第7話 ティアラ
東京が、燃えていた。
赤い光が雲を染め、灰がビルの谷間に降り注いでいる。
夜空は叫喚で埋め尽くされ、肉と物の焼け焦げる臭いが、熱風とともに海へ吹き流されていく。
「こっちよ、早く!」
若い母娘が、瓦礫の合間を縫うように駆けていた。
逃げ惑う二人の頭上を、可変翼の爆撃機が通り過ぎる。
ドド――――――――ン!!!!
直後、轟音が四辺を圧した。
爆炎が花弁のように広がり、めくれ上がったアスファルトが、光とともに天上へ吸い込まれていく。
偶然その場に居合わせた者は、波動が空気を伝わる様を目の当たりにしただろう。
割れる窓、傾く街路樹、転がる車。
破壊の波が、物理的な力をもって押し寄せてくる。
母親は、ぎゅっと娘を抱きかかえた。
その背中に、真っ赤な業火が――、
「―――――ハッ!?」
ベッドの上で、歌織はパチパチと瞬きした。
「ゆ、夢……?」
心臓がドクドク脈打っている。全身寝汗でびっしょりだ。
「ふぅ……」
思わずため息が漏れた。
ここが現実世界であることを思い出し、心の底から安堵する。
(これで何度目かしら……)
人工島での戦い以来、妙な夢に悩まされていた。見るのは決まって東京が火の海になる夢だ。
単なる悪夢ならどうと言うこともない。
だがその夢は、あまりにもリアルで、あまりにも実感を伴い過ぎていた。まるで恐ろしい未来を、直接この目で見てきたような……。
コン、コン。
ノックの音に、歌織はハッと振り返った。
「はい?」
「姉さん、起きてる?」
ドアの向こうから、妹がおずおずと呼びかけてくる。
「起きてるわよ、紬」
扉の隙間から、あどけない少女がちょこんと顔を覗かせた。
愛くるしいその姿に、思わず頬を緩ませる。
紬と出会ったのは8年前、デストルドーが起こしたテロ事件がきっかけだった。
両親の死に打ちのめされた姿が自分の境遇と重なり、以来、歌織が親代わりとなって面倒を見ている。
「姉さん、今朝はずいぶんゆっくりなのね。もう朝食できるてるわよ」
「ありがとう。けど、紬こそ無理しちゃダメよ。体調は大丈夫?」
心配する姉に、紬はそっと微笑み返した。
「ええ、大丈夫。今朝はなんだか気分がいいの」
紬は、常人であれば大なり小なり持っているはずのキネティックパワーを、ほとんど有していない。そのため、少しのことで体調を崩してしまう。
「それより姉さん、今日は10時から歌番組の収録でしょ? もう着替えないと間に合わないんじゃない?」
「あ……うん、すぐ準備するわ」
歌織はベッドから起き上がり、パジャマのボタンに手をかけた。
パサ――。
上着を脱ぎ捨てると、レースに覆われた豊かな乳房が露わになる。
へそからあばら骨にかけての曲線は見とれてしまうほど美しく、ほっそりした鎖骨と二の腕は、陽光の下で艶めかしく輝いている。
「ね、姉さん、ウチがまだいるんだけど……」
妹の言葉を気にも留めず、歌織はショーツをするりと脱ぎ捨てた。
牛脂のように白い太ももが惜しげもなくさらされ、紬は思わず頬を赤らめてしまう。
「ね、姉さんはヒーローであると同時にアイドルでもあるんだから、もう少し恥じらいというものを持たないと……」
「ふふ。大丈夫よ、こんな姿見せるの、紬だけだから」
まぶしい笑顔で答えられ、紬は何も言えなくなってしまう。
「姉さんは、ずるい……」
口をとがらす妹の頭を、歌織はくすくす笑いながら撫でた。
*
番組の収録は、午前いっぱいかけて行われた。
楽屋で休む歌織に、マネージャー代わりの紬がペットボトルのお茶を差し出す。
「お疲れさま、姉さん」
「あら。ありがとう、紬」
姉が飲み終えるのを待ち、紬は分厚い手帳を開いた。
「午後からは、雑誌のインタビューにドラマの収録ね。お昼は車中になっちゃうけど、大丈夫?」
「平気よ。お弁当、楽しみにしてるわ」
弱音の一つさえ吐かない姉の姿に、紬は気遣わしげな表情を浮かべる。
「姉さん、本当に大丈夫? 最近疲れてるんじゃない?」
「そんなことないわ。デストルドーとの戦いに比べれば、このくらい大したことないもの」
「そう………」
だが、紬は気付いていた。最近姉が、夜中にひどくうなされていることを。
「姉さん、本当に何かあったら言ってね。わたしだって、話を聞くことくらいはできるんだから」
「ありがとう。それじゃ、いざという時は――」
コン、コン。
ノックの音に、二人は同時に振り返った。
扉の向こうから、眼鏡をかけた女性がそっと顔を覗かせる。
「歌織さん、ちょっといい?」
手招きしているのは、「ストラテジー」こと律子だ。
アイドルヒーローズのブレーンでありながら、歌織たちをプロデュースする敏腕プロデューサーでもある。
「実は、これを見てもらいたいんだけど……」
彼女がバッグから取り出したのは、一通の封筒だった。
受け取った歌織は、中身を見るなりハッと息を飲み込む。
「こ、これは……ティアラ章叙勲の通知!?」
女性だけに与えられる勲章、ティアラ章。
この章を授与された者は「ベル・マシェリ」と呼ばれ、式典で純白のドレスを披露するのが通例となっている。
「まだ2、3か月先だけど、内々に連絡があったの。アイドルヒーローズの中ではファーストに続く二人目よ。おめでとう」
「すごい、姉さん!」
紬に抱き着かれ、歌織は目をぱちくりさせた。
「あ、ありがとう。けど、どうして急に……?」
「この間の作戦で敵の正体をつかんだでしょ。あれが決め手になったみたい」
「そう、ですか……」
どこか浮かない様子の姉を見て、紬が尋ねる。
「どうしたの、姉さん? 何か問題でも?」
「いえ、問題というわけではないけど、仲間を失ったばかりでこんな栄誉に預かるのは、ちょっと……」
すかさず律子が反論した。
「そんなこと言わないで。歌織さんがこの勲章を受け取ることは、あなたを支えた仲間たちの名誉を守ることでもあるのよ」
紬もうんうんと首を振る。
「それに姉さん言ってたじゃない。小さい頃からずっとお姫様に憧れてたって。その夢がやっとかなうのよ」
言われてハッと思い出した。
(そうだ。わたしはお姫様になりたくて、この仕事に……)
元々良家の子女だった歌織は、テロで両親を失って以来、長らく極貧生活に甘んじてきた。
だからこそ憧れた。ドレスに、プリンセスに――。
「お願い、受け取って姉さん。ね?」
紬がじっと見詰めてくる。
その純真な眼差しに抗い切れず、歌織も思わず頷いてしまう。
「そうね。分かったわ、つむ――」
――ザザッ!!
その瞬間、突然目の前がフラッシュを焚かれたように白くなった。
(なに、これ……?)
視界がくらみ、上下の感覚が消失する。
意識が遠ざかり、彼方へ吸い込まれていく。
――――!?
気が付くと、歌織は見知らぬ部屋に立っていた。
パイプベッドとサイドデスクだけの、殺風景な部屋。窓の向こうでは、黒い煙が立ち昇っている。
(ここは……?)
フロアの真ん中には、一人の少女がポツンと佇んでいた。
おとぎ話に出てくるお姫様のような、白いドレスを着た少女。
(誰……?)
少女がゆっくりと立ち上がった。
窓から吹き込む風が、薄いヴェールをそっとひるがえらせる。
サァ―――。
藤色の髪がこぼれ落ち、アクアマリンの瞳がきらりと輝いた。
美しい。
あまりの美しさに、思わず見とれる。
声をかけようとした瞬間、小さな唇が、そっと開いた。
「………やめて」
少女の眼から、涙がこぼれ落ちる。
透明な雫が、頬を静かに滑り落ちる。
「やめて……そんなことをしたら、もう………」
なぜ泣いているの?
あなたはわたしに何を伝えようとしているの?
歌織は手を伸ばした。
少女に触れようと、震える手を伸ばした。
教えて、あなたは……。
――ザザッ!!
「――はッ!?」
我に返った歌織の顔を、紬が不思議そうに覗き込んでいた。
「どうしたの、姉さん?」
慌てて周囲を見回し、ここが楽屋だということを思い出す。
「な、何でもないわ、紬……」
「本当に大丈夫? やっぱり疲れてるんじゃない?」
「心配しないで、平気だから」
優しく妹の頭を撫で、今度は律子のほうへ向き直る。
「ありがとうございます。わたしでなんかでいいのか不安ですけど、先方には『どうぞよろしくお願いします』とお伝えください」
「ええ、分かったわ」
前向きな返事に、律子は満足そうな顔で頷いた。
「わたしも歌織さんのドレス姿、楽しみにしてますからね」
嬉しそうに手を振りながら、彼女は足取りも軽く楽屋を後にする。
バタン。
閉じられたドアを、歌織はぼんやりと見詰めた。
(さっきのは、一体……)
知らない部屋、見覚えのない景色。
そして、ドレスを着た美しい少女……。
彼女の隣では、紬が怪訝そうに姉の顔を見上げていた。
*
収録が終わると、日はすっかり西に傾いていた。
仕事を終えた二人は、茜色に染まる街並みをゆったりと歩いていく。
「見て、姉さん」
紬がショーウィンドウの前で足を止めた。
「この宝石、姉さんの瞳の色にそっくり」
ガラスの向こうでは、緑の宝石をあつらえたネックレスがまばゆい光を放っていた。
歌織はふっと笑みを漏らす。
「グリーン・グロッシュラー・ガーネットね」
小さい頃、父がこの宝石を見て、同じことを言っていたのを思い出す。
『お前の瞳の色にそっくりだ。誕生日に買ってあげよう』
その約束は、デストルドーのテロによって永遠に果たされなくなってしまった。
「……本当に、素敵な色」
ショーウィンドウ越しに、歌織はうっとりと宝石を眺める。
これを首から下げたら、きっと純白のドレスに映えるだろう。
目を閉じれば、式典の様子が鮮やかに思い浮かぶ。
煌びやかなホールに、着飾った人々。その中心で、緑の宝石を胸に下げた自分が微笑んでいる。
背後に並んでいるのは、歌織の栄誉を讃えるヒーローズの仲間たち。
けど……、
歌織はポシェットの上から、そっと財布に触れた。
(あんな高価なもの、とてもじゃないけど手が出ないわ……)
アイドルヒーローズとしての報酬は、紬の学費と医療費に消えてしまい、ほとんど手元に残っていなかった。
式典にはドレスも必要だ。いまの家計では、一着用意するのが精一杯だろう。
「行きましょう、紬」
未練を断ち切るように、歌織はウィンドウから離れる。
妹に顔を見られまいと、うつむき加減でブティックを後にする。
「待って、姉さん」
コツコツと、ヒールの音が後を追いかけてきた。
歌織は振り返りもせず、華やかな通りを足早に過ぎ去っていく。
コツ、コツ、コツ、コツ――。
「危ない――!」
ドン!
「きゃっ!?」
誰かにぶつかり、歌織は歩道の真ん中で尻餅をついた。
「だ、大丈夫っすか……?」
スポーツキャップを被った男性が、申し訳なさそうに手を差し伸べてくる。
「すんません、急に飛び出しちゃって」
「い、いえ、わたしもちゃんと前を見てなかったから……」
立ち上がろうとする歌織を見て、男がハッと帽子のつばを持ち上げた。
「もしかして……アイドルヒーローズの歌織さんっすか!?」
「え……? あ、はい……」
「いやぁ嬉しいなあ! 俺ファンなんです!」
男は馴れ馴れしく歌織の手を握り、ぶんぶんと振り回す。
「そうだ、写真一枚いいっすか?」
後から追いかけてきた紬が、慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょっと! 写真は――」
「いいのよ、紬」
それを歌織がやんわりと制する。
「こうして支えてくださる方たちのおかげで頑張れるんだもの。写真くらいでしたら、どうぞご遠慮なく」
「さっすが歌織さん! まじリスペクトっす!」
調子に乗った男は、遠慮なくシャッターを切り始めた。
厚かましく肩に手を回されても、歌織は嫌な顔一つしない。
「もう、姉さんったら……」
隣で紬が頬を膨らませるのを見て、男がふとボタンを押す手を止めた。
「えーと、こっちは歌織さんの妹さんっすか? あんま似てないっすね」
言いながら、紬のほうへスマホのレンズを向ける。
スッ―――。
シャッターが切られる前に、歌織が二人の間へ割り込んだ。
「応援ありがとうございます。申し訳ありませんが、そろそろ時間ですので……」
にっこり微笑みながら、妹の腕を取る。
「行きましょ、紬」
「あ、姉さん……?」
そのまま有無を言わせず、歌織はすたすたと歩き出してしまう。
「今日はありがとうございました! 応援してますよ、歌織さん!」
有名人の名前を聞き、道行く人たちが驚いて振り返った。
ブティック街に、小さなざわめきが広がる。
歌織は一瞬だけ微笑み返し、逃げるように交差点の角を曲がった。
*
「ふぅ…………」
人目がなくなったところで、紬が大きなため息を吐き出した。
「びっくりした……。なんなん、あの人……」
「ごめんね、あなたまで巻き込んじゃって」
詫びる姉を見て、紬がパタパタと手を振る。
「ね、姉さんが謝ることじゃないわ。わたしこそ、脇が甘くてごめんなさい……」
歌織はくすりと笑い、妹の頭をそっと撫でた。
「いいのよ、紬。それに、あの人もわたしたちを応援する気持ちで声をかけてくれたはずだもの。だからあの人のこと、嫌いにならないでね」
「うん。姉さんがそう言うなら、わたし、あの人のこと嫌いにならない」
気が付くと、二人は自宅のマンションが見える丘の上を歩いていた。
夕陽が燃えるように輝き、ビルの稜線をくっきりと際立たせている。
歌織は立ち止まり、朱と紫が混じった空を見上げた。
「ねえ、紬。一つだけ、あなたに覚えておいて欲しいことがあるの」
「なあに、姉さん?」
ちょこんと首をかしげる妹の頬を、歌織は優しく包み込む。
「どんなことがあっても絶対に譲れないもの。それは……あなた自身の正義よ」
「正義?」
「そう。あなたの正義はどこにあるのか。それをしっかり見極めて、心に留めておいてね」
言いながら、歌織は紬の胸にトンと触れた。
その横顔は、夕陽を浴びて、オレンジ色に輝いている。
紬は姉の神々しい笑顔を、崇めるように見上げた。
(きれい……)
二人の視線が、降り注ぐ日差しの中で溶け合うように交わる。
「さあ、帰りましょう、紬。わたしたちの家に」
「うん」
並んだ背中が、アスファルトに長い影を落とした。
澄み切った空で、明星が二人を見守るように瞬く。
ヒュウ―――。
丘の上には、冷たい夜風が吹き始めていた。
姉妹は肩を寄せ合いながら、沈む太陽に向かって歩き出す。
「寒い………」
たなびく雲の彼方は、早くも濃い群青色に染まりつつあった。
*
薄暗い部屋の片隅で、男はチカチカと明滅するゲーミングモニタを覗き込んだ。
「ふぅ……」
長いため息が、机の上のティッシュペーパーを揺らす。
「やーっぱダメかぁ。期待したほど閲覧数上がんねぇなあ」
投稿した動画をチェックしながら、男は頭の後ろで腕組みをする。
モニタでは、私服姿の歌織が微笑んでいる。
「結局、幸せそうにしてる奴なんか見ても、全然面白くないってことか」
くるりと椅子を回し、男は背後の闇を見詰めた。
「けど……逆に言えば、幸せの絶頂にいるやつほど、落ちるのを見るのが楽しいってことだよな」
スナック菓子をバリッとかみ砕きながら、男は脂ぎった唇を持ち上げる。
「いっちょ仕掛けてみっか……」
その手には、間もなく開催されるアイドルヒーローズのライブチケットが握られていた。