銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第九十九話:裁くのは誰か 宇宙暦796年1月8日~1月中旬 最高評議会議長公邸~ハイネセン国防中央病院

 一月八日の夜。俺は久しぶりに最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトと議長公邸の一室で面会した。俺の前にはマフィンとコーヒー、トリューニヒトの前には紅茶とチョコクッキーが置かれている。

 

「傷の調子はどうだい?」

「おかげさまであと一ヶ月もせずにリハビリが完了しそうです」

 

 トリューニヒトが最高の治療環境を与えてくれたおかげで、予想以上にリハビリが早く進んでいた。さらに治癒を進めるべく、マフィンを口にする。さすがはフィラデルフィア・ベーグルのドライフルーツ入りマフィン。糖分が体に染み入って、傷が良くなっていくようだ。もちろん錯覚だが。

 

「治療費はいずれ体で返してもらうよ。いろいろと働いてもらわないといけないからね」

「今日はそのお話ですか?」

「そうとも」

 

 簡潔な返答の後、トリューニヒトは間を置くように紅茶をすする。次の任務は何だろうか。砂糖とミルクでドロドロになったコーヒーを飲み、糖分を補給しながら心の準備をする。

 

「エリヤ・フィリップス少将には、宇宙艦隊司令官直属の第二独立機動集団司令官、イゼルローン要塞防衛司令官、辺境総軍機動艦隊副司令官のいずれかを考えている」

「まだ決まっていないのですか?」

「ビュコック君とルフェーブル君は大部隊の統率には慣れていない。ヤン君はまだ若い。エリヤ君には彼らの助けになってほしいのだが、誰が一番君の力を必要としているのか決めかねているのだよ」

 

 少将昇進は想像の範囲内だった。国防委員長マルコ・ネグロポンティは第一二艦隊の生存者を全員昇進させる意向を三日前に表明した。市民の同情を集めている第一二艦隊を顕彰して、軍部への逆風を少しでも和らげようということだろう。

 

 だが、トリューニヒトが提示したポストは少々きな臭い。正規艦隊を統括する宇宙艦隊司令長官にはアレクサンドル・ビュコック中将、対帝国の最前線を担うべく設立されたイゼルローン方面管区の司令官にはヤン・ウェンリー中将。対テロ戦争の教訓を踏まえてイゼルローン同盟側出口からエルゴン星系までの防衛を統括する新設の辺境総軍の司令官にはシャルル・ルフェーブル中将が大将昇進のうえで就任することが内定していた。いずれも帝国領遠征で活躍した名将だが、トリューニヒトとは疎遠だ。ビュコック中将とヤン中将は反トリューニヒト派と言ってもいい。

 

「それはまあ、表向きの理由でね。実戦部隊の頂点に立つ三司令官ポストは、帝国領遠征の功労者たる彼らに渡さざるをえない。だが、司令官は渡しても部隊までは渡したくないというのが本音なんだ」

「やはり派閥絡みでしたか」

 

 要するに彼らが率いる部隊をトリューニヒト派に取り込むのが俺の役目ということだ。前の歴史の英雄ヤン・ウェンリーとアレクサンドル・ビュコック。前の歴史では無名だったが、実力では二人の英雄に匹敵するシャルル・ルフェーブル。この三提督のうちの一人と部隊の主導権を巡って争うなんて、想像するだけで気が重い。

 

「もう少し切実な理由もあるのだよ」

「と申しますと?」

「一例を挙げると、ローゼンリッターの連隊長だったワルター・フォン・シェーンコップという男がいる。君もヴァンフリート四=二で会ったことがあるはずだ」

「はい、シェーンコップ准将のことはよく知っております」

 

 トリューニヒトの口からシェーンコップの名前が出てきたことに穏やかならざるものを感じた。凡人同士の連帯を唱えるトリューニヒトと反骨精神の塊シェーンコップ。この二人の相性は間違いなく最悪だ。

 

「率直に言ってくれたまえ。どういう男だと思う?」

「格好いい方ですよね」

「外面ではない。内面だ」

 

 はぐらかすことに失敗した。ごまかしが通じないとなると、慎重に答えねばならない。マフィンを食べて心を落ち着けてから、ゆっくりと口を開く。

 

「底知れない方だと思います」

「君らしい善意的な表現だね。私なら油断ならないと言うが」

 

 トリューニヒトの顔は微笑みをたたえているが、目は笑っていない。

 

「その油断ならない男が現在はヤン君の下でイゼルローン防衛司令官臨時代理を務め、要塞防衛マニュアルの作成にあたっている」

「我が国には要塞防衛のノウハウがありません。帝国軍の残したマニュアルを元に同盟なりのノウハウを積み上げていく必要があります。シェーンコップ准将は実戦指揮のみならず、教育訓練においても力量のある方。適任ではないでしょうか」

 

 今はローゼンリッター連隊長を務めるカスパー・リンツから聞いたシェーンコップの指導法を思い出した。部下に仕事を任せて自分はチェックに専念する。穴が見つかったらフォローして、フォローしきれなかった場合は自分が責任を負う。実務を知り尽くしたシェーンコップのチェックとフォローによって、部下は安心して経験を積める。そうやってリンツやブルームハルトのような優れた人材を育てた。陸戦の天才は教育訓練の天才でもあった。

 

「我が国に要塞防衛の専門家はいない。シェーンコップ君がイゼルローン要塞の防衛マニュアルを作成すれば、彼は要塞機能のすべてを知る唯一の存在となる。それがどれほど危険なことか、わからない君ではないだろう」

 

 トリューニヒトの言葉にはっとなった。官僚組織で最も強いのはノウハウを知り尽くした者だ。たとえば、クレメンス・ドーソン中将のパワーの源は豊富な業務知識にある。どんなポストに就いても圧倒的な知識をもって、「ドーソン中将に話を通さなければ、仕事が回らない」という状態を作ってしまうのだ。いざとなったら反乱も辞さないような危険人物に話を通さなければ、イゼルローン要塞を運用できない。途方も無い事態だ。

 

「シェーンコップ准将抜きで要塞を運用できなくなりますね」

「そう、あの危険な男が五〇万の防衛軍と難攻不落の要塞を支配することになるのだ。国家の安定にとって、重大な脅威だろう」

「ハイネセンに召還することはできないのですか?」

 

 あのシェーンコップとイゼルローン要塞の支配権を巡って抗争するなど、想像するだけで胃が痛くなりそうだった。人事権を持つ国防委員会はトリューニヒト派の牙城だ。辞令一枚でケリが付くなら、それに越したことはない。

 

「権力と権威は往々にして一致しないものでね。権力を持っていても、権威が無ければ意味が無いのだよ。議長の椅子も座り心地が悪くてね。みんな私の言うことを聞いてくれないんだよ。あのアルバネーゼの首すら飛ばせない有様だ」

 

 トリューニヒトは苦笑を浮かべた。彼は最高評議会議長就任後、議会第一党である改革市民同盟代表も兼ねることとなった。しかし、党の主流派は非主流派のトリューニヒトに協力しようとはせず、ことあるごとに足を引っ張った。帝国領遠征に対して非協力的な姿勢を貫いたため、軍部での発言力も伸びていない。ヤン中将やビュコック中将といった反トリューニヒト的な人物が台頭したことを考慮すれば、相対的には後退したといっていいかもしれない。

 

 果断な戦後処理を期待されたトリューニヒトであったが、政界と軍部に根を張る遠征推進派の抵抗を排除することはできなかった。多くの場面で妥協を強いられ、そのたびに市民は失望を買った。支持率は下落の一途をたどり、三月の総選挙を乗り切るのはほぼ不可能と見られている。

 

「心中お察しします」

「こんなことになるなら、レベロに議長職を渡しておけば良かった。そうすれば、私も政権内野党として好き勝手できたんだがね。上にいる者の足を引っ張るのは簡単だが、下にいる者を蹴落とすのは難しい」

 

 何と言っていいかわからない。トリューニヒトは一昨年のヴァンフリート四=二基地攻防戦以来、党内主流派に負け続けてきた。それでも非主流派の実力者としての地位を保てたのは、責任を負わずに済む立場だったからだ。負けても一旦引けば傷を負わずに済む。しかし、今はそうもいかない。失敗するたびに責任を問われて傷を負う。

 

「軍部の抵抗が激しくて、軍法会議の見通しも立っていない。告発できない可能性も出てきた」

「本当ですか?」

「血を流さなかった者に発言力はない。それが軍人の論理のようだ。良くシトレ派の者が言ってるだろう?『安全な後方から戦争を口にする以上に醜いことはない。戦場に立ってから言ってみろ』と。要するに彼らから見れば、我々が安全な場所から無責任に煽っているだけに見えるのだな。『血をまったく流していない政治家がしゃしゃり出て、血を流した者を断罪するのは我慢ならん。おまえらの都合を押し付けられた者のことも考えろ』ということらしい」

 

 その主張の文面自体は筋が通っている。俺もシュテンダールにいた時は、後方から無責任に煽り立てる連中に怒りを感じたものだった。ただ、それが総司令部を免罪する理由になるというのは不思議である。総司令部こそ安全な後方から戦争を煽った連中ではないか。

 

「俺のシュテンダールにいた時は同じような怒りを感じました。総司令部に対してですが。軍上層部がそれを理由に総司令部を免罪しようというのなら、俺は同じ理由で総司令部に対する断罪を求めます」

「提督や参謀といった人種にとっては、総司令部のオフィスで後方と前線の板挟みに苦しむのも血を流したうちに入るらしい。ストレスで体を壊す者も多いし、失脚すれば残りの人生は生きた屍も同然になる。死傷者が出るという点では前線と変わりない。戦争において我々がそのようなリスクを冒さなかったというのは事実だ」

「おっしゃることはわかります。しかし、総司令部が血を流したことで免罪されるのなら、俺達が前線で流した血に対する責任は誰が取るのですか?」

「彼らの論理を使えば、政治家が取ることになるのかな。遠征を止められなかった責任、総司令部に政治の都合を押し付けた責任。だが、政治家の戦争責任そのものを問う法律はない。失政を裁いてはならないというのは、民主主義社会の前提だからね。どうしても裁きたいのなら、関連する不正行為を個別に裁くことになるだろう。たとえば、中央情報局と軍情報部とフェザーン駐在高等弁務官事務所の情報操作疑惑のような」

「要するに軍上層部がノーといえば、総司令部は裁けないということですか?」

「軍の協力なしで軍法会議を成立させるのは困難だ。ロボス元帥の責任を追及すれば、どうしても総参謀長のグリーンヒル君、作戦主任のコーネフ君、情報主任のビロライネン君、後方主任のキャゼルヌ君らの責任問題に発展する。シトレ派としては、後方と前線の板挟みに苦しんだグリーンヒル君やキャゼルヌ君をどうしても救ってやりたい。ロボス派としては、何としてもコーネフ君とビロライネン君を温存して再起に繋げたい。そこで利害が一致した」

 

 何とも気分の悪い話だった。遠征軍の中枢にいた総参謀長や主任参謀らが責任を免れるはずもない。仮に軍上層部の主張するように、若手参謀グループに実権を奪われていたのだとしたら、その無力に対する責任を負わねばならない。若手参謀より軽いと仮定しても、責任自体は存在するのだ。

 

「彼らのシナリオ通りに進んでも、軍法会議を開いて責任の軽重を問う必要はあるでしょう。無為無策だから許されるなんて立場でもないでしょう?」

「グリーンヒル君は最悪の事態を回避するために努力した」

 

 そこで言葉を切った後、トリューニヒトは紅茶にクッキーを浸してから口に入れる。ゆっくり咀嚼して飲み込んでから、意地の悪い微笑みを浮かべた。

 

「ということになっている」

「それは聞いています」

 

 グリーンヒル大将はロボス元帥とも前線の提督とも親しい関係にある。そのため、提督達の細かい要望を非公式にロボス元帥に伝える役割を担っていた。半分以上はロボス元帥に受け入れられなかったし、取り次ぎを断られることも少なくなかったにせよ、グリーンヒル大将に借りがあると感じる者は多い。

 

「功績も多い」

 

 言葉を切ってから、トリューニヒトはまたクッキーを紅茶に浸してから口にする。飲み込んだ後にまた意地の悪い微笑みを浮かべた。

 

「ということになっている」

「それも知っています」

 

 第一二艦隊が撤退した翌日に占領地確保にこだわるロボス元帥を説得して集結命令という形で他の艦隊を後退させたのも、ルイス少将の献策を実行に移して輸送船団を襲撃から救ったのも、第一二艦隊がアムリッツァで補給を受けられろう計らったのも、提督達の要望を聞き入れて第一二艦隊に援軍を送ったのもグリーンヒル大将だった。俺の目にはアンドリューやセリオ大佐の背後で事態を傍観して、どうしようも無くなった時だけ収拾に出て来る人に見えるが、軍上層部には救いの神と認識されていた。

 

「グリーンヒル君は誰かが一方的に得をすることも一方的に損をすることも望まない。誰も傷つかない解決案を提示すること、全員が等しく痛い目を見る妥協案を提示することにかけては、右に出る者はいない。最善より次善を求める。どんな場合でも彼がいれば、最悪は回避できる。軍上層部は安全装置としてのグリーンヒル君を高く評価している。ビュコック君、ルフェーブル君、ヤン君も彼に対してはきわめて好意的だ。最大の功労者たる彼らの意見は無視できない。グリーンヒル君の告発は見送らざるを得ない。総参謀長を告発しないのなら、総司令官の告発も難しい」

 

 グリーンヒル大将が安全装置であるという表現は言い得て妙だった。第一二艦隊の撤退要請は無視したが、ギリギリで全滅を防ぐための手は打ってくれた。第六次イゼルローン攻防戦ではラインハルトを打ち破る作戦指導はできなかったが、部分的にヤン・ウェンリーの策を採用して全面敗北を防いだ。確かに功績は大きい。グリーンヒル大将と直接折衝した人は感謝するだろう。一五〇〇万の死を招いた責任を贖えるだけの功績とは思えないが。

 

「それにロボス派も重鎮のアップルトン君やホーウッド君を失った。アル・サレム君は重傷を負った。個人的にロボス君を許せなくても、血を流したロボス派は救ってやりたいという感情を持つ者も多い。第一二艦隊のヤオ君なんかはそうだな。彼の場合はロボス派の崩壊によって、私の力が相対的に強くなることを警戒する気持ちもあるだろうが」

「ここでも血の論理ですか……」

 

 苦い気持ちが胸の中を満たしていく。前の歴史の本を読んだ時には、「血を流した者だけが戦争を語れ」の論理が絶対的に正しいと思い込んでいた。獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムも英雄ヤン・ウェンリーもこの論理を掲げて、安全な場所から戦争指導にあたる権力者を無責任と糾弾した。それがまさか責任回避の論理として利用されるとは、夢にも思わなかった。

 

「民主主義体制ではなぜ後方にいる文民が前線の軍人を統制するのか、エリヤ君はわかるかい?」

「軍人が戦争指導の全権を握ったら、軍事独裁政権が生まれてしまうからです」

「では、絶対に政治的野心がないと保証できる軍人になら、戦争指導の全権を委ねてもいいのかな?」

「そういう軍人がいたら、委ねてもいいのではないでしょうか。軍人の方が戦争には詳しいですし」

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、前の歴史のヤン・ウェンリーだった。何度も政府に野心を疑われたが、彼が権力を求めていなかったことに関しては多くの証言がある。

 

「エリヤ君の言うことは間違いだ」

 

 表情や口調こそ穏やかであったが、一切の妥協を許さない強固さがあった。冷や汗が背中を流れる。

 

「何が間違いなのでしょうか?」

「民主主義の原則は圧倒的な強者を作らないことだ。血を流さない文民が戦争指導をすることで、軍人と文民の力を拮抗させる。そうやって、戦争指導者の力をあえて弱める。血を流した軍人が戦争指導を行れば、発言力が大きくなりすぎて、文民は一言も口を挟めなくなってしまう。文民による断罪を拒否している今の軍上層部を見ればわかるだろう?文民の口出しを許さない戦争屋なんて、政治に手を出す気がなくても大迷惑だ」

 

 トリューニヒトが苦々しさをこうもはっきりと出すのは珍しい。表情や口調はまったく変わっていないのに、感情の強さははっきりと伝わってくる。

 

「彼らはどうやらシビリアンコントロールというものを勘違いしているらしい。クーデターを起こさなければ、あるいは勝手に戦争を起こさなければ、民主主義を尊重したことになると思い込んでいる。国家救済戦線派と自分達が違うと思っているのなら、思い上がりも甚だしい。いずれ戦争屋どもにシビリアンコントロールというものを教えてやらねばな」

 

 一瞬だけトリューニヒトが俺の全く知らない人間のように見えた。彼の全身から放射された強烈な負の感情に、心臓が握り潰されそうなプレッシャーを覚えた。

 

「どうしたんだい、エリヤ君。マフィンを持ってこさせようか?」

 

 いつもと同じ優しそうなトリューニヒトの声で我に返る。

 

「お願いします」

 

 必死で動揺を抑える。

 

「私は政治家だ。軍部の意思がどうあろうと、主権は国民にある。彼らの期待を裏切るようなことはしないよ」

 

 トリューニヒトの微笑は未だかつて見たことがない不吉な色を湛えていた。

 

 

 

 結局、帝国領遠征の敗戦責任を問う軍法会議が開かれることはなかった。総司令官ロボス元帥は病気のために若手参謀グループの暴走を招いた責任を取って、宇宙艦隊司令長官を辞任すると同時に軍籍から退いた。軍令の責任者である統合作戦本部長シトレ元帥も同時に軍籍を退き、同盟軍を支配した二元帥の時代は終焉を迎えた。

 

 総参謀長グリーンヒル大将も若手参謀グループの暴走を招いた責任を問われた。統合作戦本部作戦担当次長と宇宙艦隊総参謀長を解かれて、国防委員会査閲部長に転任した。国防委員会内部部局の部長職は正規艦隊司令官に匹敵する要職である。グリーンヒル大将は左遷されたが、軍中枢には留まった。統合作戦本部長への含みを残した温情人事である。敗北を回避するために最大限の努力をしたこと、寛大な処分を望む軍上層部の意見が考慮されたと言われる。

 

 作戦主任参謀コーネフ中将は第一八方面管区司令官、情報主任参謀ビロライネン少将はバンプール星系警備管区司令官、後方主任参謀キャゼルヌ少将は第一四補給基地司令官に左遷された。彼らも若手参謀グループを止められなかった責任を取ったのである。グリーンヒル大将と比べると重い処分ではあるが、数年後の中央復帰は確実視されている。

 

 若手参謀グループの中心人物で最大の戦犯とされるアンドリュー・フォーク准将の告発は見送られた。転換性ヒステリーで倒れた後に軍医団による精神鑑定を受けた結果、「遠征開始前後より深刻な心神喪失状態にあり、責任能力は認められない」と判断されたのだ。予備役に編入された後、精神病院に収容された。彼が倒れてからその役割を引き継いだリディア・セリオ大佐もやはり心神喪失状態にあったと判断されて、告発を免れた。

 

 若手参謀グループでアンドリューやセリオ大佐に次ぐ立場にあったヘロニモ・ベルドゥゴ准将ら三名は予備役編入。総司令部で作戦指導に関与した一一名、ハイネセンの軍中央機関で政治工作に関与した一九名は辺境に左遷。主任参謀とは違い、中央には決して戻れない片道切符であった。

 

 戦犯の断罪を望んでいた市民はこの結果に憤慨した。若手参謀グループが一人も告発されなかったことはもちろん、総司令部首脳陣に対する寛大過ぎる処分も怒りを刺激した。作戦指導の失敗を若手参謀グループの暴走によるものとして、首脳陣の免罪を試みた軍上層部のシナリオに市民はノーを突きつけた。遠征期間中ほとんど表に出ようとしなかった首脳陣は、市民の目には無責任に映ったのだ。

 

 民主化支援機構幹部の処遇も市民を激怒させた。理事長ロブ・コーマックは退役軍人支援機構理事長、副理事長ユルゲン・フォン・ハッセルバッハは全国亡命者協会会長、専務理事ワン・チー博士はテンプルトン大学理事、専務理事マリーズ・ジレはフィッツウィリアム社上席副社長、事務局長ソフィア・ララインサは財務委員会高等参事官に就任。その他の理事や上級管理職もそれぞれ新しいポストを得た。しかも、三人の辞退者を除く全員が高額の退職金まで受け取るという厚顔ぶりである。

 

 遠征推進派の政治家や文化人も何一つ制裁を受けていない。最高評議会の評議員、改革市民同盟と進歩党の執行部役員の中で遠征を支持した者は辞職したが、依然として代議員の地位を保っている。

 

 失政それ自体を裁く法律は存在しない。言論によって世論を誘導する行為それ自体を裁く法律も存在しない。それらを裁けば、民主主義の根幹が崩れてしまうからだ。それでもなお問わずにはいられない。

 

「政府と軍部が暴走した時でも、民主主義のルールを守らねばならないのか」

「民主主義のルールでは暴走した者を止められないのではないか」

「民主主義のルールはもしかして間違っているのではないか」

 

 それに対しては二つの答えがある。

 

 一つ目は「民主主義のルールが間違っている」という答え。統一正義党代表マルタン・ラロシュは、「支持者の顔色を伺う政治家とそれに追従する高級軍人のエゴが遠征を失敗に導いた。そして、彼らは同盟憲章が保証する権利に守られている。民主主義とは無責任のことなのだ」と主張する。遠征を支持したために失速したラロシュであったが、断罪を求める世論に迎合しつつ、「遠征そのものには正義があった」と信じたい主戦派の欲求に応えることで勢いを取り戻した。

 

 二つ目は「民主主義のルールは正しい。ただ、正しく運用されていないのだ」という答え。反戦市民連合のジェシカ・エドワーズは、「選挙で政治家を選ぶだけでは、民主主義は正しく機能しません。政治家が期待通りの仕事をしているかどうか、市民が監視して初めて機能するのです。私達は政治家に政治を任せきりにしてはいなかったでしょうか?彼らが何をしているか、正しく理解していたでしょうか?」と問いかける。遠征にまつわる意思決定の不透明さを批判することによって、エドワーズは「推進派に騙された」と憤慨する世論の支持を得た。

 

 推進派を断罪できないトリューニヒト政権の支持率は二〇パーセント台まで落ち込んだ。それに反比例するように過激主戦派の統一正義党と急進反戦派の反戦市民連合の支持率は急上昇した。遠征前にサンフォード前議長が「このままでは左右の急進派に挟撃されて、連立与党は惨敗する」と危惧した事態が生じたのだ。

 

 トリューニヒトのファンである俺にとっては、あまり望ましくない展開であった。遠征中のラロシュのふざけた発言は絶対に許せないし、エドワーズは国防予算削減を公約に掲げているから支持できない。ただ、総司令部や民主化支援機構を断罪できないトリューニヒトの指導力に不安を感じるのも事実である。トリューニヒトは良い人だけど、はっきり言って喧嘩は弱い。一昨年はアルバネーゼ、昨年は遠征推進派と争って敗れた。彼に断罪は期待できないんじゃないかと感じる。

 

 遠征推進派や総司令部を断罪したところで、ダーシャは帰ってこないのはわかってる。謝罪させたところで、撤退戦やアムリッツァで死んだ部下に届かないのもわかってる。ただ、何らかのけじめは付けてもらわないと、俺の気分がすっきりしないのだ。禊ぎを終えた後に軍部の頂点へ上り詰める総司令部首脳、地位や名声をほしいままにする民主化支援機構幹部を見るのは耐え難い。

 

 ハイネセン国防中央病院の待合室でぼんやりとテレビを見ていた。三流コメディアン上がりの司会者は、いつものように軍部批判を展開する。帝国領遠征の惨敗、戦犯に対する甘すぎる処分は軍部を嫌われ者にしてしまった。新体制では反戦派に近い軍人が主流派となっているため、主戦派も遠慮なく軍部を攻撃した。

 

「軍人諸君は恥を知らないのか!」

 

 その司会者の言葉に待合室にいる人々は縮こまったように見えた。軍服を着用している者はほとんどいない。軍服を着て街中を歩くことが恥ずかしいのだ。

 

 ため息をつきながらテレビを見ていると、急にニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。画面は切り替わり、家が炎上する様子が映し出されている。

 

「こちらハイネセンのオークス地区です!家が炎上しています!この家の持ち主はラザール・ロボス退役元帥とみられます!」

 

 若い女性レポーターは目を大きく見開き、絶叫するように第一報を伝える。

 

「やったぞ!」

「ざまあ見やがれ!」

 

 待合室では歓声があがる。俺は驚きのあまり、声も出せなかった。

 

「見てください!ロボス退役元帥の家が燃えているのです!」

 

 画面を通しても、レポーターの歓喜が伝わってくる。出入りするロボス元帥の家族からコメントを取ろうと張り込んでいたら、予想外のスクープを掴んで喜んでいるのだろう。下品といえば下品だが、待合室にいる誰もそれを咎めようとはしない。

 

 歓呼に包まれる待合室の中、俺はじっと炎上するロボス元帥の家を眺めていた。燃え盛る炎が俺の心のもやを焼き払ってくれる。そんな錯覚を覚える。

 

 興奮して叫び続けていたレポーターにジャンパーを着た姿の男が走り寄ってきて何かを手渡す。レポーターは叫びを止めると渡されたものを見て、まだ大きくなる余地があったのかと驚くほどに目を見開いた。

 

「犯行声明です!たった今、憂国騎士団が犯行声明を出しました!今から画像を流します!」

 

 画面が切り替わり、白いマスクに憂国騎士団行動部隊の制服を身にまとった男五人が画面に現れた。真っ暗な部屋の中、照明が男達を照らしだしている。一人が真ん中に立ってマイクを握り、他の四人は視聴者を威圧するかのように警棒を構えていた。

 

「我々憂国騎士団は本日一二時、国賊ラザール・ロボス宅破壊作戦を敢行した!私利私欲から三〇〇〇万将兵に塗炭の苦しみを味わわせ、一五〇〇万を敵の手に委ねておめおめ逃げ帰ってきたにも関わらず、一命をもって詫びようともせず、裁かれることもなく、のうのうと生き延びるなどまったくもって許し難い!我々は天に替わってロボスに鉄槌を下し、異国に空しく散った御英霊を慰めるものである!」

 

 マイクを握り締めて声明を読み上げる白マスクの男の姿は、どこか現実感が欠けていた。まるで芝居を見ているようだ。

 

「恥知らずの国賊ども!これで終わりではないぞ!次は貴様の番だ!天は貴様らの罪を決して許さない!法が裁かぬのならば、我らが裁く!貴様らは決して逃れられない!卑劣漢にふさわしい報いをくれてやる!」

 

 白マスクの男はカメラに向かって指を突きつける。憂国騎士団の苛烈な断罪宣告に待合室は静まり返っていた。俺の心臓の鼓動は、容易ならざる事態の始まりを告げていた。


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