銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

124 / 146
第百九話:正義の在り処 宇宙暦797年4月9日 車の中~国防委員会庁舎前

 公用車に乗り込んだ俺は、いつものように副官ユリエ・ハラボフ大尉から手渡されたクオリティーペーパー三紙とタブロイド三紙を読んでいた。首都防衛軍司令部にいる間は、書類以外の物に目を通す暇がない。だから、移動時間に新聞を読むようにしているのだ。

 

 六紙とも昨日発生した惑星パルメレンドの反乱をトップニュースに持ってきていた。四月八日、第一一方面管区巡視艦隊副司令官スニル・ヴァドラ准将を指導者とする反乱軍は、パルメレンド全土を制圧下に置いた。そして、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの即時辞任、国防体制の再建、政治腐敗の一掃などを求めた。パルメレンドに司令部を置く第一一方面管区は機能を停止し、同盟領の二割近い星域が交通途絶。同盟領の過半がハイネセンと切り離されるという前代未聞の危機に、同盟国内はパニックに陥った。

 

 穏健反戦派の「ハイネセン・ジャーナル」は、反乱軍を「民主主義の敵」と批判。そして、反乱が長引けばインフレが起きて経済に破滅的な影響をもたらすとの分析を示し、「平和的手段による解決が望ましいが、正規艦隊の治安出動も検討すべきであろう」と提言する。経済重視の立場から反戦派の立場に立つハイネセン・ジャーナルらしい主張であった。

 

 穏健主戦派の「リパブリック・ポスト」は、反乱軍を「秩序の敵」と激しい論調で批判して、トリューニヒト支持と即時討伐を訴える。反乱の原因を地方部隊の弱体化、政治介入を嫌う軍上層部の体質に求める分析は、トリューニヒトの国防政策に迎合するものだった。旧改革市民同盟主流派に同調して昨年の帝国領遠征を支持したリパブリック・ポストは、大きく部数を落とした。親トリューニヒト路線に転換して、主戦派の支持を取り戻そうとしている。

 

 反体制的な「ソサエティ・タイムズ」は、反乱軍を批判する一方で、「監察官や憲兵を使った強権的統制、警察や憂国騎士団を使った遠征推進派軍人への攻撃、忠誠心を基準とした高級軍人人事などが軍部の反感を招いたのではないか」と指摘する。そして、トリューニヒトの強権志向に警鐘を鳴らした。

 

 マルタン・ラロシュべったりの極右的論調で知られる「ウィークリー・スター」は、反乱軍を「憂国の志士」と呼んで、熱烈なエールを送る。そして、「くそったれな社会を叩き壊すのは、軍服を着た志士達の拳なのだ」とさらなる軍人の決起に期待を示す。

 

 一部に「ヨブ・トリューニヒトファンクラブ会報」と揶揄される「ザ・オブザーバー」は、分析などそっちのけで、反乱軍指導者ヴァドラ准将に対する個人攻撃を展開。ミドル・スクール時代の作文まで持ち出して、徹底的にこき下ろす。ヴァドラ准将を戯画化して描くことで、反乱を滑稽なものに見せようとしている。

 

 反権威主義の「アタック・トゥー・ザ・フューチャー」は、反乱軍とトリューニヒトの両方を徹底的に攻撃。「准将と警視正のつまらない喧嘩。仲良く退場すれば片がつく」と締めくくった。警視正とは、トリューニヒトが国家保安局を退職した時の階級だった。大雑把な表現ではあるが、軍隊と警察権力の対立という構図でこの反乱を捉えている。

 

 同じニュースでも視点の違いによって、こうも見解が変わってくる。どの見解が正しいのかは、俺にはわからない。全部正しいのかもしれないし、全部間違ってるのかもしれない。前の人生で歴史の本を読んだ時は、正解は一つしかないと思っていた。しかし、今になって思うと、その正解は本を書いた人物にとっての正解でしかなかった。間違ってるとされたトリューニヒトやドーソン大将にも本人なりの正解があった。俺は俺なりの正解を見つけられるのだろうか。そんなことを考える。

 

「申し訳ありません、時間までに到着しないかもしれません」

 

 俺を現実に連れ戻したのは、専属ドライバーのジャン・ユー曹長の声だった。

 

「どうしたの?」

「渋滞に巻き込まれてしまいました。都市交通制御センターの管制コンピューターが故障したせいで、信号が止まってるんです」

「またか。最近多いね」

 

 一〇年ほど前から水面下で進行していた社会基盤の劣化は、去年の初め頃から表面化してきた。停電や断水が頻繁に起きるようになった。消防車や救急車の現場到着時間が以前の二倍以上に伸びた。前は一週間ほどで届いた恒星間宅配便が二週間近くかかるようになった。都市交通制御センターのトラブルもそのほんの一角であった。

 

「オペレーターが二〇歳前後のパートと六〇歳以上の嘱託ばかりですからねえ」

「三〇代から五〇代の働き盛りが現場にいないもんね」

「民間にはまともな待遇の仕事がありゃしませんから。最近は軍もかつかつですが」

 

 長引く不況によって、民間企業は正規労働者を抱え込む余裕を失った。進歩党のハイネセン主義的な労働政策のもと、熟練の正規労働者一人を雇うお金でパートタイマー三人を雇う経営が合理的とされた。勤続年数が長いベテランは解雇され、安く雇える若者と老人がパートに採用された。熟練労働者が相応の待遇を期待できる職業は、今や軍人、警察官、公務員ぐらい。しかし、進歩党は財政再建と小さな政府を掲げて、軍、警察、行政機構を縮小している。働き盛りの熟練労働者が職場から消えたのは、相応の待遇を用意できる職場がないという理由にすぎない。

 

「三〇過ぎのベテランを二〇〇〇ディナールにも満たない安月給で雇うわけにはいかないからね。軍隊だって同じ。三〇過ぎの下士官、四〇過ぎの叩き上げ士官をこの五年間で一割削減した。今の現場を支えてるのは、有期雇用の若い志願兵だよ。ベテランの受け皿がないんだ」

 

 もっとも、これは進歩党に批判的な主戦派の立場からの主張である。反戦派にはまた別の見解があった。

 

 過重な軍事動員によって、軍隊が熟練労働者を吸収してしまった。国防予算が財政を圧迫したために教育予算が削減され、労働者の技術水準が低下した。軍隊の肥大化が熟練労働者不足を招いた。受け入れる職場はあるのに、絶対数が少ないのだ。軍隊に雇用されている熟練労働者を民間に戻す。国防予算を削減し、教育予算を増額する。そうやって、熟練労働者の絶対数を増やせば、労働市場に現れる。熟練労働者不足の理由を労働政策に求めるのは、軍隊の肥大化という根本的な問題から目を背けようとする非現実的な態度だ。反戦派はそう主張する。

 

「反戦派の経済学者の先生は、『軍隊を縮小してベテランを職場に戻せば、生産性が向上して解決する』と言ってますが。どうなんですかね?私は技術部門と縁がないんで、軍がそんなにたくさん技術者を抱え込んでるのかどうか、良く分からんのですが」

「そうねえ……」

 

 どちらが正しいのか、まずは労働人口から考えてみよう。同盟軍の総兵力三五〇〇万は総人口一三〇億の〇・二三パーセント、帝国領遠征以前の五〇〇〇万でも〇・三八パーセント。三〇代から五〇代の人口は総人口の三〇パーセント程度。全軍がその年齢層で構成されていたとしても、微々たるものだ。過去の歴史を参考にすると、徴兵制を採用する軍隊の平時動員数は総人口の約一パーセント、総力戦体制になると約八パーセント、軍事適齢層すべてを対象とする根こそぎ動員は約二〇パーセントになる。同盟軍は肥大化を危惧されるほど、大きな軍隊ではない。

 

 今度は教育訓練期間から考えてみる。四年制大学及び二年制専修学校卒業者の数は、この一〇年で緩やかな減少傾向にある。非正規労働者はこの一〇年で総労働人口の二七・二パーセントから四〇・一パーセントに増加した。年代別で見ると、二〇歳以下、六〇歳以上の年代で伸びが大きく、二〇代がそれに次ぐ。教育水準の低下、長期雇用の減少が若年層から教育訓練の機会を奪っているという現実が見える。

 

 最後に賃金水準から考えてみる。一〇年前と比べ、賃金水準は一〇パーセント近く低下した。年齢別に見ると、三〇代から五〇代が特に高い低下率を示す。業種別に見ると、技能労働従事者の低下が著しい。能力の高い三〇代から五〇代の人材が技能労働の現場から去っていくのは、当然の成り行きであろう。

 

 統計から判断すれば、軍隊の肥大化に理由を求める反戦派より、雇用環境に理由を求める主戦派に分があると言える。反戦派の主張通り、軍隊に雇用されている熟練労働者を民間に戻し、教育予算を増やして若年労働者の技能水準を高めたとしても、能力の高い失業者を増やすだけであろう。ただ、雇用環境悪化の根本的な原因は、国家財政の半分に達する国防支出にあるのは事実だ。

 

 帝国と同盟の戦争は、イゼルローン回廊周辺星系の攻防に終始する限定戦争である。地上戦も前線拠点の確保という意味合いが強く、点と線の奪い合いだ。イゼルローン回廊を越えて同盟領に侵攻したコルネリアス一世の親征軍も兵站拠点と補給線を確保しながら、まっしぐらにハイネセンを目指した。面の制圧を前提とする戦いは、昨年のイオン・ファゼカス作戦が初めてだった。このような戦争では、想定される戦線は極めて狭くなり、必要とされる兵力も少なくなる。

 

 必要な兵力が少ないのなら、質を高めようと考えるのは自然な成り行きだ。対帝国戦の戦費の大半は、正面兵力の質的強化に投じられる。高価な兵器を装備した少数精鋭同士が争う。それが対帝国戦争の本質なのだ。だから、動員兵力数が少ないわりに、コストが高くなる。同盟経済を圧迫しているのは、軍隊ではなく軍事費の肥大化であった。軍縮しなければ、解決しないという反戦派の指摘自体は正しい。

 

「つまり、戦争をやめなきゃ解決しないってことですか」

「ま、究極的にはそういうことになるね。イゼルローンを挟んで延々と戦争を続けてるだけじゃ、根本的な軍縮は実現できない」

「要塞がこちらの手にあってもですか?トゥールハンマーぶっ放せば一発でしょう?」

「トゥールハンマーの射程を潜り抜けて要塞に接近する方法なんて、いくらでもあるよ。第二次、第三次、第五次、第六次の攻防戦では、同盟軍が要塞外壁まで肉薄した。そして、イゼルローン要塞が不落ではないってことは、去年証明された。イゼルローンの防御力は絶対的じゃない。だから、帝国軍も駐留艦隊を置いて、なるべく要塞に同盟軍を接近させないように戦った。トゥールハンマーはあくまで最後の切り札。最初からあてにするものじゃない」

 

 シドニー・シトレ元帥やウィレム・ホーランド少将が要塞外壁に直接攻撃を加えた場面は、この目で見た。前の人生で読んだ戦記では、カール・グスタフ・ケンプ、ナイトハルト・ミュラー、オスカー・フォン・ロイエンタールらも要塞外壁を攻撃した。特にロイエンタールはヤン・ウェンリーの防衛線をあっさり突き破った。一流の用兵家なら、イゼルローン要塞に肉薄するのは難しくないということだ。それがわかってたから、帝国軍も最初からトゥールハンマーに頼らなかったのだろう。

 

「イゼルローン方面軍だけに任せるわけにはいかないんですか?ハイネセンには後詰め用の艦隊を二つぐらい置いて、押し寄せてくる敵を削り続けてたら、金もかからないでしょう?」

「相手だって何の考えも無しに要塞に突っ込んでくるわけじゃないよ。それなりの勝算を立ててやってくる。無傷では勝てない。予備戦力を確保したい。イゼルローン方面軍が負けて、敵の大軍が同盟領に雪崩れ込んでくる可能性だってある。コルネリアス一世の前例があるからね。本土決戦用の戦力も必要になる。専守防衛でもお金はかかる」

「負け続けてるうちに、あちらさんが諦めるってことはありませんか?」

「反戦派の力が強い同盟だって、イゼルローンを七回攻撃して陥落させた。専制国家の帝国なら、反戦派に遠慮しなくていい。どれほど損害が出ても、軍事的脅威を排除するため、そして軍高官が手柄を立てるために、何度でもイゼルローン遠征軍が送り込まれるだろうね。何らかの協定でも結ばない限り、戦争は続く」

 

 敗戦の記憶も生々しい今は口に出して言えないが、情勢次第では同盟が再び帝国領に侵攻しようとする可能性だってある。要塞陥落のリスクを背負って回廊内で戦うより、アムリッツァ星域あたりまで確保して前進防衛ラインを構築した方が確実だ。イゼルローン要塞を確保した帝国が何度もティアマト星系確保を試みたのは、前進防衛ラインを築くためだった。

 

「和平するか、降伏させるかしないと、終わらないってことですか」

「そうだね。何の話し合いも無しに、勝手に戦いをやめてくれるなんてのは有り得ない。同盟も帝国もお互いに、隙を見せれば敵に付け入られると思ってるから」

「なるほど」

「大雑把に言うと、和平協定を結んで戦争を終わらせようと思ってるのが反戦派、降伏させてむりやり和平を結ばせようと思ってるのが主戦派ってことになるね」

「いやあ、実にわかりやすい説明でした。士官学校ではそういうことも勉強するんですなあ。戦略やら経済やら、兵隊あがりの私なんぞにはさっぱりです」

 

 ジャン曹長は第三六戦隊からの部下なのに、未だに俺のことを士官学校卒と勘違いしていた。今さら訂正するのもめんどくさい。

 

「そういうわけじゃないけど、こういう話も抑えておかなきゃ、政治家には相手にしてもらえないからね。覚えなきゃいけないんだよ」

 

 政治家であれば、国家予算の半分を費やす国防に無関心ではいられない。主戦派はもちろん、反戦派であってもひと通りの軍事知識を持っている。臨戦状態の同盟では、軍事音痴の軍隊批判に耳を貸す者はいないのだ。そして、政治家が興味を持つ軍事とは、平時における戦力整備、戦時における戦力運用、政治手段としての戦力行使、軍隊と政治経済の均衡といった戦略だ。だから、政治家と話すには、戦略、政治、経済の知識をひと通り身に付けなければならない。

 

「いつも疑問に感じるのですが、どうしてそこまでして政治家と付き合わなきゃいかんのですか?ビュコック提督やヤン提督は、そんなチャラチャラしたことはしないでしょう?いや、閣下がチャラチャラしてるとは、言いませんがね。ドーソン提督やロックウェル提督なんて、下手な代議員よりよほど政治活動に熱心です。ああいう方を見てると、疑問になるんですよ」

「戦いに勝つには、予算、兵力、物資が必要だ。そして、その分配を担当するのは政治家。彼らは国防の重要性を議会や市民にアピールして、予算を取ってきてる。だから、必要と思えないものに予算は出せない。ビュコック大将やヤン大将ぐらい偉い提督なら、何も言わなくても政治家が予算をつけるよ。でも、俺はそうじゃないからね。頑張って必要性を説かなければ、お金も人も物も手に入らない」

「戦争だけしてるわけにはいかないってことですか。面倒ですねえ」

「面倒だけど、シビリアンコントロールってそういうものだから」

「私にゃあわかりません」

 

 ジャン曹長は、苦笑混じりの声で答えた。どう反応していいかわからず、曖昧な笑顔で返す。

 

「しかし、このままでは埒があきませんな。ピタリとも動かんですよ」

「まいったな、これでは間に合わない。今日は面倒な用事だから、なるべく相手を待たせたくないんだけど」

「金は遣ってもまた稼げますが、時間はそうではありません。人件費をケチって時間を無駄にするなんぞ、本末転倒ですわ」

「まったくだよ。最近は何をするにも時間がかかるようになった」

 

 浪費した時間は二度と戻らない。だからこそ、用兵は巧遅より拙速を良しとする。素早く行軍できる指揮官、決断の早い指揮官は例外なく有能だ。時間を効率的に使う能力は、軍人に不可欠な資質である。俺がそれを持っているかどうかは、秘密ということにしておく。

 

「司令官閣下、車を降りて歩いて行きませんか?」

 

 そう提案したのは、ハラボフ大尉だった。

 

「確かにこれじゃあ歩いたほうが早いね。軍服で街中は歩きたくないんだけど、背に腹は変えられない」

 

 去年の帝国領遠征以降、軍のイメージは悪化する一方だった。軍服を着て歩くと、すれ違いざまに「税金泥棒」と呼ばれる。少年志願兵募集担当者がミドルスクールの進路担当者に面会を拒否される。街中で地上部隊が行進訓練をすると、たちまち苦情の電話が殺到する。途方もない人命と税金を浪費したあげくに惨敗し、戦犯を「軍に必要な人材」と擁護し、不祥事も後を絶たない。その挙句に地方で反乱を起こして、市民生活を脅かす。そんな軍に対し、市民の怒りは頂点に達していたのだ。

 

「こんなこともあろうかと、スプリングコートを用意しておきました。後ろのトランクに積んでいます」

「助かった。さすがはハラボフ大尉だ」

 

 ハラボフ大尉らしい気遣いに感心した。前任のコレット少佐と比べると機転に欠けるが、細かいところに良く気が付く。

 

「ありがとうございます」

 

 ありがたさの一欠片もないような表情で返事を返すと、ハラボフ大尉はさっさと車を降りてしまう。俺は彼女の後を追うように車を降りた。

 

 

 

 俺とハラボフ大尉は、国防委員会のあるキプリング街に向かった。軍用ベレーを外し、スプリングコートを羽織った俺達二人は、どこからどう見ても民間人以外の何者にも見えないはずだ。軍服と私服では、俺が他人に与える印象はかなり違う。通行人に正体がばれる心配もない。

 

 不満がないわけではなかった。一応ユニセックスらしいが、少々デザインがふわふわし過ぎてる。ハラボフ大尉が着てるようなかっちりしたデザインで良いのに。これでは、まるで俺がハラボフ大尉の副官ではないか。そう言えば、一昨年にフェザーンに行った時に、ハラボフ大尉が用意してくれた服も妙にふわふわしていた。一体何を考えているのか、冷たい表情からは伺い知れない。

 

 地下鉄ダンロー通り線に乗って、キプリング街四丁目駅で降りる。ほとんどの客は仕立ての良いスーツを着ている。官庁街のキプリング街は、最高評議会と九委員会、その他の政府機関が集中する行政の中枢だ。一三日の第二次トリューニヒト政権成立を目前に控えて、官僚、政治家、ロビイスト、政党スタッフといった人々が忙しく駆け回っているのであろう。

 

 地上に出ると、すぐに国防委員会ビルが視界に入った。旗、プラカード、横断幕などを手にした群衆がビルを取り囲んで、何やら騒いでいる。警官隊が出動しているが、群衆の数に比して人数は少なく、抑えきれないんじゃないかと心配になる。。

 

「まいったなあ。反戦派の抗議行動にぶつかったか」

「いえ、あれを見てください。憂国騎士団の団旗です」

 

 ハラボフ大尉が指した方向を見ると、確かに憂国騎士団の団旗がはためいている。

 

「ほんとだ。なんで、憂国騎士団が国防委員会を囲んでるんだろう?」

 

 憂国騎士団は親トリューニヒト、親軍部の過激主戦派団体。そして、国防委員会はトリューニヒト派の牙城。なぜ憂国騎士団が国防委員会に牙を剥いているのか、良くわからない。

 

「三日前にイゼルローン方面軍のヤン大将が憂国騎士団を批判なさいましたよね」

「ああ、そんなニュースもあったね」

 

 三日前、民主化支援機構元理事長ロブ・コーマック邸襲撃事件の第一回公判がハイネセン同盟地方裁判所で開かれた。コーマック邸襲撃犯として自首した憂国騎士団団員三名は、市民から英雄視されて減刑嘆願が殺到。公判は被告人の演説会と化した。多数派は「まさに憂国の志士」と拍手喝采を浴びせ、少数派は「くだらない茶番劇」と冷ややかな目を向けた。ヤン大将は後者に属する。

 

「民間人の家を焼くのが愛国心というのか?そんなに国のために戦いたいのなら、軍隊に志願すればいいじゃないか」

 

 テレビ局から超高速通信でコメントを求められたヤン大将は、苦々しげに述べた。反戦派有力軍人のこのような発言は珍しくもないし、立て続けに大事件が起きてる最中ということもあって、大した騒ぎにはなっていない。

 

「ヤン大将の発言に対する抗議行動ではないでしょうか」

「どうして、国防委員会なのかな?」

「方面軍司令官は国防委員長の指揮監督下にあります。イゼルローンへ行って直接抗議できないなら、監督者に抗議しようということでは?」

「ああ、そういうことか」

 

 ハラボフ大尉の説明に納得した。しかし、これだけ騒ぎになっていれば、中に入るのも大変そうだ。ほんの少し迷った末に、そのまま歩いて行くことに決めた。ただでさえ遅れているのに、これ以上待たせるわけにも行かない。遅れる旨は伝えているが、なるべく早く行った方がいい。憂国騎士団団員の隙を縫って早足で歩き、警官隊のいる場所まで辿り着けば、何事も無く入れるだろう。

 

 集まった憂国騎士団団員のほとんどは、私服姿だった。趣味の良い服を着ている者もいれば、みすぼらしい服を着ている者もいる。総体的に見ると、中流に属すると思われる服装の者が最も多い。年齢層は一〇代半ばの少年から、八〇を越えた老人まで様々だが、一番多いのは三〇代から四〇代。職場から消えたと言われる年代だ。性別は男性が多めだが、女性も決して少なくはない。世間がイメージする白マスクに戦闘服の憂国騎士団団員は、行動部隊に所属する専従の活動家だ。団員の大多数を占める一般団員は、ごく普通の市民なのである。

 

 人がまばらな場所を見つけた俺は、すかさず足を踏み入れた。敵陣の隙を見抜く勘、そして機を見て攻めに転じる決断力。それは死戦をくぐり抜けた提督にしか身につかない能力なのだ。

 

「きさまーっ!!何をしとるかーっ!?」

 

 一〇歩も歩かないうちに、見つかってしまった。たちまち、警棒を手にした白マスクの行動部隊隊員が集まってくる。

 

「どうしよう……?」

 

 白マスクの怒号が響く中、俺はすっかりびびってしまっていた。前の人生で極右団体構成員にリンチされた記憶が蘇り、膝がガクガク震えてくる。隣にいるハラボフ大尉は、即座に攻撃に移れるよう構えを取る。

 

 体格の良い白マスクが俺をちらりと見た。そして、何かを確認するかのように小さく頷くと、飛ぶような勢いで俺に駆け寄ってきた。ハラボフ大尉がすかさず俺の前にカバーに入る。白マスクとはハラボフ大尉の衝突を覚悟したその時だった。

 

「フィリップス少将閣下ではありませんかっ!!」

 

 白マスクは直立不動になって俺に敬礼をした。一体どういうことだろうか。殴られるとばかり思ってたのに、事情が飲み込めなくて混乱してしまう。

 

「小官をお忘れになりましたかっ!?」

 

 どこかで聞いた覚えがある声のような気もするが、この怒号の中では声質がわかりにくい。誰だろうか。

 

「隊長、隊長。マスク取りましょうよ!顔わかんないですよ!」

「ああ、そうか。うっかりしていた」

 

 隊長と呼ばれた男は、他の団員の指摘を受けて白マスクを外す。そして、改めて敬礼をした。

 

「ご無沙汰しておりました!レオニード・ラプシン予備役少佐であります!」

「ああ、貴官か。ヴァンフリート以来だな」

 

 思いがけない場所で懐かしい顔に出会った。ハラボフ大尉は事情を掴めないのか、困ったような顔で俺を見る。

 

「ハラボフ大尉、彼は俺の元部下だよ。ヴァンフリート四=二基地の憲兵隊にいたんだ」

 

 レオニード・ラプシンは、俺が隊長代理をしていたヴァンフリート四=二基地憲兵隊の第六憲兵中隊長だった。一昨年の四=二基地攻防戦で負った傷の後遺症がひどくて現場に復帰できず、大尉から少佐に名誉進級して現役を退いた。まさか、憂国騎士団の行動部隊に入ってるとは、思いもしなかった。

 

「現在は憂国騎士団行動部隊にて、大隊長の職を任せていただいております」

 

 満面の笑みを浮かべるラプシン予備役少佐。どんな反応をすればいいのだろうか。素直に賞賛するには引っ掛かりを感じるが、かと言って同情を示すのも何か違う。

 

「そうかあ」

 

 迷った挙句、曖昧な返事でお茶を濁すことにした。

 

「閣下に叙勲推薦をいただいたおかげです」

「貴官、そして散っていった第六中隊の将兵に報いる方法が、他に思い浮かばなかった」

「大勢の部下を死なせてしまったのに、おめおめと生き残った自分を恥ずかしく思いました。しかし、勲章をいただいたおかげで、救われた気持ちになったのです。軍には戻れませんでしたが、憂国騎士団で国を守るための戦いを続けております。私は果報者です」

「それは良かった」

 

 ヴァンフリート四=二基地憲兵隊は、俺の未熟さの犠牲になった部隊だ。その生き残りが暴力的な極右組織の幹部という立場であっても、笑顔で語れるような第二の人生を歩んでいるのは、喜ぶべきことだった。

 

「この場に集まった仲間は、みんな不本意な形で軍や警察を退いた者です。まだまだ国のために戦える。そんな思いを抱えて悶々としていた我々に、憂国騎士団が新しい戦場を与えてくれました」

 

 淡々とした口調で語るラプシン予備役少佐の目に、陶酔や狂信の色はまったくなかった。非人間的で怖いイメージがある白マスクの下には、人間の顔がある。そんな当たり前の事実に気づいた。

 

「ヤンは我々を戦場に出る勇気がない臆病者と嘲りました。戦場を奪われて、新しい戦場で生き返った我々を嘲笑したのです。自分が司令部で策略を練っている間、誰が体を張っていたのかを考えもせず、前線に出ろと煽り立てる。司令部だけが戦場とでも勘違いしているのでしょうか。とんでもない話です。鉄槌を下してやらなければなりません。そんな怒りが我々をここに結集させたのです」

 

 ラプシン予備役少佐の解釈は、ヤンの悪意を過大に見積もりすぎているように思う。ヤンはおそらく憂国騎士団の背景を知らない。ヤンは極右を嫌悪しているが、軍隊経験者がいるのを知っていて、わざと嘲るほど卑劣とは聞いたことはない。前の歴史の知識を抜きにしても、紳士という評判を覆すような事件は、現時点では起きていない。

 

 しかし、ヤンを弁護してラプシン予備役少佐をたしなめる気にもなれなかった。憂国騎士団の行動部隊に退役軍人や退職警官が多いのは有名な話だ。だから、火器や爆薬を使ったテロに長けている。ヤンは憂国騎士団の怒りを買って、官舎に爆弾を放り込まれた経験を持つ。憂国騎士団の背景に関心を示さないのはまだしも、火器や爆弾の使用から軍隊経験者の存在を想像しないのは、いかがなものかと思う。

 

 結局のところ、ヤンという人は典型的なエリート気質の個人主義者ではないか。遠くは良く見通せるが、足元は見えない。歴史や用兵には強い興味を持つが、他人の事情には興味が無い。大局的な戦略はわかるが、予算を引っ張る苦労、将兵の汗の臭いはわからない。視点の置き方次第で清廉高潔とも、冷淡かつ傲慢とも解釈できる。この件のヤンは、冷淡かつ傲慢に感じる。

 

「隊長のおっしゃる通りです。あいつは反戦派でしょう?『軍隊が強くなるのは危険だ』『軍隊は放っとけば悪いことをする』などと言って、軍隊を小さくすることばかり考える。エリートは何があっても、軍に残れるからいいですよ。辞めたところで再就職先は選び放題。軍隊が小さくなったら、真っ先に切られるのは我々下っ端。この不況じゃろくな再就職もありません。憂国騎士団に拾われなかったら、今頃はホームレスです。我々を切り捨てておいて、軍隊に志願しろなどと言う。今の軍は未成年者の志願しか受け付けないって、知らないんですかね?ふざけた話です」

 

 別の白マスクが話に割り込んでくる。ラプシン予備役少佐よりだいぶ若い声だ。不気味な白マスクを被った人から愚痴っぽい言葉を聞かされると、なんか不思議な感じがする。しかし、憂国騎士団団員の肉声というのは、とても興味深い。

 

「先日のミサイル爆発事故を知らんわけじゃあるまいに。亡くなった一四人は、みんな未成年だったろ。ヤンはどう思ってるんだろうな。我々が志願しないせいで、彼らが犠牲になったとでも思ってるのかねえ」

 

 今度は年配者っぽい白マスクが割り込んできた。職場の休憩室で話しているようなのんびりした口調と、白マスクのギャップがなんか面白い。

 

「あいつ、部隊で汗をかいたことないだろ。ほんの短い間だけ収容所にいた以外は、ずっと司令部勤め。司令官と参謀しか相手にしないまま、提督になっちまった。ああいう提督は細かいことに口を出さんから受けはいいが、下っ端に興味が無いだけさ。理屈ばかりで、人の苦労を思いやる気持ちがまったく無い。どんなに才能があっても、絶対に出世させたらいかんタイプだね」

 

 またまた別の白マスクが割り込んでくる。なんか、白マスクが口々に喋り始めて、収拾がつかなくなってきた。ただ、彼らが「冷淡なエリートに対する怒り」というかなりわかりやすい理由で動いているのは理解できた。

 

「司令官閣下。あまりお待たせしてはいけません」

「ああ、ごめん。行かなきゃね」

 

 ハラボフ大尉に肘を突っつかれて、長すぎる寄り道をしたことに気づいた。

 

「ご所用でしたか。お引き止めしてしまって申し訳ありません」

「いや、いいんだよ。貴官が元気になってくれていて嬉しかった」

 

 恐縮するラプシン予備役少佐に、笑顔で気持ちを伝える。

 

「閣下こそ同盟軍きっての名将と我々は思っております。ヤン・ウェンリーなんぞに負けぬ武勲を期待しております」

 

 答えに困ってしまった。昔の部下とはいえ、憂国騎士団団員にヤン・ウェンリーとの競争に勝つことを期待されるという妙な状況に戸惑っているのだ。

 

「期待してるのは、隊長だけじゃないですよ。うちの支部では、トリューニヒト議長の写真と一緒にフィリップス提督の写真も貼ってますから」

「えっ!?」

 

 俺の写真が憂国騎士団支部に貼られてるという他の白マスクの発言に、びっくりしてしまった。白マスクの下の人間臭さは面白いが、それでも憂国騎士団が他人の家を叩き壊す暴力集団という事実が覆るわけではない。そんな集団に持ち上げられるのは困る。

 

「他の支部でも写真を貼ってる所は少なくありません。憂国騎士団はフィリップス提督を応援しています」

 

 頭が痛くなった。ありがた迷惑もいいところだ。悪いイメージが付いたら、今後に差し支えるかもしれない。しかし、彼らの肉声を聞いてしまったから、あまり強いことは言えなかった。

 

「……ド・ヴィリエ大主教講話集二巻は買ったか?」

「……いや、まだだが。今月はちとポーカーの負けが込みすぎてな」

「……それはいかんなあ、母なる地球への信心が足りんのではないか」

「……いやいやいや、信心は足りてるんだが、金が足りんのだよ」

 

 呆然としている俺の耳に「ド・ヴィリエ大主教」「母なる地球」という単語が入ってきた。母なる地球とは、言わずと知れた地球教団のご本尊。ド・ヴィリエ大主教は前の歴史において、地下に潜った地球教の指導者として、ローエングラム朝銀河帝国やヤン・ウェンリー一派にテロ攻撃を仕掛けた人物である。現時点では穏健な教団だし、前の歴史でも権力者だけをピンポイントで狙って庶民に迷惑を掛けなかった。しかしながら、銀河政治のフィクサーとして隠然たる力を持つ教団の信者が憂国騎士団にいるというのは、何か冷やっとする。

 

「どうかなさったんですか?」

「地球教団の信者、憂国騎士団にもいるの?」

「ええ、結構多いですよ」

 

 ラプシン予備役少佐はあっさり肯定した。

 

「うちの組織は退役軍人がたくさんいるでしょう?地球教の慈善事業で世話になって、入信した者が多いんですよ。信者が入団後に他の団員を勧誘するケースも多いですね」

「ああ、なるほど」

 

 憂国騎士団の行動部隊には、退役軍人が多い。地球教団は退役軍人を対象とする慈善事業に大きな実績がある。貧困に苦しむ退役軍人が地球教団の世話になって入信し、憂国騎士団行動部隊で職を得る。ヤンのような良識派エリートに見捨てられた退役軍人に手を差し伸べたのが、フィクサーの地球教団や暴力組織の憂国騎士団だけだったというのは、何ともやりきれない構図だった。

 

 反戦派ジャーナリストのヨアキム・ベーンが『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』を信じるならば、ラプシン予備役少佐らは黒幕に利用されているということになる。しかし、利用するという形であっても、利用価値すら認めずに軍から放り出した人々よりましな気もする。

 

「ヨブ・トリューニヒト議長ばんざーい!エリヤ・フィリップス提督ばんざーい!」

 

 白マスクと一般団員の歓呼を背に、国防委員会のビルに入っていった。何が正しくて、何が間違っているのか。正直、わからなくなってくる。

 

 これから向かうのは、エル・ファシル逃亡者告発担当者ロザリンド・ヴァルケ准将のもと。厳罰を求める担当者とやり合わなければいけない。携帯端末のメールボックスには、国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将から昨晩送られてきたメール。「エル・ファシル逃亡者減刑嘆願に協力して欲しい。一度話を聞いてくれないか」という内容。

 

 国家級最戦線派の正義、主戦派の正義、反戦派の正義、ヤン・ウェンリーの正義、憂国騎士団の正義、ヴァルケ准将の正義、グリーンヒル大将の正義。一度にたくさんの正義を放り込まれた俺の頭の中は、カオスと化していた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。