【吐いた唾は飲めぬ】
今ほど、この言葉の重みを深く受け止めたことはないだろう。
昨日の、夏波結の収益化記念の凸待ちで最後に口から出てしまった言葉は、自分がなかったことにしてくれと言った程度で消えるわけもないことだった。
夏波結のチャンネルにはアーカイブとして残っているのは当然として、登録者数が順調に伸びている自分よりも数倍多くの登録者を持つ彼女のチャンネルでの発言だったこともあり、自分の所ではなかったが“発言が切り抜かれて投稿される”という初めての体験をすることに……。
おまけに、俺が凸中につい漏らした小声も拾われて字幕付きはもとより、投稿者によってはワザワザ編集ソフトを使って俺の声を聞こえるまでに大きくしていたりと、ネットの怖さを今更ながら再確認することにもなった。
当然ながら、この流れは他へと波及することになり、もともと夏波結は非公式ながら黒猫燦の“ママ”という立ち位置を持っていた所に、他企業の俺が“ママ発言”をしたことでリスナーからは『夏波結の第二子』とか『黒猫燦の妹』とか色々と他人を巻き込んだ二つ名が流れるようなる。
そしてこの事態を、不貞寝から就寝という流れで朝を迎えた俺へ桃瀬さんが電話口で教えてくれたのだった。
「ご、ごめんなさ……」
自分の一言がここまで大きな事態になるとは思ってもみなかったために、ガタガタと体が震えだし、引き攣る喉から絞り出すように謝罪の言葉を桃瀬さんへと伝える。
そして、前世でネットの怖さというものを知っていたというのに、この炎上案件を生み出してしまった自分の迂闊さに絶望する。
まるで、これから実刑判決を受ける犯罪者のような気持ちで桃瀬さんから言葉を待っていると……
『大丈夫よ。何も問題ないから』
「……へぁ?」
『…………ぷふっ』
予想外の言葉に、自分でも驚くような間抜けな声が出てしまい。
それを聞いた桃瀬さんは咄嗟に隠したのだろうが、スマホからははっきりと彼女の笑い声が届いてきた。
だが、笑われたことなどどうでも良い。それよりも―――
「ど、どういうことですか?」
『あの発言にはビックリはしたけどね。この事態も想定されていたことの一つだから、七海ちゃんが心配しているようなことは杞憂よ』
「そうてい?」
俺が決死の思いで言った内容が、桃瀬さんらマネージャー達から想定されていた?
桃瀬さんから大丈夫という言葉をもらった時から、嵐のように荒れ狂っていた思考が段々と平常時の状態へと戻るにつれて、今度は自分の言動が簡単に予測できてしまうほどに単純であるかのよな発言に、少し気分が落ち込んでしまう。
とはいえ、自分が単純だったために今回の出来事への対処を事前に準備できたと捉えれば……まあ、それでもショックなのは変わりないのだが……
『ともかく、凸については私の方が促したわけだし、七海ちゃんは普段通りで大丈夫よ』
「でも……」
『それよりも、凸から今まで連絡が取れなかった方が問題よ』
「うっ」
ちらりと時計を見れば、凸から逃げた時間から12時間は既に経過している。
今日が休日ということもあり、平日の朝にはセットしてるアラームが機能しなかったので寝坊していた。
とはいえ、不貞寝からの就寝とはいえ連絡が来ているのにも気づかずに12時間近く寝ていられるとか、自分のことながら凄い事だ。
『くじょ……七海ちゃんのお父さんも家を空けてるときに娘さんへ連絡を送っても反応がないとか、すごく慌ててたんだからね』
「ぁぁぁぁっ」
このあと、RAINや着信履歴を見るのが怖くなるようなことを言ってくる桃瀬さんへ、ただ呻き声を返すしかない。
父も現地で一泊だけの超短期出張中に、病弱の娘から連絡がないとか最悪の事を想像して慌てるのは当然だろうし、こうなると結―――暁さんからも連絡しても返事がないと慌ててる可能性が出てきた。
『それじゃあ、私の方からも皆へ大丈夫だったことを伝えておくけれど、七海ちゃんからも心配してた人達にちゃんと連絡するようにね』
「あ゛い゛……」
『もう……でも、何事もないようで本当によかったわ』
「……すみませんでした」
『うん……それじゃあ、みんなへ連絡するようにね』
「はい」
その後、仕事をするために来た家政婦の芳子さんが見たものは!
スピーカーにしたスマホを前にしてベッドの上で土下座をする俺の姿だった……。
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『本当にすみませんでした』
少しくぐもった謝罪する声がスマホから聞こえてくるが、どうして?と思う間もなく、ベッドなりの上で土下座をしているのだろうことが容易に想像できてしまった。
まだ一度しかオフで会ったことがなく、お話も昨日の凸時を含めれば二回だけだというのに、彼女の行動が難なく想像できてしまう事に苦笑いがでてしまう。
「大事になってないのなら、大丈夫よ」
『ご心配をおかけしました……』
彼女と私のマネージャー二人を経由して届いた無事の知らせではあったが、実際に元気そうな声を聴くまでは心配は完全になくなることはなかった。
なんといっても彼女は病弱であるし、あの見た目と“声”。
それに変なところで感覚がズレていたり無防備だったりと、冗談抜きで目を離した一瞬の隙に消えてしまいそうな危うさがあるのだ。
凸待ち配信後に、凸に来てくれた人達へ一人ずつお礼のメッセージを送った中で、マメな性格の彼女からだけ返信がなかったと気づいた瞬間に、私は時折だが燦が口を滑らせた際にでてくる“そういった内容”を想像してしまい蒼くなった。
だが、連絡を交換したとはいえ所詮は他企業に所属している子であり、名前以外のプライベートなどは全く知らないし、私の勝手な理由で他社へと突撃するわけにもいかない。
結局、自分の逞しい想像から勝手に心配して、今の今まで一睡もしていないという傍目から見ればバカなことをしてしまっている。
今日は会社が休みだったのは本当に良かった。
「本当、心配したんだからね?」
『うぅ……』
「まあ私が勝手に心配して疲れて、自爆してるようだけれどね」
『いえ!……あの、その……心配して、くれて、ありがとうございます』
「―――」
小さな照れ笑いの声を漏らしつつお礼をいう彼女に、色々な感情が湧き立ってきたのを大きくため息をつくことで吐き出す。
『???』
「そう思うなら、次からは心配されるようなことをしないでね?」
『アッハイ』
「それじゃあ、他にも連絡する必要であるでしょうから『うぐっ』切るわね」
『えと、ありがとうございました』
「うん」
彼女の声に返しつつ、通話を切ると深く、深くため息をつく。
「はぁ……本当に、あの子の母親みたいね」