立香が藤原一貴に向ける感情は複雑なものだ。好きだとか嫌いだとか、そんな一元的な考えでは決して見れない。
悪人ではないと思う。契約したサーヴァントの沖田は一貴に良く懐いているようだし、不愛想であるが喋り掛ければ反応は返ってくる。カルデアで悪行を行っているわけでもない。若干無鉄砲な突撃癖が悪癖として数えられるくらいだ。
間違いなく、戦闘面では頼りになる人だとは思う。
何せ、自分の体術の師匠でもあるのだから。
『人間は英霊に敵わない』
フランスの特異点を攻略し終えた後の話だ。ロマニの提案によって戦闘訓練が行われるようになり、その講師が一貴だった。
仮想戦闘室で何時もの仏頂面でまずそう語った。マシュと沖田も傍らにいて、興味深そうに聞いていたことを立香も憶えている。
『前のキリエライトなら兎も角、デミ・サーヴァントとなった今では俺も歯が立たないだろう。英霊と人間にはそれほど隔絶した差があると理解しろ』
その言葉に立香は頷く。冬木とフランスの特異点で英霊の凄まじさは身を持って実感した。例え幼い姿をしていようが弱そうに見えようが、英霊が英霊足る所以を知った以上は
侮ることなど、例えやれと言われても出来ない。
『どのような英霊であれ、戦いを挑むなど勇気を通り越して無謀だ。命を投げ捨てた馬鹿の行為だ。これから教えるのは敵を打ち倒すものじゃない。敵から一刻も離れ、態勢を立て直すものだ』
『……』
とんでもないブーメランな発言だと思ったが、立香は空気を読んで黙った。マシュも沖田も何か言いたげな微妙な顔をしていたので、多分気持ちは同じだろう。
『言っていることは分かりますが、絶対にマスターが言ってはいけない言葉だと思います』
我慢しきれなかったようで沖田がそう突っ込む。もしかしたら先ほどの発言は緊張をほぐすための一貴なりの冗句かと思ったのかもしれない。立香ですら突っ込み待ちを一瞬疑ったのだ。
『そうだ。俺は馬鹿だ。だから何も問題はない』
『ええ……?』
一貴は大真面目に言った。またしても微妙な顔になるマシュたちを見てこの人を師事して本当に大丈夫なのかと立香は不安に思ったが、幸いな事に指導自体は極めてまともだった。
生憎とこれまでは一貴の教わった術が効果を発揮することはほぼなかったが、それはそれでマスターである自身が危機に晒されているということであり、そんなものは無い方が良い。
例え未だそういったことがなくても万が一の事を考えて、そして心構えとして教わるのは悪いことではないし、ロマニ達も推奨していた。
だからそれは良い。教え方は素人の立香にも無理がないような内容だったし、決して無駄なものではない。ただ、教わった内容よりも何故か立香には訓練前の問答の方が心に焼き付いていた。
契約したサーヴァントの沖田と肩を並べて敵陣に向かって切り込む姿は勇ましく、言葉少なめなところも背中で語る大人という感じがして、悪くない。
鋭い眼光も相まってまるで時代劇に出てくる仕事人のようだ。
何度も一貴とその相方には助けてもらったし、背中を預けるに足る仲間だと思っている。
冬木の街では自分を庇って腕を切り落とされたのだ。命を掛けて守られた一貴に悪感情を抱くのは間違っていると理性は訴えている。
もやもやとした感情に言い訳が出来なくなったのは、偶然カルデアにいるアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎ととある会話をした時だ。
『あれは獣よ。それも理知的な獣だ』
よく模擬戦闘を行っている佐々木は一貴をそう評した。
『どこでどう捻じ曲がったかは知らんがな。あれはもう、人ではなくそういう生き物だと認識した方が良かろうて』
『……それって大丈夫なの? その、背中を預けても』
佐々木の人物評がどれだけ当てになるかは不明だが、英霊にまで昇華された剣豪の評価を一笑に付すことは出来ない。立香の不安げな声に、さぁ、と佐々木は気楽な様子でそう言った。
『意味も無く刃を向けるような無頼漢ではない。そこは信じてよかろう』
全く安心出来ない答えだ。それは裏を返せば理由があればこちら側に牙を剥く、という事ではないのか。続けて立香が問うと佐々木は苦笑した。
『今のところはそれもあるまい。これからどう転がっていくかは分からぬが』
『……どういうこと?』
『先ほど言ったであろう? 理知的な獣だと。いっそ畜生に堕ちてしまえば楽であろうに。今の奴は半人半獣よ。本人が意識しているかは分からぬがな』
半人半獣。それが意味するところを立香が完全に理解出来たわけではない。だがやはり一貴が常人離れしているのは分かる。やはり藤原一貴という人間は歪だ。
冬木の街、そこで自分を庇って腕を叩き落とされた時の表情を、立香は覚えている。
大量の鮮血に塗れて激痛が奔っているだろうそんな中で、あんなにも穏やかな顔が出来る人間はきっとまともではない。
「―――藤原さんって沖田さんの事好きなの?」
そして、だからこそ立香は一貴の事を知る努力をするのだ。
話し合いで全てを解決できるなんて夢物語だ。ただ、言葉を重ねることで変わるものも救われるものもあると立香は信じている。
何よりも、それが何も出来ない自身のせめてもの役割だ。
藤丸立香は普通の女子高生だった。普通に学校に通って普通に部活動をして、普通に放課後に友人と遊びに出かけるような、普通の少女だ。
それは立香が魔術という言葉を知ってもなお、覆されないものだった。
父親はサラリーマン、母親は主婦。共に魔術に造詣のない一般人だ。
稀に一般人であっても魔術行使の基盤を持つ事もあり得るため、立香が魔術師に成り得る事に不自然な点はない。それこそ道行く一般人の何人かを無作為に検査すれば立香と同じような境遇の人間も見つかるだろう。立香もちょっと珍しいだけの人間で終わるはずだった。
問題はレイシフト適性が異常な程高い数値を示したということだ。
運命の歯車が廻り始めたのは、その時だろう。
それから後は流れでカルデアなる組織に連れてこられ、何故か後輩を自称するマシュに出会い―――よくわからないまま冬木という街にレイシフトしていた。
事前知識のない立香にオルガマリーが説明をするが、いまいちピンと来ない。
聖杯戦争が行われていたとか、英霊とか、そんな非現実的な言葉を咀嚼するのに精一杯だ。
冬木の街は崩壊して火に巻かれているし、ファンタジーゲームの序盤で敵として出てきそうなスケルトンは出てくるしで、立香は取り敢えず考えることを止めた。
あれよあれよといううちにただの女子高生はカルデアとかいう組織に引っ張ってこられ、そうかと思えば謎の爆発によって冬木の街にレイシフトしたとか言われても反応に困る。
速すぎる展開についていけない。ついこの間まで呑気に女子高生としていたのに、B級パニック映画染みた空間に放り込まれたのだ。はいそうですか、とあっさり受け入れられるほど立香は超然とした精神を持ちあわせていない。
混乱の極致にありながらもまだ辛うじて平静を保っていられるのは精神が麻痺していること、そしてマシュやオルガマリーといった面々が共にいるからだ。
一人であれば、容易く壊れてしまうだろう。
「……ふぅ」
何度目になるか、スケルトンの襲撃をやり過ごした後、立香はため息を吐いた。
本当に今更の話になるが、ようやく麻痺しつつあった精神も現実を受け入れ始めてきたのだ。
そして今の現実を受け入れると自分が今とんでもない境遇に置かれていることが分かる。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
辛うじて笑みを浮かべる。しかしそれは大分不格好なもののようで、マシュの顔が曇る。
「……まぁ、ついこの間まで本当にただの一般人だったものね。疲れるのはしょうがないわ」
理解を示すように言うオルガマリー。当初の刺々しい印象は大分好転した。寧ろ、同じ境遇に放り込まれたという点で同類意識を感じる程だ。
「ま、普通の嬢ちゃんのこの状況は辛いわな。一度どっかで休憩を入れるか。肉体的な疲労もあるだろうしな」
蒼い外套を纏ったキャスターは周囲に視線を巡らせながら言う。残ったサーヴァントはアーチャーとバーサーカーとセイバー。遠距離戦を得意とするアーチャーの狙撃に備えて周囲を警戒しているのだ。
「藤原さんはどうですか?」
「俺は問題ない。だがキャスターの言う通り、一度休憩を挟んだ方が良いだろう」
刃物めいた視線が立香を捉える。一貴にそんな意図がないことは立香も分かる。しかし冷たい視線は此方を睨みつけているようにしか見えない。
刀みたいだ、と立香は何度目か分からない感想を抱く。無駄が無くしなやかな体躯と鋭い眼光は腰に携えた日本刀もあって鋭利な刃を連想させる。そんな浮世離れした雰囲気の男だ。
マシュ曰く、白兵戦のプロ。その言葉通りスケルトンを一刀両断する姿は頼もしく映る。
聞けば、オルガマリーは有名な家系の魔術師らしいが藤原家は大した歴史もなく、魔術回路の本数も一般的な魔術師以下らしい。
素人の立香には魔術回路がどういうものか漠然なイメージしか出来ていないが、魔術回路が多いイコール強い、という式は何とか理解した。
厳しい訓練を幼い時から行っていた、という話だし魔術師として育てられたのだ。
これまで一般人だった自分とは積み重ねてきたものが違うのだろう。
ただ、立香にはその強さを羨ましいと思った。
何せ一番の足手まといは自分なのだから。
だからこそ、誰よりも気丈に振る舞わなければいかないのだ。そうやって自分を鼓舞しないと押しつぶれてしまいそうだ。
だが、そんな防衛本能はバーサーカーの雄叫び一つであっという間に崩れ去った。
「ヒッ……!」
褐色の巨人だ。黒い靄に包まれながらも見える粗削りな斧剣を携えて、バーサーカーが現れた。
「ああ、クソ! やりやがったな、テメエ―――!」
キャスターの叫びが遠くに聞こえる。そこから何もかも分からなくなっていく。
逃げろ、と本能がこれだけ訴えてきているのにそれに反して身体は動いてくれない。自分の心が軋む音を立香は聞いた。
マシュの声が、オルガマリーの声が。自分を呼び続ける声が聞こえても、それは立香の耳には意味のない言葉の羅列になって入ってくるだけだった。
アーチャーの弓に釘付けにされてキャスターは動けない。オルガマリーが放った魔術はバーサーカーの動きを阻害するに至らない。地響きと迫りくる巨体。大盾を構えたマシュも弾き飛ばされ、その斧剣が振り下ろされ―――。
「え……?」
どん、という衝撃。その直後、鮮血が舞って一貴の片腕が宙に放り投げられた。
態勢を崩しながらも、立香は一貴の顔を見た。苦悶に塗れた顔ではなかった。
寧ろ逆で、呪縛から解放されたかのような穏やかな顔だった。