ズバッ!
胸元を切り裂かれた歌織は、口から「ごぼっ」と血の泡を吐き出した。
「惜しかったな、あと一歩だったのに」
特務参謀が、冷たく言い放つ。
そばで眺めていた黒髪が、ニヤリと笑みを浮かべた。
「何だい、本当に残念そうじゃないか」
「そう見えるか?」
「見えるね。少なくとも嬉しくはなさそうだ」
皮肉めいた軽口に、仮面の参謀はフンと鼻を鳴らす。
「いずれにせよ、余興はこれで終わりだ。残りのヒーローズもさっさと始末して――」
カラン。
不意に、足元で乾いた音が響いた。
床の上で、小さな瓶がコロコロと転がる。
「これは……?」
怪訝そうにつぶやきながら、特務参謀はガラスの小瓶をつまみ上げた。
次の瞬間――、
「うっ!?」
突然胸を押さえ、特務参謀は苦しそうにうずくまった。
「ど、どうしたんだい!?」
慌てて黒髪が駆け寄り、顔を覗き込む。
乱れる呼吸、滴る汗。
二人の背後で、「……ふふ」とかすかな含み笑いが響く。
黒髪は振り返り、ハッと目を見開いた。
「お前、まだ生きて……」
崩れたパレットの中で、歌織がうっすらと笑みを浮かべていた。
「ようやく効いてきたみたいね、毒が」
「毒?」
「そうよ。斬られた瞬間、血と一緒に吐き出したの。遅効性だから、予知能力でも気付けなかったようね」
手も足も出せない歌織の、文字通り最後の奥の手だった。
黒髪が、奥歯をギリリと噛み締める。
「相打ち狙いなんて、卑怯じゃないか……」
「相打ちじゃないわ。キネティックシールドでナイフの軌道を逸らせば、致命傷は避けられるもの」
黒髪の腕の中で、特務参謀が激しく咳き込む。
「ゴホッ、ゴホッ! う……グボッ!!」
吐き出した血が、歌織の頬にピチャッと跳ねた。
「さあ、懺悔の時間よ……」
木片を落としながら、歌織はよろよろと立ち上がる。
「多くの人々の命を奪ってきた罰、いまここで受けるといいわ」
握り締めた拳が、金色の光を発する。
「はああああああああああああああ……!!」
大気が震え、風が巻き起こった。
エネルギーが凝集し、バチバチと電光を放つ。
「くらいなさいッ!」
カッ――――!!!!
「キネティック―――!!!」
だがその時――、
「く………くくくく」
―――――!?
不気味な笑い声が歌織の動きを押しとどめた。
「………何がおかしいの?」
訝る歌織の前で、特務参謀は可笑しそうに肩を揺する。
「く……くはは……は、は……は――ッ、ハッハッハッ!」
どこか狂気じみたその姿に、歌織はぞっと背筋を凍らせた。
「何……? どうして笑うの……?」
歌織の問いには答えず、特務参謀はやれやれと首を振る。
「まったく、とんだ甘ちゃんだな、お前は」
「え……?」
深紅の瞳が、ギラリと光を放つ。
「いつわたしが、数秒先の未来しか見えないと言った」
「――――!?」
口元の血を拭いながら、仮面の参謀がよろよろと立ち上がる。
「冥途の土産に教えてやろう。わたしのスキルは数分先の未来まで予知することができる。お前が遅効性の毒を放っていたことも、とっくにお見通しだ!」
「…………!!」
驚く歌織のかたわらで、黒髪がホッと胸を撫で下ろした。
「なんだ、驚かさないでくれよ。味方のボクまでだますなんて、ずいぶん意地が悪いじゃないか」
「フッ、意地が悪いのはお前のほうだろう?」
特務参謀が、ニヤリと口の端を持ち上げる。
「ポケットの中のモノを見せてみろ」
黒髪は一瞬首をかしげ、すぐに「ああ」と手を叩いた。
「これのことかい?」
そしてポケットの中から、小さなガラス玉のようなものを取り出す。
「どうだい、綺麗だろう?」
黒髪は、その球体を子供のように見せびらかした。
ビー玉を一回り大きくしたようなボールの中心で、鳶色の円環が輝いている。
「そ、それは……?」
尋ねる歌織に、黒髪は無邪気な声で答えた。
「あの子の『眼』だよ」
「―――――!!!?」
衝撃が全身を貫いた。
膝が震え、目の前がじわじわと暗くなっていく。
「そ、んな……、ウソ……でしょ……?」
「ウソじゃないさ。抵抗するから取り出すのに苦労したよ」
平然と答えるその声からは、まったく罪の意識を感じられない。
「う、うぅ……うあああああああああああ」
喉から嗚咽が漏れた。
感情が堰を切り、胸を突き破って一気に溢れ出す。
「許せない……許せない……ッ!!」
拳がギリリと音を立てた。
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない――
「許せないッ!!!!」
「うるさい」
ドス――。
え……?
歌織は放心したように自分の胸を見下ろした。
黒い刃が、みぞおちに突き立っている。
水平に傾けられた刀身は、骨の隙間をくぐり抜け、柄の部分まで深々と挿し込まれている。
ズルッ――。
「ごぼっ!!」
ダガーが引き抜かれると、口から血の塊が溢れ出た。
視界がぐらりと傾き、スローモーションのように崩れ落ちる。
ドサッ。
冷たい床が、肩を打った。
ひゅーひゅーと息を吐き出しながら、歌織は敵の姿を見上げる。
「う……あ………」
「最後に何か言い残すことはあるか?」
感情を伴わない声で、特務参謀が冷たく言い放った。
しかし歌織はうめき声を上げるだけで、もはやしゃべることができない。
特務参謀はやれやれと首を振り、ダガーを掲げた。
「さらばだ、ヒーローズのエースよ」
別れの言葉とともに、もう一度、ダガーを振り下ろす。
ズン!
歌織の手足が震え、床に脂っぽい血溜まりが広がった。
黒髪が屈み込み、歌織の手首にそっと触れる。
「……死んだよ」
特務参謀は、静かに頷く。
その瞳には、どこか寂しげな輝きが伴っている。
「……帰るぞ」
マントをひるがえし、仮面の参謀は黙然と歩き出した。
血なまぐさい倉庫に、カツンと軍靴の音が響き渡る。
と、その時、
パキン――!
白いマスクに鋭い亀裂が走った。
二つに裂けた仮面は、ウロコのように顔から剥がれ落ちる。
カラン――。
床の上で、破片が乾いた音を立てた。
「おっと、落としたよ。大事なものなんだろ?」
「……………」
渡されたそれを受け取りながら、特務参謀は最後にもう一度、振り返る。
「所詮は、ただの人間だったか……」
バツン――。
天井のライトが消えた。
倉庫が再び闇に包まれる。
「……さらばだ、歌織よ」
割れた仮面を懐に差し入れ、仮面の参謀は静かに戦場を後にする。
光を失った歌織の目は、軍服に覆われた背中を無言で見送っていた。
*
誰もいなくなった倉庫で、「パチン!」と指を鳴らす音が響いた。
同時に景色がぐにゃりと歪み、血だまりが煙のように消え失せる。
「うぅ……」
暗闇の中で、死んだはずの歌織が息を吹き返した。
かたわらにひざまずく菫色の髪の少女が、心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫、ですか……?」
パチパチと瞬きした歌織は、青白い頬に弱々しい笑みを浮かべた。
「……ありがとう、杏奈ちゃん。あなたのスキルのおかげで命拾いしたわ」
杏奈のスキル【VIVID イマジネーション】は、敵に幻影を見せることができる。
その能力は相手の五感をも支配し、ほぼ完璧な仮想現実を体験させることができる。
「大したこと……ないです。数分先の未来を、予知できるのなら……それ以上、だまし続ければいいだけ……」
起き上がろうとして、歌織は痛みに「うっ」と顔をしかめた。
「無理……しないで。最初に斬られた傷は、そのまま……だから」
「わたしは大丈夫よ。それより麗花ちゃんは?」
答える代わりに、杏奈は無言でうつむいた。
その瞳には、涙が浮かんでいる。
「そう……」
答えを察し、歌織は喉を詰まらせた。
あまりにも、あまりにもあっけない死だった。
目を閉じれば、瞼の裏に彼女の笑顔がよみがえる。
「わたしたち、また仲間を失ったのね……」
悲しげにつぶやく歌織の隣で、杏奈がぐっと拳を握った。
「けど……今回の戦いは、無意味じゃなかった」
そう言って、ポシェットから携帯端末を取り出す。
小型の液晶モニタには、見覚えのある人物の姿が映し出されている。
「これは……?」
倉庫にたたずむ黒い影。隣には、黒髪の姿も見える。
「……特務参謀?」
だがその顔には、いつものマスクが嵌められてない。
「さっき……こっそり撮っておいた」
写真を見て、歌織はごくりと唾を飲み込んだ。
どう見ても、これがあの冷酷無比なテロリストの正体だとは思えない。
だって、この人物は……。
画面に映る、あどけない面差しの少女。
彼女はかつて、「未来」という名の一人の少女だった。