銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百四話:チームフィリップス再起動 宇宙暦797年3月25日~3月28日 第三巡視艦隊司令部

 帰還兵歓迎式典が執り行われた三月二五日、俺は空席だった首都防衛副司令官に就任。交通事故で入院した首都防衛司令官ロモロ・ドナート中将の代理として、首星ハイネセンの守りを担う首都防衛軍を指揮下に置いた。

 

 この二週間の間に、ハイネセン周辺に駐屯する地上部隊の指揮官が立て続けに職務遂行不可能な状態に陥り、過激思想を信奉する国家救済戦線派の幹部が指揮権を掌握した。首都に近い地上戦力の半数が過激派の手中に落ちたというのは、極めて深刻な事態である。国防委員長ネグポンティと統合作戦本部統括担当次長ドーソン大将は、国家救済戦線派が地上部隊を掌握してクーデターを企てていると判断。サンドル・アラルコン少将の宇宙防衛軍掌握を阻止するために、俺を司令官代理に任命したのだ。

 

 首都防衛軍は地上部隊三個軍団と宇宙部隊一〇個戦隊の他、宇宙防衛管制隊、軌道防衛隊、大気圏内空軍なども傘下に収め、宙・陸・空すべての攻撃に対応する能力を持つ。ハイネセンに駐屯する正規艦隊や中央地上総軍といった外征戦力を指揮下に収めることはないが、一つの惑星を警備するには十分すぎる戦力を持つ。同盟政府の近衛隊とも言うべき部隊が過激派のアラルコン少将に掌握されたら、確実にクーデターが起きる。この任務の成否に、民主政治の未来がかかっていた。緊張せずにはいられない。

 

 憲兵司令部から取り寄せた資料によると、首都防衛軍の三割が既に国家救済戦線派に浸透されていた。他の部隊も主要幹部の顔ぶれから判断するに、反トリューニヒト色が強いと見られる。俺の司令官代理就任に対し、「首都防衛軍をトリューニヒト親衛隊にするつもりか」と不快感を示す者も少なくないと聞く。

 

 いかに部隊が反感を抱いていても、上位司令部がしっかりしていれば抑え込むことはできる。司令部は報告書や記録類を通して、部隊の弱点を知ることができる。司令部から送られてくる補給と情報が無ければ、部隊は行動できない。帝国領遠征において総司令部を敵に回した第一二艦隊がたちまち窮地に陥ったことは、苦い記憶として残っている。首都防衛軍司令部を掌握すれば、国家救済戦線派を抑えるのも難しくないと思っていた。

 

 しかし、司令部に着任して早々に、参謀長イヴェット・チャイルズ少将をはじめとするスタッフの冷ややかな視線に直面した俺は、自分が甘かった事を知った。参謀のほとんどは、ドナート中将と同じ旧シトレ派である。政治が軍に介入することを何よりも嫌う彼らは、俺の司令官代理就任を司令官の入院に付け込んだトリューニヒトの介入と判断したらしい。

 

 首都防衛軍の現状を把握しようと思って参謀に情報提供を求めても、部外者への説明用に簡略化したような薄っぺらいファイルが出てくるだけ。書類はすべて参謀が処理してしまって、俺は最後のサインのみを求められる。一つ一つ細かく条件指定した上でしつこく催促しないと、資料の一つも出てこない。

 

「将兵の借金問題に関する資料を持ってきてくれないかな」

「それでは曖昧に過ぎて、どの資料を閣下が必要となさっているのかわかりかねます」

 

 まともな参謀なら関係する資料をひと通り持ってきて、要不要は司令官に選ばせるものだ。

 

「関係する資料をひと通り持ってきてくれたらいいから」

「ですから、何がどう関係するのかわかりかねると言っているのです」

 

 もちろん、参謀の仕事をしている人間がわからないということは有り得ない。仮にわからないのであれば、資料が保管されている場所に司令官を連れて行って、一緒に探すぐらいのことはする。

 

「ああ、済まない。部隊ごとの借金トラブル発生件数に関する向こう三年間の統計」

「そんな名前のファイルはありません。ファイル名を正確に言っていただけなければ、取り出しようもありません」

 

 もちろん、資料のタイトルを一言一句正確に言わなければならないという決まりはない。しかし、不満そうな表情を見せるとこう言われる。

 

「他の部隊のことは存じませんが、首都防衛軍ではそのように決まっております」

 

 実に官僚的な答弁である。旧シトレ派は融通が効くというイメージがあるが、長年にわたって巨大組織の同盟軍を動かしてきたトップエリート集団だけに、こういうやり口はお手のものなのだ。第一二艦隊の無断撤退を総司令部に伝えた時のグリーンヒル大将の対応は、官僚的な巧妙さに満ちていた。

 

 頭脳、耳目、手足となるはずの参謀がこんな態度では、まったく仕事にならない。しかし、ドナート中将が選んだ参謀を、代理に過ぎない俺が勝手に更迭するわけにはいかなかった。部隊運営そのものは手続きに則って滞り無く進んでいるため、職務怠慢で告発することもできない。エリート参謀の巧妙な抵抗の前に、手も足も出なかった。こんな有様では、首都防衛軍司令部は頼りにならない。

 

 首都防衛軍副司令官は地上部隊の軍団長、もしくは三~四個戦隊からなる巡視艦隊の司令官を兼ねる。クーデターに備えるのであれば、地上部隊を率いた方がいいが、俺は地上部隊運営のノウハウを持っていなかった。部隊を掌握する前に国家救済戦線派が行動に出てしまっては、元も子もない。だから、第三巡視艦隊司令官に就任した。

 

 第三巡視艦隊の保有戦力は三個戦隊二〇三〇隻。首都防衛軍の中では例外的に反トリューニヒト感情が薄い部隊で、前任の司令官はトリューニヒト寄りだった。俺が司令官になっても他派閥の反感を買わず、なおかつ掌握しやすい部隊を選んだのである。首都防衛軍司令部の代わりに、この部隊を国家救済戦線派対策の拠点として活用することにした。

 

 まず、司令部の参謀を信頼できる人物で固めた。幸いなことに第三六戦隊で苦労を共にした参謀は、動かしやすいポストにいる者ばかりだった。俺を実戦部隊の指揮官にしようと考えていたトリューニヒトは、着任と同時にベストメンバーでチームを組めるように配慮してくれていたのだ。

 

 参謀長に元第三六戦隊参謀長チュン・ウー・チェン准将、副参謀長に元第三六戦隊人事部長セルゲイ・ニコルスキー大佐を起用した。チュン准将は従来通り司令部全体の采配、ニコルスキー大佐は管理業務全般を担当する。部隊規模の拡大に伴う業務量増加に対応するために、副参謀長職を設置した。

 

「作戦部長はニールセン中佐、情報部長はベッカー大佐に引き続きお願いしたい」

 

 俺がそう言うと、元第三六戦隊作戦部長代理クリス・ニールセン中佐、元第三六戦隊情報部長ハンス・ベッカー大佐は頷いた。

 

「副参謀長になったニコルスキー大佐の人事部長、統合作戦本部入りしたレトガー大佐の後方部長が空いたね。後任はどうしようか?」

 

 俺は参謀長チュン准将、副参謀長ニコルスキー大佐、作戦部長ニールセン中佐、情報部長ベッカー大佐の顔を見回した。統合作戦本部に転出したリリー・レトガー大佐を除く旧第三六戦隊司令部の部長級参謀を第四会議室に集めて、第三巡視艦隊の参謀チーム編成会議を開いているのだ。最も信頼する彼らには、ドーソン大将の許可を得て本当の任務を告げている。クーデター阻止のために必要なメンバーを集める会議でもあった。

 

「小官の後任はファドリン中佐で問題ないでしょう。人事部を良くまとめてくれるはずです」

「確かに彼女以上の人材は思い浮かばないな」

 

 ニコルスキー大佐の推薦通り、元第三六戦隊人事参謀のリリヤナ・ファドリン中佐を人事部長に昇格させることに決めた。

 

「難しいのは後方部だね。全体をまとめられる人がいない。レトガー大佐の統率力に依存しすぎてた。彼女がいずれ中央入りするのは既定路線だったから、リーダーシップを取れる人材を一人ぐらい採用するべきだったのに」

 

 自分の先見の明の無さに、思わずため息が出てしまう。元第三六戦隊後方部長のレトガー大佐は、ドーソン大将の腹心だった。階級こそ二つも違うが、トリューニヒト派内部では俺と対等に近いポジションにある。旧シトレ派にも顔が利く。中央の要職に登用される可能性は、十分に想定できた。手を打たなかったのは、俺のミスである。

 

「落としてしまったパンを嘆いても仕方ないでしょう。拾って食べれば良いのです」

 

 何を言いたいのか良く分からないチュン准将の微妙な比喩に、みんなで顔を見合わせる。行儀の悪いチュン准将は、しょっちゅうパンを床に落とすが、平気な顔で拾って食べるのだ。要するに「くよくよするな」ということなのだろうか。

 

「旧第二分艦隊司令部のメンバーから選ぶしかなさそうですな」

 

 ベッカー大佐が何事も無かったかのように話を進める。

 

 部隊規模が大きくなれば、当然それを動かすための参謀も増員しなければならない。知り合いの中から選びたかったが、憲兵司令部や第一一艦隊司令部で知り合ったドーソン系参謀は、みんな軍中央の要職に就いている。エル・ファシル警備艦隊で知り合った人は、半数が正規艦隊入りして、残りの半数はビューフォート准将の参謀になった。第一一艦隊第一分艦隊で知り合った人は、そのまま第一一艦隊司令部に横滑りしている。そこで第三六戦隊の上位部隊だった第一二艦隊第二分艦隊司令部の生存者を中心に選んだ。彼らは帝国領遠征を共に戦い抜いた戦友である。

 

「ヴォルゴード後方部長は戦死、後方部ナンバーツーのヴァルザー中佐はサルキシャン准将に引っ張られました。そうなると、パレ中佐かシャーキン中佐でしょう」

 

 チュン准将は第二分艦隊司令部後方部の主な参謀の名前をあげる。比喩を聞かなかったことにされたことなど、まったく気にかけていない。

 

「シャーキン中佐は切れ者だけど、切れすぎてちょっと怖いね。パレ中佐はシャーキン中佐ほど仕事はできないけど、温和で付き合いやすい。パレ中佐がいいな」

「では、パレ中佐にお願いしましょう」

 

 オディロン・パレ中佐の後方部長起用が決まると、作戦部長ニールセン中佐が肩から力を抜いて大きく息を吐いた。性格がきついシャーキン中佐が後方部長になったらどうしようと心配していたのだろう。

 

「部長職はこれで全部決まったね。次はこの二人の人事について、みんなの意見を聞きたい」

 

 俺がテーブルの上に置いたのは、元作戦参謀のエドモンド・メッサースミス少佐と元副官のシェリル・コレット少佐のファイルだった。

 

「まずはメッサースミス少佐。彼はコミュニケーション能力が高い。そして、真面目で努力家。だけど、ちょっと臨機応変さに欠けるように感じる。調整型の人材だよね」

「確かにそうですね」

 

 上司だったニールセン中佐は同意を示す。

 

「調整型の作戦参謀もそれはそれでありかもしれない。でも、彼の能力は兵站でより生きてくるような気がするんだ」

「しかし、彼は戦略研究科出身の秀才。理論をしっかり学んでいます。作戦以外をやらせるのは、もったいないような」

 

 首を傾げるニールセン中佐に、ニコルスキー大佐が頷く。反応を示さないのはマイペースなチュン准将と帝国出身で戦略研究科のことが良くわからないベッカー大佐。

 

 自由惑星同盟軍は常時臨戦態勢にあるため、任官後の軍人を軍学校で勉強させる余裕が無い。そのため、専門科に分かれて、基本的な参謀教育や指揮官教育を行う。専門科の中で最もレベルが高く、人気もあるのは戦略研究科。艦隊司令官や艦隊参謀に必要な戦略的戦術的素養の習得を主眼とする。卒業後は参謀となって、提督や参謀長を目指す。戦略戦術に強いことから、作戦立案や部隊指揮を任されることが多く、功績を立てやすい。同盟軍将官の六割がこの戦略研究科の出身であった。

 

「戦略研究科で学んだ運用理論は、兵站にも応用できる。あのセレブレッゼ大将は戦略研究科出身だしね。仮に兵站屋にならなかったとしても、兵站屋の視点を身に付けることで作戦屋としての幅が広がる」

「なるほど。確かに一理ありますね」

 

 史上最大の捕虜移送作戦を成功させて大将に昇進した時の人の名前は、ニールセン中佐とニコルスキー大佐を納得させるには十分だったようだ。

 

「さて、次はコレット少佐。少将の副官は大尉か中尉と決まってる。副官にはなれないから、参謀をやってもらうことになるね」

「参謀ですか……」

 

 ニコルスキー大佐が難しい顔をする。

 

「不満なんですか?彼女の頭脳なら十分務まるでしょうに」

「そう、ベッカー大佐の言う通り、頭脳なら十分、いや十分以上に務まる。だが、理論的基礎が弱い。戦略研究科で戦略戦術をやるか、経理研究科でロジスティックスをやった者でなければ、短期間で参謀業務に対応できない。戦略研究科でもロジスティックスを学ぶし、経理研究科でも戦略戦術は学ぶ。この両科は互換が効くが、他の科は難しい」

「その専門科制度ってのが良くわからんのですよ。小官の祖国では、士官学校生徒はすべてひと通りの知識を修得することになっていましたからね」

「我が国は帝国と違って、リソースに余裕が無いのでな。成績と適性を考慮して、参謀候補は研究科、前線指揮官候補は専修科と割り振ることで効率化を図っているのだ」

「秀才を集めて英才教育を施すってわけですか。そして、そこから漏れた者は専門職にすると」

「そういうことになるな」

 

 ニコルスキー大佐はベッカー大佐に、同盟士官軍学校の専門科制度を説明する。

 

「コレット少佐は陸戦専修科。陸戦指揮官を専門的に養成する科目だ。陸戦隊か地上部隊の大隊長が順当だろう。私としては陸戦隊に行ってもらって、いずれフィリップス提督のもとで艦隊陸戦隊を率いるための勉強をして欲しいと思うよ。専修科から将官になれる者は滅多にいないが、彼女の才能なら可能性は十分にある」

「まあ、確かに彼女の思考は戦術向きです。見栄えもいい。優秀な指揮官になるでしょうな。あれだけ頭が良いのに、戦略研究科とやらに行かなかった理由が良く分かりませんが」

「私にもわからんよ。世の中には不思議なことも多い」

 

 俺もその疑問は抱いていた。士官学校では優秀そうな生徒は、とにかく戦略研究科に行かせようとすると聞く。教え子が栄達したら、その教官の評価は半永久的に高まるからだ。コレット少佐ほど優秀なら、成績が悪くても教官が押し込もうとするはずである。

 

 たとえば、かのヤン・ウェンリーは中の上程度の成績だったが、戦略戦術関連の成績が抜群に良いことに注目したある教官が強引に押し込んだそうだ。嫌がるヤンを無理やり学年首席のワイドボーンと戦術シミュレーション勝負をさせて評価を高めてやり、戦史研究科廃止に加担して逃げ道を塞いだというから、念が入っている。あまりに強引すぎて、その教官は今でもヤンに憎まれているそうだが。

 

 しかし、戦略研究科を出ていないのであれば、なおさら参謀を経験させないといけない。俺自身、参謀経験のおかげで何とか指揮官が務まっているのだ。

 

「コレット少佐は積極性、柔軟性、分析力が抜群に高い。作戦向きの思考をしている。指揮官に進むにせよ、一度は作戦を経験して視野を広げて欲しいと思う」

 

 俺は宣言するように言った。

 

「勉強という意味での参謀ですか」

「そういうこと。副参謀長は彼女がいずれ将官になれると言った。将官になった時、参謀の視点の有る無しで大きく違ってくるはずだ。立案や分析ができない将官は、全面的に参謀に依存してしまうからね。ワーツ提督の例もある」

「あの方はワイドボーン参謀長に作戦を丸投げなさってましたからな。『俺には作戦は分からん。好きにやれ』と。当時は兵卒あがりの猛将と秀才参謀の美しい関係ともてはやされていましたが、あのような結果になってしまいました」

 

 三年前に戦死したラムゼイ・ワーツ少将の例をあげたら、ニコルスキー大佐の顔に浮かんだ難色が薄くなった。他の三人も興味深そうに聞いている。

 

「ワーツ提督は二等兵から叩き上げた猛将だったけど、参謀業務の経験は皆無。作戦はワイドボーン参謀長に丸投げして、自分は指揮に徹した。作戦というのは戦場の呼吸を感じる指揮官と、一歩下がった場所にいる参謀が異なる視点から協力して作っていかなければならない。ワイドボーン参謀長は優秀だったけど、一つの視点では足りない。だから、戦場の呼吸を読みきれずに、当時は少将だったローエングラム侯の奇襲を受けて敗死した。ワーツ提督が作戦を分かっていたら、展開は違っていたかもしれない」

「ビュコック大将は兵卒出身、ルフェーブル大将は士官学校の艦艇専修科出身ですが、ご自分で作戦案や分析書も作れますからね。参謀と対等に討論できる理論的素養もお持ちです」

 

 チュン准将は同盟軍を代表する二人の老提督の名前をあげる。いずれも参謀教育を受けていないにも関わらず、並の参謀では太刀打ち出来ないぐらい高い作戦能力を持った提督だ。

 

「そう、だから名将なんだ。前線一筋の両提督がどうやって作戦を勉強したのかはわからない。でも、後天的に身に付けることもできるわけだ」

 

 俺は出席者の顔をぐるりと見回す。

 

「コレット少佐はまだ二三歳。ビュコック提督やルフェーブル提督が作戦を勉強し始めた時期よりは何十年も早い。遅いなんてことはないよ」

 

 全員が賛成の意を示し、コレット少佐の作戦参謀起用が決まった。議論が少々長引いたが、彼女は今後のチームの中核になる人材の一人であることは全員が認めている。方針が分かれるのも当然であった。

 

「カプラン少佐はどうなさいますか?」

 

 ニコルスキー大佐が元人事参謀エリオット・カプラン少佐について質問する。

 

「駆逐艦の艦長に就任したばかりだ。急に動けと言われたら、彼も部下も迷惑するだろう」

「仰る通りです」

 

 俺の説明でニコルスキー大佐は引き下がった。トリューニヒト派の大物アンブローズ・カプラン代議員の甥にあたるエリオット・カプラン少佐は、能力も意欲も完全に欠けていたにも関わらず、どういうわけか参謀チームの中ではあまり嫌われていなかった。だから、排除するにもそれなりの説明が必要になるのである。

 

「彼はシュテンダールでベースボールの指導を通じて、住民との融和に大きく貢献した。現場で指導にあたってこそ生きる人材じゃないかと思うんだ」

「そう言えば、カプラン少佐は任官してからずっと司令部勤務でしたね」

「ミドルスクール時代はベースボール部のキャプテンだった。やはり、体を動かしながらリーダーシップを取るのが性に合ってるんだろうね。参謀では彼の良さを殺してしまう」

 

 空気が読めない上に仕事をしないカプラン少佐を目障りに感じた俺は、考課表を使って彼がいかに指揮官向きの人材かをせっせとアピールした。伯父のカプラン代議員に対しても、カプラン少佐のリーダーシップを賞賛した。その結果、めでたく駆逐艦の艦長に転出したのである。

 

「ところで今日面接したユリエ・ハラボフ大尉だけど、印象はどうだった?」

 

 今度はユリエ・ハラボフ大尉の処遇について話し合う。ドーソン大将の元副官だった彼女を採用することは、とっくに決まっていた。問題はどんな仕事を任せるかである。

 

「真面目な女性ですね。少々堅苦しいところはありますが、暗さはありません。人柄には好感を持てます。法律知識も豊富です。人事屋であれば、公正な仕事が期待できそうですね。ただ、人事経験を持たないのがネックになります。二六という年齢を考えれば、仕事に慣れるまで少々時間がかかるでしょう」

 

 ニコルスキー大佐は、人事屋としての立場から所見を述べる。

 

「でも、俺が初めて参謀を経験したのも二六の時だったよ」

「ご自分の適応力を基準になさるべきではないでしょう。付け加えますと、閣下は参謀に向いていないと考えます」

「どうして?」

「参謀には積極性は不可欠です。気づいたことは何でも指摘する。意見を通すためなら、手間は惜しまない。正面から通せないのであれば、搦め手から攻める。司令官に足りない部分を補うためなら、指示待ちではいけないのです。閣下は参謀としては、消極的に過ぎます」

 

 言われてみると、確かに俺は参謀に向いてない。第一一艦隊第一分艦隊の副参謀長だった時は良い仕事ができたが、あれは上司のルグランジュ提督が人使いの天才だったからだ。

 

「彼女は司令官閣下のご親戚ですか?」

「違うけど、どうしてそう思ったの?」

 

 ベッカー大佐の言葉に、びっくりしてしまった。確かにハラボフ大尉は俺の妹と顔の作りが似ている。しかし、俺と妹はあまり似ていないはずだ。それ以前にベッカー大佐と妹は面識がないが。

 

「いえ、印象が良く似てたので。国防委員会情報部の在籍経験があるとのことですが、知識量はなかなかですね。性格的にも情報向きでしょう」

 

 俺と印象が似てるというのは納得できなかったが、情報屋としての評価は納得できた。真面目で信頼の置ける人柄は、情報の世界では武器になる。イゼルローン方面軍のムライ参謀長は、優秀な情報屋と言われる。帝国のオーベルシュタイン総参謀長も前の人生で読んだ本によると、情報部出身だった。

 

「作戦以外は何でもできると思いますが、副官を任せてみてはいかがでしょうか」

 

 そう言ったのは、チュン准将だった。ハラボフ大尉と関係がこじれたきっかけは、副官の仕事だった。和解したとはいえ、そんな相手を副官に起用するというのは、少々心臓に悪い。

 

「どうしてそう思う?」

「コレット少佐と比べると柔軟性に欠けますが、周到さでは勝るという印象を受けました。憲兵司令部での勤務経験もあります。想定されるような任務であれば、ハラボフ大尉が適任でしょう」

 

 コレット少佐を副官に推薦したのもチュン准将だった。俺は気が進まなかったが、結局はチュン准将の意見が正しかった。今の俺はコレット少佐をチームの中核と考えている。ハラボフ大尉が副官にふさわしいというのもたぶん正しい。

 

 今回の任務は国家救済戦線派の監視、そしてクーデターの阻止である。情報に適性があるハラボフ大尉が副官に向いているというチュン准将の意見には、説得力があった。豊富な法律知識もこのような任務では武器になる

 

「参謀長の意見はわかった。ハラボフ大尉を副官にしよう」

 

 俺の後任の副官になったせいで失敗した人を副官に起用することになるというのも、妙な巡り合わせであった。そもそも、俺を嫌っていたはずの彼女が俺の部隊にやってくるまでの経緯自体が妙だった。

 

 

 

 第三巡視艦隊司令官就任が決まった当日、官舎でマフィンを食べながら端末を開いて司令部スタッフの人選を考えていた。呼ぶことに決めた人には、すぐに通信を入れて引き受けるかどうかを聞く。すぐに引き受けてくれそうな人を選んだため、リストはどんどん埋まっていった。そんな時にドーソン大将から携帯端末に通信が入ってきたのである。

 

「スタッフの人選は決まったか?」

「七割ほど決まりました。内諾も取れています」

「ほう、就任当日にそこまで意中の人材で埋めてしまうとは、大したものだ」

 

 ドーソン大将は感心したように、口ひげをひねる。大して上機嫌でもなさそうなのに、褒め言葉が出てくるなんて変だ。つい身構えてしまう。

 

「ところでだ、三割も空いてるのなら、一人ぐらい突っ込む余裕もあるのではないか?」

 

 来た。誰かを押し込んでくるつもりだ。ドーソン大将の性格なら、見込みのある若手は自分の手元に置いて育てる。トラブルメーカー、あるいは有力者の親族あたりを押し込んでくるつもりではないか。やっとカプラン少佐を追い出したのに、面倒なことになった。

 

「どんな方でしょうか?」

 

 余裕があるとは言わず、相手が何者かを聞く。大恩あるドーソン大将の推薦でも、あまりに変な人だったら断らなければならない。

 

「貴官はユリエ・ハラボフ大尉を高く買っていたな?」

「はい」

「それは今でも変わりないか?」

「変わりません」

 

 ハラボフ大尉の名前が出てきたことに戸惑いながら応答を続ける。確か、彼女は辺境に左遷されていたはずだ。ドーソン大将が大尉と呼んでいるということは、あれからまだ昇進していないことになる。経歴も能力も抜群なのに三年も昇進しないというのは、何かおかしい。

 

「貴官の司令部で使ってみる気はないか?」

「願ってもない話ですが、事情を聞かせていただけないでしょうか?」

「懲戒処分が重なって、予備役に編入されそうになっていてな。現在はすべての職を解かれて、ハイネセンで待命している。士官学校時代にハラボフ大尉を指導した小官の同期が、何とか救ってやりたいと言っておるのだ」

 

 驚きのあまり、即答できなかった。一つはハラボフ大尉が予備役に編入されかけているということ。一五〇〇万人を死なせたグリーンヒル大将やコーネフ中将ですら、懲戒処分は受けずに軽い左遷だけで済んだのに。そして、もう一つはドーソン中将に相談を持ち掛けてくるような同期の友人がいたことだった。言っちゃ悪いが、同級生には嫌われてそうなイメージがあった。

 

「懲戒処分の内容によっては、引き取りかねますが」

「小官も詳細は知らんが、友人は不当だと言っておったな。確かに半年間で八回も同一人物から懲戒申請されて、そのうち半分が通るというのは、只事ではない」

「濫訴ですね、それは。懲戒申請は伝家の宝刀。そんなに気軽に使うべきものではありません。そして、通す方も通す方です。ちゃんと調査した上で処分を下したのでしょうか?」

「最近の我が軍はモラルの低下が甚だしい。戦隊や星系警備管区のレベルでは、信じがたいことも多々起きている。シュパーラやリオ・ヴェルデの事件とかな。それもこれもちゃんと管理せんからだ」

 

 ドーソン大将は放任主義の旧シトレ派が多数派を占める管内で起きた事件をあげた。もっと酷いガンダルヴァの事件を挙げなかったのは、責任者がトリューニヒト派だからであろう。去年の大敗は同盟軍のモラルに致命的な一撃を与えた。市民の間に広がる反軍感情、甘すぎる戦犯処分に対する現場の反発、二線級の人材の上昇などが現場を大きく混乱させている。

 

「そのような理由で有為な人材が失われるのであれば、由々しき問題です。ハラボフ大尉はこちらで引き取りましょう」

「そうだ、人材は大事にせねばならんのだ。よろしく頼むぞ」

 

 ハラボフ大尉をまったく大切にしていなかったことも忘れて、ドーソン大将は言った。とにかく俺に引き取らせたいのだろう。ただ、彼女の意志を無視して話を進めるわけにはいかない。ドーソン大将や友人の名前を出す許可を得た後、ハラボフ大尉に通信を入れた。

 

「お久しぶりです。どういったご用件でしょうか?」

 

 二年八か月ぶりに聞くハラボフ大尉の声からは、強い警戒が感じられた。どういうわけか映像はオフになっている。

 

「今日、第三巡視艦隊の司令官に就任した。今はスタッフを選んでいるところだ。ハラボフ大尉にも来て欲しいと思ってる」

「私がですか……?」

 

 ますます警戒の色が濃くなる。画像がオンになっていたら、とても不機嫌そうなハラボフ大尉の顔が見えたに違いない。警戒を解く必要を感じた俺は、ドーソン中将やその友人の名前を出して事情を説明する。

 

「お誘いを頂いたのは、ドーソン大将閣下に対する配慮であると解釈してよろしいのですか?」

「俺は以前からハラボフ大尉の能力を評価している。ドーソン大将の依頼は、単なるきっかけに過ぎないよ」

「閣下には私の能力なんて必要ないでしょう。必死で仕事をしても、閣下に遠く及ばない程度の能力です」

 

 俺の後任は大変だと言った彼女に、「雑な仕事でごめんね」と返したことをまだ忘れていないらしい。あの発言をしたことは、今でも後悔している。来る来ないは別として、謝らなければならない。

 

「あの頃はどれだけ頑張っても完璧とは思えなかった。九九パーセントできても、一パーセント足りないことが気になった。一〇〇パーセントじゃなかったら、雑な仕事だと感じた。とんでもない間違いだったけどね。振り返ってみると、憲兵司令部では、自分の能力の範囲で最高の仕事をしたと思う」

 

 ここで一旦言葉を切る。当時の俺は他人を仰ぎ見るばかりで、自分の立ち位置がわからなかった。しかし、人の上に立つようになった今ならわかる。努力を欠かさないというのは、それ自体が一種の能力だ。俺は結構いい仕事をしてた。

 

「当時の俺は自分のことしか見えてなかった。他人の苦労がわからなかった。だから、ハラボフ大尉は完璧にやってると思い込んでた。無神経なことを言ってしまった。本当に済まないと思う」

 

 ようやく謝罪の言葉を口にできた。しかし、ハラボフ大尉からの返事はない。

 

「君が出してくれたコーヒーは、何の注文もしてなかったのに俺の好みに合っていた。憲兵司令官オフィスの書類はきれいに整理されていた。物の配置も良く考えられていた。君がどれだけ真剣に仕事に取り組んでいたか、少しは理解しているつもりでいる。俺が評価している君の能力というのは、そんな姿勢だ」

 

 機会があれば伝えようと、ずっと思っていたことだった。スクリーンは相変わらず真っ暗。顔が見えないのがもどかしく感じる。

 

「最初から完璧な人間はいない。だけど、人間は成長する。俺は自分が今よりもっと成長した時のことを考えてチームを組んだ。一緒に成長していけるかどうか、そして未来を共にしていけるかどうかを基準に選んだ。俺のチームに天才は必要ない。能力の範囲内で最大限の努力をする人、努力を惜しまない人、誠実で信頼できる人を求めている。つまり、君のような人だ」

 

 真っ暗なスクリーンに向かって語りかける。ハラボフ大尉はいったいどんな顔をしているのか。ちゃんと聞いててくれるのか。不安になってくる。

 

「改めてお願いしたい。ユリエ・ハラボフ大尉の力が俺のチームには必要だ。俺を助けて欲しい」

「喜んでお引き受けします」

 

 俺が言い終えるのとほぼ同時に、返事が帰ってきた。抑制の効いた声からは、感情が読み取れない。映像情報がない通信は、本当に不便だった。

 

 昨日の和解、そして副官起用決定を思い出して感慨にふけっていると、会議室に備え付けの通信端末が鳴った。特別な呼び出し音がする。チュン准将らは部屋から出て行った。ドーソン大将からの連絡が来た時のみ、この音が鳴る。そして、ドーソン大将からの連絡が来たら、俺以外の者は退室するように取り決めているのだ。

 

「フィリップス提督、今晩歓迎会を開く」

「場所はどちらでしょうか?」

「メイプルリッジ地区で一番ポテトサラダがうまい店だ」

「どのような芋を使っている店ですか?」

「メークインだ」

「了解しました。楽しみにしております」

 

 敬礼をすると、通信を切った。今の会話はすべて暗号である。「二〇時からカーニーシティー八七丁目一〇番地のマドゥライビル地下で、第一回の国家救済戦線派対策会議を開く。メンバーは出張中の一人を除いて全員出席」というのが、本当の内容であった。

 

 

 

 一九時四五分、マドゥライビル地下一階に降りて、「休業中」の札がかかった中華料理店の扉を開いた。真っ暗な店内をペンライトで照らしながら進み、厨房の奥にある「冷凍庫」と書かれた扉に手をかざす。

 

「掌紋確認しました」

 

 機械的な声とともに一つ目のロックが解除される音がした。今度は「あーあー」と声を出す。

 

「声紋確認しました」

 

 今度は二つ目のロックが解除された。最後にメーターを偽装したスキャナに眼球を映し出す。

 

「虹彩確認しました」

 

 三つ目のロックが解除される音とともに、扉が開いた。中は艦隊司令部の会議室のような部屋。スクリーン、通信設備、コンピュータなどが置かれている。長方形のテーブルには一〇人ほどが着席していた。

 

「ただいま到着いたしました」

 

 敬礼をすると、全員が一斉に立ち上がって敬礼を返す。一番の上座には議長役のドーソン大将、二番目の席には第一一艦隊司令官ルグランジュ中将が、三番目の席には新任の情報部長ブロンズ中将がいた。その他の者も全員将官である。ルグランジュ中将を除けば、親トリューニヒト的な将官であった。

 

「久しぶりだな、フィリップス提督。まさか、本当に貴官とともにラロシュ朝銀河帝国を打倒するために戦うことになるとは思わなかった。下手なことを言うものではないな」

 

 ルグランジュ中将は大きく口を開けて笑いながら、俺の手を力強く握る。一年前に彼が言った「ラロシュが銀河帝国を作ったら、一緒に倒してやろう」という冗談が本当になってしまった。

 

「一昨年の対テロ戦争、昨年のイオン・ファゼカスで情報部の威信は失墜した。名誉挽回を賭けて頑張るつもりだ。協力してくれ」

 

 ブロンズ中将は気さくな口調で語りかけ、俺の肩を叩く。彼は国防委員会監察総監部でトリューニヒトの意を受けて、粛軍に取り組んできた軍官僚だ。

 

 前の歴史ではルグランジュ中将とブロンズ中将は、クーデター政権の救国軍事会議に参加した人物であった。しかし、今回はマルタン・ラロシュと国家救済戦線派に対抗する側である。俺の記憶に残っている救国軍事会議メンバーは残り二人。事実上のナンバーツーだったエベンス大佐の動静は良くわからない。トップのグリーンヒル大将については、「クーデターを企んでいる」という噂が盛んに流れていた。

 

 一体、どんな展開が待ち受けているのだろうか。まったく先が見えなかった。


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