銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百六話:断罪の果てに見えた過去の自分 宇宙暦797年3月30日~31日 第三巡視艦隊司令部~スシバー~官舎

 アンドリュー・フォークと直接会ったのは、昨年の七月末以来だった。そして、会話を交わすのは一〇月中旬以来。敬愛するロボス元帥を守ろうと奔走した末に倒れ、総司令部首脳陣の責任をすべて押し付けられた親友は、五ヶ月に及ぶ療養を終えて、再び俺のもとに現れたのだ。

 

 再会の場となったのは、第三巡視艦隊の応接室。テーブルを挟んで向かい合わせに座る親友の姿を見ると、感慨にふけらずにはいられない。ロボス元帥を選んだアンドリューと、第三六戦隊を選んだ俺は、去年の一〇月一七日に完全に決裂したと思ってた。しかし、アンドリューは退院したその足で、わざわざ俺を訪ねてきてくれた。

 

「どうしたの?」

「あ、いや、なんでもない。コーヒー飲みなよ」

 

 俺に促されて、アンドリューはコーヒーを飲んだ。俺が自らいれたコーヒーだ。佐官時代は自分でいれたコーヒーを来客に振る舞っていた。しかし、将官になってからは仕事が多くなって、副官や副官付下士官がいれたコーヒーを振る舞うようになった。しかし、今日はアンドリューをもてなすために、自分でいれたのだ。

 

「うまいね。やっぱ、エリヤのいれたコーヒーはうまいよ」

「だろ?」

「病院のコーヒーは本当に薄くてね。色がついたお湯みたいだった」

 

 アンドリューはコーヒーを口に含んで、噛みしめるように味わうと、力なく微笑んだ。去年と比べても、あまり体調が良くなったようには見えない。

 

「まあ、しばらくは自宅で療養するんだね。ゆっくり休んで栄養つけてさ」

「そういうわけにはいかない。すぐにでも軍務に復帰しないと」

「いや、焦ったらだめだ。疲れた頭では良い策も浮かばない。ベストコンディションで軍務に取り組まないと」

「大丈夫だって。完治したって主治医の先生が言ってた。今すぐ軍務に復帰できる」

 

 やつれ切った顔でそう言われても困る。主治医も主治医だ。無責任なことは言わないでほしい。どう見ても休養が必要じゃないか。

 

「トリューニヒト議長やネグロポンティ国防委員長に口添えしてくれないか。仕事が欲しい」

「どうしてそんなに焦ってるの?急ぐ必要ないだろ」

 

 いくらアンドリューの頼みでも、聞き入れるのは難しい。アンドリューを帝国領遠征の戦犯と信じ込んでいる者は多い。戦犯に暴力を振るえば、英雄扱いされる御時世だ。俺が口添えしても、世論受けを気にするトリューニヒトは、力になってくれないだろう。仮に復帰できても、受け入れる部署があるとは思えなかった。俺が第三巡視艦隊にポストを用意しても、間違いなく部下が猛反発する。ほとぼりが冷めるまで休職した方がいい。

 

「今の俺は予備役だろ?働かないと生活できないんだ」

 

 アンドリューが予備役ということを失念していた。それでは給料は出ない。官舎にも住めない。勤続期間は短く、武功勲章も持ってないため、年金受給資格は無い。退職金も雀の涙。若くして将官となった秀才も、今や単なる若年失業者なのだ。

 

 しかも、軍部とマスコミが全銀河にアンドリューの悪名を流布した。戦犯を雇ったことが明るみに出れば、抗議の電話が殺到する。戦犯の再就職先に対する襲撃事件も少なくない。民主化支援機構元専務理事マリーズ・ジレを重役として迎え入れたフィッツウィリアム社の本社ビルは、憂国騎士団にロケット弾攻撃を受けた。これでは戦犯を憎んでいない者でも、怖くて敬遠してしまう。時給七ディナールのコンビニ店員アルバイトにもありつけないだろう。やはり、世間が彼のことを忘れるまで休むべきではないか。

 

「貯金はないの?」

「ロボス派は飲み会多いでしょ?交際費がかかるんだよ。階級が高くなると、下の者におごらなきゃいけないし」

「実家に帰って休むとか」

「二度と帰ってくるなってさ。家族全員に着信拒否されちゃったよ」

「ロボス派の援助はないの?」

「ロボス閣下は入院中。軍に残ってる人には、面会を申し込んだけど断られた。ランナーベック大将みたいに、着信拒否してくる人もいる。入院前に『いざとなったら、彼らを頼りなさい』と言われて閣下から渡された政治家やビジネスマンのアドレスに連絡したら、『もうロボスさんとは関係ない。連絡しないでくれ』と言われた」

 

 アンドリューが置かれた状況に愕然とさせられた。まるで前の人生の俺じゃないか。卑劣な逃亡者として不名誉除隊処分を受けた後、家族には白い目で見られ、友人には絶縁を言い渡された。アルバイトにも雇ってもらえなかった。どこに行っても、エル・ファシルの逃亡者を非難する目が付きまとう。自分が生きていける場所は、広い宇宙のどこにもないと感じたものだ。

 

 法の網をくぐり抜けて、断罪を回避した戦犯が許せなかった。合法的に裁けないのであれば、超法規的な手段もやむなしと思った。憂国騎士団や警察を使ったトリューニヒトの断罪はやり過ぎだと思ったけど、それでも逃げられるよりはましだと思い、沈黙によって消極的支持を与えた。しかし、そんな態度がアンドリューをここまで追い込んでしまったのではないか。

 

 エル・ファシルの逃亡者に対する攻撃がいつどのように始まったのかは、良く覚えていない。捕虜交換後にネットに顔写真付きの逃亡者リストが出回って、気が付いたら冷たい視線に囲まれていた。もしかしたら、帝国領戦犯と同じ経緯をたどったのかもしれない。過激な断罪を主張する者に、「裁かれないよりまし」と消極的支持を与える者、「関わりたくない」と敬遠する者が引きずられる形で、逃亡者に対する攻撃が激しくなったということだ。

 

「俺が頼れるのは、予備役准将の肩書きだけだからさ。復帰が認められて現役の准将になったら、給料と住居が手に入る」

 

 すべてに見放されて現役復帰に最後の望みを賭けるアンドリューの姿には、強烈な既視感があった。前の人生で実家を追い出された俺が最後の望みを賭けたのも軍隊だった。空腹を抱えて駅前をさまよっていた俺は、「前科処分歴不問、即日入営可、朝昼夕三食無料」の謳い文句に目を奪われて、志願兵に応募したのである。

 

 やはり、今のアンドリューは軍隊に戻るべきではない。軍に志願した俺は不名誉除隊にも関わらず採用されて、食事と住居を得ることができた。しかし、逃亡者リストを見た下士官や古参兵の徹底的ないじめに遭ったのだ。仮にアンドリューの現役復帰が認められても、トリューニヒト派、旧シトレ派、国家救済戦線派の三大派閥はすべてアンドリューを敵視している。首都防衛軍司令部で俺が受けているよりもずっと激しい嫌がらせに遭うだろう。一介の少将に過ぎない俺の権力では、アンドリューを守ることはできない。

 

 親友の頼みであっても受け入れることはできないと俺は判断した。世間が戦犯に対する怒りを忘れるまで、あるいはロボス元帥やグリーンヒル大将などの総司令部首脳陣が法廷に引きずり出されて名誉が回復されるまで、時間を置く必要がある。それに心身が万全であるとも言い難い。今は休むべきだ。

 

「やっぱり無理だ。休んだ方がいい」

「でも、先生はすぐにでも復帰できると言ってた」

 

 アンドリューは主治医にでたらめを吹きこまれているらしい。主治医がでたらめを言ってまで退院を急がせる理由は、想像がつく。

 

 軍人は現役・予備役・退役を問わず、軍病院で無料の医療を受けられる。財政を担当するジョアン・レベロは、「不当な軍人優遇」「軍病院による民業圧迫だ」と言って、軍人医療制度の縮小を国防委員会に要求した。軍病院のベッド数も大幅に削減され、今はどの軍病院も過密状態にある。

 

 民間病院への転院も難しい。社会保障を所管する人的資源委員長ホワン・ルイは、「バラマキは自由、自主、自立、自尊のハイネセン主義に反する」「与えるだけの社会保障から、自立のための社会保障に」「福祉事業も自立すべきだ。自由競争が福祉の充実に繋がる」と言って、社会保障の効率化を進めた。その結果、社会保障はとてもハードルが高い制度になった。医療扶助を受けて入院するのは難しい。

 

 早くベッドを空けたいという主治医の気持ちはわかる。民間病院への転院手続きが難しいのもわかる。しかし、今のアンドリューの立場も少しは考えてほしかった。都合のいいことばかり吹き込んで、休養が必要な患者を無一文で社会に放り出すなんて、無責任にもほどがある。名前も顔も知らない主治医に少し腹が立った。

 

「もう少し休んだ方がいいと思うけどな。顔色がびっくりするぐらい悪い」

「でも、先生が働けるって言ってるんだ。休むにしたって、お金のあてもない」

「あてはあるよ。あまり褒められた手段じゃないけど、俺の顔を使えば、軍病院の入院枠の一つぐらいは、君のために確保できる。宗教法人の慈善病院に入院するのもありだ。十字教、半月教、地球教なんかは、予備役軍人や退役軍人を積極的に受け入れてる。うちの衛生部長に頼んで、そういった病院への紹介状を書いてもらうこともできる」

 

 アンドリューの顔が強張り、心外だという表情になる。しかし、ここは何としても納得してもらわなければならない。何の展望もなく、療養を勧めているわけではない。それを必死で伝える。

 

「まあ、ゆっくり考えなよ。行くとこないんなら、うちの部隊の来客用宿舎に泊まればいい。ビジネスホテル並みの設備はある。士官用の食事も用意する。ずっと泊めるのは無理だけど、一週間ぐらいは大丈夫」

 

 説得を終えたところで、アンドリューの目が焦点を失っていることに気づいた。そして、顔全体がぴくぴくと痙攣を始める。嫌な空気を感じる。まるで戦場に立った時のような空気だ。何かあったらすぐ動けるように、ソファーから軽く腰を浮かせて身構える。

 

 アンドリューは懐に右手を入れて、素早くブラスターを取り出した。横に飛びのいたが、アンドリューの動きが一瞬だけ早い。彼の射撃の腕なら、俺が動いても確実に仕留める。やられたと思ったまさにその時だった。

 

「准将閣下、どういうおつもりですか!?」

 

 俺の横に立っていたハラボフ大尉がいつの間にか回りこんで、両手でアンドリューの右手首をねじり上げた。狙いをそらされたブラスターは天井に穴を開ける。

 

 ハラボフ大尉はそのまま両手をアンドリューの右腕ごと時計回りに大きく回転させて、背負い投げの体勢に持ち込んだ。テーブルに叩きつけられたアンドリューは、銃を取り落とす。ハラボフ大尉はすかさずアンドリューの上に馬乗りになって、胴体と両腕をしっかりと押さえ込む。ほんの一瞬でハラボフ大尉は、アンドリューを制圧してしまった。さすが徒手格闘の達人だ。

 

「司令官閣下!警備兵を!」

 

 呆気にとられていた俺は、ハラホブ大尉の叫び声で我に返り、携帯している警報ブザーのボタンを突き破らんばかりの勢いで押した。けたたましい警報が鳴り響き、銃を構えた警備兵が応接室に雪崩れ込む。

 

「アンドリュー、どうしてこんなことをしたんだ……?」

 

 虚ろな表情で天井を向いているアンドリューは、俺の問いに答えようとしなかった。

 

 

 

 二度目の国家救済戦線派対策会議は、俺がアンドリューに襲われたその日の深夜に、初回と異なる場所で開かれた。今回はスシバーに偽装した秘密拠点である。

 

「クブルスリー本部長は、全治四か月だそうだ」

「しばらくは公務に復帰できそうにないか」

「ビュコック大将かドーソン大将が代行を務めることになるだろうな。こんな大事な時期に面倒なことになった」

「ただでさえ悪い軍のイメージがさらに悪くなった。国防予算増額に市民の理解を得られなくなるやもしれん」

「反戦市民連合が反軍キャンペーンを準備しているという情報もある。新政権発足前に主戦派の出鼻を挫くのが狙いだろう。格好の餌を与えてしまった」

 

 出席者は統合作戦本部長クブルスリー大将暗殺未遂事件について話し合っていた。統合作戦本部長が本部ビル内で銃撃されたというニュースは、内外に大きな衝撃を与えた。もちろん、国家救済戦線派との戦いに及ぼす影響も小さくない。混乱が生じれば、それだけ付け入る隙も大きくなるのだ。

 

「それにしても、許せんのはリディア・セリオだ!一五〇〇万人も殺したのに、まだ殺し足りないのか!」

「つまらないことをしてくれたものだ。本部長を殺したところで、失われた未来が戻ってくるわけでもあるまいに」

「しかし、クブルスリー本部長も必死に擁護してやった戦犯に撃たれたのでは、自業自得としか言いようが無いな。少しは反省してもらいたいものだ」

 

 クブルスリー大将を襲撃したのが、アンドリューとともに帝国領遠征の最大の戦犯とされるリディア・セリオ予備役大佐であったことが出席者の怒りをさらにかきたてた。

 

 この場にいる将官は、みんな総司令部首脳陣から敗戦責任を押し付けられたアンドリューとセリオ予備役大佐を最大の戦犯と信じ込んでいる。帝国領遠征に参加したビュコック大将やヤン大将ですら、総司令部首脳陣の言い分を鵜呑みにしているのだ。参加しなかったトリューニヒト派将官が信じ込むのも無理はない。

 

「そして、フォークはフィリップス提督を襲った。六年来の友人を襲うとは、なんと見境のないことか。ヒステリーとは恐ろしいものだな」

 

 第七歩兵軍団司令官フェーブロム少将の言葉には、強烈な悪意が感じられた。トリューニヒト派には、負の感情を取り繕おうとしない人が多い。同じ派閥であっても、こういうところには付いていけないと感じる。

 

「セリオはクブルスキー大将の元部下。フォークはフィリップス提督の友人。そして、小官を襲ったフラーデクは、エル・ファシル地上戦を共に戦った元部下。まさか、偶然と考える者はおるまいな」

 

 第五空挺軍団司令官コンスタント・パリー少将が口を開くと、話し声はピタリと止まった。

 

「クブルスキー大将を倒せば、軍の統帥機能は混乱する。小官を倒せば、第一特殊作戦群の番人がいなくなる。フィリップス提督を倒せば。アルテミスの首飾りの番人がいなくなる。黒幕は近づきやすい者をわざわざ選んで、我ら三人を一度に倒そうと差し向けてきたのだ。ここまであからさまだと、かえって清々しいとすら言える」

 

 みんながテロリストの仕業と考えていたクブルスリー大将襲撃、そして傍目には独立した襲撃事件に見える二つの襲撃事件を、パリー少将はいともあっさりと一本の糸で繋いでしまった。前の歴史の知識がなければ、俺も三つそれぞれが独立した事件と考えたに違いない。出席者は感心のつぶやきを漏らす。

 

「そこまで計算していたとは、なんて恐ろしい奴らだ」

「徹底的に背後関係を調べなければ」

「拷問や自白剤の使用も考慮しようか」

「この際、手段は選んでられん。発覚しなければ、問題ないだろう」

 

 物騒な会話が交わされる。

 

「貴官らは馬鹿か」

 

 舌打ちせんばかりの表情で、第一一艦隊司令官フィリップ・ルグランジュ中将は言い放った。

 

「そのようなもの、使うまでもないだろう。刺客は三人とも我らの手中にあるのだ。フォーク准将とセリオ大佐は、最近まで軍病院に入院していた。顔を合わせた者もそう多くはない。奴らの交友関係を徹底的に洗えば、陰謀の糸も自ずと手繰れるというもの。表に出せない手段で自白を引き出したら、裁判の時に困ったことになるぞ?『軍部の跳ね上がりがクーデターを起こそうとしていました。憲章で禁止されている手段で引き出した自白が証拠です』などと市民に言えるのか?いい恥晒しではないか」

 

 さすがはルグランジュ中将だった。目先のことに囚われず、さらに先を見据えている。

 

「うむ、ルグランジュ提督の言う通りだ。市民の信頼を失っては、元も子もない。議長閣下にも傷が付く」

 

 ドーソン大将の言葉が場を決した。トリューニヒト派にとって、「市民の信頼」「議長閣下」の二つの言葉は、最優先すべきものなのだ。

 

「国防委員長と相談した結果、ビュコック大将に本部長代行を依頼することに決めた。帝国は内戦寸前。しばらくは宇宙艦隊の出番も無い。仮に黒幕が二段目のテロを仕掛けてきたとしても、目標が限られていれば警戒も楽になる。ビュコック大将の周りに、警戒要員をびっしり貼り付ければ良いのだからな」

 

 ビュコック大将に本部長代行を任せるというドーソン大将の案は、妙案のように思えた。テロリストの攻撃は必ず奇襲の形を取る。守るべき場所が多ければ多いほど、警戒の目が分散して、テロリストに有利になる。目標がわかってさえいれば、テロを防ぐことはそんなに難しくない。最高評議会や統合作戦本部の建物がテロ攻撃を受けないのは、常時厳戒態勢にあるという極めて単純な理由によるのだ。

 

「ビュコック大将がクーデターに参画していたら、どうするつもりですか?統合作戦本部を手中にするために、仕組んだ可能性もありますぞ」

「警戒要員とは、テロにのみ警戒するわけではない」

 

 その答えに質問者は納得の表情を浮かべた。ビュコック大将への警戒を強めるというドーソン大将の意図を察したのである。

 

「我々の警戒はどうしましょうか?小官とフィリップス提督が狙われたわけですが」

 

 パリー少将がドーソン大将に問う。

 

「そうだな、護衛を付ける必要があるだろう。空挺あがりの猛者を護衛に付けたおかげで、貴官は無傷で済んだのだからな」

「何の用心もなくこのような任務にあたると思われたのならば、このコンスタント・パリーも随分と舐められたものです」

「まあ、さすがに敵も通行人が全員護衛とは思わんだろう」

「サンタ・マルタに行ってから、丸腰では歩けなくなりました」

 

 パリー少将はニヤリと笑う。サンタ・マルタ星系は、軍とテロ組織の衝突が車の衝突事故と同じ頻度で起きると言われる危険地域である。地上軍兵士の死亡率は、対帝国戦より高い。「サンタ・マルタ帰り」は猛者の代名詞であった。言葉の一つ一つに格の違いを見せ付けられる。これほどの人物でも前の歴史では名前が残っていないのだから、運命とは不思議なものだ。

 

「それにしても、フィリップス提督。貴官は不用心すぎるな。自分の立場を考えなかったか」

 

 いきなりパリー少将に睨まれて、ギクリとなってしまった。

 

「いや、彼は友人でしたから。嬉しくてつい……」

「たまたま副官が徒手格闘の達人だったために無傷で済んだ。だが、そうでなければ深手を負っていた。貴官が倒れた後に、また外部から司令官代理を派遣するというのでは不自然に過ぎる。アラルコンを代理にせざるを得ない。わかるか?首都防衛軍があの過激な男の手中に収まる瀬戸際だったのだぞ?」

 

 圧倒的な正論の前に、言葉もなかった。

 

「小官の部下の中から、護衛を付けてやろう。六人のチームを四交代体制、合計二四人。完全武装の一個小隊にでも襲われん限りは、大丈夫な連中だ」

「あ、ありがとうございます……」

「貴官の身の安全は、ハイネセンの安全でもある。礼には及ばん」

 

 怖い人だけど、頼りにはなる。この人が味方でいてくれて良かったと思った。

 

「フィリップス提督、フォークの事件はどう処理した?今のところ、マスコミには漏れていないようだが」

 

 俺とパリー少将の会話が終わったのを見計らって、ドーソン大将は質問した。

 

「フォーク准将を第三巡視艦隊司令部の一室に保護しました。二四時間体制で警備にあたっております」

「逮捕ではなく、保護かね?」

「襲撃事件として扱えば、軍のイメージがさらに悪化する恐れがあります。ですから、『フォーク准将は面会中に倒れた。健康状態が回復するまで保護する』と内部には説明しております」

「うむ、正しい処置だ。ただでさえセリオの事件でイメージが悪くなっているのだ。フォークまで事件を起こしたとなれば、それこそ軍は何をしていたと言われる」

 

 ドーソン大将が俺の措置を認めてくれたことに安心した。俺が守りたかったのは、軍のイメージよりもアンドリューだった。襲撃犯ということになれば、彼の社会的生命は完全に終わる。

 

「フラーデクの事件もフィリップス提督と同様に処理いたしました」

「さすがだ。貴官らは良くわかっておる」

 

 パリー少将も事件を隠すことにしたと聞いて、ドーソン大将は満足げに頷いた。

 

「ブロンズ中将、情報部の調査はどこまで進んだか?」

 

 情報部長ブロンズ中将は、ドーソン大将の声に応じて立ち上がり、報告を始めた。

 

「クブルスリー本部長襲撃事件に絡んで、怪しげな動きが報告されました。ラヴィスの第一歩兵軍団、リリエンバーグの第一空挺軍団、カンニストの第五陸戦軍団は警戒レベルを二段階引き上げました。師団レベル、旅団レベルでも上級司令部の了解なしに警戒レベルを引き上げた部隊が多数見られます」

「ほう、手回しのいいことだ」

「アラルコンの首都防衛軍第二巡視艦隊は、衛星軌道上にて演習中でした」

「なに!?」

 

 ルグランジュ中将、パリー少将を除く全員の顔から血の気が引いていく。

 

「これは小官の私見ですが、パリー少将とフィリップス少将の職務遂行能力喪失が確認でき次第、宇宙と地上の双方からハイネセン制圧に取り掛かろうと過激派どもは考えていたのでしょうな」

「他に考えようがあるか!」

 

 蒼白な顔のドーソン大将は、大声で吐き捨てた。

 

「フィリップス提督!」

「はい」

「なぜ、アラルコンに演習など許可したのだ!?」

「一度却下したのですが、参謀に『書式が完璧に揃っている。なぜ却下するのか』と言われて、通さざるを得ませんでした」

「時期というものを考えろ!」

「気を付けます……」

「首都防衛軍の参謀にも国家救済戦線派の内通者がいるのではないか!?早急に調べろ!参謀どもが過激派と結託して、書式の整った申請書を作っている可能性もあるのだからな!」

「はい!」

 

 ドーソン大将に指摘されるまで、首都防衛軍司令部の旧シトレ派参謀が国家救済戦線派と結託している可能性は、まったく考えていなかった。ハイネセン主義者と全体主義者が組むことなど有り得ないと考えていたからだ。しかし、参謀と部隊が手を組めば、演習にかこつけて部隊を出動させること、決起の際に用いる弾薬や食糧を融通することも思いのままだ。反トリューニヒトで一時的な同盟を組む可能性も考慮しなければならない。情報部がグリーンヒル大将やビュコック大将を監視している意味を深く考えるべきだった。

 

 首都防衛軍を急いで掌握しなければならない。旧シトレ派参謀が俺の首都防衛軍掌握を妨害しつつ、国家救済戦線派の行動にフリーパスを与えていたとしたら、取り返しの付かないことになる。着任してから今日までの数日間は、第三巡視艦隊の体制を整えるのに精一杯だった。しかし、今後は首都防衛軍にも目を配らなければならない。参謀が情報を出そうとしないのなら、自ら部隊を視察して情報を得ることも考えよう。

 

 多くの課題を残しつつ、二回目の国家救済戦線派対策会議は終わった。

 

 

 

 官舎に戻ると、日付が変わって午前二時になっていた。就寝前に端末を開いてメールをチェックすると、国防委員会からメールが届いていた。

 

「なんだろう、面倒な用事だったらやだなあ」

 

 開いてみると、想像しうる限り一番面倒な用事だった。首都防衛司令官代理に就任する直前までの俺は、国防委員会でアーサー・リンチ少将とともにエル・ファシル市民を見捨てて逃亡した将兵の告発準備を担当していた。その件に関して、「罪状評価が甘すぎる。どういうつもりか聞かせてもらいたい」と後任者から問い合わせが来たのだ。

 

「今さら九年前の事件を裁くこともないだろうに。帝国の収容所で遊んでたわけでもないんだし」

 

 前の人生で逃亡者として苦労した経験から、積極的に告発する気にはなれなかった。法律知識から判断しても、主体的に関与した二九名を除けば、譴責相当が妥当だろう。示しを付けるにしても、主体的に関与した者に重罰を下せば十分ではないか。首謀者と考えられる元参謀長、元作戦部長、元後方部長の三名を階級剥奪の上で死刑にすれば、市民だって納得するはずだ。

 

 国防委員会がどうしてエル・ファシルの逃亡者を厳しく処罰したいのか、俺には良くわからなかった。最近忙しくて使ってなかったネットで調べてみる。

 

「なんだ、これは……」

 

 検索結果を見て、愕然としてしまった。「エル・ファシル」で検索したら、「エルファシルの逃亡者リスト」と書かれたページが最上位に来たのだ。信じられないことに、エル・ファシル市庁、エル・ファシル惑星政庁、エル・ファシル星系政庁、ネット百科事典のエル・ファシルの項よりも上位にある。しかも、コピペがあちこちの大手コミュニティサイトに貼り付けられていた。

 

 さらに調べると、逃亡者リストに載っている人物の住所やアドレス、写真などがあちこちで晒されていた。攻撃を促す書き込みも凄まじい量にのぼる。逃亡者に加えた暴行を自慢する書き込みすらあった。

 

 既視感で頭がクラクラした。前の人生の俺に降りかかったことが今も別の場所で起きている。いや、エル・ファシルの逃亡者だけではない。帝国領遠征の戦犯も同じような目に遭っているということを、昨日の昼に見たばかりだった。やはり、合法的手段によらない断罪はまずい。法によって裁かなければ、際限がなくなってしまう。

 

 一睡もできないまま、朝を迎えた。これで丸二日寝てないことになる。今日は早めに仕事を切り上げて、ゆっくり休もう。そう思いながら出勤した。


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