銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第八話:英雄を作る論理 宇宙暦788年5月23日 惑星シャンプール、星系警備艦隊基地

 シャンプールに降り立った翌朝。軍の宿舎の個室に泊まっていた俺はエル・ファシル脱出劇関連の報道を見ていた。

 

 立体テレビを付けると、どの局もエル・ファシル脱出劇の特番を組んでいた。俺がシャトルから降りてきた時の映像が繰り返し流れる。格好悪い自分の姿なんて見るのも嫌だ。ソリビジョンを消す。

 

 新聞を手に取ると、どの新聞も紙面の大半を使ってエル・ファシル脱出劇を報じていた。俺がシャトルから降りてくる写真が一面を飾っている。

 

「どうして俺なんだよ。ヤンの画像使えよ。あっちが英雄なんだからさ」

 

 ぼやきながら新聞をめくる。二面には「若き英雄」「同盟軍人の鑑」などという見出しとともにヤン・ウェンリーと俺の紹介記事が並んでいる。記事によると、俺の記者会見が不安になった市民を落ち着かせたおかげで脱出計画が成功したのだそうだ。

 

『僕たちは軍人ですよね。市民を守るのが仕事なのに自分だけ助かろうと思って逃げたら、卑怯者って言われるでしょう?それが嫌なんです』

『あいつはエル・ファシルで市民を見捨てて逃げた卑怯者だって一生後ろ指さされることに比べたら、全然怖くありません』

『市民を見捨てずに済んだ。胸を張って帰れる。そう思えば不安なんて全然ありません』

 

 記事の中では記者会見で語ったこれらの言葉が引用された。リンチ少将は「市民と部下を見捨てて逃げた卑怯者。同盟軍の恥」と糾弾され、俺は「不当な命令に従わずにエル・ファシルに残って市民保護の任務を全うした。同盟軍人精神の真髄を示した」と賞賛された。

 

 新聞を放り投げ、携帯端末でネットを見る。ニュース系のコミュニティでは「誰が真のエル・ファシルの英雄か」という議論が繰り広げられていたが、ヤンだけが英雄というのが大勢だった。それ自体は正しいと思う。しかし、「地味なヤンだけでは絵にならないから、爽やかキャラのフィリップスをセットにした」っていう意見が最有力説なのには首を傾げた。俺ほど爽やかとかけ離れた存在はそうそういないはずだ。

 

 また、なぜか事件の評価と無関係に俺の画像を貼り付けて評価するコミュニティが乱立し、「かわいい」「見た目ならエリヤが真の英雄」などと書きこまれていた。どうやらネットでは俺はルックスが良いということになっているらしい。ミドルスクールやハイスクールでも外見を評価されたことは一度もなかったのに。何か間違っている。

 

 アンケート系のサイトでは俺が「弟にしたい男性」の第一位になっていた。ちなみにそのサイトではヤンが「結婚したい男性」の一位になっていたので、あてにならないことは明らかだ。

 

 ある軍事系サイトで「フィリップス一等兵の行為は服従義務違反、抗命罪、逃亡罪にあたるのではないか」という質問を見かけてヒヤっとした。自分の法的扱いなんてまったく考えていなかった。ある日突然軍法会議に呼び出されたらどうしようと思った。恐る恐る回答を読む。

 

「現在公開されている情報の範囲ではリンチ少将のエル・ファシル離脱は上位司令部の承認を得た形跡がなく、臨時措置として正当化しうる法的根拠も見当たらず、職務上の命令とはみなし難いと思われる。よってフィリップス一等兵の行為は抗命罪を規定する同盟軍法第八十六条の『上官の職務上の命令に服従しない者』に該当せず、抗命罪は成立しない可能性が高い」

 

 なるほど。抗命罪はセーフなんだ。

 

「命令服従義務を規定する同盟軍法第三十三条は『軍人はその職務の遂行に当っては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない』と言っており、職務上の命令ではない違法な命令への服従義務は課していない。よって服従義務違反は成立しない可能性が高い」

 

 服従義務違反も大丈夫と。

 

「フィリップス一等兵の離脱には違法な命令の拒否という正当な理由があり、離脱当日に司令官が放棄した任務を引き継いだヤン中尉の指揮下に入って本来の職務を継続したため、逃亡罪を規定する同盟軍法第八十八条の『正当な理由がなくて職務の場所を離れ三日を過ぎた者』に該当せず、逃亡罪は成立しない可能性が高い」

 

 胸を撫で下ろす。自分のしたことにどんな法的根拠があるかなんて考えたこともなかった。俺にとっての法律は「破ったら警察に捕まる」程度のものだった。ちゃんとやり直すには法律のことも学ばないといけないな。夢の中でも法則を無視して思い通りにすることはできない。

 

 そう思いながらサイトを読んでいると、ドアホンが鳴った。画面を確認すると軍用ベレーをかぶった四〇歳ぐらいの男性の顔が映っている。きつい目つき、大きい鼻、厚い唇、角ばった輪郭、ブロンドの髪。表情はとても不機嫌そうだ。強面の登場に思わず身構えてしまう。

 

「おはよう。良く眠れたかな?」

「どちら様でしょうか?」

「軍の広報室の者だ。いいかな?」

 

 この表情と口調ではドアを開けた途端に「貴官の逮捕を執行する」と言われそうだ。なんでこんな人が広報室にいるんだろうか。そもそも、広報室の人が俺に何の用だ?考えていても仕方ないのでドアを開けて中に入れる。背は俺よりちょっと高いぐらい、つまり平均身長だが、肩幅や胸板の厚みが全然違う。階級章は少佐。宇宙軍なら駆逐艦艦長、地上軍なら大隊長を務める大幹部だ。

 

「統合作戦本部広報室のクリスチアンだ。貴官を担当することになった」

 

 クリスチアン?どこかで聞いた気がする。どこだっけ。それにしても、少佐なんて雲の上の人が俺の何を担当するんだろうか。

 

「担当って何の担当ですか?」

「スケジュール管理、メディア対応などを担当する」

「ちょっと待って下さい、どういうことです?」

「貴官にはしばらくの間、広報活動に従事してもらうことになった。いずれ正式な命令が出るはずだ。しばらくは取材、番組出演、イベントなどで休む暇もないだろうが、これも軍人の大事な任務だ。頑張ってくれ」

 

 今朝の報道だけでもうんざりなのにもっと騒がれるのか。俺はただ、白い目で見られずに普通に暮らしたいだけなのに。

 

「貴官は卑劣な司令官の不当な命令を拒絶し、任務を全うした。同盟軍人の誇りだ。広報官としての最初の任務が貴官の担当であることを小官は名誉に思う」

 

 少佐は俺の手を力強く握る。手を握られているのに頭が痛くなった。もしかして、この夢は悪夢なんじゃないか。逃げなくても結局不幸になるってことを教えるための悪夢なんじゃないのか。

 

 宿舎の食堂で昼食をとりつつ、クリスチアン少佐から今後のスケジュールの説明を受けた。これからハイネセンに向かい、統合作戦本部の顕彰式典に出席。その後しばらくは式典やパーティーの予定が詰まっていて、その合間に取材や番組出演の予定を入れていくのだそうだ。思わず溜息が出る。

 

「まるで芸能人みたいですね」

「貴官は英雄だ。勘違いするな」

「英雄はヤン中尉だけですよ」

「ヤン中尉達だけでは市民の動揺を抑えることはできなかった。中尉の指示を拒否する船長や単独脱出を試みる市民もいた。脱出作戦は破綻寸前だった。貴官の記者会見がなければ抑えられなかった」

 

 エル・ファシル市民が司令官の逃亡に怒ってたのは知っていたけど、そこまで深刻なことになってたなんて聞いてなかった。俺の知らない所で何があったんだろうか。

 

「そんなことがあったんですか?今知りました。何が起きていたんですか?」

 

 クリスチアン少佐は驚きの色をかすかに浮かべたが、すぐに表情を戻す。

 

「軍がエル・ファシル市民を見捨ててリンチだけを脱出させ、ヤン中尉はそのための時間稼ぎをした。市民はそう誤解した。軍が市民を見捨てることなど有り得ないが、不安に駆られた市民にはわからなかったのだ。自らエル・ファシルに残った貴官がいたおかげで不安を抑えられた」

 

 俺が自分の意志で残ったことをみんな強調するけど、そんなに重要なのか?出発直前にやってきてちょっと喋っただけにすぎない。脱出作戦を成功させたのはヤンと軍艦・民間船の乗組員達だ。その場にいた俺にはわかる。成すべきことをした彼らこそ英雄だ。

 

「反戦派どもは『軍はエル・ファシルを見捨ててリンチを脱出させた。ヤン中尉のおかげで事なきを得たが、軍の責任は追及すべきだ』などと言う。批判するしか能のない奴らめ!誰のおかげで安全に暮らせると思っているんだっ!」

 

 バーン、と大きな音がした。少佐がテーブルに右手の拳を叩きつけたのだ。食堂の中にいる人達が一斉にこちらを見るが、少佐はおかまいなしに熱弁を振るい続ける。

 

「軍が市民を見捨てて軍人だけ逃がそうとするなど有り得ん!あるはずがないのだっ!我々は市民を守る最後の盾だ!平和のために命を賭ける!それが同盟軍人の矜持だっ!命惜しさに市民を見捨てるなど軍人のすることではないっ!卑怯者のすることだっ!軍がそのような真似を許すとでも思っているのかっ!」

 

 またテーブルに拳を叩きつける音がする。今度は両手の拳。少佐が興奮するのに比例して、周りの人達が引いていくのがわかる。

 

「貴官は記者会見で敵軍より卑怯者と呼ばれることが怖いと言った。それこそがまさに名誉ある同盟軍人の精神なのだ。小官は録画で記者会見を見たが、感動に胸が震えた。軍人とは貴官のような精神の持ち主なのだ」

 

 少佐の目に涙が浮かぶ。賞賛されているはずなのに怖い。この人は今の俺を賞賛したのと同じ口でかつての俺を罵倒できる人だと悟った。そして、自分の立場が見えてきたのが怖かった。

 

 軍はエル・ファシルを見捨ててリンチ提督だけを脱出させたと疑われている。置き去りにされたヤンだけを英雄にすると、「軍に見捨てられたのに頑張った」と言われ、「エル・ファシルを見捨てた軍は責任を取れ」という批判を招くかもしれない。俺を持ち上げることで、「軍はエル・ファシルを見捨てていないのにリンチは勝手に逃げた。逃げなかったフィリップス一等兵こそ軍の意思に沿っているのだ」とアピールして疑いを晴らしたいんだ。そして、リンチ提督達を徹底的に悪者にする。

 

 俺への賞賛と逃亡したリンチ提督達への罵倒が表裏一体であることに気づいた時、背筋に冷たいものが走った。

 

「逃げた人達はどうなるんですか…?」

「帰国したら軍法会議にかけられる。判例から推測すると、リンチは階級剥奪の上で死刑、その他の者は共謀の程度によって死刑または懲役が妥当だろう。任務を放棄して逃げ出した卑怯者にふさわしい末路だ。帰国できたらの話だがな」

「事情を知らなくて司令官の命令に従っただけの人も…?」

「ただ従っただけでも違法行為に加担したことに変わりはない。事情を知らないということは罪を軽くはするが、無罪ではない。軍法会議にはかけられず、不名誉除隊処分。生還した捕虜に認められる一階級昇進無しといったところだ」

 

 捕虜交換から戻った俺は不名誉除隊処分を言い渡された。不名誉除隊者には退職金が出ない。恩給の支給対象にもならない。不名誉除隊は前科とみなされ、履歴書には必ず書かなければならない。あの時は従っただけで不名誉除隊になるのは理不尽だと思った。従ったことそのものが罪。それが軍隊なのか。

 

 本では「軍規は絶対」「敵前逃亡は死刑」「命令違反は厳罰」などと書いているが、実際に軍規がどう運用されるのかは知らなかった。自分が所属していた場所がどんな論理で動いていたか全然知らなかったんだ。俺には社会経験が足りない。二〇歳からの九年間を収容所で過ごし、帰った後は社会から排除された。ただ生きているだけだった。

 

「卑怯者には卑怯者にふさわしい報いを与える。それが軍だ。貴官が卑怯者になることが怖いと言ったのは正しい」

 

 捕虜交換後の俺は確かに報いを受けた。公式には不名誉除隊処分を受けたが、報いはそれに留まらなかった。世間から白眼視され、みんなに縁を切られ、一生を棒に振ってしまった。それなら英雄になった俺はどんな報いを受けるんだろうか?二階級昇進と世間が飽きるまでの注目だけでは済まないはずだ。

 

 社会を動かす論理は逃げた俺を排除し、逃げなかった俺を英雄に祭り上げた。祭り上げられた英雄は祭りが終わったらどこに行くんだろう?夢は覚めたらおしまいだけど、覚めなかったらどんな続きがあるんだろう。そんなことを思った。


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