銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百十七話:賑やかな群衆と正義なき軍隊 宇宙暦797年4月14日 ボーナム総合防災公園

 ボーナム総合防災公園の陸上競技場に集結した義勇兵一万人は、空挺部隊二個師団がこちらに向かっているとの情報に騒然となった。ある者は恐怖で青ざめ、ある者は泣き言を喚き散らし、ある者は怒り狂って敵を罵倒し、ある者は徹底抗戦を叫んだ。百人百様の反応であったが、残念なことに冷静さを保っている者は一人としていなかった。義勇兵とは言っても、今の彼らは俺のアピールを聞いて愛国心をにわかに燃え上がらせた群衆に過ぎない。にわかに燃え上がった炎は、はかなく消えてしまう物なのだ。

 

「せめて数十人ごとに部隊を組ませて、責任者を決めておけば……」

 

 作戦部長ニールセン中佐の顔に後悔が浮かぶ。言いたいことは理解できる。群衆であっても、部隊を組織すればパニックに飛躍的に強くなる。責任者が自主的に統率を保とうと努力するからだ。だが、今さら言っても仕方のないことだった。俺は軽く首を横に振って、作戦部長の後悔を否定した。

 

「いや、一時間で一万人もの人間を組織するなんて無理だよ。住所、氏名、年齢、職業の確認が済んだだけでも上出来だった」

「しかし……」

「堅くなったパンを嘆いても仕方がない。湯気に当てればいいんだ」

「はあ……」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン准将の言葉を引いて、三歳年下の作戦部長をたしなめた。彼は優秀な作戦参謀だが、神経が細すぎるのが欠点だった。決してマイペースを崩さないチュン准将と比べると、難局では少々頼りないと言わざるを得ない。

 

「いかがいたしますか?」

 

 不在の参謀長と副参謀長に代わって参謀長の役割を務める情報部長ベッカー大佐が、俺の判断を問う。

 

「貴官の意見は?」

「敵の狙いは奇襲によって、義勇兵の意気を戦わずして阻喪させることにあると思われます。義勇兵がフル装備の空挺と直接向かい合ったら、あっという間に挫けてしまうでしょう。バリケードを作りましょう」

「しかし、時間が足りない。工兵部隊がいても、この短時間では無理だ」

 

 ベッカー大佐の言う通り、素人集団の義勇兵が正規軍と対峙するには、バリケードは必要不可欠だ。臨時司令部が公然化した後は、バリケードで囲む予定だった。だが、敵が到着するまでの十数分程度で作るのは不可能だ。

 

「義勇兵が乗ってきた車があるでしょう?あれを並べて、タイヤの空気を抜きましょう。帝国の共和主義者が暴動を起こす時に良く使う手です」

「ああ、なるほど。その手があったか。早速手配してくれ」

 

 帝国軍での経験に基づくベッカー大佐の意見に、俺はすぐさま同意した。同盟軍の国内警備部門は、対テロ戦や対海賊戦の経験は豊富だが、暴動鎮圧には不慣れだった。一方、帝国軍は国内警備部門はもちろん、外征戦力の正規艦隊も暴動鎮圧に出動する。元帝国軍のベッカー大佐は、この場にいる者の中で最も暴動戦術に詳しいのだ。

 

「閣下はどうなさいますか?」

「前に出よう。俺が姿を見せなければ、義勇兵が不安になる」

 

 俺は何の躊躇もなく、先頭に立つことを決断した。義勇兵が部隊ごとにまとまっていれば、リーダーが俺の代わりに統率してくれる。しかし、現時点では義勇兵が統率者と認める存在は、俺一人だった。彼らを統率する姿勢を見せなければならない。

 

「承知しました」

 

 ベッカー大佐は、急いで参謀や技術スタッフを呼び集めて指示を出した。バリケード構築が完了するかどうかは微妙なところだが、部下達に任せるしか無かった。後は俺自身の覚悟だ。

 

 あと一〇分ほどで空挺の大部隊が降下してくる。戦闘が生じる可能性は低いだろう。対群衆戦術は威圧のみで屈服させるのが最善、非致傷性武器で鎮圧するのが次善、普通の武器で鎮圧するのが最悪とされる。空を埋め尽くす輸送機の大群、降下してくる空挺の精鋭、装甲に覆われた戦闘車両には、戦わずして義勇兵の心を挫くだけの威圧感がある。三万人近い空挺の大部隊を相手に、一万人の義勇兵の抗戦意欲を保ち続けるというのは、途方も無い難題であった。

 

 正直言うと、俺自身怖くて怖くてたまらない。自分が義勇兵の一人だったら、空挺が視界に入った時点で一目散に逃げ出す。だが、このような場面では、統率者の怯えはあっという間に全員に波及する。俺が少しでも怯えを見せたら、義勇兵はことごとく屈服するだろう。強大な敵に呑まれてはならない。一人で空挺二個師団と対峙するぐらいの覚悟を見せなければならない。

 

「マイクロバスはもう少し左にお願いします!」

「ダンプカーはもっと前に!」

 

 目の前では拡声器を持った部下が義勇兵に指図を出して、車のバリケードを組んでいた。ボーナムテレビネットワークの報道部長とスタッフは、目を輝かせてカメラを回す。みんな俺を信じて戦おうとしている。裏切るわけにはいかなかった。覚悟を決めた俺は、左隣に立っている副官に声をかけた。

 

「ハラボフ大尉!」

「はい」

「マフィンはあるか!?」

「こちらが最後です」

「貰うぞ!」

 

 ハラボフ大尉が差し出したマフィン入りの袋を引ったくるように受け取る。中に入っていたマフィン四個を立て続けに口の中に放り込んだ。糖分が体に染み渡り、心が落ち着いていく。

 

「情報部長!」

 

 今度はベッカー大佐を呼んだ。

 

「はい」

「バリケードはあとどのぐらいで完成する?」

「二分ぐらいですかね」

「一番車高のある車は?」

「あのトラックですな。四メートルほどあります」

 

 ベッカー大佐が指した先には、バンタイプの大型貨物トラックが櫓のように大きくそびえ立っていた。

 

「よし、あれの上に乗ろう。貴官らは一緒に来てくれ」

 

 ベッカー大佐、ハラボフ大尉らを連れて歩き出そうとすると、アルマが早足で近寄ってきた。

 

「閣下、あの場所はおやめください。前に寄りすぎていて危険です」

「それでいいんだ。先頭に立って戦う姿勢を見せなきゃいけないからね。それに軍服の下には、中尉に言われた通りに薄型のボディーアーマーも着込んでる」

「狙撃の危険があります。この公園は災害発生時の避難民収容を想定して作られているため、遮蔽物がありません。空挺の狙撃兵なら、二キロ先から頭に命中させるぐらいはやってのけます」

 

 狙撃の可能性。それが頭の中に浮かんだ途端、少し寒気を感じた。確かにこんな広い場所でトラックの上に乗ったら、狙撃のいい的だろう。だが、狙撃を恐れてバリケードの後ろに隠れることはできなかった。恐怖を振り払うように、大きく首を横に振る。

 

「空挺二個師団相手なら、どこにいようが危険だよ」

 

 精一杯落ち着いた態度を装ったが、声が微妙に震えた。

 

「姿をお見せになるのでしたら、前に出る必要はありません。あそこにまだバリケードに加わっていないトレーラーがあります。奥にあのトレーラーを移動させて、その上にお立ちになれば、危険に身を晒さずとも、皆に姿を見せられます」

「それはだめだ。そんなに後ろにいたら、いざとなったら逃げるんじゃないかと疑われる」

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、九年前のエル・ファシルの光景。アーサー・リンチ少将らが逃亡したことに激怒した人々が集まった星系政庁前広場は、一触即発の状態だった。逃げると疑われたら、あの顔が俺に向けられるのだ。

 

「そのおつもりはないのですか?」

「無い。俺は逃げない」

 

 逃げるべきでない時に逃げたらどうなるか、俺は良く知っている。逃亡者の汚名を背負って、家族にも友人にも見放されてしまう。目の前で俺の身を案じる妹も、前の人生では悪鬼のような存在となって逃亡者となった俺に憎しみをぶつけてきた。

 

「いけません、それは!」

 

 クーデターが起きて以来、ずっと軍人の顔をしていたアルマが初めて妹の顔になった。

 

「私は五か月前に親友の最期を看取りました!その上、あなたの最期までは……!」

 

 ブレツェリ准将とともに、ダーシャの臨終に立ち会ったアルマの抱える思いは、分からないでもなかった。これ以上話せば、決心が鈍る。そう判断すると、何も言わずに妹から視線を逸らして歩き出した。

 

 

 

 輸送機のエンジン音がけたたましく響くと同時に、ボーナム総合防災公園の上空は、無数のパラシュートで埋め尽くされた。三万人近い兵士の一斉パラシュート降下は、まるで戦争映画のワンシーンのようであった。空挺仕様の戦車や装甲車も次々と降下してくる。俺達が呆気に取られている間に、二個空挺師団は広大なボーナム総合防災公園を包囲してしまった。

 

「こんな連中が敵なのか……」

 

 早くも敗北感が俺の心を侵食し始めた。ハラボフ大尉、アルマ、ベッカー大佐ら数名の部下が一緒にトラックの貨物室の上に立って脇を固めていたが、二個空挺師団の圧力に抗するには心許なかった。

 

 軍人として何度も死線を越えた俺でも恐れを感じているのだ。義勇兵はさぞ怯えていることだろう。そう思って周囲を見回すと、バリケードの上にずらりと並んで気勢をあげていた。義勇兵の怒号が響き渡る中、ひときわ太い声が耳に入った。

 

「こいつを見ろ!俺は去年の戦いで両足を失くした!てめえらの親玉のグリーンヒルがしくじったせいだ!」

 

 二〇代半ばの男性は右手で拡声器を持ち、左手で自分の下半身を指し示す。膝までまくり上げた男性のズボンから覗く両足は、いずれも機械製の義足だった。

 

「戦友はみんな死んじまった!ずっと勤めてきた軍隊もお払い箱になった!生きてたって面白いことは何もねえ!フィリップス提督と一緒にここで死ぬ!さあ殺せ!グリーンヒルが俺の戦友を殺したように殺せ!」

 

 去年の帝国領遠征の帰還兵と思しき男性の叫びに、義勇兵は「よく言った!」「いいぞ!」と喝采を浴びせた。

 

「俺は先月の総選挙でトリューニヒトの党に入れたんだ!それなのにどうしてトリューニヒトが追い出されて、救国なんちゃらの軍人がふんぞり返ってんだよ!?おかしいじゃねえか!何が民主主義だ、馬鹿野郎!」

 

 帰還兵から拡声器を受け取った作業服姿の中年男性が救国統一戦線評議会を罵ると、義勇兵はさらに盛り上がった。

 

「主戦派のトリューニヒトをクーデターで倒して、戦争を続けるってわけわからんぞ!」

「あれは禁止、これも禁止、逆らったら処罰する、国に甘えるな自立しろって、まるで風紀委員会みたい。救国風紀委員会って改名したら!?」

「お前らの言ってる政治の腐敗ってなんだ!?トリューニヒトが戦ってる軍部や民主化支援機構のことだろ!つまり、お前らのお仲間だ!」

「さっさとあのくそつまんねえ説教番組やめろよ!」

「私用の星間旅行禁止ってどういうことだ!明日からフェザーン観光に行く予定だったんだぞ!キャンセル料払え!」

 

 義勇兵は次々に拡声器を手にとって、思い思いの言葉をぶつける。ボーナムテレビネットワークのスタッフは、まるでイベントの取材でもしているかのような振る舞いだ。バリケードの上には歓声や拍手が響き渡り、まるでお祭り騒ぎだった。その反対に空挺隊員は、遠目でも分かるほどに意気消沈している。

 

 俺が心配するまでも無かった。熱しやすい同盟市民の感情は、救国統一戦線評議会に対する不満を口に出す場を与えられ、大いに燃え上がっている。義勇兵の戦意は、空挺部隊の出現程度では挫けなかった。敵は義勇兵を威圧するどころか、萎縮してしまっている。あまり戦意が高くないのかもしれない。クーデター勢力との戦いは武器ではなく精神の戦いであると、対クーデター作戦の元になった「午睡計画」には記されていた。今のところは俺達の精神が優位だ。そう思った瞬間、乾いた音が響いた。

 

「あれはなんだ!?」

 

 騒いでいた義勇兵が一斉に音のした方向を向いた瞬間、大きな炸裂音とともに空がまばゆく輝いた。義勇兵は言葉を失い、嘘のように静かになった。

 

「信号弾……」

 

 アルマがぽつりと呟く。敵は信号弾を空に向けて放ち、俺達を威嚇したのだ。効果は絶大であった。

 

 静寂の中を敵の指揮通信車がゆっくりと進む。最前列で止まると、野戦服を身にまとった人物が中から身を乗り出した。クーデターの中心人物パリー少将の片腕で、交渉手腕に定評があるロフリン准将だった。彼を選んだという一点においても、救国統一戦線評議会の姿勢が垣間見える。

 

「市民諸君!五人以上の集会は、評議会布告第四号違反である!即刻解散せよ!諸君は評議会に従う義務がある!」

 

 ロフリン准将の声は、指揮通信車の拡声器を通して静まり返った総合防災公園に轟いた。義勇兵は示し合わせたかのように、俺に視線を集中する。

 

「エリヤ・フィリップス少将の指揮権は、評議会により昨日付で停止された!彼の命令に従うのは違法である!今ならば、諸君の責任は一切問わない!評議会の指示に従い、即刻解散せよ!」

 

 拡声器から聞こえてくる自分の名前が、俺に今の立場を教えてくれた。この場にいる一万人の義勇兵の命運、救国統一戦線評議会との戦いの行方、そして自由惑星同盟の民主主義の将来が俺一人にかかっている。歴史の分岐点に立ったことを自覚した瞬間、凄まじい恐怖に襲われた。膝がガクガク震えだした。心臓がバクバク鳴りだした。腹が締め付けられるように痛みだした。胸の奥から吐き気がこみ上げてきた。

 

 歯を全力で食いしばる。拳を強く握りしめる。今さら引くことなど、できはしない。小心者の俺には、期待に背くことはできなかった。目の前の部下や義勇兵だけではない。ここにいない多くの者が俺を信じて戦い続けている。踏み留まらなければならない。

 

 左隣のハラボフ大尉を向いて手を伸ばすと、拡声器を渡された。軽く頷いた俺は正面を向く。ズラリと並んだ屈強な空挺隊員に圧迫感を覚えたが、ついさっきまで彼らが義勇兵の怒りに怯んでいたことを思い出す。

 

「びびってるのは、あっちでしょ。怖がることないじゃん」

 

 ダーシャがここにいたら、そう言って俺の臆病さを笑い飛ばしてくれたに違いない。あいつは前に進むことしか知らなかった。

 

「そうだ、恐れることはない。彼らも怯えている」

 

 自分に言い聞かせるように呟き、一歩前に進み出ると左手で拡声器を構え、トラックの上から空挺部隊を見下ろした。

 

「戦友諸君、私は諸君を待っていた。諸君に私の言葉を聞いてもらう機会を待っていた。その機会がようやく訪れたことを心より嬉しく思う」

 

 できる限りの笑いを顔に浮かべ、明るい声を作って語りかけた。俺は目の前にいる空挺隊員と戦闘をしたいわけではない。そのことを言葉と態度の両方で示すのだ。

 

「フィリップス少将!これ以上市民を戦いに巻き込むな!貴官は内戦を起こすつもりか!?評議会は平和的解決を望んでいる!貴官がその障害となっている!今すぐ集会を解散して、評議会に投降せよ!」

 

 ロフリン准将が叫んでいるが、聞いていないふりをした。交渉に長けたロフリン准将と議論したら、言い負かされるに決まってる。俺は反射的に右手で腰のブラスターを抜き放った。そして、何も言わずに高々と掲げることによって、ロフリン准将の弁舌に応えた。

 

「私は諸君に向ける銃を持たない」

 

 右手を開くと、銃はあっけなく俺の足元に落ちた。空挺隊員から漂う空気が変わったのが感じられる。視覚に訴えるとっさのパフォーマンスは、功を奏したようだった。

 

「私は数十度の戦いに参加した。すべて民主主義と自由惑星同盟を守るための戦いだった。私の銃はいつも市民の権利と自由を脅かす者にのみ向けられてきた。だから、諸君に向けられることは決してない」

 

 視覚と言葉によって、俺に戦う意志がないことを重ねてアピールした。義勇兵の大きな拍手が湧き上がる。救国統一戦線評議会もそれなりの根拠を持って動いている集団だ。論理を戦わせれば、議論が巧みなロフリン准将に一日の長がある。ならば、攻めるべきは揺れ動く空挺隊員の感情だ。

 

「民主主義を守るために戦うというのなら、なぜ評議会に協力しようとしないのだ!?終わりの見えない党派争いに終止符を打ち、一致団結して国難にあたるために評議会は決起したのだ!それなのに貴官は団結を妨げようとしている!矛盾していること、甚だしいとは思わないか!」

 

 ロフリン准将は、なおも議論に持ち込もうとする。だが、俺はそれを無視して、軍服のジャケットを脱いだ。そして、下に着込んでいたボディーアーマーを脱いで右手に持ち、高々と掲げた。

 

「私は諸君の銃を恐れない」

 

 俺の手から離れたボディーアーマーは、さっきの銃と同じように足元に落ちた。

 

「私は知っている。諸君の戦いは、すべて民主主義と自由惑星同盟を守るための名誉ある戦いだった。諸君の銃は市民の権利と自由を守るためにのみある正義の銃だ。ならば、諸君の銃が私に向けられることは、決して有り得ないと信じる」

 

 自分では爽やかと信じる笑顔を作り、信頼を重ねて示す。再び義勇兵の拍手が湧き上がった。そして、空挺隊員の圧迫感が急速に薄れていく。彼らが武力行使に消極的なことを俺は確信した。ロフリン准将が議論にこだわるのも、部下の忠誠心を信頼できないからではないか。

 

 自由惑星同盟軍の軍人は、日頃から「自分達の戦いは民主主義を守る聖戦だ。自分達は正義の戦士なのだ」と教えられている。それゆえにイデオロギーを持たない帝国軍より高い戦意を維持できるが、正義に反すると感じた戦いでは途端に弱くなる。救国統一戦線評議会の正義は、どうやら将兵に受け入れられていないようだ。ならば、こちらの正義が受け入れられる余地は十分にある。

 

「私は市民の代表たる政府によって任命された首都防衛軍司令官代理である。政府に託された首都防衛の任を果たすためにここにいる。私は憲章と国旗に忠誠を誓った一軍人である。公務員法及び国防基本法が定める憲章擁護義務を果たすためにここにいる。私は民主主義の国で生まれ育った一市民である。同盟憲章が定める抵抗権に基づき、志を同じくする市民とともに戦うためにここにいる」

 

 自分が何者であるか、どのような論理に従っているかをはっきりと語る。どんなに正しくとも、立ち位置の明確でない相手の言葉は信頼されない。明確にそして簡潔に語らなければならない。

 

「では、諸君は何のためにここにいる?民主主義と自由惑星同盟に敵対する者と戦うためか?ならば、諸君の敵はここにはいない。市民から権利と自由を奪おうとする者と戦うためか?ならば、諸君の敵はここにはいない。諸君の生命に脅威を及ぼす者を排除するためか?ならば、諸君の敵はここにはいない。我々の敵は、ハイネセンポリスの真ん中に陣取って、諸君に服従を強要する者のみである。決して諸君と敵対することは無い。諸君は敵と戦う訓練は受けているが、決して敵対しない者に武器を向ける訓練は受けていないはずだ。重ねて問う、諸君は何のためにここにいる?」

 

 空挺隊員に「なぜここにいるのか」を畳み掛けるように問いかける。単純明快な俺の立場と空挺隊員のあやふやな立場を対比させて、彼らの心理にさらに揺さぶりをかけるのだ。自分の立場を疑い始めたら、どんなに勇猛な兵士でも動きが鈍るということを、去年の帝国領遠征の経験は教えてくれた。

 

 義勇兵の「そうだそうだ」「ちゃんと考えろ」という叫びが俺の言葉の効果を増幅させた。もはや、目の前の大部隊は恐るるに足りない存在だった。トラックの上からも迷っていることがはっきりと見て取れる。ロフリン准将は声をからして俺の論理を批判し続けているが、口を開くたびに義勇兵の口汚い野次に遮られる。敵は完全にこっちに呑まれた。この状態で強硬手段を採るのは不可能に近い。首都第一防衛軍団が到着するまでこの状態を保てば、それで俺の勝ちだ。

 

「閣下、お耳を」

 

 アルマが俺の耳に顔を近づけて、小さな声でささやきかけてきた。

 

「どうした?」

「敵が動き出しました。仕掛けてきます」

 

 指摘されて空挺部隊を見ると、確かにわずかな動きが見られる。勝ちを確信した自分の甘さが、少し情けなくなった。自分が圧倒的に不利な立場ということを忘れていた。

 

「この状態で仕掛けてくるとはね」

「私が敵の指揮官でも、ここが最後のチャンスと考えます。これ以上決断をためらったら、部隊が自壊します」

 

 一瞬アルマの顔を見直して、それから納得した。参謀教育を受けていない彼女が師団レベルの判断を理解できる理由は良くわからないが、とにかく理には適ってる。

 

「今の時間は?」

「八時四九分です」

 

 内心でため息をついた。頑張って時間を稼いだが、第一首都防衛軍団が到着するまで間に合わなかった。

 

「どんな手で仕掛けてくると思う?」

「催涙ガスではないでしょうか。上空で破裂させてガスを散布させるタイプの砲弾を使えば、負傷者もほとんど出ません」

「なるほど」

 

 確かに催涙ガスを使えば、血を流さずに群衆を制圧できる。威圧だけで義勇兵を解散させて、救国統一戦線評議会の実力を見せつけるという敵の意図は粉砕できたが、俺が負けたことには変わりがなかった。

 

「政治的には私達の大勝利です。二個空挺師団を動かしたのに、半数以下の群衆に圧倒されて催涙ガス使用に追い込まれたという事実は、救国統一戦線評議会の無力を示す格好の材料になります。トリューニヒト派、統一正義党、進歩党、反戦市民連合といった勢力は、救国統一戦線評議会の最初の失点を見逃さないでしょう。戦いはこれからです。第八強襲空挺連隊の精鋭七七人が命に替えて退路を確保……」

「終わってない」

「えっ!?」

「最初の方針通りだ。最後まで義勇兵とともに戦う。勢いではこちらが勝ってるんだ。ここで逃げたら、この勢いは二度と得られない」

 

 目を丸くするアルマを尻目に、俺は再び拡声器を握って後ろを向いた。

 

「義勇兵の皆さん!第一首都防衛軍団はすぐそこまで来ています!国歌を歌いましょう!私達のために駆けつけてくれた仲間を歓迎するには、国歌こそがふさわしい!」

 

 俺の提案に義勇兵は大きな拍手を送った。そして、ダンプカーの荷台に積まれた巨大スピーカーから、大音量の自由惑星同盟国歌『自由の旗、自由の民』が流れ出す。俺が歌い始めると、周囲にいる部下、そして義勇兵が一斉に唱和し始めた。

 

「友よ、いつの日か、圧制者を打倒し

 解放された惑星の上に

 自由の旗をたてよう

 吾ら、現在を戦う、輝く未来のために

 吾ら、今日を戦う、実りある明日のために

 友よ、謳おう、自由の魂を

 友よ、示そう、自由の魂を」

 

 一万人が思い思いに張り上げた大声が音楽に乗った。拙劣ではあったが、みなぎる熱気がそれを遥かに凌駕した。バリケードの上にいる者も地上にいる者も全員が肩を組み、勇ましいメロディを歌った。気が付いたら、俺はアルマ、ハラボフ大尉と肩を組み、大きさだけは人並み以上の調子っ外れな声を張り上げて歌っていた。

 

「専制政治の闇の彼方から

 自由の暁を吾らの手で呼び込もう」

 

 携帯簡易ガスマスクを着用した空挺隊員は戦闘隊形を組み、戦闘車両の砲の照準はバリケードに向けられている。催涙弾が上空で炸裂してガスが地面に散布されると同時に、俺達を制圧する手筈に違いない。既に万策尽きていたが、そんなことはもうどうでも良かった。一万人の大合唱に気分が盛り上がって、この世のものとは思えないほどに楽しかった。半分本気、半分やけくそで声を張り上げ続けた。

 

「おお、吾らが自由の民

 吾ら永久に征服されず」

 

 ついに最後の一節まで歌い終えた。驚くべきことに俺達が歌い終わるまで空挺部隊の攻撃は始まらなかった。妙な高揚感の中に包まれた俺達は、ここが戦場ということを忘れかけていた。いや、忘れたかったのかもしれない。余韻を共有しようと思って左を向くと、ハラボフ大尉は素早く顔を背けた。

 

「自由ばんざい!」

「民主主義ばんざい!」

「祖国ばんざい!」

「フィリップス提督ばんざい!」

 

 拳を振り上げて歓声をあげる人々を見た俺は、ひと仕事を終えたような満足感に包まれていた。第一首都防衛軍団がギリギリで間に合わなかったのは残念だが、これだけ盛り上げたら勝ったような気がする。

 

「自由ばんざい!」

 

 その叫び声はあらぬ方向から聞こえてきた。空挺部隊が展開している方向だ。驚いて視線を向けると、一人の空挺隊員が簡易マスクを外し、俺達に答えるかのように全力で拳を突き上げていた。それが呼び水となった。

 

「自由ばんざい!」

「民主主義ばんざい!」

「反逆者を倒せ!」

「フィリップス提督ばんざい!」

 

 空挺隊員は次々とマスクと銃を地面に投げ捨てると、叫び声をあげた。戦闘車両は次々と砲の照準をバリケードから外した。

 

「いったい、何が起きたんだ……!?」

 

 俺が目を丸くしている間に、その動きは急速に空挺部隊の間に広がっていった。空挺隊員は先を争うように武器を投げ捨てて、俺達を支持する叫びをあげた。部隊を率いて鎮圧しようとした指揮官もいたが、部下がことごとく武器を投げ捨てて戦闘を放棄してしまった。

 

「第七一空挺連隊第三中隊は、これよりエリヤ・フィリップス少将の指揮下に入ります!」

 

 中隊指揮車から身を乗り出した若い将校は、拡声器を使って味方する意志を伝えた。ついに部隊ごとの寝返りまで発生した。

 

「俺をバリケードに上げてくれ!アピールしたい!」

 

 バリケードの真下に走り寄ってきた空挺隊員が叫ぶ。俺は部下に命じて、その隊員を急いで引き上げさせて拡声器を渡した。

 

「義勇兵のみんな!俺はアマンシオ・バランディン!同盟軍の伍長だ!たった今、部隊から脱走した!反逆者の命令を聞くなんて、もううんざりだ!正義のために戦いたい!一人の市民として仲間に加えてくれ!」

 

 バランディン伍長がアピールを終えると、あっという間に周囲に義勇兵が集まってきた。

 

「よく言ってくれた!お前は仲間だ!」

「歓迎するぞ!」

 

 義勇兵はバランディン伍長に次々と握手や抱擁を求めた。女性の義勇兵は伍長の頬にキスの嵐を浴びせた。

 

「市民の皆さん!我々第二四空挺連隊第二大隊は、第二四空挺連隊より離脱しました!これより、我々は市民のために戦います!市民軍の市民大隊です!市民大隊と呼んでください!私、フェレンツ・イムレは、市民の少佐であります!」

 

 バリケードから遠く離れた場所で、部隊指揮車の拡声器を使って独自のアピールを始める者も現れた。

 

「市民軍ばんざい!」

「市民大隊ばんざい!」

 

 バリケードの内と外で同じような歓声が沸き上がり、もう収拾がつかなくなった。バリケードから義勇兵が次々と飛び降りて、空挺隊員と抱擁を交わし合う。逆にバリケードに登って、義勇兵と握手を交わし合う空挺隊員もいた。

 

 たったの数分で二個空挺師団は軍隊の体を成さなくなり、ボーナム総合防災公園は義勇兵と空挺隊員が入り乱れて歓声をあげるカオスと化した。何が起きているのか、さっぱり理解できずにいる俺の耳に、報道部長の馬鹿でかい声が響いた。

 

「素晴らしい反響ですよ!私どものチャンネルは、救国統一戦線評議会にあっという間に封鎖されましたが、他の地方局が放送してくれましてねえ!あちこちの局から、映像を使わせてくれって引っ張りだこですわ!惑星ハイネセン一〇億の市民が閣下のご活躍を見ていたんですよ!いやあ、今年のマイケル・リチャーズ賞が楽しみです!授賞式には、閣下も呼ばせていただきますよ!」

 

 笑いが止まらないといった顔の報道部長は、汗ばむ手で俺の手を強く握りしめた。さすがにマイケル・リチャーズ賞は無理だろうと思いつつ、曖昧に笑って報道部長の追従を聞いていると、待ちに待った叫びが聞こえた。

 

「第一首都防衛軍団が到着したぞ!」

 

 上空には戦闘ヘリ部隊が展開し、地上には歩兵部隊が展開。第一首都防衛軍団は空と地上の両方から、空挺師団制圧にとりかかった。戦闘を放棄した空挺部隊の大多数は義勇兵とともに両手を掲げて第一首都防衛軍団を迎え入れ、秩序を保っていた数少ない部隊はあっという間に制圧された。三万近い兵力を持つ二個空挺師団は、わずか三〇分で完全に消滅。ボーナム総合防災公園の防衛は大成功のうちに終わった。


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