「なによ、また手伝って欲しいの? そうだとしたら、頼み方ってのがあるでしょう。ふふっ……んっ……合格。最初に言っておくけど、見せるだけだからね?」
水の女神アクア。
傲慢不遜な彼女の姿はある意味で女神らしかった。
「んふふー今日も見たいの? まったく、カズマさんったらまるで猿みたいね。そんなに……ひゃっ!? えっ、手でして欲しいの……? それは……んっ……そんなに必死にならなくてもいいのよ。もう、しょうがないわね……」
あちらの世界にいた時、面倒な事を引き起こすアクアは厄介な存在だった。
「また眠れないの? 今日はどうしてほしい? えっ……足? ぷくくっ……カズマさんってば本当に変態ね!」
周囲にめぐみんやダクネスがいた事もあり、俺はアクアに目を向ける事はなかった。
「ひゃっ!? やめなさいよ! そこは脇なのよ!? そんなものを挟む場所じゃ……いやっ……熱い……んっ……頭撫でられたからって許さないんだから……あっ……ばかぁ……!」
いや、正確に言うと目を向けないようにしていた。一度でもその対象にしてしまえば絶対にマウントを取られる。それだけは俺のプライドが許さなかった。
「ちょっと、まだ昼間なんですけど……また見せて欲しいの? もう本当にしょうがないわね……えっ……そうじゃない? ちょっ……恥ずかしいからイヤよ! わわっ……そんな目の前ではやめてよ……んぁっ……!? んぅ……やっ……可愛い……? おだてたって私は……あっ……その……実は私自分じゃあまり……えっ……こうすればいいの……ひんっ!?」
だが、アクアが女神である事は変わりない。彼女の美貌はかなりの美少女であるめぐみん達と比べても明らかに桁違いのものだった。一度足を踏み外したら、俺は溺れてしまう。それだけは避けたかった。
「舐めたい……? もう、カズマさんってば本当にもう……んふふー……好きなだけ吸っていいよ。あっ…ひうっ!? そんな……下に行くのは……いやっ……汚ない……そこ汚ないから……ひゃあ!? だめ………だめだめだめっ!」
アクアのふやけた笑顔は俺にとっての平和の象徴だった。彼女とお酒を飲んだり、一緒にだらけるのはとても居心地が良かった。実際、クエストに行かない日はアクアを連れまわして余暇を楽しんでいたものだ。 そんなアクアとの関係も、魔王討伐後には若干ギクシャクしてきた。もちろん、めぐみんとダクネスの牽制合戦に委縮しているというも面もあったのだが、アクアが俺の事を意識し始めた事にも感づいていた。
「ふっ……くっ……はふぅ……カズマ……今日もその……それだけでいいの……? その……最近は私だけ満足して終わっちゃってるから……私ができることならなんでもしてあげ……っ……!? うん……いいよ……お口でしてあげる……えとっ……私ってこういうの初めてだから……下手でも文句はいわむぐぅっ!?」
正直言って、そんなアクアの姿は滑稽だった。俺が外出したら毎回のように後をつけてきたり、めぐみんやダクネスがいない時はやたらとスキンシップが激しかったり、朝起きたらたまに俺の布団の中でまるまってる姿は不覚にも可愛いと思ってしまった。そして、これが俺の敗因だった。
「えへへー! カズマさん、今日はどうして欲しい? いいよ、なんでもしてあげる。カズマさんのせいでお口でするのも上達したと思うの。だから今日は朝から晩までずっと舐め……えっ……? 私がカズマにして欲しいこと……? あっ……うん……私は抱きしめて欲しいかな……って!? うん……ふふっ……甘いわよカズマ! もっと力を入れなさいな! そうそう……もっとお腹をぐっと……背骨を折るくるらいに……ふぁあっ……!」
俺がアクアを意識してしまえばもう終わりだ。何故ならばアクアがこの世で一番美しくて可愛いからだ。面倒ごとを起こすのは頂けないが、彼女は決して悪意を持って行動するわけではない。意識をしてしまえば、そんなドジすら愛らしく見えてくる。なにより、彼女と過ごす時間がとても楽しいこと、傍にいて一番安心できる存在というのも外せない。
「ばか……今日も私がして欲しい事なの? 嬉しいけど……うん……あっ……それじゃあ……私からのお願い。自分に素直になってカズマ。私も素直になるから、お願いね?」
だから俺は、アクアにずっと傍にいて欲しかった。
「うん、私もカズマさんのこと、大好きだよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ふうっー! ふうっー!」
狭くて古いワンルームの中に、熱く艶やかな女の息遣いが響き渡る。そちらに目を向けると、布団の上で枕を顔に押し付けるようにして抱いて横になるアクアの姿があった。時折、びくんびくんと身体をはねさせる彼女の表情は枕のせいで伺えないが、ちらりと見える耳元は深紅に染まっていた。
「かずまさんのばかっ……!」
ぼそりと呟かれたアクアの声はやはり震えていた。無造作に脱がされたパジャマのズボンは気が付けば布団の外へ追いやられ、脱力したように投げ出された彼女の両足は俺の目を楽しませてくれる。そして、彼女が履いている水色のパンツは敷かれた布団と同じくぐちょぐちょに濡れてシミを作っていた。
「しかし朝からやって気づけば夕方か……喉は潤ったけどお腹がすいたな……」
「ばかっ! カズマさんのばかばかばかっ!」
「ばかばかうるさいっての……さて……それじゃあコンビニでも行くか。お前はついてくるか?」
「い、一緒に行くから少し待ちなさいよ。あと……その……立てないから起こして……」
消え入りそうな声でそんな事を言うアクアを思わず俺は鼻で笑ってしまったが、立てない原因はこちらにあるので素直に彼女の要求を聞き入れる事にする。両手でアクアの身体を引き起こし、しばらく抱きしめる。彼女は俺の背中をぺしぺしと叩いたり、すんすんと俺の匂いを嗅いでいたが、次第に呼吸を整えて自分の足で立てるようになった。
「着替えるから待ちなさいよ……置いてったら許さないからね」
「分かってるから早く行ってこい」
俺の言葉を受けたアクアは、着替えを手にしてこちらからは見えないキッチンの奥へと消えて行く。もう見慣れたものなのに、何を恥ずかしがっているのかと少し呆れた。それから、いつもの青い羽衣を身に着けた彼女を連れ立って、外へと足を運んだ。
肌寒い外気に肩を震わせつつ、自然とこちらの手をとって暖かな身を委ねてくるアクアを横目に見る。少し前ならありえなかった光景を、今は自然と受け入れていた。
「しかし寒いな。こっちに来てからどれくらい経ったんだ?」
「カズマってばだらけすぎて曜日感覚どころか月日の感覚まで狂ったの? あれから約三ヵ月ってところよ」
「マジか……今の生活に慣れてきた自分が少し怖いな」
「そんなこと言っても、カズマさんってば食っちゃ寝してるだけじゃない」
「それはアクアも同じだろ」
「ぶー! 全然違いますー! 私は立派に家計をやりくりしてるわ。だからそんなこと言わないのヒモニート!」
「ぐふっ!?」
にやにやしながらそんな事を言うアクアに俺は残念ながら致命の一撃を叩き込まれる。まったくもってその言葉を否定できない。今の俺はアクアの家でニートやってるヒモである事は間違いなかった。それから居心地が悪くなった俺は少し早足で歩きだす。そんな俺を見て彼女はけらけらと笑っていた。
目的地であるコンビニについた俺達はゆっくりと品物を漁る。とはいっても、購入するのは今夜の夕食だけだ。コンビニでの大量買いはアクアが許してくれなかったからだ。夕食を選ぶアクアを放置して俺は菓子類を物色する。そして、切らしていたシェービングクリームを探していた時、俺はふと奴の存在を見つけてしまった。
「カズマ、何か欲しい物ある? あと500円くらいなら追加で買えるわよ」
「じゃあこれ頼むわ」
「ちょっ……アンタねえ……」
なんだか呆れられてしまったが、今更そんな事で恥ずかしがる仲でもない。アクアはそんな俺にカゴを突き付け、財布を渡してきた。懐かしくもボロボロな財布を受け取った俺は素直に驚いていた。
「お前、まだこんな俺のお古の財布を使ってたのか。流石に替えた方がいいんじゃないか!」
「う、うるさいわね! まだ使えるんだからいいじゃない! それより、会計はカズマが行ってきなさい。私はちょっとお金を降ろしてくるから」
手に持ったキャッシュカードをひらひらさせながら、アクアはATMへと向かう。残った俺は懐かしい財布を手にレジへと進んだ。無感情に物品を袋へと詰める店員からはすぐさま視線を外し、ATMの方へを顔を向ける。そこには相も変わらず頬を紅く染めたアクアの姿があった。その後、追加でホットコーヒーのカップを購入し、外で待っていたアクアに手渡す。彼女は小さく「ありがと」と呟いてから素直にそれを受け取った。
帰り道、俺は両手にレジ袋を持ち、アクアは俺の横でホットコーヒーをちびちびと飲んでいる。自然と視界にかすった茶色い袋の存在を話題に上げるのは当然の事であった。
「なあ、やっぱ避妊具って必要か?」
「うぶっ!? いきなりなによ!」
「いや、本当に気になってるんだよ」
「あのねカズマ、そのセリフは私に今まで何もつけないで考えなしに中に出しまくった後に言うものじゃないわよ」
「今日は出してないだろ。飲んだだけだ」
「へりくつ言わないこのバカズマ!」
アクアによるチョップをくらった俺はしばらく閉口するしかない。ただ、何故か胸の中でそわそわとした思いが募っていく。残念ながら、本当に俺は今まで何も考えていなかったからだ。
「安心しなさいカズマ。私がちょっとした術式を仕掛けてるから出来はしないわ」
「そうか! それじゃあ遠慮なく今まで通り出来るな!」
「アンタね……とにかく、それは無駄遣いってことよ」
「これはこれで使い道がたくさんあるから大丈夫だ」
「ろくでもない事を考えてるのは流石に私でも分かるわよ。本当にもう……」
ため息をつくアクアに俺は少し胸がチクチクと痛んだが、享受するであろう快楽を前に俺の思いは楽観的になった。
「それはそれとして、アクアは子供が欲しかったりするのか? というか、女神って人間の子供を産めるのか?」
「はあ!? 今日のアンタはなかなかにキてるわね……まあいいわ。子供に関してだけど、問題なく出来るわよ。神の子孫である王家はこの地球でも数多くいるし、あの四文字だって他人の妻を処女のまま孕ませてるわ」
「そう聞くとろくでもないなアイツ! いや、こんな事言ったら少しマズイか?」
「大丈夫よ。あの四文字ってばもうこっちの人間達に殺されてるから」
「マジで……?」
「盛者必衰って奴ね。正に神は死んだって奴よ」
なんだかマズイ真実を聞いてしまった気がするが、別にあっちの宗教の信者でもないためそこまでの混乱はなかった。だが、少しだけ表情に暗い物がさしたアクアを俺は見逃さなかった。アクアとは明らかに異なる神ではあるが、同族が死んでいるという事実には変わりないようだ。
「それで、子供自体は欲しいの?」
「アンタは無責任にそういう事を言ってるならひっぱたくわよ?」
「おいおい、なんでそんな喧嘩腰なんだよ……」
「別に怒ってるんじゃなくて呆れてるだけ。あのねカズマ、子供ってものはとっても大変なものなのよ。気軽にぽんぽんと作っていい物じゃないの。それに私達の生活の事だってある。アンタってばまだまだ遊び足りないでしょう?」
そう言って朗らかに笑うアクアを俺はじっと眺める。それから、俺の視線から逃れるように歩き出したアクアの後を追う。彼女の踏むステップはいつもよりぎこちなかった。ふと、視線を落とすと白いレジ袋が目に入る。それを眺めながら、俺は大きくため息をついていた。
「世知辛い世の中だ……」
それはアクアのヒモにあるまじき発言であった。
狭い自宅へと帰り着いた俺達は、上着を脱いでちゃぶ台に購入した弁当や総菜を並べる。そして、ポケットに眠る財布を取り出し、アクアへと突き返していた。それを笑顔で受け取った彼女は、小銭入れをチラリと眺め、押し入れからよくある豚の貯金箱を取り出す。それに財布から取り出した500円を投入した彼女は朗らかな微笑みを浮かべていた。
「お前、貯金なんかしてたのか」
「別にいいじゃない。元々は私のお金なのよ」
「そりゃあそうだけど、貯めてどうするんだ?」
「それは……その……」
言葉を濁したアクアはしばらくもにょもにょとしていた。それから、はっとした表情で俺の事を見てくる。彼女の瞳はキラキラと輝いていた。
「ふふっー! これはね、限界まで貯めると20万円くらいになるらしいの。貯まったら、旅行にでも行ってぱーっと使いましょ!」
「旅行か……そういえばこっちに戻ってから遠出をしてないな」
「そうでしょうそうでしょう! ねえ、カズマ! 旅行に行くならどこに行きたい!?」
終始笑顔のアクアと俺は行きたい旅行先について夕食を食べながら語り合った。北海道、沖縄、箱根に大阪、広島や香川といった主要な観光地をの会話であるが、日本の事についてここまで語ったのが久しぶりであり、終盤はお酒も入って結局深夜になってしまった。
その夜、俺は例のブツを使い、頑張って腰ミノを作った。
カラフルさと数が足りないのが今夜の反省点だった。
アクアはそんな俺に対し、涙目でばかばかと罵倒を繰り返していた。
翌日、目を覚ました俺の前に飛び込んできたのは、こちらを無表情で見下ろすエリス様の姿だった。しばらく、その無表情と目を合わせていたが、流石に居心地の悪くなった俺は下着を着て衣服を身に着ける。そんな俺を眺めながら、エリス様はくすりと笑った。
「昨日はお楽しみでしたねカズマさん」
「勘弁してくださいよエリス様!」
「ええ、本当に勘弁願いたいです。やはりこうなってしまいましたか……まあ今はそれを受け入れるしかありませんね」
エリス様は溜息をつきながら俺に胡乱げな視線を向ける。それを受けきれなくなった俺は、横で死んだように寝ているアクアを蹴り起こす。目を覚ましたアクアは俺の不意打ちに文句を言ってきたが、エリス様の姿を目にして布団の中へと逃げ込んでしまった。
「という事でカズマさん、私が確保した家に行きましょう」
「随分といきなりですね……」
「もう待てないとめぐみんさんがうるさいんです。察してください」
「めぐみん……!?」
「ええ、早く貴方に会いたいって毎日のように泣きつかれたのは本当に大変でしたよ」
エリス様の言葉を聞いて俺は彼女がここに来た理由を理解する。どうやら、こちらにめぐみん達を無事に連れてこられたようだ。正直、今の今までその事については一度も考えていないほど忘れてしまっていた。それから、呆ける俺の手を引いて歩き出すエリス様にされるがままになる。俺は大声でアクアの事を呼んだが、彼女は布団にくるまって無言を貫いていた。
「アクア先輩は置いて行きましょう」
「いやでもエリス様……」
「おそらく、彼女達に会わせる顔がないのでしょう。今はそっとしておくのが無難ですね」
そう言ってやや強引に俺の事を引きずるエリス様には全く持って抗えない。だが、アクアを一人で残す事は少しだけ後ろ髪を引かれる思いであった。
そして、外に出た俺をエリス様はやっとこさ離してくれた。それから、もう一度ため息をついてから歩き出す彼女にそっとついていく。だが、今更ながらにエリス様が日本にいるという光景が気になった。彼女の白い羽衣や漂わせる神々しい雰囲気はこのコンクリートジャングルと明らかにミスマッチしていた。それなのに、時折すれ違う人達はエリス様にチラリとも目を向けない。はっきり言って、ありえない事であった。
「エリス様、なんだか周囲にいる人たちがあまりにも貴方に無関心な気がするんですが……」
「それは認識阻害の術式をかけているからですね。流石に素性を隠さなければ面倒ごとが起こります。周囲には記憶にとどめられないほどにありふれた人間として認識させるようにしているんですよ」
「まあ、エリス様の姿なんて見かけたら男がうようよ寄ってくるでしょうね。俺だって絶対その一人になってますよ」
「ふふっ、嬉しい事を言ってくれますね。でも、同じような術式を使ってるアクア先輩には同じ事は言わないんですか?」
「えっ……?」
エリス様の返した言葉に俺はしばらく閉口する。アクアだって、見た目はこの世とは隔絶した美しさを持っている。それなのに、思い返してみれば外出先でもアクアの事を気にとめる人間はいなかった。やはり、彼女もエリス様と同様の術式を使っているようであった。
「…………」
「カズマさん、どうしたのですか?」
「いや、別にたいした事じゃないです。ただ、自分のバカさ加減に呆れてたところです」
「……?」
エリス様は困ったように笑っていたが、俺は本当に俺自身に呆れていた。頭の中では他の男に言い寄られるアクアの姿を想像し、勝手にムカついていた。そして、そんな俺の醜い嫉妬心に更に呆れる。本当にどうしようもない愚かさであった。
「あっ、私の家が見えてきましたよカズマさん」
「へえ、俺達の家から一駅も離れていないじゃないですか。それで、どこなんですか」
「目の前にあるじゃないですか、あれですよ」
「ええっ……マジですか……」
エリス様の家は、右手に見える小さな一軒家でも、左手に見えるアパートでもない。目の前にそびえる巨大なタワーマンションであった。それに臆することなく入っていくエリス様に続き、エントランスとフロントを抜けてエレベーターで上を目指す。当然のように最上階へと向かったエリス様に案内されたのは、正直言って経験がないほど豪奢で広い部屋であった。
そして、そんな俺をリビングのソファーで出迎えたのは、こちらを見て目を爛々と輝かすめぐみんと、何やら不安げな表情で座るゆんゆんの姿であった。
「お久しぶりですカズマ!」
「ああ、久しぶり……って抱き着いてくるなよ……」
「抱き着くに決まってるじゃないですか! というか、少し反応が薄くありませんか? もっとこう、泣きながら抱き着いてきてもおかしくないと思っていたのですが」
「別に死に別れたわけじゃないんだからそこまではな。それより少し話をしたいんだが……」
「分かってますよ。エリス様、私はカズマと込み入った話があるのでゆんゆんの相手をしてあげててください」
「ちょっとめぐみん、私の扱いが凄く適当な気がするのだけど……」
小さな声で抗議の声を上げるゆんゆんは俺の方を見てから顔を赤くして目を逸らす。エリス様はというと、俺達に手を振って笑顔で見送ってくれていた。めぐみんは俺を奥の部屋を連れて行き、久しぶりに彼女と二人っきりになる。こちらを見つめるめぐみんに対して、俺は何故だかしどろもどろになっていた。
「改めて言います。お久しぶりですカズマ」
「あっ……ああ……」
「歯切れが悪いですね。私やダクネスへの心配の言葉もないのですか?」
「そういえばダクネスはどうした?」
「そういえばって……まったく……ダクネスはまた今度来ますよ。今回は私を優先してもらったんです。ゆんゆんはおまけですね」
「そうかい……」
「なるほど、説明は簡潔にした方が良いようですね」
呆れた表情を浮かべるめぐみんは、事の顛末を簡単に教えてくれた。めぐみん曰く、俺とアクアが日本に帰ったのは突然の事であったらしい。当然のように大混乱に陥っためぐみんとダクネスはクリスづてにエリス様に助けを求めたそうだ。エリス様はアクアと事前に話をしていたらしくひとまず落ち着いたとの事。後はアクアが俺に語ったような話があり、エリス様が”上”の許可を取るまで待っていたそうだ。どうやら、元々日本人であり、上への要請をしたのが地球担当の神であるアクアだった俺とは違い、異世界出身で要請者がエリス様のめぐみん達は色々と苦労したらしい。
「でも、月に一度の頻度で訪れる許可はなんとか取れたそうです。いずれは永住権も貰えるそうですよ」
「そうか……それなら……安心……だな……?」
俺の返答を聞いためぐみんは何故だか不機嫌になっていた。そんなめぐみんのふくれっ面をちょんと指でついたが、彼女に乱暴に振り払われてしまった。
「カズマ、貴方はもしかして私の事をバカにしているのですか?」
「いきなりどうした?」
「話してて自分でもおかしいと思わないのですか? カズマはさっきからずっと上の空ですし、久しぶりだというのに私に顔を合わせようともしません。何か私達に対してやましい事でもあるのですか?」
「…………」
めぐみんの言葉を受けて俺はしばらく黙り込む。だが、こうして彼女達と再会した事で俺もけじめをつけなければならない案件を思い出す。そして、それに蹴りをつける事が俺がこの世界でやっていくのに必要だと気付いた。自分が出した声は思っていたよりも震えていた。
「めぐみん、俺も簡潔に言おう。色々あって、アクアと付き合う事になった。だから、お前の告白には応えられねえ」
「えっ……いきなりなんですか……?」
「いきなりなのは謝る。でも、これが俺の答えだ」
めぐみんはしばらく呆けたように口をぱくぱくと動かしていたが、次第に涙を目のふちに貯め、ついには崩壊してしまった。子供のように泣きじゃくるめぐみんを俺は黙って見つめる。それくらいしか、俺のやる事などなかった。
「カズマはひどい人ですね。久しぶりに会えたと思ったら、こんなにも貴方に突き放されるとは思いもしませんでした。こんな事になるなら、ここに来なければ良かった……!」
「悪いとは思ってるが事実は変えられないんだ。それと、その程度の男である俺のためにこっちに永住しようだなんて思わなくていい。爆裂魔法が好きなめぐみんには生き辛い世の中だ」
「本当に……本当にひどいです……たった三ヵ月だというのに……随分と変わってしまいましたね……」
「俺はその程度の人間なんだ。会いに来てくれるのは嬉しいが、めぐみんの未来を俺のために使わなくていい」
「っ……!」
めぐみんにどんっと突き飛ばされる。俺は身体をよろけさせるが、その程度のダメージしかない。めぐみんはというと、俺に背を向けて泣き始めた。
「しばらく一人にしてください……ぐす……ひっぐ……きひっ……きひひっ……!」
「めぐみん……?」
めぐみんの涙声に気味の悪い笑い声が混じる。なんだかそれに怖気を感じた俺は、逃げるように部屋を出た。
リビングではエリス様がキッチンで何やら調理のような事をしており、いい匂いが部屋を漂っている。ゆんゆんは街が一望できるように全面ガラス張りになった場所の前で所在なさげに突っ立っていた。ゆんゆんへと近づくと、彼女は俺の方を見てクスリと笑った。
「ここがカズマさんのいた世界なんですね……なんだかおとぎ話の世界みたいです」
「それはそっくり、そのまま返す。俺もあっちに行った時はそう思った」
「同じ人間なのに、ここまで技術力が違うのは驚きです。それとも、いずれ私達もこうなるのでしょうか」
ゆんゆんの目線は遠方の雲に消えて行く旅客機の姿を追っていた。俺はというと、アクアと住んでいるボロアパートを見つけて少しテンションが上がる。だが、アクアと住む家を見下ろす事で、ここにいる事への嫌悪感が増した。何やら、”格差”というものを肌で感じてしまったからだ。
「カズマさん、めぐみんを泣かせましたね」
「いきなりだな」
「かすかに声が漏れてます。貴方は最低ですね」
「…………」
何も言い返せずに押し黙った俺を、ゆんゆんはじっと見つめていた。だが、しばらくして諦めたのか、彼女は再び街へと目線を移していた。
「実はさきほどエリス様に街をすこしだけ案内してもらいました。めぐみんってば、凄くはしゃいでましたよ。純粋に未知を知る好奇心もありましたが、貴方の故郷に来れたって事に喜んでいました」
「そうか……」
「聞いてもいないのに、貴方がこの世界で何をしていたかも語ってくれましたよ。めぐみんによると貴方はどこかの組織のギルドマスターとして、仲間を率いて怪物と戦ってたと言っていましたが……絶対に嘘ですね。カズマさんにそんな度胸はありませんし、ここから見る景色からはモンスターの存在を全く感知出来ません。本当に貴方は嘘つきで見栄っ張りです」
「うぐっ……!」
感情のない表情でそう言い放つゆんゆんに俺は心を傷つけられる。だが、事実であるので俺は再び黙り込むしかない。そのまま気まずい沈黙が続いたが、それもエリス様のお昼を告げる声で終了する。ゆんゆんからも逃げ出した俺は、食席に素早くついていた。そんな俺にエリス様は焼きそばが山と盛られたお皿を手渡してきた。
「くくっ……エリス様ってば焼きそばなんか作ってたんですか? なんだか、イメージと違いますね」
「う、うるさいですね! 美味しければいいんです!」
「そんなに必死にならなくても……うむっ……美味い!」
「そうですか!? まだまだいっぱいあるので食べてくださいね!」
エリス様の見せる笑顔は、今の俺にとって癒しと言う他なかった。そのままたっぷりと昼食をとった後、俺は食席につかず相も変わらず外の景色を眺めるゆんゆん、今も奥の部屋から出てこないめぐみんへと考えを巡らせる。どうしていいかは分からないが、自分が何をすべきかというきっかけはつかめた気がした。
だからこそ、俺はエリス様に頼みごとをした。彼女は少し困った表情を見せていたが、俺の我儘な要求に合致したものを紹介してくれた。
そして、俺は自然と玄関へと足を運んでいた。そんな俺をエリス様は手を引いて引き留める。だが、ここに残るわけには行かなかった。
「泊まっていかないのですか? めぐみんさん達は明日にも帰ってしまいますよ?」
「すいませんエリス様、正直言ってこれ以上アイツらに会わせる顔がない。だから、向こうではめぐみん達の事を頼みます。少なくとも、俺がいなくとも生活出来ている事は確認できました」
「…………」
「それじゃあまた今度……」
そう言って帰ろうとした俺を、エリス様が抱き着くようにして引き留める。俺の胸に顔を埋める彼女は目のふちに涙を貯め込んでいた。
「私もカズマさんの事が好きなんです。アクア先輩の事はひとまず置いて、今夜は楽しんで行きませんか?」
「いきなり勘弁してくださいよエリス様……」
「私はアクア先輩から貴方を奪うためならなんだってします。この身体を好きに使ってくれても構いません。望むなら、めぐみんやゆんゆんとも夜を共にしますよ」
「なっ……!」
「彼女達が何のためにここに来たか、薄々は分かっていますよね? それに応えてあげるのがカズマさんの役目ではないのですか?」
妖艶に微笑むエリス様に俺はたじろぐ。ゆんゆんの気持ちは正直言って分からないので置いておくが、少なくともめぐみんはそのつもりだった。しかも、俺がすでにアクアに陥落している事は想定済みであった。それでもなお、めぐみんは俺に会いに来たのだ。
「私はアクア先輩と違ってこちらでの活動資金はたっぷりとあるんです。今ならこのマンションも差し上げますし、毎日を優雅に過ごすことだって出来ますよ?」
「エリス様、申し訳ないけどそれは受け入れられない」
「なぜですか……?」
「家でアクアが俺の事を待ってるんですよ。ここに残るわけにはいきません」
「へえ、そうですか……そうですかそうですか……まさか……ここまで……きひっ……!」
目の光を失ったエリス様にまずいものを感じた俺は、恥も外聞もなく走って逃げだした。背後からは追ってくる気配はない。しかし、へばりつくようなエリス様の視線はしばらく頭から離れなかった。
ボロアパートに帰宅した俺は、相も変わらず布団に隠れていたアクアを引きずり出す。そして、むすっとした表情を見せる彼女の姿に安堵した俺は、気が付けばその細い身体を抱きしめていた。アクアはそんな俺の様子に当初は戸惑っていたが、しばらくすると優しく頭を撫でてくれた。
「どうしたのカズマ……めぐみん達と何かあったの?」
「別になんでもねえよ……」
「嘘つき。でも、何も聞いておかないでいてあげる」
「すまん……そうしてくれ……」
アクアの優しい愛撫を受けながら、俺はさきほどまでのめぐみん達のやりとりを反芻する。ぐちゃぐちゃな思考ではあるが、これだけは理解出来た。
アクアは俺にとって一緒にいて一番安心できる存在なのだと。
そのまま、俺は情けなくも眠りに落ちていた。
そうして、目を覚ましたのはその日の夕方だ。テレビを見ながら寝転がっているアクアを傍に、俺は軽く伸びをした後、古ぼけたノートパソコンを取り出す。それは、アクアがこの部屋に持ち込んだ私物の一つであった。使い慣れた検索エンジンを開き、目的のサイトをいくつか発見した俺は、指示された通りにコメントの書き込みを行っていた。
「かずまーなにやってるのー?」
そんな俺に、アクアが絡んでくるのは当然の事であった。俺は手短に、エリス様から紹介された仕事をやっていると答えた。エリス様いわく、俺のわがままに合致した仕事、在宅で出来る楽な仕事だった。だが、当然のように給料は低い。日給500円と子供の駄賃並みの仕事であった。
「しかし、この仕事になんの意味があるんだ? オカルト系のまとめサイトや掲示板に否定的なコメントを残す仕事なんて俺は今まで聞いた事がないぞ。エリス様はステルスマーケティングやサクラみたいなもんだって言ってたけどな」
「…………」
「アクア?」
俺は『神社で神様と出会ったけど質問ある?』というスレッドをまとめたサイトのコメント欄に『これは頭の病気だな。早く精神科に行けキ〇ガイ』というコメントを投稿しながら、アクアの様子を伺う。彼女は少し複雑そうな顔をしていた。
「アンタがやってるその仕事、立派な”裏の仕事”よ」
「はあ? この仕事に意味なんてあったのか? 俺はエリス様の優しい嘘かなんかだと思ってたが……」
「いいえ、それも立派な仕事である事には変わりないわね」
諦めたように笑ったアクアは、あぐらをかいていた俺の膝の上に頭を乗せて横になる。俺はそんなアクアを撫でながら、ノルマ達成のために既定の数のコメントを投稿していた。アクア、は相も変わらず俺にちょっかいをかけ続ける。視線をパソコンから下に下ろすと、アクアの深く青い瞳と目が合った。
「ねえカズマ、アンタは神様がどういう存在かって知ってる?」
「急にどうした……」
「その仕事に関わる事よ。まあ話すと長いから簡潔に言うけど、神様や悪魔ってのは人間が作り出した存在。そんな存在に本当の上位存在って奴が役割を与えてるだけなの」
「アクア……?」
アクアらしからぬ難しい話であるが、彼女の表情は真剣だった。だから、俺はつっこみを入れずに黙って話を聞く。彼女はそんな俺によじ登り、俺の膝へと座る。アクアのうなじからは甘い女の香りがした。
「私の先輩達は宇宙創造を経験してるし、その少し後に存在を確立した私はアンタとは比べ物にならないほどの長い時間を過ごしてる。でも、それは一種の虚構よ。そんな事実はないのに、神々にはその記憶があるの」
「つまりどういう事だ……?」
「そうね、アンタにも分かりやすく説明すると、神なんてものは簡単に変質するものなの。それこそ、昔は栄華を誇った神話の神々も、信仰を広げるために使った道具が仇となって今では神話や聖書という”創作”の産物になった。まだ世界でも三大宗教は栄えているけど、信者の大半はそれを心からは信じていない。それに絡む利権と世間体によって成立してるだけよ」
少し悲し気な表情を見せるアクアに俺はマウスを動かす手を止める。そんな俺に彼女は背を預けてくる。柔らかな体と体温が、アクアここに存在している事を証明していた。
「そういう意味では私は運が良かったわ。先輩や同期がの神々が殺されたり、封印されたり、隠居を決める中で私はエリスみたいな後輩達の教育係になってたし、たいした逸話を持たない私だけど、水の女神っていう点が有利に働いて力をつける事が出来たの。聖書や神話に頼らなくても、人間達は”水”に感謝してくれてるからね」
「まあ人間に水は必要不可欠だからな……」
「そういう事ね。水自体が一種の偶像になってるし、月日が経って周囲が落ちぶれるほど私の神格も上がった。結果的に今では地球を管理する神の一人にまで成り上がってしまったわ」
「うーん……もしかしてお前って結構凄いのか……?」
「もしかしてって何よ! 今更になって私の偉大さを知ったの!? 少なくとも、管理世界の敵性存在に遅れをとるほど弱くはないわ!」
ふふんと偉そうに語るアクアの頭を俺は優しく撫でる。なんだかんだ言って、コイツの力がなければ俺はあの世界でも野垂れ死んでいた。それだけは覆せない真実であった。だが、アクアが語った話とこの意味不明な荒し行為ともいえる仕事が繋がらなかった。
「まあこうして科学技術が発達して神々は死んじゃったけど、代わりにこの現代に適応した悪魔達が出てくるの。いわゆる”都市伝説”って奴ね。昔は精霊だとか妖怪だとか言われてた連中よ」
「都市伝説って……あれは単なる与太話で……」
「ええ、神話や聖書と同じく、与太話にした方が存在ごと殺せる。それが今のアンタの仕事よ」
「マジか……」
「特にこの世界の人間達はそういう集合無意識の力、別の所では観測の力って言われてる奴は侮れないわ。それこそ、異世界の氷の精霊を冬将軍にしたり、地の精霊をクトゥルフ神話の邪神に変質させてるのが証拠ね」
思い出すのは俺の首をちょんぱした冬将軍と、ダクネスに呪いをかけた邪神だ。アクアの話によると、あれも広義の意味では都市伝説の一種らしい。そう考えると、向こうに行った転生者達は知らないうちに随分と現地の人に迷惑をかけている気がした。
「なあアクア、それなら最強の都市伝説を作ってそれが広まったらヤバイんじゃないか?」
「大丈夫よ。そんな都市伝説は四文字と同じ末路を辿るわ。完全無欠の存在は、話が一気に嘘臭くなって誰も存在を信じない。例え広まったとしても、人間達は神殺しの武器……都市伝説で言うと対抗神話って奴を作り出すわ」
「はあ……なんか神様ってのは大変だな……」
「ええ、大変よ。とっても大変なの……そんな私達を貴方は殺すの?」
「はっ……?」
いじけたように黙ってしまったアクアを俺は仕方なく抱きしめる。俺の手はもうマウスからは離れていた。そして、どうしようもない不安に襲われる。それは俺にとっては未知の恐怖だった。
「アクア、お前も”死”って奴があるのか?」
「寿命ならないわよ。でも、存在的な”死”はいつか訪れるかもしれない」
「それなら……!」
「大丈夫、大丈夫よカズマ……」
アクアは身体を俺の方へと向けて微笑む。彼女の手は俺の頬に添えられていた。
「カズマさんが望む限り、私は貴方の傍に存在し続けるから」
そんなアクアを力いっぱい抱きしめながら、俺は馬鹿らしい思い、それこそめぐみんを馬鹿に出来ないような思いがこみ上げてきた。
力が欲しい。
少なくとも、目の前にいるアクアだけでも自分で守れるくらいの力が欲しかった。
そのための一歩を、俺はようやく踏み出す事にした。
「なあ、アクア俺の戸籍ってどうなってる?」
「いきなりどうしたのよ。まあ安心しなさいな。天津神は私の後輩だからその伝手でちょちょいと元に戻してるわ」
「アマツカミ……? まあいいや、とにかくそれなら大丈夫そうだな」
とりあえずの目標は立てたられた。それなら、後は突き進むだけだ。
「アクア、俺就職するよ」
アクアはしばらく呆気に取られていたが、すぐに満面の笑みを取り戻す。その笑顔に懐かしいものを感じた俺は少しだけ気恥ずかしかった。
次回でカズマさん視点は終了ですね。