銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第九十一話:老巨星、未だ輝きを失わず 宇宙暦796年11月1日 アムリッツァ星系第七惑星周辺宙域 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥率いる帝国軍がアムリッツァ星域に進入を開始したのは、一一月一日七時〇〇分のことだった。第三六戦隊旗艦アシャンティ司令室のメインスクリーンに映る無数の光点を見るだけで圧迫感を感じる。

 

「アムリッツァ星系外縁に敵が出現!およそ一〇万!」

 

 オペレーターの声はいつもより冷静さを欠いていた。両軍合わせて艦艇約二〇万隻、将兵約二五〇〇万が一つの星系に展開する。同盟と帝国の一五〇年に及ぶ戦いの歴史、いや人類の歴史においても最大級の会戦。その始まりを冷静に告げられる者などいるはずもない。

 

「敵中央部隊は第七惑星、左翼部隊は第五惑星、右翼部隊は第四惑星に向けて進軍中です!」

 

 一〇万隻もの大艦隊を展開するには、兵站基地を築ける惑星を確保しなければならない。帝国軍が拠点になりうるアムリッツァ星系の諸惑星の中で外周に位置する第四惑星、第五惑星、第七惑星の確保を最初の目標にすることは、火を見るよりも明らかであった。

 

 同盟軍は第七惑星を中央、第四惑星を左翼、第五惑星を右翼として防衛ラインを敷いて、帝国軍の来襲を待ち受ける。

 

 左翼部隊は第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将率いる一万三〇〇隻と第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー中将率いる一万一六〇〇隻。指揮官のビュコック中将と副指揮官のヤン中将には、敵の攻撃を防ぎつつタイミングを見て敵右翼に圧力を加えることが期待される。

 

 右翼部隊は第三艦隊司令官シャルル・ルフェーブル中将率いる一万一一〇〇隻と第一〇艦隊司令官代理カテリーナ・ピアッジ少将率いる九六〇〇隻。指揮官のルフェーブル中将と副指揮官のピアッジ少将は左翼部隊と同様にタイミングを見て攻勢に出る役割を担う。

 

 中央部隊は第九艦隊司令官アル・サレム中将率いる九七〇〇隻、第一二艦隊司令官代理アイーシャー・シャルマ少将率いる八六〇〇隻、第一独立機動集団司令官イヴァン・ブラツキー少将率いる五三〇〇隻。両翼と比べると兵力は多いものの質は劣る。指揮官のアル・サレム中将と副指揮官のブラツキー少将は当面の間戦線維持に専念する。

 

 後方には総司令官ロボス元帥自ら率いる直轄部隊一万隻、第八艦隊司令官サミュエル・アップルトン中将率いる一万四〇〇隻、第四独立機動集団司令官ポルフィリオ・ルイス少将率いる八七〇〇隻が控えている。正規艦隊でも一二を争う精鋭と名高い第八艦隊を率いるアップルトン中将、第七艦隊の残存戦力を指揮下に加えたルイス少将は、劣勢に陥った味方の救援、あるいは敵の側面や背後を突く決戦部隊となる。場合によっては、ロボス元帥も同様の役割を果たすことだろう。

 

 両翼に精鋭を配置して両翼突破を志向しつつも予備戦力を多めに取ることで、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変な対処が可能となる。敵が手薄であれば対応する部隊を増強して突破を図り、敵の攻勢が激しければ味方の弱い部分を増強して食い止める。機動的な用兵を得意とするロボス元帥らしい布陣といえよう。

 

 メインスクリーンは第七惑星の周辺宙域に対艦ミサイルを乱射しながら凄まじい勢いで突進してくる二万隻ほどの帝国軍部隊を映し出していた。最前衛に配置された第一二艦隊は、真っ先にあの敵と衝突する。後ろに控えているのは上級指揮権を持つロボス元帥の腹心ブラツキー少将の部隊。後退は許されない。受け止めるか、打ち砕かれる以外の選択肢は、俺達には与えられていない。恐怖が心の中に広がっていく。

 

 気を紛らわそうと、指揮卓に置かれたマフィンの箱に手を伸ばした。中には何も入っていない。三時間前には九個入っていたのに、いつの間にか全部食べてしまったようだ。何かを口に入れなければ、心が落ち着かない。救いを求めるように周囲を見回す。

 

「サンドイッチはいかがですか?ツナサンドですよ」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐はいつもと同じのんびりした口調でポケットから潰れたツナサンドを取り出した。ひったくるように受け取ると、そのまま口に詰め込む。マヨネーズでびしょびしょだけどおいしい。

 

「ありがとう、参謀長」

 

 笑顔で礼を言う。腹が満たされると、心にも余裕が出てくるのだ。

 

「敵との距離、九〇光秒!」

 

 オペレーターの言葉に気持ちを引き締める。長距離ビーム砲の射程は約二〇光秒。対艦ミサイルの射程はその数倍。敵との衝突は目前に迫っている。

 

「一時方向から、敵ミサイル数万が接近!」

 

 その報告と同時に味方の駆逐艦は一斉に迎撃ミサイルを発射する。敵のミサイルの大半は破壊されたが、撃ち漏らした少数が味方の艦列に到達した。避けきれずに爆散する味方艦を見て、少し心が痛む。

 

 参謀だった頃は味方艦がどうなろうと気にならなかった。観客のような気分で戦いを眺めていた。駆逐隊司令だった頃は目の前の戦いに精一杯で気にする余裕がなかった。戦隊司令官という立場は、俺の意識を確実に変えている。

 

「間もなく敵が射程距離に入ります!」

 

 司令室の中の全員の視線が俺に向く。ごくりと唾を飲み、ゆっくりと手を上げる。ついにゲベル・バルカルや撤退戦とは全然違う正面からの戦いが始まる。初めての会戦だ。

 

「撃て!」

 

 俺が手を振り下ろすと同時に、第三六戦隊は一斉に砲撃を開始した。数千本の光線が迫り来る敵に向かって襲いかかる。敵の側からも返礼のように数千本の光線が飛んでくる。敵味方の火力がぶつかり合う中、敵の戦艦部隊が駆逐艦部隊を従えて突入してきた。

 

「随分強引だな。いきなり打撃部隊を突入させてくるとは」

 

 人事部長ニコルスキー中佐が呟く。戦闘開始からしばらくは距離をとって火力戦を行い、相手の艦列に隙が生じてから打撃部隊を突入させるのが艦隊戦のセオリーだ。戦闘開始と同時に突っ込んでくるなんて、無茶苦茶としか言いようがない。

 

「参謀長は敵の意図をどう見る?」

「練度は低く戦意は高い。ならば勢いで圧倒しようというのは正しい選択です」

「練度が低い部隊って、接近戦では不利なんじゃないの?」

「大抵の場合、練度と戦意は比例します。接近戦に持ち込まれると、戦意の低い部隊はあっさりと崩れてしまいます。しかし、目の前の敵は戦意旺盛。真っ直ぐ突入するだけなら、練度が低くても問題ありません」

「なるほど」

 

 同盟軍の戦意はおしなべて低い。総司令部の保身のために命を賭けて戦う気にはなれないからだ。命の危険を感じてなお踏み留まる理由を同盟軍の将兵は持っていない。接近戦に持ち込まれたら、先に崩れるのは間違いなくこちらだ。ラインハルトは同盟軍と帝国軍のそれぞれの長短を弁えて作戦を練っている。ビラ作戦と言い、追撃の仕掛け方と言い、本当に嫌らしい戦い方をする。もちろん、これは褒め言葉だ。

 

「艦単位の砲撃精度、回避能力、ダメージコントロールなどは、同盟軍がはるかに優っている。接近戦でも崩れない自信があるなら、距離を詰めてこちらの優位を封じようというのは理に適ってるね。撤退戦の時から感じていたけど、敵は同盟軍を良く研究してる。前に戦った帝国軍はこんな戦い方をしなかった。ひたすら自分の長所を活かそうとするだけだった」

「ローエングラム元帥は奇襲戦術の天才と言われていますが、本領は正攻法にあるのかもしれません。情報を集め、研究を重ね、自分を過信せずに手持ちの戦力で勝てる方法を考える。実に手堅く、実に泥臭い戦いをする。厄介な相手です」

 

 努力と研究を怠らないラインハルトに比べ、味方の総司令部のなんとだらしないことか。前線部隊が疲弊しきっている現実に目を背けて占領地確保にこだわり、ボロディン中将の抗命行為でようやく占領地を放棄。戦意が著しく低下している現実に目を背けて決戦を強行。政治的な利害を意識しすぎて、自軍のことすら見失ってしまった。戦いに臨む姿勢からして、敵に負けている。

 

 敵と自軍を比べれば比べるほど、ため息をつきたくなる。敵の戦意が高いのは、総司令官のラインハルトを信頼できるからだ。俺達は総司令部を信頼できない。第一二艦隊は露骨な弾除け扱いを受け、司令官は統括参謀と憲兵隊によって監視されている。味方に対してそんな真似をする総司令部を信じて戦えるはずがない。

 

 総司令部への失望を脳内で再確認した時、指揮卓の隣のデスクにいる統括参謀アナスタシヤ・カウナ大佐が俺を見ているのに気づいた。不満が表情に出ていたのだろうか。慌ててメインスクリーンに視線を戻す。

 

 前面の敵は戦艦を主力とする対艦火力重視の編成をしている。距離を詰めての押し合いになると、平均的な編成の第三六戦隊では分が悪い。押し寄せてくる火力の奔流に流されて爆散していく第三六戦隊の艦を見ると、どうにかできないものかと思う。

 

「対応策はある?」

「単純な押し合いになると、こちらにはどうしようもありません。敵の攻勢を凌いで、状況の変化を待つしかないですね」

「そうだね。参謀長の言う通りだ」

 

 今の局面は艦を直接動かす艦長、複数の艦を束ねる群司令や隊司令の次元で推移している。俺にできることは戦いの流れを見極めることだけだ。敵の体力が尽きて乱れが見えたら、反攻の目も出てくる。敵の体力より先に味方の気力が尽きるかもしれない。その場合は後退戦闘に転じることになる。流れが変わる時に俺の出番が来る。

 

 提督になって初めて知ったことだが、戦場での提督の最大の仕事は待つことだ。部下が上げてくる報告を聞き、めまぐるしく移り変わる状況を正しく把握する。そして、大きく変化する時を待つ。あるいは変化させるための手を打った後に、経過をじっくり観察しながら結果を待つ。変化が起きた瞬間に動き出して、状況が落ち着くまで逐一指示を飛ばす。待っている間の提督は、中級指揮官や参謀に仕事を任せきりで何もしていないように見える。しかし、それは流れが変わった瞬間にすぐ動けるように待機しているのだ。

 

 今の俺は配下の下級指揮官に実戦指揮を委ねて、流れが変わるのを待ち続けている。動かずに待つのは、本当に神経が擦り切れる。怠け者でないと提督に向いていないなどと言う人がいるが、それは大きな間違いだ。戦場にあっては二四時間休むことなく神経を使い、オフィスにあっては書類や会議に追われ続ける。提督ほど怠け者に向かない仕事はない。

 

 ほんの少しでもこちらに乱れが生じたら、敵はそこから一気に突破してくる。味方は押し流されて敗北してしまう。そう思わせるものが目の前の敵にはある。

 

「敵も人間だ。いずれ疲れる。こんな無茶な突撃は続かない。ここを凌げば勝機が見えてくる。もうひと踏ん張りだ」

 

 マイクを握って味方を督励しつつ、自分の中の弱気を振り払う。敵と直接接している将兵は、俺よりずっと大きなプレッシャーを受けているはずだ。俺が弱気になれば、たちまち将兵は押し潰されてしまう。司令官は常に前向きでなければならない。

 

 放送を終えた俺は副官のコレット大尉を呼んで、他方面の戦闘のデータを集めさせた。そして、指揮卓の端末を操作して戦術スクリーンを開く。全体の流れを把握できれば、目の前の流れもより読みやすくなる。また、自分が置かれた状況を全体的な視点から正しく把握すれば、気分も落ち着く。

 

 第二分艦隊は第三六戦隊以外に二つの戦隊を有しているが、いずれも目の前の敵に対する対処で手一杯のようだ。撤退戦の時は先手を打って次々と敵を突破していった司令官クレッソン少将だったが、主導権を握れない戦闘に苦慮しているように見える。

 

 第一二艦隊は最前列で敵の突撃を受け止めているため、少なからぬ損害を出していた。それに引き換え、ブラツキー少将が率いる第一独立機動集団は、対艦ミサイルや長距離砲での援護射撃に徹していて、ほとんど損害を出していない。中央部隊の指揮官であるアル・サレム中将の第九艦隊が艦載機部隊を繰り出して激しい接近戦を展開しているだけに、第一二艦隊を弾除けにして戦力を温存しようとするブラツキー少将とその背後にいる総司令部の露骨なやり口が一層際立つ。

 

 メインスクリーンを同盟軍左翼部隊と帝国軍右翼部隊が交戦中の第四惑星周辺宙域に切り替える。第五艦隊と第一三艦隊は連携して敵の一部を誘っては集中砲火を加えて叩き、後続が援護にやって来たら退き、別の敵の突出を誘っては叩き、巧みに敵の勢いを削いでいた。前の歴史で同盟末期の二大名将と言われた若き天才ヤン・ウェンリーと老いた巧者アレクサンドル・ビュコックに率いられた左翼部隊は、帝国軍の猛進をものともしない。

 

「砲術科出身のビュコック提督らしい戦い方ですね。実に良く敵艦を捉えています。第一三艦隊も編成から日が浅いとは思えないほど、良く命中させています」

 

 作戦部長代理のクリス・ニールセン少佐は、第五艦隊と第一三艦隊の巧みな集中砲火に関心しているようだ。

 

「第一三艦隊副参謀長のパトリチェフ准将は砲術のプロだよ。巡航艦と戦艦の砲術長を経験してる。パトリチェフ准将が第一三艦隊の砲術指導にあたってるんじゃないかな」

「そうでしたか」

 

 ニールセン少佐は俺の説明に納得したようだ。エル・ファシル警備艦隊でパトリチェフ准将と一緒に仕事した時に、経歴を聞いておいて良かった。

 

 第五艦隊と第十三艦隊の巧妙な連携で出血を強いられているにも関わらず、帝国軍右翼部隊の前進速度は衰えていない。この異常な戦意は一体なんなんだろうか。不利のはずなのに、まるで勝者のように見える。実際に戦ってるヤン中将やビュコック中将は、相当なプレッシャーを感じているのではないか。俺なら恐れをなして逃げ出してしまっているかもしれない。

 

 気味が悪くなって、同盟軍右翼部隊と帝国軍左翼部隊が戦っている第五惑星周辺宙域にメインスクリーンを切り替えた。第三艦隊と第一〇艦隊は重厚な半月陣を敷いて分厚い中央で敵の突撃を受け止めつつ、左右両翼から打撃を加えて勢いを殺している。堅実にして隙がなく、理にかなっている。この会戦が同盟軍の勝利に終われば、同盟軍の教本で防御戦闘の模範例として採用されてもおかしくないと思える。

 

 第三艦隊のルフェーブル中将は、前の歴史ではラインハルト配下のアウグスト・ザムエル・ワーレン提督にあっさり敗北した。第一〇艦隊は精鋭とはいえ司令官を失った直後だった。この陣容で異常なまでに戦意が高い敵に対抗できるのか不安だったが、二大名将が率いる同盟軍左翼部隊にひけをとらない戦いを展開している。

 

 あらためて同盟軍の人材の多さに感心させられる。前の歴史では影の薄かったルフェーブル中将、愚将とされたホーランド少将、名前すら残っていないヤオ少将やクレッソン少将やピアッジ少将などもラインハルトの部下と五分以上に戦える実力があった。帝国領侵攻で同盟軍が失った人材の数、彼らを葬り去ったラインハルトの知略にあらためて慄然とさせられる。

 

 挫けてはいけない。前の歴史は前の歴史、今は今だ。未来はまだ確定していない。同盟の人材はまだ多い。負けるわけにはいかないという思いを強くする。

 

 帝国軍の勢いと同盟軍の巧緻さが一進一退を続ける中、先に動いたのは同盟軍だった。左翼の第五艦隊と第一三艦隊は帝国軍右翼部隊の前衛を縦深陣の中に誘い込むことに成功し、縦に伸びきった艦列にミサイルとビームの集中豪雨を叩きつけた。帝国軍右翼部隊の艦艇は対応できずに、次々と火球に姿を変えて消えていく。

 

 それでも帝国軍は突進をやめない。いや、やめられないと言うべきだろうか。後退すれば勢いを失ってさらに損害が大きくなる。態勢を立て直して反撃しようにも、帝国軍の練度では方向転換する前に狙い撃ちされてしまう。付かず離れずの絶妙な速度で後退を続ける囮部隊を追い続け、同盟軍の縦深が限界に達するまで直進する以外に、活路は残されていないのだ。

 

 同盟軍の罠を完成させたのはアップルトン中将の第八艦隊だった。いつの間にか左旋回して、左後背から帝国軍右翼部隊の前衛と後衛を分断して、第五艦隊と第一三艦隊が作り上げた縦深陣の蓋を閉じる。同盟軍左翼部隊は思う存分帝国軍を叩きのめし、帝国軍本隊が救援にやって来たのを見計らうと素早く包囲を解いて退いた。第八艦隊投入のタイミング、引き際ともに驚くほど鮮やかだった。

 

「古豪健在といったところですか」

 

 チュン大佐が呟く。ロボス元帥は積極性と機動力を重視する攻勢型の用兵家。アップルトン中将はロボス元帥の切り札ともいうべき指揮官。この二人が演出した今の戦いは、まさにロボス流用兵の精華であった。

 

 戦線というものは、相互の連携によって構築される。一つの翼が弱くなれば、他の翼も連鎖的に弱くなる。帝国軍右翼部隊の敗北は、帝国軍の中央部隊と左翼部隊の攻勢失敗をも意味していた。一時的な自由を得た同盟軍左翼部隊の一部が第七惑星方面に転進すれば、帝国軍中央部隊は正面と右側面から攻撃を受けることになる。

 

 あのラインハルトの部下だけあって、判断は早かった。中央部隊、左翼部隊ともに後退を開始する。

 

「今だ、全速で食らいつく!」

 

 俺は敵が下がり始めたのを見計らって、前進を指示した。これまでさんざん押されまくってきたのだ。ここで多少仕返しして、味方の戦意を高揚させなければならない。戦う意義を持たない俺達は勝利の味無くして戦意を維持できない。

 

 進むのは易く、退くのは難しい。だからこそ、後退の機を逸して敗北に追い込まれる提督が後を絶たない。帝国軍中央部隊の決断の早さは、いっそ潔いと言って良いほどである。だが、整然とした後退戦闘を展開するには、彼らの練度は低すぎた。陣形再編に手間取っている帝国軍中央部隊は、攻勢に転じた同盟軍中央部隊の良い標的になった。

 

 同盟軍の戦艦はありったけの対艦ミサイルとビーム砲を乱射しながら敵中に切り込む。巡航艦は素早く敵艦の側面や下方に回り込み、敵の艦列をかき乱す。攻撃母艦から放たれた艦載機部隊は駆逐艦と協同して、敵の艦載機部隊と駆逐艦の排除にかかる。

 

 第三六戦隊の指揮下にある一個戦艦群、二個巡航群、三個駆逐群も派手に暴れまわった。司令室には相次いで味方の戦果が報告される。特に戦艦一四隻と攻撃母艦一七隻の撃沈は大きかった。一個戦隊の攻撃力をほぼ喪失させたに等しい。

 

「進め!」

 

 柄にもなく興奮していた。イオン・ファゼカスの帰還作戦が始まってから溜まり続けた鬱憤を前方の敵に叩きつけるかのように、第三六戦隊は敵艦をなぎ倒していく。

 

「司令官閣下、第二分艦隊司令部から電文が入っています」

「内容は?」

「第三六戦隊は突出気味である、後退して味方と足並みを揃えるように。とのことです」

 

 コレット大尉が読み上げた電文の内容に少し考えこむ。戦果を稼ぎたいのはやまやまだが、突出し過ぎるのは危うい。俺達が今叩いているのは敵中央部隊の前衛だ。損害の少ない後衛が援護に来たら厄介だ。

 

「司令部は後退を指示してきているが、俺は可能なら攻勢継続を具申したい。参謀長と作戦部長代理の意見は?」

「司令部の判断が妥当でしょう。各部隊からの報告書から判断しても、後退と再編の必要ありと考えます」

「司令部と参謀長に同意します。我が艦隊の反応速度は現時点で二六パーセント低下しています。これ以上の戦闘継続は危険です」

 

 参謀長チュン大佐と作戦部長代理ニールセン少佐は俺の未練を断ち切った。

 

「わかった。これより第三六戦隊は後退を開始する。コレット大尉は第二分艦隊司令部に了承したと伝えてくれ」

 

 そう指示した瞬間、急にスクリーンの中の光点が数を増し、アシャンティの艦体が少し揺れた。

 

「何があった!?」

「二時半方向から敵の新手が出現しました!数はおよそ一万五〇〇〇!」

 

 オペレーターの報告に愕然となる。敵は中央部隊を救援するために予備を投入してきた。同盟軍中央部隊と直接ぶつかり合う正面からでも、左翼部隊の脅威にさらされる左前方からでもなく、右前方からの出現。同盟軍右翼部隊は後退する帝国軍左翼部隊を攻撃しているため、右前方はがら空きだった。

 

「敵高速部隊、こちらに突入してきます!」

 

 メインスクリーンに映るのは、巡航艦部隊と駆逐艦部隊を従えて斜めに突入してくる真紅の戦艦。この色とフォルムは、歴史の本で見たことがある。ジークフリード・キルヒアイスの乗艦バルバロッサ。ラインハルト・フォン・ローエングラムの無二の腹心にして、前の歴史で不敗の名将と讃えられた人物の出馬に言葉を失った。

 

 中枢を叩く意図があったのかどうかはわからないが、キルヒアイス艦隊は司令官代理のシャルマ少将が率いる第一分艦隊を直撃した。歴戦のボロディン中将、勇猛なヤオ少将のいずれかなら、あるいは食い止めることができたかもしれない。しかし、司令官代理のシャルマ少将はもともと後方支援部隊の指揮官で用兵家としては凡庸だった。キルヒアイスの速度に対応できず、第一分艦隊は真っ二つに断ち切られる。

 

 一時的に第一二艦隊司令部の指揮系統が寸断されたことによって、第二分艦隊、第三分艦隊、第四分艦隊は個別での対処を強いられた。分艦隊単位で一万五〇〇〇隻の攻撃に対抗できるはずもなく、キルヒアイス艦隊は同盟軍中央部隊の艦列に巨大な穴を穿った。

 

「第四分艦隊旗艦アラクネ撃沈されました!」

 

 キルヒアイスの一撃は第一二艦隊を構成する四個分艦隊の一角をあっさりと打ち砕いた。もはや、第一二艦隊の戦力でキルヒアイスに対抗するのは不可能だった。上位指揮権を持つブラツキー少将の援護には期待できない。敗北感が胸を侵食していく。

 

「第一〇七戦隊は戦力の過半を喪失した模様!」

「ばかな!第一〇七戦隊は六〇〇隻はいたはずだ!あっという間に三〇〇隻もやられたのか!?その情報は事実なのか!?もう一度確認しろ!」

 

 こんなところで叫ぶべきでないのはわかる。しかし、信じたくなかった。間違いであってほしかった。第三六戦隊が同じ運命に遭遇するなど想像したくもなかった。

 

「第五六二駆逐群のリット司令、戦死!」

 

 ついに第三六戦隊の群司令に戦死者が出た。三一歳のリット大佐は群司令の中で最も若く、最も戦術能力の高い指揮官だった。防御戦闘の要が永遠に失われたことを知り、気が遠くなっていく。

 

「指示をお願いします」

 

 その声に振り向くと、チュン大佐とコレット大尉が立っていた。司令室の参謀やオペレーターも全員を俺を見ている。指揮官はこの場に一人しかいない。どんなに優秀なスタッフも指揮官たる俺の指示がなければ動けない。相手が何者だろうと、取り乱している場合じゃない。キルヒアイスが名将だからといって、俺と部下が大人しく死ななければならない義務はない。

 

「後退しつつ敵の攻勢を凌ぐ。第一二四戦艦群はありったけの火力を投射して敵巡航艦の足止めを。第三六九駆逐群と第四六四駆逐群は敵の対艦ミサイルと艦載機部隊を迎撃。第五六二駆逐群は急いで部隊を再編。第三〇四巡航群と第七〇三巡航群は敵の側背攻撃を阻止。参謀長、これで大丈夫かな?」

「問題ありません」

 

 誰でも思いつくオーソドックスな指示ではあったが、それでも指揮官の責任で出さなければならない。指揮官が責任を取ると明らかにすることで、部下は戦いに専念できる。参謀長のチェックを受けることで信頼性が増す。

 

「戦線維持と戦力の温存を第一とする。参謀長は各群司令に連絡と説明を頼む」

 

 チュン大佐の次は、運用責任者の作戦部長代理ニールセン少佐を呼ぶ。

 

「第三六戦隊の現状で後退は可能か?」

「我々単独では困難です。援護を要請すべきでしょう」

「わかった」

 

 俺はうなずいて副官コレット大尉を呼ぶ。

 

「第二分艦隊司令部に援護を要請する。回線を繋いでくれ」

 

 コレット大尉はぴしゃりと音がしそうな気合が入った敬礼を返し、通信機に向かう。俺は他の参謀と軽い打ち合わせをした後、マイクを握った。

 

「もうすぐ味方が救援に来る。我々が正面を引き受け、救援が脇から叩けば敵は崩れる。もう少しだ。みんなの力を貸して欲しい」

 

 救援が来るかどうかはわからない。見殺しにされることだってありえる。しかし、今の第三六戦隊に必要なのは希望だ。救援が来なかったら、その時はあの世でみんなに謝る。

 

「第二分艦隊司令部と通信が繋がりました」

「わかった」

 

 スクリーンに現れた分艦隊参謀長ジャン=ジャック・ジェリコー准将の顔は、相変わらず頼りなさ気だった。救援を頼むと、ジェリコー准将は渋い表情になる。

 

「第三四戦隊も第五二戦隊も敵の攻勢を凌ぐのに手一杯だ。第三六戦隊の援護は難しい」

 

 予想はしていた。第一二艦隊に属する部隊はすべて最前列で敵の攻撃を受け止めている。余裕があるはずもない。

 

「残念です」

「すまんな」

「閣下の責任ではありません。お気になさらずに」

 

 悪いのは第一二艦隊の上位指揮権と無傷の五〇〇〇隻を持っているのに、援護に出ようとしないブラツキー少将だ。そう言いたい気持ちをぐっとこらえる。統括参謀の前では、下手なことは言えない。それはジェリコー准将も同じだった。

 

 敬礼をして通信を切る。アル・サレム中将の第九艦隊は側面から回り込もうとするキルヒアイス艦隊の左翼部隊及び右翼部隊と戦っていて、こちらを援護する余裕はなさそうだ。キルヒアイスの攻撃を逸らそうとするかのように移動する第一独立機動集団に怒りを込めた視線を向ける。

 

 戦術スクリーンの中では、左翼部隊とともに第四惑星周辺宙域にいた第八艦隊が帝国軍中央部隊とキルヒアイス艦隊の側面を突くべく動き出していた。もう一つの予備戦力であるルイス艦隊も前進して、同盟軍中央部隊とそう遠くない距離まで来ている。

 

「ルイス艦隊が到着次第、我々も反撃に転ずる。それまで持ち場を死守せよ」

 

 通信スクリーンから、司令官代理シャルマ少将の頭越しに直接指示を出すブラツキー少将の声が聞こえた。その五〇〇〇隻を今すぐ動かしてくれと言いたくなったが、カウナ大佐の視線が怖くて言葉を飲み込む。

 

 マイクを握って将兵を督励し、戦隊司令官直轄の予備戦力を使って艦列の穴を埋め、必死で戦線崩壊を防ぐ。一分が一時間にも感じられるような苦しい戦いが終わった時には、キルヒアイス艦隊と帝国軍中央部隊の姿は消えていた。キルヒアイス艦隊は同盟軍中央部隊を斜めに突破、そのまま大きく旋回して、第八艦隊とルイス艦隊が到着する寸前に離脱してしまったのだ。帝国軍中央部隊は同盟軍中央部隊がやられている間に撤収を完了した。恐るべき手際であった。

 

「良い判断をしますね」

「なかなか手ごわいよ」

 

 チュン大佐がキルヒアイスの手際を褒めたのか、ロボス元帥が予備を投入したタイミングを褒めたのかは定かではない。ただ、ロボス元帥を褒める言葉を口に出す気にはなれず、キルヒアイスを褒めたということにした。

 

 帝国軍はキルヒアイスが同盟軍中央部隊に巨大な穴を開けたものの、同盟軍左翼部隊にはさんざんに打ち破られ、同盟軍右翼部隊との戦闘でも相当な損害を出した。最初の三方面からの攻勢はすべて失敗に終わった。

 

 一方、軽微な損害で帝国軍を撃退した同盟軍の左翼部隊と右翼部隊の戦意は大いに高揚した。大損害を受けた中央部隊も敵の中央部隊と比べればだいぶ損害が少なく、現在は同盟軍がやや有利といったところだ。人類史上屈指の天才ラインハルトと往年の名将ロボス元帥の戦いは、信じられないことに今のところはロボス元帥の優勢だった。

 

「意外だね」

「何がですか?」

「いや、五分で戦えてることが」

 

 深夜の司令室で俺は夜食のマカロニアンドチーズをつまみ、チュン大佐は潰れたショコラを食べながら、今日の戦いの感想を話し合っていた。

 

「いかにローエングラム元帥が艦隊指揮の天才とはいっても、一〇万隻の大軍を手足のように動かすというわけにもいきません。これだけ広い戦域では、隅々まで目が行き届きませんしね。戦いの規模で言えば、三つの会戦をすべて指揮しているに等しいですから。ここまでやれるとは予想外でした」

 

 俺はロボス元帥が天才ラインハルトと五分で戦えてることを意外と評したつもりだった。それをチュン大佐は逆の意味に捉えたらしい。

 

 しかし、良く考えたら前の歴史を知らない立場であれば、チュン大佐の感想がまともである。ラインハルトが今の歴史で統率した最大の兵力はアスターテの二万隻。それがいきなり一〇万隻を率いて、一個艦隊を率いた時のような奇策を発揮できると考える方がおかしい。一方、ロボス元帥は一〇万隻を率いた経験こそ無いものの四~五万隻程度を運用した経験は豊富にある。

 

 前の歴史でも大軍を率いた時のラインハルトは奇策を使わず、正攻法で戦った。奇策というものは関わる人間が多くなればなるほど失敗しやすい。ラインハルトに覇権をもたらしたのは、大軍を揃えて堅実に運用する能力だった。

 

 大軍同士の戦いは奇策を使わずに敵の戦線の綻びを探り、予備を動かすという地味な展開になりがちだ。前の歴史で大軍を率いたラインハルトが派手に勝てたのは、相手の持っていた兵力が少なかったからにすぎない。今のロボス元帥はほぼ五分の戦力を持っている。そして、今日の戦いから見るに、ロボス元帥の戦術判断能力はかなり高い水準にある。前の歴史で経験しなかった強者相手の戦いを今のラインハルトは戦っている。どんな展開になるのか、俺には予想がつかなかった。


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