出したかったけど出せなかったとある人物ですが、いっそのこと出してしまうという手を。
ふと、心地よさを感じて一人の男が目覚める。
ナイカ大佐と呼ばれる、フィンランドでは「青服」等と呼ばれる英雄であり、ニコライスタッドと今は呼ばれる都市――ヴァーサ市には銅像も建てられているような、そんな人物であった。
が、彼はホールリン中将兵站局長の副官として補佐し、その外孫が北ローマ帝国党の結党をすると聞けば全てを整え、フィンランドでは義勇軍を率いて崩壊寸前の兵站を完全に再建しきった人物であった。
が、兵站の裏で武器弾薬の横領を隠蔽、粛軍が始まる前に退職しフィンランドに同胞を逃がし、フィンランドで内戦が起きるや否やその『同胞』をヴァルハラ送りにした。プレゼントに鉛弾と硫酸を添えて……
とまあ、なかなかに小汚ない側面もあった。が、彼はホールリン中将への忠誠は今も――
半月前に体調を崩し、病院に緊急入院し、先日から昏睡してもあった。
その忠誠とホールリン中将への恩義はその外孫に向けられ、その帰結として欧州は、20年以上の平和を謳歌していた。
そんな彼には、内心思っていたことがある。それは、「俺は死んでもヴァルハラには行けないだろうし、『お前ら』もそれを望んじゃいないだろう」ということだ。
故に、今目覚めた場所が一面の花畑であることを、特段気にはしなかった。
「ヴァルハラじゃないのはいいんだよ。にしてもここはどこだ?ポピーにタンポポ、スミレに……スズラン?おいおい、中毒なんか起こしたらどうするんだ全く……」
そう言いながら、黒い髪を軽くかく。
服装はいつもの青いツナギであり、着慣れたそれはトレードマークでもあった。
そして、いく当てもない故にゆっくりと歩き出す。忙しかったあの頃とうって変わって。
――いくら歩いたか、体感で数刻過ぎた筈なのに一向に変化はない。歳故の僅かな疲労もなく、只歩き続けると人影を発見する。
その背中にナイカは見覚えがあった。
「……中将」
ホールリン中将。かつての上官にして兵站局長、エンシェーピング男爵、彼がロマノフスキーを守ってきたのは中将への恩に報いるため。だが、彼は四半世紀以上前に亡くなっていたはずだが?
そう考える前に、その人物はこちらを見据え、歩み寄ってくる。
だんだんと近づいてくるその顔は、人民連合内閣に対して皇道党、ヴァルデゴードの部下の一部がクーデターを起こした際のそれでも、亡くなる直前の怒りに満ちたそれでもなく、己の王国を楽しんでいた時のそれとも違う、言うなれば土産話を欲しがるそれであった。
「久しぶりだなナイカよ、息災であったか。それでも――」
ここで言うのは滑稽だな、と述べ、二人は軽く笑う。
互いの腹の中はわかっている。こういう人だったな、と往年の記憶が色を取り戻しつつある。
そして、一息つくと老中将はこう言った。
「さて、余の家はどうなった?」
「中将、ちゃんと残っている。そのあたりは安心してくれ」
「そうか、当主は誰がやっている?エミールは外孫故にその位置とは遠い、ニコライには才がない、かといってヴィルヘルミナに欲はない……どれにしても苦難があるが……」
「そのへんは単純だ。家督はニコライだが実権はエミールが取ってる。そのためにヴィルヘルミナはエミールの保護下に置かれたんだが……」
「まあ、最適解としてはそうなるか……であれば、家は安定しているな?」
「ああ、軍人は出なくなったが名家としてしっかり残ってる」
「ふむ」
いささか残念そうな顔をしつつ、その老中将は言葉を繋ぐ。
「……ところで、あの二人はどうなった?まさか余を切り捨ててのうのうと参謀総長の座を取り合ってたりはしておらぬな?」
「……スウェーデンボリも、エーデルフェルトも、ヤールベリも、ましてやあの二人も全員『飛ばされた』」
悪辣な、喜び混じりの笑いが響く。結局、自分が死ぬよりもあの二人が参謀総長の椅子に座れなかった方が、この人にとってはいいのだろう。
ナイカは、もしあの二人が組んでさえいれば大蜘蛛であろうが、三巨頭であろうが、あるいは麗しのジャーナリストであっても勝てたと考えていた。
だが、現実はそうならなかったのだからこの話はおしまいだな、と考えながら話を戻す。
「知ってる範囲だが首になる流れを話せるが……どうする?」
「頼む」
即答、だがまあ、こういう面があった故に下との距離感の差がなかったのだろう。
その結果がアレなのは言うまでもないが……
カッカッカッ、露骨に嬉しそうな笑いが響く。外務大臣になっただの、元帥になっただの、公爵になっただの、副党首になっただのはどうでもいいらしい。ただ、あの二人が参謀総長になれなかったという、その一点に注意が向けられていた。
「……さて、あんたが死んだ後の世界がどうなったか知りたいか?」
「一応聞こう、財を成しただの言われてもな、あの二人の顛末も知りたい」
笑いとは別に、ほんのりと鴉のような目になる。
これも懐かしいな、と考えながら、話し出す。
宗教団体のジャム屋が流行ったこと。
ノルウェーに壊滅状態の軍が進駐し、最終的にノルウェーを併合したこと。
反動主義者が現れ、支持を得て、ニコライもそこに入っていたこと。
ノルウェーの次はフィンランドを、再建途中の軍が自動車で走り回ったこと。
ロマノフスキー率いる政党の結成に、多大な貢献をしたこと。
ベルナドットの王が北欧全体の王から下ろされ、麗しき者に変わったこと。
その片棒を担いだのは、反動主義者から進歩主義者まで様々であったこと。
戴冠式がラプアに汚され、フィンランドが三つ巴の内戦に陥ったこと。
スウェーデン、スカンディナヴィアは、中将の生きていた頃とは全く違う、工業大国になったこと。
大陸の覇者となったフランスに宣戦布告、数年間の戦争の果てにそれを屈服させ、欧州の新たな覇者になったこと。
そして――
「あんたの外孫、エミール主導で欧州には平和が訪れた。何でも試してみるもんだ」
「……そうか、立派になったものだ。が、軍人としての名声でないのが些か残念だが……」
「まだ言うか、政治家ロマノフスキーの祖父、ということで中将、あんたも名を遺せたわけだ。俺の名の残り方はある意味あんたの理想だろうが、仕方ないしな」
「……ん?名を遺したのか」
「ああ、あいつの命でフィンランドに飛んで兵站をだな……遠慮しないで(仕事を)入れられて、大変だった」
「本職、か」
「ああ……本職だ」
二人は揃って笑う。
二人とも本職、兵站将校としての仕事にかまけて、政治に少し関わりすぎていた。そう、自嘲気味に笑う。
上司と部下等というものは最初からなかったように。
……そもそも、二人とも本物なのでしょうか?
死んだら性格が変わるとかありえそうなので、そちらも考えておきたいところ。
生前の中将の行動、他の将官たちの顛末は別の方が書いているので、今しばらくお待ちを。
最後に一言
『沈黙して利己心を捨てて義務を遂行する』