銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百十話:大物の度量、小物のこだわり 宇宙暦797年4月9日 国防委員会庁舎~三月兎亭

 国防委員会の一室で面会した国防委員会高等参事官ロザリンド・ヴァルケ准将は、国立中央自治大学法学部に派遣されて弁護士資格を取得した法務部門の切れ者という経歴からは想像もつかないほど、優しげな風貌の女性だった。年齢は四〇歳前後。色白で彫りが浅く、おっとりとした感じがする。

 

「本日はお忙しい中お越しいただき、誠にありがとうございます」

 

 風貌に似つかわしい穏やかな声で、ヴァルケ准将は礼儀正しく礼を述べた。

 

「あまりフィリップス閣下にお時間を取らせるわけにも参りませんので、早速始めましょう」

 

 そう言うと、ヴァルケ准将は手元の分厚いファイルをめくった。中身は逃亡者告発関連の書類。俺が首都防衛司令官代理に就任して逃亡者告発担当から外れると、彼女が新しい担当者になった。今日は逃亡者の処分に対する見解の相違についての話し合いだった。

 

「エル・ファシル警備艦隊司令部作戦部員ケビン・パーカスト大尉についてですが……」

 

 ファイルをめくりながら、ヴァルケ准将は俺の下した判断について次々と質問をする。一つ一つ丁寧に回答したが、プロらしい鋭い突っ込みに押され気味だった。

 

 一時間ほどかけて質問を終えたヴァルケ准将は、パタンと音を立ててファイルを閉じると、俺の方を向いてゆっくりと口を開いた。

 

「寛大すぎます」

 

 表情も声色も穏やかなままで、ヴァルケ准将は言い切った。

 

「寛大すぎるかな?」

「ええ。法を大きく逸脱しています。明らかに手心を加えていると、市民には判断されますよ?」

「しかし、条文と判例から判断するに、この程度の処分が適当だと思う」

「市民感情に対する配慮が皆無です。あまりに市民感情から乖離していては、軍の信頼性が失われます」

「しかし、条文や判例から乖離しすぎると、もっと信頼性が揺らぐんじゃないか?」

「主権者は誰なのかを忘れてはなりません。市民は厳罰を求めています」

 

 要するに「市民の処罰感情を満足させる処分を下せ」と、ヴァルケ准将は言っていた。法律のプロにも二種類いる。法を厳密に運用するタイプと、状況に応じて柔軟な運用をするタイプだ。状況というのは、スポンサーの都合やプロ本人を取り巻く力関係のことだ。組織の法務部門では、組織の都合に応じた解釈をひねり出すタイプが重宝される。武勲と無縁のキャリアを歩んできたヴァルケ准将が、四〇そこそこで現在の地位を得た理由が理解できた。

 

「感情論に流されるべきではない。感情は一時のものだが、判例はずっと残る。一時的に盛り上がった処罰感情に従って不当な処分を下したら、悪い判例を作ることになる」

「不当な処分とは、去年の帝国領遠征の戦犯処分のことです。悪い判例を作った上に、軍事司法の信頼性が大きく揺らぎました。市民は軍の公正さを信頼できなくなっています。自浄作用がない組織とみなされているのです」

「あれは確かに……」

 

 去年の戦犯処分は色んな意味で悪い前例を残してしまった。法を曲げて戦犯を救ったせいで、市民の処罰感情が手の付けられないところまで高まった。擁護者のいないエル・ファシルの逃亡者を厳罰に処して、軍に対する信頼を取り戻すべきと主張するヴァルケ准将は、法律のプロとしては正しくないが、政治的には正しい。

 

「私見ですが、閣下こそ感情論に流されているのではありませんか?」

「小官が?」

「ええ。閣下はエル・ファシル警備艦隊に所属してらっしゃいましたね」

「そうだね」

「市民を見捨てて逃亡した者と袂を分かった閣下は、厳罰を求められるものとばかり思っていました。しかし、過去の仲間に対する贔屓があっても不思議ではない立場でもあります」

「そんなことはないよ」

 

 口先では素っ気なく否定したものの、内心では動揺していた。困ったことにヴァルケ准将の推測は、結論だけなら当たっていたのだ。過去に同じ部隊にいたからではなく、前の人生の自分と同じ境遇にあったからという理由ではあるが。

 

「さらに付け加えますと、閣下のもとにはリンチ少将の一番下の娘さんがおられます。名前はシェリル・コレット少佐」

「そうだね」

 

 ヴァルケ准将がコレット少佐の存在を認識していたことに、少し嫌な気分になった。彼女がリンチ少将の娘ということを知っている人間は、意外と多いようだ。エル・ファシルの逃亡者に対する断罪が盛り上がったら、さらに激しい攻撃にさらされるかもしれない。

 

「彼女に対する贔屓から、逃亡者に対する判断が甘くなっているということはありませんか?」

「えっ!?」

 

 驚きのあまり、大きな声をあげてしまった。そんな解釈が成り立つとは、想像もしなかった。

 

「二三歳で少佐。士官学校上位卒業者並みの昇進速度です。しかし、士官学校の成績は最下位に近く、これといった武勲もありません。本来ならまだ中尉でしょう。閣下の司令部にいるという理由以外で、彼女の早い昇進を説明するのは難しいように見受けられます」

「実力を評価したんだよ。彼女は才能がある」

「閣下のおっしゃる通り、才能があったとしましょう。しかし、才能とは表面に表れにくいもの。閣下が彼女を重用する理由に疑いを抱く声も少なくありません。品の無いことではありますが、彼女の容姿に理由を求める者もおります」

「そんなわけないだろう」

 

 苦々しさを隠す気にもなれなかった。そもそも、コレット少佐を副官に起用する際の最大のネックは、見苦しい容姿だったのだ。すっきり痩せたのは、採用から半年近く経った頃だった。勘ぐるのもほどほどにして欲しい。

 

「それならば結構です。士官学校上位卒業の経歴、もしくは誰もが納得できる武勲が無い若手の過度な重用は、反感を招きます。閣下のためにも本人のためにもなりません。ご注意ください」

「ああ、わかった。忠告ありがとう」

 

 何の感謝もこもっていない口調でヴァルケ准将に答えた。彼女の意見が常識に沿ったものであるのは認める。しかし、常識的であるからといって、好意的に受け止める気にはなれなかった。エル・ファシルの逃亡者問題、そしてコレット少佐の処遇。不安を残しながら、ヴァルケ准将との面会は終わった。

 

 

 

 西洋料理の名店三月兎亭は、ハイネセンポリスの中心部からやや外れた高級住宅街にあった。店内は品の良い調度品で統一されているが、気取った感じはない。店内の照明は薄暗くなっていて、テーブルに置かれたキャンドルの炎で明かりを採る。素朴な温かみがあって、ゆったりとくつろげそうな雰囲気だ。しかしながら、俺はくつろぐどころか、緊張の極致にあった。

 

「フィリップス少将は、こういう店には慣れていないのかな?」

 

 俺と向かい合って座っている国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将は、気さくな口調で問いかけてきた。肉付きの薄い端正な顔は、優しげな表情を作っている。きれいに撫で付けられた白髪交じりの頭髪、一見して高級品とわかる趣味の良いジャケットは、見るからにダンディだ。創造主が他人に好感を与えるという目的でこの人物を造形したんじゃないかと思ってしまう。

 

「ええ、まあ……」

 

 硬くなっていた俺は、目上相手にも関わらず、気のない返事をしてしまった。料理に熱中することでグリーンヒル大将から意識を逸らしてきた。しかし、最後のデザートを食べ終えてしまって、フルコースは終了した。もはや逃げることはできない。グリーンヒル大将に店選びを任せずに、大衆的な店を指定すれば良かったと後悔した。

 

「そこまでかしこまることもない。プライベートなのだ。もっと気楽にしなさい」

 

 俺の緊張ぶりに、グリーンヒル大将は苦笑した。のんきなものだ。俺がグリーンヒル大将を目の前にして落ち着いていられるわけがないのに。

 

 彼は帝国領遠征軍総参謀長として、一五〇〇万の死者・行方不明者に責任を持つ立場でありながら、アンドリュー・フォークとその後を継いだリディア・セリオにすべての責任を押し付けて、軍中枢に留まった。遠征軍の生き残りとして、そしてアンドリューの友人として、納得の行かないものを感じる。第一二艦隊の名誉のために奔走してくれたとはいえ、彼の無責任な対応が抗命行為の直接的な引き金になったことを考えると、素直に感謝するのは難しい。

 

 前の歴史ではクーデターを起こして、国家に巨大な損失を与えた。今もクーデターを企てているとの疑惑をかけられて、情報部の監視を受けている。同盟軍上層部に強力な人脈を張り巡らせているだけに、不気味な存在だ。

 

 エル・ファシルの逃亡者の減刑運動について話したいと言われてやってきたが、この時期に呼び出されると裏を感じてしまう。万が一に備えて、店内に客を装った護衛七人、店の周囲に通行人や工事作業員を装った特殊部隊二〇人を待機させているが、安心はできない。

 

「軍の大先輩の前ですから」

「ははは、私のような能力の無い者でも先輩と認めてもらえるわけだ。嬉しいな」

 

 皮肉とも取れるような言い回しであったが、グリーンヒル大将の表情や口調には、屈託がまったく感じられない。素直に喜んでいるように思える。

 

「ご冗談を」

 

 冷や汗が流れる。明らかにグリーンヒル大将に押されていた。アラルコン少将の時もそうだったが、警戒している相手に気さくに接してこられると、ペースが狂ってしまう。

 

「冗談ではないさ。君は私なんかよりずっと優秀だ。二九歳の時の私は大佐だった。それも士官学校を首席で卒業したおかげで昇進できた。君は士官学校を出ていないにも関わらず、実力で少将に昇進した。差は明らかではないかな?」

「上官、同僚、部下に恵まれました。自分の力など微々たるものです」

「誰に対しても良き上官であり、良き同僚であり、良き部下である者はいない。たまたま君が良い人間に巡り会えたわけではない。君の力が彼らを良い人間にした」

 

 静かに、そして力強くグリーンヒル大将は言い切る。

 

「それほどのものでもありません」

「私には才能がなかった。用兵家としても、参謀としても、そつなくこなせるだけで際立った物はなかった。ならば、せめて才能ある者を育てる。それを自分の仕事と思い定めて生きてきた。人に甘すぎる、人を見る目が無さすぎると良く言われた。見込み違いの者もいたし、恩を仇で返す者もいた。それで構わないと思っていた。一〇人に一人でも物になってくれたら、十分に釣りが来る」

 

 淡々とした声でグリーンヒル大将は語る。彼が才能を愛する人物であることは有名だった。そして、人に甘すぎるということも。彼が目を掛けた者には、大成した者も多いが、問題を起こした者も多い。

 

 グリーンヒル大将の期待を裏切った者で最も有名なのは、アーサー・リンチ少将である。士官学校時代から目を掛けられたリンチ少将は、功績を重ねて四〇そこそこで少将に昇進。一〇年後の宇宙艦隊司令長官候補と言われていた。それがエル・ファシルで市民を見捨てて逃亡して捕虜となり、今は生死さえわからなくなった。

 

 最近では、軍事面の知恵袋だったポルフィリオ・ルイス中将が期待を裏切った。指揮官としても参謀としても一流の実績をあげて、三〇代半ばにして中将に昇進。軍人としては大成したが、人間性に問題があった。士官学校の教官だった時に、ヤン・ウェンリーの才能を見出したが、戦略研究科に転科させる際の悪辣な手口で憎悪を買った。アスターテでは第四艦隊に属していたが、交戦開始と同時に味方を見捨てて第二艦隊と合流して武勲をたてた。そして、現在は恩人のグリーンヒル大将がクーデターを企てていると言いふらしている。

 

 このような失敗にもめげずに、「一〇人に一人でも物になってくれたら、十分に釣りが来る」と言い切って、才能ある者を育てようとする度量には感心させられる。

 

「閣下に推薦していただいたメッサースミス少佐も良く頑張ってくれています」

「君と共に仕事をした者は、凡庸な者であっても花開く。メッサースミス君は良い若者だ。一時は娘と結婚させようと考えたこともある。彼が君の下でどのように花開くのか、楽しみにしている」

「恐れ入ります」

 

 生涯をかけて才能を育ててきた人物に、ここまで言われると恐縮してしまう。

 

「私は上の立場から人の才能を伸ばすことしかできない。しかし、君は下の立場からでも伸ばすことができる。その最たるものがドーソン大将だ」

「そんなことはありません。小官がドーソン閣下に力を伸ばしていただいたのです。あの方が上官でなければ、今日の小官はおりませんでした」

「ドーソン大将は、厳格に過ぎて独善的と言われていた。側近にも誹謗中傷を好む者、不要な提案をして点数を稼ごうとする者が多かった。しかし、憲兵司令官を務めた時に、誠実な副官を得たことで欠点が改善された。穏やかな者や生真面目な者が側近に集まるようになり、誠実さ、情の厚さといった良い面が前面に出るようになった。誠実に取り組む副官の姿勢が、ドーソン大将を良い上官にしたのだ」

「小官はそれほどのこともしておりません」

 

 あまりに過分な評価に戸惑った俺は、そっけない言葉を返してしまった。笑顔を作って、無愛想な印象を与えないように心がけてはいるが、どこまでグリーンヒル大将に伝わっているだろうか。

 

「ドーソン大将は、有能過ぎてすべてを自分で取り仕切ろうとするところがあった。プロ意識の強い参謀とは、事あるごとに対立した。しかし、第一一艦隊司令官を務めた時に、人柄の良い参謀を得たことで欠点が改善された。その参謀が他の参謀の言葉をドーソン大将に聞き入れやすい形に直して伝えることで、艦隊運営は改善された。ドーソン大将が敵の不意打ちを受けて平常心を失いかけた時、その参謀の言葉によって立ち直った。争いを避けながら向き合おうとする参謀の人柄が、ドーソン大将を良い提督にしたのだ」

「他にできることがありませんでした」

 

 グリーンヒル大将は、俺が憲兵司令部や第一一艦隊司令部でやってきた努力を良く調べているようだった。その上で過分な評価をしてくれる。目上の人にここまで手放しで褒められると、気恥ずかしくなる。どうも、グリーンヒル大将の思惑が読めない。

 

「君は他人と功績を争うのではなく、功績を立てさせることによって栄達した。上司だろうが、同僚だろうが、部下だろうが、有能な者だろうが、無能な者だろうが、引っ張り上げる力が君にはある。地位が上がって、関わる人間が多くなればなるほど、君の力は発揮される。いずれは統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官にもなると、私は見ている。軍を退いたとしても、必ず別の場所で頂点を極めるだろう」

「身に余るお言葉です」

 

 過分を通り越して、法外と言っていい評価をグリーンヒル大将は述べた。ヨブ・トリューニヒトを除けば、ここまで高く俺を評価してくれた人はいない。しかし、相手が相手だ。動揺が喜びをはるかに上回る。

 

「しかし、その素晴らしい君の力も二〇歳を越えるまでは、まったく発揮されることが無かった。ジュニアスクール、ミドルスクール、ハイスクールのいずれでも平凡な生徒だった。ハイスクールを卒業した後は、パン屋で半年ほどアルバイト。その後、コーヒーショップにバイト先を変えた。中流階級の若者としては、ごくありふれた経歴といえる。そんな君の人生の転換点は、九年前のエル・ファシル脱出作戦。アーサー・リンチ少将の命令を拒否したことから、すべてが始まった」

 

 グリーンヒル大将の声がナレーションのように頭の中に響いた。俺の経歴を徴兵以前までさかのぼって把握している。すべて調べあげた上で俺と向き合っている。褒め言葉も単なる社交辞令以上の意味があるに違いない。注意していたつもりではあったが、想像以上に油断ならない。

 

「ここで一つ質問をしたい。あの時にリンチ少将の命令に従えばどうなったか、一度でも想像したことがあるかな?」

 

 その質問は言葉の矢となって、俺の心臓を打ち砕いた。どこまで俺を動揺させれば、気が済むのだろうか。想像するも何も、俺は実際に経験した。思い出したくもない経験だ。

 

「……非難されていたでしょうね」

 

 辛うじて声を絞り出して答える。

 

「君は記者会見で『エル・ファシルで市民を見捨てて逃げた卑怯者と言われることが怖い』と言った。結果として、それは正しかった。君と異なる選択をした者は、断罪を待つ身となっている」

「あの記者会見、ご覧になっていたのですか?」

「ちょうど、妻が娘を連れてエル・ファシルに帰省していたのだ。心配で心配でたまらなくて、ずっとテレビを見ていた。君の言葉は本当に頼もしく感じられたよ」

「恐縮です」

「しかし、それももう過去の話だ。三〇〇万人の民間人は誰一人欠けることなく生還した。私の妻子は無事に戻ってきた。君は栄達の道を歩んだ。一方、逃げた者は帝国の収容所で九年過ごした。今さら憎む理由は無いと、私は思っている」

 

 グリーンヒル大将は、どこまでも大物だった。自分の顔に泥を塗り、妻子を危機に晒したリンチ少将とその部下に怒るのが当然と思われる立場なのに、何のわだかまりも感じさせない。

 

「小官もそう思います」

「君がエル・ファシルの逃亡者に対して、寛大な処分を求めたと聞いた時、意外に思った。彼らが批判を受ければ受けるほど、あの時の君の選択は正当化される。最も厳しく一番断罪を求めるだろうと思っていた」

「同じことをヴァルケ准将に言われました」

「彼女なら、そう言うだろう」

「個人的な感情と法の運用は別物であると答えました」

「納得してもらえたかね?」

「無理でした。市民感情への配慮が足りないと」

「市民感情に左右された量刑のどこが公正なのだろうか。感情に流されるだけでは、法律の意味が無いのだが」

 

 憂い混じりに嘆息するグリーンヒル大将に、少し違和感を感じた。法の運用が市民感情に左右されてはならないという言葉自体は正しい。しかし、巧妙に立ち回って敗戦責任を逃れた人物に、法の公正を口にされると、「何様のつもりだ」という気持ちが湧いてくる。大物過ぎて、俺のような小物の感情に無頓着なところがあるのではないかと少し思った。

 

「仲間同士のかばい合いを疑われる事例も少なくありません。最近は軍に対する逆風もますます強くなっています。神経質になっても無理は無いでしょう」

 

 俺は遠回しに帝国領遠征の敗戦責任問題について言及した。グリーンヒル大将のように、法に照らせば裁かれるべき人間がまったく裁かれなかった。その事実が法の信用を失わせて、憂国騎士団の暴力的な断罪に支持を与えたのだ。

 

「君は『月刊国防研究』の三月号を読んだかね?」

「はい、読みました」

 

 国防研究所が刊行している『月刊国防研究』には、最新の戦略研究の成果が掲載されている。軍人はもちろん、政治家の購読者も多く、国防政策に及ぼす影響力は大きい。主流的な論説から大きく外れたことは書いてないため、「優等生の作文」と馬鹿にする者もいる。それでも主流的な意見を知るには都合が良いため、毎月購読していた。

 

「今年度の対帝国戦略シミュレーションの記事はどうだった?」

「どうでしたっけ?記憶にありません」

 

 月刊国防研究の目玉記事の一つに、毎年三月号に掲載される対帝国戦略シミュレーションの結果報告がある。同盟軍と帝国軍の最新データを使い、国防研究所の研究員が全銀河を舞台に戦略レベルの模擬戦闘を行う。ラインハルトの台頭、ヤン・ウェンリーのイゼルローン攻略のような常識から外れた事件は予測できないが、両軍の現有戦力を反映した結果になるため、戦略立案の参考になると評判だった。

 

「そうだろう。載っていないのだから」

「どういうことですか?」

「公表できないような結果が出た。だから、掲載されなかった」

 

 グリーンヒル大将の言葉に耳を疑った。そんなことが有り得るのだろうか。

 

「詳しく教えていただけないでしょうか?」

「既に帝国で内戦が始まった今となっては無意味な結果になったが、内戦が起きないという仮定で今年一年間の戦略シミュレーションを行った。イゼルローン回廊は二度にわたる帝国軍の攻勢によって突破され、エルゴンに至る星域はことごとく陥落。シャンプールに押し込められた辺境総軍が第一艦隊と第一一艦隊の来援を得て、帝国軍五個艦隊を迎え撃つところで全ターンが終了した」

「えっ!?」

 

 あまりにも衝撃的な結果に、呆然としてしまった。国防研究所のシミュレーションは、指揮官の能力を戦力係数の一要素として組み込んでいる。これまでの実績からすれば、ヤン大将の戦力係数は、「一個艦隊の司令官として最優秀」といったところだろう。昨年までの実績から想定されるイゼルローン方面軍の実力では、帝国軍に回廊を突破されてしまうと予測しているのだ。辺境総軍は精鋭だが、シャンプールに押し込められた段階で相当な戦力を失ったはずだ。数ターン続いていたら、シャンプールを突破した帝国軍がバーラト星系に向かっていたのは間違いない。

 

「敵国の内戦のおかげで執行猶予を与えられた死刑囚。それが今の我が国だ。内戦がどれだけ続くかはわからない。しかし、内戦が終わったら、どちらが勝っても帝国政府の指導力は著しく強化される。強い政府のもとで急速に戦力を回復した帝国は、いずれ大挙して我が国に攻め込むだろう。何年後になるかは分からないが、五年を越えることは無いと私は考えている」

「五年以内という根拠はなんでしょうか?」

「帝国の新指導者は、あまり長い時間を内政に費やすことができない。改革派が勝利して貴族特権を廃止すれば、一〇兆帝国マルクが得られる。しかし、それは一時金でしか無い。早期に我が国との戦争を終結させなければ、帝国財政の赤字構造は解決しない。一〇兆帝国マルクで財政危機を回避できる期間は五年が限度。改革派が積極財政政策を採用するか、貴族特権を保持する保守派が政権を取ったら、もう少し短くなる。だから、帝国は五年以内に必ず決戦を挑んでくる」

 

 経済的な理由を根拠にしたグリーンヒル大将の予測は、驚くほど前の歴史に沿っていた。内戦に勝利して政権を握ったラインハルト・フォン・ローエングラムは、七九九年に惑星ハイネセンを攻略。翌八〇〇年に再度ハイネセンを攻略して、同盟を完全に併合した。

 

 前の人生で読んだ歴史の本では、政権を獲得したラインハルトが基盤固めも終わらないうちに同盟に攻め入った理由を、ラインハルト個人の好戦性に求めた。しかし、財政問題に理由を求めるグリーンヒル大将の説明の方がすっきりしている。ラインハルトは貴族特権廃止で得た資金を軍拡や福祉政策につぎ込んだ。当然、財政上の猶予期間は短くなる。短期決戦を挑むのも当然の道理と言えた。

 

「なるほど。そう言えば、帝国の財政危機も我が国と負けず劣らず深刻でしたね。前財務尚書カストロプ公爵が亡くなる直前に、貴族財産課税に言及したほどですから」

「一度攻勢を凌げば、帝国は我が国に和平を申し込むか、財政破綻するかの二択を迫られる。だから、我が国は戦力再建を急がねばならない」

「それはおっしゃる通りです」

「そのためには、少しでも多くの戦力を確保する必要がある。だから、私はエル・ファシルで逃亡した者を擁護する。むろん、彼らは数的にも質的にも弱小な集団だ。今の我が国に必要なのは、どのような者であっても戦列に加えるという姿勢なのだ。今は派閥争いをしている時ではない。そして、断罪の名のもとに法を曲げて感情を満足させている時ではない。わだかまりを捨てて団結し、戦力を再建すべき時なのだ」

「団結は必要だと思いますが……」

 

 グリーンヒル大将の分析、そして問題意識はきわめて説得力に富むものだった。今の同盟軍では派閥争いが激しくて、帝国軍より他派閥を憎んでいるようにすら見える。同盟社会は断罪に熱中して、処罰感情を満たすことに熱中しているように見える。こんな状況で戦力を再建できるとは思えない。

 

 ひっかかる点があるとすれば、それはグリーンヒル大将自身にあった。彼の作戦指導によって、同盟は一五〇〇万を失った。彼が敗戦責任を逃れたせいで、市民は断罪を望むようになった。同盟を苦境に陥れた人物が、苦境を脱するための団結を呼びかけるということに、釈然としないものを感じてしまう。

 

「第一二艦隊にいた君には、戦犯の私がこのようなことを言っても、うさんくさく聞こえるのかもしれないな。そう思われても仕方のない面はある。言い訳と思うのなら、そう思ってくれても構わない。今さら格好を付けられる立場でないことぐらいは分かってる」

「そんなことは思いません」

 

 慌てて否定した。俺の持っている疑念をまったく否定せず、自分を良く見せようともしない。そんな態度に出られると、人間性を疑っている相手であっても、申し訳なくなってしまう。

 

「点と線の確保に最適化された我が軍には、面を制圧する能力は無い。イゼルローンからオーディンに至る点と線の確保という計画が、解放区民主化支援プランの追加によって、帝国領という面の制圧を目的とする計画にすり替えられた時点で、イオン・ファゼカス作戦の失敗は避けられなかった」

「なぜ反対なさらなかったのですか?」

「議会の決定は、最高評議会議長であっても覆せない。決定が下った以上、総司令部の仕事は目標達成に全力を尽くす以外にはない。ロボス元帥が最高評議会に直接作戦案を持ち込んだ経緯から、総司令部は政府に大きな借りを作っていた。強く意見できる立場ではなかった」

「そういうことでしたか」

 

 総司令部は目標が修正された時点で、帝国領遠征の失敗を予測していた。しかし、動き出した時点では、もう止めることができなかった。何ともやりきれない事実だ。本気で勝てると思っていてくれた方がまだ救いがあった。だが、グリーンヒル大将は総司令部の重鎮ではあっても、作戦案を持ち込んだロボス元帥の一派ではない。立場的には巻き込まれたようなもので、この点において非難できない。

 

「政府からは半日おきに前進と勝利を求める通信が入ってくる。前線からはひっきりなしに作戦継続の不利を訴える報告が入ってくる。勝利を得るのは難しく、即時撤退は絶対に政府が認めない。そんな中、我々は政府と前線の両方を満足させつつ、破局を回避する道を探った。早期に大きな戦果をあげて、作戦を終了させるという道だ。結局、何一つ達成できず、君達に犠牲を強いるだけに終わってしまった。本当に済まないと思う」

 

 グリーンヒル大将は、机に両手をついて頭を下げた。言葉から自己を正当化するような響きは全く感じられない。悔恨のみが伝わってくる。

 

「やめてください」

 

 情けなくなるぐらいに、声が上ずっていた。テレビでグリーンヒル大将の謝罪を見た時は、「頭を下げるぐらいで済むものか」と意地悪な感想を抱いたものだ。しかし、ずっと目上の相手に、目の前で頭を下げられると、とても悪いことをしたような気持ちになってしまう。本当に俺は小心者だ。

 

 何も言わずに頭を下げたままのグリーンヒル大将と俺の間に、気まずい時間が流れる。彼がゆっくりと顔を上げた時、安堵で胸がいっぱいになった。

 

「罪に服するという道もあった。しかし、それで自分の不手際で死なせてしまった者に対する責任を果たせるのだろうかと思った。死んだ者が生きていれば負うであろう責任、すなわち祖国防衛の責任を彼らの分も背負うことが本当の贖罪ではないか。そう考えて、私は軍に留まった。卑怯者の言い訳と思ってくれても構わない。第一二艦隊にいた君には、その資格がある」

 

 しっかりと俺の顔を見据えるグリーンヒル大将の目には、卑怯者とは程遠い覚悟が宿っていた。手の内を全部明かし、正面から向き合おうとする。そんなグリーンヒル大将の姿に、フェザーンで出会ったパウル・フォン・オーベルシュタインが重なって見えた。誠実で責任感が強いがゆえに、卑怯者の汚名も厭わないタイプだ。単なる卑怯者より、ずっと恐ろしい。

 

 身内同士のかばい合いを嫌悪するビュコック大将やヤン大将がグリーンヒル大将を擁護する理由もようやく理解できた。彼らは「戦いを口にするなら、血を流すべきだ」という血の論理を信じている。そして、死んで責任を取るという発想を嫌う。卑怯者の汚名を被ってでも戦い続けるというグリーンヒル大将の責任の取り方に、彼らは深い共感を覚えたのだろう。あるいは彼らがそれを勧めた可能性もある。

 

「私には軍を再建する責任がある。今は少しでも多くの戦力を集めなければならない時だ。エル・ファシルで逃げた者に機会を与えたい。そのための協力をお願いしたいのだ。エル・ファシルの英雄と言われた君が声をあげてくれたら、世論の流れも変わるかもしれない。引き受けてもらえるだろうか?」

 

 エル・ファシルの逃亡者に機会を与えたいというグリーンヒル大将の頼みは、前の人生で機会を奪われた俺には、とても誠意のこもったものに思えた。前の人生でこの言葉を聞いていたら、歓喜で涙を流したに違いない。

 

 しかし、それでもなお釈然としないものがあった。グリーンヒル大将が政府と前線の両方を納得できる道を誠心誠意探っていたとしても、第一二艦隊を犠牲にしたことには変わりはない。アンドリューに責任を押し付けて生き延びたことにも変わりはない。問い詰めたら誠意ある謝罪の言葉が返ってくるのは分かっていても、やはりグリーンヒル大将の処罰を求める気持ちは残る。心中で血涙を流しながら、必要な犠牲として切り捨てたのだとしても、切り捨てられた者に深い縁を持つ者としては、やはり容認できなかった。

 

 前の人生の経験から考えれば、グリーンヒル大将に協力すべきであった。しかし、今の人生で抱いた感情は、許せないと主張する。俺は信頼関係を大事にして生きてきた。それはつまり、一人一人との感情的な繋がりにこだわりを持つということでもある。帝国領遠征で死んでいった者に対するこだわりが、総司令部の首脳陣にいた者と協力することを許さない。グリーンヒル大将が能力も人格も傑出した存在なのは認めるが、それとこれとは話が別だ。感情の繋がりによって戦い抜いてきた俺には、ビュコック大将やヤン大将のような大局的な視点に立てなかった。

 

「おっしゃることはわかります。しかし、閣下には協力できません」

「理由を聞かせてもらえないか?法の公正な運用を重んじる君と、来るべき祖国防衛戦争に備えて戦力を集めようとする私。国益という点で一致できると思っていたが」

 

 口先で言った法の公正な運用など、方便に過ぎない。前の人生の自分と同じような境遇にある者を放っておけないという感情が根っこにある。別の感情が満足しない以上、グリーンヒル大将とは手を取り合えないのだ。

 

「自分は第一二艦隊の生存者、そしてアンドリュー・フォークの友人です。婚約者はアムリッツァで亡くなりました。自分の中では、あの戦いはまだ終わっていません。整理できるまで、時間をいただきたいのです」

 

 目を伏せて、割り切れない感情があることを遠回しに伝えた。強い言葉で感情を伝えたら、腰の低い態度に気勢を削がれてしまうだろう。理論的に批判しようとしても、ビュコック大将やヤン大将のような人物を納得させられるだけの正当性を主張できる人物相手には、分が悪すぎる。衝突を回避するのが最善だと判断した。

 

「そうか、わかった」

 

 グリーンヒル大将は、俺の言葉に納得したように深く頷いた。

 

「ホーランド少将も同じことを言っていた。時間が必要というのは、理解できる」

「あのホーランド少将ですか?」

 

 唐突にウィレム・ホーランド予備役少将の名前が出てきたことに驚いた。捕虜交換によって帰国した彼は、再起不能の重傷を負っていた。もはや軍に復帰できる見通しも立たず、予備役に編入されて療養生活中と伝えられる。旗艦を撃沈された際に一緒にいた者の生死について一切触れようとせず、精神的にも再起不能では無いかと噂されていた。そんな人物とグリーンヒル大将が接触しているというのは、穏やかではない。

 

「先日、見舞いに行ってきた。あのような結果になったとはいえ、彼の才能には惜しむべきものがある。再起のきっかけになったらと思って、協力を頼んだ」

「どうでしたか?」

「落ち込んでしまっていて、まったく会話にならなかった。何も考えられない状態だと言っていたよ。痛ましいことだ」

「そこまでひどい状態でしたか……」

 

 俺の恩師ともいうべき存在で現在は生死不明のイレーシュ・マーリア大佐を戦いに巻き込んだホーランド少将には、あまり良いイメージがなかった。だが、こうも心身に深い傷を負っていると聞くと、少しかわいそうになる。

 

「エル・ファシルの逃亡者、ホーランド少将、その他にも戦力として活用できる人材は数多い。彼らを再び戦列に呼び戻し、すべての力を結集させる、それが自分がなすべき最後の戦いだと考えている。もはや、時間は残されていない。だが、無理強いをするつもりもない。君の協力が得られる日を待っている」

 

 そう言うとグリーンヒル大将はすっと立ち上がった。一八〇センチを越える長身が彼の人物としてのスケールの大きさをそのまま象徴しているように感じる。才能を育てることに生涯を賭ける教育者。帝国の侵攻を五年以内と予測して、戦力を集めようとする戦略家。グリーンヒル大将の目線は、常に遠い未来を見ている。

 

 近日中に国家救済戦線派のクーデターが迫る中、グリーンヒル大将との出会いがどのような意味を持つのか。身長相応に低い俺の目線では、計り知ることができなかった。


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