summer pockets 【If Story】 〜もう一度だけ、あの眩しさを〜 作:白羽凪
とくとご覧あれ。
結局、そのカウンセラーの元へは翌日行くこととなった。となれば、今日の俺はまるっきり暇人だ。
鞄を片手に大通りの隅を歩く。街灯に取ってつけられたような時計は呑気に昼の2時を指している。
この時間に帰るなんていつ以来だろうか。その時、俺は何をしていただろうか。
もう何も思い出せない。言えば、ここ数年の俺はずっとそうだったのだろう。
本当に、空虚な時間を過ごしていたんだ。何年も、何年も。
うみとの、他人との、そして自分との向き合い方を知らないまま。
「...はぁ」
思えば思うほどため息は止まらない。かといって、考えることから逃れると、またいつもと一緒の自分になる。それじゃダメなのだ。...もう、ダメなのだ。
とりあえず、今の自分にできることを探すことにした。
とはいえ、空虚な俺は特別何も持ち合わせていない。普通の人間の感覚が、どこまで通用するかも知らないでいた。
そんなどうにもならないことを考えながら道を歩くと、気づけば足は大通りを離れ、小さな住宅街へ入っていた。その中にぽつんと位置する診療所が、ふと俺の目に入ってきた。
そうして、病院で眠ったままでいる自分の娘のことを思い出す。
「...逃げられない、んだよな。...そうだよな」
激しい頭痛と恐ろしいくらいの吐き気。禁断症状に近いそれに襲われながらも、俺は目をそらすことをしなかった。
「...行く、か。うみのところへ」
行くだけ辛くなるのは分かっている。それでも俺はうみの父親である。
ネグレクトと言われようと、その運命は変わらない。逃げないと誓うのならば、足を進めなければならない。
昨日あんなことを告げた手前、どんな顔をして会いに行けばいいか分からない。けれど、会うことがきっと今は何より大事な気がした。
「...近くにスーパー、あったよな。...見舞いの品でも、買っていくか」
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近場のスーパーで適当に果物をいくつか買って、袋を片手に提げて自動ドアを抜けると、どこかで見慣れたバイクが近くに止まっていた。
持ち主を探してキョロキョロとすると、間もなくそのバイク主は見つかった。
少し赤がかった長い髪をなびかせて、少し変わった紙パックのジュースを飲んでいるその姿は、いつ見ても変わらない。
この人は俺に、...うみに、関係のある人間だ。
声を掛けようと動き出した足が躊躇う。それでも俺は勇気を振り絞って一歩を踏み出した。
「あの!」
「ん? おー、あんたは」
「お久しぶりです。神尾先生」
神尾晴子。うみの通っていた保育所で先生をやっていて、実際にうみの面倒も見てくれていた先生である。
「確か、うみちゃんとこの...」
「はい。鷹原 羽依里です」
「おー! ひっさしぶりやなぁ! 元気しとるか!」
どこまでも無邪気な声。しかし、俺はしかめっ面を作ることしかできなかった。それを察してか、神尾先生はわずかに眉をひそめた。
「...どないしたんや。やっぱ、うまくいってへんのか?」
「...簡単に言えば、そうですね」
この人には、俺自身も何度か悩みを打ち明けたことがある。言えば、本当に身近なカウンセラーと呼ぶにふさわしい人間だった。
もっとも、当時はまだうみとここまで距離が離れていたわけではなかった。だからこそ、あの頃はまだ軽い愚痴、悩みで済んでいたのだ。
今となっては、それより遥かに重たい現状に取り巻かれている。
「...うし、分かった。うちが話聞いたる。時間あるか?」
「...はい。ちょっと長い話になりますけど」
少しためらって、イエスを告げた俺に神尾先生は朗らかに笑って俺の背中を軽くたたいた。
「そんなん構わへん! うちも今日は暇なんや。何かあるなら、全部ぶつけて楽になってみや?」
「...そうですね」
それが出来れば、どれだけ楽だろう。
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スーパーを出てすぐのところにあるベンチに腰かけて、俺は本題に入った。
ここまでの全てを神尾先生に打ち明ける。子育てがうまくいってないこと、俺自身が空回りしてどうにもならないこと、うみが怪我をしたこと、担任にネグレクトと言われたこと。
何度も嗚咽しかけて、言葉に詰まりながら話す俺に、神尾先生は何もしなかった。代わりにただうんうんと頷くばかり。
そして全てを話し終わって初めて、神尾先生は口を開いた。
「それが、あんたがあん時からここまで歩いた道なんやな?」
「はい。...あれだけよくしてもらったのに、こんなことになって...すいません」
「...んー、そうやなぁ...」
気にしていない、と言われなかったことに俺は少し負い目を感じる。しかしそんな俺を放っておいて、神尾先生は自分の話を始めた。
「なあ。あんたは、まだやり直したいと思っとるんか?」
「え?」
「うみちゃんとの関係や。それ以外あらへんやろ」
「それは...」
言葉に詰まり、うまく返事が出来ない。
けれど、複雑極まる心の中は答えを一貫していた。
『やり直したい』
全てをやり直したい。これまで狂った全てを取り壊して、やり直したい。...できれば、しろはがいたあのころまで戻って、三人で。
「もちろん、そう思ってます」
気が付けば、思いは言葉となっていた。それを受け取ったことに満足してか、神尾先生は一度うんと頷いて明後日の方向を向きながらポツリと語りだした。
「...してへんかったな、うちの話」
「先生の...ですか」
「そや。うちにもな、娘がいたんや」
「いたって...」
意を含んでいるその言葉の意味を理解するのは容易だった。そして、推測通りの答えが返ってくる。
「そや。うちの娘は...、観鈴はもうおらんのや」
平静を装いながら、その奥には微かな悲しみを感じた。その悲しさを俺は知っている。俺だって同じ、無くしたくない人を失った人間なのだから。
「そうですか...」
「けどな。それも今となってはええ思い出なんや」
「...え?」
初め、その言葉の意味が俺は分からないでいた。...訂正、今も分からない。
悲しみの記憶が、なぜいい思い出と言えるのだろうか。その心理が俺はどうもわからなかった。
それの答え合わせをするように、神尾先生は続ける。
「もちろん、死んでしもたことは今も辛いままや? けどな、うちはあの頃をもう一度やり直したい思わへん。あの子の母親やったことは、今は誇りでしかあらへんのや」
「...強いですね。そうやって割り切れるのは」
「そない理屈めいた話ちゃうで、これ。簡単なことや。あんたも、本気であの子の事思うてんなら、ぜーんぶ捨てるくらいの度胸あってもええはずやで?」
「全部捨てるって...、だいたい、そんな簡単に捨てるものなんて」
「うーん、せやなぁ...。仕事とかどや?」
「仕事をやめる...? そんなこと、許されるんですか?」
「...あんまキツイこと言いたかあらへんねんけどなぁ...。やり直す、ってんは、今あるもん全部ぶっ壊すことや。環境を変える、仕事を変える、そんなことばっかして、悩んで、見つければええんや。なーんて、うちはそれに気づくのが遅かってんけどな」
少し自虐気味に神尾先生は笑うが、俺は笑えずにいた。
けれど、言おうとしていることが水を飲むようにスッと体に入ってくる。
「...俺って、仕事って存在に縛られてたんですね」
「若いうちはそんなもんや。うちもそうやったんやからな。...けど、まだあんたはやり直せる。めげずに頑張ってみや?」
「...はい。やれるだけ、やってみます」
「よし! その意気や! 応援しとるで!」
背中をバシンと一度叩かれて、体がほんの少しやる気で満たされたのを俺はほのかに感じた。
そのやる気のまま、うみのいる病院へ歩き出す。その足は先ほどよりも何十倍も軽く思えた。
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病室のうみは、相変わらず微動だにせず眠っていた。
先ほど全てを打ち明けたおかげか、あるはずと思っていた頭痛や吐き気はどこかに吹き飛んでいた。
そっとその頭を撫でて、俺はぶれない声音で語り掛ける。
「...なぁ、うみ。こんなお父さんだけど...。俺、頑張るから。もうちょっとだけ、頑張ってみるから...。だから、もう少しだけ...待ってくれ」
返事はない。代わりに、その小さな手がピクリと動いた。
〇クロスオーバーコーナー
今回はAIRより神尾晴子。本編終了後、保育士になったという設定を流用させて頂きました。が、がお...。
全てを割り切ることが出来たら、どれだけ楽でしょうかね。そんなことをよく思います。
コテコテの関西弁、書くの楽しかったです!
と言ったところで、今回はこの辺で。
感想や評価等いただければ幸いです。