銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第九話:虚像は果てしなく大きく、果てしない高みへ 宇宙暦788年9月 ハイネセン市

 ハイネセンに着くと、俺は一等兵から兵長に二階級昇進した。厳密には上等兵に昇進した六時間後に兵長に昇進したのだけど。ヤンも大尉に昇進した六時間後に少佐に昇進した。生きている人間には二階級昇進は許されないという建前のおかげだ。特別大きい功績を立てた軍人が一階級昇進した数週間後に再び昇進して事実上の二階級昇進を果たすことはあるけど、それだって特例中の特例だ。エル・ファシル脱出作戦に参加した俺とヤン以外の軍人は全員一階級昇進。俺とヤンがどれだけ特別扱いされているか良く分かる。

 

 それからは一日で幾つもの記念式典や表彰式に参加し、合間に番組出演やインタビューをこなすという過密スケジュールだった。授与された勲章は四つ、各種団体から受けた表彰は三十四。特に自由戦士勲章受章は大きく報道された。

 

 自由戦士勲章は味方を助けるために死んだ者に与えられる同盟軍の最高勲章だ。生きて手に入れられるのは単艦で数十隻の敵艦を突破して生還するような人外ぐらい。俺は人外の域に達していると公式に認められたことになる。自分の虚像がどんどん膨らんでいくのが恐ろしかった。それも軍の都合で膨らまされているのだ。

 

 表彰が一段落すると、合間にやっていた番組出演やインタビューがメインの仕事になった。気の利いたことも言う頭もなく、勇壮なことを言う胆力もない俺は、できる限り真面目に答えることだけを心がけたのだが、世間は英雄に機知よりも誠意を期待していたらしく、俺の発言は好意をもって受け入れられた。

 

 軍服を着た俺の笑顔が雑誌の表紙を飾り、街には俺の写真を使ったポスターがあふれた。俺という人間はさっぱり変わっていない。内面は卑屈なままだし、容姿も六〇年前に逃げた時と変わらず冴えないままだ。それなのに何を言っても英雄らしく聞こえ、何をしても英雄らしく見える。俺という人間が「英雄エリヤ・フィリップス」という巨大な虚像に飲み込まれつつある気がした。

 

「まるで芸能人みたいですね」

 

 クリスチアン少佐に見せられたスケジュール表を見てため息をつく。バラエティ番組の予定まで入っている。

 

「これも任務だ。芸能活動のような浮ついたものではない」

「その浮ついたことをしたくないんですよ。人に見られるの苦手なんです。自分の姿がメディアを通じて大勢の人に見られるなんて想像するだけでゾッとするんですよ」

 

 人に見られるのが怖くなったのは捕虜交換から帰った後だった。どこに行っても汚物を見るような視線を投げつけられた。同盟が滅んだ後は卑怯者と言われることもなくなったが、すっかり身を持ち崩してしまってやはり汚物のように見られた。黙っていれば何を考えているかわからなくて気持ち悪いと言われた。口を開けば卑屈で気持ち悪いと言われた。笑っても泣いても気持ち悪いと言われた。他人の視線に怯えていた。この夢の中では悪意のない視線を向けられることが多いが、それでも見られている事自体が怖い。

 

「意外だな」

「え?」

「貴官は華がある。人目を引く振る舞いが板についている。見られることに慣れているとばかり思っていた」

 

 首を横に振る。華があるなんて言われたことがない。捕虜交換の後はもちろん、捕虜になって逃亡者のレッテルを貼られる前もだ。昔の容姿と今の容姿を比べてもまったく違いはないはずだ。しかし、クリスチアン少佐にそんなことを言っても仕方がない。話が通じるとは思えない。

 

「考慮しよう」

 

 怒声で返されると思ったが、少佐はいつもの不機嫌そうな口調でそう答えた。その次の日からメディアへの出演予定が少し減った。落ち着いた番組への出演が中心になり、ウケ狙いの記事を書こうとする軽薄なインタビュアーは来なくなった。パーティーへの出席もパタリとなくなった。

 

 

 

「それはクリスチアン少佐が頑張ってるおかげですよ」

 

 ヘアメイクのガウリ軍曹が俺の髪をセットしながら言う。二〇代後半の彼女は統合作戦本部広報室に所属しており、メディアに登場する軍人のコーディネートを行う。そう、今の俺には専属のヘアメイクまで付いているのだ。

 

「その点、ヤン少佐はついてないな。担当のグッドウィン大尉が張り切ってぎっしりスケジュール詰めこんでる。昨日なんてセクシータレントがドッキリ仕掛ける番組まで出てただろ。飯を食う暇もないんじゃないか?」

 

 ルシエンデス曹長が口を挟む。この小奇麗なおじさんは俺の担当カメラマン。軍のカメラマンとは言っても一般的にイメージされる従軍カメラマンとは違う。軍の広告に使われる写真を専門に手がけていて、前線に出ることはない。軍服を着た人を格好良く撮ることにかけては右に出る者はないそうだ。

 

「え?軍の広報の仕事では、食事と睡眠の時間は必ず確保する決まりじゃないんですか?」

 

 出演が減る前から食事時間と睡眠時間は長めに取られた。疑問に思った俺がクリスチアン少佐に質問したところ、「決まりでそうなっている」と説明されたのだ。

 

「まさか。普通はスケジュールぎっしり詰め込むよ。食事は移動中。慢性的な睡眠不足で移動中に寝て補う。旬のうちに出せるだけ出そうって思うのは軍も民間も同じだ」

 

 知らなかった。ルシエンデス曹長は一〇年以上広報室にいるベテラン。クリスチアン少佐は陸戦隊から広報室に異動したばかり。どちらが正しいかは言うまでもない。

 

「少佐は部下の待遇改善には人一倍熱心な方ですからね。『部隊は我が家。上官は我が親。同僚は我が兄弟。部下は我が子』という言葉を自分の部隊の標語にしていたそうですし」

 

 ガウリ軍曹の言葉が意外だった。ちゃんと話したのは初対面の時だけだけど、「良い待遇を求めるなど甘え」と言いそうなイメージがあった。初対面の時のブチ切れも軍隊を我が家だと思ってたからなんだろうな。標語のセンスにはちょっと付いて行けないけど。

 

「あの人は軍隊を本気で我が家だと思ってるんだろうねえ。初対面の時に『宿舎のシャワーから熱湯が出るようにしたのが一番誇れる仕事だ』と言ってた。五稜星勲章を二度受章したことの方がよほど自慢できると思うんだが。兵隊やったことがない俺にはわからない心理だよ」

「変わった人ですよね」

 

 ルシエンデス曹長とガウリ軍曹が顔を見合わせて苦笑する。軍人以外の職業が想像できなさそうなクリスチアン少佐とは本来は相性が良くないんだろうけど、けっこう好意的だ。クリスチアン少佐の脳内イメージを「意味不明で怖い人」から「意味不明で怖いけど悪い人じゃない」に修正する。

 

「でも、結構突き上げられてるみたいだぞ。フィリップスをもっと出せって苦情が来てるって室長がぼやいてた。なにせ、年寄りと女性の心をがっちり掴んでるからな」

「ヤン少佐はハンサムだけど、コメントつまらないからあまり人気ないんですよね。フィリップスくんみたいにまじめにコメントしたら人気出るのに。もったいないですよね」

 

 ガウリ軍曹のまたまた意外な発言。俺がヤンを知ったのは捕虜交換で帰国した後だ。既に同盟軍最高の名将の評価を確立していたけど、ハンサムという評価は無かった。一般受けするコメントはしなかったのは今と変わりないけど、言葉を飾らないところが誠実さと受け取られて人気を高めていた。同じ人物でも時期によって評価されるポイントは変わる。ある時期に短所と評価されたことが別の時期には長所と評価される。その逆もあるだろう。当たり前のことだけど気付かなかった。

 ヤンを間近で見た俺はその言動の中にいちいち名将の片鱗を探して感心したけど、今の時点ではまだ名将じゃないんだ。俺と同じように英雄に祭り上げられて戸惑っている若者で、ルックスの良さやコメントの面白さで評価される立場なんだ。ちゃんと生きていくなら、先入観を捨てないといけない。

 

「偉いさんは明らかにフィリップス兵長を売り出したがってるからなあ。そんな中で出演を減らすようにしてるクリスチアン少佐も大変だと思うわ。おとといは代議員のパーティーの招待を断ったとかで室長に呼び出されてた。あの代議員、なんて名前だったっけ。ほら、最近売り出し中の若手でさ。俳優みたいな男前。顔は浮かんでくるんだけど、名前が思い出せねえな」

「男前なら国防委員のトリューニヒトさんじゃないですか?」

 

 ガウリ軍曹が答える。

 

「それだ、トリューニヒトだ。爽やかイメージが売りのくせに案外根に持つタイプなんだなあって思ったわ」

 

 やれやれ、といった表情のルシエンデス曹長。俺は気づかないうちに随分とクリスチアン少佐の世話になっていたようだ。あちこち引っ張りまわされて辟易してたけど、あれでもかなりマシになってたのか。クリスチアン少佐の脳内イメージを「意味不明で怖いけど悪い人じゃない」から

「意味不明で怖いけど良い人かもしれない」に修正する。

 

 会話の中で名前が出たヨブ・トリューニヒトは俺が捕虜交換で帰国した時の最高評議会議長だ。爽やかなイメージを売りに政界に旋風を巻き起こしたが、帝国の侵攻に際して無為無策ぶりを露呈して失墜した。フィーバーの過熱ぶりと有事における無為無策の激しい落差ばかりが印象に残る。

 

 ことあるごとにヤンの足を引っ張っていたせいか、ヤンの旧部下を中心とする八月党はトリューニヒトこそ同盟滅亡の元凶であるかのように喧伝していたが、真に受けるのは八月党の熱烈な支持者ぐらいだろう。「そこまでの大物か?」というのが俺も含めた同時代人の一般的な評価だと思う。だけど、この時点ではヤンよりずっと大物だ。なにせ国政に議席を持っているのだから。

 

 その大物が俺をパーティーに俺を呼べなかったことに腹を立てている。俺のイメージはどこまで大きくなっていくのだろう。高みに登りすぎて降りられなくなるんじゃないか。はっきりと恐怖を感じた。


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