銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百七話:司令部制圧作戦 宇宙暦797年4月1日~3日 第三巡視艦隊司令部~首都防衛軍司令部

 第三巡視艦隊情報部長ハンス・ベッカー大佐は、トランシーバーのような装置を手にしていた。

 

「始めますよ」

「よろしく頼む」

 

 俺が頷くと、ベッカー大佐は第四会議室に入っていった。そして装置に収納されていたアンテナを取り出し、水平方向に向ける。そして、腕を使って大きな円を描くようにアンテナを回した。回し終わったら、今度はアンテナを垂直方向に向けて回した。立ち位置を変えながら、ベッカー大佐は何度もアンテナを回す。

 

「盗聴電波の反応はありません」

 

 ベッカー大佐の言葉に一同は胸を撫で下ろし、ぞろぞろと第四会議室に入っていく。一昨日アンドリューに撃たれかけた件で自分の不用心ぶりを反省した俺は、考えうる限りの警戒を行うことにした。執務室や会議室に入る際は、軍情報部や警察が使う盗聴器発見機を使って、盗聴器の有無を調べさせることに決めたのだ。

 

「全員着席したね。では、今から会議を始めよう」

 

 出席者は参謀長チュン・ウー・チェン准将、副参謀長セルゲイ・ニコルスキー大佐、作戦部長クリス・ニールセン中佐、情報部長ハンス・ベッカー大佐、人事部長リリヤナ・ファドリン中佐、後方部長オディロン・パレ中佐、副官ユリエ・ハラボフ大尉の七名。第三巡視艦隊司令部の首脳陣である。彼らは首都防衛軍における国家救済戦線派対策の中枢だった。

 

「昨日、宇宙防衛管制隊の基地で惑星間ミサイルの爆発事故が発生したのは、もうみんな知っているね?」

「死亡者一四名全員が一〇代の志願兵、原因はミサイルの欠陥。何ともやりきれない事故です」

 

 ニコルスキー大佐は沈痛そうな表情を浮かべる。

 

「予算が足りないんだ。だから、高給取りのベテランを安く雇える少年兵に入れ替えて、形だけは定数を揃えようとしてる。正規艦隊、イゼルローン方面軍、辺境総軍以外の部隊は、どこもそんな状態だよ」

「それなのに市民は国防予算増額に反対しています。一体我が軍はどうなってしまうのでしょうか?」

「お金をけちった代償は、血で払うことになる。それもけちった人とは別の人の血でね」

 

 前の人生のハイネセン、そして一昨年のエル・ファシルで見た光景を頭の中に思い浮かべる。お金さえあれば助かった人、お金さえあれば犯罪者にならずに済んだ人がたくさんいた。そして、アンドリューもそうだった。財政に余裕が無いのは分かっている。しかし、それでも「節約」という言葉が「殺人」と同義に思えてならない。

 

「しかし、予算は議会が始まった後の話。今は目の前の事件に対応しなきゃいけない。首都防衛司令官代理の俺は、責任を追及される立場。真相を明らかにして、許してもらえるまで謝り続けるのが仕事。しばらくは首都防衛司令部にかかりきりだね。国家救済戦線派への対応は後回しになる」

「ドーソン大将も不運でした。統合作戦本部長代行に就任した当日に事故が起きるとは」

「そうだね。軍のトップとして対応しなきゃいけないから」

 

 最悪のタイミングで最悪の事故が起きた。ため息をつかずにはいられない。ビュコック大将が本部長代行を引き受けてくれていたら、事故対応とクーデター対応を別々にできたのに。

 

「今日の議題はスケジュールの組み直し。優先度の低い事項は先送り。高い事項も遅れるけど」

「国家救済戦線派の策略という可能性はありませんか?」

 

 そう指摘したのは、作戦部長ニールセン中佐だった。

 

「どうしてそう思ったの?」

「この事故によって、彼らは四つの利益を得ます。第一に閣下と本部長代行を事故処理に縛り付けることができます。国家救済戦線派は動きやすくなるでしょう。第二に閣下と本部長代行に大きな政治的失点を与えることができます。閣下が司令官代理を辞任すれば、国家救済戦線派のアラルコン少将が首都防衛軍を掌握します。第三にトリューニヒト政権のイメージに傷をつけることができます。そうなれば、国家救済戦線派に心を寄せる者がますます多くなります。第四に宇宙防衛管制隊の司令官を引責辞任に追い込めます。管制隊内部の国家救済戦線派が勢いづくでしょう」

「うーん」

 

 確かに国家救済戦線派にとって良いことづくめである。しかし、あまり考えたくない可能性だった。

 

「過激派とはいっても、それは現体制に否定的という意味での過激派だ。テロ組織の過激派とは意味が違う。清廉さを売りにしている彼らが少年兵を巻き添えにできるかな?」

「清廉だからこそ、必要とあらば残虐になれるとも言えます。親しい者を選んで刺客に送り込んでくるような連中です。多少の犠牲は大義の前に許されると考えても、不思議ではありません」

「そこまでする相手とは思いたくない。しかし、その可能性は排除しない方がいいね。俺が国家救済戦線派を甘く見たせいで犠牲が増えたら、目もあてられない。事故と謀略、両方の可能性で調べを進めよう。事故なら首都防衛軍を管理しきれなかった俺の責任、謀略なら国家救済戦線派を監視しきれなかった俺の責任。どっちにしても、司令官代理は降りることになるだろうけど。せめて真相は明らかにしなきゃね」

 

 内には首都防衛軍のエリート参謀に遠慮して、外には国家救済戦線派を刺激することを恐れた。そんな俺の無為が少年兵の命を奪った。最近は政治的な力関係に目が行き過ぎて、初心を見失っていたように思う。何のために軍人をやっているのか、何のためにクーデターを阻止しようとしているのか、ちゃんと考え直さないといけない。ダーシャにこんな俺を見られたら、間違いなく叱られてしまう。

 

 

 

 首都防衛司令部の司令官執務室に着いた俺は、デスクの上に置かれた一冊の薄っぺらいファイルを見て呆然となった。

 

 昨日、俺は首都防衛司令部の参謀チームに、宇宙防衛管制隊の事故に関わる資料の提出を求めた。旧シトレ派は軍の不祥事に対して厳しいと言われる。エリート意識が強い人達ではあったが、それゆえに高いモラルを持っているのは、誰もが認めるところだ。だから、爆発事故の真相解明には、積極的に協力してくれるものと思ってた。デスクの上には読みきれないほどの資料が積まれていると思ってたのだ。

 

「これで全部?」

「全部です」

 

 首都防衛司令官副官のティエリー・グラニエ少佐は、自信満々に言い切った。

 

「あれだけの大事故なのに?」

「資料は量ではありません。質です」

「でも、事故関係者のここ三ヶ月の勤怠表だけでも、このファイルが一五冊は必要になるよね?質を云々する以前に、最低限の量に達してないんじゃないかな?」

「紙の量と情報量は、必ずしも比例しません。少ない文字数に多くの情報を詰め込めば、紙資源を節約できるのです」

 

 トリューニヒト派の人間は、分厚い資料を作る傾向がある。グラニエ少佐があてこすりを言ってるのは、明らかだった。

 

「つまり、膨大な資料に匹敵する密度の情報があのファイルの中に詰まってるということ?」

「そうお考えいただいて結構です」

 

 いつもと変わらず慇懃無礼な副官の言葉にイラッとしながら、ファイルを開く。中身はパンフレット以下だった。この程度の情報は大衆紙にも載ってる。

 

「グラニエ少佐、ファイルに目を通して欲しい」

「小官は既に目を通しましたが」

「だったら、もう一度頼む」

「その必要を感じませんが」

「いいから読め!」

 

 さすがに我慢の限度を超えていた。依頼形で話す余裕もなく、命令形で怒鳴りつける。グラニエ少佐はしぶしぶファイルを開いて目を通す。

 

「どうだ?事故の全容を理解できたか?」

「事故は昨日起きたばかりです。調査が進んでいない段階では、状況把握に終始するのもやむを得ないかと」

 

 まだ返せる言葉のストックが残っていることに少し感心してしまった。参謀にとって、弁舌は最も大事な仕事道具の一つだ。グラニエ少佐はきっといい参謀になれるだろう。だが、感心してばかりもいられない。今の俺にとって、グラニエ少佐の優れた弁舌は、障害物でしかないのだ。

 

「俺には理解できない。なんせ、ハイスクールしか出てないからね。士官学校の戦略研究科を出た貴官とは、頭の出来が違う。参謀のみんなには、馬鹿な司令官の頭でも理解できるような資料を作って欲しかったな」

 

 普段は思っているだけに留めているような皮肉がどんどん口をついて出てくる。いくら小心な俺でも、こんな大事な時に言葉遊びに終始する副官に遠慮する必要は感じなかった。

 

「参謀全員を今すぐここに呼んで来て欲しい」

「外出中の者、休暇中の者もいます」

「出先にいる者は今すぐ呼び戻せ。休暇は現時点で終了。フェザーンで観光してたとしても、今すぐハイネセンに向かうように伝えてね。二週間以内には着くだろう」

 

 我ながら言ってることが無茶苦茶なのは分かってる。しかし、連絡一本入れるにもいちいち反論してくるような副官とまともに会話する気にはなれない。舌打ちせんばかりの表情でグラニエ少佐は司令室を出て行った。

 

「使わないに越したことは無いけど」

 

 ポケットの中から取り出した小型録音機を手のひらに乗せてつぶやく。そして、素早く設定を終えると、ポケットに戻した。

 

 三〇分後、参謀長イヴェット・チャイルズ少将以下の参謀全員が執務室に集まった。みんな憮然とした顔をしている。補佐役として一定の敬意を払われてしかるべき参謀を呼びつける俺の態度に、プライドを傷つけられているのだろう。しかし、今の俺には関係なかった。彼らのプライド、そして背後にいるクブルスリー大将やビュコック大将に遠慮したことが、国家救済戦線派の暗躍、ミサイル爆発事故を招いたのだから。

 

「このファイル一冊に、首都防衛司令部が総力を結集して集めた情報が詰まってるってことでいいのかな?」

 

 薄っぺらなファイルをかざして、わざとらしくひらひらさせる。

 

「まだ詳細不明な部分が多いですから」

 

 チャイルズ少将が一同を代表して答える。

 

「死傷者の勤怠表、事故が起きた部署の日報、ミサイルの定期整備の記録、納品記録などなど。そういうのは調査が進んでない段階でも集められるよね?」

「ファイルの中に要約してあります」

「貴官らの要約ではなく、生の資料を読みたい」

「膨大な量にのぼりますので、直に目をお通しになったら、時間がいくらあっても足りないかと」

 

 生の資料は何が何でも見せたくないようだ。組織においては、情報量と影響力は等しい。俺に情報を与えて、主導権を握られるのが嫌なのだろう。これまでは俺をトリューニヒトの手先とみなす彼らの気持ちに配慮して、あまり強いことは言わなかった。でも、ここで譲るわけにはいかない。参謀に遠慮して、司令官代理の仕事を蔑ろにしていい状況じゃない。

 

「でも、読みたいんだ。俺は頭が悪くてね。貴官らに理解できる要約も俺には簡潔すぎて理解できない」

「ご冗談を。司令官代理は若くして要職を歴任されたエリートではありませんか」

 

 今度はプライドをくすぐってきた。司令官になるような人は、みんな能力相応に高いプライドを持っている。エリートは自分の輝かしい経歴、叩き上げは泥にまみれて勝ち取った栄光を誇りにしている。だから、「わからない」という言葉が言えない。わからない時も見栄を張って、「わかる」と言ってしまう。そこに官僚的な手口の入り込む余地がある。わざと司令官に意味不明の説明をして、プライドをくすぐりつつ強引に承諾を取ろうとする参謀がいるのだ。

 

「とにかくわからないんだから、しょうがない」

 

 俺はもともと能力が高くない。だから、「わからない」と言ってもプライドが傷つかない。彼らはいつも人を見下ろしてきたが、俺はいつも見上げてきた。相手より劣ることを認めても、何の抵抗も感じない。

 

「小官らはわかるように最大限の努力を尽くしました。それなのに頭ごなしにわからないと言う態度はいかがなものかと」

 

 今度は歩み寄ってくれない俺が悪いと批判する方向に転換したらしい。さすがは戦略研究科を出た作戦屋。多彩な戦術を持っている。

 

「生の資料を読ませて欲しい。そうでなかったら、遺族や市民に十分な説明ができない」

「説明すべきことは、全部このファイルの中にまとめました」

「どうあっても、俺に生の資料を見せたくないんだね?」

「閣下を些事で煩わせるわけにはいきませんから」

 

 この会話で彼らの肚は良くわかった。情報を持たずにしどろもどろの答弁をする司令官代理は、いかにもカメラ映えがしない。世論の批判を俺に集中させて、首都防衛軍司令部から体良く追い出そうと考えているのだ。そして、事故の真相究明の手柄は、自分達が手に入れる。

 

「わかった。この資料で記者会見に臨むよ」

「おわかりいただけましたか」

 

 やれやれという表情を浮かべる参謀を背に、俺は執務室を出て行った。グラニエ少佐が後をついてこようとしたが、司令官に屁理屈で抵抗するのを仕事と思っているような副官なんて必要ない。早足で歩いて振り切った。

 

 その後、人気のない場所に行って携帯端末でドーソン大将と連絡を取った。録音した参謀との会話を聞かせ、考えついた対抗策を提言する。ドーソン大将から多少の修正を受けて、対抗策は完成した。

 

 記者会見の会場は、案の定騒然となった。俺の読み上げた薄っぺらいファイルに載った情報でマスコミが満足するはずがない。

 

「これで市民が納得すると思ってるんですか!?」

「一〇代の少年が亡くなったんですよ!?それなのに無責任ではありませんか!?」

「軍はどうして情報を出そうとしないのですか!?これでは揉み消しに動いていると言われても、文句は言えませんよ!?」

 

 怒りに目を輝かせる記者の集団、俺を無能な司令官代理として映し出しているカメラが視界に入る。しかし、まったく怖くなかった。

 

 俺とチャイルズ少将の押し問答を録音した小型録音機は、ドーソン大将を通して国防委員会監察総監部の手に渡った。明日にでも首都防衛軍司令部に、臨時監査の手が入る。俺の読み上げたファイルに載っていない情報を参謀が持ってることが判明したら、ただでは済まないはずだ。

 

 

 

 記者会見から二日後の四月三日、首都防衛軍司令部の応接室で俺は意外な来客を迎えていた。

 

「いやあ、なかなか痛快でしたなあ。小官も日頃から参謀どもの姑息さには、腹にすえかねておったのですよ」

 

 俺と向かい合わせに座っている五〇代前半の男性は、吊り上がった目を細めて愉快そうに笑っていた。

 

「なんせ、弁が立たないものでしてな。いつもやり込められておるのですよ。だからまあ、理屈の多い奴は苦手ですな」

 

 口下手というのが間違いなく嘘と思えるぐらい良く喋っているのは、第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将だった。メディアでは強面の極右論客なのに、実際に会ってみると妙に気の良さそうなおじさんだった。

 

「その点、司令官代理は若いのにあまり口が達者ではない。失礼ながらこのアラルコン、親近感を感じますぞ」

 

 親近感を持たれても困る。

 

「いやいや、良い方が上官になってくださった。貴官となら話が通じそうだ」

 

 どう答えていいかわからず、曖昧に笑う。脇に立つ副官のハラボフ大尉の顔に救いを求める視線を送ったが、さり気なく逸らされてしまった。

 

 最大の敵と面会するにあたって、俺は最大限の用心をした。俺の脇には徒手格闘の達人ハラボフ大尉が控える。面会の二時間前に応接室に運び込んだ二つの家具の中には、パリー少将が付けてくれた空挺あがりの護衛が一人ずつ潜む。応接室の周囲には、警備兵一個小隊が待機。アラルコン少将が携帯していたブラスターは預かった。随員五名は武器を預かった上で、別々の部屋に通して接待中である。俺自身もいつでもブラスターを抜けるような態勢を取る。

 

 だが、一向に怪しげな動きを見せない。首都防衛軍を乗っ取ってクーデターを起こそうとしている人物が何の策もなく俺の懐に飛び込んでくるとは思えないのだが、今のところはただ喋ってるだけだった。

 

「お嬢さん、コーヒーのおかわりをいただけるかな」

 

 アラルコン少将はハラボフ大尉にコーヒーのおかわりを頼んだ。これでもう七杯目だ。一体何杯飲むつもりなんだろうか。

 

「いやいや、今日は本当に喉が渇きますな。春のハイネセンは過ごしやすくて結構なのですが、空気が乾燥気味でいけません。だからといって、夏は湿気が多すぎる。なかなか中庸とはいかんものです」

 

 それだけ喋ってたら、喉も渇くのも当たり前だと思う。空気は関係ない。

 

「どうぞ」

 

 ハラボフ大尉は、アラルコン少将の前にスッとコーヒーを差し出した。

 

「おお、これはうまそうだ。ご馳走になりますぞ」

 

 喜びに目を輝かせたアラルコン少将は、熱々のブラックコーヒーに口をつけた。そして、熱さに顔をしかめる。新しいコーヒーが来るたびにこれをやっているのだ。猫舌なのにどうして熱いコーヒーを頼むのだろうか。

 

 ダーシャも猫舌なのに、いつも熱いココアを欲しがった。口から息をふーふー吹いて冷ましてから飲むのである。ぬるいココアを最初から頼めばいいと言っても聞かずに、頑なに熱いココアを欲しがった。本当に変な奴だと呆れたものだったが、世の中は広い。毎度毎度、口を付けては熱がる変人もいる。

 

「それにしても、酷い事故でしたな」

「どの事故でしょうか?」

「事故といえば、三一日の事故ではありませんか、少年兵が亡くなった事故」

「ああ、なるほど」

 

 どうも会話のペースが掴めない。唐突に話題を変えてくる人はどうもやりづらい。

 

「新聞を見ましたか?みんなミドルスクールを出てすぐに軍に入った若者です。普通の若者がハイスクールや大学に行ってる間に、軍隊に入って汗をかいとるわけです。亡くなった若者は整備兵ですから、油にまみれてたんですな。そんな真面目な若者が事故で亡くなったのですよ。いかが思われますか?」

「悲しいですよね」

「そう、悲しいのです。ミドルスクールを出て軍に入る若者は、貧しい家の生まれが多い。ミドルスクール卒の学歴なら、民間では時給七ディナールか八ディナールのバイトにありつけません。しかし、軍隊に入れば二等兵で一一〇〇ディナールほどの月給が出るわけですな。もちろん、住居と食費は無料。病気になれば、本人は無料、家族も極端な割安で治療が受けられる。貧しくて学歴のない若者にとって、志願兵ほど良い職業は無い」

「そうなんですよね」

 

 俺は曖昧に肯定する。アラルコン少将の話は、認めるにはいささか心の痛む現実であった。 軍隊の階級は、徴兵で集められた者を除けば、社会階級を如実に反映している。士官学校を出て士官になった者は上流や中流上層、専科学校を出て下士官になった者は中流下層の出身者が多い。そして、志願兵に応募する者は貧困層が多い。義務教育終了時点の学力と社会階層は、かなり高い相関関係にある。だから、軍隊に入る経路と社会階層の相関関係も高い。

 

「しかし、志願兵は任期制。特技兵で無ければ、一期三年、三期を勤めたら解雇されます。満期を迎えた時に下士官になれなければ、軍隊生活はそこで終わります。下士官はこの一〇年で二割削減されました。今では志願兵から下士官になるのは狭き門。義務教育終了程度の学歴しか持たない二〇代半ばの若者が社会に放り出されるのです。軍隊経験は職歴としては、ほとんど評価されません。大卒の若者がわんさと失業しているこの御時世。一〇代後半から二〇代前半の青春時代を国防に捧げた若者は、行き場が無いのですよ。いかが思われますか?」

 

 返答が難しい質問だった。志願兵の失業問題はとても深刻だ。三期を勤めて除隊した後に、仕事が見つからずに身を持ち崩す者も少なくない。刑務所とホームレス収容施設には、元志願兵の経歴を持つ者がたくさんいる。下士官であっても、二〇代や三〇代で軍を退いた者の何割かは、元志願兵と同じ運命をたどる。退役軍人という言葉は、自由惑星同盟では社会的弱者と同義なのだ。現役軍人としては心が痛むが、どうやって解決すればいいのかわからない。

 

「そうですね。国防予算がもっと多ければ、良い待遇ができるのですが」

「しかし、現状は国防予算が少ない。経験豊富な下士官をあてるべき仕事に、若年の志願兵をあてる。我が軍の根幹は志願兵。それを一期三年の徴兵で水増ししとります。満期を迎えたら、若い兵と入れ替えです。現在の我が軍は若者を使い捨てて成り立っとるわけです。根幹を粗末にする軍隊に未来がありますか?若者を粗末にする国に未来がありますか?」

 

 熱っぽく語るアラルコン少将。彼の問題意識はきわめてまっとうだ。軍事独裁による国家変革という過激な主張も出発点から過激だったわけではない。誰にでも理解できるような出発点だからこそ、国家救済戦線派に支持が集まる。そんな当たり前の事実を再確認させられた。

 

「現場を離れてはおりますが、小官は今でも自分を教育者と思っとります。部下を指導する際も教育者として接しとります。軍隊の階級で言うと、上は准将から下は二等兵。社会階級で言うと、上は代議員の息子から下は元浮浪児。それだけ多種多様な部下の指導法を考えますと、どうしてもそれぞれの背景を考えんといかんのです。すると、どうしても社会の問題にぶち当たる。部隊を運営するというのは、社会を運営することなんですよ」

「小官も部隊を運営していると、それを実感します。生まれ育ちも価値観も多種多様ですからね」

「だから、軍人は政治家でもあるべきなのです。部隊という社会を運営する者が政治をできなくて、何としますか?戦争屋や小役人に社会が運営できますか?」

 

 アラルコン少将の言う戦争屋は旧シトレ派、小役人はトリューニヒト派のことだろう。軍事独裁主義者と言われたら、世間の人は視野の狭い戦争馬鹿を想像するはずだ。しかし、国家救済戦線派の指導者には、政治家や企業家のような資質を持つ者が多いと言われる。軍隊を使って国家を運営しようなどという発想は、経営者的な資質が無い人間には思いつかないからだそうだ。眉唾だと思っていたが、俺が間違っていたようだ。

 

「軍人が政治と無縁でいられないというのは、おっしゃるとおりです。軍隊と政治は協力していかなければならない。軍隊は社会の一部であり、小社会です。政治との付き合いは大事です」

 

 あえてシビリアンコントロールを尊重する意見を述べる。アラルコン少将も俺がそういう意見の持ち主だってことぐらいは知ってるだろうが、確認のつもりで言う。

 

「そうです。政治とは上手く付き合わないといけません。政治を無視してはいけませんが、政治に引きずられるのも良くない。主体性を持って政治と付き合わねばならんのです」

 

 否定されると思ったら、同意された。しかも、極めて中庸な意見が返ってきた。対面してからずっと感じていたことだが、単なる狂信者とは違うようだ。

 

「議会と軍部はパートナーですから」

「そうです、パートナーなのです」

 

 あえて反対意見をぶつけたのに、あっさり肯定されて拍子抜けした。メディアでは議会政治を否定してるのに。いったい、この人は何なんだろうか。わからなくなってきた。

 

「議会と軍隊は良く似ています。代議員の一人ひとりを司令官、秘書を参謀、傘下の地方議員や党組織幹部を部隊指揮官、支持者を下士官兵と考えるとよろしい。代議員はお互いに競い合いますが、国益のために存在することは変わりない。これは司令官と同じです。代議員の政争は司令官の功名争いです。代議員も司令官も政治家です。似た者同士ですから、議会と軍隊は仲良くしないといけません」

「ああ、なるほど。そう言われると似てる気がします」

 

 アラルコン少将のたとえ話はとても良く理解できた。社会の経営に指導的立場で携わり、権力を争うという点で司令官と代議員は同じ本質を持つ。違うとすれば、司令官は軍部人事で、代議員は多数決で選ばれるということだ。

 

「で、私としては頭に来とるわけですな。代議員も政治家も下の者に支えられて威張ってられる。それなのに最近の者は駆け引きばかりです。付き合う相手といえば上の者ばかり。下の者の面倒なんてちっとも見ようとしない。『仕事をせい』と叱ってやりたくなりますな」

 

 軍部政治に深入りして初心を見失っていた俺には、深く突き刺さる言葉だった。誰のためにパワーゲームをしてるのか、忘れてしまってはいけない。

 

「お恥ずかしい限りです」

「いやいや、司令官代理は良く頑張っておられる。第一二艦隊にいた頃は、下の者の生活にも気を配っておったと聞いておりますぞ。首都防衛軍には赴任して日が浅いですが、これから頑張っていただけるものと期待しとります」

「期待に背かないよう頑張ります」

 

 普通に解釈すれば、激励のはずだった。しかし、発言者が過激派指導者のアラルコン少将となると、どうも単純には受け止められない。俺を騙そうとしているのか、取り込もうとしているのか。アラルコン少将の考えが読めない。ただ、かなり手強い相手なのはわかった。

 

 責任追及の矛先は、首都防衛軍の参謀に向かっている。情報隠蔽の疑いで監察総監部の取り調べを受けている参謀の穴は、当分の間第三巡視艦隊の参謀が埋めることになった。爆発事故の真相究明は、監察総監部が中心になって進めている。

 

 首都防衛軍の司令部を掌握した俺は、ようやく舞台に上がった。そして、姿を表した国家救済戦線派の巨魁アラルコン少将。ついに本当の戦いが始まる。


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