銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百八話:プレイヤーの自覚 宇宙暦797年4月上旬 焼肉屋~首都防衛軍司令部

 三月三〇日の統合作戦本部長クブルスリー大将暗殺未遂事件、そして三一日の惑星間ミサイル爆発事故。総選挙翌日から二日連続で起きた不祥事は、軍部の威信を大きく傷つけた。そして、四月に入ってからは、立て続けに地方部隊の反乱が起きる。

 

 四月三日に惑星ネプティスにおいて惑星警備司令官デイビッド・ハーベイ准将率いる反乱軍が、第四方面管区司令部、惑星政庁、宇宙港、恒星間通信基地、物資集積センターを占拠。最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの辞任、同盟議会の即時解散及び再選挙、対帝国挙国一致政権樹立、財政再建路線回帰、公務員改革の徹底、正規艦隊再建などを要求した。

 

 四月五日には惑星カッファーにおいてルイジ・バッティスタ大佐率いる反乱軍が、第九方面管区司令部のあるヘルソン市を攻撃。ネプティスの反乱軍と同じような要求を掲げている。

 

 恒星間航路が集中するネプティスとカッファーの反乱によって、同盟領の四割にあたる地域が交通途絶した。第四方面管区と第九方面管区は機能を停止。周辺管区は勢いを増す宇宙海賊への対応に追われ、鎮圧部隊を差し向ける余裕が無い。一昨年の第七方面管区司令部テロを凌ぐ危機的状況が到来した。

 

 前の歴史では、救国軍事会議のクーデターに連動して地方反乱が発生した。今回も国家救済戦線派のクーデターと独立した動きではないと見るべきだろう。対策会議が秘密裏に動かせる人員は、それほど多くはない。ハイネセンの危険人物に監視を貼り付けるだけで手一杯で、地方に目を向ける余裕はなかった。そこを見事に突かれてしまった。

 

 個人的には、ネプティスの反乱軍指揮官がハーベイ准将だというのがショックだった。彼は第三六戦隊で戦艦群司令として戦い抜いた男だ。信頼できる指揮官と思っていただけに、こんな暴挙に加担したのが残念でならない。そういえば、アムリッツァ会戦の直前に総司令部への怒りを露わにしたことがあった。無責任な遠征推進派への怒りが彼を反乱に駆り立てたのだろうか。

 

 ますます混沌としていく情勢の中、混沌の総本山となっている軍部に対する批判は、どんどん大きくなっていった。

 

 遠征推進派の前代議員を片っ端から逮捕している警察は、軍部にも捜査の手を伸ばす方針を示した。最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトがその裏にいるのは、言うまでもない。市民の声に応えつつ、軍部の膿を出し切ってしまおうと考えているのだろう。本来ならばトリューニヒト派の牙城である憲兵司令部を動かすべきところだが、不正行為を指摘する内部告発が相次いで混乱状態に陥っていたため、やむなく警察を動かしたのだ。

 

 権力を使って軍部を粛正するトリューニヒトに対し、反戦派は言論をもって軍部を批判した。その急先鋒が反戦市民連合のジェシカ・エドワーズである。

 

「三一日の事故で亡くなった整備兵は、全員一六歳から一九歳の未成年者でした。一五〇年にわたる戦争は、社会に多大な負担をかけてきました。そして、一〇代の少年少女を動員しなければ、戦争を継続することもできないところまで来ているのです。主戦論者は、戦わなければ国が滅んでしまうと言います。しかし、今の社会を見てください。軍事費で国家財政は破綻寸前。過重な動員が社会基盤の劣化を招いています。これでもなお、戦わなければ国が滅ぶと言えるでしょうか?帝国軍がハイネセンに迫るより、社会の自滅が先なのは明らかではありませんか」

 

 ニュース番組に出演したエドワーズは、軍事負担が限界に達していることを鋭く指摘する。来年の春頃に同盟国債のデフォルトが確実視される現状にあっては、きわめて説得力に富む主張だ。

 

「そして、軍も信用に足る存在とはいえません。首都防衛軍司令部は真相を明らかにして、事故再発を防ぐべき立場です。にも関わらず、情報を隠蔽して責任逃れを図りました。彼らは市民を守るためではなく、組織を守るために戦っているのです。こんなに腐敗した軍隊に帝国を打倒する力があると言われて、信用できますか?主戦論者は、私達反戦派を非現実的な理想論者と言います。しかし、お金も人材もなく、軍隊は腐敗しているという状況で、『勝つまで戦え』と言い続けるだけで勝てると主張する方が、よほど非現実的な理想論とは思いませんか?」

 

 ここまで軍をボロクソに言われると、少々イラッと来る。しかし、帝国領遠征軍総司令部や首都防衛軍司令部の醜態をこの目で見た俺には、エドワーズの軍部批判を否定することはできない。彼らには彼らの事情があるにしても、市民の目にはどうしようもなく腐りきっているように見えるだろう。

 

「私達は非現実的な理想論を捨てて、現実論について話し合わなければなりません。すなわち、和平です。五〇〇年近く続いたゴールデンバウム朝の矛盾は、もはや帝国の存立を揺るがすところまで来ています。構造改革の是非をめぐって、改革派と保守派は激しく対立し、武力をもって決着を付けようとしています。どちらが勝ったとしても、損害は小さくありません。そして、体制の立て直しに注力せざるを得なくなるでしょう。九〇年前にマンフレート亡命帝が和平を打診してきた時よりもずっと、和平成立の可能性が高いと考えられます」

 

 エドワーズは戦争継続の不可を説いた後で、帝国情勢を根拠として和平の見通しを示す。前の歴史は、エドワーズの予想から大きく外れた展開となった。

 

 改革派は保守派との内戦でほとんど損害を受けずに勝利した。改革派指導者のラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、もう一人の改革派指導者クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵を打倒。没収した保守派とリヒテンラーデ派の権益を元手に国庫を充実させて、翌年にはイゼルローン要塞を攻撃する余裕を見せた。

 

 一方、同盟は救国軍事会議のクーデターに端を発する内戦で大きく消耗して、帝国との国力比は絶望的なまでに開いた。対等な和平を言い出すなどおこがましい存在に落ちぶれた同盟は、やがてラインハルト率いる遠征軍の前に降伏した。

 

 前の歴史の結果のみから逆算するならば、エドワーズの分析は甘すぎたということになろう。しかし、結果論を頭の中から排除して、現時点で知り得る情報を元に常識的な分析を行えば、比較的現実的な見通しといえる。和平の可能性を除けば、主戦派の軍事専門家も概ね似たような分析をしていた。

 

 三月下旬にリップシュタットで軍事同盟を結んだ保守派門閥貴族は、帝国全軍のおよそ三五パーセントに相当する二八三〇万の兵力を集めた。盟主は枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵、副盟主は前皇帝官房長官リッテンハイム侯爵、実戦部隊総司令官は第一竜騎兵艦隊司令官メルカッツ上級大将が務める。

 

 改革派が集めた兵力は、帝国全軍の二四パーセントに相当する一九七〇万。帝国宰相リヒテンラーデ公爵が政治面の指導者、宇宙艦隊司令長官ローエングラム元帥が軍事面の指導者を務める。

 

 兵力では保守派が圧倒的だが、半数は貴族私領を警備する私兵軍だった。帝国の私兵軍は同盟の地方部隊に相当する。同盟の地方警備は正規軍の二線級部隊が担当するが、帝国では貴族が自腹で養う私兵部隊が担当するのだ。練度、装備ともに劣悪な私兵軍。歴戦の貴族将校を多く擁する正規軍。この二つの集団がどれだけ協調できるかが勝敗の鍵を握る。

 

 改革派はほぼ全軍が正規軍だった。改革派にも私兵を持つ門閥貴族は参加していたが、戦力の均質性を重んじるローエングラム元帥は正規軍のみで戦う方針だった。子飼いの部隊は昨年のアムリッツァ会戦で大損害を受け、戦力面では圧倒的に不利と見られた。しかし、捕虜交換で獲得した帰還兵四〇〇万に加え、前宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥派の一部が勇名を慕って傘下に入ったため、正規軍の数では保守派を凌ぐ。経験の浅い若手将校が多いが、昨年の戦いで経験と自信を得て、保守派の貴族将校との差は大きく縮まったと見られる。

 

 保守派は貴族私領、改革派は皇帝私領を主要な経済基盤としている。しかし、保守派の私兵軍は周辺宙域にある皇帝私領を次々と接収。保守派に味方した皇帝私領長官も多い。改革派の手に残されたのは、首都圏とイゼルローン方面辺境星域の皇帝私領のみだった。改革派は宮内省が管理する皇室財産を軍資金に流用しているが、経済基盤の弱体さを覆すには至らない。

 

 銀河経済の中心地フェザーン自治領から容易に資金調達できるのも保守派の強みである。領地経営者である門閥貴族は、経営資金の調達、生産物の売買、資産運用などを通じて、フェザーン企業と関係を持つ者が多い。交易路となるフェザーン方面辺境星域は、保守派の支配下にある。フェザーン駐在高等弁務官レムシャイド伯爵も保守派に味方していた。

 

 結束においては、正規の命令系統を使用できる改革派が優位にある。官僚はリヒテンラーデ公爵を頂点とする行政機構、軍人はローエングラム元帥を頂点とする軍事組織の一員として、命令に服従する義務がある。

 

 保守派は改革派に対抗する有志の同盟という形を取っているため、全員が対等という建前だった。伯爵以上の爵位を持つ有力貴族、中将以上の階級を持つ高級将官が大勢参加していて、序列を決めるのも難しい。足並みの乱れは必至だった。

 

 軍事力では保守派有利だが、正規戦力の割合が高い改革派も侮りがたい。経済力では保守派が圧倒的に有利。結束力では改革派有利といったところだ。しかし、門閥貴族の二割、正規軍と私兵軍を合わせた帝国軍の四割に及ぶ中立派は、しばらく様子見に徹すると見られ、内戦は最低でも一年以上に及ぶと予測された。

 

 予想される死者は一〇〇〇万から二〇〇〇万の軍人。両軍が有人惑星の争奪戦を展開した場合は、数億の民間人が死者の列に加わる。生産活動や流通の停滞、インフラ破壊が引き起こす経済的損害は一〇兆帝国マルクを越えると見られ、改革派がすべての貴族財産に課税したとしても、補填できない額だ。内戦終了と同時に和平を打診すれば、経済的にも軍事的にも疲弊した帝国が応じる可能性は、決して低いとはいえなかった。

 

 前の人生では、この時期は迫害が怖くて政治に関心を持つどころじゃなかった。後になって本を読んでも、エドワーズのことは短期間だけ活躍して救国軍事会議に殺された悲劇の政治家、そしてヤン・ウェンリーの友人として軽く触れられるだけだった。しかし、リアルタイムで見ると、現実的な和平の見通しを立てられる政治家だったようだ。トリューニヒトの政敵ではあるが、前の歴史のように名前も残らないようなチンピラ軍人に殺されるなんて末路はたどってほしくないと思う。

 

 

 

「そんなにうまくいってたまるか。虫が良いにも程がある」

 

 テレビを見ていたクリスチアン大佐は、苦々しそうに舌打ちした。今の俺はハイネセンの第一陸戦専科学校に転任したばかりのクリスチアン大佐と一緒に、焼肉屋でランチを食べていた。

 

「そうですか?結構筋が通ってる気がしますが」

「こちらの都合だけではないか。疲弊した帝国が国内の不満を外に向けるために、強硬論を煽る可能性だってあるのだぞ。去年、我が国でそれをやった奴がいるだろうが」

「ああ、確かに」

 

 それも道理だと思いながら、焼けた肉を鉄板からクリスチアン大佐の取り皿に移す。クリスチアン大佐は、フォークでずぶりと肉を刺して口に放り込んで咀嚼する。肉食獣を思わせる獰猛な食べっぷりに見とれてしまった。

 

「それにだな、帝国が疲弊していても、我が国がもっと疲弊している可能性だってある。エドワーズの言う通りに国防費を削減すれば、帝国の内戦が終わるまでに正規艦隊再建は間に合わん。戦力がない相手から和平を申し込まれて、受け入れる相手がどこにいるか。話し合いのテーブルに立つにも、それなりの力がないと相手にされんぞ」

 

 手に持ったスペアリブの骨をへし折って、片方を口に放り込んでボリボリかじりながら、クリスチアン大佐は和平の可能性を否定した。

 

「要するに帝国の内戦が終了した時点で、ある程度の戦力を確保しておく必要があるのだな。軍拡をしないといかん。エドワーズにそれができるか?」

「できないでしょうね。本人が望んでも、支持者が認めないと思います」

「軍拡を主張するトリューニヒトは、絶対に和平なんか口に出さん。軍拡してから和平を言い出す指導者がいなければ、どうもならん。そして、和平のための軍拡など、主戦派も反戦派も受け入れんぞ。軍人が考えつく最適解なんぞ、政治的には実現不可能なものばかりだ」

「おっしゃる通りです」

 

 同意したのは、最後の言葉に対してであった。軍人の立場で思いつく最適解は、市民の支持が得られないとか、予算が足りないとか言った理由で実現できないことが多い。

 

「だからだな、政治みたいなつまらんもんに手を染めるのはやめておけと、いつも小官は言っておるのだ」

 

 強烈なクリスチアン大佐の眼光に、思わず震えてしまう。そして、ホッとした。帝国領遠征が終わった直後の抜け殻みたいな状態を、完全に脱したみたいだ。

 

「兵士に良い物を食べさせるには、やはり予算が必要なんです。そうなると、どうしても政治家と関わらないわけにはいかないんですよ」

「奴らは無償で金をくれるほど、お人好しではない。必ず代償を要求する。取り引きを続けるうちに、すっかり軍服を着た政治家になりきってしまうのだ。貴官には、そうはなってほしくないのだがな」

「気を付けます」

「まあ、政治をやりたいのなら、軍服を脱いでから好きなだけやるのだな。軍のために予算を散りたかったら、国防委員にでもなればいい。先例はいくらでもある。国防族という奴らは好かんが、あれはあれで筋は通ってる」

 

 やはり、この人には敵わないと思った。トリューニヒトのためにクーデターを阻止しようとしてるなんて知られたら、軽蔑されるに違いない。

 

「軍の中から国家改造に取り組もうとなさってる方もおられますよね。大佐はああいう人たちについて、どうお考えになりますか?」

「国家救済戦線派か」

 

 クリスチアン大佐は、ものすごく不愉快そうな顔になる。聞かなければ良かったと後悔した。

 

「つまらん奴らだ。議論なんぞにうつつを抜かす暇があるなら、技能の一つも身に付ければいいものを。その方がよほど国家の役に立つというものだ」

 

 豪快に切り捨てた。やはり、クリスチアン大佐はどこまでもクリスチアン大佐だった。

 

「首都防衛軍には、国家救済戦線派がたくさんいるんですよ。どう付き合えばいいのか、良くわからなくて」

「ああ、貴官の下には子供殺しのアラルコンがいたな。代理とはいえ、あんな狡猾な奴の上司になるのは大変だろう?」

「それについてはコメントは控えますが、とにかくあのグループの支持者が増えてるんですよ」

「若く真面目な将校ほど、部隊運営に悩むものだ。しかし、シトレ元帥やロボス元帥に近い者は、エリート同士で固まって部隊に見向きもしない。トリューニヒトに近い者は、上官や政治家の顔色ばかり見て、部隊には細々とした規則ばかり押し付けてくる。相談に乗ってくれるのは、国家救済戦線派の者しかおらん。アドバイスを受ける間に、危険思想も吹き込まれるわけだな。要するに指揮官の怠慢が若者を誤らせるのだ。若者の悩みにしっかり向き合っている指揮官の部隊では、あんな者がのさばる余地など無い」

「なるほど」

 

 地上部隊の現場で将兵と向き合ってきたクリスチアン大佐ならではの意見だった。アラルコン少将はシトレ派やトリューニヒト派の軍人と違って、親しみやすい感じだった。下級将校や下士官兵の相談にも気軽に乗ってくれそうな雰囲気がある。

 

「つまり、しっかりした指揮官を部隊に配するだけで過激派は根絶できる。指揮官を教育するのは、司令官たる貴官の役目だ。しっかりと励むのだぞ」

「頑張ります」

 

 時計を見る。そろそろ司令部に戻らなければいけない。

 

「今日は楽しかったです。落ち着いたら、また一緒にごはんを食べましょう。今度は妹も連れてきます」

「うむ、何かと多難なおりだ。難しいこともあるだろうが、元気でな」

 

 クリスチアン大佐と握手を交わした。ゴツゴツとした分厚い手の感触が心強く感じられた。

 

 

 

 四月に入ってからの俺は、早朝から深夜まで、首都防衛軍司令部で仕事に励んでいた。第三巡視艦隊司令部から連れてきた参謀に集めさせた資料に目を通し、各部隊のデータを把握する。部隊指揮官と面談を重ねて、生の情報を耳に入れる。連絡会議を開いて、意思疎通の円滑化を図る。時間はいくらあっても足りない。

 

「そして、予算も足りない」

 

 俺はため息をついて、分厚いファイルを閉じた。

 

「深刻な状態と言う他ありませんね」

 

 最も深刻とは最もかけ離れた口調で応じる参謀長チュン・ウー・チェン准将の右手には、夜食のハムチーズサンドが乗っている。潰れているのは言うまでもない。

 

「今年度分の一般予算は、レベロ財務委員長が組んだギッチギチの緊縮予算。国防予算は削減されてる上に、宇宙艦隊やイゼルローン方面軍重視の配分。首都防衛軍は大幅減額だ。国防特別会計補正予算が成立するのは、早くても二か月先。反戦市民連合の抵抗次第で、三か月先や四か月先にも伸びる。本部長暗殺未遂事件やミサイル爆発事故のおかげで、世論は国防支出削減に傾いてる。これじゃあ、国家救済戦線派が動き出すのに間に合わない」

「昨年のイオン・ファゼカス作戦では、経費に五〇〇〇億ディナール、戦後処理に二〇〇〇億ディナールを遣いました。国防予算を圧縮しつつ、対帝国戦力の再建に取り組む必要があります。残念な話ではありますが、後方警備の予算が削られるのは避けられないでしょう」

「それはわかってるけど、愚痴の一つも言いたくなるよ。エル・ファシル警備艦隊や第三六戦隊と違って、予算をふんだんに遣えないから」

 

 旧シトレ派のチュン准将らしい緊縮財政支持、正規艦隊重視の意見だった。確かに財政破綻を避けつつ、帝国との戦いに備えるのなら、それがベターではある。しかし、俺としてはやはり地方にも予算を付けて欲しい。

 

「堅くなったパンを嘆いても仕方がありません。湯気に当てれば良いのです」

 

 前向きになれと言いたいんだろうか。なんか微妙な比喩だ。

 

「でもさ、ネプティスやカッファーの反乱も地方部隊に予算がついていれば、すぐ鎮圧できたんだよ。あの規模の反乱に正規艦隊を動かすわけにもいかないし」

「ビュコック司令長官は、正規艦隊の動員を考えてらっしゃるそうですよ」

「へえ。反戦派のビュコック提督が正規艦隊の治安出動を検討するなんて意外だ」

「軍の反乱だから、治安出動ではないということだそうです。財政難の中で多めに予算を付けてもらってる以上、少しは仕事してるところを見せておかないといけないとも」

「なるほどね」

 

 歴戦のビュコック大将らしい老獪な立ち回りだ。オフィスでの仕事に慣れていなくても、融通をきかせるのはうまい。第一二艦隊にマイクテストを装って情報を流してくれた時もそうだった。

 

「正規艦隊を増強しておけば、来たるべき帝国の内戦にどのような対応もできる。宇宙艦隊総司令部はそこまで見据えて、存在をアピールするつもりのようです」

「さすがだなあ」

 

 宇宙艦隊総司令部には、旧シトレ派のエリート参謀がずらりと揃ってる。エリートだけに大所高所からの戦略的判断は飛び抜けている。泥臭い政治をする人間や現場で汗をかく人間には、こういった視野は持てない。政治を嫌う、汗をかかないというエリートの欠点は、雑事に惑わされずに遠くを見詰められるという長所でもある。欠点と長所は表裏一体なのだ。

 

 ふと、昼にクリスチアン大佐と交わした会話を思い出した。エリートのチュン大佐なら、クリスチアン大佐とは違う視点があるかも知れない。そう思って意見を聞いてみることにした。

 

「帝国との和平の可能性ですか。興味深い命題です」

「参謀長はどう思う?」

「不可能では無いと思います」

「正規艦隊の増強、和平の打診。両立するかな」

「しますよ」

 

 クリスチアン大佐が熱弁を振るって成り立たないと主張したのに、チュン准将はあっさりと成り立つと言った。

 

「どうやって両立させる?」

「トリューニヒト議長を和平論者に転向させる、もしくはエドワーズ代議員を軍拡論者に転向させる」

「それはさすがに無理じゃ」

「政治が嫌いなクリスチアン大佐には、自分がブレーンになって、政治家を動かすという発想がありません。だから、両立しないと言ったのでしょう。閣下も自分の意見で人を動かすという発想はないですよね。聞かれたら答える、あるいはお願いをする。そんな形でしか、意見をおっしゃいません」

「そうだね。自分の意見で人を動かすということに抵抗を感じる。思ってることを全部言わなきゃいけないでしょ?それがどうも嫌なんだ」

 

 物を考える時に、どうしても前の人生の自分という視点が混じってしまう。しかし、そんなものを根拠として人に説明できるわけがない。だから、思ってることをあまり口に出さない習性ができた。

 

「これまではそれで良かったかもしれません。しかし、少将ともなれば言葉に重みが出てきます。その重みを生かしていただきたいと個人的には思っていますよ」

「ブレーンとして行動する必要があるってことかな」

「はい。先日は首都防衛軍司令部を掌握なさいましたね。主体的に行動すれば、状況に介入することもできる。軍中枢にも手を伸ばせる。少将はそんな地位です」

 

 確かに第三六戦隊司令官の時とは全然違う。クーデターを止めようとするとか、首都防衛軍を率いるとか、マスコミの前に責任者として出るとか、立ってる舞台がいきなり大きくなったような気がする。要するに観客からプレイヤーになったということか。

 

「そうだね、できるだけのことはしよう。できることの範囲が広がったんなら、自分の無力を悔いることも少なくなるかもしれないから」

「はい。差し当たっては、国家救済戦線派のクーデター阻止に全力を尽くしましょう」

「限られた予算で頑張ってみるか。堅くなったパンに湯気を当てて食べるんだ」

 

 チュン大佐は何も言わずに頷いた。俺の決意に頷いたのか、堅くなったパンの食べ方に頷いたのかはわからない。

 

「戦力の充実は諦めて、連絡体制と信頼関係の構築に努める。俺の指示通りに動いてくれるなら、弱体な戦力でも使いようはある」

「作戦、情報、人事、後方はそれぞれ手分けして、各部隊の担当者と打ち合わせを重ねています。連絡体制はそう遠くないうちに完成する見通しです」

「打ち合わせ、データ集め、そして対クーデター計画立案。時間の余裕が無い中で良く頑張ってくれている。参謀のみんなには、本当に頭が上がらないよ」

「それが我々の仕事ですから」

 

 チュン准将は微笑むと、潰れたハムチーズサンドを俺に差し出した。ありがたく受け取って口にする。忠実な参謀の存在は、本当に心強い。

 

「おいしいね。いい具合に潰れてる」

「第一首都防衛軍団司令部の売店で購入したパンです。近くにラ・リュフレ製パン所があるせいか、パンの品揃えがなかなか充実してました」

「ああ、そういえば参謀長は、第一首都防衛軍団へ打ち合わせに行ってたんだったね。どうだった?」

「お手元のハムチーズサンドをご覧になればわかるように、パンや具のカット具合は大雑把。そこが素朴な手作り感に繋がっています。職人技を感じさせる繊細なパンも良いですが、家庭的なパンも良いものです」

「いや、そうじゃなくて。司令部の雰囲気とか」

 

 無邪気に目を輝かせて売店のパンを褒め称えるチュン准将には申し訳ないが、俺が知りたいのはそんなことではない。第二巡視艦隊に匹敵する国家救済戦線派の巣窟が名参謀の目にどう映ったたのか、聞いてみたかった。

 

「規律は行き届いていますが、堅苦しくはありません。将兵の動きは整然としています。良い部隊です」

「ファルスキー司令官の印象は?」

「噂通りの好人物でした」

「そうか、やはりね」

 

 第一首都防衛軍団は、俺の持っているデータでは首都防衛軍に所属する地上部隊の中で最も強力だった。装備こそ旧式だが、練度、規律、モラルは対帝国の一線に立つ精鋭部隊に匹敵する水準を誇る。司令官ファルスキー少将は、戦術家としても管理者としても第一級の人物。チュン准将の評価は、データが事実であることを示していた。

 

「首都防衛軍最優秀の宇宙部隊と地上部隊を敵に回すことになりそうだね」

「クーデターに対応するのは、私達だけではありません。戦闘は他の部隊に任せて、首都防衛軍は危険分子の監視に徹しましょう。現状の戦力ではそれがベストです」

「そうだね。俺達の強みは司令部に集まる情報を握っているということ。それを生かして戦っていこう」

「もちろん、首都防衛軍単独でも戦える準備はします。他の部隊があてにならない状況も想定しなければなりません」

「対クーデター計画は、すべて首都防衛軍単独の戦いを前提としている。第一一艦隊をはじめとするこちら側の部隊がすべて制圧されることだってありうるんだからね。こんな戦力しか用意できないという条件で作戦を作れなんて、無茶ぶりなのはわかってる。参謀達には苦労をかける」

「いつも万全な戦力をもって戦えるとは限りませんよ。サンドイッチが売ってなかったら、食パンを食べる。そんな代替手段を探すのも我々参謀の仕事です。閣下お一人では見つからないアイディアも、我々がチームを組んで考えれば誰かが思いつくでしょう」

 

 チュン准将は参謀の仕事について述べつつ、たまに何も塗っていない食パンを食べる理由をさりげなく告白した。おかしくなって、つい口元がほころぶ。

 

「いや、せめてジャムぐらいは塗って欲しいけど。それはともかく、指揮官としての俺の存在価値は、予算を引っ張ってきて戦力を造成する能力にある。『サンドイッチを仕入れられなかったから、食パンをおいしく食べられる方法を考えてくれ』なんて頼むのは、いささか心苦しいんだよ」

 

 冗談を言いながら、笑ってみせた。難しい時だからこそ、明るく振る舞わなければいけない。

 

「ところで、『クレープ計画』『タルト計画』『エクレア計画』の具体的な中身をドーソン大将らに知らせなくてもよろしいのですか?」

「あくまで首都防衛軍としての行動計画だからね。それに……」

 

 言葉に出すべきかどうか、一瞬だけ迷った。しかし、言った方がいいだろう。チュン准将には、知っておいてもらった方がいい。

 

「アンドリューが刺客としてやってきた。ハーベイ准将が反乱を起こした。もはや、誰が国家救済戦線派と組んでいてもおかしくないと考えるべきだ。対策会議のメンバーに内通者がいる可能性だってある。ドーソン大将やルグランジュ中将と戦うなんて想像したくもないよ。だけど、想像したくないなんて理由で対抗策を立てないようでは、無責任に過ぎる。願望で方針を決めるのは良くない」

「そういう理由でしたか」

「俺と個人的に親しいから、絶対に国家救済戦線派に味方しないなんて理屈は成り立たない。信念もあれば、立場もある」

 

 トリューニヒト派の俺と親しい人が、トリューニヒト政権を武力で倒そうと思っても不思議ではない。前の歴史でクーデターを起こしたドワイト・グリーンヒルは、アレクサンドル・ビュコックやヤン・ウェンリーといった軍部リベラル派と親密な関係にあった。それなのに軍事独裁政権を作ろうとしたのだ。

 

「それならば、私を信じてしまってもよろしいのですか?トリューニヒト議長を良く思っていないのは、ご存知でしょう?」

「参謀長が采配を振るってくれなければ、俺は戦えない。脳みそがはたらかず、心臓が鼓動せず、目が見えず、耳が聞こえず、手足が動かないなんて状態では、どうしようもないよ。裏切られたら、そこでおしまい。そのつもりで信用する。他の参謀も同じ」

「なるほど」

「俺はドーソン大将ほど能力がないからね。参謀を信用しなければ戦えないんだ」

「わかりました。信用を裏切らないよう、努力しましょう」

「よろしく頼む」

 

 右手をスッと差し出すと、チュン准将はポケットから潰れたパン・オ・ショコラを取り出して乗せてくれた。握手を求めたのに、パンを欲しがってると勘違いされたようだ。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言って、もらったパンを口に運ぶ。おいしい。

 

「それでは、私はこれで」

「今日も官舎に帰るの?」

「ええ、子供に顔を忘れられてはたまりませんので」

「なるほどね、お疲れ様」

 

 敬礼をすると、チュン准将は執務室を出て行った。どんなに遅い時間になっても、彼は必ず官舎に帰る。

 

 今日のように深夜まで仕事が及ぶと、普通は職場に泊まり込む。家族の顔を半月近く見てないなんてこともざらにある。前線に出れば、数か月は帰れない。高級軍人は常に家庭崩壊の危機に晒されている。そんな中にあって、チュン准将は家族との関係にかなり気を遣っていた。

 

「家族といえば……」

 

 デスクの引き出しを開ける。中には首都防衛軍司令部で二日前にばらまかれた怪文書が入っていた。作戦参謀のシェリル・コレット少佐がエル・ファシル市民を見捨てて逃亡したアーサー・リンチ少将の娘であることを暴露し、「根っからの男好き」「尻の軽い女」「フィリップス少将とできている」といった下品な中傷が並び連ねられ、もっともらしい性的不品行のエピソードまで書かれている。コレット少佐の容姿が端整なおかげで、文章に気持ち悪い生々しさがある。証拠物件として保管しているが、見るだけで気分が悪くなる。早く犯人を捕まえて、捨ててしまいたい。

 

 同盟も帝国もハイネセンも首都防衛軍も俺の人間関係もすべてが混沌としていく中、春の生暖かい夜は過ぎていった。


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