ろうそくが揺らめいていた。
照明を落とした店内は子供向けのキャラクターで飾り立てられ、白いホールケーキは、真っ赤なイチゴで彩られている。
「紬、6歳のお誕生日おめでとう!」
頭に三角帽子を乗せた母が、包装紙でラッピングされた大きな箱を差し出した。
「開けてごらん」と父に促され、わくわくしながら、リボンを引っ張る。
いつも仕事で忙しいお父さんとお母さん。
この日だけは、わたしの好きなものを買ってくれる約束だった。
なのに……、
「あー! これじゃない!!」
箱を開けた瞬間、わたしは思わず叫んだ。
「え? どうしたの、紬?」
「違うの! これじゃないの!!」
予想と異なる反応に、母がおろおろし始める。
「え? けどこれ、前に紬が欲しいって言ってたジュエルボックスよ?」
「そうじゃない! 色が違う!」
「色?」
抗弁の意志を込めて、力いっぱい頷いた。
「お友だちのあーちゃんが赤で、わたしは青にするって約束だったの。これじゃ、あーちゃんと同じになっちゃう! だめ!! やだ!!」
幼い日のわたしにとって、それはとても大事な約束だった。
膨らんでいた期待が一気にしぼみ、ヒステリックな感情が湧き上がってくる。
「ご、ごめんね、紬。けど、お店にはその色しかなかったの」
「やぁーだぁー!! この色じゃない!! 青いのがいい!!」
喚き散らすわたしを見て、父の堪忍袋の緒がとうとう切れた。
「いい加減にしなさい、紬!!」
わたしはビクリと肩をすくめる。
「お母さんはね、忙しい中いくつもお店を回ってそれを見付けてくれたんだ。わがままを言うのも大概にしなさい!!」
日頃温厚な父に怒鳴られ、わたしはぐっと喉を詰まらせる。
「でも……あーちゃんと約束したんだもん」
「あきらめなさい。ないものはないんだ」
父の言葉が、火に油を注ぐ。
「やだ……やだ……だったらこんなの……いらないッ!!!!」
わたしはプレゼントを机から叩き落とし、ダッと外へ駆け出した。
「紬!」
父の声を無視し、自動ドアをくぐる。
「お父さんもお母さんも、大きらい!!」
とにかく一刻も早く、あの不快な場所から遠ざかりたかった。
周囲の視線を浴びながら、ショッピングモールを駆け抜ける。
途中、何度も転びそうになりながら、それでも人混みをかき分け走り続ける。
「ハァ、ハァ……」
どれくらい時間が経っただろう。
やがて息が切れ、わたしはハタと立ち止まった。
(ここ、どこ……?)
見たこともない場所だった。
背中をさーっと冷たいものが駆け抜ける。
知らない店、知らない人たち。
押し寄せる不安に、涙が込み上げてくる。
「お母さん? お父さん? どこ?」
元の店へ戻ろうにも、自分がどこから走ってきたか分からない。
このまま二度と両親に会えないんじゃないかと、不安がむくむく膨れ上がってくる。
「お母さん! お父さん!」
今度は打って変わり、両親の姿を求めて走り出した。
顔中涙でぐしゃぐしゃにしながら、無我夢中でショッピングモール内を駆け回る。
「お母さーん! お父さーん!」
何度も両親の名前を呼び、手あたり次第店を覗き込んだ。
しかし、二人の姿はどこにも見当たらない。
(もう家に帰れないの……?)
がっくりうなだれ、絶望しかけたその時、
「紬!」
天から光が差し込むように、母の声が聞こえた。
「お母さん!」
わたしはダッと駆け出す。
視線の先で、母が両手を広げる。
涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
もう二度と母のそばを離れるまいと誓った。
「お母さーん!」
母の姿が近付いてくる。
胸の奥から安心感が込み上げてくる。
「ごめんなさい、お母さ――」
その時――、
「紬、危ない!!!!」
ドゴオオォォオォオォォォン!!!!
突然視界を閃光が覆い、大音響がわたしの意識を刈り取った。
*
焦げ臭いにおいに、「う……」と目を覚ました。
息を吸い込もうとして、激しく咳き込む。
「……大丈夫、紬?」
喉と目の痛みに耐えながら、ハッと顔を上げた。
「お、お母さん!?」
そして絶句する。
母は、血まみれの姿でわたしの上に覆いかぶっていた。
服があちこち破れ、顔は煤で真っ黒だ。
「お母さん、どうしたの……? 何これ……?」
すぐそばで、火がパチパチと音を立てている。
周囲は瓦礫で覆われ、母の背中にもコンクリートの破片が積もっている。
「お、お父さんは……?」
「そこよ……」
瓦礫の隙間から、血の気のない腕がだらりと垂れ下がっていた。
手首にはめられている時計は、見慣れた父のものだ。
「お、お父さん、どうしちゃったの……?」
「大丈夫よ、すぐに助けがくるから。それまでじっとしてて」
訳も分からないまま、周囲を見回して何とか状況を把握しようとする。
だが、瓦礫に脚を挟まれて自由に動くことができない。
「熱い……お母さん、足が熱いよ」
「うん、熱いね。でも、もう少しの辛抱よ」
煙に混じって、肉の焼け焦げる臭いが漂ってきた。
瓦礫の隙間から、チロチロとオレンジ色の炎が見える。
閉塞感と恐怖で、わたしはパニックに陥った。
「お母さん、怖い! 早くここから出たい!」
すると――、
「そうだ、紬にいいものあげるわね」
ふと思い出したように、母は瓦礫の中からひしゃげた箱を取り出した。
「あそこのお店で見付けたんだけど、もう壊れちゃったかな……」
それは、わたしが欲しがっていた青いジュエルボックスだった。
「お誕生日おめでとう、紬」
煤だらけの顔で、母が微笑む。
「いつも一人にしちゃって、ごめんね紬」
母が謝るのを見て、わたしは無性に胸が苦しくなった。
「お母さん……ありがとう」
母は優しい笑顔を浮かべ、額をこつんと合わせる。
「お母さんね、本当はずっと、紬と一緒にいてあげたかったの。なのに、こんなものしかあげられなくて、ごめんね……」
くすんだ頬を、涙が伝う。
「ねえ紬、ここを出られたら、一緒にケーキを食べようか」
さっき食べ残した皿のことを思い出し、ぐーっとお腹が鳴った。
「紬はどんなケーキがいい? ショートケーキ? それともチョコレートケーキ?」
「わたしは……チョコがいい。お母さんは?」
「わたしは、紬が食べたいケーキがいいわ」
そう言って、母はにっこり微笑む。
優しいお母さん。
暖かいお母さん。
ここを出られるのなら、ケーキの種類なんて何だっていい。
もう一度、お母さんとお父さんと一緒に、あのお店で、テーブルを囲めたなら……。
「……あぁ、紬はこれからどんなお姉さんになるのかな」
母が、遠くを見てつぶやいた。
「小学校を卒業したら、中学生になって……高校に入れば、紬は可愛いからきっと彼氏もできるわね。それから大学生になって、大人になって……お母さんがお父さんからもらったみたいに、素敵な男性から婚約指輪をもらって。それから……それから……」
炎が母の横顔をオレンジ色に照らしていた。
耳元で火の粉が爆ぜ、パチパチと音を立てる。
「ごめんね、紬。あなたに寂しい思いをさせちゃって」
黒く汚れた指先が、わたしの頬を撫でた。
「本当に……本当に、ごめんね……紬………」
嗚咽が、喉を震わせる。
大丈夫だよと言いたいが、なぜか言葉が出てこない。
悔悟の念ばかりが、あとからあとから湧いて出てくる。
すくってもすくっても、すくい切れないほどの後悔が胸を覆う。
「ねえ、お母さん……」
わたしは謝ろうとして、母に声をかけた。
「お母さん……?」
「……………」
だが返事がないことに気付き、ハッと顔を上げる。
「お母さん!? ねえ、お母さん!」
慌てて肩を揺するが、母はうんともすんとも答えない。
「お母さん! ねえ、お母さん! 起きて! お願い! ねえお母さん!」
わたしは必死に声を上げた。
何度も何度も肩を揺すった。
だがその呼び声は、炎の中に虚しく吸い込まれていく。
「ねえお母さん! お願い、目を開けて! わたしいい子にするから! もうわがまま言わないから! お願い、目を開けて!!」
つらくてつらくて、心が折れそうだった。
胸が引き裂かれ、心臓をえぐられるような痛みだった。
それでも声を振り絞り、必死で母に懇願する。
「お母さん! 起きて!!」
叫びながら、悲しみと怒りが込み上げてきた。
誰に対してでもない、自分自身への怒りだ。
腹の底から、抑えがたい感情が湧き出してくる。
血液が煮えたぎり、マグマのように全身を駆け巡る。
それは熱を帯び、炎となり、身体の内側から迸り出る。
「起きて、お母さん! お母さん……お母さん! お母さあああああああああああんッ!!!!」
カッ――――!!
ドオオオォォォォオオォオォォォン!!!!
突如、大爆発が起こった。
瓦礫が紙屑のように吹き飛び、爆風がフロア内を吹き荒れる。
立ち上がったわたしは、呆然と自分の姿を見下ろした。
全身が発光している。
力が湧き出てくる。
それはとめどなく熱を発し、身体をじりじりと焼き焦がす。
「熱い……熱いよ………」
すぐ近くから、パチパチと何かが燃える音がした。
「ああッ!?」
燃えているのは自分の服だと気付き、慌てて手で払う。
ボワッ!
だが触れた先から炎は燃え広がり、消えるどころかますます勢いを強めていく。
「熱い! 熱い! 誰か、助けて!!」
思わず悲鳴を上げた。と、その時。
――誰かいるの!?
どこからともなく、女の人の声が聞こえた。
反射的に、わたしは「ここ!!」と叫び返す。
――いま行くわ!
声の主はタッと駆け出し、やがて黒煙の向こうから、不思議なコスチュームを着た女性が姿を現した。
「大丈夫!?」
その女の人は、白いセーラー服に、紺色のマントを羽織っていた。リボンの上で、鳥を象った金色のブローチが輝いている。
「う、あ……熱い」
「あなた……それ、キネティックパワー……?」
彼女はわたしの姿を見るなり、ハッと息を飲み込んだ。
言葉の意味が分からず、とにかく必死で助けを求める。
「お、お姉ちゃん、熱いの……助けて」
「大丈夫よ。キネティックパワーはあなたの心そのもの。気持ちをコントロールすれば、すぐに収まるわ」
「そ、そんなこと……できない」
即座に否定した。
だって、できるわけがない。
わたしのせいで、お母さんとお父さんは死んでしまったんだもの。
きっと二人とも怒ってる。
わたしのせいで死んじゃったことを、すごく怒ってる。
「そんなことないわ。わたしを信じて、ね?」
「無理よ!」
もう一度、吐き捨てるように叫んだ。
そう、無理に決まってる。
だって……だってわたしは、わたしに対して怒っているもの。
自分を殴りつけたいほど怒ってる。
自分を踏みつけてやりたいほど怒ってる。
自分を殺してやりたいほど怒ってる。
わたしはわたしを許せない。
身が張り裂けてしまいそうなほど許せない。
心が焼け焦げてしまいそうなほど許せない。
許せない。
許せない……許せない……、
絶対に…………許せない!!!!
「う、うぁ……ああああぁぁぁ!!!!」
光が爆発的に膨れ上がり、暴走したエネルギーが一気に溢れ出した。
炎が身体を包み込み、渦となって巻き上がる。
「ま、まずいわ……このままじゃ………」
セーラー服の女性が、じりっと後ずさった。
わたしの身体はますます熱くなり、いまや耐えがたいほどの高温を発している。
「仕方ない、こうなったら……」
突然女性がマントを脱ぎ捨て、わたしの身体をガバッと抱きしめた。
(――――!?)
「……な、にを……?」
「わたしのキネティックパワーで、あなたの力を抑え込むの。ちょっと苦しいかもしれないけど、少しだけ我慢してね」
言うと同時に、女性の身体が強烈な光を放った。
カァァァァァァァァァ―――――!!!!
同時に、高圧電流を流されたような痛みが走る。
「あ……ぎああああああああああ!!!!」
たまらず悲鳴を上げた。
「痛い!! 痛いよ!!」
「大丈夫、すぐに収まるから」
女性の腕は、ガッチリとわたしの身体を抱え込んで離さない。
必死に拘束から逃れようとするが、万力のような力で固定され、びくともしない。
「もうやだ!! やめて!! こわい!!」
「大丈夫、怖くないわ。この力はね、あなたのお父さんとお母さんが、あなたを守るために授けてくれたものなの。だから、受け入れてあげて。吐き出すのではなく、あなたの心の中に」
キィィィィィィィィィ―――ン!!
気が付くと、身体の熱がゆっくりと下がり始めていた。
痛みも徐々に収まり、次第に心地よい感覚へと変わっていく。
「……いい子ね」
優しい手が、そっとわたしの頬を撫でた。
「もう疲れたでしょう? 少し休むといいわ」
そう言って、女性はわたしの知らない歌を歌い始める。
「―――――♪」
その旋律は、鳥のように自由で、風のように伸びやかだった。
遠ざかっていく意識の中で、わたしは思う。
ああ、この人は本物の天使なんだ……と。
そして、わたしはゆっくり意識を手放した。
*
眠りに就いた少女を、歌織はそっと床の上に横たえた。
「もう大丈夫ね」
全身を取り巻く炎は消え、いまは静かに寝息を立てている。
「ん……?」
ふと見ると、傍らに二つの遺骸が並んでいた。
「可哀想に、ご両親ね……」
うつ伏せに横たわる女性は、腹部を太い鉄筋で貫かれている。そばで倒れている男性の背中にも、無数の金属片が突き刺さっている。
二人とも、爆発の瞬間、身を挺して娘を守ろうとしたのだろう。
(安らかにお眠りください。お嬢さんは、わたしが必ず助けてみせます)
パチパチ……。
炎が爆ぜる音に、歌織はハッと顔を上げた。
すでにフロアは火の海と化している。ぼやぼやしていると、逃げ遅れてしまう。
(早くこの子を安全な場所へ運び出さないと……)
だが少女の柔らかな頬に触れた瞬間、歌織は思わず息を飲み込んだ。
「つ、冷たい……!?」
慌てて脈を確かめる。
(止まりかけている……! それに、キネティックパワーもほとんど感じられない!)
急に、どうして……?
(まさか、無理やりエネルギーを抑え込んだから……?)
しかし、エネルギーを抑え込んだだけで体内のキネティックパワーが消えてしまうなど、聞いたことがない。
(となると、まさか……)
一つの可能性に思い至り、歌織は少女の上着をまくり上げた。
そして、ハッと頬を引き攣らせる。
「やっぱり……」
少女の胸からは白い骨が飛び出し、鮮血がシャツを赤く染めていた。