「貴方達は何をやっていたのですか」
静まりかえった屋敷のリビングにて呆れのこもっためぐみんの声が響き渡る。私は彼女に対して閉口し、アクアはビクリと背を震わせてから小さく縮こまった。
「私が不在の間、貴方達がカズマと性的関係を持つ可能性は考えていました。でも、ある意味で信頼はしていたんです。例えそうなったとしても私達の関係は変わらないと。だから私は自分の将来を向けて行動を起こしていたんです。そんな時、教師になるための研修中の私にアクアが急に泣きついてきまして……」
めぐみんは苛立ちを隠さず、私達の向かいの席へとドカリと座る。彼女の口元からはギシギシという不快な歯ぎしりの音が漏れていた。
「私の不安も残念ながら杞憂に終わりました。貴方達ではなく、よりによってあのぼっち娘に出し抜かれてカズマと駆け落ちされるなんて考えもしませんでしたよ!」
「めぐみん、まだ駆け落ちと決まったわけじゃないわ。二人で旅行に行っただけかもしれないじゃない……」
「アクアはバカなんですか!? 私達の年齢で二人だけで旅行なんてお互い下心があるに決まってるじゃないですか!」
机をバンバンと叩きながら怒鳴るめぐみんにアクアは怯んで更に縮こまった。
「それじゃあ改めて聞きますよアクア。カズマが失踪する前に、貴方は何を見たんですか?」
「えと……二週間くらい前からゆんゆんが屋敷に訪れるようになったの。それでカズマの世話を焼いたり、メイド服を着てたり……あの子を最後に見た時はカズマさんにギュッて抱きついてて……」
「それで、アクアはその状況にどう対応したのですか?」
「うぐっ……その……なんだか見ていられなくて……」
「そうして無様に敗走したとでも?」
めぐみんの問いにアクアは小さく頷く。それを見て、めぐみんは顔をしかめながら大きな溜息をついていた。そうして、視線は私へと向かった。
「ダクネス、貴方は何をしていたのですか?」
実に耳の痛い質問であった。
「私は……私は何もしていなかった……」
「貴方もゆんゆんとカズマの姿を見たはずです。それを見て、何か行動を起こさなかったのですか?」
「ああ……本当に私は何もしなかった……したくなかったんだ……」
「ダクネス、正直言って失望しました。本当に貴方らしくない姿です」
「うるさい。余計なお世話だ」
私の言葉にめぐみんはもう一度ため息をついてから、彼女は私達に改めて向き直る。その瞳は怒りと憎悪による復讐の炎に揺れていた。私は思わず自分の左手をじっくりと眺めてしまった。エリス様のナイフによって付けられた傷はすでに塞がっている。しかし、もう一撃を自分に打ち込めば塞がった傷も開き私は死に至る。
はっきり言ってこのどうしようもない世界に残る意味は薄い。さっさとやりなおすのが正解なのだろう。だが、ゆんゆんに寝首をかかれたのは正直言って癪だった。彼女は私の敵としても格落ちの相手だが、情報収集をするに越したことはない。今回は彼女の情報を収集し、捕縛後は憂さ晴らしの復讐でもする事にしよう。
どうせ私には時間だけはたっぷりとあるのだから。
「まあ貴方達への死体蹴りはこれくらいにしておきましょう。カズマへの害虫除けにもならなかった事には失望しましたが、そんな足りない貴方達も私の大切な親友で共犯者です。見捨てはしませんよ。という事でアクア、貴方ならカズマを見つけられるのではないですか?」
「それが出来るならすでにしてるわ。私の女神としての力を全部使って探知しようとしたけど、カズマもゆんゆんも見つからないの。カズマに仕込んだ術式も機能してないし、完全にお手上げよ……」
「まったく、使えない駄女神ですね」
「な、なによ……私は……うん……ごめん……不甲斐ない女神様でごめんね……」
「いいのですよ貴方が使えないのはいつもの事ですから」
「なによその慰め方……心外なんですけど……」
先ほどから気落ちしているアクアを、めぐみんは軽く抱き寄せる。少し顔を紅く染めた彼女は改めて私とめぐみんに対して頭を下げた。
「ごめんなさい……私……本当にどうしたらいいか分からないのよ。カズマが私達に何も知らせずゆんゆんとどこかに行っただなんて今でも信じられない。考えがまとまらないの……」
「アクア、そこまで考え込む必要はありませんよ。私を裏切ったゆんゆんには地獄を見せる。私達を蔑ろにしたカズマには私達全員の愛と身体を使って、あの男が誰の物なのかを分からせるだけです」
「でも……もしかしたらカズマはもうゆんゆんと……あうっ!?」
涙を浮かべるアクアの頭を、めぐみんは軽く小突く。めぐみんの瞳には相変わらずの復讐の炎に揺れていたが、その瞳に少しだけ私達への優しさの色が滲んでいた。
「幸いな事に、私達はカズマとゆんゆんの決定的な背信行為を見たわけではありません。もしかしたら、まだ肉体関係も持ってないかもしれないです。それに、もう情事を済ませた後であったとしてもカズマとゆんゆんの仲が深まったのはこの二週間です。まだ、彼を振り向かせることはできるはずです。寝取られたなら、寝取り返せばいいんですよ」
自信満々にそう言い放つめぐみんに私もアクアも黙り込む。そうして、私は改めてこのめぐみんという女の強かさを思い知る事になった。
「大丈夫ですよ。私がダメダメな貴方達を導いてあげますから」
そう言って微笑むめぐみんの笑顔には私達への溢れんばかりの愛情とほんの少しの優越感で満ちていた。
「さて、それじゃあ私は紅魔の里へもう一度行ってきます。ゆんゆんは里長の一人娘ですからね。里で暇してる人間をカズマ達の捜索に割り当ててくれるかもしれません。それと貴方達は冒険者ギルドへ行ってカズマの捜索依頼を出して来てください。ほら、行動開始ですよ」
「ひゃんっ!?」
めぐみんはアクアのお尻をぺしりと叩いた後、早くも屋敷の外へと消えていった。残された私は涙目でお尻をさするアクアと目が合う。こうなったらもう、行動あるのみだ。
「ねえダクネス……」
「どうした?」
「本当にカズマさんってば帰ってくるのかしら……?」
「…………」
「私、知らないうちにカズマさんの気に障る事をしてたのかな……」
アクアの様子はいつになく落ち込んでいた。それはいつも傲慢で自信満々な彼女の様子とは異なり、今までの周回で見せた悪辣さも感じられないものだ。そんな彼女の姿はただひたすらに憎らしかった。
「行くぞアクア。思い悩んでいても時間の無駄だ」
「うん……」
歩き出した私の後ろにそっとアクアがついてくる。はっきり言ってしおらしい姿を見せるアクアはただただ不快だった。今すぐにでも■してやりたかった。こんな物騒な感情に支配される理由は単純なものだ。
カズマがアクアを手放すわけがないからだ。
このカズマとゆんゆんの失踪なんてはっきり言ってただの茶番だ。
いつになるかは分からない。ただ、カズマは必ずアクアに会いに来る。今の状況は私達がカズマを見つけるのが先か、それともカズマがアクアに会いに来るのが先かというだけに過ぎなかった。
そんなカズマの失踪から早くも”一ヵ月”が経過した。
紅魔族の里長を説得して紅魔族の一部を率いて捜索をしていためぐみんの力強さも、この頃になると彼女自身の感情と合わせて弱まっていたのを感じた。そして、アクアは屋敷に引きこもりがちになった。部屋を覗くと、目にクマを作りながら何らかの儀式に取り組んでいた。聞くところによると、古今東西の魔術や呪術、女神の力すら行使して彼の捜索をしているらしい。だが、両者はともに何の成果もあげられず、その代償に彼女達の心と感情を壊していった。
その光景を私はどこか冷めた目で見ていた。
それでいて、”胸がすく”思いであった。
情けない事だが、私は彼女達のそんな姿が愛おしかった。私がこれまでのやりなおしで経験したような挫折と絶望に彼女達が呑まれていく姿は傍から見ているぶんには滑稽で哀れみ深い光景だ。めぐみんとアクアには同情は覚えるが、この状況が続いて彼女達が今後どうなってしまうのかは実に興味が惹かれた。
そんな彼女達と言葉を交わすのは夕食の時だけであった。日中は各々の方法で捜索し、夜中はその成果について語らう。約一ヵ月という節目をを迎える今夜は当初の数倍の量の酒瓶が食卓に並んでいた。
「という事でカズマ・ゆんゆん捜索の緊急クエストを我が国と隣国や同盟国の冒険者ギルドに発布したわけだが、今日も今日とて捕縛の知らせはない。相変わらず目撃情報は何千件と寄せられているが、どれも眉唾だ。これに関しては達成報酬が高くしすぎたせいかもしれないな。まあ、報酬が少なければ誰も真面目に取り組まないから仕方のない……って聞いているのか貴様ら」
「…………」
「長々と話しても意味ないでしょ? そういうのは一言で済ませなさいな。成果なしってね」
私の話をめぐみんは机に突っ伏して聞き流し、アクアは疲れた表情で若干トゲのある言葉を飛ばしながらお酒をグビグビと飲み干していく。この状況には流石の私もため息をつく。カズマがいなければ、彼女達は実に脆い存在だった。そして、めぐみんがムクリと顔を上げる。その表情は涙をこらえる子供そのものであった。
「私も成果なしです。里の皆も諦めてしまって紅魔族の力はもう当てに出来ません。それどころか、ゆんゆんを応援する不届きものも多数見られ始めました。あの人達は私達の事を見世物か何かかと……うぅ……!」
ついに泣き出してしまっためぐみんを見て私とアクアは目を見合わせて肩をすくめる。ギルドに出したクエストでは失踪者の捜索という緊急性の高い物として認識してもらえていたが、紅魔の里ではすでに”痴情のもつれ”で起こった事という認識が出来上がってしまった。どちらにしろ、もう紅魔の里は当てに出来ないという事だ。
「さて、めぐみんに続いて成果なし……と言いたい所だけど、こうして色々と試して分かった事があるの。あの二人は確実に女神すら欺く”何か”を使用してるみたい。この世界で紛失した神器やその他の神魔の干渉も無きにしも非ずだけど……」
「神魔避けの結界を使っているんじゃないか?」
「ん……よく知ってるじゃないダクネス。私もカズマとゆんゆんがそれを使ってると思うのよ。でも、これの存在はあんまり一般には流布してないはずなんだけど……」
「昔、そんな秘術があるという話を聞きかじった事だけだ」
「ふーん」
こちらを見て目を細めたアクアを視界に入れ、私の思考は即座に”ヤバイ”と判断する。そんな感情を表には一切出さず、私は曖昧でどうとでもとれる返事をする。そんな懸念をよそにアクアは懐から取り出した羽ペンで自らの手の甲に何かを描き込む。私とめぐみんに見せるように捧げられた手の甲には、見慣れた模様が描かれていた。
「これがその神と悪魔の目を欺く刻印よ。悪魔と取引した本物の魔女や、堕天使がこちらの世界に持ち込んで使ってるみたいね。私みたいな女神の目をすら欺ける太古から続く刻印だけど……弱点はあるわ」
「本当ですかアクア!? それならその弱点とやら突いて……」
「落ち着いてめぐみん。弱点はただ一つ、私のような女神の”肉眼”にこの刻印を刻んだ建物なり人間を捉えれば見抜けるわ!」
「…………」
「ふふん、カズマにはここまで女神である私の手を煩わせた責任を取らせるんだから!」
ふんぞり返って偉そうな事を言うアクアにめぐみんは再び黙り込む。そして、次の瞬間にはアクアの背中に小さな影が乗り移っていた。
「それって結局、解決策がないって事じゃないですか!」
「う、うるさいわね! ここは地道に私達が歩きながら探して……痛いっ!? 髪を引っ張るのはやめなさい! なんなの!? アンタってば子泣き爺か何かなの!?」
「わけわかんないこと言ってないでもっとマシな解決策はないんですか!」
「うっ……解決策がまったくないってことはないんだけど……」
アクアは何かを渋るように縮こまり、めぐみんはそんなアクアに馬乗りになって騒ぎ続けていた。その光景を眺めながら私は思案する。ゆんゆんが取った戦術は今のところ私達に有効に作用している。万が一にも本当にゆんゆんがこのまま逃げ切れたのなら、私が同様の手段を取るのも悪くはない。それこそ、私とカズマ以外が誰も存在しない離島で死ぬまでアクア達と隠れて過ごすという方法もある。もちろん、カズマは嫌がるだろうが聞き分けがない時は口を塞いでやればいい。私から逃げるような事はあってはならないから、最悪アイツの四肢も必要ないだろう。私があの生意気な男の生殺与奪の権利を握れるというのは、一体どんな気分なのだろうか。考えただけで少し下腹部が熱くなってしまった。
「それで、この後はどうするのですかアクア」
「だから私も色々考えて……って、どうやら答えが向こうから来たようね。屋敷のトラップにネズミがかかったみたい」
「ネズミ……?」
アクアは急に苦い顔を浮かべ、めぐみんを背負ったまま歩き出した。その後に私も続く中、背にいるめぐみんがこちらに困惑の視線を送ってくる。だが、私はその視線から顔を外した。この状況に置ける解決策など、私だって分からない。だが、解決してくれそうな相手なら、嫌なくらい知っていた。
そして、アクアの先導で私達が向かったのは屋敷の正門だった。そのいつもと変わらない見慣れた光景の中に、遺物は入り込んでいた。玄関へと続くアプローチの途中で何故かボロボロになって倒れ伏していたのは私の親友であるクリスだった。
「やあやあ、あたしを呼んだかなアクア先輩?」
「別にアンタなんか呼んでないわよ」
「嘘はダメだよアクア先輩。貴方も”あたし”と同類なんだから。考えてる事は一緒のはずだしねぇ」
「うっさいわね……」
「まあ、とにかく正式に屋敷に招待してくれないかな。アクア先輩の許可がなければあたしはこのまま野垂れ死にだからさ」
苦笑するクリスを相手にアクアは唇を噛み、めぐみんは顔をしかめる。私はそんな彼女達をよそにクリスを抱き起す。私に向けてはにかんだ笑みを浮かべた後、彼女は少し申し訳なさそうに私から視線を逸らした。そのまま膠着状態が続くが、それに素早く見切りをつける事にした。私の頭の中の考えは”はやく答えが知りたい”という単純なものだった。
「なあアクア、現状としてはクリス……エリス様の力を借りるのは仕方のない事なんじゃないか?」
「ダクネス……貴方……」
「何を二人して驚いている。それくらい、いい加減理解してるさ」
「分かった……分かったわよ。私達の屋敷へようこそエリス」
「ええ、”久しぶり”にお邪魔させてもらうよ」
アクアは溜息を吐き、クリスはこちらにウインクを飛ばす。めぐみんは嫌そうに口を曲げていた。その後、リビングに案内されたクリスを追加して改めてカズマ奪還への作戦会議が開かれた。だが、誰も口を開かない。だからであろうか、クリスが司会進行を務めるのは当然の流れであった。
「さて、君達を見守っていたあたしは今の状況も当然知っているよ。あの助手君がゆんゆんとどこかに消えたって事もね。でも、あたしはこの屋敷の中で”何が”起こっていたのかはしらないんだ。ねえ、アクア先輩?」
「それは嫌味のつもり? アンタのストーカー行為を看過できるほど私だって甘くないのよ」
「その結果がこれですよアクア先輩。敵を見誤りましたね」
「うぐぐっ……」
嘲笑するようなクリスの表情にアクアはムスっとした表情を返した。そのまま火花を散らしていた二人だが、めぐみんの疲れたような溜め息によってそれも終わった。
「まあ、戦犯探しはこれまでにして……あたしは今回の事件は別に駆け落ちじゃないと思うんだよね。確かにあたしはこの屋敷内の事は把握してないけど、彼が外で何をしていたかはほとんど把握してる。ゆんゆんと接触があったのもここ最近では二か月前に彼とめぐみんと一緒に参加したクエストの時と、一か月前に何故か彼の屋敷に出入りするようになった時だけだしね」
「わかりませんよ。あのぼっちが色仕掛けをした可能性だってあるじゃないですか」
「突発的に手を出す事はあっても、長期の行方不明なんて君達を心配させる事を急にするほど彼も不誠実じゃないよ。それは君達もよく知っているはずだよね?」
当然と言わんばかりにそう言い切るクリスを前に私達は揃って閉口する。そして、私にとっては少し風向きが悪くなった事を肌で感じた。
「ゆんゆんは助手君と接触する前にダクネス……君と接触していたのをあたしは見ているのさ。本当にちらりと見ただけで会話内容までは盗み聞きはしてないから詳しい事は分からない。でも、助手君が失踪する原因については検討がついているんじゃない? どうやら捜索にもあまり積極的でもないし、アクア先輩達と比べて随分と落ち着いてるみたいだしね」
「………」
「別に責めたりはしないよ。本当の事を教えて欲しい。それだけだよ」
真摯な態度のクリスを前に私はどうすればいいか思案していた。ループの話をしてしまったらアクアがおかしくなって、私は結末を見れずに今回も”捨て回”になるかもしれない。だからといって嘘が通じるほどアクアもクリスも甘くはない。そうなれば道は一つしかない。
「ゆんゆんとはその……恋愛相談みたいな事をした。めぐみんがカズマに決断を迫ったようだから私も焦っていたんだ」
「ふむふむ」
「それで、何故か彼女は私を手伝うといいながらカズマと接触し始めた。私は彼女の助けもあってカズマに告白したんだが……まあフラれてはいないが私の希望は叶わなかった。アイツは”私だけ”じゃなく私達全員を選ぶってな。それに対して私は癇癪を起して……後の事は本当に分からない」
私の言ったことは真実だ。だが、ループに関しては触れない。それが私に残された生き残り方だ。クリスとアクアは私の方を見ながらコクリと頷き、めぐみんは少しだけ敵意の表情を向ける。抜け駆けして彼を独占しようとしたのはめぐみん的には背反行為に見えたのだろう。
「じゃあ、めぐみん。君は本当の所はどう思ってるの? ゆんゆんが助手君と駆け落ちしたって思ってるの?」
「それは……確かにあの男とゆんゆんの関係はあくまで友人関係だったのは私も把握してます。でも、色恋沙汰に絶対はないです。急にそういう関係になったのかもしれません」
「ふむふむ。じゃあ、これで答えが出たわけだ!」
クリスは得意げな表情を浮かべながらその薄い胸をと逸らした。
「助手君とゆんゆんが二人で行方を眩ましたのは事実。だけど行方を眩ましたのは君達との関係に悩んでいたからかもしれない。もう一つの可能性としては駆け落ちも考えられるけど……何か月も前から準備したのではなく突発的に取った行動の可能性が高い。そう考えると、彼を捜索するのに最も適した方法は……アクア先輩なら分かるよね。だって、先輩も広義の意味では”あたし”なんだから」
クリスの言葉を受けたアクアは忌々し気に視線を返す。だが、彼女は諦めたようにため息をしてからぽつりぽつりと語り始めた。
「あの二人の捜索には私の神技もギルドも紅魔族も成果が得られない。そうなったらもう一番有効な方法は”物量”で攻めるしかないわね」
「ですがアクア、同様に物量で攻めてるギルドで出した緊急クエストは結果として成果が得られてないじゃないですか。おまけに眉唾な目撃情報が世界中から寄せられてこっちはパンク状態なんですよ?」
めぐみんの声に私は同意の頷きを返す。対してアクアは更に落ち込んだような表情になり、クリスはそんなアクアの背をぽんぽんと叩きながらニヤついた表情を浮かべていた。
「ふふーん、浅学な君達には理解出来ないかもだけど、人間ってのは社会的動物なんだよ。いくら隠れ潜んだとしても衣食住で人並みの生活を得ようと思えれば他人と関わざるを得ないんだ。もし、ゆんゆんと彼がとっても深い仲で何か月も前から駆け落ちを考えて環境を整えていたなら難しかったけどね」
クリスは相変わらず得意げに語っているが、私とめぐみんはイマイチ要領が得られない。そんな私達に助け舟を出すようにアクアは気怠そうに口を開いた。
「つまり、この子が言いたいのは世界中から寄せられた目撃情報を一個一個すべて検証していくっていう事よ。要するに力技ね」
「アクアの言いたいことは分かりましたよ。でも、そんなのは現実的に無理じゃないですか。それこそ、毎日何百件も嘘がばっかの目撃情報が寄せられています。こんなものに付き合ってても時間の無駄です」
「だから何度も言ってるじゃない。それを物量……数の力で解決するのよ」
「でもそんな人員と費用なんてとても……あっ……」
遅まきながら私とめぐみんは理解する。数を揃えたいならこの二人……アクアとエリス様に敵う存在などいるはずがなかった。
「それじゃあ”人類総動員”といこっか! ねっ、アクア先輩!」
「…………」
アクアは相変わらず苦い表情を浮かべていた。
「心配しなくていいよアクア先輩。代償は何もいらないよ。別に今すぐ彼に会いたいってわけじゃなければ、いずれは時間が解決してくれそうな事だしね。ただ、エリス教徒のみんなの力を今すぐ借りたいって言うなら……今後あたしが屋敷を出入りする事を許可してくれると嬉しいなぁ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「という事でカズマ、申し開きはありますか」
「すんません」
「え、聞こえないですよカズマ?」
「すいませんすいませんすいません……すいませんって言ってんだろバカ!」
「はっ?」
「うっ……すいません……って痛い痛い!?」
約一か月半ぶりに目にしたカズマは簀巻きにされて屋敷のリビングに転がっていた。めぐみんはそんな彼に馬乗りになりながら長杖でぺちぺちと叩いている。めぐみんの目元には涙が貯められながらも、その表情は明るい物であった。
「はあ、結局エリスの手を借りることになるとはね……」
「アクア、そのエリス様はどちらに?」
「あの子ならちょっとした野暮用でしばらくは姿を見せないわ。後で私も合流しなきゃなんだけど……今はあのクズニートとの再会を喜びなさいな。ほら、会いたかったんでしょう?」
アクアに背を押され、私はカズマの方へ自然と身体を寄せる事になる。彼はそんな私を目にして申し訳なさそうに目を伏せる。だが、めぐみんがそんな彼を私の前に無理やり引きずり起こした。
「や、やあ久しぶりだなダクネス」
「ああ……」
「その、言い訳はこの後じっくり……ほぶっ!?」
めぐみんのローキックで再び床に転がったカズマにめぐみんに加えてアクアまでもが腰を降ろす。その流れに乗っかり、私も彼の膝上に腰を降ろした。
「それじゃあカズマ、貴方の言い訳を聞きましょうか」
彼は観念したようにその口を開いた。
さかのぼること約一ヵ月半前、私がカズマの前から逃げ出した後、彼は途方に暮れていたらしい。彼が前々から恐れていた恋愛関係のもつれによるパーティ崩壊の危機に直面し半ば自暴自棄になり、これから訪れるであろうめぐみんやアクアとの修羅場を考えて精神的に参っていた。そんな時、ここ最近何故か屋敷に出入りして身の回りの世話をしてくれていたゆんゆんから提案があったそうだ。
『とても疲れた表情ですねカズマさん。気分転換にあの三人のいない所でゆっくりした日々を過ごしてみませんか? きっと、これが貴方にとって人生で最後となる自由気ままな”独身期間”です。貴方が今後もあの三人と人生を歩む覚悟が決まるまで、私と”浮気”しましょう?』
そんなゆんゆんの誘いにほいほいと乗った彼は、私達の事を記憶の隅に置いて考えないようにしつつ寂れた開拓村でゆんゆんとゆっくりした生活をしていたそうだ。そして、『もしかして、ゆんゆんって俺に気があるんじゃないか?』と思い始めた所でエリス様が『人類総動員、サトウカズマを救出せよ。発見者には神の祝福を”』というお触れをだし、世界中の至る所を文字通りひっくり返して探していたエリス教徒の捜索隊に捕縛されたとの事だった。
「しかし、驚いたぜ。ちょっと足りない食材を村に買いに行ったら、今まで好意的だった村の人が全員で俺を捕まえに来たんだからな。大半は返り討ちにしたんだが肝心のゆんゆんが潮時だとか何とか言って俺の前から消えたんだ。おかげでこっちもやる気なくして投降。今に至るってわけだな」
「へえ、何と言うかカズマって本当に情けない男ですね」
「うぐっ……」
「女神である私を裏切る動機が私達から逃げたかっただけって……流石に呆れるわよクズニート」
「うぎぎ……」
「前々から思っていたが、貴様は本当に意気地なしだな」
「おごっ……」
しばらく、何も出来ないカズマに言葉の暴力を浴びせ続けた。私はと言うとゆんゆんがどうなったかが気がかりであった。私にはカズマを奪うとの趣旨の発言をしていたが、彼女の計画もこうして頓挫し彼もゆんゆんに未練がある素振りを見せていない。このままいけば、めぐみんやアクアが望むハッピーエンドは訪れそうであった。
「あっ……ねえカズマ、私のお尻に何か当たってるんですけど。もしかして、私達に罵倒されて興奮しちゃったの? 女神である私に布越しとは言えこんなにも汚らわしいものを当てるなんて、本当にどうしようもない男ね」
「ちょっ……おまっ……これは……!」
「そういえば、ゆんゆんから貴方を取り返して浮かれすぎていましたね。肝心な事を忘れていましたよ。ふふっ、貴方は今日から正式に”私達のカズマ”です。他の誰にも譲りません。ところでアクア、カズマはその……」
「大丈夫よめぐみん。カズマさんってばまだ童貞よ。”匂い”で分かるもの。ゆんゆんと一ヵ月も二人っきりで過ごしたのに……本当に意気地なしね。やっぱりアンタは……ってナニをまた反応させてるの? いつもはあんなにバカにしてるくせに、私でもきちんと反応するのね。ふふっ……どんどん硬くなってる」
「おまっ……やめっ……へるぷみーダクネス!」
助けを求めるカズマから目を逸らし、私は腰を上げる。これ以上の事に私は参加する気が起きなかった。
「どうしたのですダクネス? もう害虫を寄せ付けないために、私達三人でカズマを調教するって事前に決めたじゃないですか」
「ああ、だが流石にこんなにも騒がしいとな」
「ふむ……分かりました。それじゃあ先に楽しませて頂きますね。埋め合わせはまた後で」
めぐみんは私に目配せをした後、ダガーで彼の拘束部位の一部分をダガーで切り取っていた。そして、アクアはというと耳まで真っ赤にしながらも、カズマへの攻めを緩ませなかった。
「おい待てお前ら調教ってなんだ!? 仮にもお前らの旦那になるかもしれない男なんだぞ!? それを……待てアクア……何で履いてないんだよ!? つーかどこに腰を降ろす気だ!?」
「う、うっさいわねバカズマ! アンタってばこういうのが好きなんでしょ? だからね……その……犬みたいに舐めなさいよクズニート!」
「待て……待て待て待て! うひっ!? めぐみんそこは……ああっ――」
上がり始めた嬌声を背に、私はリビングの隣室へ避難する。この世界にもう意味はない。これ以上、私が深入りすべき理由などなかった。
「あれは”私のカズマ”じゃない」
私はそっと耳を手で塞いだ。とりあえず、この場は離れよう。耐性も出来つつあるが、不快なものは不快だった。
その日の深夜、私はダスティネス家の自室で眠れない夜を過ごしていた。いつこの世界と見切りをつけるかは正直言って決めあぐねている。姿を消しているゆんゆんとはもう一度話をしてみたいし、やりなおした所で私のカズマ攻略プランも具体的には決まっていない。
「妥協しろ……か……」
やりなおした世界でアクアに告げられた言葉が私の頭から離れなかった。実際、私が今の状況を受け入れさえすれば、カズマとアクア、めぐみんと共に過ごす幸せはつかめる。おそらく、やりなおしが出来なければ私はその幸せを迷わず掴んでいた。
「でも……私は……」
正直言って諦めの境地にいる私だが、それでも希望が捨てられない。このままやりなおしを続ければ、いつかは”私だけを愛してくれるカズマ”が現れるのはないかと……
「私だけのカズマ……カズマ……カズマ……私だけの……」
考えがまとまりそうになった時、ゆんゆんが私に投げかけた言葉を思い出した。
「現実を見ろ……現実を見るんだダスティネス・フォード・ララティーナ……」
まるで走馬灯のように脳内で駆け巡る今までの世界での出来事を私一つ一つ吟味する。そうして、私はようやく気付くことが出来た。
「私だけのカズマを待ち望む……ふふっ……確かにゆんゆんの言う通り私は本当に愚かだったな」
今までの世界でその行為が示す結果を私は嫌と言うほど見てきた。結局、無慈悲な現実はいくらやり直しても変わらない。ならば、それを切り開く方法は一つしかない。私も、今までの世界で見てきためぐみんやアクアのように逃げずに立ち向かうしか道はないのだ。
「私だけの……」
だが、この世界は残念ながら手遅れだ。
少しずつ襲ってくる睡魔に身を任せながら、ゆっくりと目を閉じた。
翌日、私を叩き起こしたのはやけにツヤツヤとした表情のめぐみんであった。彼女は眠気を訴える私を無理やり起こし、急に私の身だしなみを整え始めた。
「めぐみん、どうした急に……」
「どうしたもこうしたもないですよ。昨夜の埋め合わせです。ダクネスも意外に乙女な所がありますからね。初めてが乱交ってのも気が引けたのでしょう?」
「乱交って……全くお前は……」
「大丈夫ですよ。貴方のために私がしっかりとお膳立てしてあげましたから。ほら行きますよ」
「お、おい……」
上機嫌なめぐみんに引きずられるようにして私は外へと連れ出される。そうして行き着いたのは中心街がから離れた場所にあるエリス教会だった。中心街のエリス教会とは違い住民に親しまれる質素な雰囲気の教会だ。そんな場所に迷いなくズカズカと乗り込んだめぐみんは礼拝堂の裏手にある居住スペースに足を運んだ。そうして連れてこられた扉の前で、めぐみんは私の身体をぐいぐいと押し出した。
「この教会は貴方の崇拝する女神がわざわざ貸し切りで準備してくれたんです。あの女神もなんだかんだでノリが良い所がありますね。初めてでこんな背徳感が得られる場所を選ぶなんて良い趣味してます」
女神エリスの正体がクリスと同一人物であるという点で、彼女がどういう人物かは把握している。だが、それはそれとして少し幻滅した。そして、めぐみんに急かされた私は扉の奥へと足を進める。そこは質素ながらも質が良く堅実な家具が並べられられた生活感漂う部屋であった。鎮座するシンプルなシングルベッドには案の定というべきか、カズマの姿があった。
「よう、ダクネス。昨日ぶりだな」
「…………」
「そんな怖い顔するなよ。確かに俺に言いたいことがたくさんあるのは理解してる。でも、俺だって言わせてもらう。やっぱり、俺はお前やめぐみん、アクアと過ごす日常が好きなんだ。もう誰かを切り捨てるなんて選択肢は俺にはない。俺はお前ら全員が好きなんだ」
「ほう……」
初手から口説き文句を言い始めるカズマに少し気圧される。だが、言っている事はクズ男の戯言。私は余裕を持って、額に汗を浮かべるカズマの横へ腰を降ろした。
「先日までゆんゆんと逃げていたお前にしては随分な言い草だな」
「それは真摯に反省するしかねえよ。でも、あの期間があったからこそ今の俺がある。俺はもう、お前らからは逃げたりしない」
「逃げたり……?」
「ああ、お前らと肉体関係を持つって言う事が一つの証だ。お前らとそういう関係を持ったら、単なる友達には戻れなくなる。でも、それでいいんだ。俺だって、お前らを誰にも渡したくない」
軽薄に聞こえる口説き文句に心が揺らぎつつも、カズマから発せられた言葉は私にとっても少し耳が痛い言葉だ。だからこそ、余計に分からなくなる。結局、ゆんゆんは何のために彼と行方を眩ましたのだろうか。カズマを奪うため? それなら、肉体関係を持っていない事に納得が行かない。カズマの言う通り、私達への配慮とカズマの気持ちの整理のためなのか。詳しい事は分からない。だが、どちらにしても私の答えは変わらない。
「なっ……」
私はこちらに伸びる彼の手を振り払う。ゆんゆんにお膳立てされた関係を受け入れるのは癪だ。
それだけだ。
「ダクネス、確かに俺は最低なクソ野郎だ! でもな……!」
「残念な事にお前は”私だけのカズマ”じゃない」
「はっ……?」
「だから、さよならだ」
私は、彼の少し荒れた唇にそっと口づけする。呆けた表情を浮かべるカズマを見ながら、私はエリス様のナイフを懐から取り出して右手に持つ。
私が目の前で自殺したら、どんな反応をしてくれるだろうか。
泣いてしまうのか、必死に治療しようとするのか、それとも馬鹿な事をした私を罵倒するのか。未知とも言える快感をじわじわと胸に感じながら私は自分の脇腹にナイフを――
「大丈夫ですか、ダクネス。何か言い争うような声が聞こえましたが……」
扉が開くガチャリという音と共に耳障りなめぐみんの声が背後から聞こえた。一瞬で熱が冷めてしまった私は、ナイフを手元から消してベッドから立ち上がる。カズマの声にならないようなか細い声が漏れ聞こえたが、もうどうでもよかった。
「すまないめぐみん。やっぱり教会でそんな行為は出来ない。この環境を用意してくれた事は感謝するが、今日は帰らせてもらおう」
「そうですか……貴方がここを使わないなら、私が使ってしまいますよ?」
「好きにしてくれ」
私の言葉に喜色満面の笑みを見せ、めぐみんはカズマへとにじり寄る。彼はというと、たじろぎながらも、そんなめぐみんの情欲を受け止める覚悟の表情をしていた。そして、歩き去ろうとした私の袖をめぐみんが掴み、小さな声で一言だけ囁いた。
「隣の部屋で面白い物が見れますよ」
それから、めぐみんはカズマの胸元へ飛び込んで行った。彼の戸惑いの声とめぐみんの媚びた甘え声を背に私は部屋を後にした。
「面白い物か……どうせ後は死ぬだけだしな」
この世界でやるべき事はもう自殺くらいしかない。投げやりになっている私は、特に考えもせず廊下を数歩進んで隣の部屋への扉を押し開けた。
「ほう……」
それは確かに面白い光景だった。
部屋は暗闇に満ちていて内部の詳細は分からない。だが、先ほどまで私とカズマがいた部屋に面する壁は普通とは違う事が一見にして理解出来た。
「悪趣味だ」
そんな独り言を呟くのも仕方がない事だ。何故なら、壁が”透明”だったからだ。おかげで、ベッドの上でカズマを押し倒して舌を絡ませるめぐみんの姿がよく見える。これがどんな魔術的仕掛けか分からなかったが、こんな部屋が町はずれの教会に設置されていること自体が闇深かった。
「ふむ……一体どんな……っ……!?」
透明な壁に手で触れようとした私だが、背後から聞こえた微かな物音を前に身構える。背後は相変わらずの暗闇であり、隣室が元々薄暗いせいで透明な壁の照明効果も少ない。ただ、そこに”何か”あることを私は感じ取った。
一歩ずつ、足で確かめるように反対側の暗闇へと進む私の靴に何かが触れる。恐る恐るそれに目を凝らし、正体を見た私は一気に怖気がした。
「これは動物の死体か……なんでこんな所に?」
それは何かの獣の死体だった。四足歩行の小さな獣である事は死体の骨格で何となく分かる。だが、半分以上は”炭化”しているため、それが何の獣かは分からなかった。そして、死体を見て初めてこの部屋の不快とも言える異臭に気づく。埃っぽさに混じり、焦げ臭さと錆びた鉄のような匂いがして――
「うっ……!?」
思わず、口からそんな声が漏れる。焦げた獣の死体の数メートル先、そこには反対側の透明な壁と違いごく普通の壁が存在している。だが、その壁は別の意味で異様だった。何故なら、その壁には鎖で繋がれた人間が磔にされていたからだ。手首と足首に杭を打ち込まれた人間は、私のよく知る人物だった。
「ゆんゆん……」
私の声に、彼女は反応を返さない。全身を鞭で打たれたのか、破れてボロボロになったローブから覗く白い肌には裂けた皮膚からの出血と打撲痕が見て取れる。もちろん、手首と足首に打ち込まれた杭からも、ポタポタと出血が続いていた。そして、鎖で繋がれた首輪から上、顔に関しては血を失って青白くなりながらも不自然なほど綺麗で以前と変わらないゆんゆんの顔があった。
そんな時、ゆんゆんの淀んだ瞳と目が合った。
そして、私が硬直している間に、彼女の瞳は血のように紅い光を取り戻していた。
「お久しぶりですねダクネスさん……」
「…………」
「カズマさんとは縁を戻せましたか? ふふっ、私の負けですね」
「…………」
言葉を失うとは正にこの事である。この女は、一体何を言っているのだろうか。こんな状況で出会った私に何故そんな平然と、何故そんなにも笑顔で……なぜ……なぜなぜなぜ!
「お前は何がしたかったんだ?」
それは自然と口に出た言葉であった。
私の言葉に、ゆんゆんは困ったような笑みを浮かべた。
「本当に、私は何がしたかったんでしょうね」
その微笑みには諦観が混じっていた。
「カズマさんと二人で過ごせば、後はもうどうにかできるかもしれない。心の底ではそう思ってたんです。でも、彼の心には常に貴方達の事が根底に根付いていて……」
ゆんゆんの視線が私の背後へと移る。その先に何があるかは今更言うまでもない。ただ、彼女は大きく吐息をついた。
「本当に……私は何のために……」
ついには涙をぽろぽろと涙を流し始めたゆんゆんを前に、流石に私も良心が咎めた。しかし、私としても今の状況が理解出来ない。ゆんゆんは、明らかに”拷問”されていた。確かに彼女の行いがめぐみんやアクアの怒りに触れるのはたしかだが、ここまでの事をするとは思えなかった。とりあえず、ゆんゆんをこのままにしておけないと考えて鎖に手をかける。そんな時、今は聞きたくない声……アクアと女神エリスの声が聞こえてきた。
「あれ? 予定してた光景と違うんですけど。何でここにダクネスいるの?」
「あっ……」
「ちょっとエリス、向こうで盛ってるのはめぐみんじゃない。あの子は全く……」
「うっ……あっ……」
「エリス……?」
こちらに呆れたような表情でいつものような声音をしているアクアの姿に私は自然とじわりとした嫌な汗を流す。対して、エリス様はその美貌を恐怖と困惑に歪めていた。
「あのね、エリス。そんなに狼狽えなくても大丈夫よ。ダクネスだって、理解してくれるわ」
「でも……」
「さて、ギャラリーも増えた事だし次はこれを試してみましょうか。これはね、”苦悩の梨”って言ってね……」
「アクア先輩!」
アクアが取り出した謎の鉄製器具を、エリス様が慌てたように懐へと隠す。その姿を見て、私は嫌々ながら理解する。ゆんゆんへの拷問はこの二人が行っていたようだ。だが、それは私にとっては受け入れがたい事実だ。
「エリス様……何故こんな事を……」
「それは……
うぅ……!」
言い淀んだエリス様の姿を見て、私の大切な何かが崩れ出す。そして、そんな私にアクアは首を傾げた。
「なによ、ダクネス。何か文句でもあるの?」
「いや、ただ私は……」
「私が面倒かけさせた泥棒猫相手でも、何もしないとでも思ってたの?」
真顔でそんな事を言うアクアを前に私は再び言葉を無くした。
「んっ……ふふっ……いひっ……冗談よダクネス。流石に私がその程度の事で癇癪起こして拷問するなんてありえないわよ!」
「あっ……ああっ……」
「それとこれとは別よ。ちょっと気になる別件があったのよ。だから、”仕方なく”拷問してるの。そう、仕方なかったのよ」
申し訳なさそうに微笑むアクアに私は無言で頷きを返す事しか出来ない。エリス様に至っては私の視線から逃れるようにアクアの背に隠れていた。
「アクア、その……別件ってのは一体なんだ?」
「んー話せば長くなるわ。でも、端的に言ってしまえば……そうね、この子、何かおかしいのよ。女神の目からしても、この子は普通の人間。身体も魂も異常は見られない。それでも、何かが絶対おかしいの!」
「おかしい?」
「ええ、何もかも”おかしい”の。天使避けの結界を知ってるのに、その知識をどうやって手に入れたかは記憶を読み取っても不鮮明、おまけにカズマと逃亡中に二人で過ごしてた時の世間話として何度か時間移動に関する話題があったのよ。それに、この子が私やエリスの監視網を易々と突破できたのが今でも納得行かないし、いくらなんでも”準備”が良すぎる。平時なら気にしないけど、最近の天界でのゴタゴタを考えるとちょっと無視はできないわ。それと……おかしい……とにかくおかしいの……この子を見てると妙な違和感がしてしてしょうがない……女神の勘がそう告げてるのよ」
そう言って、苦笑したアクアは懐から乾いた血がはりついた錆びたメイスを取り出す。それを目にしたゆんゆんは怯えたような表情を浮かべていた。
「あら、”初めて”の相手を前に連れない態度じゃない。それはそれとして、貴方の知識の出所を喋る気になった?」
「私は何も知りません……話す気もありません……!」
「はあ、まったく……エリスも手伝いなさいよ。昨日はノリノリだったじゃない」
「アクア先輩!」
「はいはい、それじゃあ軽く殴打百回から……ってダクネス?」
私は、メイスを振り上げたアクアの前に割って入る。アクアはそんな私を面相臭そうな表情で見ていた。
「アクア、もっと詳しく説明しろ。納得が出来なければ、こんな行為は許さない」
「だから、話せば長くなるから……」
「話せ」
「ああもう、仕方ないわね……」
アクアは苛立たし気にメイスを放り捨てる。そして、地面に腰を降ろして気だるげに語り始めた。
「まず、この事態を説明するには”神”って存在を理解する必要があるわ。私が水の女神って事はアンタも知ってると思うけど……何を司る”水の女神”かダクネスは知ってる?」
「それは……」
「別に答えは聞いていないわ。とにかく、貴方が頭の中に考えた”水の女神”の全ての要素を私は持っている。正に、”水”の神なわけ。美しい泉神であり、知恵を司る川の神でもあり、穏やかなる母なる海の神でもあり、荒れ狂う洪水と津波の神でもあるの。でも、私だって元はそんなに強力な存在じゃなかった。原始宗教における”水の神”ってだけで、私の女神としての力は私に思いを託して滅んでいった数多の神々の影響が大きいの」
「それが、この拷問と何の関係がある?」
「だから、まず私の話を聞きなさい。とにかく、今の天界にはエリスみたいな若手に混じって、私みたいに旧き時代の神の力を取り込んだ神様もいるの。その強力な神の一柱である”時空神クロノス”が天界から姿を消したのよ。あの人は時間を司っている神だから、自然と時間操作系の能力を持っているわ。クロノス自身は強力な力を持ちながらも自身の能力を悪用する事はないし、流れる時間をただ見守り続ける穏やかなおじいちゃんだった。そんな人が周囲に何も告げずに天界を去るなんてありえない」
アクアの突然の話にいまいち理解が進まない。だが、アクアが何を疑っているかは理解出来た。
「そんな背景があるなかで、ゆんゆんは私とエリスを完全に出し抜いて見せた。くだんのクロノス自身……もしくはその力を受け継いだり、奪ったりした存在のバックアップや加護を受けた可能性が全くないとは言えない。それに、ゆんゆんがこんなにも頑なにマインドプロテクトを解こうとしないのが気になるの。隠すって事は見られたくない何かがあるはずなのよ。理解出来た?」
「悪いが理解しかねる。そのクロノスって奴がゆんゆんと関係あるとしても、拷問する理由にはならないはずだ」
私の言葉にアクアは苛立たし気に唇を噛んでいた。一方で私は背筋が寒くなっていた。信じられない事に、ゆんゆんはひどい拷問に会いながらも私のやりなおしについてアクアに話していないらしい。恐らく、彼女が時間移動に関する話をカズマにしたのも、私の話を聞いたからであろう。結果として、私の能力を隠した事で疑いが私からゆんゆんに向かっていた。
「ゆんゆんお前は……」
「…………」
私の視線に彼女は無表情を貫き通す。彼女がやりなおしについて黙っているのは、私が以前の周回でアクアに能力がバレた事で大惨事になっていた事を話したからだ。だが、一つだけ疑問が残る。私はゆんゆんに神魔避けの結界の存在を話していたが、その結界の模様や発動の仕方などは伝えていなかった。そう考えると、ゆんゆんはどこでその知識を得たのだろうか。頭がぐちゃぐちゃになり始めた時、エリス様がおどおどしながらも私の前に出て口を開いた。
「ダクネス、聞いてください。アクア先輩がクロノスを警戒しているのは理由があるんです。それは、時空神クロノスが”大地の神クロノス”の力を受け継いでいるからです。かの神は正しい意味での”神殺しの武器”を持っていました。かの武器が適性のないものに渡ってしまった場合、本当に何が起こるか分かりません。アクア先輩がこんなにも真剣なのは貴方達のため、ひいてはこの世界を守るために……」
「エリス!」
「ふむぐっ!?」
アクアがエリスの口に先ほど手にしていた謎の鉄製器具を突っ込む。そして、押し黙ったエリスを避けてアクアが口を開いた。
「とにかく、例え時空神クロノスと私が真正面から戦ったとしても、私は一方的に勝てるわ。時間を操る能力なんて大したことないもの。でも、奴が扱ってた武器は私やエリスのような神にとっては危険なの。だから、こうやってゆんゆんを窮地に陥らせれば奴の方から何か反応を起こす可能性もある。何より、ゆんゆんの魂と癒着したマインドプロテクトを破るにはこういう原始的な手段が一番効率がいいのよ。マインドスキャンが無理なら彼女の精神を一度粉々にして情報を拾うしかないの」
「だが、元友人だとしても拷問されるのを見過ごせと言われても私は……だいたいめぐみんやカズマが黙ってないはずだ」
「大丈夫よダクネス。そんなに心配しなくていいわ」
アクアは指をパチンと鳴らした。
その瞬間、ゆんゆんが光に包まれ……衣服も含めて身体に傷一つない状態に戻っていた。出血も痛々しい皮下出血も消えている。そして、呆けた表情を浮かべる彼女の手の中には、いつか見た小さな黒猫が抱かれていた。
「大丈夫よ。後で全部”元通り”にするから」
アクアは朗らかな笑顔を私に向けていた。
「ひっ……あっ……ランダムテレポートのはずなのにこんな……こんな偶然あるわけ……!」
「戻りすぎたわね。エリス、拘束して」
「女神エリス!? しまった……私はまんまと罠に……あうっ!?」
「アクア先輩、しっかりしてくださいよ。というかこれで振り出しじゃないですか」
「うっさいわね。とりあえず昨夜の反省点は……苦痛系はあんまり効果なかった事ね」
「次は恥辱系で行きましょう」
「アンタね……」
エリス様はゆんゆんを腹部への殴打一撃で沈め、アクアはそんな彼女と威嚇する獣を壁際に引きずって行く。それを眺めながら、私はどうしようもない気持ちに支配された。
私ごときが神に敵うわけないと。
「そういえば、ダクネス。あんたってば何故か神魔避けの結界について知ってたわよね。どこでそれを知ったか、詳しく教えてくれない?」
それは、私にとっては最後通牒に等しかった。
「だから、昔聞きかじった話で……」
「どこで聞きかじったの?」
「覚えてない」
「ふふっ、嘘つきは泥棒の始まりって言葉は知ってる? それにしても、アンタってばやけにゆんゆんを庇うじゃない。何か貴方も事情を知ってるの?」
ゆらりゆらりと近づいてくるアクアを前に私はたじろぐ事しか出来ない。そんな私に残された希望はもう彼女しかいなかった。
「本当に聞きかじっただけだ。確か、クリスからそんな話を聞いた気がするんだ」
「ふーん……嘘は言ってないわね……エリス……本当に教えちゃったの?」
アクアは私から目線を外し、ゆんゆんを鎖につなげ直していたエリス様へと向かう。そして、彼女はクスリと微笑んだ。
「そういえば、そんな話をした気がします」
「ふーん……」
「確かあれは……クリスとして行動してる時、お酒の席で世間話の一つとして話しました」
エリス様は私の話に驚くほど自然に寄り添ってくれた。彼女から見れば私が嘘をついているのを分かっているはずだ。それなのにエリス様は私を庇って……助けてくれた。
「エリス、嘘は良くないわね」
アクアの一言で、エリス様は強張ったように体の動きを止める。そして、アクアの浮かべた敵意の表情を見て私は全てを察する。今回はもう、”ここまで”だ。だから、私自らの身体の内からナイフを取り出す。そして、自らの腹部にそれをあてがった。
「それは……エリスの力を感じるわね。どういうことエリス?」
「知りません! なんで私の力が……そんな事より何をしているのですかダクネス! もしかして貴方は……!」
困惑するエリス様、倒れ伏すゆんゆんを見ながら私も覚悟を決める。例えなかった事になる世界だとしても、憂いは出来るだけ残したくなかった。
「私が死ねば世界は全て巻き戻る。別にそのクロノスって奴に会ったわけではないが……その力、私のために使わせてもらおう」
そう宣言した私に、エリス様は表情を驚愕に歪め、アクアは無表情で私の両目を睨みつけてきた。
「何を……何を馬鹿な事を言うのですかダクネス! 例えどんな神であろうと加護を与えた人間の死を望む神なんていません!」
「続けなさいダクネス。私が貴方の力を見極めてあげる。ふふっ、”死に戻り”なんて趣味が悪いわね」
「アクア先輩! 私はこんな事許しません! だから……あっ……」
アクアが、エリス様の額に人差し指をずぶりと突き刺していた。指の根元まで突き刺したそれを引き抜いた時、エリス様は声もなくゆんゆんの隣へと倒れ伏した。
「やってみなさいダクネス。大丈夫、私は貴方の味方よ」
空虚に聞こえるはずのアクアの声だが、その言葉だけは不思議と信じられた。
だからこそ、私は自分の腹部に思いっきりナイフを突き刺した。
「うぎぃ……!?」
「ダクネス!」
久しぶりのこの冷たく堅い感触。
大切な何かと体の熱が抜け落ちていく不快感。
そして、どうしようもない苦痛が全身を襲う。
それでも、私は耐え続ける。私の未来を勝ち取るためには造作もない苦痛だ。
ふと、冷たくなっていく身体に暖かさが戻っていく。視界はすでに深淵へと近づいているが、アクアが私の身体を抱きしめてくれている事は分かった。
「治癒魔法が効かない……どうして……時間移動……クロノス……死に戻り……時の神……かの神の力でこんな悲しい結末になるなんて……ああっ……だとしたら……」
全ての感覚が抜け落ちていく中、私の体の中に熱い何かが入り込み、かき回していく感覚が伝わる。それはひどく不快なものだった。
「このナイフ……魂に関連付けされてるのね……なるほど……エリスはダクネスの力を見抜いていたのね……でもダメ……肝心な所を勘違いしてる……報われないわね……あの子も……」
全てが闇に消えていく。
そんな私に、消えかけの私にアクアの声だけが響き渡った。
『ダクネス。恐らく次が”最後”よ。いや、正確には恐らく最後になる。貴方が理想を求めるのは理解出来る。でも、ある程度の妥協をして現実を受け入れなさい。貴方が求める幸せと、私達と歩む幸せも実はそんなに変わりないかもしれないわ。でも、全てを失うよりはマシよ』
それは以前にも聞いた忠告だった。
『確かに、このままいけば貴方は全てを”やりなおせる”。でも、次で最後にしなさい。死にゆく貴方への贈り物としてはこれが精一杯の忠告よ』
感覚は全てなくなった。
だが、暖かさだけが私を包み込む。
『貴方のそれは”死に戻り”じゃない! そもそも、”クロノスの力”でもない! だからこそ、自分の手でこの悲劇を終わらせなさい! そうしなければ貴方は――」
そうして、全てが闇に沈んだ。
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「…………」
私はベッドからガバリと起き上がる。そこは何度も見たダスティネス邸の自室。両手を掲げ、巻かれた包帯がない事を確かめ、ちらりと明るい朝の光が差し込んだ窓を見る。穏やかな外の景色を眺めながら、私は確信を得た。
「やりなおしは成功だ」
迷いを失い、驚くほど軽快な身体を動かしながら私は衣服を整える。もちろん、とっておきの紅い勝負下着も忘れない。
「本当に私はどうしようもない……何かと理由をつけては逃げてばかり……それも全て今回で終わらせる……」
新人メイドの来訪を前に私はダスティネス家を後にする。そうして、たどり着いたのはカズマの屋敷。見慣れた玄関をくぐり、リビングに到達した私の目の前に相変わらずな様子のカズマがいた。
「よう、ダクネス。今日は冒険なんて行かないからな」
いつもと同じ返事を返す彼を無視して、私はリビングの絨毯を引きはがす。そして、取り出したナイフで思いっきり手首を切りつけた。私の想いに応えるように、手首からはさらさらとした紅い鮮血が流れ出した。
「おい! いきなり何を……ってダクネス……?」
そうして、木目調のフローリングに大きく……大きく神魔避けの結界を描いた。
「ダクネス、だから何をやって……おわっ!?」
私は結界の中央に困惑した表情のカズマを投げ入れる。そうして、目を白黒させて彼の上に、私は馬乗りになった。彼はそんな私に引き続き困惑しながらも、今の状況理解し始めたようだった。
「あのダクネスさん……俺何かしました……? 何かしたなら謝ります……だからぶっ殺すのだけはマジ勘弁してくれ……」
冷や汗を浮かべるカズマを見て、私は思わず笑ってしまう。そうして、一しきり笑った後、私はカズマの服を思いっきり破り捨てた。
「ああ、ブチ犯してやるぞカズマ……!」
「ひぃっ!?」
カズマが、私を見て女の子みたいな悲鳴をあげていた。
遅くなってごーめんね!