銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百十四話:衝撃、そして反撃 宇宙暦797年4月13日 ハイネセン郊外の車道~バーナーズタウン~ボーナム総合防災公園

 二七〇年に及ぶ自由惑星同盟の歴史は、内部対立の歴史でもある。ダゴン会戦以前は中央集権派と地方分権派、以降は主戦派と反戦派が抗争を繰り返してきた。そして、武力によって両派の対立に終止符を打とうとする動きもまた繰り返された。クーデターの企ては記録に残っているだけで一六回、疑惑に留まるものも含めれば三〇回近くに及ぶ。

 

 ダゴン会戦以前は中央政界で分権派が優位になるたびに、集権派の牙城である軍部がクーデターを企てた。対帝国戦争が始まると、軍縮や対帝国和平を止めようとする主戦派軍人、あるいは無謀な大規模出兵や全体主義的改革に反対する反戦派軍人がクーデターを企てた。しかし、そのすべてが未遂に終わった。

 

 最大のクーデター未遂事件は、九〇年前の七〇七年に起きた「建軍記念日事件」である。首都防衛司令官エスペランサ・バレリオ大将は、最高評議会議長官邸警備隊を含む首都圏駐在部隊の七割を取り込んでクーデターを企てた。反乱部隊は本会議中の同盟議会議事堂に突入して、最高評議会議員と代議員を全員拘束。統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官、地上軍総監の支持を取り付けて、軍事政権樹立に手が届いたところで誤算が重なって敗北した。

 

 バレリオ大将は「民主政治を絞首台の一二段目まで導いた男」の悪名を後世に留めることになったが、救国統一戦線評議会なる組織はいともあっさりと民主政治を絞首台まで引きずり上げた。俺達はハイネセンポリス郊外の農道を走る車の中で、車載テレビを通して歴史的瞬間に立ち会っている。

 

「これより、救国統一戦線評議会布告を発表する」

 

 画面の中のティム・エベンス大佐の話し方は、抑揚がない上に早口で聞き取りづらかった。目線を原稿に落としたままなのも感じが悪い。エベンス大佐の本分は研究者であって、こういう場面で上手に喋れないのは理解できる。しかし、こうも拙劣だと、「もっと喋り慣れた人を用意できなかったのか」と余計なことを思ってしまう。

 

「一、銀河帝国打倒という崇高な目的を達成するために、速やかに挙国一致体制を確立する。

 二、議会を停止して、非効率と腐敗を一掃する」

 

 帝国打倒のための挙国一致体制は、クーデターに先立って地方で蜂起した部隊も主張するところだった。本当に挙国一致体制を作ろうとしてるのか、それとも独裁の隠れ蓑として挙国一致を唱えているのかは、にわかに判断しがたい。

 

「三、本日一六時より、全国に無期限の戒厳令を布く。

 四、五人以上の集会、デモ、ストライキを禁止する。

 五、本日二二時より、夜間外出禁止令を全土で施行する。二二時から翌日五時までの外出を制限する。

 六、国防、通信事業、運輸事業、医療事業、福祉事業、救国統一戦線評議会が指定した基幹産業に従事する者及び救国統一戦線評議会が特に許可した者は、夜間外出禁止令の対象外とする。

 七、国民の団結を妨げる政治活動、極度に暴力的な政治活動を禁止する、その他国益に反する政治活動を禁止する。

 八、国益に反する情報、秩序を乱す情報、著しく事実と異なる情報、政府機関に対する敵意を煽り立てる情報を流布した者は処罰する。

 九、混乱を招く情報を排除して正しい情報を伝えるために、全ての放送番組、出版物、ネットコンテンツに対する検閲を実施する。

 一〇、全ての放送事業者は、救国統一戦線評議会が配信する番組を最優先で放映せよ」

 

 戒厳令の施行、政治活動や夜間外出の制限、言論統制は、一見すると全体主義的な政策に見えるが、実のところは反クーデター勢力の封じ込めを目的とした技術的な措置である。俺がクーデターを起こしたとしても、政権基盤が固まるまでは同じ措置をとるだろう。正統性を欠いた政権にとって、批判的言論と政治集会ほど怖いものはないのだ。

 

「一一、軍人に警察官と同等の司法警察権を付与する」

 

 これも極めて技術的な措置。軍政下における軍人の主な仕事は、治安維持である。警察権を持たなければ、仕事にならない。

 

 

「一二、恒星間輸送及び恒星間通信はすべて救国統一戦線評議会が管理する。

 一三、宇宙港及び星間通信局はすべて軍が管理する」

 

 輸送と通信の統制も技術的な措置だ。自由な星間通信を認めれば、ハイネセン外部の惑星にいる反クーデター勢力が連絡を取り合って団結してしまう。自由な星間交通を認めれば、反クーデター勢力同士が合流してしまう。通信と輸送を握ることで、各惑星の反クーデター勢力を分断できる。

 

 救国統一戦線評議会は、技術面では抑えるべき部分をしっかり抑えている。俺を騙してハイネセンを制圧した手際と合わせて考えると、軍事的にはかなり高い能力を持った組織のようだ。

 

「一四、反戦思想や反軍思想を持つ者は公職から追放する。

 一五、良心的徴兵拒否を刑事罰の対象とする。徴兵拒否を奨励する政治団体や宗教団体には、解散命令も検討する」

 

 かなり反戦思想や反軍思想に厳しい態度を取っている。どうやら、救国統一戦線評議会のイデオロギーは、主戦派に属するようだ。最初の項目であげた帝国打倒の挙国一致体制は、方便ではないと判断すべきであろう。

 

「一六、政治家及び公務員の汚職を厳罰に処す。悪質な違反者には死刑を適用する。

 一七、違法薬物及び人身売買を厳罰に処す。悪質な違反者には死刑を適用する。

 一八、売春、違法薬物、賭博など有害な娯楽を追放し、質実剛健な風俗の回復を目指す」

 

 汚職や犯罪に対する厳格な態度、風俗の引き締めは、国家救済戦線派すなわちラロシュ派の主張に近い。旧シトレ派の主流を占める進歩党的ハイネセン主義者は、汚職には厳罰を求めるが、犯罪には寛容な処罰を求める傾向がある。トリューニヒト主義者はその反対で犯罪に対しては厳しく、汚職には比較的甘い。やはり、国家救済戦線派がクーデターを企てたのだろうか。

 

「一九、不要な支出を徹底的に削減して、財政破綻回避に全力を尽くす。

 二〇、必要を超えた弱者救済を廃し、社会保障予算の無秩序な増大を阻止する。与えるだけの福祉から、自立のための福祉に転換する。

 二一、不要な公共事業を見直し、地方財政への国庫支援を抑制する。バラマキから、自立のための投資に転換する」

 

 財政政策については、救済より自立を重視して政府支出を抑制する。これは進歩党のジョアン・レベロやホアン・ルイの路線に近い。国家救済戦線派の財政政策は、トリューニヒト派と同じように自立より救済を重視し、政府支出拡大を容認する。救国統一戦線評議会という集団は、弱肉強食のルドルフ主義的潔癖さより、自立を尊ぶハイネセン主義的潔癖さに近い性格を持っているようだ。

 

「市民及び同盟軍将兵諸君に、救国統一戦線評議会の議長を紹介する」

 

 布告を読み終えたエベンス大佐は、一切声の調子を変えずに席を立つ。代わりに席に着いた人物の顔を見て、思わず舌打ちをしてしまった。ジャン曹長は顔全体で苦虫を噛み潰し、アルマはため息をつく。ハラボフ大尉は冷たい目で画面を見る。

 

 きれいに撫で付けられた白髪交じりの頭髪、端正な目鼻立ちに年輪を加えた渋みのある顔。四日前に食事を共にしたばかりの国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将だった。

 

 結局、前の歴史と同じように、グリーンヒル大将とエベンス大佐がクーデターを起こした。前からグリーンヒル大将が怪しいと言う噂が流れていたし、実際に会ってみて油断ならない人物とも思った。それなのに、首都防衛軍の監視に忙殺されて情報部に任せきりにしてしまった。俺がもっと多くの監視要員を動かせる立場であれば、十分な目配りもできたかもしれない。権限を越えて動けない組織人の限界がこうも残念に思えたのは、これが初めてだった。

 

「皆さん、はじめまして。同盟軍のドワイト・グリーンヒルと申します。本日より救国統一戦線評議会の議長を務めさせていただくことになりました。主力部隊の大半が失われ、財政は破綻寸前。それなのに権力者は私利私欲にとらわれて、果てのない権力争いを続けています。このままでは同盟は滅亡する。その思いから私達は立ち上がりました。国家を救うため、皆さんの力をお借りしたいと考えております。よろしくお願いいたします」

 

 グリーンヒル大将は感じの良い微笑を浮かべて、穏やかに語りかけた。目線はしっかりと正面を向いて、カメラの向こうの聴衆を見詰める。カメラを見ようとせず、早口で一方的に喋ってる印象を与えるエベンス大佐と比べると、役者の違いは一目瞭然である。厄介な人間を相手に回してしまったものだと思う。

 

「引き続き、副議長以下の評議員を紹介する」

 

 再びエベンス大佐が抑揚のない早口で言った。誰が参加しているのか気になる一方で、知りたくないという思いもある。前の歴史と参加者が同じであれば、想像したくもない事実に直面することになる。あの人とは戦いたくない。

 

「副議長フィリップ・ルグランジュ中将。宇宙艦隊司令長官代理及び首都戒厳司令官」

 

 目の前が真っ暗になった。逮捕状のサインを見た時点で薄々は疑ってた。前の歴史でクーデターに参加した人物でもある。しかし、何かの間違いだと思った、いや思いたかった。しかし、もう認めるしかない。ルグランジュ中将はクーデターに荷担して、俺を逮捕させようとした。昨日一緒に食事をした時、いやそれ以前からクーデターに荷担して俺を欺いていた。頭の中を「なぜ?」「どうして?」という文字がぐるぐる回って、脳みそをぐちゃぐちゃにかき回す。

 

「副議長マービン・ブロンズ中将。国防委員長代理」

 

 国家救済戦線派対策会議の主要メンバーだった情報部長ブロンズ中将の名前は、ぐちゃぐちゃになった俺の脳みそに追い打ちをかけた。対策会議は彼のもたらした情報をもとに動いていた。そもそも、ブロンズ中将が国防委員長ネグロポンティに持ち込んだ情報がきっかけで、対策会議が設置されたのだ。憲兵隊は内部告発が相次いで機能しなくなっていた。監察総監部はブロンズ中将の古巣だった。俺達はブロンズ中将の持つ情報ルートを頼るしか無かった。

 

 どうやら、最初から最後までブロンズ中将に騙されてたようだ。首都圏の地上部隊司令官を次々と襲撃したのは国家救済戦線派ではなく、存在しないクーデターの陰謀をでっち上げる工作ではないか。トリューニヒト派幹部のスキャンダル報道、憲兵隊を混乱状態に陥れた内部告発も、情報部に依存させようとするブロンズ中将の策略のように思える。グリーンヒル大将を監視対象に加えたのは、監視要員を装ったクーデター派の連絡要員をグリーンヒル大将に貼り付けることで、怪しまれずに連絡を取るためではないか。

 

 ブロンズ中将は前の歴史でクーデターを起こした人物の一人だった。しかし、今回は情報部粛正を託されたトリューニヒト派幹部として、俺の前に現れた。経歴、言動ともに疑いを差し挟む余地はなかった。そんな人物にここまで周到な工作をされたら、「前の歴史でクーデターに参加したから」なんて理由は、一ミクロンも説得力を持たない。完全に出し抜かれた。

 

「副議長ヤオ・フアシン中将。法秩序委員長代理」

 

 今度はヤオ中将である。第一二艦隊副司令官として帝国領遠征軍総司令部と対立した硬骨漢がなぜクーデターに参加しているのか。総参謀長グリーンヒル大将に苦しめられた将兵の恨みをわかっているはずではないのか。一時は民主化支援機構の建前を支持したほどの熱烈なハイネセン主義者でもあり、思想的にも軍事クーデターなどとは最も縁遠いはずだ。もう、何がなんだか訳が分からない。

 

「評議員コンスタント・パリー少将。地上軍総監代理」

 

 クーデター鎮圧作戦を立案したトリューニヒトの軍事ブレーンの名前をエベンス大佐が口にしたことで、俺は全てを理解した。第四九空挺旅団を動かして首都防衛司令部を攻撃させたのは、やはりパリー少将だった。

 

 空挺あがりの警護要員がモロ中佐と一緒になって俺を襲撃してきたのも、当初からの予定だったのだろう。クブルスリー大将が襲撃された日に、俺とパリー少将も襲撃された。この事件がきっかけとして、パリー少将は対策会議メンバーの身辺に空挺あがりの護衛を派遣した。しかし、これも暗殺の危険を匂わせることで、対策会議メンバーの周囲に部下を送り込み、いざとなったら身柄を拘束するための布石だったのかもしれない。

 

 ブロンズ中将は情報部長の立場を利用して国家救済戦線派のクーデターをでっち上げ、鎮圧作戦の名目で部隊を出動させる大義名分を作る。戦略に長けたパリー少将は作戦立案にあたり、強大な正規艦隊を握るルグランジュ中将は実動部隊の責任者となる。クーデター鎮圧を主導した三人が実はクーデターを企んでいただなんて、全知全能の神でもなければ読めるわけがない。

 

「評議員ナレンドラ・コースラー少将。統合作戦本部長代理」

 

 評議員の中で初めて納得の行く名前が登場した。コースラー少将はグリーンヒル大将の側近中の側近と言われる。グリーンヒル大将が部隊を率いる時は人事部門の責任者に、参謀長を務める時は副参謀長かそれに相当する地位に必ず起用される。変な言い方だが、こんな時でもいるべき人がいると安心する。

 

「評議員マルカ・ヤノフスカヤ少将。財務委員長代理」

 

 国防研究所副所長ヤノフスカヤ少将は、国防研究所社会経済研究室長、士官学校戦略研究科長などを歴任した教育研究部門の大物だ。一度も部隊勤務を経験せずに、圧倒的な教育研究業績によって将官まで上り詰めた。政治的野心が皆無と言われる天才研究者がクーデターに参加するのも意外である。

 

「評議員レッテリオ・ランフランキ准将。国務委員長代理。

 評議員ミゲラ・タムード准将。地域社会開発委員長代理。

 評議員オーヴェ・ヴィカンデル大佐。首都警察長官代理」

 

 第二二機甲師団長ランフランキ准将と第一〇二歩兵師団長タムード准将は、鎮圧部隊の指揮官だった。ヴィカンデル大佐が参謀長を務める第六四陸兵師団も鎮圧作戦に加わっていた。彼らもまたクーデター勢力とグルだった。

 

「評議員ナイジェル・ベイ大佐。情報交通委員長代理」

 

 またまた、頭がくらくらしてしまった。憲兵隊時代からの知り合いだったベイ大佐は、抜群の忠誠心と責任感の持ち主だった。武勲が乏しいために大佐に留まっていたが、トリューニヒトの信頼は厚い。前の歴史の本でも見かけた覚えがない。ルグランジュ中将が参加した今となっては、無意味な嘆きかも知れないが、ベイ大佐がどうして参加したのか理解できなかった。

 

「評議員エーベルト・クリスチアン大佐。人的資源委員長代理」

 

 その名前が目に入った瞬間、自分の視覚を疑った。その次に同姓同名だろうと考えた。俺自身、自分と同姓同名のエリヤ・フィリップスという軍人を二人見たことがある。一人は陸戦部隊の下士官、一人は巡航艦艦長だった。エーベルトという名もクリスチアンという姓もありふれている。過去にクリスチアンという姓を持つ部下を持ったこともある。同盟軍全軍に五万人いる大佐の中で、エーベルト・クリスチアンという名前が二人や三人ぐらいいるのは、むしろ当然と言える。

 

 今度はクリスチアン評議員の顔が画面に映し出された。鋭い目つきはまるで殺人者のようだ。大きい鼻は自尊心の高さ、厚い唇は激しやすい性格を想起させる。角ばった輪郭に合わせるかのように短く切り揃えられたブロンドの髪は、没個性的な軍人スタイルである。どこからどう見ても典型的な悪人面。いかにもクーデターに加担しそうに見える。あの人格高潔なクリスチアン大佐とは、別人に違いない。そうだ、別人なのだ。

 

「教官……」

 

 運転席から聞こえるアルマの驚きの声が、俺の現実逃避をあっけなく終わらせた。

 

「嘘だ」

 

 認めたくない思いを言葉にして、口から吐き出した。

 

「何かの間違いだろう、他人の空似ということもある」

 

 あのクリスチアン大佐がクーデターに加担したなど、認めたくもなかった。英雄の虚名に振り回される俺を広報担当として守ってくれたこと、進路に悩む俺を叱り飛ばして職業軍人の道を開いてくれたこと、政治に深入りする俺を心配してくれたこと、ダーシャと一緒に俺とアルマの関係修復に動いてくれたことなど、さまざまな思い出が頭の中に浮かんでくる。戦場経験に裏打ちされた骨太な軍人哲学は、俺が軍務を遂行する上で一つの指針となった。父親とも師とも言うべき大佐がこんな暴挙に加担するはずがない。

 

「いや……、しかし……、少将閣下、この方は間違いなくエーベルト・クリスチアン大佐。専科学校で私を指導してくださった方です」

 

 ハンドルを握ったまま震える声で言うアルマ。

 

「フィリップス中尉、貴官は間違いを言っている。貴官の教官はそのような人ではない」

 

 俺は首を大きく横に振って答えた。ジャン曹長、そしてハラボフ大尉が俺の顔を見る。テレビの中では、救国統一戦線評議会の放送がまだまだ続いていた。

 

「評議員ティム・エベンス大佐。経済開発委員長代理及び天然資源開発委員長代理。評議会事務局長を兼ねる」

 

 暖かい春の昼下がり、陽光に照らされた車の中。エベンス大佐の下手くそなアナウンスは、俺の耳を右から左へとすり抜けて行った。

 

 

 

 バーナーズタウン駅近くのスーパーマーケット駐車場に車を置いた俺達は、ハラボフ大尉がレンタカーショップで偽造身分証を使って借りた車に乗り換えた。俺とハラボフ大尉は、ドーソン大将の許可を得て、首都防衛軍情報部防諜課に作らせた偽造身分証を複数所持している。防諜課のデータは別の場所に保管しているため、首都防衛司令部が陥落しても足が着く心配はない。これに加えて、普段のイメージと異なる私服を着用して偽装している。

 

 救国統一戦線評議会は二〇〇万を超える兵力を持っているが、五〇〇〇万の人口と一万二〇〇〇平方キロの面積を有する巨大都市の隅々まで、兵士を貼り付けることはできない。政府施設、軍事施設、通信施設、幹線道路、主要駅、宇宙港、空港、海港など、守るべき目標は多数にのぼる。ハイネセンポリスにいるクーデター不参加部隊に備える人員、行政機構を監視する人員なども用意しなければならない。クーデター参加部隊しか頼れない段階では、救国統一戦線評議会は優先度の高い目標に兵力を貼り付けることになる。その隙を突けば、逃げ切れる見込みは十分にあった。

 

 農道を使ってあっさりハイネセンポリスを抜け出した俺達の車は、最も近いボーナム市の秘密司令部を目指して走り続けた。アルマの部下は車やバイクに乗って、俺達の車を中心とした半径一〇キロ以内に分散している。そして、警察の不審を招かないように走行位置を入れ替えながら、手信号や灯火信号を使って、リレー式にアルマに道路情報を伝える。こうやって通れる道を確保して、軍の検問をすり抜けていく。

 

「まるでスパイ映画みたいですなあ」

「市街地の戦闘では、今回のように通信機が使えないケースも少なくありません。ですから、第八強襲空挺連隊は通信機を使わずに戦う訓練も積んでおります。これはその応用ですね」

「いや、なんていうか、今日はカーチェイスあり、奇襲作戦あり、脱出作戦ありで、何から何まで映画みたいです。中尉殿もまるで映画女優のようで」

「ありがとうございます」

 

 しきりに感心するジャン曹長に対し、完全に儀礼的な笑顔で答えるアルマは、俺と血がつながってるとは到底思えないような切れ者に見えた。クリスチアン大佐の件で受けたショックも顔には出ていない。童顔というより幼顔と言った方が良いような顔もこういう時は、妙な風格を醸し出す。

 

 ふと、隣の席でつまらなさそうな顔をしながら、救国統一戦線評議会の放送を記録し続けているハラボフ大尉に目を向けた。最初に思ったほどアルマに顔がそっくりというわけではなかったが、その違いがかえって雰囲気を似たものとしている。

 

 完全に仕事用の顔になっているアルマ、味方に襲われようがクーデターが起きようが冷たい表情を崩さないハラボフ大尉、空気を読まずにずけずけと物を言うジャン曹長。変に気を使おうとしない三人のおかげで、クリスチアン大佐やルグランジュ中将のクーデター参加で受けたショックもやや和らいできた。

 

 俺達は何事も無く、一八時三〇分頃にボーナム市に入った。首都圏の北端に位置するこの地方都市の人口はわずか三二万。政治的にも経済的にも重要度が低く、自由惑星同盟建国期まで遡る歴史以外にこれといった取り柄を持っていない。救国統一戦線評議会もこの古都に対する関心が薄いらしく、街頭には兵士が見当たらなかった。

 

「予想通りだ。まだ救国統一戦線評議会の手はここまで回っていない。予定通り、この街を拠点にする」

「しかし、本当に何も無い街じゃないですか。手を回さないのも納得といいますか」

 

 首を傾げるジャン曹長。確かに一見すると、この街には何もないように見える。強いて言えば、同盟建国期の面影を残す街並みぐらいだろうか。一個工兵連隊が駐屯しているが、「自由惑星同盟軍史上で三番目に古い部隊駐屯地を廃止するのはよろしくない」という理由だけで定数割れした二線級部隊が置かれているに過ぎず、軍事的重要度は皆無に等しい。

 

「この街には反撃に必要な武器がすべて揃ってる。それなのに敵は押さえようとしなかった。俺達の勝利は疑いない」

 

 あえて強気に断言してみせる。本当は不安で不安でたまらなかった。条件にピッタリ合っていた街だったから、四つの秘密司令部の中での優先順位は第二位とした。何もない街なのは知っていたが、実際に見たら予想以上に何もない街だった。ただでさえ心が弱ってる時にこんなしけた街並みを目にしたら、さらに落ち込んでしまう。「ここを拠点に戦えるのだろうか」という疑念が頭の中をぐるぐる巡る。

 

 反応が気になって、周囲をちらちら見回した。アルマは何の反応もせずに、ハンドルを握っている。ハラボフ大尉は相変わらずの冷たい目で俺を見る。ジャン曹長だけが感心したような表情を浮かべた。何を言っても感心してくれる人だけに反応されても、全然嬉しくなかった。

 

 暗い気分のまま、車の窓から日が落ちていく街を眺める。街行く人々の様子には緊迫感が感じられず、クーデターが起きたことを知らないんじゃないかと思ってしまう。

 

 目的地のボーナム市総合防災公園に到着した時には、一九時を過ぎていた。大都市のパラディオンで生まれ育ち、現在は巨大都市のハイネセンポリスで暮らす俺にとって、夜の闇に包まれた地方都市郊外の大公園はとても不吉に感じられる。

 

 胸を不安に高鳴らせながら車から降りた俺を待ち構えていたのは、情報部長ベッカー大佐を始めとする首都防衛軍参謀及び技術スタッフ、そしてアルマの部下。一〇〇人を超える大集団。みんな、俺達と同じように私服を着用していた。

 

「ご無事で何よりであります」

 

 ベッカー大佐は、いつもと変わらぬくだけた調子で敬礼をした。少し緊張がほぐれて、口元が緩んだ。

 

「情報部長はいつもと変わりがないな」

「閣下も変わりがありませんな。緊張してらっしゃいます」

「そうか、緊張しているように見えるか」

「本番になれば落ち着くでしょう。閣下はいつもそうでした。いつもと変わらぬ閣下であれば、我々には何の不安もありません。命をお預けいたします」

 

 芝居がかった口調でそう言うと、亡命者の情報部長は左足をすっと前に伸ばして腰を落とし、右膝を地面に付け、右手を胸に当てて頭を下げた。まるで帝国貴族を思わせるかしこまった挨拶だった。

 

「分かった。しばらくの間預かろう」

 

 ごく自然に笑みが浮かんだ。

 

「我々も閣下に命をお預けします」

 

 アルマが直立不動で敬礼をすると同時に、彼女に従う第八突撃強襲連隊隊員二個小隊も寸分たがわぬ敬礼を見せた。それから数秒遅れて、ハラボフ大尉、ジャン曹長、首都防衛軍参謀、技術スタッフも敬礼をする。

 

「よろしく頼む」

 

 敬礼を返した後、俺は歩き出した。公園の案内図を持ったハラボフ大尉が左脇に、ボストンバッグを手にしたベッカー大佐が右脇に寄り添い、アルマの部隊と参謀と技術スタッフが周りを取り巻く。全員ラフな私服で、一見すると夜の練習にやってきた社会人スポーツサークルか何かのようだ。しかし、実際は同盟の民主主義を守る最後の部隊なのだ。

 

 公園の本部管理棟に着くと、警備員を呼び出した。かねてから用意しておいたボーナム市長の署名入り管理棟利用許可書を見せる。

 

「ああ、どうぞ。お通りください」

 

 初老の警備員は気のない返事をすると、さっさと事務室に引っ込んだ。

 

「少将閣下。今の人、酒の匂いがしてましたよね?」

 

 若い参謀の一人がやや不快そうに問うた。

 

「そうだね」

「国家がどうなるかも分からないという時なのに、緊張感に欠けてはいませんか?」

「みんながみんな、国を思って一喜一憂する必要はないよ」

 

 それだけ言うと、俺は薄暗い本部棟の廊下をすたすたと歩いて行く。二年前、ヨブ・トリューニヒトは場末のバーで俺に言った。「目先のことしか考えられない凡人のためにこそ、民主主義はある。政治を考えなくても暮らしていける世の中を作りたい」と。俺が守るべき民主主義は、国難のまっ只中でも仕事中に飲酒してるような人のためにあるのだ。

 

 俺達は二階の「防災司令室」と書かれたドアの前に着く。ハラボフ大尉が解錠カードを使ってドアを開くと、広い室内にやや古びたオペレーション用の端末、大きなマルチビジョン、大型通信設備などが並んでいた。

 

「これが閣下のおっしゃってた武器ですか」

 

 開いた口が塞がらないといった風情で、ジャン曹長は防災司令室を眺める。

 

「総合防災センターの指揮通信設備。これが欲しかったんだ」

 

 俺はにっこりと笑って頷いた。ハイネセン首都圏には、非常時に災害対策本部となる総合防災センターが八つある。いずれも市消防本部ビルや防災公園管理棟の一部にひっそりと間借りする地味な存在だ。首都消防局の管轄だが、首都圏防災体制の一翼を担う首都防衛司令部も管理権を行使できる。クーデター勢力の監視の目も届きにくい。そこである条件を満たした四つの総合防災センターを秘密司令部として選び、設備の点検作業を装って司令部機能を移した。

 

 部下を連れて防災司令室の中に入った俺は、防災指揮官用端末の電源スイッチを入れた。通常パスワードを打ち込み、防災指揮管制システムを作動させる。さらに操作を続けると、音声パスワード入力を求める画面が現れた。

 

「パスワードAの入力をお願いします」

「今日のおやつは、フィラデルフィア・ベーグルのマフィン」

「パスワード一致。解除しました。パスワードBの入力をお願いします」

「明日のおやつは、パティスリー・マルシェのフランボワジェ」

「パスワード一致。解除しました。パスワードCの入力をお願いします」

「コーヒー豆は、パディエダイヤモンドをコーヒーシルクロードの特売日にまとめ買い」

「パスワード一致。解除しました」

 

 パスワードをすべて入力し終えると、ボーナム総合防災センターの指揮通信システムと端末に保管されていた首都防衛司令部のデータがリンクしたことを示す文章が現れた。

 

「よし、通信準備頼む」

「はい!」

 

 俺の指示を受けて、首都防衛司令部通信部のスタッフが通信設備の操作を開始した。

 

 総合防災センターの指揮通信システムは、首都圏にあるすべての公共機関、警察、消防、軍隊と接続される首都圏防災通信ネットワークの中枢にある。そして、惑星ハイネセンにある他の防災通信ネットワークとの交信も可能だ。このネットワークは外部の干渉を受けない複数の有線通信網、無線通信網、衛星通信網によって構成され、天災やテロによってどの通信網が破壊されても、機能し続けるように作られている。

 

 惑星ハイネセン全土に交信可能でなおかつ救国統一戦線評議会の干渉を受けない独自の通信システムを手に入れる。ここから「クレープ計画」は本格的に動き出す。

 

「準備完了です!惑星ハイネセン全土の防災通信ネットワークとの交信が可能になりました!」

「ありがとう」

 

 通信機の前に立った俺は、ハラボフ大尉から手渡されたスピーチ原稿を開いた。端っこにきれいな字で、「評議会が出頭を要求した四六名の要人の中に、トリューニヒト議長の名前が含まれていました。どうやら拘束を免れた模様です」と記されている。

 

 トリューニヒトは逃げ延びた。その知らせに希望が湧き上がってくる。トリューニヒトが姿を現して、最高評議会議長権限を行使して全軍を指揮下に収めれば、救国統一戦線評議会はあっという間に倒れる。最高評議会議長及び議長権限継承資格を持った評議員が全員拘束されるケースを想定して作戦を組み立てていたが、もっと楽に勝てるかもしれない。潜伏中のトリューニヒトと連絡をとって、救国統一戦線評議会の追跡を逃れられるように手を打つ必要もある。

 

「自由惑星同盟国民の皆様、首都防衛司令官代理エリヤ・フィリップスです。現在ハイネセンで進行している危機的事態について、防災通信をお借りしてお話したいと思います」

 

 俺は防災通信ネットワークの向こうにいるすべての公務員、軍人、警察官、消防官に向けて語りかけた。救国統一戦線評議会への反撃は、今この瞬間から始まる。人生で最も重要なスピーチに臨んでいるのに、不思議と緊張を感じなかった。


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