「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」
「ああ、頼む」
「それでは……ってわひゃあ!?」
緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポットを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注ぐ。このやりなおしの合図となるやり取りもこれで”五回目”だ。無事やりなおせた事への喜びはあるが、それ以上に私の頭の中は整理しきれない情報と感情でいっぱいだった。
「とりあえず……5周目の開始と行こう……」
私は味のしない朝食に手をつけ始めた。この周回で目指すのは今までと変わらない。私がカズマの”一番”になる事だ。だが、具体的な策も何もない。今の私に出来る事なんてなにもないのだ。
「…………」
朝食を終えた私は早速カズマの屋敷へと来ていた。だが正門前で足が止まってしまう。そうして、恐る恐る伸ばした手は、難なく正門をすり抜ける。もちろん、そこには”透明な壁”なんてものはない。私の足を止める物理的障壁なんてものはそこには存在しなかった。
『それじゃあダクネス、良い旅を』
「っ………!」
あの女神の声が私のすぐ近くから聞こえた。慌てて周囲を見渡すが、彼女の存在は確認できない。それが幻聴であると理解した時には、私は屋敷から背を向けていた。それから一歩、また一歩と屋敷から離れていく。
怖かった。
本当に怖かったのだ。
親友からの裏切り、愛する男は私の事を見ていないという現実、どうしようもない詰みの盤面。
それら全部が嫌になって私は無様にも逃げ出してしまった。
そうして逃げ出した私が行きついた先はいつもの喫茶店であった。思えば、このやりなおしに思い悩んだ時はいつもここに足を運んでいた。そこでまずくも美味しくもないコーヒーと甘味の注文を取り、静かに腰を落ち着ける。私はこの周回の目標を定めるために今までの事を振り返ろうとしたが、それも喉にせりあがる不快感のせいで気力が出ない。運ばれてきたチーズケーキを小さくつまみ、過ぎ去る時間を何も考えずに過ごした。
ふと何者かの視線を感じた気がして思わず周囲に目を向けた。その時、少し離れたテラス席にこちらを無表情で見つめる知人の姿を見つけた。見慣れた紅魔族ローブに身を包んだ少女……ゆんゆんと私は目がった。思わず目を逸らした私だが、近づいてくる足音で彼女が席を立った事に気づいた。そうして、予想通り私の前に姿を現したゆんゆんは、相変わらずの無表情でこちらを見下していた。
「大丈夫ですかダクネスさん?」
「あ、ああ……」
「貴方らしくない表情です。何かあったのですか?」
「別に……なんでもない……」
「…………」
会話は途中で途切れる。だが、ゆんゆんは私の対面へと腰かけた。そのままお互いに無言の時間を過ごすが、先に口を開いたのはゆんゆんだった。
「ダクネスさん、私の家に来ませんか?」
「なぜだ……」
「それくらい貴方の様子がひどいんです」
「私は何も……」
「体、震えてますよ?」
「っ……!?」
そう言われて初めて、私の全身がぶるぶると震えている事に気が付いた。震えを止めようと意識するが、自分の手のひらは震えが止まらない。それを取り繕うために私はゆんゆんへ顔を向ける。だが、私の表情は彼女を安心させるような笑顔は出来なかったらしい。ゆんゆんは私の顔を無表情で見つめ返した後、大きな溜息をついた。
「じゃあ行きましょうか」
ゆんゆんは私の手を取り、思いのほか強い力で私を立ち上がらせる。そうして手を引く彼女に私はされるがままにされた。そのまま歩き続けること数十分、私はゆんゆんに連れられて彼女の家に通された。半年以上もめぐみん達と寝食を一緒にしたこの家は、私にとっても少し懐かしいものだった。ゆんゆんは私を強引にソファーへ座らせた後、暖かい紅茶を淹れて私に手渡してきた。それに口をつけた私は小さく一息をつく。彼女の淹れるお茶は相変わらず美味しかった。
「震えは止まりましたか……」
「…………」
「んー、少しは良くなったようですね」
私の持つカップに注がれた紅茶の水面は小さな波紋を作っていた。ゆんゆんの表情はいつの間にか無表情から何かを慈しむような表情に変化していた。ばつの悪くなった私はそっと紅茶を飲み干した。
「それで、何があったんですかダクネスさん?」
「それは……なんというか……い、言えない!」
「ダクネスさん?」
私の身体がまた震えを取り戻した。三周目、私は事情を全てエリス様に話した。その結果はもはや言うまでもない。前回に至ってはアクアが私の状況を把握した結果、エリス様やめぐみん達からカズマの記憶を消し、アクア自身もカズマを拉致してどこかに消えてしまった。それを経験して、私は三周目のエリス様が私に伝えた警告の意味をやっと理解出来た。
やりなおしをしている事を他者に伝えてはいけない。
それは私の中で悲劇への入り口であると心に刻まれようとしていた。だが、今の私の姿はゆんゆんからしてみればより悲壮なものに映ったらしい。彼女はまた大きくため息をついてから私の横へと腰かけ、こちらの背中を撫でてきた。思ったより積極的な態度を取る彼女には驚かされたが、私はそれに対し何も抵抗する事が出来なかった。
「ゆんゆん……ありがたいが何で急に私を……」
「知り合い……いや友達がこんな状況なら誰だってこうするはずですよ」
「友達……友達か……友達なんて一番信用できない相手だ……」
「…………」
そのままたっぷりとゆんゆんに慰められた私は少しだけ余裕を取り戻した。おまけに彼女からあてがわれた小さくて可愛い黒猫をあやすのも良い気分転換になった。
「少しは気分が晴れたみたいですね」
「まあな……」
「さっきまでのダクネスさん、見ていて自殺でもするんじゃないかってくらい暗い表情でしたからね」
「っ……!?」
「ダクネスさん?」
私は思わずゆんゆんから距離を取る。もしかして、彼女はこちらの事情を知っているのではないかと思ったからだ。だが、困惑したような様子の彼女を見て私は自己嫌悪に陥る。結局、私の根底には前回アクアに植え付けられた恐怖がまだあるらしい。ここまで慰めてくれた彼女を疑うという良心の呵責に苛まれた。
「ダクネスさん、貴方がめぐみんやアクアさんと何かトラブルを起こしたのは私でも理解出来ます。だからこそ、私みたいな別の”友達”を頼ってみてください。こんな私でも、少しは力になれそうですから」
「私は……」
「ふふっ、別に些細な頼み事でいいんです。とにかく私は出来る事ならなんでも……!」
笑顔を見せるゆんゆんに私は小さく苦笑する。そして、私自身も覚悟を決める。確かに、私のやりなおしが周囲にばれる事は前回のような最悪の結果を引き起こすかもしれない。それでも、今の私はどうしようもないどん詰まり、運命の袋小路にいる。私以外の手が欲しいのは確かだった。
そして、私は今までの周回でこの”ゆんゆん”という少女のお人好しぶりを嫌になるくらい目にしてきた。思い悩む私に何度も声をかけ、二周目では狂気に染められた私達を養いながらアクアと私達の仲を取り持とうとした。だから私は彼女に全てを告げる事にした。それは一種のやぶれかぶれでもあった。
「なあ、ゆんゆん……」
「はい!」
「私は……私は”やりなおし”をしているんだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ゆんゆん?」
「…………」
「おい、ゆんゆん」
「っ……!?」
「どうしたんだ? 早く湯船に来たらどうだ?」
「あっ、はい!」
慌てて立ち上がったゆんゆんはまるで飛び込むように湯船に入り私の近くへと身を落ち着かせた。場所はゆんゆんの家の浴室。二人で入っても問題ないくらい広さを持つこのお風呂に、私はせっかくだからと彼女と一緒に入る事にした。それこそ、私の全てを話した相手である。裸の付き合いに誘うのも造作のない事であった。
「やけに内股をごしごしと洗ってたみたいだが……」
「な、なんでもないですよ!」
「白々しいな。ふむ……」
「ひゃあっ!?」
私はそっと、彼女の両足を押し開いた。突然の事に抵抗できなかった彼女をよそに、私はじっくりとそこを眺める。そこには激しく擦ったせいなのか白い肌に少しだけ赤みがさしていた。そして、その近くにゆんゆんが紅魔族である事の”証”を目にして私は溜息をついた。
「今更何を恥ずかしがっているんだか……まあめぐみんんもそれについては少し文句を言っていたな」
「…………」
「ゆんゆん?」
「ええ、大丈夫です。確かに今更ですね。それはそれとして、これの位置に関しては紅魔族内でも共通の恥ずかしい話題なんですよ」
「ああ、少し悪乗りした」
「もうっ……でも貴方に元気が戻った事は確かみたいですね」
朗らかに笑うゆんゆんの横で私は肩まで湯につかり身体を休める。これまでの周回を合計して約一年あまりであるが、その間に私は常に思い悩んでいた。しかし、今回はその経験をゆんゆんに全て話し、肩の荷も下りた気分だ。だが、私には具体的方策も今後の見通しもなっていない。とりあえずの目標は体と精神を休める事にした。異常事態が発生したとしても、やりなおせばいい。正直言って、この周回は”捨て回”とも言えるものだった。
「ダクネスさん、さっきの話は本当なんですよね?」
「まあな、信じられないなら私の狂言だと思って聞き流して欲しい」
「信じますよ。貴方がわざわざ私なんかにそんな嘘をつく必要性はないですしね。それにあそこまで追い詰められた表情を浮かべる人間を見たのは生まれて初めてですから」
ゆんゆんの納得の仕方には私も閉口するしかない。私から見ても、彼女の表情はいまいち読み取れないが少なく見積もって半信半疑という所であろう。そのまま、私達はしばらくのあいだ無言で湯を浴びる。それから、そろそろ上がろうかと思い始めた時、そっとゆんゆんが口を開いた。
「ダクネスさん、”死”っていうのはどういう感覚なんですか」
「いきなりだな」
「純粋な好奇心です。まだ死んだ事はありませんから」
「そうだな……」
こちらをじっと見つめるゆんゆんに私も視線を返す。そうして思い出すのはこれまでによる周回で経験した死の感覚だ。自然と震えと鳥肌が立つが私は平然を装った。
「めぐみんに殺された時は本当に一瞬だった。痛みとか喪失感を覚える前にはすでに死んでいた。自殺の場合は……なんだかんだで痛みはあったな。まあ、こんなナイフで体を切り裂けば私でも痛みを覚えるのも当然だ」
「それは……!」
「話にも出てきたナイフだよ。私がエリス様から賜ったものだ」
自嘲気味に、少しだけ誇らしげに右手に出現した大振りのナイフをゆんゆんはマジマジと見つめる。そんな彼女の前で私はナイフを”自分の中”に収納する。綺麗さっぱり消えてしまったナイフを前にゆんゆんは表情を固くした。
「痛みもかなりのものだが、それ以上に寒かった。大量出血の感覚は痛い以上になんだか頭がボヤっとしてきてな、それから思考力がどんどん低下して気が付いたら死んでる。そんなものだ」
「…………」
「カズマも何度か死を経験してる事を考えると、やはりアイツには頭が上がらない。あれを何度経験しても……」
「カズマさんの死と貴方の死は別物です。一緒にしないでください」
それはゆんゆんから漏れた明らかな嫌悪の声であった。綺麗な顔を怒りに染める彼女を前に私も少しカチンと来る。だが、私自身強くは出れない。私だってそんな事は言われなくても分かっているのだ。
「ダクネスさん、一つだけ言わせて頂きます。やっぱり、貴方は狂気に囚われています。思考が常人のものではありません」
「ああ……」
「でも、だからこそ放っておけません。私に協力出来る事があるなら、犯罪以外はなんだってします。貴方が自暴自棄になっているのなら少しくらい身体も心も休めてください。それに、私が関わる事で今までと違う変化だって起きるかもしれません。だから……!」
「…………」
「自分で死を選ぶなんてバカな事はやめてください! そんな事、私が絶対に許しませんから!」
まっすぐにこちらを見つめる彼女の目は決意に満ちていた。その姿にまぶしさを感じながら、私は思わず笑ってしまう。どうせ、終わる世界だ。それなら、彼女に頼ってみるのも一考の余地があるだろう。
「それじゃあ最初のお願いだ」
「はい!」
「今晩は泊めてくれないか?」
私の申し出にゆんゆんはコクコクと頷いた。
その日の深夜、私はゆんゆんが準備してくれた布団の中にいた。だが、簡単には眠れない。それを察したのかベッドからゆんゆんの小さな声が聞こえた。
「眠れないんですか?」
「ああ、今日はまだ終わっていない。これが前回のようなイレギュラーなパターンだった場合、アクアが……」
「まったく、しょうがないですね」
小さなため息が聞こえた後、ゆんゆんは私の布団の中へすっと入って来た。そして、母が子を安心させるように私の頭を掻き抱いた。頬に感じる彼女の豊かな双丘と人肌の暖かさは私に安心とありもしない懐古の念を思い起こさせた。
「大丈夫ですよダクネスさん。私が何とかしますから」
彼女のぬくもりに包まれながら目を閉じる。まあ、少しくらい心身を休めても問題はないだろう。もし何か異変が起きた場合は、私が死ねばいいのだから。
「こんな悲劇、私が終わらせます。私が終わらせなきゃダメなんです。ねえ、そうでしょう……」
微睡みの中でゆんゆんの決意に満ちた声を聞いた気がした。
あれから2週間、私はカズマ達と一切関わらずに引きこもって趣味の小説を読んだり、小旅行に出て温泉と食べ歩きを楽しんだ。晴れた気分になりながら家へと帰還し、そろそろカズマがめぐみんかアクアと結ばれているという事実にげんなりしながら私はカズマの屋敷へと足を運んだ。気は重いが、結果は次回のために見ておくべきであるからだ。だが、屋敷で私が目にしたのは予想外の光景だった。
「カズマさん、反対になってください」
「甘い匂いがする……」
「それはさっきまでお菓子を作っていたからですよ」
「いいや違う。これは……ゆんゆんの匂いだ……」
「変な事言わないでくださいよ……もう……ってダクネスさん?」
「うげっ!?」
ゆんゆんの膝に頭を乗せたカズマがこちらを見て冷や汗をかいている。ゆんゆんはというと、朗らかな表情でカズマに耳かきをしていた。それだけならギリギリ許せるのだが、何故か彼女はメイド服を着こんでいた。残念ながら、私的にはこれはアウトであった。
「ほう、しばらく見てない間に随分とゆんゆんと仲良くなったようだなカズマ」
「誤解だ! これはな色々とあって……」
「いいんですよカズマさん。説明は私がしますから……という事で一緒にキッチンまでお願いしますダクネスさん?」
たいした動揺も見せずにキッチンに足を運ぶゆんゆんに続いて私もキッチンに入る。それから、ソファーで小さくなっているカズマを一瞥してからゆんゆんは私の方へ向き直った。
「心配しましたよダクネスさん、あれから急に姿をくらまして私に連絡もしてくれないんですから……」
「それより今のお前の状況を説明しろ。一体、何をやってるんだ?」
「ふふっ、貴方のために場を整えたんです。カズマさんがめぐみんやアクアさんと深い仲にならないように、ちょっと妨害活動をしてたんですよ!」
少しドヤっとした表情のゆんゆんに私も毒気が抜かれるが、納得はしていない。だが、本来ならここでカズマとイチャついているはずのめぐみんやアクアがいないのは事実であった。
「めぐみんには紅魔の里の学校で教育実習を受けて貰ってます。まあ、行ったのは私のコネを使ってのめぐみんの里帰り延長させるっていう単純なものです。アクアさんにはバニルさんと協力して彼女の探す”夢”に関しての誤情報をバラまきました。彼女が積極的にこちらに介入する事はないはずですよ」
「なっ……」
「カズマさんは誰かに会いに行ったりしないように私がこの屋敷で世話を焼きつつ見守っていました。それも、ダクネスさんが帰ってくるまでですけどね」
笑顔を浮かべるゆんゆんを前に私は閉口するしかない。この周回、私はただ遊んでいただけなのにゆんゆんはほぼ完ぺきと言える盤面を整えてくれた。これは僥倖という他ないが、ここまで来ると返って心配であった。
「何故私にそこまでする……」
「友達だからって理由ではいけませんか?」
「残念ながらここ最近の私にとって友達なんてものは一番信用出来ない相手なんだ」
「もう、ひねくれちゃって……とにかく後は貴方次第です。さっさとカズマさんに告白しちゃってください」
「は?」
ゆんゆんに勧められたのはカズマへの告白だった。だが、それが悪手である事は以前の周回で理解している。その行為はカズマにアクアへの好意を自覚させるだけなのだ。
「ダクネスさん、そのやり直した世界のお話を聞いて私は確信しているんです。アクアさんの介入がなければカズマさんは貴方を選んでいたはずですよ。あの人、流されやすい性格ですからね」
「お前にカズマの何が分かる……」
「これでも、私はカズマさんの友人のつもりです。彼の性格だってある程度は理解してます。大体、何もなければ彼は貴方を一番に選ぶはずで……」
「それだ! その言葉を私は以前の周回でも貴様から言われている。一体、何を根拠にそんな考えに至るんだ!?」
当然の疑問だった。私、めぐみん、アクアとカズマを取り巻く関係においてゆんゆんは言わば盤外の人物だ。そんな彼女が何故私に手助けをするのか、私が勝つものだと思っているかが理解出来なかった。
「その答えは貴方がカズマさんに告白すれば分かりますよ」
「なっ……それじゃあ答えを放棄したようなもので……」
「という事で私は買い物にでも行ってきます。さっさと告白でも何でもしてください」
「あっ……おい……」
足早に裏口から外へと出かけてしまったゆんゆんを前に私は言葉を失う。残された私はしばらくぼーっとしていたが覚悟を決める事にした。どの道、告白をしなければ私の想いは彼には伝わらない。待っていればこちらを振り返ってくれるような男ではないのだ。また、告白をした結果彼がアクアを選んだのはまだ一度だけだ。再現性の確認が取れたとは言えない。
「…………」
頭の中でごちゃごちゃと考えていたが、結局答えは変わらない。
”失敗したらやりなおせばいい”
それだけだ。私のやぶれかぶれも、ここでは前向きに働く。私はキッチンから足を進め、ソファーに座って小さくなっているカズマの隣に座った。彼はまるで怒られるのを怖がる子供のような表情をしているが、私はそんな彼に対して小さくため息をついた。
「カズマ、少し話があるんだ」
「なんだ? ゆんゆんなら別にそういう関係とかじゃ……」
「そうじゃない。私達の今後についてだ」
私の言葉を聞いた彼は目を見開いてこちらを見る。そんな彼に私は思いを伝える事にした。以前のような熱はもちろんない。淡々と告白の言葉を告げていた。
「私と結婚してくれないか」
ド直球な私の一言にカズマは口をあんぐりと開けて放心していた。私はそんな彼の口を手で閉じさせ、答えを促す。狼狽え始めた彼は少し滑稽であった。
「ダクネス……いきなり……その答えは……少し考えさせて……」
「ダメだ。今答えろ。どこまで女々しいんだお前は」
「うぐっ……」
言葉を詰まらせる彼をまっすぐ見つめながら私は答えを待つ。結果の予想はついているが、万が一の可能性もある。それから沈黙が続いた後、彼はやっと口を開いた。
「なあダクネス、答えを出す前に色々と聞きたい事がある。いくつか質問に答えて貰っていいか?」
「いいだろう」
「それなら……その……ダクネスの親父さんは俺が結婚相手になって納得するのか?」
「は?」
それは私にとっては予想外の方向からの質問であった。
「私の父は反対しないと思うし、むしろ歓迎すると思うぞ。前々から私には早く結婚しろって言ってるしな」
「でも、お前の家って貴族じゃないか。何と言うかその……分かるだろう?」
「いや、分からない。もっと詳細に質問してくれ」
「あーもう……分かった……分かったからよ……」
俯き、少しもじもじしているカズマの様子は弱々しかった。今までにない様子のカズマを見つめている私だが、彼はそんな私をチラっと見た後、観念したように大きく息をついた。
「俺って異世界人だし……しかも髪も茶系の黒髪だし……目だって……」
「だからどうした?」
「いやその……もしお前と……その……アレだ……子供は貴族としての純血を失うわけで……」
「は……はっ……はあ!?」
「いやだから……」
「ちょっと待て! 少し時間をくれカズマ!」
「お……おう……」
私は言葉数の少ないカズマから目を外し、ズキズキと痛む頭を抑えながら私はぐちゃぐちゃの思考をまとめ、彼の言葉の意図を理解して行く。それから、おぼろげながら見えてきた真相を前に私は正に発狂しそうになる気分であった。
「なあカズマ、そんなしょうもないことを気にしていたのか?」
「いや気にするだろ……だって結婚だぞ……」
「私がお前との間に生まれた子供が金髪碧眼じゃなかったら失望するとでも思ったのか!?」
「別にそういうわけじゃ……ただ貴族ってのは責任重大というか……」
狼狽えるカズマの前で私は怒る気すら無くす。どうやら、私と彼ではそもそもの前提条件が違うらしい。自分の欲望には素直な男だと思っていたが、想像以上に繊細で変な価値観を私に持っているようだ。何と言うか、私の方が色々と気が抜けてしまった。
「確かに貴族社会は金髪碧眼が純血の証とされているが、そうじゃない貴族だっている。王家だって過去の勇者の血を何度も入れているんだ。金髪碧眼じゃない王族だってたくさんいる。それなのに、私が愛する男を貴族じゃないから、髪色や目の色、肌の色が違うからと言って拒むと思うか?」
「あっ……いやその……」
「はあ、もういい。さっさと告白の返事をしてくれカズマ。なんだかどうでも良くなってきた」
今までの私の苦悩は何だったのか。カズマの想いを知らずに一人で色々と考え込んでいた自分が実に滑稽に思えてきた。カズマはと言うと、そんな私を見て焦ったような表情を浮かべていた。
「少し言い訳させてくれダクネス。何と言うかその……俺に取ってお前は一番”異国感”のある女性というか……」
「はっきり一言で伝えろ!」
「うっ……正直言うと俺みたいな生粋の日本人にとって、“外人”のお嬢様と結婚するのは敷居が高かったんだよ!」
「ガイジン……?」
「やべえ、俺はまた差別に繋がりそうな発言を……」
落ち込むカズマの膝を私はバシっと叩く。それから、彼の話の続きを催促した。カズマはしばらく挙動不審になっていたが、覚悟を決めたように大きく息をついた。
「まあアレだな。仲間としてはお前達と何不自由なくやってきたわけだけど、結婚となると色々考えてしまってな。めぐみんは容姿も日本人よりだし、普通の田舎娘だから馴染みやすいんだ。でも、ダクネスは容姿も綺麗すぎてこっちが惨めになるレベルだし、貴族なんてもう考えるだけでめんどくさそうな……」
「面倒くさい……?」
「そうそう、ダクネスって面倒くさい女なんだよ……ってやべえ!? 何言ってんだ俺!?」
怯えた表情浮かべるカズマに私は何だか色んな思いが萎んでいく。少しだけ愛も減ってしまった。だが、彼の発言は変な説得力はあるが矛盾している点があった。
「私よりその……アクアの方がカズマにとって高嶺の花じゃないのか?」
「いや、確かにアイツは容姿も正に女神だし髪色だって青なんて意味不明な色してるけど、アクアはアクアだしな」
「ん……?」
「いやだから、アクアはアクアっていう……」
「分かった。この話はやめよう」
藪でヘビを突く前に私は話を切り上げる。これ以上はカズマに余計な事を考えさせるきっかけにもなりそうだった。
「それで、カズマ告白の返事は?」
「いや……それは……不束者ですがよろしくお願いします……」
「えっ………?」
「何を素っ頓狂な顔してんだよ。つーことでこれからもよろしくな」
「あ、はい……」
こうしてカズマと私は結婚する事になった。
この果てしなき修羅場に終焉を!
完!
「でも、結婚には条件がある。めぐみんとの仲も認めてくれないか? 貴族なら許されんだろう? 側室って感じで頼むわ。後アクアも……使用人でもペットでもいいから傍に置かせてくれないか?」
もう少し、夢を見させて欲しかった。
笑顔でそんな馬鹿な事を言うカズマを前に私は熱く込みあがっていた感情が急速に冷えて行くのを感じた。カズマも私の方を見てそれを察したようだが、彼は引き下がらなかった。
「分かるだろうダクネス、めぐみんもアクアも俺の事が好きなんだ。俺だって今更アイツらと縁を切るつもりはない。これからも、一緒に過ごす事にダクネスだって歓迎して当然で……」
「嘘つき」
それは自然と私の口から漏れた声であった。そうして、遅れて両目から涙が溢れだす。もう終わったと思った。しょうもない誤解も解けて大団円で終わると思った。その結果がこれだった。そして、ようやく私はカズマの本心に触れられた。結果として、ゆんゆんの言葉の意図にも気づいた。
「カズマは私をそういう目で見ていたんだな……」
「いきなりどうした……?」
「その目だ。その目で私をずっと……」
気づきたくない真実というものがある。だが、無慈悲にもカズマの目はそれを物語っていた。
「私を可哀想な物を見るような……弱い物を見るような目で見ないでくれ……!」
「ダクネス……?」
「こんな……こんな現実を知るくらいなら私は……」
恋する乙女として、私はカズマとの恋愛関係において多くの”夢”をみた。そのなかにはロマンチックすぎるものやあまりに非現実的なものだって混じっている。でも、それを夢見るのは女として誰しも当然の行為であった。私はカズマを愛し、カズマも私を愛する。そうやって二人で愛を誓って結婚し、幸せな家庭を築いてゆっくりと天国へと旅経つ。そんな当たり前な光景だ。
だが現実は違う。
カズマが私との結婚を受け入れるにはきちんとした理由がある。
決して私を一番に愛しているからではなかった。
端的に言ってしまえば、私は彼にとって”かわいそう”な存在なのだ。
貴族として生きる以上、世継ぎは重要だ。私とカズマが結ばれない場合、私が他の男と結婚するのは必然であった。だから、カズマはそれを哀れんだ。結婚の動機の大半は、私を愛しているからではなく、私が望まない結婚をしなくていいように。ただそれだけだ。恐らく、めぐみんと結ばれる事になっても彼は私を”愛人”にしようとしたはずだ。根底にあるのはやはり、哀れみだった。これは彼にとってはめぐみんもその哀れみの対象である事を示していた。
では、カズマが本当に愛する者と結ばれた時はどうなるであろうか?
その姿を私はもうすでにこの目で見ている。
カズマは愛するアクアのために、私とめぐみんを切り捨てたのだ。
「おい、ダクネス!?」
後ろから、彼の呼ぶ声がする。
だが私はその場から逃げ出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「結局、こうなるのか……」
ダスティネス家の自室で、私はエリス様のナイフを抜いていた。その鈍く冷たい刀身をしばらく見つめた後、私はそれを自分の左手の甲に突き刺す。鋭い痛みが走るが、気にせず二回目の刺突を手のひらに打ち込んだ。
「いぐっ……!?」
二回目の痛みが以前と比べて大きくなっている気がした。血が泡立つような熱さと皮と肉が引き裂かれる感触に私は怖気を覚える。だが、これで終わりじゃない。三回目の刺突を……
「また逃げるのですか?」
それは私の自室の背後、窓際から聞こえてきた。視線をそこへ移すと、風に揺れるカーテンといつもの紅魔族ローブを身に着けたゆんゆんの姿が目に入った。いつの間にか不法侵入してきたらしい。
「死んでやりなおして、やりなおした先で何をするのですか?」
「いきなりだな…………」
「急な話ではありません。ダクネスさんだって本心では理解しているのでしょう? 今の貴方では例え百回、何千回、何万回繰り返しても結果は変わりませんよ」
「私は逃げてなんか……!」
「いいえ、逃げてます。見ていてとっても無様ですね。ダクネスさんがやっている事はサイコロで望まぬ出目が出なかったからと何度も振りなおしをしているだけです。そんな事をしても、貴方の望みは叶えられません。だって、貴方の持つサイコロには貴方が望む出目自体がないのですから」
「ぐっ……」
ズカズカと私室に土足で踏み込んで来たかと思えば、やっている事は私への説教だ。言い返してやりたいが、今の私にはその気力も自信もない。項垂れる私に彼女はゆっくりと足を進め、ベッドに座る私を見下ろしてくる。その瞳は何故か怒りに揺れていた。
「意中の相手が自分の想いを察し、相手も私を好きになる。そして彼の方から積極的にアプローチをしてくれる事を夢見るのは当然です。でも、現実はそうじゃない。自分より容姿も性格も良い女性なんていくらでもいますし、愛しの彼もいつもこちらをみてくれるわけじゃない。そんな”現実”に貴方は向き合わなきゃダメなんです! そうしなければ貴方は永遠に無意味なループを……」
「うるさい黙れ! 私はやりなおすんだ!」
「ダクネスさんのバカ……!」
呆気に取られたゆんゆんの前で私はナイフを思いっきり突き立てようとした。だが、次の瞬間には彼女の鋭い回し蹴りが炸裂する。革ブーツによる蹴りの衝撃で私はナイフから手を離してしまった。勢いのついたナイフは天井へと突き刺さる。自殺手段を失った私は、無様に佇むほかなかった。
「ダクネスさん、貴方は”現実”を見るべきです」
「…………」
「カズマさんが本当に好きなのはアクアさんです。これは多分、貴方がどうあがいても変えられない」
「うるさい……」
「貴方が享受できるのはカズマさんによる慈悲だけです。望まぬ結婚をしないように、今まで通りの関係を維持するために、彼は貴方と結婚するという選択肢だって取ります。でも、それは真に貴方を愛しているからではありません。彼にとって、貴方との結婚は”今まで通りの関係”を維持するのに都合が良い。それだけの関係なんです」
「うるさいうるさいうるさい……!」
そんな事は言われなくても分かってる。カズマのあの”目”を見てしまえば嫌でも理解出来る。彼にとって、今の私は可愛そうな存在というだけだ。私だけを選んで愛してくれるカズマは私の幻想にすぎなかった。
「だから、ダクネスさん。貴方はこの状況を一度は飲み込んでください。確かに、貴方はカズマさんに一番に愛されているわけではありません。でも、これをスタート地点と考えればいいんです。ここから……ゼロから始めればいつかカズマさんだって……」
「うるさい!」
私は年甲斐もなく大きく地団太を踏んだ。その衝撃で、天井に刺さったナイフが抜け落ちる。それを手に私は覚悟を決める。もう考えるのも億劫だ。一刻でも早く私はこの世界をやりなおしたかった。
「あれは私の”カズマ”じゃない!」
「ダクネス……さん……?」
「きっとどこかに……どこかにいるはずなんだ……! 私を……私だけを愛してくれる……私だけの”カズマ”がいるはずなんだ!」
私の言葉に、ゆんゆんは表情を凍らせる。
そして、私は一気にナイフを――
「それじゃあ、この世界の”カズマさん”は私が貰ってもいいんですね?」
その言葉の意味が分からず私は動きを止めた。
「ああ……そういう事ですか……アクアさんもエリスさんも、貴方みたいなクズと付き合いきれなかったんでしょうね」
ゆんゆんは窓枠にゆっくりと手をかけ、こちらを一瞥する。彼女の瞳には明確に私を軽蔑する視線が含まれていた。
「ダクネスさん、一つ忠告です。貴方の”やりなおし”の話を聞いて私はいくつも納得出来ない点が散見しているのに気づきました。でも、愚鈍な貴方はそれに気づかない。自分の持つ能力は絶対だと過信して自己中心的な欲望で周囲を破滅へと引き込む。そんな貴方には、いつか絶対天罰が下ります」
夜風に揺れる紅魔族ローブが闇に溶けていく。私の前から姿を消しながら彼女はポツリと呟いた。
「それと、これは独り言ですが……何故三周目のエリス様は貴方に”アクアさんとめぐみんへの罵詈雑言に満ちた遺書”なんてものを書かせたんでしょうね……?」
「はっ?」
「貴方の気持ちを整理させるため? そんな嘘に貴方は容易く騙されるくらい愚鈍なんですよ」
「えっ……あっ……」
「それじゃあ良い旅を……また会いましょうダクネスさん」
ゆんゆんは私の部屋から完全に姿を消す。
残された私は、ナイフを手にしたまま指一つ動かす事が出来なかった。
翌朝、私の部屋に飛び込んでくる小さな影がいた。
焦った表情を見せる少女……めぐみんは半ば予想通りの言葉を口にした。
「大変ですダクネス! カズマがゆんゆんと一緒に行方不明になりました!」
次回は二月中になりそうです