銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百十八話:ハイネセン市民軍 宇宙暦797年4月14~16日 ボーナム総合防災センター

 自主的に部隊を離脱した二万人以上の空挺隊員の帰順を受け入れ、救援に来てくれた第一首都防衛軍団をねぎらう。そういった手続きを終えて、義勇兵と空挺隊員と第一首都防衛軍団将兵が昔からの友であるかのように交歓している陸上競技場を後にした俺は、臨時司令部のある総合防災センターに向かった。これから抵抗運動を組織する作業が待っているのだ。休んではいられない。

 

「なんだ、これ……?」

 

 端末を開くと、新着メールがなんと五五六通も届いていた。いや、たった今三通来たから五五九通だ。

 

「義勇兵志願、資金提供、物資提供、情報提供の申し出が殺到しています!処理しきれません!」

「激励の通信が多すぎて、回線がパンクしそうです!」

 

 悲鳴混じりの報告を受けた俺は呆然となっていた。テレビに出て支援を求めたが、まさか処理能力をはるかに超える反響が来るとは、夢にも思わなかった。

 

「閣下!第一首都防衛軍団司令部より、三〇〇〇人ほどの義勇兵志願者が公園の入り口に集まっているとの報告が入っております!」

「三〇〇〇人も!?」

 

 既に集まった義勇兵一万人も氏名を聞いて登録する以上の手続きは進んでいなかった。これ以上来られても、今は対処できない。

 

「セビタ市の主戦派市議団一四人が面会を求めています。いかがいたしましょうか?」

「たしか、セビタ市は一〇〇キロぐらい離れていたはずだ。アピールから二時間ぐらいしかたってないのに、そんな遠くから来れるものかな?」

「ヘリに乗ってやってきたそうです」

「首都圏上空は救国統一戦線評議会の空軍部隊の目が光ってるじゃないか!命知らずにもほどがある!」

 

 危険を顧みずに支持表明に駆けつけてくれるのは、ありがたいと思う。しかし、今の首都防衛軍司令部の処理能力では、彼らの熱意に応えることができない。

 

 俺が連れてきた首都防衛軍のスタッフは、参謀と専門スタッフを合わせても四〇名程度。首都防衛軍スタッフの半数近くは副参謀長ニコルスキー大佐とともに陥落したであろう首都防衛軍司令部に残り、四分の一は第三巡視艦隊司令部でチュン准将を補佐している。一個戦隊しか運用できない程度の人数で、反救国統一戦線評議会勢力を組織化するのは不可能に近い。

 

 スタッフ不足は想定していた。「クレープ計画」では、味方についた部隊や行政機関からスタッフを借りて乗り切るつもりであった。しかし、俺達の勢力は予想を超える速度で拡大している。まとめきれなければ、勢力拡大がかえって混乱を招く可能性もあった。救国統一戦線評議会に乗じる隙を与えてしまっては、せっかくの勝利も仇になってしまう。一刻も早くスタッフを集めて、反救国統一戦線評議会勢力の運営体制を整える必要があった。

 

「よし、第一首都防衛軍団司令部と交渉して、スタッフを借りよう。あと、空挺隊員の中で司令部勤務経験のある者を呼び寄せる。あと、ハイネセン緊急事態対策本部の設置を急ごう。こちら側に付いた首都圏の行政機関から人を出してもらう」

 

 当初の計画では、もっとゆっくり進めるはずだったスタッフ集めを急ぐことに決めた。作戦部長ニールセン中佐に第一首都防衛軍団との交渉、情報部長ベッカー大佐に空挺隊員からのスタッフ選抜を任せ、俺自身は行政機関との交渉にあたる。

 

 対クーデター作戦「クレープ計画」における首都防衛軍臨時司令部の役割は二つ。第一に臨時司令部と首都防衛軍支持を表明した部隊の統制。第二に首都防衛軍及び義勇軍に対する兵站支援である。一時間ほど経つと、士官、下士官、兵卒合わせて五〇〇人ほどのスタッフが首都防衛軍臨時司令部に集まった。彼らが対クーデター作戦の運用部門となる。

 

 一方、緊急事態対策条例に基いて設置されるハイネセン緊急事態対策本部の役割は三つ。第一に義勇兵や寄付を集めて、首都防衛軍臨時司令部に引き渡す。第二に各地の自治体や警察組織や消防組織の統制。第三に企業やメディアとの協力体制構築。この組織は文民部門であり、首都防衛軍臨時司令部との関係は、国防委員会と統合作戦本部の関係にあたると考えれば良い。

 

 ハイネセン緊急事態対策本部の編成は、臨時司令部の編成と比べるとだいぶ難航した。条例に則った編成をすれば、ハイネセン惑星政庁長官が本部長となる。副本部長はハイネセン惑星政庁副長官、首都防衛軍司令官、首都警察長官、首都消防局長官、ハイネセンポリス市長。本部員はハイネセン惑星政庁の各局長。事務局長はハイネセン惑星政庁危機管理室長。だが、このメンバーの大半は、救国統一戦線評議会の拘束下にある。

 

 救国統一戦線評議会は蜂起した際に、惑星政庁、首都政庁、首都警察本部、首都消防局を占拠。最高幹部はほぼ拘束されてしまった。対策本部メンバーに指定された者のうち、拘束を免れたのは惑星政庁の会計管理局長、都市整備局長、教育局長、水道サービス局長。そのうち、会計管理局長は救国統一戦線評議会に出頭。教育局長と水道サービス局長は行方不明。ボーナムにやって来て俺を支持してくれたのは、都市整備局長のみ。正規メンバーが俺と都市整備局長だけでは、いかにも俺のお手盛りという感じがして見栄えが悪いが、それでもスタッフの受け皿となる組織は必要だ。

 

 唯一健在な副本部長の俺が本部長代行に就任し、本部員の欠員は本部員代理資格を持つ各部局のナンバーツーをあてることとした。連絡がついた生活文化局次長、環境局次長、福祉保健局次長、監査委員会事務次長を本部員に登用し、危機管理室副室長を事務局長に登用した。スタッフには味方の自治体から応援にやってきた職員、ハイネセンポリスから脱出した惑星政庁職員や首都政庁職員をあてる。

 

 味方の自治体には、首長を本部長、副首長及び軍・警察・消防の代表者を副本部長とする自治体単位の緊急事態対策本部を設置させて、ハイネセン緊急事態対策本部の指揮下に組み入れた。この措置によって、各行政機関は一元的な指揮系統の元に入ることになる。

 

 

 

 押し寄せてくる参加希望者を取り込みつつ、反救国統一戦線評議会組織を築く。二つの大仕事を並行した俺達は、この一日で想像を絶する作業量を処理した。ハイネセン緊急事態対策本部と首都防衛軍臨時司令部による指導体制がひと通り完成したのは、四月一四日の二三時五〇分頃のことである。

 

 緊急事態対策本部の指揮下に入った自治体は、惑星ハイネセンにある自治体の三割に及ぶ。集まった義勇兵は、全土で三〇〇万人。物資や資金を提供してくれる者は、その一〇倍以上に及ぶ。俺の勢力は、二四時間前とは比較にならないほどに拡大した。しかし、依然として状況は予断を許さない。

 

 首都圏の軍隊や自治体では、俺に対する支持はさほど広がらなかった。日和見をしていた首都防衛軍の第一巡視艦隊と第二首都防衛軍団がようやく指揮下に入り、宇宙部隊三個戦隊と地上部隊六個師団が支持を表明。六〇万を越える兵力が新たに加わって、首都圏で俺に味方する部隊は一四〇万を数えた。しかし、正規艦隊や宇宙艦隊直轄部隊に所属する部隊が、相次いで救国統一戦線評議会支持を表明。首都圏で救国統一戦線評議会を支持する部隊は、三〇〇万を越えた。首都圏で俺を支持する自治体は一割に留まる。

 

「風は明らかにこちらに吹いてる。でも、なかなか敵は崩れてくれない。それどころか勢力を拡大してる有様だ」

「高級軍人や政治家は、奇跡より現実を信じるということなのでしょうね」

 

 のんびりした声で辛辣な答えを返したのは、通信スクリーンの向こうにいる参謀長チュン・ウー・チェン准将だった。

 

「一時の熱狂に流されず、現実的に彼我の力量を判断する。組織を背負う者としては、正しい態度だよ。朝やったことをもう一度やれと言われても、絶対にできないからね」

「救国統一戦線評議会の対応は敵ながら見事なものでした。手持ちの戦力を素早く動かして、我々に味方する部隊をことごとく包囲。ボーナム総合防災公園の件がまぐれであると印象付けることに成功しました」

「あの状況で何の対処もできなきゃ、無力に見られても仕方ないよね。勢力拡大に処理能力が追いつかなかった。味方が包囲されても、個々に持ちこたえてくれることを期待するしかなかった。頼りなく見えても仕方ない。それに敵は流通も握ってる。物資供給の不安から、あちらに味方した部隊も多いと思う」

 

 思わず溜め息が出てしまった。救国統一戦線評議会は人心をまったく掌握できていないが、打ってくる手は的確だ。

 

「政治的な問題もあるでしょうね。正規艦隊や宇宙艦隊直轄部隊の幹部は、旧シトレ派や旧ロボス派で占められています。トリューニヒト議長が再選されたら、彼らは粛清人事の対象になる可能性があります。グリーンヒル大将の方が彼らとしては受け入れやすいでしょう。あの方は正規艦隊重視路線ですしね」

「中央政界ではトリューニヒトの国民平和会議が圧倒的に強いけど、地方政界では旧二大政党の力が根強く残ってる。惑星ハイネセンで最も多くの首長と地方議員がいる政党は進歩党、その次は旧改革市民同盟系の共和国民主運動。どっちもトリューニヒト路線とは真っ向から対立してる上に、政策的にはグリーンヒル大将と親和性がある。民主主義へのこだわりが薄い人なら、救国統一戦線評議会という選択もありだろうね。レベロ財務委員長とホアン人的資源委員長が捕らえられてなければ、進歩党は反救国統一戦線評議会でまとまったんだろうけど」

「理想主義者には、二つのタイプがあります。政策にこだわりがあるタイプ。そして、イデオロギーにこだわりがあるタイプ。理想の政策を実現するために、非民主主義的な手段を用いることを容認できるか否かの違いですね。まあ、私は容認できません。しかし、世の中を良くするためなら、容認してもいいという人は多いでしょう」

「救国統一戦線評議会が世の中を良くできるとは、俺には思えないよ。でも、それは俺がトリューニヒト支持者だからだろうね。何が何でも帝国に勝たなきゃいけないと思ってる人とか、緊縮財政を続けなきゃいけないと思ってる人とかは、救国統一戦線評議会の独裁に期待してもおかしくないと思う」

 

 俺の悪いところは、自分を信じ切れないところだと思う。他人の正しさを頭ごなしに否定しきれないのだ。だから、ロフリン准将がふっかけてきた議論からも逃げ続けた。

 

 救国統一戦線評議会が市民や兵士に嫌われているのは、完全に感情的な問題だ。しかし、論理や打算で動くエリート層には、それなりに説得力を発揮できる。感情論者や教条主義者には反発されて、合理主義者に支持される存在というのは、物語では善玉と決まってる。前の歴史の本でも、感情論者や教条主義者は悪く書かれてた。自分が悪役かもしれないと思うと、あまり愉快な気分になれない。

 

「閣下に対する反感、もしくは恐怖もあるかもしれません」

「反感は分からないでもないけど、恐怖はないんじゃない?能力無いし、見た目も弱そうだし」

「正確に言えば、閣下が起こされた奇跡に対する恐怖でしょうか」

「まぐれだよ、あれは。俺だって何が起きたか良くわからなかった。今でもやっぱりわからない」

「傍から見れば、得体のしれない熱狂ほど怖いものは無いですよ」

「ああ、それはわかるな。新興宗教の祭典とか、極右や極左の集会とか、そういうのが盛り上がってるのをテレビで見ると、ちょっとびびってしまう」

 

 五日前に国防委員会庁舎前で出くわした憂国騎士団のデモ隊を思い出した。旧知のラプシン予備役少佐と出会わなければ、ただ怖いと感じるだけで終わっていたはずだ。

 

「率直に申しますと、私も少々恐ろしくなりました。あの中にいれば、何とも思わなかったのでしょうが」

「俺を良く知っている参謀長ですら恐ろしく感じたなら、良く知らない人はなおさらだろうね」

 

 また溜め息が出た。チュン准将の言うことはいつも正しいが、それゆえに時折苦く響く。今日は特に苦かった。義勇兵が差し入れてくれたシュークリームを口に入れる。甘くておいしい。

 

「しかし、戦い方としては正解だったと思います。議論上手のロフリン准将ではなく、将兵に向かって語りかける。理あって情に欠ける救国統一戦線評議会相手には、有効な手でしょう。いかに高級軍人や政治家が敵の理を信じても、その下にいる者達が揺らげば覆せます」

「大衆の支持によって、軍事政権を倒す。クレープ計画はそういう作戦だ。一度やると決めたからには、徹底的にやらなきゃ」

「それにしても、救国統一戦線評議会は大衆受けを気にしてないというか、無視しているようにすら感じられますね。我が国は民主主義国家。軍の力だけで安定統治を敷くのは不可能です。ですから、過去のクーデター未遂事件では、政治家や官僚なども関与しておりました。しかし、現在明らかになっている範囲では、救国統一戦線評議会には文民が一人もいません。背後にいる文民勢力に政権を引き継ぐまでの短期的な暫定体制なのか、それとも……」

 

 チュン准将は珍しく言葉を濁した。

 

「どうした、率直すぎるぐらい率直な貴官らしくもないな」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは軍人出身ですが、政治家としては軍隊を政治の一手段として使いました。国家救済戦線派も軍隊を政治の手段に使おうとしています。しかし、救国統一戦線評議会はその正反対です。軍隊を作る手段として政治を使おうとしています。彼らは思想性も何もなく、政治や世論に左右されない効率的な戦争指導を追及した結果として、軍事独裁に行き着いたのではないでしょうか。そうであれば、文民がいない理由も理解できます」

「ああ、なるほど。対帝国戦争に専念するために、クーデターを起こしたわけか。政治や世論に左右されたくないから、文民をメンバーに加えていない。それは確かにルドルフと反対だね。ルドルフは内政に専念するために議会を永久解散した。ルドルフの軍隊は政治の道具だった」

「軍隊を政治に利用されたくない。プロフェッショナルとしての仕事に専念したい軍人ほど、そんな思いを強く持っています。主戦派は軍隊に金も出しますが、口も出します。愛国、服従といった軍国主義的イデオロギーも押し付けてきます。それを不合理と思う軍人は、あまり口出しをしない反戦派に心を寄せる傾向があります。私も含めた旧シトレ派というのは、その典型ですね。軍人としてのプロ意識が行き着いた果てのクーデターであれば、グリーンヒル大将やエベンス大佐のような非軍国主義的な人がメンバーに多いのは、むしろ当然でしょう」

 

 救国統一戦線評議会は、プロ意識の高い非軍国主義的軍人の集まりではないか。そんなチュン准将の指摘は、極めて興味深いものだった。そして、思い当たるふしもある。

 

 四日前、救国統一戦線評議会議長のグリーンヒル大将は、近い将来の祖国防衛戦争に必要な戦力を集めていると俺に言った。そして、派閥争いをやめて団結しなければならないと。グリーンヒル大将は、派閥争いや政治干渉を排除して、純粋に祖国防衛戦争を戦うためにクーデターを起こしたのかもしれない。

 

「救国統一戦線評議会はイデオロギー的な問題でなく、技術的な問題を理由に決起した集団ってことか。それなら、魅力を感じる人も多いだろうね。政治に配慮せずに政策を遂行できる体制って、軍人や官僚にとってはある意味理想的な体制だから。国難を救った後に民政に復帰すると言えば、軍事独裁の批判も避けやすい」

 

 去年の帝国領遠征に参加した俺は、政治介入の害悪をさんざん味わった。政治に介入されずに戦えたら、どれほど楽なことだったかとあの時は思ったものだ。

 

「しかし、我が国の政治は民意の反映。どんな腐敗した政治家であっても、市民によって選ばれたことには変わりありません。政治を無視する姿勢は、どれほど合理的な理由があっても、決して市民の支持を得られないでしょう。誰だって自分が無視されたら不快ですから」

 

 チュン准将の言い方は、単純ではあるが本質を突いている。相手が正しくて自分が間違っているのが分かっていても、無視されるというのは不快なのだ。だから、市民は救国統一戦線評議会を支持しない。救国統一戦線評議会の正しさは、正しいがゆえに受け入れられないだろう。いろんな意味でやりにくい相手であった。

 

 

 

 クーデター発生から三日目の四月一五日、ハイネセン緊急事態対策本部と首都防衛軍臨時司令部による指導体制は本格的に始動した。義勇兵の組織化は驚くべき速度で進み、各地で次々と義勇旅団や義勇連隊が結成された。多くの支援物資が救国統一戦線評議会の封鎖をかい潜って、ボーナム市に流入した。防災通信ネットワークを利用した指揮通信体制も整備されて、首都防衛軍臨時司令部は首都圏にある一四〇万の部隊を完全に掌握した。

 

 反クーデターの動きも表面化してきた。首都圏から遠く離れた主要都市では、反戦派やトリューニヒト派による大規模な反クーデターデモが行われた。救国統一戦線評議会支持を表明した自治体では、首都防衛軍を支持する公務員のストライキが多発。西大陸のカルデニア州議会においては、救国統一戦線評議会を支持する州知事に対する不信任が可決された。

 

 有名人も次々と反クーデターの態度を鮮明にした。休暇旅行中の元第九艦隊副司令官ライオネル・モートン中将は、ハイネセン南大陸の保養地マイルフォードから首都防衛軍支持を表明。反戦派文化人の作家アキム・ジェメンコフ、映画監督メリッサ・モンテサントらは、「反戦人民戦線」を結成して反クーデター決起を呼びかけた。楽土教テルヌーゼン大教区長ドゥッチォ・カファロは、説法の中で救国統一戦線評議会への不服従を訴えた。芸能界では、コメディ俳優アルフレート・ブフタ、歌手マドロン・リュミエールなどが首都防衛軍支持を表明した。

 

 同盟軍史上最大の英雄ブルース・アッシュビー元帥の最期を看取ったことで知られるドナルド・ヒース退役中将は、ボーナム総合防災公園に駆けつけると、義勇兵登録名簿に「ドナルド・ヒース 八一歳 年金生活者」とのみ記した。正体が判明したのは、公園攻防戦終了から二時間後のことである。

 

「久しぶりに血が騒いでしもうた。この老体を一兵卒として使ってくれんかね」

 

 ヒース提督はそう言っていたが、俺が生まれる前から提督だった人を一介の義勇兵として扱うわけにもいかない。結局、義勇軍査閲総監の肩書きを贈って、臨時司令部に席を設けた。アッシュビー元帥の作戦参謀を務めた古老の存在は、反クーデター勢力に重みを与えてくれるはずだ。

 

 一五日の午前に臨時司令部を訪れた代議員エイロン・ドゥメックは、扱いに困る人物だった。紳士的な風貌で物腰も穏やかだが、少しでも自分が蔑ろにされていると感じた途端にへそを曲げてしまう。それも怒鳴り散らすのではなく、遠回しにぶつぶつ文句を言うのだ。特に食事と寝室が気に入らなかったらしい。ここは対クーデターの最前線だ。日頃からドゥメックが享受しているような生活を提供できるはずもないのだが、納得してもらうまで時間がかかった。

 

 代議員の肩書きを持ってるだけの人物なら、手の空いてるスタッフを世話役につけて放っておけば良い。だが、ドゥメックは極めて有用な人材だったから、必死で機嫌を取る必要があった。もともと推理作家だった彼は、過激な政治的発言で注目を集めてから言論活動に軸足を移し、政治評論家に転身。トリューニヒトのブレーンを務めていたことから、三月総選挙に国民平和会議から出馬して代議員に当選した。大衆向けの政治バラエティ番組に良く登場していたため、知名度は抜群に高い。大衆向けにアピールするには、もってこいの人材なのだ。

 

「ヨブ・トリューニヒトが勝つか、反逆者が勝つかの問題ではありません。我々が奴隷になるか、自由になるかの問題です。奴隷になりたければ、反逆者を支持するとよろしい。しかし、我々は生まれながらの自由民です。ならば、答えは決まっています。反逆者にノーを突きつけ、市民軍にイエスを示しましょう!市民軍司令官エリヤ・フィリップス提督のもとに結集しましょう!」

 

 カメラに向かって反クーデターを訴えるドゥメックは、着古された作業服を身にまとい、いつもは綺麗にセットしている髪をやや乱れさせ、洗髪や洗顔をせずに汗臭さを醸しだし、見るからに最前線で戦う勇士のような雰囲気がある。メディア慣れしているだけあって、見せ方を良く心得ていた。

 

 今や反クーデター勢力の本拠地となったボーナム総合防災センターの建物には、首都防衛軍や空挺部隊の軍旗、同盟国旗と並んで、青地に二丁のライフルが斜めに交差したマークが描かれた旗がたなびく。この旗は義勇兵が即席で作った旗で、「市民軍の旗」と呼ばれる。正規軍と義勇軍の連合軍である反クーデター勢力部隊は、公園攻防戦の際に投降した空挺部隊大隊長フェレンツ・イムレ少佐が市民軍を自称して以来、「市民軍」の通称で呼ばれるようになった。

 

 現在、ボーナム総合防災公園周辺に集結している戦力は、第一首都防衛軍団四万五〇〇〇人、帰順した空挺部隊二万六〇〇〇人、義勇兵三万三〇〇〇人。合計すると一〇万を超える。要塞化工事も完了し、地上からの攻撃では攻略するのは不可能となった。

 

 だが、まだまだ有利とはいえなかった。救国統一戦線評議会側の部隊は、優勢な勢力を生かして首都圏の主要交通路を封鎖している。外部からの支援物資は、二割ぐらいしかこちらの手元に届かない。首都圏にいる一四〇万の正規軍と五〇万の義勇兵を養えるかどうかは、微妙なところだ。

 

 惑星ハイネセンの経済は、外部から流入してくる物資への依存度が高い消費型の社会だった。主要宇宙港を押さえる救国統一戦線評議会は、他星系から流入してくる物資を独占できる立場にあった。つまり、一〇億の住民を物資によってコントロールできる。クレープ計画では、クーデター開始から民間備蓄物資が尽きるまでの期間を一週間と見積もる。

 

 補給の不安が首都圏の諸勢力を救国統一戦線評議会寄りにしている。大規模な反救国統一戦線評議会活動も、首都圏では今のところほとんど発生していない。あと数日で決着を付けなければ、確実に敗北する。まだまだ難しい情勢だった。

 

 他星系からやって来た流通関係者を通じて、惑星ハイネセンの外の情報も入ってくる。四一一の有人星系のうち、反救国統一戦線評議会の態度を明確にしたのはわずか三三星系に留まる。五八星系が救国統一戦線評議会支持を打ち出し、残りの星系は曖昧な態度を取った。

 

 自由惑星同盟の経済は、惑星ハイネセンに住む一〇億の消費人口を抜きにしては動かない。救国統一戦線評議会は、ハイネセンの主要宇宙港、星間流通の要衝であるネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの四惑星を押さえている。どの星系も経済上の理由から、対立は避けたいのだろう。

 

 地方部隊もほとんどは曖昧な態度を取った。帝国領遠征軍が壊滅して以来、活発化した宇宙海賊への対応に追われて、救国統一戦線評議会どころではなかったのだ。明確に反救国統一戦線評議会の姿勢を打ち出した有力地方部隊は、第六方面管区巡視艦隊司令官ラルフ・カールセン少将、モハメディア星系管区司令官ローレ・イェーリング准将、マルーア星系管区司令官アーロン・ビューフォート准将ら二〇名程度に留まった。

 

 動向が注目されたイゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将は、救国統一戦線評議会の協力要請を拒否して、対決姿勢を打ち出した。数日中にイゼルローン要塞を出発して、最も近いシャンプールの反乱軍を攻撃に向かうものと思われる。そこまでは良かったが、どうも動きが怪しげだった。

 

「救国統一戦線評議会と対決するのは結構。シャンプール反乱鎮圧命令は情勢の変化で消滅したと考えるのが普通でしょうが、それでもまあ強弁すれば名目にはなります。しかし、何の政治的アピールも無いというのは、一体どういうことでしょうか?」

 

 ハイネセン緊急事態対策本部会議の席で疑問を呈したのは、惑星政庁福祉保健局次長アルトマイアーだった。

 

「担当区域を越えて軍を動かすのならば、それなりの理由が必要です。この場合は他星系の政府と交渉して、出動要請を引き出すのが一般的でしょう。しかし、そういう話も聞こえてこない。どんな根拠に基づいて動いているのやら。どうも不気味ですな」

 

 惑星政庁都市整備局長インサーナは、眉間にしわを寄せる。

 

「イゼルローン方面軍が自立を目論んでいる可能性は?」

「さすがにそれはないだろう」

 

 俺はとんでもないことを言い出したアルトマイアーをすぐさまたしなめた。しかし、他の対策本部メンバーは、かなり真剣な表情で考え込んでいる。どうも雲行きが怪しい。

 

「フィリップス提督。いくら非常時だからとはいえ、我々もイゼルローン方面軍も政府のルールに拘束される立場。何の説明も無く担当区域を超えるのは、そのルールに則れば私戦に等しい行為。要するに自立、あるいは反乱ですよ」

 

 確かにアルトマイアーの主張は正しい。救国統一戦線評議会と対決するにしても、それなりの法的根拠を用意しなければ、中央の政変に乗じて周辺星系を切り取ろうとしたと思われても仕方が無い。仮に救国統一戦線評議会を打倒するためにハイネセンに向かっても、単に権力を奪取したいだけなのか、トリューニヒト政権を復活させたいのか、見分けがつかない。

 

 前の歴史では、ヤン大将は五月のドーリア星域会戦直前に宇宙艦隊司令長官ビュコック大将の命令書なるものを公表して、「事前に討伐命令を受けてるから、私戦ではない」と主張した。伝記の中では、先見の明があるヤンはクーデター発生に備えて法的根拠を用意したとされる。俺もずっとそう思ってた。だが、対クーデター計画を作成する際に、法務部と一緒に法律研究を重ねるうちに考えが変わった。

 

 そもそも、宇宙艦隊司令長官は実戦部門の責任者であって、反乱討伐を命じられる側だ。討伐を命じる権限は、軍令の責任者たる統合作戦本部長にある。クーデター直前にヤンに四方面の反乱鎮圧を命じたのは、統合作戦本部長代理ドーソン大将だった。ビュコック大将に反乱討伐を命じる権限はない。

 

 宇宙艦隊司令長官の命令を受けて反乱を討伐するというのもおかしいが、「いつ誰が反乱を起こすか分からないけど、起きた時は討伐するように」という命令書の内容も胡散臭い。あまりに曖昧すぎて、命令書としては通用しない代物である。ヤンがでっちあげたと思われても仕方がないし、ビュコックが出したのが分かっても、間違いなく「ヤンと結託して何か企んでた」と勘繰られる。要するに前の歴史のヤンは、相当怪しい根拠で動いていたのだ。

 

 ヤンが現段階で何のアピールもしていないということは、やはり今回もビュコック大将の命令書を根拠に動くつもりなのだろうか。必ずしも前の歴史と同じ動きをするとは限らない。どこかの星系政府の出動要請を引き出してる可能性もある。だが、現時点では白黒付けずに灰色と判断すべきであろう。

 

「まあ、星間通信を敵が独占してる現状では、今の我々はよその星系と直接交信できないんだ。流通業者が漏らす伝聞だけで、イゼルローン方面軍の行動を判断するのも時期尚早だと思うよ。念のために、緊急事態対策本部の名前で協力要請を出そう。イゼルローン方面に向かう流通業者を見つけて、こちらのメッセージを持ってってもらう。それでいいんじゃないか?」

 

 様子見をしようという俺の提案にも、メンバーは乗り気でない表情を見せる。彼らは優秀な行政官僚だが、リスクを取りたがらない傾向がある。困り果てた俺は、オブザーバーとして参加している危機管理の専門家に質問した。

 

「アドーラ参事官、貴官はどう思う?」

「仮にイゼルローン方面軍が良からぬ意図を持っていた場合、こちらの出した要請が悪用される可能性もあります。それにどんなに早くても、バーラト星系に到着するには、一か月はかかるでしょう。一方、我が陣営に残された時間は、せいぜい四日か五日。イゼルローン方面軍との提携を模索するメリットは皆無かと存じます」

「イゼルローン方面軍の二〇〇万がこちらに味方する。そのインパクトは大きくないかな?時間切れまでに返事が来るかどうかは微妙だけど、間に合ったら救国統一戦線評議会に対する圧力になるんじゃないか?」

「遠すぎて圧力にはならないと考えます。自立が疑われる相手と手を組んだことで、諸勢力や市民の不信を買う恐れもあるでしょう。ケリム辺りまで彼らが進出していたら、リスクを承知の上で検討する余地もありますが」

「うーん」

 

 砂糖とクリームでドロドロになったコーヒーを口につけて、糖分を補給しながらアドーラの意見を脳内で検討することにした。

 

 距離と正当性の両面から検討した上で、ヤンと提携するメリットが皆無というのは筋の通った意見だった。納得できないとすれば、それは前の歴史の英雄に対する期待ゆえだろうか。だが、そんな理由で手を組むわけにもいかない。前の歴史の実績を考慮するのならば、極めて怪しい根拠をもって戦ったという事実も考慮すべきであろう。

 

 前の歴史のクーデターについて、少し考えてみる。ヤンは五月のドーリア星域会戦で勝利して、クーデター勢力の艦隊戦力を全滅させた。六月に起きたスタジアムの虐殺事件で、二万人の市民を虐殺したクーデター勢力は、完全に支持を失った。八月にバーラト星系まで到達したヤンのもとには、シドニー・シトレ退役元帥をはじめとする諸勢力が結集。満を持してハイネセンを目指し、軍事衛星群「アルテミスの首飾り」を破壊して、クーデター勢力を降伏に追い込んだのである。完全な鎮圧劇、英雄にふさわしい鮮やかな……、いや違和感がある。

 

 まず、ドーリア星域会戦でクーデター勢力は一個艦隊、一五〇万に及ぶ戦力を喪失した。この時点で軍事力のバランスは、ヤンに大きく傾いた。スタジアムの虐殺事件でクーデター勢力は完全に支持を失った。誰がどう見てもヤンの勝利は確実である。この時点で雪崩現象が起きて、クーデター勢力が崩壊してもおかしくないだろう。今のハイネセンで同じことが起きれば、確実に雪崩現象が起きて、俺は勝利する。だが、実際はスタジアムの虐殺から雪崩現象が起きるまで二か月近くかかった。恩師にあたるシトレ退役元帥ですら、最後の最後になってようやくヤンを支持した。

 

 これでは完全な鎮圧劇どころではない。今の俺の視点から見れば、信じがたいほどにもたもたしている。クーデター勢力がしぶとかったのか、あるいはヤンの手際が悪かったのかは、怪しげな命令書を先見の明と評する程度の本に書いてた内容では伺い知れない。だが、ヤンが圧倒的に有利だったにも関わらず、最後まで日和見を続けた者が多数にのぼり、ハイネセンのクーデター側部隊も最後まで離反しなかった。少なくとも、当時の人は今のアドーラのように、ヤンを頼りたくないと思っていたようだ。

 

 ヤンとの提携に対する未練は断ち切れた。俺は前の歴史の知識に従わずに、努力を重ねてここまで来た。決定権を握る立場になって、少し迷ってしまったが、前の歴史の英雄だからといって、遠くにいる灰色の人物に声をかける必要はない。どうせ、あと四日か五日で勝負は決まるのだ。

 

「よし、参事官の意見に従おう。イゼルローン方面軍との提携は見送る。みんなもそれでいいかな?」

「異議なし」

 

 満場一致でイゼルローン方面軍との提携は見送られた。

 

 

 

 四日目の四月一六日は、大きな動きのあった日だった。

 

 首都圏以外の地域では、反クーデターの動きが激化した。市民軍の旗を掲げる勢力が増加して、反クーデターのデモやストライキも多発。救国統一戦線評議会に味方した自治体では、首長が市民によって追放される事件、首長が警察を動かして市民軍の旗を掲げたデモ隊を検挙させる事件も起きた。救国統一戦線評議会側の部隊には、義勇軍によって駐屯地を包囲された部隊もある。

 

 地方の動きは首都圏には波及せず、軍事的なバランスはほとんど変動していない。義勇兵や情報提供者は増加している。敵将兵の戦意が低下しているとの情報もある。だが、まだ崩れるには至らない。

 

 政治的には、大きな動きがあった。救国統一戦線評議会が新たな布告を出したのだ。夜間外出禁止令の緩和、出頭命令に従わなかった要人の市民権停止及び財産凍結、軍事裁判所の設置、評議会の部分的改組、ハイネセン緊急事態対策本部及び首都防衛軍臨時司令部メンバー全員に対する出頭命令、義勇兵に対する解散命令など、大半は事態の変化に伴う追加措置である。しかし、一つだけ異質な項目があった。

 

「四二の組織に対する活動停止命令ですか。どれもトリューニヒト議長と縁が深い組織ばかりですな」

 

 情報部長ベッカー大佐は、副官ハラボフ大尉が救国統一戦線評議会の放送を聞いて書き取ったメモに目を通していた。

 

「与党の国民平和会議、憂国騎士団などのトリューニヒト応援団、国家保安局とその傘下にある治安警察部門、ユニバース・ファイナンスやサンタクルス・ラインなどの有力支援企業。露骨な狙い撃ちだね」

「いっそ清々しいぐらいですな。議長の最大の支持基盤である軍需関係業界団体が入ってないのが不思議ですが。あと、老舗の大企業も除外されてますね」

「軍拡路線だからね。軍需業界は敵に回せないだろう」

「これも妙ですよ。なんで地球教なんでしょうか?議長を支持してる教団の中には、もっと大手で過激なのもあるでしょうに」

「わからないなあ」

 

 義勇兵が差し入れてくれたマカロンを口に入れた。トリューニヒトの支持基盤を潰そうという狙いは分かるのだが、どうも選考基準が良くわからない。首をかしげている俺のところに、ハラボフ大尉が近寄ってきた。

 

「閣下、救国戦線統一評議会より通信が入っております」

「救国戦線統一評議会!?」

「和議の打診だそうです」

 

 思わず腰を抜かしてしまった。敵からいきなり直接通信、しかも和議の打診が来たら誰だって驚く。

 

「わかった、すぐ出る」

 

 急いで指揮官席に座り、通信端末に向かった。

 

「久しぶりだな。いや、そうでもないか。貴官と最後に会ってから一〇日程度しか経っていないのに、遠い昔のように感じる」

 

 スクリーンに映し出されたのは、見慣れた顔に聞き慣れた声。救国戦線統一評議会評議員のクリスチアン大佐であった。


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