何かがおかしい。
そんな奇妙な違和感に気づいたのはいつからだったろうか。
ふとした瞬間に私の胸の中には淡いときめきがあった。
一方で、ベッドからの眠りから目覚めた私は涙を流し、出所不明の悲しみと寂しさにむせび泣く。
自分自身が理解できない。
そんな混乱する私を彼は優しく元気づけてくれた。
たったそれだけ、たったそれだけがきっかけで私は”私”になった。
そうして、私は”私”を肯定する。
その時から、この世界に対する違和感は無くなった。
そんなある日、私の前に”ソレ”が現れた。
無警戒にも”ソレ”に触れてしまった私は、この得体の知れない”ソレ”の扱い方を瞬時に理解した。
だからこそ、私は”ソレ”を天に掲げ、呪詛を吐くようにポツリと呟いた。
「この傲慢なる神々に裁きの鉄槌を!」
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「んっ……」
眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気がついた。
「涙……?」
何故か、私の両目からは涙がポタポタと流れていた。それを無作法に袖で拭いながら上半身を起こす。恐らく、怖い夢でも見たのだろう。夢の記憶は一切ないが、さっさと起きる事にしよう。何より、早く顔を洗いたかった。
それから、ゆっくりとした足取りで私は朝食が用意された部屋へと向かう。部屋に着くと小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼はにんまりとした満面の笑みを浮かべた。
「おはよう、ララティーナ」
「おはようございますお父様」
「うむ、やはりと娘と一緒に食べる朝食は最高だ」
「御戯れを……」
微笑みながら冗談を言う父の言葉に嘆息しつつ、私は手近なパンを取ってもそりもそりと食べ始める。そんな私の横にポットを持ったメイドが現れる。一瞬、見慣れない顔のメイドだなと思ったが、その所作がどこか初々しい事から自然と察する。この娘が最近新しく雇われたというメイドなのだろう。
「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」
「ああ、頼む」
「それでは……ってわひゃあ!?」
緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポットを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注いだ。メイドはコーヒーまみれになった私を見て青い顔をしながらへたりこんでしまった。その姿に私はくすりと笑ってしまった。
「ふふっ、気にするな。こういう失敗は誰にでもあるものさ」
「で、ですがお嬢様……火傷は……お怪我はありませんか!?」
「安心しろ、この程度では私に傷一つつけられない。ああ、別にそんな死にそうな顔でタオルを押し付けなくてもいい。どうせこの後はシャワーを浴びて着替える予定だったんだ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「それより、君こそメイド服を着替えてくるがいい。私と同じくコーヒーまみれだ。私とお父様は何も言わないが、ここのメイド長は口うるさいからな」
「ご……ごめんなさいいい!」
ぺこぺこと頭を下げながら凄い勢いで退出して行くメイドを眺めながら、私とお父様は同時に笑ってしまった。それから、お父様はこほんと息をついてからこちらを心配するような顔を向けてきた。
「ケガはないか?」
「もちろん。この程度の熱さじゃ火傷になりませんよ。でも、あのメイドは将来有望ですね。いきなり私好みの辱めを与えてくるとは……あんな初々しい顔立ちなのに本当はゲスの鬼畜で……興奮してきた!」
「ララティーナ……」
お父様が何故か娘に向けちゃいけないような絶望の表情を浮かべているが、これもいつもの事だ。それから手早く食事を終えた私はさっとシャワーを浴びて汚れを落とす。次にどんな衣服を着用すべきかだが、今日は非常に迷った。いつもは動きやすいインナーと鎧を着る所であるが今日は少し趣を変えようと考えていた。
「今日からめぐみんはいないんだよな」
そう独り言ちてから、その事実が私に一抹の寂しさを与える一方で何とも言えない感情が胸中に吹き荒れる。昨日、めぐみんは紅魔の里へと帰郷した。少なくとも2週間は滞在するだろうと彼女は告げていた。それは、今日からあの屋敷にいる鬼畜男の事を半ば独占出来る事を意味していた。
思わず火照ってしまった顔を冷却するため、私は洗面台の水を顔に打ち付けた。今更な話だが、私は冒険仲間である鬼畜男……カズマに恋心を持ってしまっている。だが、気づけば始まってしまっていた彼へのヒロインレースにおいて、私は一歩……いやかなりの差をめぐみんにつけられている。最近、あの男とめぐみんの距離が今まで以上に近くなっているのは嫌でも自覚している。だが、ここで勝ちを譲るわけにはいかない。私も、あの男にどうしうよもなく”イカレ”てしまっているからだ。
私は両手で頬を叩いて気合を入れ、深紅のレースがあしらわれた下着を身に着ける。それから、白を基調としたブラウスと明るい緑色のフレアスカートを身に着け、意気揚々と家を出た私はあの男がぐうたら過ごしているアクセルの街の屋敷へと足を運んだ。
見慣れた屋敷の玄関を私はさっと通り抜け、リビングへと向かう。そこにはやはり、私の意中の相手であるサトウカズマがいた。だが、その姿を見て私は思わず嘆息した。
「よう、ダクネス。今日は冒険なんて行かないからな」
「私が何か言う前にそれか」
「当たり前だろ。この魔王を倒しちゃって億万長者になったカズマさんに、ダクネスは毎日のように木っ端なクエストを押し付けてくるからな。だからもう一度言う。俺は冒険には行かない」
「カズマ……貴様はもっとこう……英雄として困ってる人を助けようとかそういう気概はないのか?」
「うっせーよ! そういう金にならない仕事は他の冒険者にやらせりゃいいんだ。俺みたいな英雄は新たな脅威のために英気を養わなければならない。だから、こうして俺が身体を休めるのは仕方のない事なんだ」
そういってドヤ顔を浮かべるカズマは、ソファにだらしなく寝転がり毛布にすっぽりとくるまっている。近くに置かれた小さなテーブルには酒瓶と食い散らかしたイカの干物が転がっている。その姿を見て、私は思わず何故こんな男に惚れてしまったのだろうという考えが浮かぶが、それをすぐさま振り払う。この男はいつもこんな感じではあるが、色んな意味でやる時はヤる男なのだ。
「それはそれとしてだが……アクアはいないのか?」
「アイツは朝から用事があるとかでアクシズ教会に出かけてるよ」
「そう……か……」
それを聞いて内心でほくそ笑んでしまう。実は私にとってアクアは非常に警戒すべき対象なのだ。今まではそんな事を思いもしていなかったが、魔王討伐後からカズマに非常にべったりとくっついているのだ。それは彼が屋敷にいる時だけでなく、彼が外に出かけた時もその後ろにちょこちょこついていく姿をすでに何度も目にしている。それを見れば、私だって嫌でも理解できる。あのアクアも何故だかこの男にイカれてしまっているようだ。
「なあカズマ、私は今日は別に冒険に誘いに来たわけじゃない。ちょっとその……別のお願いをしようと思っているんだ」
「ほう、そのお願いとやらを言ってみろ。お願いを聞くかどうかは聞いてから考える」
「くっ……いいだろう。私も覚悟を決める」
半目でこちらを見てくるカズマの前で私はこほんと息を整える。それから自然と火照る頬をそのままに、私は勇気を振り絞った。今日は正に私にとってのチャンス。勝利への”チャンス”なのだ。
「私とデートして欲しい」
緊張により声はかすれてしまった。しかし、私の言葉は伝わったはずだ。カズマは耳まで真っ赤にした私の姿にポカンとした表情を浮かべる。それから、頭を掻いてからゆっくりと身体を反対にしてこちらに背を向けた。
「誰が行くかバーカ」
返答はその一言だけであった。私の顔の火照りは一瞬で霧散する。それから両足から力が抜け、気が付けば床に両膝をついていた。自然と目の奥からジンジンとした熱いものが零れ落ちる。自身のあまりの情けなさに恥じる一方で、私の中の冷静な部分は仕方のない事だとどこか冷めた目で見ていた。
「ぐすっ……ひっぐっ……」
「おいおい、泣き真似はよせ。お前、この前もそんな事言って俺を外に引き釣り出して……」
「ひぅ……」
「マジかよ」
情けなく床に臥せっていた私の身体をカズマが抱き起してくれた。それから、手元に持っていた毛布で私の涙を雑然に拭いてきた。今朝、気合を入れてメイクが崩れるのを感じたが私は気にはしなかった。それより、こうして私にカズマが向き合ってくれたのがひたすらに嬉しかった。そんな自分自身が非常に愚かしい。
「あー……すまんダクネス。いつものような冗談かと思った」
「っ……!」
「痛い痛い! 殴るな……殴るなっての!」
薄情なこの男に私は渾身のブローを数発叩きこむ。本当に私はなんでこんな奴に惚れてしまったのだろう。でも、この男に触れているだけで、私の身体はさっきの仕打ちを忘れて再び熱を戻すのであった。
「ダクネス、さっきはあんな反応しちまったが、俺の方からもお願いするよ。俺とデートしてくれ」
「おまっ……お前は本当に……私がどれだけ勇気だして……!」
「分かってるよ。今更だが……似合ってるぜその服」
「っ……!」
ぐっと親指を立てて笑うカズマを見て、私は微笑みながらの嘆息を返してしまう我ながらにちょろいと思う。でも、私はチャンスをものにした。それがどうしようもなく嬉しかった。
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「あのーダクネスさん……?」
「どうしたカズマ」
「その……なんていうか近い……近くない!?」
「私が近くにいると不満か? んっ……!」
「おおう!? ないです! 不満なんてないです!」
だらしなく鼻の下を伸ばしているカズマと腕を組み、私は密かに自慢に思っている胸のふくらみを彼の肘に押し当てる。一歩一歩、足を進めるたびに彼の肘がこちらにぐいぐいと迫っているがこれくらい私は許容する。むしろ嬉しかった……何よりこの男に私が求められているのかと実感出来たため、得体の知れないゾクゾクとした快感を抑えるのに必死であった。
「なあ、俺達はこうしてあてもなく街をぶらついてるわけだが……本当にデートってこんなのでいいのか?」
「私はこうしてお前と一緒に歩けるだけで幸せだ」
「うっ……なんかいつにも増して積極的だな」
「ふふっ、何故かはカズマも分かっているだろう? それに、こうしておけば害虫避けになるからな」
「害虫ねえ……」
苦笑するカズマは絡みつくように組んだ私の腕をさらにぎゅっと握ってくれた。実は、先ほどから私は敵意の視線を周囲の女性から向けられている。実は、この頃のカズマは街の女性に非常にモテている。何故かというと、彼女達の顔を見れば分かる。彼女達の表情から欲の皮が突っ張っている事が見て取れる。
つまりは、彼女達は彼の持っている名声や資産にしか目が行っていないのだ。それは私にとってとてつもなく腹立たしい事であった。実際、これに関してはめぐみんやアクアも思うところがあるのだろう。屋敷の外でカズマと行動する際は彼女達も必要以上にカズマにくっついていた。それも当然の事だ。カズマは”私達”の男なのだ。
「つーか少し腹減ったな。ちょっと腹を満たしていくか」
「んっ……エスコートは頼んだぞ」
「はいはい、まあちょっと良い店を知ってるんだよ」
そう言って楽し気に会話しながら、私はカズマが目的としていた店にたどり着いた。そこは非常に落ち着いた雰囲気の喫茶店であった。テラス席に腰を下ろした私達に店員がすっと注文を取りに来た。私は朝食を食べてそれほどたっていないのでコーヒーとチーズケーキを、彼はハンバーガーと炭酸飲料を頼んだ。
それから数十分後、運ばれてきた紅茶とチーズケーキに手を付けた私はその平凡な味に少し顔をしかめる。だが、対面のカズマは非常に美味しそうにハンバーガーを頬張っていた。その姿がなんだか微笑ましくて……愛おしくて仕方なかった。
「んぐっ……どうした? ダクネスもこれ食いたいのか?」
「わ、私は別に……!」
「遠慮すんなって、お嬢様キャラがこういうジャンクな食事に憧れるのはあるあるだからな……ほら」
そう言って笑顔でハンバーガーを私の顔前に持ってきたカズマに戦慄する。私の見つめる先には包み紙に包まれ、半分ほどを彼に齧り取られたハンバーガーがある。もしかしなくても、これに齧りつけという事であろうか。全く、カズマは本当に平民で衛生観念がなくて無遠慮で……!
「はむっ!」
「おっ……」
正直言って味なんて分からない。むしろ、私の肥えた舌はこのジャンクな食べ物に拒否反応を示していた。でも、私にとっては今までの人生で一番美味しいと感じられた。
「んっ……美味しいな」
「そうだろうそうだろう。それじゃあ、今度はダクネスのチーズケーキを一口くれよ」
笑いながらそんな事を言うカズマに私は閉口する。彼はそれの意味する事をきちんと理解しているのだろうか。だが、ここまで来たら私だって止まれない。私はフォークで切り分けたチーズケーキの一部を彼の口元へと持っていく。それから、頬が熱くなるのを感じながらあの決まり文句を言ってのけた。
「はい……あ~ん」
「おおう、あむ」
少し驚いた表情を浮かべながらも、彼は私が差し出したチーズケーキにあっさりと頬張ってしまった。しばらく咀嚼する音が聞こえた後、彼は満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱこの店は当たりだな。うし、また今度も一緒に行くか」
「…………」
「ダクネス……?」
カズマの顔がうつむいた私の顔を覗き込んでくる。それから逃れるように顔を背けた私は、思わずポツリと呟いてしまった。
「かっ……間接キス……」
耳まで深紅に染めた私をカズマがじっと見つめてくる。それから、大きく顔を歪めるのが見えた。
「ぶふううううっ!? おまっ……いまさらそんな……いひっ、いひゃひゃひゃひゃ!」
「笑うな!」
「だってそんな……流石はお嬢様で……あいたたたたた!?」
気づけば全力でカズマ身体を締め上げていた。羞恥はある。馬鹿にされた事は本当に腹が立つ。でも、こうして彼と笑い、じゃれあう事が本当に嬉しくてたまらなかった。だから、私は強く……もっと強く……!
「あっ……」
ゴキリという嫌な音が喫茶店中に響いた。
時刻はその日の深夜前、私はベッドで寝るカズマの前に椅子に座って佇んでいた。私がやってしまった彼の右腕はとっくにアクアの手で治療されている。だが、一応の安静を言いつけられた彼はこうしてベッドで横になっているのだ。
「すまない、カズマ……」
「いいんだよ。俺もからかいすぎた」
「すまない……」
私は彼に深く頭を下げる。流石にやりすぎだと自分でも自覚できるのだ。それから数分が経過した後、彼が大きくため息をつく音が聞こえる。それに反射的にビクリと身体を震わせた自分を見て、彼はもう一度ため息をついていた。
「ダクネス、一つお願いしていいか?」
「ああ、なんでもいうことを聞いてやる」
「ん? 今なんでもするって……いや茶化す場面じゃねえな」
彼はガリガリと頭を掻いた後、その手を私の頭へと持っていく。一瞬、どつかれるかと思ったが違うらしい。彼の手は、私の頭を撫でていた。
「明日もデートしような」
「っ……!? 私は……」
「本当に今日は楽しかったよ。だから、明日もデートしようぜ!」
「でも……」
「任せろ、俺がエスコートするからよ」
そう言って微笑むカズマに、私はただ頷く事しか出来なかった。
それからは毎日が夢のようであった。
愛しいカズマと手を繋ぎ、街のお店をひやかしたり、彼の少し過剰気味なスキンシップ更に過剰な物で対抗したり、あの喫茶店で再び食事をしたりした。
そして、デートを始めてから6日目の夜。今日は一日中屋敷でぐうたらと過ごしていたのだが、私が持ってきた秘蔵のお酒と、はっきり言って庶民じゃ口に出来ないほど高価なチーズに舌鼓を打ちながら彼との晩酌を楽しんでいた。
そんな時、彼が私にとても熱い視線におくっている事に気が付いた。だが、私はそれにあえて応えはしなかった。何というか、まだ”はやい”気がしたのだ。
「私はそろそろ寝る。その……今日も楽しかった……」
「そう言ってもらえると男冥利に尽きるよ。それじゃあお休み。俺はまだ飲んでくさ」
「ああ、お休みカズマ」
私は彼に背を向けて歩き出す。正直言って後ろ髪を引かれる思いだ。だが、私は悠然と自室まで足を進めた。それからベッドに入ってから数時間後、私はまだ眠りにつけていなかった。脳裏によぎるのは先ほどのカズマの視線。あれは、情欲にたぎる”男”の視線であった。その事実に、私は全身を震わせながら枕を抱きしめる。私の視線の先には、この寝室の扉があった。もしかしたら、次の瞬間にはあの扉は蹴り破られるかもしれない。そして、縮こまる私に彼は豚のような欲望を向けるのだ。
「ふっ、ふん! 私は絶対抵抗するぞ! だいたい、そういうのはこう……ちゃんとしたお付き合いをして……きちんと結婚式を挙げて……夜景の見えるホテルで……あうっ……!」
止まらない妄想を前に私は身もだえする。
だから私は……私は……!
気が付けば、窓から見える景色は暗闇から明るい朝日へと変わっていた。体に残る倦怠感と”満足感”を前に私は苦笑する。それから、ボサボサの髪と衣服を整えた私は、そっと彼の寝室へと向かった。なんだか、無性に彼の姿が見たかったのだ。
カズマの寝室にたどり着いた私は、一度大きく深呼吸する。それから、そっと扉を押し開く。だが、寝室に彼の姿はなかった。代わりに、彼のベッドの下に頭を突っ込み、こちらにお尻をゆらゆらと揺らしている奴がいた。そいつは、扉の音に驚いたように振り返り、私の方を見て安心したような表情を浮かべた。
「なんだ、ダクネスじゃない。朝っぱらからカズマさんに何か用なの?」
「その質問はそのまま返すぞアクア」
「私は……私はちょっと探し物をしてただけよ! それじゃ、ばいばーい!」
何やら焦った様子でそそくさと部屋を出て行ったアクアに私は首をかしげるが、大方の予想はつく。また、彼の部屋からお酒でもちょろまかしているのだろう。そうして、私はアクアが首を突っ込んでいた位置に何気なく覗き込む。
そこには二つの施錠された宝箱があった。
一瞬、この気になるブツをこじ開けてやろうかと思ったが流石にそれは可愛そう。というか、あまりにも品のない行動だ。そして、自然と彼のベッドへと腰かけた私は、鼻孔をくすぐる何とも言えない匂いを感じた。それは、ベッドにたたまれずに無造作に置かれている毛布であった。それをそっと手にした私は、無意識のうちにその匂いを嗅いでいた。
「カズマの匂い……」
その安心できる匂いと、暖かな朝の陽ざしが私に眠気を思い出させる。結局、昨日は一睡も出来なかったのだ。だからこれは仕方のない事であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はぅ……」
私が再び顔を起こした時にはすでに窓から見える朝の陽ざしは、淡い夕日へと変わっていた。しばらくぼーっとしていた私は、結局カズマのベッドで寝てしまった事を理解する。
そんな時、私はこの部屋へと向かう足音の存在に気づいた。
慌てた私は、急いでクローゼットの中へと逃げ込む。そして、足音が部屋に近づいてくるほど、私は何故こんな所に隠れてしまったのかと後悔した。堂々と部屋から出て行った方が、なんとでも言い訳ができるのに……まあ、この際だからカズマを驚かせてやろう。ふふっ、アイツの情けない顔を拝んでやる事にしよう。だから……!
「カズマカズマ、昨日の続きしませんか?」
「マジかよ……」
「マジですよ。だって、昨日は中途半端に終わっちゃったじゃないですか」
「めぐみん……」
どちらも聞き慣れた声だ。だが、私の昂った感情は急速に冷えていく。代わりに、私の身体は一切の動きを止める。彼らに私がここにいる事を悟られたくなかった。
「遠慮しないでください。だって、カズマはもう私の”旦那”じゃありませんか」
「いや、そりゃそうだけど無理はするな」
「昨日はその……私が想像以上に痛がっちゃって……ごめんなさいカズマ。私がこんな身体だから……」
「何言ってんだよ。お前はその……俺にはもったいないくらい魅力的だ」
「ふふっ、そうですか。まぁ、こんな美少女をものに出来たんです。誇っていいですよカズマ」
「自分で言うのかよ!」
脳が状況を理解する事を拒否している。愛すべき、男の声だ。愛すべき友人の声だ。なのになぜ……?
「実はお母さんに相談したんです。そしたら、この痛み止めと”潤滑油”を貰っちゃいました」
「おいおい、親に伝えたのかよ!」
「当然でしょう、もうカズマは私の旦那様ですしね。それより……準備出来ましたよ」
「めぐみん……」
「ささ、遠慮せずにズチュっといっちゃいましょう……ほら……」
一体、このクローゼットの扉の向こうでは何が繰り広げられているのだろうか。私は近くに吊り下げられていたカズマの冬物ジャケットに顔を押し付ける。スンスンと鼻を鳴らすと、ちょっとだけ彼の匂いが感じられた。それから、そっと耳を両手で塞ぐ。もう、私は何も聞きたくなかった。
それから、どれくらいの時間が経ったであろうか。私はぐちゃぐちゃの脳内一つの可能性に思い至った。
これはいつもの”パターン”である。
実はこのような何やらいかがわしい事例は過去にはあった。だが、勇気を出して突入してみれば、たいていそれは徒労に終わっていた。例えばそれはちょっとした体操だったり……マッサージだったり……耳かきをしているだけなのだ。そうやってお互いに羞恥にまみれながら喧嘩になる。本当にいつもの事なのだ。
そんな時、私はクローゼットのスキマから光が漏れている事に気づいた。そこに目を向ければ終わるだけの話である。だから、私はそっと……息を押し殺して……そーっとスキマに目を向けた。
もう限界だった。
「う……うぶっ……うええええええっ!」
ぶちまけられたと吐瀉物はほとんど胃液あった。でも、胃液に混じる黄色い欠片は昨日食べたチーズであろうか。少し、もったいない。それにカズマのジャケットを汚してしまった。これは悪い事をしてしまった。
ドンと扉が開かれる。明るくなった視界の先では、何故だか半裸のカズマが、ベッドには毛布に身を包んで恐怖の表情を浮かべるめぐみんがいた。だから、私は謝った。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
今の私には謝る事しか出来ない。だから、全身全霊で謝罪を行った。
「コート汚しちゃってごめんなさい……」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「んっ……」
眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気づいた。
「涙……?」
何故か、私の両目からは涙がポタポタと流れていた。それを無作法に袖で拭いながら上半身を起こす。恐らく、怖い夢でも見たのだろう。例えば、愛する男性を、愛する友人に全て奪われるとかそんなものだ。
「夢なら良かったのにな……」
それから、ゆっくりとした足取りで私は朝食が用意された部屋へと向かう。部屋に着くと小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼はにんまりとした満面の笑みを浮かべた。
「おはよう、ララティーナ」
「…………」
「やはりと娘と一緒に食べる朝食は最高だ」
「…………」
「ララティーナ?」
こちらに困惑した表情を向ける父の言葉に嘆息しつつ、私は手近なパンを取ってもそりもそりと食べ始める。そんな私の横にポットを持ったメイドが現れる。一瞬、見慣れない顔のメイドだなと思ったが、この娘が最近新しく雇われたメイドである事を知っていた
「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」
「…………」
「それでは……ってわひゃあ!?」
緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポッドを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注いだ。メイドはコーヒーまみれになった私を見て青い顔をしながらへたりこんでしまった。その姿に私はくすりと笑ってしまった。
「ふざけるなよこのクソ平民があああああ!」
「ふぎゅっ!?」
気が付けば、私はふざけたマネをしたメイドの首を掴み、テーブルへ叩きつけていた。新人メイドは泡を吹きながら白目を向いている。少し割れてしまった頭皮からはドクドクと血が溢れていた。
「ララティーナ!? くっ、”ヒール”!」
お父様が私の腕からメイドを奪う。それから、娘に向けてはいけないような怒りの表情をこちらに向けていた。
「ララティーナ、何か嫌な事でもあったのかい?」
「…………」
「もういい、今回は見逃そう。だが、次はない。もう一度こんな事をしたら私はお前を貴族として……親として躾けなおす」
「分かりましたお父様」
「っ……!?」
お父様が何故か娘に向けちゃいけないような絶望の表情を浮かべているが、これもいつもの事だ。それから、私はさっとシャワーを浴びて血の汚れを落とす。次にどんな衣服を着用すべきかだが、今日はいつもの動きやすいインナーと鎧を身に着ける事にした。もちろん愛用している大剣も忘れない。
「今日からめぐみんがいなくなればいいのに」
そう独り言ちてから、その事実が私に一抹の寂しさを与える一方で何とも言えない感情が胸中に吹き荒れる。思わず火照ってしまった顔を冷却するため、私は洗面台の水を顔に打ち付けた。今更な話だが、私は冒険仲間である鬼畜男……カズマに恋心を持ってしまっている。だが、気づけば始まってしまっていた彼へのヒロインレースにおいて、私は一歩……いやとんでもない差をめぐみんにつけられている。あの男とめぐみんの距離がもはや離れられないほどになっているのは嫌でも自覚している。だが、ここで勝ちを譲るわけにはいかない。私も、あの男にどうしうよもなく”イカレ”てしまっているからだ。
こうして、意気揚々と家を出た私はあの男がぐうたら過ごしているアクセルの街の屋敷へと足を運んだ。
見慣れた屋敷の玄関を私はさっと通り抜け、リビングへと向かう。そこにはやはり、私の意中の相手であるサトウカズマがいた。だが、その姿を見て私は思わず嘆息した。
「よう、ダクネス。今日は冒険なんて行かないからな」
「私が何か言う前にそれか。それよりめぐみんはどうした?」
「めぐみん……?」
呆けたようにそんな事を言うカズマを見て、私は左手で握る大剣の柄を強く握ってしまう。だが、こんな事は意味がない”こんな事”をしてもこの現実は変わらない。むしろ、もっとこの男の愛が離れてしまうだけだ。だから私は……
「めぐみんなら昨日、紅魔の里に帰ったばかりだろ」