銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第九十話:一息ついてため息をつく 宇宙暦796年10月29日~30日 アムリッツァ星系 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 モートン少将とホーランド少将の援護によって逃げ延びた俺達は、数度の戦闘を経て第一二艦隊司令官代行ヤオ・フアシン少将との合流に成功。すべての分艦隊が揃った第一二艦隊はまっしぐらに一〇月二九日に同盟軍が集結しているアムリッツァ星系の外縁まで到達した。

 

 待ちに待った味方との合流である。それなのに第一二艦隊の将兵の気持ちは沈んでいた。敵地を脱出するという目標を達した瞬間、第一二艦隊司令官ボロディン中将の抗命行為に加担した自分達の立場を思い出して、不安になったのだ。一個艦隊が無断で撤退するという前例のない不祥事に軍がどのような厳しい処分を下すのか、想像もつかなかった。

 

「全員軍法会議行きかな」

「将官と大佐クラスは死刑か終身刑、士官は懲役刑、下士官兵は不名誉除隊じゃないか?」

「下士官兵だって懲役の可能性はある」

「いやいや、口封じに全員殺されるかもしれんぞ。軍法会議を開いたら記録が残るからな」

 

 そのような会話があらゆる場所でかわされているという報告を受けた。

 

「いっそ帝国軍に降伏すれば良かった。門閥貴族だってあの総司令部よりははるかに慈悲深いだろうよ」

 

 こんなことを言う者もいるそうだ。帝国の門閥貴族といえば、同盟では悪魔のような圧制者というイメージが強い。今や総司令部は悪魔より無慈悲な存在とみなされているのである。

 

「どうせ殺されるなら、いっそイゼルローン要塞まで攻め込んでやろうか。総司令部に一矢報いてやらなければ、死んでも死にきれない」

 

 この発言を報告した第一二四戦艦群司令デイビッド・ハーベイ大佐は、「小官も同感である。戦隊司令部には考慮願いたし」と殴り書きで所見を付していた。服従心、忠誠心、愛国心の項目でAランクと評価されるハーベイ大佐まで総司令部に対する反乱を口にしたことに、愕然とさせられた。

 

 三〇〇〇隻ほどの同盟軍部隊がアムリッツアに進入しようとする第一二艦隊の進路を塞ぐように展開し、「停戦せよ。しからざれば攻撃す」との信号を発してきた時、緊張は頂点に達した。

 

「俺達は敵扱いなのか」

 

 絶望で目の前が真っ暗になった。同盟軍の軍人になってから八年、士官に任官してから五年。無能ではあったが、無能なりに責任を果たそうと頑張ってきたつもりだった。ボロディン中将の抗命行為に加担したのも指揮官としての責任を果たすためだった。逮捕されるにしても、犯罪者として扱われるものと思っていた。それが明確な敵扱いという形で報われるなんて、想像もしなかった。

 

「国を捨てて三年。今度はこちらが国に捨てられる番になるとは思いませんでした。神罰が当たったんですかね」

 

 情報部長ハンス・ベッカー中佐は亡命者らしい表現でやるせない気持ちを吐き出す。

 

「司令官閣下!グリーンヒル総参謀長は小官の恩師であります!事情を話せばきっと分かってくれます!交信の許可を!」

 

 蒼白な顔で叫ぶエドモンド・メッサースミス大尉の姿にいたたまれなくなって目を逸らした。若い彼はわかっていない。軍服を着た政治家は情愛や善意では動かない。メッサースミス大尉以外の子飼いの将来にも責任を負うグリーンヒル大将を動かせるのは、政治的な利害だけだ。親しみやすい好人物でも、軍服を着た政治家である以上はそうでなければならないのだ。

 

 司令室の中は失望と怒りと恐怖に満たされた。他の部署が同じような状況に陥っていることは確認するまでもない。前向きな気持ちを失った第三六戦隊の将兵を励ますことなど、もはや不可能だった。

 

 耐え切れなくなった俺が第二分艦隊司令部に対応を問い合わせると、参謀長ジェリコー准将の顔がスクリーンに映った。

 

「参謀長!我々は一体どうすれば良いのでしょうか!?ご指示をお願いします!」

 

 早口で指示を乞う。冷静に振る舞う余裕は、今の俺には残されていない。

 

「お願いです!ご指示を!」

 

 すがるように訴える俺をジェリコー准将は憂鬱そうに見詰める。戦隊司令官でありながら取り乱している俺が言えた義理ではなかったが、もう少し明るい顔をしてほしい。不安になってしまう。

 

「現在、シャルマ少将が第一二艦隊司令官代理として総司令部との交渉にあたっている」

 

 ジェリコー准将はようやく重い口を開いた。交渉が行われていることに安堵するとともに疑問を感じた。

 

「我が艦隊の司令官代行はヤオ少将のはずです。それなのに、なぜシャルマ少将が代理を名乗っておられるのでしょうか?」

「ボロディン中将とヤオ少将が命令を拒否した後、シャルマ少将は総司令部によって司令官代理に指名された。それは貴官も覚えているはずだ」

「覚えています」

 

 司令官ボロディン中将が指揮権を剥奪された直後に、総司令部から指揮権継承を命じられた副司令官ヤオ少将は拒否の返答を送った。すると、最先任の少将であるシャルマ少将が司令官代理に指名され、ボロディン中将とヤオ少将を逮捕されるように命じられた。だが、シャルマ少将はその命令を無視して、ボロディン中将とヤオ少将に従った。

 

「シャルマ少将は命令を無視したが、返答しなかっただけで明確に拒絶の意志を示したわけではない。そこで『通信封鎖のために返答が遅れたが、第一二艦隊は総司令部によって司令官代理に任命された自分が掌握している。だから、反乱部隊ではない』と主張しているのだ」

 

 無視した命令を引っ張りだした上に、ぬけぬけと責任を総司令部に押し付けて、第一二艦隊の行動の合法性を強弁する。通るかどうかはともかく、海千山千の老提督らしいしたたかさであった。

 

 七時間後、第一二艦隊と総司令部の間に合意が成立した。総司令部はシャルマ少将に与えた第一二艦隊の指揮権が効力を持っていること、一〇月一七日以降の第一二艦隊はシャルマ少将の指揮下で正当な軍事行動を行ったことを認める。第一二艦隊は逮捕命令が出ているヤオ少将を遠征軍憲兵隊に出頭させる。ヤオ少将の身柄を差し出したものの、総司令部はほぼ第一二艦隊の要求を呑んだ。

 

「窮地に追い込まれていたのは、我々だけじゃなかったということだ。総司令部も落とし所を探っていたらしい」

 

 俺に交渉結果を伝えたジェリコー准将は、拍子抜けするほどにあっけない決着の背景をそう説明した。軍規違反者が多い部隊の指揮官は、管理能力を疑われる。艦隊ぐるみの抗命ともなれば、総司令部も計り知れないほど大きな政治的打撃を受けるのは間違いない。だから、「総司令部の指示に基づいた正当な行動である」というシャルマ少将の強引な主張に飛びついたのだろう。

 

「こういう時は総参謀長ほど頼りになる人はいない」

 

 総参謀長グリーンヒル大将が総司令部側の交渉窓口になったことも事態の解決に大きく寄与した。同盟軍で最も顔が広い人物と言われるグリーンヒル大将の交友関係は、第一二艦隊の上層部にも広がっていた。同じシトレ派の仲間でもある。ロボス元帥の側近が出てきたら、第一二艦隊上層部もヤオ少将の出頭は呑めなかったはずだ。しかし、顔なじみのグリーンヒル大将であれば、も悪いようにはしないだろうという信頼感がある。顔を立てようという気にもなる。こうして話し合いはスムーズに進んだ。シャルマ少将の老獪さとグリーンヒル大将の顔の広さが俺達を救った。

 

 第一二艦隊は司令部直轄部隊に先導されてアムリッツァ星系に入り、第五惑星に築かれた臨時兵站基地で補給を受けた。食料、水、衣類、燃料、弾薬などが艦に運び込まれ、代わりに負傷者が運びだされた。艦はドッグに入って整備を受けた。将兵は基地に入ることを許されずに、艦内に留められたが、食事と休養は望むだけ与えられた。

 

 俺はこれまでの空腹に復讐するかのように貪り食った。フライドチキン八ピース、パスタ三皿、ピラフ二皿、スープ六皿、一ポンドステーキ二枚、サラダ三皿、ピーチパイ四切れ、チョコケーキ三切れ、アイスクリーム五皿が俺の腹に収まった。一緒に食事をした参謀達は俺の半分も食べていない。軍人は体が資本だというのに、そんなに少食で体がもつのか心配になる。

 

 食後は司令官居室に戻って服を脱ぎ、浴室に入った。レバーをひねると、シャワーから温かいお湯が勢い良く吹き出す。飲み水にすら不自由していた艦内では、シャワーに使える水など無かった。シュテンダールを出発してから一〇日ぶりに浴びたシャワーは、垢とともに疲れを洗い流しててくれた。

 

 満腹になり、シャワーを浴びてからすることといえば一つしか無い。俺はベッドに直行した。汗と脂にまみれて黄ばんだシーツは、洗いたての真っ白なシーツに取り替えられていた。期待に心を弾ませながらベッドに潜り込む。柔らかいシーツが素肌に触れて心地良い。ふと、ダーシャの肌がどうしようもなく懐かしくなり、すぐに深い眠りに落ちていった。

 

 目を覚ましたら、二〇時間も経っていた。我ながら良く眠ったものだと感心させられる。敵襲を意識しない睡眠は俺の心身をリフレッシュさせてくれた。シャワーを浴びて、顔を洗い、真新しい下着とジャージを着て司令官居室を出ると、艦内の空気が昨日までと全く違うように感じられる。将兵も俺と同様に満腹するまで食事を摂り、シャワーを浴びて体の汚れを落とし、ベッドで睡眠を貪った。彼らの心身に吹き込まれた活力が艦内の空気を明るくしているのだ。

 

 第一二艦隊の将兵は総司令部の統制下に入ることを認められたものの、艦から降りることも他艦隊の友人知人と交信することも禁じられている。シュテンダールから便乗していた地上部隊、支援部隊、民主化支援機構、民間企業の人員も同じ扱いを受けた。指揮権を剥奪されたボロディン中将に従った俺達に対するわだかまりがまだ残っているのだろう。そういうわけで第三六戦隊旗艦アシャンティに乗っている者も全員艦内で自由時間を過ごしている。

 

 艦内での自由時間の過ごし方は人それぞれであるが、地上と違ってできることは限られる。個人の趣味に没頭している者を除けば、大きく分けると四通りになる。

 

 一番目はトレーニング室で汗を流す者。いざ戦闘が始まれば不眠不休で戦わなければならない軍人にとって、体力はきわめて重要な資本である。そのため、どんな小型艦にも必ずトレーニング室が設けられていた。第三六戦隊司令部では、人事部長ニコルスキー中佐、副官コレット大尉などがトレーニング組であった。

 

 二番目は自室で勉強に没頭する者。ダゴン会戦以前の同盟軍人は任官後も各種学校や軍大学で勉強して専門知識を習得した。下士官養成機関となっている専科学校も本来は任官後の軍人が勉強する学校だった。しかし、戦時体制の現在では士官や下士官を前線から引き離して勉強させる余裕もなく、専門知識は業務経験を積みながら各自で習得することになっている。自習は軍人の義務であり、部下の学習意欲を喚起するのは上官の義務であった。第三六戦隊司令部では、作戦部長代理ニールセン少佐、作戦参謀メッサースミス大尉などが自習組である。

 

 三番目は携帯端末を使ってネット閲覧やゲームに熱中する者。端末ほど暇潰しツールとして有効なものは無い。同盟軍では酒や博打より、端末で遊んでいる方がマシであると考えられており、すべての軍人に携帯端末が貸与される。軍が指定した有害サイトの閲覧、ネットバンキングや課金サイトの利用、公用端末との情報共有はできない仕様になっているが、普通に使う分には支障ない。第三六戦隊司令部では、情報部長ベッカー中佐、後方部長レトガー中佐、人事参謀カプラン大尉などが端末組であった。

 

 四番目は読書にふける者。これは言うまでもないだろう。書籍は西暦が始まる以前から、暇人の友であった。過度の性的・暴力的表現、過度の反憲章的思想賛美などを理由に発行禁止処分が下された書籍以外は、反体制的な内容であっても艦内への持ち込みが許されている。第三六戦隊司令部では、参謀長チュン大佐が読書組であった。

 

 俺は基本的には自習組だが、トレーニングも欠かさない。中尉だった頃に空挺隊員と同等の体力検定一級を取得したが、大尉に昇進してからは忙しくなって二級に落ちた。俺ぐらい昇進が早いと、専門知識を修得するだけでもかなりの時間を割かれてしまう。それでもなんとか二級を死守したくて、何とかトレーニングの時間を作るようにしていた。

 

 久々に筋トレとランニングで汗を流した後、休憩席でコレット大尉がニコルスキー中佐に腹筋を割る方法を聞いているのを横目にプロテインを飲む。参謀でありながら、スポーツ選手のような肉体を持つニコルスキー中佐にアドバイスを受けるのは正しい。だが、妹のアルマみたいにくっきり六つに分かれているのも女性としてはどうかと思う。劇的に痩せてトレーニングが楽しくなったのはわかるが、ほどほどにして欲しい。

 

 トレーニング室に付属しているシャワーを浴びた俺は、ニコルスキー中佐とコレット大尉を誘って士官食堂で食事をとった。トレーニングの後にしっかり食べなければ、筋肉は育たないのである。それに体を動かした後の食事はとびきりうまい。主食のオムライスと主菜のハーブチキンをそれぞれ四回おかわり。副菜はいつものように全部二回おかわり。デザートも全種類平らげた。例によってニコルスキー中佐とコレット大尉は俺の半分も食べていない。二人とも俺よりずっと背が高いのに食が細い。一両日中に決戦が控えているのだから、もっと食べて体力をつけて欲しいと思う。

 

 居室に戻って端末を開くと、安否確認に対する総司令部からの返答メールが来ていた。他艦隊との交信は禁じられていたが、総参謀長グリーンヒル大将の計らいで友人知人の安否確認に限っては、総司令部との交信を許可されていたのだ。

 

 第九艦隊に同行していたアルマ、第一〇艦隊に所属していたダーシャは無事だった。撤収に失敗した第七艦隊に所属していたジェリコ・ブレツェリ大佐は死んだとばかり思っていたが、帝国軍の包囲を突破して生還した。第二輸送業務集団司令官スコット准将は帝国軍の急襲を逃れた後、アムリッツァまで退避して無事であった。前の歴史で戦死したミドルスクール時代の友達ハシェク曹長も生還した。その他の知り合いもほとんど生還している。

 

 しかし、全員が生還したわけではなかった。駆逐艦アイリスⅦの補給長を務めていた頃の部下だったシャハルハニ曹長、第一一艦隊で後方参謀をしていた頃の上司だった第七四戦隊司令官シン准将、臨時保安参謀長として俺やコレット大尉とともにエルファシル解放運動のテロ部隊を迎撃した第八〇四歩兵旅団長イェレン大佐らは死亡が確認された。これから始まる戦いで何人が新たにこのリストに加わるのかを考えると、憂鬱になってしまう。

 

 努力の楽しさを教えてくれた第三艦隊第二分艦隊のイレーシュ大佐、ダーシャの長兄にあたるマテイ・ブレツェリ軍曹らが行方不明というのもショックだった。第三艦隊第二分艦隊とともに俺達を逃してくれた第九艦隊第一分艦隊のモートン少将は、二日前の「これよりアムリッツァに向かう」という通信を最後に消息を絶った。「まだ死亡は確定していない。戻ってくるのが少し遅れているだけだ」と必死で自分を励ました。

 

 

 

 同盟軍が決戦の準備を進めているアムリッツァ星系は、イゼルローン回廊の帝国側出口近くに位置する。小惑星帯、ブラックホール、重力異常帯も無く、極めて奥行きの広い星系だった。七つの惑星はいずれも人間が居住できる環境にはなかったが、第一惑星と第六惑星を除けば自然環境と地盤が安定していたため、イゼルローン方面航路の中継基地が設けられていた。遠征軍の兵站実務を担う中央支援集団はこれらの惑星に、巨大な臨時兵站基地を築いた。

 

 当たり前のことではあるが、軍隊が展開するにはそれなりの面積が必要になる。数百人の地上部隊が整列するだけで、学校の校庭を埋め尽くす。一個艦隊が一箇所に集結すれば、全長数百メートルの軍艦が一万隻以上も展開できる面積が必要になる。戦闘を行うなら、数倍の面積を必要とする。宇宙空間は広大だが、地形や環境の問題で通行困難な空間もまた多い。まして、数個艦隊が展開して、戦闘を繰り広げられるような奥行きのある宙域は稀と言っていい。

 

 また、これも当たり前だが、補給線が繋がっていない場所に軍隊は展開できない。宇宙空間の戦いにおいては、兵站基地が築かれた惑星や衛星を結ぶ形で補給線が形成される。内地からやってくる輸送部隊は兵站基地に物資を搬入する。兵站基地に集積された物資は、基地に所属する輸送部隊によって、より前線に近い基地に送り届けられる。最前線の兵站基地は直接前線部隊に物資を供給する。一万隻以上の艦艇と百数十万人の人員を擁する艦隊がいくつも展開するには、大規模な前線兵站基地を構築できるような惑星や衛星の存在は不可欠である。

 

 有人星系であれば、有人惑星に兵站基地を構築すればいい。現地のインフラや労働力を活用できるし、生産力が高い惑星であれば現地で物資を購入してそのまま基地に集積することも可能になる。しかし、無人星系はそうもいかない。人が住めない環境だけあって、惑星や衛星の大半は宇宙船の発着ができないような自然環境、基地を構築できないような地形を有している。大規模な兵站基地を構築できる条件を備えた惑星や衛星は、無人星系では少数派に属する。二年前にヴァンフリート四=二基地で激戦が展開されたのも、そのような背景あってのことだった。

 

 同盟と帝国はダゴン会戦からの一五六年間で三三二回も帝国軍と戦ったが、そのうち双方が二万隻以上動員した会戦は一一五回。二回以上会戦の舞台となった星系は二三。三回以上はイゼルローン要塞のあるアルテナ星系を除けば、ティアマト星系、タンムーズ星系、コーラル星系のみ。大艦隊同士の会戦が可能となる条件を備えた無人星系は稀なのだ。

 

 艦隊決戦を求める帝国領遠征軍総司令部がアムリッツァを戦場に選んだのは、正しい選択であったといえよう。これほど大艦隊が展開するのにふさわしい星系は滅多にない。間違っているのは決戦を求める動機である。

 

 遠征軍は当初の二.五倍に及ぶ予算を浪費した挙句、すべての占領地を放棄し、帝国軍の反攻で艦隊戦力の四分の一に及ぶ損害を出した。このまま本国に引き上げれば、総司令官ラザール・ロボス元帥ら遠征軍総司令部首脳は軍法会議に告発されて敗戦責任を問われる。遠征を推進した最高評議会、連立与党、民主化支援機構も遠征反対派から徹底的な追及を受けるのは間違いない。失脚の瀬戸際に立たされた彼らは、勝利をアピールするに十分な戦果を欲していた。

 

 前の歴史でもロボス元帥はアムリッツァで決戦を挑み、前線から逃れてきた正規艦隊五万隻とイゼルローンから援軍に派遣された一万隻のうち四万隻を失う惨敗を喫した。アムリッツァとラザール・ロボスの名前が並ぶと、不吉な予感に囚われてしまう。

 

 好材料を探すとすれば、前の歴史よりずっと多くの戦力がアムリッツァに集まったことぐらいだった。

 

 スムーズに撤収を済ませた第三艦隊、第五艦隊、第八艦隊は二割、撤収がやや遅れた第九艦隊は三割の損害を出した。ヤン中将率いる第一三艦隊は一割という驚異的に低い損害に収まった。もちろん司令官も健在である。前の歴史でアムリッツァに到着する前に主力を失った第三艦隊と第九艦隊が健在なのは大きい。

 

 第一二艦隊は最も早くて撤収した艦隊であるにもかかわらず、味方の支援がほとんど得られなかったことがたたって、四割近い戦力と司令官ボロディン中将を失った。第一〇艦隊は途中までほとんど損害を受けなかったが、占領地に取り残された民間人を救出しようとした本隊が帝国軍に捕捉されて壊滅し、司令官ウランフ中将と戦力の三割を失った。前の歴史で身を挺して味方を逃がした両艦隊の司令官は、今の歴史でも味方を救うために死んだ。生き残った戦力が多いのが不幸中の幸いといえよう。

 

 暴動によって逃げ遅れた第七艦隊は戦力の六割を喪失し、司令官のホーウッド中将は消息を絶った。四割が生き残ったという結果は前の歴史と比べるとずっと良いが、それでも戦力の過半数と司令官を失って、著しく弱体化した事実には変わりがない。

 

 一〇万六〇〇〇隻を数えた八個正規艦隊のうち、アムリッツァに集結したのは約七万六〇〇〇隻。撤退戦で三割近い戦力が失われたことになる。半数が失われた前の歴史と比べるとかなりマシな結果に思えるが、歴史的敗北と言われるアスターテで失われた二万隻よりずっと多い。現役軍人の俺としては、気が遠くなるような大損害であった。

 

 イゼルローン要塞にこもっていたロボス元帥が一万八〇〇〇隻の司令部直轄部隊を率いてアムリッツァに現れたことで、一〇万隻と推定される帝国軍との戦力差はほぼ互角となった。後方占領地の航路警備部隊を引き揚げた際に二〇〇〇隻ほどが前線に踏み留まって失われたことを差し引いても、十分に強大な予備戦力が前線に現れた意義は極めて大きい。占領地の味方を見捨ててまで温存した直轄部隊がここに来て大きな意味を持った。

 

 同盟軍は補給と強力な援軍を得た。しかも、総司令官のロボス元帥が自ら出馬している。ここ二年は精彩を欠いていたが、ロボス元帥は一流の実績を持った用兵家だった。ドーリア会戦とタンムーズ会戦の大勝は、一五〇年に及ぶ対帝国戦争の歴史でも記念すべき勝利に数えられる。常識的に考えれば、士気は嫌が応にも高まるであろう。しかし、そうはならなかった。

 

 第一二艦隊の将兵は白けきっていた。他の艦隊については交信が許されていないが、明白なサボタージュと言われても否定できないぐらい動きが悪い。動きが良いのは司令部直轄部隊ぐらいだった。政治的な理由で前線部隊を窮地に追い込み、命からがら戻ってきたところで意義の薄い決戦に駆り立てようとするロボス元帥は、すっかり信望を失ってしまっている。

 

『統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部のエリートの出世を助けるための戦いではなく、戦友を救うための名誉ある戦いをさせていただけることを感謝いたします』

 

 モートン少将が別れ際に語ったその言葉が、ロボス元帥と総司令部参謀に対する前線部隊の心情を象徴しているように思えた。

 

「あれは赤色巨星と言うんですよ。残りの寿命が少ない恒星は大きく膨らんで赤く光るようになるんです」

 

 情報部長のハンス・ベッカー中佐は、第三六戦隊旗艦アシャンティの司令室のスクリーンに映る恒星アムリッツァを指差した。赤黒い光は見ているだけで気が滅入る。

 

「年老いて醜く膨れ上がってどす黒い光を放つ星。嫌な星でしょう?誰かさんみたいで」

 

 誰を揶揄しているかは言うまでもない。遠征軍総司令官ロボス元帥は肥満体で知られる。五年前に会った時は大人物らしい恰幅の良さに見えたものだが、酷い目にあった今では老醜に見える。同じ人物でもその時どきの感情によって印象が全く変わってしまうのだから、我ながら勝手なものだと思う。

 

「そうかな」

 

 曖昧に笑ってごまかす。ロボス元帥と総司令部に言いたいことはいろいろある。小心者の俺でも、ベッカー中佐の皮肉に消極的な同意ぐらいは示したい気分だった。しかし、司令室の隅で耳をすませている統括参謀アナスタシヤ・カウナ大佐の目が怖い。統括参謀は総司令部から派遣された憲兵小隊とともに司令室に常駐して、俺の行動を常時監視している。

 

 総司令部は第一二艦隊司令官代理シャルマ少将と配下の分艦隊、戦隊の司令部に「司令部機能を強化すると同時に、総司令部との意思疎通を円滑にする」との名目で統括参謀の肩書を持った監視役を派遣した。総司令部は統括参謀の地位を参謀長と同格と定め、参謀会議のみならず部隊長会議にも出席する資格、必要に応じて司令官の指揮権を代行しうる資格を与えた。統括参謀が引き連れている憲兵に命令を下せば、いつでも司令官を拘束して指揮権を奪取できるということだ。

 

 カウナ大佐は二年前のヴァンフリート四=二基地で中央支援集団の参謀を務めていた。あの基地で憲兵を使って中央支援集団の将官を監視していた俺が、中央支援集団の元参謀に同じことをされるとは、運命の皮肉としか言いようがない。

 

 総司令部が第一二艦隊の行動を制限するために用意した鎖は統括参謀だけではなかった。総司令部直轄戦力のうち五〇〇〇隻を預かる第一独立機動集団司令官イヴァン・ブラツキー少将が、臨時に第一二艦隊の上位指揮権を与えられることとなった。ブラツキー少将はロボス元帥が若手のホープとされた頃からの部下で、戦隊や分艦隊の司令官としてロボス艦隊の一翼を担った。用兵家としては凡庸であったが、重厚で粘り強い戦いをする。武勲赫々たる歴戦の提督であっても、ロボス元帥の腹心というだけでどうしようもなく不安になってしまう。

 

 補給を受けて一息ついたのも束の間だった。疲労と物資不足に苦しめられた撤退行が終わったと思ったら、今度は総司令部の監視に苦しめられている。俺達はどうなってしまうんだろうか。戦いの行く末以前に、自分の行く末が不安で不安でたまらなかった。


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