなスーツを身にまとった、グラマラスなシルエット。
バトルナース風花が、艶っぽい髪の下でパチリと瞳を閉じる。
「お二人を迎えにきました。脱出用のボートでみんな待ってます!」
隣を走る杏奈が、ホッと息を吐き出した。
「みんな、無事……」
そうと分かれば、あとは自分たちが離脱するだけだ。
しかし――、
「二人とも、隠れて!」
突然歌織が立ち止まり、叫んだ。
風花と杏奈は、慌てて非常ドアの陰にへばり付く。
「ど、どうしたんですか、歌織さん……?」
「あれを見て」
外を覗き込んだ風花が、「あっ」と声を上げた。
立ち並ぶ倉庫の前を、黒い影が悠然と歩いている。
顔を覆う仮面に漆黒の軍服。
あれは……、
「特務参謀!」
歌織がスコープを覗き込みながら頷いた。
「ええ……けど、護衛も付けずに歩いているなんて変ね……」
一度狙撃を受けているというのに、あまりにも無防備だ。
罠? それとも……。
「どこへ行くつもりですか、歌織さん!」
立ち上がりかけた歌織を、風花が制した。
「風花ちゃんたちは先にボートへ向かって。わたしはあいつを追うわ!」
「ダメです!」
風花がサッと前に立ちふさがる。
「作戦は失敗しました。いまはこの場から離脱するのが最優先です」
「いいえ、まだ麗花ちゃんが戦ってるわ。彼女がくれたチャンスを無駄にできない」
「麗花ちゃんが残ってくれたのは、わたしたちを逃すためです!」
声を荒げる風花を見て、歌織はそっと息を吐き出した。
「ねえ風花ちゃん。これは千載一遇のチャンスなの。この機会を逃したら、また多くの人たちが犠牲になるわ」
「たしかにそうかもしれません。けど、いま追いかけるのはあまりにも危険すぎます。これは明らかに罠です」
隣の杏奈も、すがるように歌織の袖をつかむ。
「歌織さん、風花さんの……言うとおり。ここは一旦、作戦を……立て直すべき」
杏奈の顔をじっと見詰め、歌織は静かに口を開いた。
「ごめんね」
そのまま手をほどき、くるりと背中を向ける。
「…………」
観念したように目を閉じた風花が、ポシェットから小さなケースを取り出した。
「……分かりました。歌織さんの決意がそこまで固いのなら、これ以上は止めません。その代わり、これを持っていってください」
差し出されたのは、手の平サイズのピルケース。開けてみると、中に白い錠剤が詰め込まれている。
「これは?」
「怪我を治すお薬です。それともう一つ……」
今度は小さな薬瓶を取り出し、歌織の手に握らせた。
「毒薬です」
意外な言葉に、歌織は思わず風花の顔を見返した。
「……ナースとして、こんなものは絶対に使ってほしくありません。けど、目には目を、毒には毒をという時があるかもしれません」
受け取った瓶を、歌織はぐっと握り締める。
「分かったわ。あなたの気持ち、決して無駄にしない」
「ありがとうございます。毒は効果が表れるまで少し時間がかかりますから、その点だけ注意してください」
コクリと頷き、階下を見下ろす。
視線の先では、凶悪なテロリストが悠然と倉庫の前を闊歩していた。
「今度こそ……今度こそ確実にあいつを仕留めてみせる」
決意を胸に、歌織はタッとステップを蹴る。
その背中へ、風花は祈るように手を合わせる。
「歌織さん、どうかご無事で……」
白い影は一陣の風となり、たちまち闇の彼方へ吸い込まれていった。
*
建物の陰から顔を出した歌織は、素早く周囲に視線を走らせた。
(やっぱり、護衛はいないみたいね)
どれだけ注意深く観察しても、特務参謀以外、誰の姿も見当たらない。
油断しているのだろうか……。
いや、それは考えにくい。
相手は用心深い人物。簡単に隙を見せてくれるようなら、ここまで苦労はしていない。
(ん……?)
不意にターゲットが立ち止まり、きょろきょろと周囲を見回し始めた。
辺りの様子を慎重に窺い、古びた倉庫のドアを開ける。
(あそこに何かあるのかしら……)
追いかけようとして、わずかに躊躇した。
建物内には、どんなトラップが仕掛けてあるか分からない。
しかし……、
(虎穴に入らずんば虎子を得ず)
階段の陰から這い出し、音もなく倉庫へ忍び寄る。
スッ――。
壁に背を当て、窓の向こうを覗き込んだ。
(何も見えない……)
やはり中へ踏み込むしかなさそうだ。
罠の有無を確認し、ゆっくりとドアを開ける。
カチャ、キィィィ――――。
扉を開けた瞬間、ひんやりとした空気が全身を包み込んだ。
機械油の臭いが鼻を衝き、差し込んだ月明かりが埃をキラキラと輝かせる。
(誰も、いない……?)
倉庫の中はガランとしていた。
人の気配はなく、奥のほうに積み上げられたパレットだけが、暗闇の中にぼんやり浮かび上がっている。
辺りの様子を伺いながら、歌織は慎重に歩を進めた。
と、その時――、
「待っていたぞ!」
パッ!
突然天井のライトが灯され、まばゆい光が瞳を貫いた。
「くっ……!」
二階のキャットウォークで、黒い影がニヤリと笑みを浮かべる。
「ようやく二人きりになれたな」
「あなたは……」
特務参謀――!!
仮面の人物が、ひらりと手すりを飛び越え地面に降り立つ。
「……追いかけてきたのはお前だけか?」
「そうよ。あなたこそ、ひとりで待ち伏せなんてどういうつもり?」
問われた特務参謀は、フッと息を吐き出す。
「どういうつもりも何もない。お前と話をしたかった。ただそれだけのことだ」
「馬鹿にしているの? わたしはあなたを倒しにきたのよ?」
なおも問い詰めてくる歌織に、特務参謀は軽く肩をすくめて見せた。
「ずいぶんな物言いだな。話せば分かるとは思わんか?」
「……テロを止めるという話なら聞くけど?」
「それはできない相談だな」
歌織はギュッと拳を握り締める。
「なら、交渉決裂ね」
同時に彼女の全身から、黄金色のオーラが溢れ出す。
「やれやれ、性急なやつだ」
首を振りながら、特務参謀は腰のナイフを引き抜く。
闇を塗り固めたような、真っ黒い刀身――。
「それは……?」
「デストルダガーだ」
長いブレードが、すすり泣くように震えていた。
刃は瘴気に覆われ、禍々しい波動をまき散らしている。
「どうだ、美しいだろう?」
恍惚とした表情で、特務参謀はダガーの背を撫でた。
その異様な姿に、歌織は思わず唾を飲み込む。
「感性の違いかしら。見ているだけでゾッとするわ」
「フッ。この程度でゾッとされては困る。デストルダガーは、まだ未完成なのだからな」
「未完成?」
白い仮面がこくりと頷いた。
「そう。だが間もなく完成する。お前と出会ったことで、真の刃が……」
赤い瞳が、狂気を帯びてギラギラ輝いていた。
刀身を覆うオイルが、水銀灯の下で鈍い光沢を放つ。
「よく分からないけど、何か悪いことを企んでいるようね」
「それは見解の相違だな。何が悪くて何が正しいかなど、ラズベリーの味を甘いと感じるか、酸っぱいと感じるか程度の差異でしかない」
歌織はキッと相手を睨み付けた。
「いいえ、違うわ。味の差異くらいなら譲り渡したっていい。けど……正義だけは……絶対に譲れない!」
二人の間で、目に見えない火花が飛び散る。
「なら、かかってくるか?」
「言われなくても!」
歌織は腕を交差させ、叫んだ。
「アイドルパワー・リリースッ!!」
同時に体内で、キネティックパワーが激しく巡り始める。
ゴオオオォォォォォ………!!!!
「ほう、それが貴様の力か」
溢れ出したエネルギーは、倉庫の壁をまばゆく照らす。
「いくわよ!」
歌織はグッと腰を落とし、勢いよく地面を蹴った。
ドンッ!
瞬間、彼女の身体は、一本の白い光の矢と化した。