銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百十九話:平行線の終わりにあったのは笑顔 宇宙暦797年4月16日 ボーナム総合防災センター

 どんな顔をすれば良いのか、俺にはかわからなかった。スクリーンの向こうにいる人物を敵に回す覚悟は、決めたつもりだった。だが、いざ目の前にしてみると、自分の覚悟の弱さを思い知らされる。戦いたくないという思いが、心の奥からこみ上げてくるのである。

 

「お久しぶりです」

 

 結局、平凡な挨拶を返すのみに留まった。

 

「うむ、いつもながら良い敬礼だ」

「ありがとうございます」

 

 手が震えているのに気付かれなくて良かった。もっとも、クリスチアン大佐なら気づいていても気づかないふりをしてくれただろうが。

 

「貴官と小官の間には、社交辞令はいらんだろう。手短に要件を伝える。救国統一戦線評議会は、市民軍との和睦を望んでいる」

 

 クリスチアン大佐は、俺達の事をはっきりと「市民軍」と呼んだ。

 

「どのような形の和睦ですか?」

「市民軍の政権参加を希望する。もちろん、対等な立場での参加だ。ハイネセン緊急事態対策本部の地位を公認し、全自治体をその指揮系統に編入する。ハイネセン緊急事態対策本部の本部員をすべて救国統一戦線評議会の評議員に加える。各自治体の緊急事態対策本部長には、救国統一戦線評議会の地方支部長に任命する。市民軍の義勇兵組織を公認し、構成員の役職及び階級の保持を認める。全自治体に義勇兵部隊を組織させ、すべて市民軍に編入する。緊急事態対策本部と義勇軍の活動経費は、すべて救国統一戦線評議会より支払われる」

「俺達の地位を認めた上に、権限を増やしてくれるわけですか。少々話がうますぎますね」

 

 思わず眉をひそめてしまった。謀略に長けた救国統一戦線評議会のことだ。うまい話の裏にどんな罠を用意しているか、知れたものではない。

 

「それだけ市民軍を評価していると思ってもらいたい。緊急事態対策本部の指揮系統は、動員組織としてきわめて有用だ。義勇軍は我々が思い描く国民総動員体制のモデルケースとなる。評議会と市民軍が協力すれば、全国民の力を来るべき祖国防衛戦争に結集できる」

「あまりにも俺達に譲歩しすぎでしょう。これでは、おいしい話で釣っておいて、後で一網打尽するつもりのように見えてしまいますよ」

「小官がそのような姑息な真似をすると思うか?」

「そうは思いません」

 

 鋭い眼光にひるみそうになったが、辛うじて踏みとどまる。

 

「ただ、救国統一戦線評議会は信頼できません。俺はクーデターが起きる前から、救国統一戦線評議会のメンバーに騙されてきました。ブロンズ中将、パリー少将、ルグランジュ中将は、仲間のふりをして俺をひっかけました。クーデターが起きた一三日には、道路の上で襲撃を受けました。一四日には、空挺部隊に攻撃されました。こちらの勢力が小さい時は攻撃してきたのに、大きくなった途端に手のひらを返して和睦を申し入れてくる。信用しろと言う方が無茶じゃないですか?」

 

 クリスチアン大佐相手には、腹芸など必要ない。はっきりと警戒の意を伝えた。

 

「もともと、評議会は貴官を仲間に加えるつもりだった。小官やルグランジュ副議長はもちろん、グリーンヒル議長も貴官の能力と人格を高く評価している。祖国防衛戦争の総司令官となるべき人材は、貴官とヤン・ウェンリーをおいて他にはいない。だが、事前に誘ったら、貴官は必ずトリューニヒトに知らせるだろう。蜂起直後に誘ったとしても、貴官は評議会に加わらなかったはずだ。だから、グリーンヒル議長やルグランジュ副議長は、蜂起した後に貴官を拘束して説得しようと考えていた」

 

 あの天才ヤン・ウェンリーと並べられるとは、随分と高く評価されたものだ。一週間前にエル・ファシル帰還兵救済運動への協力を持ちかけてきたグリーンヒル大将は、やたらと俺のことを褒めていた。社交辞令ではなく、本気で俺を評価して仲間に加えようとしていたのだろうか。だが、俺はグリーンヒル大将の仲間にはなりたくない。何を言われても、裏を感じてしまう。

 

「失礼ながら、グリーンヒル大将のなさることには小細工が多すぎて、信用できかねます」

「今は非常時だ。策が多くなるのはやむを得ない。評議会の流している番組は見ただろう?あと五年以内に間違いなく帝国軍が攻めてくる。党派争いを仕事にしているような連中が政権を握っていては、確実に我が国は滅亡する。軍部の指導のもとに総動員体制を作り上げて、全国民の力を結集してあたらねばならん時だ。手段を選んではいられん」

「俺も市民軍も救国統一戦線評議会に対する不信感から立ち上がりました。救国統一戦線評議会がどれほど市民から強い反感を受けているかは、大佐もご存知でしょう?グリーンヒル大将の指導で祖国防衛戦争を戦えますか?本気で全国民をまとめたいとお考えなら、投票によって国民から信任されたトリューニヒト議長と国民平和会議に、指導を任せるべきはありませんか」

「政治家は駄目だ。軍人が考えつく最適解なんぞ、政治的には実現不可能なものばかりだと前も言っただろう?貴官だって分かってるはずだ。支持率や予算ばかり気にしている連中に、効率的な戦争指導はできん」

「それが救国統一戦線評議会に味方した理由ですか」

「そうだ」

 

 クリスチアン大佐は力強く肯定した。チュン准将が言っていたように、プロ意識の強い軍人ほど政治嫌いになる傾向がある。予想はついていたが、やはり軍人としてのプロ意識がクリスチアン大佐をクーデター支持に走らせた。一〇日ほど前の焼肉屋での会話で、政治との距離を取るように言っていたことと、今の彼の立場がようやく一本の線でつながった。

 

「小官らは権力目当てに決起したのではない。あくまで軍人としての義務を果たすために、一時的に政権を握る必要があると思ったまでのこと。五年後、もしくは帝国の侵攻軍を撃退した後に、総選挙を行って新しい議会に政権を明け渡すつもりだ。もちろん、評議員は一人も選挙には立候補しない」

「大佐の志は理解しました」

 

 他の人間がそう言ったのなら、野心をごまかすための方便と思っただろう。だが、クリスチアン大佐に野心がないことは、長い付き合いで良くわかってる。ルグランジュ中将もそうだ。権力欲しさに自分と部下の命を賭けるような人じゃない。他の評議員も政治的野心とは、ほど遠い顔ぶればかりだ。ブロンズ中将やパリー少将だって策士ではあるが、野心家では無い。

 

「ならば、志は同じはず。評議会と組むのだ」

「それはできません。あなた方が清廉なのは、良く知っています。しかし、それは大した問題では無いのです。どのような高い志があり、決して腐敗しないとしても、やはりクーデターは許されないと俺は考えます。我が国は民主主義社会。ルールを踏んで動くことによって、初めて将兵は納得して戦うことができます。あなた方の指導では、将兵は納得しないでしょう。これは合理性ではなく、感情の問題です。現場で兵士を直接指導なさってきた大佐ならご存知のはず」

「ルールを破っているのは承知の上だ。だからこそ、市民に納得してもらえるように、戦争の危機を訴えている。情理を尽くして話しあえば、きっと分かってくれるということを、小官は指導経験から学んだ」

「ルールを踏み外せば、どれほど崇高な理念であっても、どれほど合理的な計算であっても、人の心を捉えることはできない。人の心を捉えられなければ、必ず敗北する。それを軍務経験から学びました」

 

 どこまでも話は平行線だった。叩けば響くような間柄だった俺とクリスチアン大佐がこうも行き違うのは初めてだった。

 

「そして、快適な生活を提供できなければ、人の心は離れていく。貴官らの物資は、あと数日しかもたんはずだ。なにせ評議会が流通を抑えているのだからな」

「外部の支援者が封鎖網の隙を縫って、物資を運んできてくれます」

「支援者の持っている物資も遠からず尽きる。備蓄用の民需用備蓄物資は、せいぜい一週間程度しかもたんはずだ。災害用備蓄物資もあくまで他地域から救援物資が届くまでの繋ぎ。数百万人や数千万人の生活を二週間以上養い続けることなど、想定していない。評議会は今の状態を数日間維持すれば、間違いなく勝利するのだ。物資がなくとも精神力で戦えるなどとは、貴官も思っておらんだろう?悪いことは言わん、評議会と手を組め。約束は必ず守る。いや、小官が守らせる」

 

 いつもと変わりのないまっすぐな目だった。声からは心底俺を心配していることが感じられた。クーデターに参加しても、クリスチアン大佐はクリスチアン大佐だった。

 

「優位にあるはずの評議会がなぜ和睦を申し出たのですか?大佐のおっしゃるとおりなら、破格の条件を出さずとも、あと数日で俺達をことごとく捕虜にできるでしょう?」

 

 恩人の善意に揺らぎそうになる心を必死で抑えながら、冷静な表情を作って答えた。

 

「評議会の目的は権力ではなく、祖国防衛戦争を共に戦う仲間を集めることにある。貴官が作り上げた市民軍には、仲間たるにふさわしい力を持っている。飢えて結束を失ってからでは遅い。今の気力充実した市民軍を戦友としたいのだ。そして、これは甚だ個人的なことではあるが……」

 

 驚くべきことに、あの単純明快なクリスチアン大佐が一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 

「小官は貴官ら兄妹と肩を並べて戦いたいのだ」

 

 表情も声もいつもと変わりなく豪気なのに、これ以上はないほどの悲痛さが伝わってくる。胸が張り裂けそうな気持ちになる。

 

「俺だって、できることならそうしたいですよ。しかし、大佐は救国統一戦線評議会に味方なさっているでしょう。救国統一戦線評議会を離れて、市民軍に来ていただけませんか。そうすれば、一緒に戦えます」

「貴官にとって、評議会は相容れない敵か?」

「市民軍の側に身を置いている以上、そういうことになります」

「では、貴官にとって、評議員の小官は敵か?」

 

 一番聞かれたくない質問だった。しかし、避けて通ることができない質問でもある。軽く深呼吸をしてから口を開く。

 

「残念ながら、今のあなたは敵です。敵とは呼びたくありませんでしたが」

「小官もだ。貴官に敵とは呼ばれたくなかった」

 

 これほど寂しげなクリスチアン大佐は初めて見た。強い罪悪感を感じる。だが、今さら後戻りはできなかった。反クーデターの旗印のもとに集まった数百万人の期待を裏切ることは、俺にはできないのだ。

 

「このような結果になってしまって、本当に残念です」

 

 目を伏せて、うつむき加減で答えた。

 

「まあ、まだ決裂と決まったわけではない。評議会の提案をメールで送付した。これを市民軍の会議に掛けてもらいたい。貴官の一存で受け入れるか否かを決められる組織でもなかろう」

「わかりました。どのような返事ができるかは保障できませんが、会議の件は請負いましょう」

 

 急に感情を消して事務的になったクリスチアン大佐に対し、俺も事務的に応じた。気持ちは別れの敬礼に込めて、通信を切った。

 

 

 

 市民軍と通称される集団は、三つの組織によって構成されている。一つ目は反クーデター側の軍隊を統率する首都防衛軍。二つ目は反クーデター側の行政機関を統括するハイネセン緊急事態対策本部。三つ目は民間人の義勇兵を統率する義勇軍司令部。

 

 首都防衛軍司令官代理と緊急事態対策本部長代理と義勇軍最高顧問を兼ねる俺は、三組織の調整会議の議長役を務める。クリスチアン大佐との通信が終わると、ただちに三組織の最高幹部を召集して、テレビ会議を開いた。

 

「フィリップス提督を評議会第一副議長、緊急事態対策本部本部員六人と首都防衛軍幹部四人と義勇軍幹部四人を評議員に選出。緊急事態対策本部と首都防衛軍と義勇軍の活動経費は、すべて評議会が負担。権限も拡大してくれると。なんとまあ、気前がよろしいことですなあ」

 

 第一首都防衛軍団司令官ファルスキー少将は、感心しているのか、皮肉を言っているのか、良くわからないような口ぶりだった。

 

「論外でしょう、これは」

 

 画面の向こうでプリントアウトした提案書をわざとらしく放り投げてみせたのは、第二巡視艦隊司令官アラルコン少将。救国統一戦線評議会の参謀格であるエベンス大佐との不仲は有名だ。

 

「検討する余地もあるのでは」

 

 緊急事態対策本部メンバーの惑星政庁生活文化局次長スン・クァンは、提案書に興味を示したようだ。

 

「馬鹿を言いなさんな。我々が何のために集まったか、次長はお忘れか?」

「しかし、我が陣営の物資はあと四日か五日しかもたん。交渉の余地は残しておくべきだ」

「敵の幹部に収まる余地かね?」

 

 アラルコン少将がスン次長の和睦論に激しく噛み付く。

 

「そういうわけではない。物資がなくなれば我らの組織も維持できなくなる。後方支援を担う緊急事態対策本部の一員として、物資を得る手段に無関心ではいられないのだ」

「我々が問題にすべきは、反逆者を倒せるか倒せないかであろう。反逆者に物乞いをして、組織を維持したところで何の意味があるか。誰かに高く売りつけるために組織を作ったのなら、話は別だがな」

「いくらなんでもそれは非礼ではありませんか?」

「小官は見ての通りの粗忽者。卑怯者と臆病者に対する礼は知らんよ」

 

 組織防衛を口にするスン次長に、強烈な皮肉を叩きつけるアラルコン少将。画面越しに険悪な空気が漂う。

 

「アラルコン提督、そこまでだ」

「司令官代理がおっしゃるるのなら、仕方ありませんな」

 

 俺が慌てて止めに入ると、意外にもアラルコン少将はあっさり引き下がった。

 

「こんな提案をされるということは、要するに足元を見られてるということです。フィリップス提督は、部隊を動かさずにハイネセンポリスへの離反工作で状況を打開する方針でいらっしゃる。しかし、こちらが行動しなければ、ハイネセンポリス内部の不満分子も動きようがないのでは?首都圏の全軍を動かして、ハイネセンポリスに進軍すべきです。敵が強硬手段に出れないのは、ボーナム公園の攻防で明らかではありませんか」

 

 西大陸義勇軍司令官ベルナベ・カルモナが持論のハイネセンポリス進軍論を主張すると、他の義勇軍幹部も同意を示す。

 

「でも、敵主力の第一一艦隊は依然として高い士気を維持してる。空挺部隊は司令官のパリー少将が着任して日が浅かったおかげで士気が低かった。状況が違うよ」

「途中からクーデターに参加した部隊は、さほど士気が高くないでしょう。彼らがことごとく崩れたら、第一一艦隊が独り奮闘してもどうにもなりますまい。あえて行動に出て、敵部隊の離反を促すのも選択肢として考えるべきでは」

「あと二日早いかな。ハイネセンポリス市内の敵部隊に士気低下が見られるという情報が複数の筋から入ってきてる。敵は寝返りを恐れてるのか、第一一艦隊を始めとする信用できる部隊を俺達の正面に配置して、新しく味方した部隊をハイネセンポリス市内に配置してるそうだ。実際、前面に出てきてる敵部隊は、ほとんど評議員が司令官を務める部隊ばかり。敵は明らかに味方の寝返りを恐れてる。仮に民衆が市内で蜂起しても、中心部に陣取る精鋭以外は動かないと推測できる」

「わかりました」

 

 俺の説明を聞いたカルモナは、不承不承と言った感じで引き下がる。

 

「みんなの意見をもっと聞かせてもらいたい」

 

 俺が議論を促すと、首都防衛軍の将官、緊急事態対策本部の惑星政庁官僚、義勇軍の幹部が口々に自分の意見を述べ出した。兵站を担当する惑星政庁官僚は和睦に前向き、実戦部隊の将官と市民をまとめる義勇軍幹部は反対が多かった。

 

「反対論が優勢のようだね。チュン准将、貴官は何も言っていないようだけど、何か意見はあるかな?」

 

 画面を見回した後、参謀長チュン・ウー・チェン准将に意見を求めた。彼は第三巡視艦隊司令官代理の資格で、テレビ会議に顔を出している。

 

「私も和睦には反対です。ただ、反対の仕方にも多少は芸がいるでしょう」

「芸とは?」

「単に拒否するだけでは、あまり面白くありません。こちらからも要求を突きつけましょう」

「要求を出すなんて、考えもしなかったな」

 

 指摘されて気づいたが、俺はイエスかノーか以外考えてなかった。条件を付けるのは和睦の時だけと思ってた。

 

「要求が受け入れられたら、和睦を呑むというのか?」

 

 第二水上艦隊司令官デオダート少将が険のある目つきでチュン准将を睨む。

 

「ええ、その通りです。戦う理由がなくなりますから」

「貴官はいったいどういう……!」

「デオダート提督、まずは彼の話を聞こう。批判はそれからでいい」

 

 俺がやんわりたしなめると、デオダート少将は怒りの言葉を飲み込んだ。

 

「チュン准将、聞かせてくれ」

「トリューニヒト議長の政権復帰、捕らえられた要人全員の解放、最高評議会及び同盟議会と同盟最高裁判所の復権を要求します」

 

 チュン准将は、トーストの焼き方に注文を付けるような口調で要求項目を述べた。出席者はみんな感心したような表情になる。

 

「なるほど、そうすれば良いアピールになるな」

「敵が要人の一部でも解放してくれたら、我々の得点になる」

「市民軍が何のために戦っているかを再確認できるというのもいい」

 

 チュン准将の案は出席者に受け入れられた。このタイミングを見計らって、俺は口を開いた。

 

「議論は出尽くしたようだ。これより決を取る」

 

 市民軍を構成する三組織の代表者は、チュン准将が述べた要求を呑んだ場合のみ和睦に応じると満場一致で決議した。

 

 

 

 調整会議が終わると、俺はすぐにクリスチアン大佐に通信を入れて、会議の結果を知らせた。

 

「そうか、市民軍は和睦を望まないか」

「ご期待に添えず、申し訳ありませんでした」

「いや、貴官らが受け入れるとは思っていなかった。万に一つの可能性に賭けてみたが、賭けなど大抵は外すものだな」

 

 クリスチアン大佐の顔は、どこか晴れ晴れとしていたようにすら見えた。やはり、この人とは戦いたくない。俺はある決意をすると、口をゆっくりと開いた。

 

「交渉というのは一度で終わるものではありません。何度も会談を重ねて、信頼関係を築いた上で成立させるものです」

「それはそうだな」

「できればハイネセンポリスは無血奪還したいと考えています。救国統一戦線評議会だって、俺達に勝つなら無血で勝ちたいはず。流血を回避するためには、チャンネルがあった方が良いとは思いませんか」

「うむ、それは魅力的な提案だ」

「一度、ボーナム総合防災公園までお越しいただけませんか。大佐が使者として来ていただけるなら、こちらとしても安心して交渉を進められます」

「そして、小官が来たら、その場で拘束するわけか」

 

 スクリーンの向こうから聞こえてくる声は、指摘の内容とは裏腹に穏やかだった。背中に冷や汗が流れる。

 

「そんな卑怯なことを俺がするとお考えですか?」

「貴官はするだろう。甘い男だからな」

「見抜かれていましたか」

 

 不器用に微笑むクリスチアン大佐につられて、俺も微笑んだ。

 

「小官を拘束して評議会から引き離せば、戦わずに済む。仮に自分が勝利したら、小官が自発的に投降したと偽って、トリューニヒトに取りなすこともできる。そう考えたのだろう」

「やはり、大佐には敵いません」

 

 苦笑するしかなかった。俺の狙いは完全に見抜かれていた。

 

「まったく、貴官はどこまでも良い奴だ。そして、良い軍人だ。貴官のように情の厚い指揮官のためなら、兵は喜んで戦うだろう」

「助言を頂いて職業軍人になってから、ずっと大佐のような指揮官になりたいと思っていました」

「最初に見た時から、貴官は大食いで寝付きも良かった。きっと良い軍人になると思っていたが、予想以上に良い軍人になった。小官の知る限り、貴官は最も良い軍人であった」

「大佐のご指導のおかげです」

「最も心強い味方にならなかったのは残念だ。だが、最も心を湧かせてくれる強敵となってくれることを慰めとしよう。貴官が最後の敵であれば、負けたとしても悔いはない。負ける気はしないがな」

 

 クリスチアン大佐は、大きく口を開けて笑った。妙に透き通った笑いのように感じた。

 

「期待に背かぬよう頑張ります」

「体を大事にせよ。貴官を捕らえたら、小官とルグランジュ副議長が何に換えても助命する」

 

 どう答えればいいかわからずに、曖昧な笑いでごまかした。

 

「お互い、悔いのない戦いをしよう」

「お元気で」

 

 不思議と悲しくはなかった。最後は笑って別れよう。そんな気持ちが湧き上がってきて、自然と笑顔になった。

 

「貴官と妹はもうすぐ誕生日であったな。貴官のアドレスに祝福のメッセージの動画を送っておいた。恥ずかしいから、人目に付かない場所で見てもらいたい」

「ありがとうございます」

「貴官ら兄妹は良く似ている上に、誕生日まで近い。何もそこまで似せる必要もないと思うのだがな」

 

 照れ隠しか、クリスチアン大佐は殊更に笑ってみせた。今日の彼はやたらと良く笑う。まるで俺に笑顔を印象づけたいとしているかのように。

 

「俺はあんなにかっこ良くないし、あんなに真面目じゃないし、あんなに優秀じゃないですよ」

「妹もそう言っていた。やはり良く似ている」

 

 ひとしきり笑った後、クリスチアン大佐は一瞬だけ横を向いて険しい顔になった。そして正面に向き直る。

 

「事件が起きた。名残は惜しいが、そろそろ終わりにしよう。また会おう」

「次にお会いできる時を楽しみにしております」

 

 お互いに笑顔を交わし合った後、スクリーンは真っ暗になった。

 

 

 

 クリスチアン大佐に言われたとおり、周囲に人がいない時を見計らって動画ファイルが添付されたメールを開いた。

 

「なんだ、これ?」

 

 メールに添付されていた動画ファイルは三つ。「エリヤ・フィリップス少将へ」「アルマ・フィリップス中尉へ」という題名の祝福メッセージ動画らしきファイルの他に、「aaaaa」といういかにも適当に命名されたような名前のファイルが添付されていた。

 

「妙に気になるな」

 

 イヤホンを端末に装着した後、「aaaaa」のファイルを開いた。すると、再生画面にクリスチアン大佐が姿を現した。祝福メッセージ動画と同じものかなあと漠然と考えた。

 

「通信で話せば、傍受される恐れがある。メールも一〇〇パーセント安心とはいえない。だから、このような形で伝える。小官らしくもない遠回しなやり口だが、容赦願いたい」

 

 祝福メッセージとは程遠い緊迫した雰囲気が画像の中から伝わってくる。

 

「小官が伝えたいのは、評議会が戦おうとする敵のことだ。評議会が戦う祖国防衛戦争は、外なる敵のみと戦うにあらず。我が国を蝕む内なる敵とも戦わねばならない。その中で最大の敵は二つ」

 

 救国統一戦線評議会の布告において名指しで敵視されていたのは、反戦派のみだった。トリューニヒトと関係の深い組織が新しい布告で活動停止命令を受けていたが、これはトリューニヒト派を弱める策だろう。救国統一戦線評議会が最大の内なる敵と呼ぶ二つの勢力とは、反戦派とあとはどこだろうか。

 

「帝国に勝るとも劣らない最大の敵。それは“フェザーンロビー”、そして“保安警察グループ”だ。最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、この両者の利益代弁者とも言うべき存在だ。だからこそ、我々はクーデターに訴えて、ヨブ・トリューニヒトを打倒しなければならなかった。だが、両者の勢力はあまりに大きい。評議会が全面対決を挑めるほど大きくなるのは、しばらく先の話となろう。当分はヨブ・トリューニヒト攻撃に巻きこんだ風を装って、一部を攻撃するに留める」

 

 俺の予想は完全に外れた。まさか、救国統一戦線評議会がフェザーンロビーと保安警察グループを敵視しているとは思わなかった。どちらも雑誌に掲載される裏の勢力図ではお馴染みのプレイヤーだが、国政を左右するほどの勢力とはみなされていない。

 

 フェザーンロビーとは、フェザーン系外資企業及び親フェザーン的な財界人の意を受けて動く圧力団体の総称である。彼らは政治献金やメディア工作を通して、経済財政政策をフェザーン的市場経済主義に則った方向に動かしているとされる。フェザーンロビーの主張する政策は、フェザーン自治領主府がシンクタンクの提言という形式で、同盟政府と帝国政府に要求する経済改革の内容をまとめた年次改革提言書の内容と被る部分が多い。そのため、フェザーンロビーをフェザーンによる内政干渉の尖兵とする向きもある。

 

 前の歴史では、フェザーンロビーの背後にいるとされるフェザーンは、同盟と帝国の共倒れを狙う地球教の非公式別働隊であることが判明している。ヨブ・トリューニヒトとも相当関係が深かったらしい。今の歴史でもユニバース・ファイナンスなどのフェザーン系外資がトリューニヒトに多大な支援をしている。

 

 保安警察グループとは、国家保安局を頂点とする保安警察組織の通称である。犯罪捜査を担当する刑事警察に対し、保安警察は治安維持を担当する。反体制勢力、急進反戦派、過激主戦派、宗教団体など反社会的勢力の監視、帝国及びフェザーンのスパイの摘発、テロやゲリラの防止、要人警護などが主な仕事だ。テロ警戒や雑踏警備に出動する機動隊も保安警察に所属する。反戦派や自由主義者には、権力者の手先になって国民を監視していると言われるが、規模も予算も軍隊と比べると圧倒的に小さく、その力は治安分野に限定されると言われる。

 

 前の歴史の本には、保安警察グループの名前は載っていなかった。国家保安局OBであるトリューニヒトは保安警察グループの一員だったが、彼を軍国主義政治家とする論調が一般的だったために、軍部や軍需産業との関係ばかり取り上げられた。むしろ、一部で保安警察グループの非公式別動隊と言われる憂国騎士団の方が前の歴史では有名だった。ヨアキム・ベーンの『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』は、保安警察グループ、憂国騎士団、トリューニヒトの三者の関係を取り上げた。

 

 トリューニヒトと関係が深いとされる二つの勢力を、救国統一戦線評議会はいかなる理由によって最大の敵とみなしたのだろうか。好奇心がむくむくと湧き上がって、動画を注視した。

 

「まずはフェザーンロビーだ。奴らは……」

 

 クリスチアン大佐がフェザーンロビーについて話し始めたところで、指揮卓に近づいてくる人の気配を感じて動画を閉じてロックをかけた。気配がする方向を見ると、副官のハラボフ大尉であった。

 

「どうした?」

「ハイネセンポリスで反戦市民連合の大規模なデモ行進が行われる模様です」

「反戦市民連合が!?」

 

 反戦市民連合と言えば、反戦派の女傑ジェシカ・エドワーズの党だ。クーデター以来、ずっとなりを潜めていたのに、どうして今頃動き出したのだろうか。前の歴史でエドワーズとその支持者二万人が虐殺されたスタジアムの虐殺事件の記憶が頭をよぎる。

 

「詳しくは情報部長に伺ってください」

「わかった」

 

 ハラボフ大尉について、情報部長ベッカー大佐のもとに向かった。彼は広い防災司令室の中で俺と離れたデスクを使っている。

 

「情報部長、反戦市民連合が動き出したと聞いた。説明を頼む」

 

 俺が声をかけると、端末に向かって仕事をしていたベッカー大佐は立ち上がって説明を始めた。

 

「三〇分前から、ハイネセンポリスの各所に反戦市民連合の支持者の大集団が現れました。市内の何処かにある地下拠点から集合指令が出たものと思われます」

「数は?」

「およそ二〇万人」

「に、二〇万人!?」

「警察内部にいる情報提供者八人が二〇万人前後と推定する情報を送ってきました。精度はきわめて高いと思われます」

「どうやってそんな人数を動員したんだ?反戦市民連合は救国統一戦線評議会の部隊に本部を制圧されて、地下に潜ったはずだ。それに携帯端末も使えない。一体どうなっている!?」

 

 二〇万のデモ隊なんて、そんなに簡単に動員できる数ではない。相当に周到な準備が必要になるはずだ。しかも、ハイネセンポリスでは携帯端末は使用規制されている。二〇万人を集めるだけの通信網なんて、どうやって作り上げたのだろうか。考えれば考えるほど、反戦市民連合の組織力に驚嘆の念を覚える。ジェシカ・エドワーズ、そして反戦市民連合指導部の力量は、俺の想像を遥かに超えていた。

 

「軍の通信部隊の一部が反戦市民連合に荷担して、軍の通信網を使用させていたという情報が憲兵筋より入っています」

「なるほど、そうやって通信網を確保していたわけか」

 

 反戦市民連合には、退役軍人の党員が少なくない。指導者のエドワーズも退役大佐の娘。軍隊に工作するルートなんて、いくらでも持っているはずだ。

 

「よし、今から対応を協議しよう。ハラボフ大尉、首都防衛軍とハイネセン緊急事態対策本部と義勇軍の三組織調整会議を再度召集するように」

「はい」

 

 ハラボフ大尉は通信端末に向かって早足で歩いて行った。鍛錬のせいか、ただ歩いているだけなのに後ろ姿がやけに格好良い。

 

「……二個歩兵旅団が出動した模様」

「……指揮官はクリスチアン評議員」

 

 情報部によって傍受されたハイネセンポリス市内の通信が耳に入ってくる。どうやら、クリスチアン大佐が自ら鎮圧指揮に赴いたようだ。彼の指揮ならば、前の歴史で起きたスタジアムの虐殺のような悲劇は、万に一つも起きないであろう。

 

 敵を信頼するというのも変な話であったが、流血の事態を心配せずに対応を考えられるのは有難いことであった。前の会議が終わって二時間もしないうちに再度会議を開くことになるとは思わなかったが、事態が動く時なんてそんなものだ。二〇万人デモという事件をいかに利用して、戦いを有利にするか。その考えで俺の頭はいっぱいになった。


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