しばらく誰も動かなかった。やがて麗奈がバッグからスマホを取り出して、ホームボタンを押した。
「とりあえず、1時間計るわ」
そう言いながら、みんなの前でストップウォッチを起動する。すでに数分過ぎていたので、58分からスタートした。これが0になった時、殺される誰かを選ばなくてはならないと思うと体が震えた。
麗奈がホーム画面に戻した時、奏が「あれ?」と呟いて首を傾げた。壁紙は麗奈と久美子のツーショットで、その上にいくつかアプリのアイコンが並んでいる。何か不思議な点があっただろうかと思ったら、奏が画面に触れないように指を差した。
「日付が明日になっていますね。高坂先輩、未来から来たのですか?」
言われてみると、カレンダーアプリのアイコンが明日の日付になっていた。麗奈も今初めて気が付いたように瞬きしてから、顔を上げて奏を見た。
「よく気付いたわね。貴女がしたんじゃないの? 私のスマホのパスコード、知ってるでしょ?」
麗奈のスマホのパスコードは、久美子の誕生日が設定されている。確かに奏も知っているが、麗奈はそんなにセキュリティーを意識しておらず、奏しか知らないという情報でもない。
「そうする意味はありませんし、高坂先輩がずっと持っているスマホの時計を、どうやって私がいじるのですか?」
奏が逆に問いかける。
「部活の最中はスマホ禁止だから、スマホはバッグと一緒に入れてあったわ」
「そうだったんですね。言われてみればそんな気もしますが、少なくとも私はそれを失念していました」
奏の言葉に嘘はなさそうだが、奏は芝居が上手だ。ただ、麗奈の時計をいじる意味がないのもまた事実である。
「高坂さん、未来から来て、何か過去を変えようとしてるとか」
希美が明るく笑いかけたが、その目は真剣そのものだった。真顔で言う台詞でもないが、梨々花が殺されるという非現実なことが起きた今、未来の麗奈がタイムマシーンを発明して、今ここで起きた事件を解決するために戻ってきた可能性も捨て切れない。
そうだとしても麗奈が犯人というわけではないので、気楽にそう言いながら、麗奈は犯人を知っているのではないかと聞くと、麗奈は呆れたように肩をすくめた。
「日付は明日よ? 今から24時間で、私がタイムマシーンを作るの?」
「戻る日付を1日間違えたとか」
「それなら明日に戻ってるわ。とにかく、このくだらない議論に時間を費やすのは得策じゃない。疑ってくれても構わないけど、私は他の証拠を探しに行くわね」
そう言って麗奈が立ち上がり、音楽室を出て行った。その背中をすぐに希美が追いかけて、久美子は奏とみぞれの3人で音楽室に残った。
血まみれで首をひねっている奏と、いつも通りぼんやりした表情で座っているみぞれを見ながら、久美子も一度情報を整理するために椅子に座った。
犯人は4人の中にいる。一番疑われているのは奏だろうが、動機が思い当たらないし、麗奈が来なければ久美子と一緒に楽器室に行っていたはずだ。梨々花を呼び出していたようには思えないし、恐らく犯人ではないだろう。
動機があると言えば、麗奈が楽器を蹴られたと言って怒っていた。聞き忘れたが、それは一体いつのことだろう。教室に戻って来たすぐ前ではないだろうから、麗奈のその情報は梨々花がいつ殺されたかを知る手掛かりになる。もっとも、麗奈が本当のことを言うとは限らない。
目下、久美子が一番違和感を覚えているのはみぞれである。何故この人はジャージを着ているのだろう。今の状況を考えると、返り血を浴びて着替えたと考えるのが妥当だ。
希美はわからないが、動機がないことはない。希美はみぞれと仲が良いが、梨々花が入部してからみぞれは梨々花にべったりで、希美といる時間が少なくなっている。希美が嫉妬で殺した線は拭えない。それに、髪を縛っていなかったのも事件と何か関係しているかもしれない。
「4人の誰か……」
ぽつりと呟くと、みぞれが不思議そうに首を傾げた
「4人?」
「先輩たちと、麗奈と奏ちゃんですが」
「黄前さんは?」
そう言われて、久美子は思わず目を見開いた。自分も容疑者の一人だなどと考えもしなかったが、確かにみぞれや希美からしたら、久美子が犯人である可能性もあるのだ。
「久美子先輩は違うと思います。音楽室に来る前もずっと二人で練習していましたし。つまり、私も違います」
奏がへらっと笑ったが、みぞれは一切表情を変えずに久美子を見つめた。
「今日17時くらいに、梨々花ちゃんと二人で話してた。久石さんと練習を始めるよりも前」
「それは……」
久美子は思わず言葉に詰まって視線を落とした。隣で奏も、初耳だと久美子を見つめる。
確かにみぞれの言う通り、久美子は梨々花と17時頃、二人で話をしていた。梨々花から黄前相談所の開設をお願いされたのだが、内容はみぞれと上手くいかないという相談だった。
みぞれは少し取っ付きにくいがいい人だし、大丈夫だと励ましただけで、事件とは一切関係がない。ただ、梨々花にこのことは内緒だと言われていたから、思わず言い淀んでしまった。
今さら隠しても疑われるだけだと、ありのままを伝えると、奏がポンと手を打った。
「ああ、梨々花がそのことを悩んでいたのは知っています。黄前相談所を勧めたのも私です。梨々花がそれを今日相談していたのは初耳でしたが」
「ふーん」
みぞれがまったく信じていないように相槌を打った。本当のことしか話していないが、みぞれの立場なら、二人が口裏を合わせているようにしか見えないだろう。奏もかばってくれるのは嬉しいが、今は逆効果になっている。
「それより、みぞれ先輩こそ、制服はどうしたんですか?」
今度は自分の番だと、ストレートに聞いてみた。明らかにジャージでいるのはおかしいと指摘すると、みぞれはまるで動じることなく言った。
「暑かったから脱いでたらなくなった。仕方ないからジャージを着てた」
「いや、脱いでるって、普通じゃないですから」
「よく言われる」
隣で奏がくすっと笑った。確かにみぞれは普通ではない。普通ではないが、流石に制服は脱がないだろう。
「疑うわけではないですが、失礼します」
なりふり構わずみぞれのバッグを開けてみたが、制服は出て来なかった。久美子はもうここには用はないと立ち上がった。
教室を出ようとしたら、丁度麗奈と希美が戻ってきた。希美に聞かれていいかわからなかったので、麗奈の腕を引っ掴んで希美と距離を置く。
「麗奈。梨々花ちゃんに楽器を蹴られたのはいつ? 疑ってるわけじゃなくて、時系列が知りたい」
「17時半くらいだったと思うわ。みぞれ先輩はどうだった?」
「わからない。今からみぞれ先輩の制服を探しに行く。あのジャージは明らかに不自然だよ」
久美子はそう言いながら、廊下を早足で歩き出した。麗奈も一緒に行くと言って隣に並ぶ。本当は一人で行きたかったが、仕方ない。今一人で動くのはあらぬ疑いをかけられるだけだ。
「希美先輩とは何を話してたの?」
限られた時間の中で少しでも情報を引き出そうと思い、歩きながら聞いてみた。麗奈は難しい顔で唸った。
「楽器を蹴られた話と、その時間は言ったわ。仮に犯人があの二人のどっちかだったとしても、二人が結託したら、私たちの誰かが殺される可能性が高くなる。いえ、はっきり言って、私が狙われる可能性が高いわ」
「どうして?」
「アリバイがなさすぎる。ずっと一人でいたから。関係者の中で唯一遭遇した剣崎さんが被害者だから、誰も私の潔白を証明できない」
「トランペットの音はずっと聴こえてた」
「ずっとって言っても間はあったはずよ? それは潔白の証にはならないし、先輩二人に指を差されても殺されないようにするには、私たち三人が誰か一人を指差す必要がある。そのためには、証拠が必要だわ」
麗奈の表情に焦りの色が浮かぶ。その横顔を見つめながら、久美子は小さく唇を噛んだ。
麗奈は久美子を信用している。久美子が犯人だと疑っていないし、仮に久美子だったとしても、もしかしたら指を差さないかもしれない。
だが、久美子は麗奈のことも疑っている。麗奈が犯人ではないと信じているが、もし麗奈が犯人だったとしても、平等に指を差そうと思っている。梨々花を殺したのなら、その時点でもう、麗奈は久美子の好きな麗奈ではなくなる。
1年生の教室に行ってみると、そこには梨々花のバッグが残されていた。有力な手掛かりがあるかもしれないと思い、二人で慎重に開けてみる。
果たしてそこには、1着の制服が入っていた。広げてみると、しっとりと汗の湿り気はあったが、それ以外の汚れはなかった。
二人でごくりと息をのみ、名前を確認してみる。案の定それは、みぞれの制服だった。