穂乃香さんに女装がバレた翌日。その日はオフなのだが、俺は午前に目が覚めてしまった。
「……たまには起きるか」
二度寝しようと思ったが思ったより目が冴えていて眠れない。早起きは三文の徳ともいうし今日はこのまま起きよう。俺は朝ご飯のため部屋を出た。
*****
「うんしょ……! ふぬぬぬ……!」
共用スペースでは響子さんが大きなダンボールの山を前に四苦八苦していた。
「響子さん、どうしたんですか?」
「あ、颯ちゃんおはようございます! 実家から荷物が届いたんだけど重いから運ぶのが大変で……」
「何が入ってるんですか?」
「お米です」
「あー、お米重いですよね。5キロのやつですか?」
「20キロ……」
「20!?」
「ほら、私週末みんなにご飯作るじゃないですか! それでたくさん消費するからまとめて買う方がいいかなーって思いまして……」
「な、なるほど……」
響子さんはよく夜ご飯を作ってくれる。材料費はもちろんみんなで負担するが、お米の消費量が半端ないので一気に買っちゃおうと思ったそうだ。
「はーが運びますよ」
「え? でも本当に重いから颯ちゃんでも大変だと思いますよ」
遠慮する響子を後目に俺は米袋の入ったダンボールに手をかける。
「ふん……! よっ……こいしょ……!」
「だ、大丈夫……? 無理しないでね?」
ダンボールを持ち上げる俺を響子さんは心配そうに見つめる。正直言って重くて腰を痛めそうだが日頃お世話になっている響子さんのため、男のプライドのためにも踏ん張らなければならない。
「ぜ、全然平気です……どこに運べばいいですか……?」
「キッチンまで運んでくれますか」
「了解です」
重いが運べない程というわけでもない。俺は手がプルプルしながらも寮のキッチンに向かって足を動かした。
「どっこらせ……と」
「おつかれ颯ちゃん!」
冷蔵庫の前でダンボールを下ろす。運んでいた手は赤くなってヒリヒリしていた。
「それにしても驚きました。颯ちゃんって力持ちなんだね!」
「えへへ、それほどでもないですよ」
「本当に助かりました! 手もこんな赤くしちゃって……ありがとう!」
響子さんは俺の手をギュッと両手で包みお礼を言う。その温かさに手の痛みが少し和らいだ気がした。
*****
「鏡映の巫女よ、煩わしい太陽ね!」
「蘭子さん、おはよう!」
朝ご飯を食べた後、部屋の前で蘭子さんと出くわした。
「先刻授けし魔導書はどうであったか」
「この前借りた漫画? まだ全部読んでないけど闇落ちした主人公を救うために仲間のみんなが協力するところが熱いよね」
「だよねー! 特に敵だった魔王軍の幹部が……」
「わあああ蘭子さん蘭子さん! 俺幹部が再登場した場面までしか読んでないからネタバレ待って待って!」
危うくネタバレをくらいそうになり俺は思わず声をあげてしまった。蘭子さんの好きな漫画は俺の好みと似通っており、こうして借りて感想を語り合っている。俺の持っている漫画は徳島の家にあるので貸すことが出来ないのがもどかしい。
「あわわ、ごめんなさい……ん? 俺?」
「さ、さーてはーは部屋に戻ろうかなー」
蘭子さんが世界の理に疑問を抱き始めたため、俺は逃げるように蘭子さんと別れた。
*****
「おや、もう起きてましたか。珍しいですね。今日は槍が降るので外出は控えましょう」
「颯ちゃんおはようございます」
部屋で着替えて外に行こうと共用スペースを通ると、なー姉と穂乃香さんがおしゃべりしていた。
「たまには早起きもいいかなって。三文の徳って言うじゃん?」
「徳はありましたか?」
「あ、颯ちゃん!」
なー姉と穂乃香さんと会話していると横から響子さんがやってきた。
「さっきはありがとうね。颯ちゃんは今日の夜ご飯はどうするの?」
「まだ決めてませんけど……」
「だったら私が腕を振るっちゃうね! 特製のオムライスをご馳走するから!」
「わーいありがとうございます!」
響子さんの料理おいしいから楽しみだなあと思いを膨らませていると、今度は蘭子さんがやってきた。
「我が同胞よ、魔導書の解析は如何程であろうか」
「今夜一気に読み進めちゃおうと思ってるよ」
「であれば解析が終わり次第我が城に来るとよい。新たなる書物を授けよう」
「いいの? ありがとう!」
蘭子さんに漫画の続きを貸してもらう約束をする。徳島に帰ったら俺も買おうかな。
「……女たらし」
蘭子さんが去ったあと、ボソッと穂乃香さんは呟いた。
「え、お、女たらし!?」
「今の響子ちゃんの時といい蘭子ちゃんのときといいモテモテですね」
「いや、モテモテってわけじゃなくて……」
「蘭子ちゃんが寮内であんな饒舌に話してるの初めて見ましたよ」
「そ、そうなんですか……」
「そうです。響子ちゃんも特別に料理を振るまってくれるそうで……柚ちゃん泣いちゃいますよ?」
「柚さん関係ないですよね……」
昨日途中で締め出したからだろうか、穂乃香さんの当たりが強い気がする。
「ん? えーと……? はーちゃん?」
俺と穂乃香さんの会話に違和感を覚えたのか、なー姉は頭を傾げていた。
「あ、そういえばなー姉に言い忘れてたけど昨日穂乃香さんに俺のことバレたから」
「は?」
口を開けたまま固まるなー姉。ここに来てからなー姉の愉快な姿をちょくちょく見られて面白い。
「偶然知ってしまいまして。でも安心してください。微力ながら女装がバレないように協力します」
「……」
「なー姉?」
「そういう大事なことは早く言うんですよ!」
「にゃあああああ!」
なー姉は俺の頬をつねり横に引っ張る。めっちゃ痛い。
「まったく、慣れてきた頃が一番危ないんですから気をつけてくださいね」
「慣れてないから」
「穂乃香さんもありがとうございます」
「いえいえ」
「そ、そういえば穂乃香さん今日オーディションの最終審査ですよね。何時からですか?」
このままだとなー姉にぐちぐち説教されそうなので俺は話題を変える。
「14時からです。お昼に事務所に行って柚ちゃんとプロデューサーさんの車で移動します。迅くんは?」
「河原でバドミントンの練習をしようと思ってます」
「河原……というと柚ちゃん家近くの?」
「はい、オフの日はだいたいそこでバドミントンやってます」
「そこで柚ちゃんと密会すると」
「密会って……今日は会う約束してませんよ」
「ちゃんと応援メッセージ送りましたか?」
「してませんよ。メールアドレスとか持ってないですし」
そもそもオーディションがあることを迅の姿では聞かされていない。
「俺はもう行きますね。穂乃香さん、オーディション頑張ってください」
「ありがとうございます。迅くんと特訓したんですからしっかり役を勝ち取ってきます」
穂乃香さんとなー姉に別れを告げて俺は寮を出る。今日も河原でバドミントンだ。
*****
「あれ?」
女装を解き河原にやってくると柚さんが寝そべっていた。
「柚さん、こんにちは」
「え? うわあ! 迅クン!?」
話しかけると柚さんは飛び起きて慌てて髪を整えだした。今日はオーディションのはずなのにこんなところでどうしたんだろう?
「今日は日向ぼっこですか?」
「いや。アタシはこれからオーディションなんだ。事務所に行く前にここに寄って行きたくて」
「ここに……ですか?」
「アタシ最近ずっとここで演技の練習してたんだー」
それは初耳だった。秘密の場所で特訓してるって言ってたけどここのことだったんだ……でも何で河原?
「あんまり詳しいことは喋っちゃダメなんだけどね。恋愛映画なんだ、そのオーディション」
「へーそうなんですか」
本当は知っていたけど。俺は知らない振りをする。
「ここに来るとね、その……役の子の気持ちが分かるんだ」
「役の子ってヒロインのことですか?」
「うん。恋する気持ちが分かるっていうか……って、アタシ何言ってるんだろう……」
柚さんは顔を赤くして縮こまってしまう。柚さんが何を言いたいのか、穂乃香さんと話したせいで俺のことを考えてるのではないかとおもってしまう。
「そうだ! 今度の土曜日にデパートでイベントやるんだっ」
いきなり変わった話題に思わずドキッとする。なぜならそのイベントというのは多分俺となー姉のデビューイベントのことだからだ。
「よかったら見にきてよ」
「う、うん。絶対見に行きます……」
というよりも参加するんだけど……。まあ見に行くと言っても嘘にはならない……かな?
『何も言わずにお別れなんて柚ちゃんの友達として許しません』
『お別れのその時までどうするか考えましょう』
ふと、穂乃香さんに言われたことを思い出す。こんなにも柚さんと仲良くなって、何て言ってお別れを言えばいいのだろう。
「迅クン? どしたの?」
「あ、いや、うん……なんでもないです」
「そう? あ、じゃあアタシそろそろ行くね」
「オーディション頑張ってください」
「アリガトっ、本番前に迅クンに会えてよかったっ」
照れくさそうに笑って柚さんは立ち去る。タイムリミットは近い。本当にどう柚さんとお別れすればいいんだ……
*****
そして遂にデビューの日がやってきた。
俺となー姉はスタッフルームに通され、用意された衣装に着替える。今回は元々ある衣装を軽く調整しただけの物だが、次からはキチンと採寸をして専用の衣装が用意されるらしい。その頃にははー姉と入れ替わらないといけない。
「じゃあ颯ちゃんお化粧するわよー」
「お、お願いします……」
そうこうしてるうちにメイクさんにお化粧される。顔を見られるので女装がバレないか気が気でない。
「ねえ……リハーサルの時も思ったんだけど颯ちゃんって……」
メイクさんの言葉に俺は思わず身構える。まさかバレた……!?
「すっごいお肌キレイよね! ナチュラルボーンキュートって感じ! 若いっていいわ〜」
バレてなかった。男なので肌が綺麗とかキュートとか言われても微妙な気持ちになる。俺は愛想笑いで返すことしか出来なかった。
*****
無事着替えとメイクを終わらせ鏡で自分の姿を見る。
「おお……」
鏡に映る自分のすがたに思わず息を飲んでしまった。綺麗なドレスに身を包んだその姿はまさしくテレビで見たアイドルのようだった。
「まあ中身は男なんだけど……」
本来ははー姉が着るはずだった衣装。憧れのアイドルドレスを着せるためにも今日のイベントは絶対に成功させないと……。うぅ、緊張してきた……
「はーやーてチャン!」
「うわあ! 柚さん!?」
イベントの流れを頭の中で確認しているところ柚さんにポンと肩を叩かれ思わず変な声を出してしまった。
「グミ食べる?」
「グ、グミですか……?」
「そそ、ほら、あっちにプロデューサーサンから差し入れが届いてるよ」
「あ、本当だ……」
全然気がつかなかった……。緊張で周りが見えてなかったのかも。
「差し入れにグミってプロデューサーサンもなかなか面白いセンスしてるよね〜……って酸っぱ!!!」
かなり酸っぱいらしく柚さんは顔をキュッとさせる。その顔を見て俺はつい吹き出してしまった。
「あ、颯チャン笑った! ヒドイ!」
「だって柚さん顔が変なんですもん。そんな大げさな……酸っぱ!!!」
「でしょ?」
本当。エグいほど酸っぱい。
「プロデューサーサンめ……本番前になんてものを……。颯チャン、プロデューサーサンに文句言いに行こう!」
「はい! ……ふふっ」
一緒にプロデューサーさんの元へ走る。体の震えはいつのまにか和らいでいた。
*****
本番10分前、デパートの吹き抜けに作られた簡単なステージの袖から俺となー姉は外を覗き見る。
「うわあ、めっちゃ人いる……」
「春休みも終わりですからね。みんなこぞって外出するのでしょう」
ステージの外には1階だけでなく2階3階にも人がぎっしりと集まっていた。
「2人とも大丈夫か?」
人の多さに驚く俺たちにプロデューサーさんが心配そうに尋ねてきた。
「大丈夫大丈夫! はーの晴れ舞台しっかりと目に焼き付けておいてよね!」
「心配ありません。凪は人が多いほど燃えるタイプなのです」
「あれ、なんか思ったより全然緊張してないな……。せっかく緊張をほぐすカッコいい台詞を用意してきたのに……」
「だから言ったでしょ。2人なら大丈夫だって!」
プロデューサーさんの隣の柚さんは誇らしそうにポンと胸を叩く。
「じゃあ2人とも、今日は目一杯楽しもうねっ!」
「「はい!」」
ブーっとイベント開始のブザーが鳴る。俺は2、3度深呼吸をして、ステージへと駆け出した。
テープで作られた目印のところに立つ。まだ暗くて観客の人たちの表情は見えない、というか見る余裕はない。
パッと照明が点くと同時に曲のイントロが流れる。有名な曲なのか、イントロが流れた瞬間歓声が上がり思わずビクっとしてしまった。しかしこの日のために何度も聞いて練習した曲の一つだ。イントロに合わせ自然と身体が動いていた……
*****
「以上、『お願いシンデレラ』でした!」
歌い終わった俺となー姉はお辞儀をして舞台袖へと捌ける。
「2人とも凄かったぞ!」
ステージ裏に回るとプロデューサーさんが出迎えてくれた。
「初めてとは思えないくらいよく出来て……って2人とも大丈夫か?」
「あ、あはは……ドキドキしすぎて何がなんだか分からないや……」
「はーちゃんがバグってますね。凪も……わかりません」
俺となー姉の言葉を聞くとプロデューサーさんは何か納得したようだった。
「じゃあ柚が言うようにその気持ちを楽しまないとな」
「「……はい!」」
*****
ステージでは柚さんがMCを務めてイベントを進めていた。
「実はさっき柚の隣で歌っていた子たちは今日がデビュー日なんだー! みんな気になるよねー?」
気になるー、と客席の人たちが声を揃える。柚さんのMCは客席に振ることが多く、柚さんも客席の人たちも楽しそうだった。
「じゃあもう一度出てきてもらおうかな〜。颯チャーン、凪チャーン!」
柚さんが俺たちを呼ぶ。俺たちの再登場に合わせて客席からは拍手が送られてきた。
「よし、じゃあまずみんなに自己紹介!」
俺は一度深呼吸をする。……よし。俺となー姉は前に出て背中を合わせる。
「乾いたハートには颯のごとく。呼ばれて登場、久川颯!」
「都会に現れた20坪の凪空間。駅から3分、久川凪!」
「2人合わせて!」
「「miroirでーす!」」
名乗ると同時に決めポーズをする。miroir……フランス語で「鏡」を意味するものではー姉となー姉のユニット名だ。プロデューサーさんが考えたもので、オシャレないい名前だと思う。
名乗り終えると歓声と拍手が鳴り響いた。イベントを楽しんでいる客席のみんなはノリも良かった。
「自己紹介ありがとう! さてみなさんっ、2人を見て何か気がついたところあるかなー?」
そう柚さんが振ると客席からは姉妹や双子という声が上がってきた。男じゃないのかという指摘が聞こえてこなくてホッとする。
「そう! 2人はなんと双子なのです! みんな今日はどっちが颯チャンでどっちが凪チャンか分かるようにして帰ってねー」
その後は俺となー姉の紹介を兼ねた質問コーナーになった。柚さんが質問をして俺たちはそれに答える。俺が良くも悪くも普通に返すのに対してなー姉が斜め45度の受け答えをする。柚さんのトークの上手さもあって客席の人たちも楽しそうだった。
「ふぅ、それじゃ質問コーナーはここまで。みんなmiroirのこと覚えたかなー?」
はーい、覚えたーといった声が上がる。なんとか俺たちをアピールすることが出来たようだ。
「それじゃあ最後に1曲歌って終わろうと思います。2人とも準備はオッケー?」
「オッケー!」
「問題ありません」
「よし! では聴いてください。柚とmiroirで」
「「「ススメ☆オトメ」」」
*****
曲が終わると今日一番の拍手と歓声が俺たちに降り注いだ。ありがとうございましたとお礼を述べ俺たちは退散する。
「お疲れ様。どうだった?」
プロデューサーさんは満足そうな笑みを浮かべていた。
「なんか、ドキドキして、わーってしてたら終わっちゃってた! でも、すっごい楽しかった!」
「あれが、アイドルとして見る景色なのですね。音楽のテストとは、違いました」
「これからももっと楽しいことあるよ!」
「……楽しみです。アイドル」
一見無表情で分かりづらいがなー姉もドキドキしているようだ。
「これから本格的に宣伝していくから忙しくなるぞー」
「ビックウェーブ、来てしまいましたか。凪なのに」
「乗るしかないね! 頑張ろうね、なー!」
「そうですね」
こうして俺となー姉のデビューイベントは無事に成功した。はー姉との入れ替わりも近い。この偽りのアイドル生活が終わってしまうと思うと少し寂しかった。
誤字報告ありがとうございました。次回更新も少し遅くなってしまうかと思います