銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第八十九話:連戦の果てに 宇宙暦796年10月25日~26日 ヒルダース星系~辺境宙域某所 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 一〇月二五日、第二分艦隊はヒルダース星系で第三分艦隊と合流を果たした。先任司令官として第三分艦隊をも指揮下に収めた第二分艦隊司令官クレッソン少将は、各部隊にプートリッツ星系への進軍を指示。第一分艦隊、第四分艦隊、そしてアインベルク星系から逃れてきた後方支援集団を指揮下に収めた第一二艦隊司令官代行ヤオ・フアシン少将もまたプートリッツ星系に向かっていた。

 

「…こちら、自由惑星同盟軍クラインゲルト駐留軍。衛星軌道上から帝国軍が降下しつつあり。地上には将兵一〇万四〇〇〇名、民間人三〇〇〇〇名。脱出手段無し。救援を求む。救援を求む」

「…自由惑星同盟軍の方!自由惑星同盟軍の方!私は解放区民主化支援機構ヘルスブルック駐在代表部の者です!ヘルスブルックには民間人と軍人合わせて九万人が取り残されています!お願いです!助けに来てください!」

「…同盟軍はいないのか!?全滅したのか!?いたら返事をしてくれ!レーニンゲンに来てくれ!基地は敵に取り囲まれて、食料も尽きた!中には五万人がいる!女子供もいる!奴隷になるぐらいなら、みんな死ぬと言っている!医療チームは自決用の毒薬カプセルを配ってる!死ぬのは嫌だ!助けてくれ!」

 

 通信機から聞こえてくる悲痛な叫びは、占領地に取り残されて孤立した駐留部隊の将兵、民主化支援機構の職員、民間企業の駐在員などから送られてきたものであった。

 

 後方の占領地では地上部隊が民主化支援機構とともに統治にあたり、総司令部直轄の艦艇部隊が惑星間の航路を警備していた。しかし、帝国軍の反攻が始まると総司令部は「決戦用の予備戦力確保」と称して、地上部隊に何のことわりもなく、艦艇部隊をすべてイゼルローン要塞に引き上げてしまった。地上に取り残された軍人や民間人は戦闘能力を持たない艦艇で敵地を航行するわけにもいかず、ひたすら救援を求め続けた。

 

 前線に近い占領地にいた人々は駐留していた正規艦隊の軍艦に便乗して脱出できたのに、安全な後方の占領地にいたはずの人々が危険に晒されてしまったのは皮肉としか言いようがない。

 

 助けを求める声に耳をふさぎながら、俺達は航行を続ける。助けようとしたら、俺達が敵に捕捉されてしまう。情けない話だが、他人を犠牲にして自分が助かるか、自分を犠牲にして他人を助けるかを問われたら、俺は躊躇なく前者を選ぶ。それでいて、他人を犠牲にして生き延びることには後ろめたさを感じる。ボロディン中将のように身を捨てて人を救うことも、ロボス元帥のように何の罪悪感も感じずに他人を犠牲にすることもできない。本当に中途半端な凡人だ。心の中で謝り続けて、罪悪感をごまかす以上のことは俺にはできなかった。

 

 ヤオ提督と合流できれば、俺達の戦力は九〇〇〇隻を越える。シャルマ少将の後方支援集団から補給も受けられる。それを希望にプートリッツ星系へ進んでいた俺達は、ヒルダース星系を出発してから六時間後の二一時に、惑星デュンマー周辺宙域で帝国軍と遭遇した。メインスクリーンには、球状に展開する五〇〇〇隻ほどの部隊が映っていた。

 

「球状陣は広い索敵視野を取れる防御陣。しかも、攻撃空母と駆逐艦がやや多めで防御重視の編成がなされています。敵は足止めに徹するつもりでしょう。こちらの戦力は約四三〇〇隻。少々分が悪いです」

「昨日の敵と違って、手堅い用兵をするんだね。こんな時には厄介だ」

「艦列の密度がやや薄いです。そこに付け入る隙があるかもしれません」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐の指摘を受けて、敵の艦列を観察した。確かに密度はあまり高くない。広大な宇宙空間にあって防御陣を敷く場合は、艦艇間の距離を短めにとって密度を高め、敵の浸透を防ぐのがセオリーだった。しかし、眼前の帝国軍の布陣はそのセオリーに反している。

 

「練度が低いのかな?艦艇間の距離を詰めたままで艦隊運動を行うのって、意外と難しいからね。ぶつかったりしたら、目も当てられない」

「昨日戦った敵の艦隊運動も低レベルでした。ローエングラム元帥は七ヶ月前に元帥に昇進してから、各級部隊の指揮官と艦長をすべて若手に入れ替えています。もともと帝国軍の部隊運用は我が軍に劣っていました。入れ替えによってさらに劣化している可能性があります」

「運用は経験の世界だからね。センスでは補えない」

「戦意、補給は敵の方が優っています。我々は将兵の経験を頼りにしましょう」

 

 チュン大佐の言葉にうなずく。昨日の敵の艦隊運動は稚拙だったが、勢いはあった。戦場においては、勢いはしばしば緻密さに勝る。足を止めたら、あっという間に押し流されてしまう。一日の長がある艦隊運動でひっかき回し、敵の勢いを殺す。それが同盟軍の取るべき戦術だ。

 

「我が軍は疲れきっている。物資も足りない。経験豊富な将兵も体が動かなければ、艦を動かせない。我が軍は長時間動くことができない。そこがネックだね」

「相手の虚を突き、勢いを発揮できないうちに決着させる。短期決着あるのみです」

 

 動き回ればそれだけ多くの体力と物資を消耗してしまう。占領地で体力と物資を際限なく削り取られた同盟軍に余力はない。チュン大佐の判断は理にかなっている。

 

「フォーメーションBをとれ!敵に主導権を渡すな!速攻あるのみだ!」

 

 サブスクリーンから、クレッソン少将の指示が飛んできた。チュン大佐と同じように、短期決着が正しいと判断したのは間違いない。

 

「フォーメーションBに変更。突入部隊の援護を行う」

 

 俺はマイクを使って第三六戦隊配下の部隊指揮官に指示を飛ばした。参謀長のチュン大佐は指示の詳細及び戦域情報を部隊指揮官に伝達し、参謀に俺の方針を伝えて業務を割り振る。

 

 第二分艦隊と第三分艦隊の打撃部隊は、まっすぐに敵の球状陣に突入していく。戦艦が対艦ミサイルを乱射すると、密度の薄い敵の艦列に大きな穴が空いた。巡航艦は戦艦が開けた穴に突っ込んでいく。攻撃母艦から発信した艦載機は巡航艦とともに敵をひっかき回し、迎撃に出た敵艦載機と戦う。駆逐艦は巡航艦や艦載機を排除しようとする敵駆逐艦を攻撃する。

 

「全艦で敵の側面に回りこみ、艦列の薄い部分を狙い撃て」

 

 第三六戦隊は他の部隊とともに球状陣の側面に回りこむと、距離をとりつつ対艦ミサイルやビーム砲を叩き込んで、正面から突入する打撃部隊を支援した。

 

 第二分艦隊と第三分艦隊を迎え撃つ敵の動きは鈍かった。各艦や各部隊が動き出してから、実際の行動に移るまでの時間が長すぎる。しかも個々の動きはバラバラで統制が取れていない。戦意は恐ろしく高く、このような状況にあっても必死で踏み留まろうとしている。それでも、練度不足は明白であった。

 

 劣勢に陥った敵は後退を始めた。距離をとって態勢を立て直し、長距離戦に持ち込もうとしているのであろう。練度が低い部隊を率いる際の常套戦術だ。去年のティアマト星域会戦において、精鋭のホーランド分艦隊を迎え撃った帝国軍左翼部隊指揮官がこの戦術で勝利を収めている。しかし、クレッソン少将にはこれ以上帝国軍と戦い続けるつもりはなかった。

 

「今だ!全速で離脱せよ!」

 

 クレッソン少将の指示と同時に、第二分艦隊と第三分艦隊は素早く敵を突っ切っていった。デュンマー周辺宙域から離脱し、さらに別の恒星系に入る。

 

「また勝ったぞ!」

 

 第三六戦隊旗艦アシャンティの司令室は、喜びの声に包まれた。二日連続で帝国軍を振りきったのだ。失いかけていた自信を蘇らせるには十分であったろう。しかし、俺は手放しで喜んでいられなかった。

 

 第三六戦隊は昨日の戦いで五パーセントにあたる三二隻を失っている。他の部隊も同じぐらいの損害を受けていた。撤退行の中で蓄積された疲労が将兵の集中力を低下させ、損害を増大させたのである。今回の戦いでもそれなりの損害は出ているはずだ。

 

 物資の消耗も激しい。燃料、修理部品の不足は特に深刻だった。占領地で全く使わなかった対艦ミサイルとビーム砲用エネルギーパックは潤沢だったが、そんなのは慰めにもならない。あと一回戦いがあれば、イゼルローンに付く前に艦が動かなくなる可能性もある。

 

「閣下!」

 

 俺の後ろ向きな思考は副官シェリル・コレット大尉の弾んだ声に中断された。振り向くと、コレット大尉がにっこりしてハイタッチを求めている。初めて彼女と一緒に仕事をした去年の九月のことを思い出す。

 

 エル・ファシル解放運動のテロ部隊を撃退した俺が喜びを分かち合おうと周囲を見回した時、彼女はつまらなさそうに目を逸らした。それが今では自分からハイタッチを求めてきている。不健康な太り方をしていたのに、体の体積が半分になったんじゃないかと思えるぐらいに痩せた。変われば変わるものだ。

 

 コレット大尉の変化が嬉しくなった俺は、笑顔を作って力強くハイタッチを交わした。漂白したように真っ白でやたらときれいに並んでいる歯が口元から覗いていたのが印象に残った。

 

 司令室にいる三〇人あまりのスタッフはどのように喜んでいるのか、興味を感じた俺は周囲を見回した。

 

 参謀長のチュン大佐は一歩引いた場所でいつもと同じようにのほほんとした顔をしている。いつもなら、ポケットから潰れたパンを取り出していたに違いない。

 

 情報部長のハンス・ベッカー中佐や後方部長のリリー・レトガー中佐は、いろんな人に笑顔で話しかけている。老若男女を問わず、無差別に喜びをわかち合っているところが社交的なこの二人らしい。

 

 人事部長のセルゲイ・ニコルスキー中佐と作戦部長代理のクリス・ニールセン中佐は騒ぎに加わらずに、デスクで端末を操作している。彼らは本当に真面目だ。少しは浮かれてもいいのにと、苦笑させられる。

 

 作戦参謀のエドモンド・メッサースミス大尉は若い女性にばかり話しかけていた。真面目な彼もやはり二〇代前半の若い男性なのだ。浮かれて羽目を外してしまうのも愛嬌だろう。他の若手男性参謀も似たり寄ったりであった。

 

 人事参謀のエリオット・カプラン大尉は、いつもと変わらず所在なさげにサトウキビをかじっている。シュテンダールで住民にベースボールを教えた彼は、餞別としてダンボール二箱分のサトウキビをもらった。撤収後はサトウキビをかじる、人にサトウキビを薦める以外に何もしていない。すっかり、いつもの怠け者に戻ってしまった。

 

 喜び方一つをとってもそれぞれの個性が出ていた。凡庸な感想ではあるが、みんな一人の人間であるということをあらためて感じる。この場にいない部隊指揮官、艦長、士官、下士官、兵士もみんな一人ひとり違う個性を持ち、違う喜び方をするのであろう。何としても彼らを生きて帰らせなければならない。

 

 

 

 デュンマー周辺宙域の戦いが終了してから七時間後の一〇月二六日の朝七時。仮眠を終えた俺は、司令室に入った。入れ替わるようにニコルスキー中佐が司令室を出て仮眠室に向かう。参謀やオペレーターは交代で仮眠を取りながら、いつ起きるかわからない戦闘に備えていた。

 

「おはよう、コレット大尉。俺が寝てる間もマイクテストは無かった?」

「あったら、起こしてます」

「ああ、それはそうだ。寝ぼけてた」

 

 第五艦隊司令官ビュコック中将のマイクテストは、二四日の朝五時を最後に途絶えてしまっていた。どの星域に敵がいるか、どの星域で航路障害が発生しているかを知る術を、今の俺達は持っていない。撤退行は完全に運任せになっていた。一寸先も見えない不安の中、俺達は真っ暗な宇宙空間をひたすら突き進んでいたのである。

 

「第五艦隊はアーデンスリート星系で戦ってたはずだ。こちらに情報を流す余裕が無いのだろうな」

「流してくれているのに届いていないのかも。妨害電波が飛び交う戦地では、遠方に通信を送っても届かないことも珍しくありませんから」

「なるほど、ドゥルマ軍曹の意見にも一理ある。あのビュコック提督が戦にかまけて我々のことを忘れるとも思えん」

 

 戦隊チーフオペレーターのクロード・ヴィレール少佐と、戦術オペレーターのクリスティーヌ・ドゥルマ准尉が、マイクテストが途絶えた理由を推測しているのが聞こえる。

 

「第五艦隊は既に壊滅してしまったとか」

 

 オペレーターの中で最も若いナターリヤ・セーニナ軍曹の一言に、司令室の空気が一瞬固まった。

 

「何を言ってるんだ、君は!?あのビュコック提督が負けるはずがないだろう!根拠のないことを言うな!」

 

 顔色を変えたヴィレール少佐は、頭ごなしにセーニナ軍曹の発言を否定する。しかし、司令室にいる者は全員知っていた。第五艦隊が壊滅していないという根拠も無いことを。

 

「イゼルローンまでの道がすべて帝国軍に制圧された可能性だって…」

「今のところ、遭遇したのは敵軍ばかりだからな。友軍は影も形もない」

「本当に我々は生きて帰れるのか…」

 

 司令室のあちこちから不安の声があがる。マイクテストを話題に出したのは失敗だった。現在の極限状態にあっては、言葉一つが大きな不安を呼び起こす。配慮が足りなかった。そこに緊急連絡を知らせる特別な呼び出し音が鳴り響いた。

 

「第三九偵察隊より報告!三〇光分先の前方宙域で友軍と敵軍が交戦中!友軍はおよそ五〇〇〇、敵軍は一万以上!」

 

 不安に陥っていたスタッフは偵察隊の報告に声を失った。いかに練度の差があるとはいえ、倍以上の戦力を持つ相手では分が悪すぎる。

 

「うろたえるな!四〇〇〇の我が軍が救援すれば、味方は九〇〇〇!十分に対抗できる!」

 

 俺は大声でスタッフ達を叱咤した。本当に叱咤したかったのは、弱気に囚われた自分自身である。内心はどうあれ、部下の前では指揮官は前向きでなければならない。後ろ向きな指揮官は部下の戦意を萎えさせる。

 

「後方に敵部隊出現!数は三〇〇〇!巡航艦を主力とする高速部隊です!こちらに全速で接近してきます」

 

 相次ぐ凶報に血の気が引いていった。数の上では俺達がやや有利であるが、前方宙域に敵の大軍を控えている現状では、どうしても浮き足立ってしまう。しかも、敵は後方から現れた。追いかけてくる敵と戦うのは、いろいろとやりにくい。

 

「前方宙域に我が軍を追い込んで、押し潰すつもりでしょう」

「そうだな。わかっていても、俺達は前進するしか無い。友軍と合流する以外に勝機は無い」

 

 チュン大佐と目前の敵への対処を話し合っていると、サブスクリーンにクレッソン少将の顔が現れた。

 

「全艦、全速前進!前方宙域の友軍と合流し、敵軍を迎え撃つ!」

 

 クレッソン少将で無くても、同じ判断を下したに違いない。敵は出現と同時に俺達の選択肢を限定してしまった。先手を打てないのなら、戦力を集中して立ち向かうしかなかった。

 

 第二分艦隊と第三分艦隊は後方にありったけの機雷を射出して、敵の高速部隊の進路を妨害しつつ、全速で前方宙域に突入していく。

 

「なんだ、あれは!」

 

 そこには驚くべき光景が展開されていた。同盟軍は二手に分かれ、片方の部隊は縦横無尽に動き回って帝国軍の砲火をかわしつつ、突入と離脱を繰り返して効果的な打撃を加えていた。帝国軍が数の優位を生かして包み込もうとするたびに、艦列の薄い部分から砂粒のようにすり抜けていく。もう片方の部隊は巧みに位置を変えながら、集中砲火を浴びせて帝国軍を牽制し、態勢を立て直す暇を与えない。目の前の同盟軍は障害物を使わず、巧みな連携によって半数の兵力で帝国軍を圧倒していたのである。

 

「凄いな。こんな方法で大軍を足止めできるなんて、初めて知った」

 

 俺もスタッフもスクリーンの中で繰り広げられる用兵の芸術に、ひたすら感嘆を覚えていた。そんな中、参謀長のチュン大佐は一人うかない顔をしている。

 

「どうしたの、参謀長?」

「確かに素晴らしい用兵ですが、長続きはしません。牽制にあたっている部隊はともかく、敵中を動き回っている部隊は激しく消耗しているはずです」

「ああ、そうか」

 

 数の少なさは速度で補うことができるが、体力と物資は有限である。敵の二倍動けば、消耗も二倍だ。少数精鋭による機動戦は短期戦の戦術であって、長期戦では不利になる。まして、同盟軍は占領地でその両方を消耗しているのだ。チュン大佐の言う通り、そう長くは戦えない。

 

「あと一万隻、いや七〇〇〇隻の予備戦力があれば、あの用兵で目の前の帝国軍を間違いなく撃破出来ました。しかし、現状では足止めが精一杯です」

「こちらは四〇〇〇隻、しかも後ろから高速部隊が追いかけてきてる。合流しても勝ち目は薄いかな」

「普段の帝国軍であれば、あれだけ引っかき回されたらとっくに崩れているはずです。しかし、目の前の帝国軍は秩序を保っています。シファーシュタットやデュンマーで戦った敵も帝国軍とは思えないほどに高い戦意を持っていました。そして、積極的に仕掛けてきます。過去の帝国軍とは違うと考えるべきでしょう。練度が低いとはいえ、容易ならざる敵です」

「ああいう敵は何をやってくるかわからないからね。長引けば長引くほど不利だけど、短時間で打ち破るのも無理。苦しいね」

 

 苦しくても、合流して戦う以外の選択肢は俺達にはなかった。後方から迫り来る高速部隊を短期決戦で打ち破れる見通しは薄かったし、目の前で勇戦している味方を見捨てることもできない。

 

「コレット大尉、第二分艦隊司令部に通信を入れてくれ。意見具申をする」

 

 副官のコレット大尉を呼び、第二分艦隊司令部に通信を入れようとしたその瞬間、スクリーンに分艦隊参謀長ジェリコー准将の顔が映った。先に連絡を入れてくれるとはありがたい。

 

「参謀長、目の前の味方についての意見ですが…」

 

 俺が口を開きかけたにもかまわず、ジェリコー准将は早口で用件を伝えた。

 

「第九艦隊第一分艦隊から通信が入っている。分艦隊から隊までの全レベルの指揮官及び全艦の艦長に聞いてほしいとのことだ。第三六戦隊の指揮官及び艦長に通知するように」

「目の前の部隊は第九艦隊第一分艦隊なんですか?」

「そうだ」

 

 第九艦隊第一分艦隊のライオネル・モートン少将は同盟軍屈指の名将と言われている。屈指ではなくて最高だと主張する意見も多い。彼が指揮しているなら、あの戦いぶりも納得できる。しかし、なぜ総司令部から交信を禁じられている俺達になぜ堂々と通信を入れてきたのだろうか。

 

 疑問を抱えながらも、チュン大佐とコレット大尉に命じて、第三六戦隊の指揮官や艦長にジェリコー准将の指示を通知させた。

 

 数分ほどすると、スクリーンにモートン少将が現れた。角張った顔には多くのシワが刻まれ、四五歳という年齢より数年は老けて見える。鉄仮面とも言われる無愛想な表情は、噂で聞いたとおりである。左手で敬礼をしているのは、若い頃の戦傷で右手が不自由になっているためだ。

 

 兵役を満了した後に下士官に志願して職業軍人の道を歩んだ彼は、鋼鉄に例えられる不屈の戦闘精神によって異数の武勲を重ね、最高勲章の自由戦士勲章を受章すること二度、事実上の二階級昇進を果たすこと二度、受章した武功勲章は数え切れず、「同盟軍で最も多くの勲章を持つ提督」と評される。四〇代にして、士官学校卒業者でも二パーセントしか到達できない少将の階級を得た英雄の口から何が語られるのか。司令室は緊張に包まれた。

 

「第一二艦隊の皆さん。第九艦隊第一分艦隊のライオネル・モートンです。我々は第三艦隊第二分艦隊の協力を得て、第九艦隊主力を退避させるべく、当宙域において遅滞戦闘を展開しております」

 

 ビュコック中将の情報によると、第九艦隊は占領地からの撤収が他の艦隊より遅れていた。分散した状態で捕捉された可能性が高い。モートン少将は味方を逃がすために踏み留まったということになる。

 

 第三艦隊第二分艦隊が協力しているというのは意外だった。司令官のウィレム・ホーランド少将の用兵家としての力量は、モートン少将に匹敵するとされている。この二大名将が協力して戦っているなら、あの凄まじい戦いぶりも不思議ではない。占領統治に例外的な成功を収めたおかげで、ホーランド少将の部下はほとんど疲弊していなかった。他の部隊よりはるかに長く戦えるはずだ。

 

 しかし、ホーランド少将は武勲への執着が強い、スタンドプレーも多い。アンドリューとともに今回の遠征を実現させるために動いたのも、武勲欲しさゆえだった。他人のために戦うような人物とは思えなかった。ようやくめぐってきた武勲の機会に勇躍しているのか、それとも別の思惑があるのか。にわかに判断しがたい。

 

「昨日、総司令部より全軍にアムリッツァ星域への集結命令が出ました。前線から撤収してきた部隊を糾合して、勢いに乗った敵がイゼルローン回廊に雪崩れ込むのを阻止するべく、決戦を挑むとのことです」

 

 アムリッツァは前の歴史の帝国領遠征において、敗走した同盟軍が最後の決戦を挑んだ場所だった。疲れきった同盟軍は数と勢いに勝る帝国軍相手に惨敗を喫し、正規艦隊はヤン・ウェンリー中将率いる第一三艦隊を除いてことごとく壊滅した。遠征軍総司令部は今の歴史でも帝国軍と決戦して、メンツを保とういう誘惑に駆られたらしい。体中から血の気が引いて行く音が聞こえたような気がした。

 

「アムリッツアでは補給部隊が待機しています。到着すれば補給が受けられるはずです」

 

 アムリッツァ星域はこの宙域から三日ほどの距離にある。敵の追撃と物資不足に怯えつつ、一週間近くはイゼルローンを目指して航行しなければならないと見ていただけに、あと三日頑張れば補給が受けられるというのは嬉しい。早くモートン少将達と合流して、ともに目の前の敵を振り切るべく戦おうという気持ちがどんどん膨らんでいく。

 

「第三艦隊、第五艦隊、第八艦隊、第一〇艦隊、第一三艦隊の主力はいずれも健在。第九艦隊主力もじきに安全宙域に到達します」

 

 遠征に参加した八個艦隊のうち、六個艦隊の主力が健在。その知らせに俺は安堵した。司令官が死んだであろう第一二艦隊もまだ一万隻近い戦力を残している。帝国内地の近くで襲撃を受けた第七艦隊は絶望的だったが、それでも前の歴史よりずっと良い条件で占領地からの撤収を済ませることができた。

 

「皆さんの勇気ある行動のおかげで、我々は敵の反攻が始まる前に占領地から撤収することができました。我々は軍人です。感謝は言葉ではなく、行動によって示しましょう。敵の追撃は我々が命に替えても阻止します。皆さんはすぐに当宙域を離脱して、アムリッツァを目指してください」

 

 モートン少将の申し出は衝撃的だった。交信を禁止した総司令部の命令を真っ向から無視して情報を流すに留まらず、命を賭けて第一二艦隊の後退を援護しようというのだ。無愛想な顔の下に秘められた熱い心に触れて、涙が出そうになってしまう。

 

「我々は皆さんが安全宙域まで退避したタイミングを見計らって、退避するつもりです。ですから、遠慮せずに離脱してください。この私とホーランド少将が一緒にいれば、帝国軍に負けたりはしません」

 

 それは虚勢ではなく、実績に裏打ちされた静かな自信であった。長くは戦えないというチュン大佐の分析を聞いてもなお、負けないのではないかと思わせる。そんな雰囲気がモートン少将にはある。

 

「ここで死ぬつもりなど毛頭ありませんが、最後の戦場になっても構わないという気持ちはあります。統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部のエリートの出世を助けるための戦いではなく、戦友を救うための名誉ある戦いをさせていただけることを感謝いたします」

 

 信じられないことにモートン少将は笑顔を浮かべた。それはいかにもぎこちなく、無理に作ったような笑顔であった。だが、笑顔で俺達を見送ろうという気持ちはひしひしと伝わってきた。どこまでもモートン少将らしい無骨なメッセージに心を打たれた。

 

「閣下、ご指示を」

 

 俺を現実に引き戻したのは、参謀長のチュン大佐だった。いつまでも感動の余韻にひたってはいられない。指揮をとらなければ。

 

「作戦部はアムリッツァ星系までの行軍計画の策定。情報部は航路の分析。後方部は物資の残量確認及び配分計画の見直し。人事部は将兵の状態を確認し、アムリッツァ到着に向けた勤務ローテーションの指針を作成すること」

 

 参謀に指示を出した後、配下の群司令とビデオ会議を開く。部隊間の調整は文書だけでは難しい。相手の顔を見てちゃんと話す必要があるのだ。

 

 数十隻から百隻ほどの艦艇を指揮する群司令は、士官学校を卒業したものの出世コースから外れて将官になれる見込みが薄い者、兵卒や下士官から叩き上げたベテランなどに与えられることが多い非エリートポストである。そのため、第三六戦隊の群司令には、二〇代で将官になった俺に反感を抱く者が多かった。しかし、遠征中に苦楽を共にしていくうちに、だんだん気持ちが通じ合うようになっていた。

 

「第三艦隊第二分艦隊の司令部から、閣下宛に電文が入っています」

 

 その知らせを持ってきたコレット大尉の頬は緩んでいた。そういえば、第三艦隊第二分艦隊の参謀長はあの人だ。変なこと書いてるんじゃないだろうか。悪い予感がする。

 

「なんだろう。読んでみて」

「はい。『帰ったら第二分艦隊司令部食堂のヨーグルトパフェを君にあーんしてあげるって約束覚えてるよね?ちゃんと生きて帰んなさい。変なとこで死んだら怒るよ。第三艦隊第二分艦隊参謀長イレーシュ・マーリア大佐』…。以上です」

 

 軽くこめかみを押さえた。ヨーフルトパフェをおごってもらう約束が、いつの間にかあーんしてもらう約束になってしまっている。

 

 イレーシュ大佐は恩師と言っていい人だが、俺をからかうのを楽しんでいるふしがあった。それでも、俺を心配してくれているのはわかる。イレーシュ大佐から見たら、俺は危なっかしくてたまらないのだろう。七年前に知り合ってからずっと子供扱いされているが、貫禄も身長も俺よりずっと大きい彼女相手なら、素直に受け入れられる。

 

 激戦のさなかにあって、参謀長がこんな電文を送ってよこす余裕があるというのは頼もしいとも思った。第三艦隊第二分艦隊司令部の空気はかなり明るいようだ。ホーランド少将のリーダーシップ、イレーシュ大佐の司令部運営能力がうまく噛み合っているのであろう。

 

「コレット大尉、返信をお願い。『ヨーグルトパフェおごってもらうまでは絶対に死にませんよ。大佐に怒られるの怖いですから。そういえば、第二分艦隊司令部食堂はパンケーキもおいしいですよね。第一二艦隊第二分艦隊第三六戦隊司令官エリヤ・フィリップス准将』って」

 

 笑いをこらえきれなさそうな表情でコレット大尉はキーボードを打ち始めた。一年前と比べると、表情が随分豊かになった。一緒に仕事を続ければ、彼女はどんなふうに変わっていくのだろうか。

 

 チュン大佐、ベッカー中佐、レトガー中佐、ニコルスキー中佐、ニールセン少佐、メッサースミス大尉らの変化も楽しみだ。当初は確執があったものの最近は気持ちが通じるようになってきた副司令官ポターニン大佐、第一二四戦艦群司令ハーベイ大佐らとの関係はこれからもっと良い方向に進んでいくに違いない。このメンバーでもっと戦いたいという思いを新たにする。

 

「これよりアムリッツァに向かう。到着したら腹いっぱい食べられる。ゆっくり眠れる。あと三日頑張ろう」

 

 俺はマイクを手にして、第三六戦隊の将兵に呼びかけた。権力者の都合に振り回された最低の戦いの中にあって、彼らは文句も言わずに俺に付いてきてくれた。彼らに明るい未来を信じさせること。それが今の俺の果たすべき義務であった。


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