銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第九十五話:確認作業 宇宙暦796年11月9日~16日 イゼルローン要塞第一軍病院

 体中が焼け付くようだ。息が苦しい。苦痛で体がよじれる。

 

「体が動く?俺は生きてるのか?」

 

 まさかと思って、ゆっくりと目を開いた。意識を無くす前にぼやけていた世界は輪郭を取り戻していた。視界には真っ白な天井が映っている。顔には酸素マスクが取り付けられ、体にはチューブがいっぱい差し込まれていた。

 

「ここはどこだ?俺はどうなった?」

 

 何もわからない。そして、痛みと息苦しさの波が襲ってくる。目を左右に動かすと、青い長衣と頭巾とマスクを身にまとった数人の人間が俺を見下ろしていた。

 

「答えてくれ!ここはどこなんだ!?」

 

 ここはどこだ?お前らは誰だ?俺の体はどうなった?あっという間に不安一色に塗りつぶされる。

 

「ここはイゼルローン第一軍病院の集中治療室。小官は閣下の手術を担当させていただいた救急科のサロマー軍医中佐であります」

 

 青い長衣を着た人物の一人が俺の顔を覗きこんで自己紹介をする。集中治療室、手術という言葉にどんどん不安が募っていく。

 

「集中治療室?つまり、俺は死ぬのか!?」

「手術は成功しました。危険な状態は脱しています。心配ありません」

 

 医師はゆっくりと力強い口調で俺の手術成功を告げた。だが、俺一人生き残ったところで意味は無い。俺は第三六戦隊の司令官なのだ。

 

「戦いはどうなった!?第三六戦隊は!?」

「戦いは終わりました。閣下の部隊はイゼルローンに収容されています」

「被害状況は!?戦死者は!?」

「まだ集計中です」

 

 すぐ集計できないぐらいの損害を受けたのか。そう思うと、とても恐ろしくなった。旗艦がミサイルの直撃を受けるような状況で生き残れる者がそうそういるとも思えない。頭がネガティブな考えに囚われると同時に痛みがいっそう激しくなり、呼吸ができなくなった。

 

「まずい!鎮痛剤を投与しろ!」

 

 周囲がバタバタと騒がしくなり、俺の意識は再び薄れていった。

 

 目覚めてからも激痛は消えなかった。熱も酷い。体は拘束されている。静かな部屋の中で妙に規則正しい計測機器の音が単調なリズムを響かせる。妙に明るい照明のせいで時間感覚が失われる。投与された薬のせいか、意識が朦朧としていた。

 

 いったい自分はどうなってしまうのかと思うと、不安が高まる。戦闘なら自分の努力で切り抜けることもできる。しかし、ベッドに縛り付けられていては何もできない。自分の立場も不安だった。第一二艦隊に玉砕を命じた総司令部が今度は何をしてくるか、想像もつかない。なかなか眠れない。眠れたと思えば、変な夢でうなされる。永遠のように感じられた。

 

 

 

 集中治療室から一般病棟への移送を告げられたのは四日後だった。俺が入れられた病室は広々とした個室だった。大きな窓からはイゼルローンの人工太陽の暖かい陽光が差し込んでくる。ベッドとテーブルは木製。床はカーペット。大きな立体テレビ、戸棚、冷蔵庫、ソファーまで備え付けられていた。

 

 ヴァンフリート四=二基地の戦いで重傷を負った時も基地司令官セレブレッゼ中将の計らいで最上級の病室に入れてもらえた。ハイネセン第二国防病院に移送された後も良い病室に入れた。しかし、あの時の病室をビジネスホテルの一室とすると、今回の病室はシティホテルの一室だ。豪華な病室にびっくりしてしまう。

 

「今後は小官らのチームが閣下の治療を担当させていただきます」

 

 ジアーナ・トゥチコワ軍医准将と名乗った白衣の中年女性は、外科医、内科医、麻酔医、看護師、薬剤師、管理栄養士などを紹介した。

 

 艦隊衛生部長や小規模軍病院長クラスの幹部が一介の将官の治療を担当するなんて聞いたことがない。異例の待遇に目を丸くしていると、トゥチコワ軍医准将はにっこりと微笑んだ。

 

「議長閣下より最高の治療を提供するように、仰せつかっております」

 

 議長ってどの議長なんだろう?同盟軍に議長と付く要職はない。政府では最高評議会議長と同盟議会議長がいるが、前者はロボス元帥と結託しているロイヤル・サンフォード、後者はビャルネ・エドヴァールという改革市民同盟の長老議員。いずれも俺を優遇する理由はない。

 

「どういうことですか?」

「ああ、そう言えばフィリップス提督はまだご存じなかったんですね。四日前にヨブ・トリューニヒト閣下が最高評議会の新議長に就任なさったんですよ」

「どういうことですか!?総選挙はまだですよね!?」

 

 大声を出したら、体が痛み出した。改革市民同盟の非主流派のリーダーに過ぎないトリューニヒトが最高評議会議長に就任するには、まず党代表選挙で勝利して党の主導権を掌握し、その後に来年の総選挙で勝利しなければならないはずだった。それなのにいきなり議長に就任したと聞かされたのだ。驚かずにはいられない。

 

「議長不信任案が議会で可決されて、サンフォード議長以下の最高評議会メンバーは総辞職しました。その直後にトリューニヒト新議長が選出されたのです」

 

 トゥチコワ軍医准将の説明は、総司令部によって情報を遮断されていた俺には衝撃的なものであった。ようやく本国の情勢を知ることができたのだ。

 

 第一二艦隊が無断撤退した後の同盟本国では遠征反対派が勢いを増していた。マスコミも一斉に遠征継続派を攻撃するようになり、勢いに乗った遠征反対派は一一月八日に最高評議会への不信任案を提出。翌日の本会議で与党からの造反者多数で可決された。新議長となったトリューニヒトは即座に遠征中止を提案し、賛成多数で可決。正式に帝国領遠征作戦「イオン・ファゼカスの帰還」は終了した。

 

「なんかあっけない結末ですね」

 

 思わずため息が出てしまった。遠征継続派には一流の策士がひしめいていた。一度は遠征中止寸前まで追い込まれたのに、とんでもない策略で逆転してのけた。あんなにしぶとい連中がこうもあっさり表舞台から退いたのが信じられない。

 

 あの悪夢のような遠征が終わったのは、喜ぶべきことだった。しかし、失われたものの大きさを思うと、素直に喜ぶことはできない。第三六戦隊は俺が負傷した時点で、過半数が戦死もしくは行方不明になった。他の部隊もかなりの損害を被ったはずだ。

 

 これから長く苦しい戦後処理が始まる。アスターテの戦後処理もまだ終わっていない。第二次ティアマト会戦終盤のブルース・アッシュビー提督の猛攻で被った損失から帝国軍が立ち直るまで、一〇年の月日を要したという。同盟軍がアスターテとイオン・ファゼカスの損失から立ち直るまで、どれだけの月日を必要とするのであろうか。想像するだけで気が遠くなる。

 

 後ろ向きな気持ちになった途端、再び体に強い痛みが走った。ヴァンフリートで重傷を負った時には、こんなことは無かった。俺の異変に気づいた治療チームの医師達が素早く処置をして、痛みが和らぐ。

 

「トゥチコワ先生。全治までどのぐらいかかりますか?」

「三か月から四か月といったところでしょうか。骨折や打撲も深刻ですが、肺がかなり傷ついていますので」

「肺がやられてたんですか。血を吐いた理由がわかりました」

 

 ようやく、今回とヴァンフリートで負った傷の違いがわかった。今回は外傷の他に内蔵もやられてる。これでは好きな物を食べられないし、トレーニングも出来ない。気が重くなる。

 

「フィリップス提督の要望は、治療に差支えのない範囲で聞くようにと言われております。こちらのマイクからご連絡いただければ、当病院のスタッフが二四時間対応いたします」

 

 トゥチコワ軍医准将はベッドに据え付けられているマイクを指した。

 

「スイッチは音声入力式なので、手足が動かせなくても使えるんですよ」

 

 いちいち行き届いた配慮に感心させられる。完全に∨IP扱いだった。今は体が思うように動かないのに、やるべきことは多い。少しだけ甘えさせてもらおう。

 

「では、最初のお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「結構ですよ」

「俺が意識を失くした後の第三六戦隊がどうなったか、教えていただけないでしょうか?」

「参謀長のチュン・ウー・チェン大佐が臨時に指揮を取り、援軍の到着まで持ちこたえました」

「ああ、参謀長が頑張ってくれましたか」

 

 司令官が指揮をとれなくなった場合、副司令官が指揮権を引き継ぎ、副司令官不在の場合は最先任指揮官が引き継ぐ。俺が負傷した時点では副司令官ポターニン大佐は戦死していたから、最先任の群司令ハーベイ大佐だ。しかし、引き継ぎをする余裕が無い場合に限って、臨時に参謀長が指揮をとることが認められる。アスターテでは第二艦隊副参謀長のヤン・ウェンリーが臨時に指揮をとった。

 

 あの時の第三六戦隊は旗艦がミサイルの直撃を受けるような状況だった。チュン大佐が指揮をとったのは正しい。彼は冷静沈着でリーダーシップもある。俺なんかよりずっと指揮官向きだ。きっとうまくやってくれたに違いない。

 

「部下の安否、損害の程度なども教えていただけませんか?」

「まだ集計の最中ですので、もう少しお待ちいただけますか」

「これだけ大きな戦いの後ですからね」

 

 集中治療室でサロマー軍医中佐に同じことを言われた時は取り乱してしまったが、今は落ち着いて受け入れることができる。戦いが終わった後は各部隊単位で死傷者、破損艦艇、物資の残量などの集計、戦闘記録や人事評価などの整理が行われる。一つの会戦が終われば、参謀や事務スタッフは一ヶ月近くこのような作業に追い回される。今回の遠征は特に損害が多い。司令部が壊滅した部隊の集計は相当な手間がかかるだろう。

 

「他にご要望はありますか?」

「ネットに接続できる音声入力端末を持ってきてもらえますか?」

 

 俺が端末を求めたのは、友達や知り合いの安否を確認するためだった。大きな戦いの後には、必ず軍が安否確認サイトを設立する。数百万の将兵が参加するような戦いが終わった後で、その身内からの問い合わせにいちいち応じていては、他の仕事ができなくなってしまう。だからといって、門前払いにもできない。だから、軍は臨時にサイトを開設して判明した安否情報を掲載するのだ。サイトのアドレスを公表しておけば、軍は問い合わせに対応する手間が省け、身内はネットに接続できればいつでも安否を知ることができる。

 

「メール機能と通信機能は使えませんが、よろしいですか?」

「ええ、構いません」

 

 念を押すように言うトゥチコワ軍医准将に、笑顔を作って返答した。大きな戦闘の前後に必ず周辺宙域の通信回線が規制されるなんてことは、軍人なら誰でも知っている。数百万の将兵がプライベートな通信を家族や友人と交わしたら、電波が混雑して公用の通信が届かなくなってしまうからだ。そんな当たり前のこともいちいち確認するところに、トゥチコワ軍医准将の人柄が現れている。

 

「ああ、それと。最後にもう一つ」

「何でしょうか?」

「集中治療室で目覚めた時、不安になって救急の先生方に当たり散らしてしまいました。お会いする機会があれば、『エリヤ・フィリップスが申し訳ないことをしたと言ってた』とお伝えいただけますか?」

 

 一般病棟に移って心が落ち着くと、集中治療室で目覚めた時の錯乱ぶりが恥ずかしく感じられた。俺は小心者だが、人に当たり散らすことは滅多にない。救急の医師たちには悪いことをした。

 

「ああ、ICU症候群ですよ。集中治療室に入られた方が良くかかる症状です。サロマー先生達も気にしてらっしゃらないと思いますよ」

 

 俺の情けない告白にもトゥチコワ軍医准将は顔色を変えず、にこやかに答えてくれた。

 

「ICU症候群?」

「ええ。集中治療室は特殊な環境でしょう?そして、自分は身動きが取れない。体の具合も悪い。一時的に不安になる方が多いんです」

「俺だけではなかったんですね」

「小心だからかかりやすい、豪胆だからかかりにくいというわけではありません。誰でもかかる可能性はあります。ですから、お気になさらいでください」

「ありがとうございました」

 

 気が楽になった。この先生なら信頼して治療を任せられそうだ。八月二二日にハイネセンを出発してからはずっと気を張り詰めていた。久しぶりに安らいだ気持ちになり、深い眠りに落ちた。

 

 

 

 快眠から目覚めると、脇のテーブルに音声入力端末が置かれていた。痛みも熱も残っているが、思考に支障をきたすほどではない。さっそく立ち上げて、パスワード設定を終えた後にネットに接続した。

 

 軍が作った安否確認サイトはすぐに見つかった。もちろん、最初に検索するのは「ダーシャ・ブレツェリ」だ。人前では部下を一番心配しているように振る舞っているが、本音を言うとダーシャがぶっちぎりで心配なのである。検索が終了して、「第一〇艦隊・第四分艦隊/副参謀長/負傷・入院加療中」と表示された瞬間、喜びで胸がいっぱいになった。ダーシャは生きている。ハイネセンに戻れば、晴れて結婚できる。あの最悪の戦いを生き残って本当に良かった。

 

 思えば、最初に出会った時の彼女も重傷を負っていた。俺も彼女もヴァンフリート四=二の戦いで重傷を負い、同じ病院に入院して知り合ったのだ。同時に知り合ったハンス・ベッカー中佐は俺の部下になり、グレドウィン・スコット准将は三次元チェス友達になった。あの入院がきっかけで俺のプライベートは一気に充実したのだ。

 

 しばらく入院時代の思い出に浸って幸せな気持ちになった後、検索を再開した。次は「イレーシュ・マーリア」だ。「第三艦隊・第二分艦隊/参謀長/行方不明」と表示される。やはり、まだ生死は不明のようだ。願わくば帝国軍に降伏していて欲しい。帰ってくれば、一階級昇進して准将。給料も上がる。俺にヨーグルトパフェとパンケーキをおごりやすくなる。俺にあーんしたければ、してくれても構わない。だから、生きて帰ってきてほしいと祈った。

 

 今度は「ジェリコ・ブレツェリ」で検索する。「第七艦隊・後方支援集団・第九二支援部隊・第五二一支援群/司令/健在」と表示された。撤退戦で過半数を失った第七艦隊の残存戦力は、ポルフィリオ・ルイス少将の指揮下でアムリッツァ会戦を戦った。ラインハルトの反撃でかなりの損害を受けた第七艦隊にあって、ブレツェリ大佐は生き延びた。ベテランだけあって本当にしぶとい。こんな頼もしい人が義父になると思うと心強く感じる。

 

 戦闘参加者の中で特に大事な人の安否を確認した後、知り合いの名前で片っ端から検索していく。三人に一人は空欄だった。生存でも死亡でも行方不明でもない。現時点では安否確認サイトを作ってる部署にまだ情報が上がってきてないのだろう。いずれ日にちが経てば、空欄も埋まるはずだ。

 

 少なくない数の知り合いの戦死者の中で特にショックだったのは、ダーシャの次兄フランチ・ブレツェリ准尉と第一三六七駆逐隊司令時代の副司令だったマーカス・オルソン中佐の戦死であった。

 

 ダーシャの長兄マテイは撤退戦で行方不明になっている。そして、フランチが戦死。ブレツェリ家三兄妹のうち、二人が戻ってこない。堅実な料理上手のマテイ、男前なのになぜかダーシャに軽んじられてたフランチの顔を浮かべて、どうしようもなく悲しい気持ちになった。ダーシャとジェリコ・ブレツェリ大佐の心中を思うと、ますます悲しくなる。

 

 マーカス・オルソン中佐は軍歴が長い以外にこれといった取り柄がなく、地方部隊を転々として少佐で定年を迎えるかに思われた人物であった。しかし、エル・ファシル動乱の功績で中佐に昇進し、しかも正規艦隊でも精鋭と名高い第八艦隊の駆逐隊司令のポストを得た。破格の出世に狂喜した彼は、軍人になって三八年目にして初めてやる気を見せていた。そんな矢先にこんなつまらない戦いで死ぬなんて、本当にやりきれない。

 

 知り合いをひと通り検索し終えたところで、今度は知り合いとは言えないまでも接点があった人の名前を検索する。まずは第九艦隊のライオネル・モートン少将。俺達を逃がすために倍以上の帝国軍と戦った彼は、依然として行方不明であった。モートン少将と一緒に戦った第三艦隊のウィレム・ホーランド少将も行方不明。ダーシャの上官にあたる第一〇艦隊第四分艦隊司令官のアンリ・ダンビエール少将は戦死した。司令官が戦死するという危うい状況から、ダーシャは生還したようだ。

 

 安否確認は喜びより悲しみを多く感じる作業であった。俺が検索した名前は生存者の方が多かったが、一人を失っても別の二人が生き残れば喜びが上回るというわけではない。喜びは相対的なものであるが、悲しみは絶対的なものなのだ。

 

 

 

 安否確認をひと通り終えると、今度は主要三新聞の電子版バックナンバーを片っ端から読み始めた。総司令部に背いた一〇月一七日から、第一二艦隊は情報を遮断されてきた。今日までの一ヶ月近くの間、同盟本国の情勢がまったくわからなかった。遠征継続決議から不信任案可決に至るまで何があったのか、ちゃんと知っておきたかった。

 

 痛みと熱に苦しみながら、三日がかりで電子版新聞を読み終えて、ようやく同盟本国の情勢を理解できた。情報遮断されていた俺にとって、それは驚くべきものであった。

 

 一〇月一七日に第一二艦隊が占領地から無断撤退した翌日、総司令部は「帝国軍の九個艦隊が解放区に向かっている。戦力を集中して迎撃する。正規艦隊の半数が壊滅すれば、衝撃を受けた皇帝は和議を請うであろう」と述べて、占領地からの一時的な戦力引き揚げと戦線縮小の方針を示した。同時に第一二艦隊司令官ボロディン中将を戦意不足を理由に更迭して、無断撤退の事実は隠蔽した。

 

 反乱軍扱いされて占領地放棄の責任もなすりつけられたものと思い込んでいた俺にとって、総司令部が無断撤退を隠蔽したのは意外であった。しかし、冷静になって考えてみれば、第一二艦隊の無断撤退を公表すれば総司令部も窮地に追い込まれる。

 

 一個艦隊の抗命行為は同盟軍史上最大級の不祥事だ。第一二艦隊を反乱軍と断じれば、一個艦隊の離反に衝撃を受けた市民は間違いなく遠征中止を求める。総司令部の監督責任を問う声も出る。総司令部に好意的な解釈をする者も第一二艦隊を糾弾した上で、「遠征はもう続けられない」と嘆くはずだ。第一二艦隊を遠征中止の戦犯に仕立て上げることに成功しても、遠征軍が五〇〇〇億ディナールの予算に見合った成果を出したと考える者はいない。

 

 第一二艦隊の抗命行為を隠蔽しつつ、再び統制下に入れる機会を伺う以外の道は、総司令部には残されていなかった。第一二艦隊を通信封鎖したのも他艦隊に無断撤退の事実を隠しつつ、撤退戦での疲弊を促すのが目的だったのだろう。第一二艦隊が疲弊すれば、兵站を握る総司令部は有利に交渉を進められる。

 

 占領地を維持しつつ帝国軍を迎え撃つ方針を、占領地からの一時引き上げに切り替えることで、第一二艦隊の無断撤退という事態を乗り切った遠征継続派を窮地に追い込んだのは、対外情報機関の不正行為疑惑であった。

 

 遠征継続の可否を問う一五日の本会議直前に公表された「ローエングラム元帥が配下の九個艦隊を動員した」という情報が遠征継続の決め手となったのは周知の事実である。一三日にその情報を掴んだ中央情報局、軍情報部、フェザーン駐在高等弁務官事務所が、本会議直前まで故意に公表を遅らせたという疑惑が一部マスコミによって報じられた。それが事実であれば、遠征継続決議が不正に導き出された可能性が生じる。また、前線部隊に帝国軍の動きを二日間も隠すという重大な背信行為をはたらいたことにもなる。遠征継続派の正当性は大きく揺らいだ。

 

 総司令部が前線部隊に出した現地調達方針が明らかになると、遠征継続派への逆風はさらに激しくなった。同盟軍の援助に依存する占領地住民が余剰物資を持っていないのは明らかだ。「自分が飢えるのを承知で同盟軍にこれまで受け取った物資を売却する住民がいるはずもない。略奪を命じたも同然だ」という遠征反対派の指摘は、「帝国の圧制に苦しむ人々を解放する」という遠征継続派の大義名分を根底から揺るがした。

 

 市民は日に日に遠征継続派への不信を募らせていった。最高評議会や民主化支援機構は必死の弁明に努めたが、ビラ問題の時とは明らかに風向きが変わっていた。宣伝工作の失敗はハイネセン主義の大義名分を使って正当化できた。しかし、情報機関の不正や占領地での略奪指示を正当化する言葉は、ハイネセン語録の中にはない。勢いづいた遠征反対派は再び攻勢に転じ、遠征を支持していたマスコミも手のひらを返した。サンフォード議長やオッタヴィアーニといった遠征継続派の政治家に近い保守派新聞の「リパブリック・ポスト」ですら、遠征中止論に転じた。

 

 このような状況でロボス元帥はアムリッツァ星域での主力決戦を決意したのである。史上最大の艦隊戦はマスコミによって逐一報道されて、市民の耳目を喜ばせた。しかし、市民が軍に求めるのは名将同士の一進一退の攻防ではなく、気持ちの良い快勝である。前線で華々しい武勲を立てた者ばかりが評価を高め、ラインハルトを打ち破れないロボス元帥に対する失望は日に日に高まっていく。

 

 前の歴史を知る者からは信じられないことであったが、ラインハルトよりロボス元帥の方が用兵家として評価されていたことがかえって失望の種となった。ラインハルトはここ二年で急速に台頭した提督とみなされ、評価は急上昇しているものの絶対的な地位を確立するには至っていない。

 

 一方、ロボス元帥は全銀河でも三本の指に入る実績を持つ提督だ。単に戦歴が長いだけではない。三年前のタンムーズ星域会戦の大勝は、ラインハルトが今年の二月にアスターテであげた勝利に匹敵する意義があった。前の歴史を知る俺の目には格上相手の善戦、プロの軍人には古豪と成長株の接戦と映ったロボス元帥の素晴らしい用兵は、市民には格下相手の苦戦と映ったのである。

 

 テレビでアムリッツァの決戦を視聴した市民は、ロボス元帥が年老いて衰えたとみなした。視覚の説得力は何よりも強い。これ以上無能な総司令官に指揮を任せても帝国軍には勝てないと誰もが考えるようになり、「帝国軍主力を壊滅させた後に解放区を奪還する」という総司令部の方針も実現不可能なものであると思われた。即時撤退と遠征中止を求める声は最高潮に達した。

 

 そんな中で反戦市民連合、環境党、楽土教民主連盟の野党三党は最高評議会不信任案提出の意向を固めた。与党からは改革市民同盟フリーダム・アンド・ユニオン派と進歩党構造派が不信任案賛成を表明した。フリーダム・アンド・ユニオン代表の国防委員長ヨブ・トリューニヒト、構造派指導者の財務委員長ジョアン・レベロと人的資源委員長ホワン・ルイは辞表を提出。サンフォード議長はトリューニヒトやレベロと会談して不信任を回避しようとしたが不調に終わり、一一月七日夕方の時点で八日の不信任案提出及び九日の可決は不可避となった。

 

 そんな時に一時休戦を申し出たラインハルトは、間が悪かったとしか言いようがない。ロボス元帥は不信任案が可決される前に快勝して、市民を満足させなければならない立場に追い込まれていた。八日の総追撃が敢行された背景には、このような事情があったのだ。

 

 ロボス元帥は快勝によって遠征中止論を封じ込めるべく、マスコミに追撃戦を報道させた。それが致命的であった。勝利目前からの逆転敗北に市民は怒り狂った。結局、翌九日に不信任案は通過。同日に遠征中止派によって後継議長に指名されたヨブ・トリューニヒトは、遠征中止の決定を下したのである。

 

 銀河連邦末期には野党が内閣不信任決議を乱発し、与党が解散総選挙で応じたために短命政権が続いて政治が混乱した。相次ぐ短命政権に疲れた市民は、指導力のあるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに安定政権を期待し、銀河連邦滅亡を招いた。自由惑星同盟はその教訓に学び、不信任決議提出と同時に必ず後継議長も指名する建設的不信任制度を採用した。今回は議会第一党の改革市民同盟に所属する現役閣僚の中で唯一遠征中止派だったヨブ・トリューニヒトが後継議長に指名されたのだ。

 

 トリューニヒト新政権の任期は代議員の任期が切れて、総選挙が行われる来年三月で終わる。戦後処理を担当する暫定政権の性格を帯びることは明白だった。満を持して政権取りに臨みたかっただろうに、貧乏くじを引いたものだと思う。

 

 帝国領遠征の損害は未だに集計が終わっていない。数日しか経ってないのだから、当然のことといえる。マスコミは各社ごとに異なる数字を弾き出している。少なく見積もる者は動員された三〇〇〇万将兵のうち一四〇〇万、多く見積もる者は一六〇〇万が戦死あるいは行方不明になったものと推測した。前の歴史で失われた二〇〇〇万に比べたらだいぶ少ない損害ではあるが、そんなのは何の慰めにもならない。

 

 今のところ、メディアでもネットの書き込みでも遠征継続派や総司令部の責任を問う声はあまり盛り上がっていない。あまりにも巨大な損害に打ちひしがれているのだ。政府も後始末に忙殺されて責任を問うどころではなく、奇妙な小康状態が生まれている。もう少し時間が経てば、責任追及の声が高まってくるであろう。これまで伏せられていた裏の事情も徐々に明るみになってくるはずだ。その時にようやく本当の戦いが始まる。第一二艦隊の生き残りとして、総司令部の責任を問う戦いが。

 

 決意を新たにしたその時、インターホンの呼び出し音が鳴った。画面には看護師が現れる。一体何の用だろうか。

 

「どうしました?」

「フィリップス提督に面会の方がお越しになっています」

「ああ、そういえば今日から面会制限が解けるんだったね」

 

 昨日の診察で俺の容態が安定したと判断したトゥチコワ軍医准将は、面会制限の解除を伝えたのだ。負傷してこの病院に運ばれてから、一度も医療関係者以外の人間とは会っていない。真っ先に面会を申し込んできたのは誰なのだろうか。ダーシャか、それ以外の親しい人か、第三六戦隊の部下か。気になって仕方がない。

 

「誰?」

「妹さんです」

 

 最初に来たのは妹のアルマ。その事実に少しがっかりする。決して彼女のことが嫌いなわけではない。ただ、苦手なのだ。

 

 枕元にはアルマが書いた色紙が置かれていた。真ん中にはダーシャにケーキを食べさせてもらってる俺のイラストがクレヨンで描かれ、その下にやはりクレヨンで「頑張れ」と描かれている。俺の記憶の中のアルマは絵なんて描けなかったはずなのに、色紙のイラストはとてもうまい。児童書の挿絵みたいな丸っこいタッチで、俺とダーシャの特徴が良く捉えられている。字は下手くそだが、昔と違って何を書いたかちゃんと判別できた。

 

 色紙一枚をとっても、アルマが俺の知らない間にどれだけ成長したのかわかる。今のアルマは真面目で良い奴だ。俺に対する愛情も強い。赤の他人だったら、間違いなくいい友達になれてた。だからこそ、前の人生の記憶に引きずられて拒絶したことに後ろめたさを感じる。

 

「具合が悪いようでしたら、帰っていただきますが」

 

 看護師の言葉が俺を現実に引き戻した。今の俺なら黙っているだけで具合が悪いように見えるのだ。

 

「大丈夫ですよ。通してください」

「了解しました」

 

 承諾の返事を看護師に伝えて三分ほど経つと、アルマが部屋に入ってきた。

 

「お兄ちゃん、久しぶり」

 

 アルマはにっこりと微笑む。昔ならもっとはしゃいでるはずなのに、今は妙に落ち着いてる。服装はボーダー柄のTシャツに細身のデニムパンツ。薄いピンクの丈長ジャケットを羽織っている。足元はクリーム色のパンプス。再会後に初めて見るアルマの私服はなかなかセンスが良い。長身で細身の彼女に良く似合ってた。それにしても、勤務時間中のはずなのに私服なのがちょっと不思議だった。

 

 ベッドの横の椅子に腰掛けたアルマは、持ってきた袋の中からりんごを取り出して剥き始めた。一個剥き終えたら二個目、二個目を剥き終えたら三個目に取り掛かる。あまりにきれいに剥けるものだから、機械的な印象を受けてしまう。

 

 それにしても、何をアルマを話せばいいのだろうか。話題選びに困ってしまう。ダーシャが言うには、アルマは人付き合いが良くてどんな話題にも付いて行けるらしいのだが、ピンと来ない。りんご皮剥き器と化したアルマを眺める俺は途方に暮れていた。


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