銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二十三話:一瞬の高揚、押し寄せる書類、歩き出すイメージ 宇宙暦797年4月18日~6月22日 グエン・キム・ホア広場~首都防衛軍司令部

 四月一八日正午、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、グエン・キム・ホア広場に集まった市民三〇万人の前でクーデターに対する勝利を宣言した。

 

「親愛なる市民の皆さん。本日四月一八日、皆さんは専制者に対して偉大なる勝利を収めました。今や専制の暗闇は打ち払われ、自由の光が再びこの国を照らしたのです。正義!団結!信念!忠誠!献身!勇気!尊厳!人間が持ちえるあらゆる美徳がこの六日間で示されました。皆さんはアーレ・ハイネセンの長征に始まる自由惑星同盟の偉大な戦いの歴史に最も素晴らしい一ページを残したのです。私、ヨブ・トリューニヒトは真の民主主義者であり、真の愛国者である皆さんと共にこの六日間を戦い抜いたことを誇りに思います。自由万歳!民主主義万歳!自由惑星同盟万歳!」

 

 トリューニヒトが拳を振り上げて叫ぶと、群衆は何かに導かれたように立ち上がった。貴賓席に座っていた俺も立ち上がる。強烈な熱気が広場全体に広がった。

 

「自由万歳!」

「民主主義万歳!

「自由惑星同盟万歳!」

 

 広場にいる者すべてが拳を振り上げて、腹の底から声を振り絞って万歳を叫んだ。高揚感が広場を満たす。

 

 熱狂の頂点に達した会場の中に自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」のメロディが流れだすと、さらに群衆の興奮は高まる。

 

「友よ、いつの日か、圧制者を打倒し

 解放された惑星の上に

 自由の旗をたてよう」

 

 三〇万人が一斉に国歌を唱和する。歌声が大きなうねりとなり、すべての者の心が一つになる。

「とーもよー、いーつのひかー、あっせーいしゃーをだとうしー

 かーいーほうーされたーほーしのうーえにー

 じーゆうーのはーたーをたーてよーうー」

 

 俺は調子っぱずれの声を張り上げて、トリューニヒトの朗々とした美声に合わせるように歌う。胸の中に熱いものがじわじわと広がっていく。

 

「わーれらー、いーまーをたーたかーうー、かーがやーくみーらいーのたーめーに

 わーれらー、きょーうーたーたかーうー、みーのーりあーるーあーしーたーのたーめーに

 とーもーよー、うーたおーうー、じーゆうーのたーましーいーをー

 とーもーよー、しーめそーうー、じーゆうーのたーましーいーをー

 

 もはや、俺はメロディーに合わせて歌詞を叫んでいるだけであった。胸の中が熱いものでいっぱいになり、感動で心が震えだす。ボーナム総合防災公園での国歌斉唱とは、また違った感動だ。この場に居合わせた自分は本当に幸せ者だ。そんなことを考える。

 

「おーおー、わーれらーがじーゆうーのたーみー

 わーれらーえーいきゅーうーにせーいふーくさーれずー」

 

 国歌を歌い終えた瞬間、空気が弾けた。その次の瞬間、津波のような拍手、爆音のような歓声が広大なグエン・キム・ホア広場全体を満たした。

 

「自由万歳!」

「民主主義万歳!

「自由惑星同盟万歳!」

「ヨブ・トリューニヒト万歳!」

 

 三〇万人が万歳を叫ぶ。中には感極まって涙を流す者もいた。この高揚、この一体感こそが求めていた物のように思えた。無我夢中で万歳を叫びながら、自分がこの三〇万人の中の一人であることを誇りに思った。

 

「エリヤ君」

 

 その声に振り向くと、暖かい微笑を浮かべたトリューニヒトが立っていた。いつの間に演壇から降りてきたのだろうか。

 

「これが君の成し遂げたことだ。みんな、君を待っている。来たまえ」

 

 トリューニヒトは熱狂する群衆のいる方向に軽く顔を向ける。そして、俺の手を引いて演壇へと引っ張っていく。

 

「皆さん!英雄エリヤ・フィリップス君に拍手を!」

 

 トリューニヒトが俺の手を握って高々と掲げると、拍手が大津波となって俺のもとに押し寄せてきた。

 

「エリヤ・フィリップス提督万歳!」

 

 グエン・キム・ホア広場にいる三〇万人が全員俺の名前を叫ぶ。緊張のあまり心臓の鼓動が早くなり、腹が痛み出す。どこまでも俺は小心者だった。必死で笑顔を作って手を振りながら、エル・ファシル脱出作戦の時とは比べ物にならない大フィーバーに戸惑いを感じる。

 

 急に自分があの三〇万人から引き離されたような気がして寂しくなった。群衆の一人として万歳を叫び、手が痛くなるぐらい拍手をしたかった。高揚の中に身を浸し、一体感を味わいたかった。いつも群衆の歓呼を浴びる側にいる者は、どうやってこの孤独と戦っているのだろうか。群衆に向かって手を振るトリューニヒトの笑顔を眺めながら、そんなことを思った。

 

 

 

 これが物語であれば、トリューニヒトの勝利宣言に続く高揚の中でハッピーエンドを迎えたであろう。しかし、俺が生きているのは現実。高揚は一時で終わり、現実が再び冷酷な顔を見せる。

 

 救国統一戦線評議会のクーデターは六日で終了した。トリューニヒトは最高評議会議長に再選されて、第二次トリューニヒト政権が本格的に動き出した。しかし、すぐに人心を一新して出直すというわけにもいかなかった。

 

 六日間にわたる中央権力の不在、四月初めからの地方反乱は、同盟経済に多大な悪影響を及ぼした。ハイネセンとフェザーンの株式市場では、同盟企業の株価が軒並み暴落。航路の遮断は流通の停滞を引き起こした。各地で物資が不足して、短期間で物価が高騰した。

 

 国内治安の悪化も深刻だった。各星系が自分の思惑で動くような状況では、星間警察活動は停滞する。そこに犯罪組織やテロリストが付け込んだ。正規の指揮系統の停止によって分断された地方部隊が自衛に徹している間に、宇宙海賊の活動は勢いを増した。クーデター鎮圧後も一度火がついた犯罪者の勢いはなかなか収まらなかった。

 

 国防体制の再編も大きな課題であった。一個正規艦隊を始めとする二〇〇万の将兵がハイネセンポリスで蜂起。地方で蜂起した者、途中参加した者も含めれば、同盟全軍三五〇〇万の一割以上に及ぶ四〇〇万がクーデターに加担したことになる。この事実は現行の国防体制に対する信頼を失墜させるには十分であった。同盟軍は全面的な再編の必要に迫られた。

 

 クーデターの事後処理も大仕事だ。残党処理、全容の把握、参加者の処分、背後関係の調査、損害の算定と補償など、成すべきことは多い。

 

 トリューニヒトはつくづく運がない人だ。第一次政権では帝国領遠征の後始末、第二次政権ではクーデターの後始末から出発した。前の歴史においてユリアン・ミンツの書いたヤン・ウェンリーの伝記では、トリューニヒトを「決して傷つかない男」と評していた。だが、俺の目では貧乏くじばかり引いているように思える。

 

 複数の大問題を抱え込んだまま出発した第二次トリューニヒト政権が最初に取り組んだのは、救国統一戦線評議会の残党処理であった。

 

 ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの四惑星は、救国統一戦線評議会勢力に占拠されたまま。惑星ハイネセンでは、混乱に乗じて多くの救国統一戦線評議会支持者が逃亡。衛星軌道上に展開していた第一一艦隊第一分艦隊は、ルグランジュ中将の命令を受けて投降したが、それでも三〇〇隻ほどが従わずに姿を消した。救国統一戦線評議会を支持した星系共和国のうちのいくつかは、憲章秩序への復帰を拒んだ。主力が潰えたとはいえ、残党はまだまだ侮り難い力を残していた。

 

 第一一艦隊降伏後に統合作戦本部と宇宙艦隊と地上軍に対する指揮権を返上した俺は、惑星ハイネセンの残党対策に専念。地方の残党には、統合作戦本部長代理に復帰したドーソン大将が対処することとなった。

 

 俺はツェイ首都警察長官、首都憲兵隊司令官エスコフィエ少将と協力して、惑星ハイネセン全土に捜査網を張り巡らせた。単独もしくは少人数で逃亡する者は、次々と捜査網に引っかかって拘束されていった。武装して大人数で逃亡する者に対しては、空挺部隊や陸兵部隊が出動した。市民が情報提供に積極的だったこともあって、クーデター鎮圧から一週間で一〇万人近い残党を拘束。五月に入る頃には、新たに拘束される者はほとんど見られなくなった。

 

 ドーソン大将はクーデター前にイゼルローン方面軍に与えた四惑星討伐指令を正式に解除。他の部隊にあらためて討伐命令を下した。第一艦隊司令官パエッタ中将はネプティス、宇宙艦隊副司令長官に臨時任命されたロックウェル大将はカッファー、フェザーン方面航路保安司令官シャンドイビン中将はパルメレンド、イゼルローン方面軍司令官ヤン大将はシャンプールの残党討伐をそれぞれ命じられた。ヤン大将以外の三名は親トリューニヒト的な人物。トリューニヒト派に手柄を立てさせるようとするドーソン大将の意図は明白である。

 

 地方の救国統一戦線評議会勢力は決起してから日が浅く、駐留軍を完全に掌握しきれていなかった。そんな段階でハイネセンの主力が壊滅したことが彼らの運命を決した。討伐軍派遣が決定して間もなく、四惑星すべてにおいて駐留軍内部の反救国統一戦線評議会勢力が一斉に蜂起。市民も同調し、救国統一戦線評議会勢力は窮地に立たされた。

 

 反救国統一戦線評議会勢力に包囲されたカッファーのバッティスタ大佐は自決。パルメレンドのヴァドラ准将は抗戦を断念して討伐軍に降伏。ネプティスのハーベイ准将は反救国統一戦線評議会勢力の鎮圧に乗り出したが、不利を覆すことはできずに自決。シャンプールのプラーシル准将は数十万の将兵を連れてガラティア星系に逃れると、辺境の救国統一戦線評議会支持者を糾合しようとしたが、態勢を整えきれないうちにイゼルローン方面軍の攻撃を受けて敗北。他の勢力も討伐軍の前にことごとく降伏した。地方の救国統一戦線評議会勢力は、四月中にほぼ平定されたのである。

 

 残る残党勢力は行方をくらました第一一艦隊残党の三〇〇隻、ハイネセンに潜伏中とみられる情報部の工作員十数名ぐらいだ。前者については、地方部隊が協力して対処にあたる。後者については、首都警察保安部と首都憲兵隊が追跡を続けている。どちらも事を起こすだけの力は持っていないと見られる。

 

 五月中旬から、グリーンヒル大将ら評議会メンバー九名、評議会事務局メンバー一二名、その他の重要な役割を果たした者七六名に対する軍事裁判が始まった。裁判の様子は「軍事機密に抵触するため非公開」とされた。過去のクーデター裁判でも、同じ理由で非公開となった前例はある。それでも、批判は免れられなかった。反戦派は「都合の悪い事実をもみ消すつもりだろう。主戦派のやりそうなことだ」と皮肉った。主戦派は「グリーンヒルやヤオら反戦派将官を微罪で済ませようとする軍部反戦派の陰謀ではないか。去年の帝国領遠征の前例もある」と疑った。

 

 多少の不安は残るものの、残党勢力の平定と軍事裁判開始をもって、救国統一戦線評議会の勢力はほぼ消滅したように思われた。

 

 救国統一戦線評議会残党との戦いが終わると、今度は書類との戦いが待ち受けていた。活躍した者に恩賞を与えるには、功績審査の参考になる文書が必要となる。公式記録を作成するには、日誌や戦闘記録を集約する必要がある。死傷者に補償を行うにも、金や物を出してくれた者に感謝状を送るにも、借りてきた機材が破損した場合に公費から修理費を支出するにも、しかるべき部署に文書を提出しなければならない。しかし、市民軍はたった六日で惑星ハイネセン全土に一五〇〇万に及ぶ人員を擁するまで膨張した組織。人や金の流れを正確に把握するだけでも一苦労だ。

 

 市民軍を構成する首都防衛軍、ハイネセン緊急事態対策本部、義勇軍の中心メンバーは、朝から晩まで書類仕事に忙殺された。首都防衛軍司令官代理とハイネセン緊急事態対策本部長代理と義勇軍最高顧問を兼ねる俺のところには、膨大な書類が決裁を求めて集まってくる。また、国防委員会や統合作戦本部からとんでもない量の文書を提出するように求められた。

 

 書類仕事だけでも大変だというのに、広報の仕事もひっきりなしに舞い込む。首都防衛軍司令部広報室長ズオン・バン・ドン中佐と副官ユリエ・ハラボフ大尉が作ったスケジュール表には、テレビ出演、インタビュー、記念式典、政財界の要人との面談などの予定がびっしりと書き込まれていた。

 

「もう少し仕事を減らしてくれないか。これじゃあ、書類を読む時間も取れやしない」

 

 ため息混じりでズオン中佐に苦情を漏らした。俺には市民軍の書類仕事、救国統一戦線評議会残党摘発の指揮という大切な仕事があるのだ。広報活動が大事なのはわかるが、さすがに限度というものがある。

 

「なにせ国防委員会が閣下の広報活動に乗り気なもので、小官としてもあまり強くは言えないのです」

「広報室長の責任じゃないのはわかってるよ」

 

 精一杯優しい表情を作って、しきりに頭を下げるズオン中佐を慰めた。俺と国防委員会の板挟みに悩む彼の立場は理解できる。そして、俺に広報活動をさせようとする国防委員会の立場も。

 

 去年の帝国領遠征失敗で低下した同盟軍のイメージは、今回のクーデターによって最底辺まで落ち込んだ。軍隊とデモ隊が衝突して三万人近い民間人の死者を出した四月一六日の事件は、軍にとって決定的な汚点となった。クリスチアン大佐が反戦市民連合議長ジェシカ・エドワーズに暴力をふるう動画、軍隊がデモ隊に銃撃を加える動画などがネットに流出し、市民を激怒させた。

 

 反戦派メディアは死亡したエドワーズを民主主義の殉教者、軍を虐殺者と位置づけて、反軍感情を煽り立てるキャンペーンを展開。それに対し、国防委員会は反クーデターで活躍した軍人や義勇兵をメディアに出演させることによって、「市民の軍隊」「民主主義の擁護者」というイメージを定着させる戦術に出る。

 

 英雄のなり手には事欠かなかった。一四日のボーナム総合防災公園攻防戦、一六日夜から一七日早朝にかけて展開されたハイネセンポリスの決戦は、ダース単位の英雄を生み出した。彼らの素晴らしい活躍は、市民を大いに興奮させた。メディアを通して紹介される彼らの素顔は、市民の好奇心を大いにかきたてた。反クーデターの英雄達は市民の心を鷲掴みにして、「軍は反クーデターの主役であり、救国統一戦線評議会とは別物である」と印象付けることに成功した。

 

 首都防衛軍で最も人気のある英雄は、シェリル・コレット少佐とエドモンド・メッサースミス少佐であった。コレット少佐の凛々しい長身、義勇兵の先頭を切って突撃した勇気は、汚名に塗れた父親との対比によって強調され、タフな女性闘士として羨望の的となった。メッサースミス少佐の秀才らしい繊細な風貌、悲壮的な戦いぶりは、恩師グリーンヒル大将との決別によって強調され、悲劇の貴公子として同情を寄せられた。苦しい立場にあった二人の部下の人気ぶりは、とても喜ばしかった。

 

「コレット少佐とメッサースミス少佐の人気ぶりはなかなかのもの。しかし、首都防衛軍、いや市民軍の一番人気はダントツで閣下ですよ。閣下が出演なさると、反響が格段に違うと国防委員会の担当者が言ってました」

 

 俺の人気ぶりを語るズオン中佐は、なぜか嬉しそうだった。

 

「俺なんか見たって、全然面白くないだろう。コレット少佐やメッサースミス少佐と違って、目の保養にもならないのにね」

「ネットの評判はご覧になってないんですか?」

「見てるよ。さっぱりわけがわからない」

 

 ネットの中では、褒め殺しとしか思えないぐらいに俺の評判が高まっていた。「同盟史上最高の名将」「ダゴンのリン・パオとトパロウルに匹敵する英雄」「ヤン・ウェンリーを超えた」などと言われると、恥ずかしくて穴に入りたくなる。「何をやっても絵になる。生まれつきの役者」「笑顔がとても爽やか」「こんな彼氏がほしい」といった評価に至っては、何を見ているのかと疑ってしまう。裏方のハラボフ大尉まで、「いつもフィリップス提督の隣にいる美人」と呼ばれて人気が高まっているほどだ。これだけ中身の無い人気が先行すると、恐ろしくなってくる。

 

 九年前のエル・ファシル脱出作戦と違って、英雄と呼べる人材には事欠かないはずだ。それなのになぜ俺を持ちあげるのだろうか。将官になった今では、広報活動の重要さは十分に理解できる。軍のイメージを良くするためならば、喜んでメディアに出る。だが、広報活動に時間を取られて、司令官としての仕事に支障が出るようでは困る。書類仕事は遅々として進まない。クリスチアン大佐のように、仕事を強引に断ってくれる広報担当が欲しかった。

 

 気分転換にテレビを見ようと思った俺は、リモコンを使って電源を入れた。スクリーンに映ったのは、妹のアルマの笑顔。肉親の顔をテレビで見ると、なんか恥ずかしい気持ちになる。即座にチャンネルを切り替えた。今度はエリオット・カプラン少佐の脳天気な顔が映り、反射的に電源を切った。

 

 反クーデターの英雄の中で最も人気があるのは、コレット少佐、メッサースミス少佐、第一五陸兵師団のファン=バウティスタ・バルトゥアル中尉、第三義勇師団のアルベルタ・グロッソ義勇軍軍曹、第七義勇師団のネルソン・ハーロウ義勇軍少尉、第一市民旅団のフェレンツ・イムレ少佐。そして、アルマとカプラン少佐だった。

 

 アルマが人気なのは理解できる。聡明そうな童顔、モデルのようなスタイル、真面目そのものの言動、純粋な性格、輝かしい軍歴は、誰にでも好感を与えるであろう。だが、カプランはさっぱり理解できない。長身でそこそこ顔も良いが、性格はいい加減だし、気の抜けた言動が多い。どこに人気の出る要素などあるのだろうか。そういえば、メディアでもてはやされる反クーデターの英雄は、みんなルックスの良い者ばかりだ。所詮人間は外見なのかと思ってしまう。

 

 考えれば考えるほど、後ろ向きになってしまう。疲れているのかもしれない。今の俺は救国統一戦線評議会と戦った六日間に勝るとも劣らないほど多忙だった。朝から夜まで書類と格闘しつつ、外に出て広報活動をこなす。睡眠は首都防衛司令部の仮眠室で取る。もう半月以上は官舎に戻っていなかった。

 

 だが、仕事に忙殺されるのもそれはそれで悪くないと思うこともある。負傷して公務から離れた帝国領遠征後の二か月は、後ろ向きなことをたくさん考えた。今回も後ろ向きになる種はたくさんある。

 

 その中の最大のものは四月一六日に軍隊とデモ隊が衝突した事件に関する報道だった。調査が進むにつれて、憂鬱な真相が明らかになってきた。

 

 クリスチアン大佐が強引に指導者のジェシカ・エドワーズを拘束しようとして暴力を振るった。それに怒ったデモ参加者数名がクリスチアン大佐に飛びかかって、乱闘が始まる。デモ隊の勢いに恐れをなした一部の兵士が発砲したのがきっかけで混乱が拡大し、全面衝突に発展した。つまり、あのクリスチアン大佐が三万人近い犠牲者を出した事件の責任者ということだ。

 

 信じたくはなかった。だが、デモ参加者が携帯端末で撮影した動画には、クリスチアン大佐とエドワーズの口論、激怒してエドワーズを殴り倒すクリスチアン大佐、指示を受けて倒れたエドワーズを拘束しようとする兵士、怒り狂った群衆の波に飲み込まれるクリスチアン大佐などが映し出されていた。デモ参加者や兵士の供述も動画の内容が真実であることを示した。動画を見る限り、明らかにクリスチアン大佐が最大の責任者だった。そして、その生存は絶望的であった。

 

 クリスチアン大佐は主戦派と反戦派の双方から激しく攻撃された。反戦派はクリスチアン大佐を虐殺者と批判し、軍を攻撃する材料にした。主戦派は軍の名誉を汚した犯罪者と罵った。国防委員会はクーデター鎮圧から一週間も経たないうちに、クリスチアン大佐の階級剥奪を決定。俺が軍人になるきっかけを作った恩人は、今や同盟市民の敵となったのである。

 

 どんなに好きな相手でも悪事をはたらいたら憎悪して、どんなに嫌いな相手でも善行をすれば好きになるのが当然だと思い込んでる人が世間には多いようだ。メディアの中には、俺の口からクリスチアン大佐の悪口を言わせようとする者も少なくなかった。恩を受けた者からも批判を浴びるような悪党と印象付けたいというわけだ。しかし、そんな要求など受け入れられるはずもない。俺は小物だが、さすがに最低限の恥は知っている。「罪は罪として裁かれるべきだが、人間としては嫌いになれない」までが俺の限界であった。

 

 クリスチアン大佐が貶められる一方で、四月一六日の事件の被害者は「民主主義の殉教者」と美化された。死傷したデモ参加者には、政府から見舞金が支給された。死亡した反戦市民連合代議員二六名には、議会名誉勲章が授与された。トリューニヒトは議会で自らジェシカ・エドワーズの追悼演説を行い、「民主主義に殉じた真の英雄」と称賛した。そして、演説を終えると、その場でエドワーズの葬儀を国葬、その他の代議員の葬儀を議会葬とする緊急動議を提出。賛成多数で可決された。一部の反戦派は「あざとい演出」と批判したが、概ね好意的に受け入れられた。

 

 海賊討伐作戦で共に戦った第一一艦隊首脳部の自決もかなりこたえた。司令官ルグランジュ中将は、死の瞬間まで一点の曇りもなく爽やかだった。謹厳実直な副司令官ストークス少将、苦労性の参謀長エーリン少将、みっともないぐらいに将官昇進に執着した副参謀長クィルター准将らもみんな和やかに談笑して最期の時を過ごした。それが一層悲しみをかきたてる。

 

 ハイネセンポリスの決戦で市民軍に犠牲者が出たことも気分を暗くさせた。軍人一五名、義勇兵二七名、市民八名。対帝国戦争であれば、少ない犠牲で済んだと自分を慰めることもできよう。しかし、同盟市民同士の戦いでは、一人の死者だって多すぎる。反戦派の中には、「市民を軍隊の弾除けに使った」「わざと反戦市民連合救援を遅らせて、市民軍を温存した」と俺を批判する者もいる。結果からはそう見られても仕方ない面もあるが、それでも不本意と言わざるを得ない。目的のためなら手段を選ばない人間と思われるほど、腹が立つことは無いのだ。

 

 絶え間なく押し寄せてくる書類やメディア出演依頼に押し流されて、後ろ向きな考えに身を委ねる暇など持てないうちに、月日は過ぎていった。

 

 

 

 論功行賞は六月の半ば頃から始まった。クーデター終了から二か月近くもかかったのは、功績審査に必要な書類を揃えるのに時間がかかったこと、そして政治的な綱引きが原因である。

 

 ハイネセンポリスの決戦で救国統一戦線評議会と戦って死亡した軍人には二階級昇進と自由戦士勲章、義勇兵には義勇軍階級より一階級高い正規軍階級及び自由戦士勲章、一般市民は議会名誉勲章が与えられた。遺族には一時金が支給され、死亡者の階級及び勲章に準ずる遺族年金受給が認められた。

 

 市民軍に参加した者は軍人文民を問わず、全員従軍章を授与された。そして、功績の大きさによって、表彰状、一時金、勲章などが与えられた。それに加えて軍人には昇進、義勇兵には義勇軍階級昇進や正規軍人授与を受ける者もいた。

 

 俺自身は中将に昇進し、自由戦士勲章、ハイネセン記念特別勲功大章、共和国栄誉章、五稜星勲章など、九つの勲章を受章された。自由戦士勲章の受章はこれで二度目になる。原則として死者に授与される自由戦士勲章を生きて二度受章した者は、現役軍人ではヤン・ウェンリー大将、ライオネル・モートン中将ら四名に過ぎない。受章式では生ける伝説に名を連ねる畏れ多さに手が震えてしまい、受け取った勲章を落としてしまった。なんと小心なことだろうか。我ながら本当に情けない。

 

 コレット少佐、メッサースミス少佐の両名は、五月一一日の九時に揃って中佐に昇進し、六時間後の一五時に大佐に昇進。事実上の二階級昇進を果たした。広報の仕事でもこの二人は一緒に出ることが多い。軍の広報誌『月刊自由と団結』では「フィリップス提督門下の新鋭」と紹介されていた。部下が評価されるのは嬉しいが、コレット大佐は二四歳、メッサースミス大佐は二五歳。俺を引き上げたのと同じ力がこの二人にはたらいているのを感じて、少々不安になってしまう。

 

 参謀長チュン・ウー・チェン准将は少将、情報部長ハンス・ベッカー大佐は准将、作戦部長クリス・ニールセン中佐は大佐に昇進した。救国統一戦線評議会との戦いで中心的役割を果たした彼らの昇進は、順当といえる。亡命者でありながら三二歳の若さで将官となったベッカー准将は、メディアでも話題を呼んだ。

 

 首都防衛軍司令部に残って捕虜となった副参謀長セルゲイ・ニコルスキー大佐は准将、人事部長リリヤナ・ファドリン中佐と後方部長オディロン・パレ中佐は大佐、その他の参謀も一階級昇進した。彼らは救国統一戦線評議会との戦いには参戦できなかったが、チュン少将、ベッカー准将、ニールセン大佐らとともに対クーデター作戦「クレープ計画」の立案に携わったことを評価されての昇進であった。

 

 副官のユリエ・ハラボフ大尉は、少佐に昇進した七時間後に中佐に昇進。副官としての活躍が大きいが、それ以上に人気が事実上の二階級昇進の原動力となったのは明らかであった。「副官の仕事に差し支える」という理由でメディアへの単独出演を拒否する彼女の態度もかえって人気を高めた。目立つのを避けているせいでかえって人気が高まっていくという訳のわからない状況には、彼女も困惑しているのではないだろうか。氷のように冷たい表情からは、そんな様子はまったく伺えないが。

 

 妹のアルマは大尉に昇進した六時間後に少佐に昇進した。第八強襲空挺連隊の精鋭七七名を率いて市民軍司令部の警護にあたった功績はもちろん、将来のスターとしての期待も含まれているのであろう。二四歳での少佐昇進は、俺より二年も早い。士官学校を出ていない軍人としては、想像を絶するスピード出世だ。能力、容姿、人格を兼ね備えた模範的軍人としてメディアでもてはやされる妹を見ると、前の人生の愚鈍で意地悪な妹は一体何だったんだと思ってしまう。

 

 なんと、あのエリオット・カプラン少佐も大佐に昇進した。第六二戦隊の司令部を占拠した功績は確かに大きい。市民を驚かせるようなインパクトもある。だが、あんなダメ軍人をいきなり大佐に抜擢して良いものだろうか。大佐といえば、実戦部隊では戦艦や巡航艦数十隻もしくは駆逐艦百数十隻を率いる群司令、司令部では正規艦隊司令部部長を務める立場。カプランはトリューニヒトの腹心の甥。一人でも信頼できる軍人が欲しいトリューニヒトには、うってつけの人材であろう。しかし、少しは人を選んでほしいと思う。

 

 政府は市民軍に昇進を大盤振る舞いした。二階級昇進した者は一五名、一階級昇進した者は数えきれない。極めて政治的な理由での大盤振る舞いだけに、功績が大きかったにも関わらず、政治的な理由で昇進できなかった者もいた。

 

 第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将は、真っ先に俺を支持してくれた。首都圏市民軍の二割に及ぶ戦力を持ち、市民軍の重鎮として救国統一戦線評議会打倒に大きく貢献した。功績の大きさでは、実戦部隊随一であろう。誰もが彼の中将昇進を疑わなかった。だが、反戦派メディアが七年前に不起訴になったはずの民間人殺害疑惑を蒸し返した。准将以上の階級に昇進するには、議会の承認が必要となる。多くの議員が民間人殺害疑惑のある者の昇進を認めることに二の足を踏み、アラルコン少将の昇進は見送られた。

 

 第一首都防衛軍団司令官トマシュ・ファルスキー少将も昇進を見送られた。彼の率いる第一首都防衛軍団は、市民軍の最精鋭部隊だった。ボーナム総合防災公園の防衛、ハイネセンポリス進軍作戦、ハイネセンポリスの決戦のすべてにおいて、全軍の中核として活躍。ファルスキー少将自身も市民軍随一の陸戦戦術家として、陸戦に疎い俺を良く補佐してくれた。功績の大きさでは、アラルコン少将と一、二を争う存在だった。しかし、記者会見での軍国主義的な発言が問題視されて、議会が昇進を認めなかった。

 

 その他にも政治的な理由で昇進を見送られた者は多い。その大半は国家救済戦線派の幹部。将官人事の承認権を持つ議会で単独過半数を占めるのは、トリューニヒト率いる国民平和会議。誰の差し金であるかは、言うまでもない。

 

 軍部の四派閥のうち、救国統一戦線評議会のクーデターで最も打撃を受けたのは、旧シトレ派であった。重鎮のグリーンヒル大将、ヤオ中将らを始めとする多くの派閥メンバーがクーデターに参加。参加しなかった統合作戦本部長クブルスリー大将、宇宙艦隊司令長官ビュコック大将らも鎮圧には何ら寄与しなかった。イゼルローン方面軍司令官ヤン大将は、救国統一戦線評議会参加拒否以外の意思表示をせずに配下部隊を動員して、シャンプール方面に向かう準備をしたことが「ドサクサに紛れて辺境で第三勢力になろうとしたのではないか」との疑惑を招いた。

 

 その次に打撃を受けたのは、トリューニヒト派である。ブロンズ中将、パリー少将、ベイ大佐の三名が救国統一戦線評議会の評議員となった。シトレ派の四名に次ぐ人数だ。ある軍事評論家が「救国統一戦線評議会は、旧シトレ派とトリューニヒト派の連立政権」と言ったのも間違いとは言えいだろう。表沙汰にはなっていないが、ドーソン大将がまんまとブロンズ中将の謀略に引っかかったのも大きな失点である。俺が鎮圧に成功したことによって、トリューニヒト派はギリギリで面目を保った。

 

 旧ロボス派はさほど打撃を受けなかった。評議員になったのは准将一名のみ。大将や中将が何人もいる旧ロボス派の中では、幹部の末端といったところである。積極的にクーデターに加担した者は少なかった。重鎮のルフェーブル大将が司令官を務める辺境総軍の一部がクーデターに参加したのが唯一の失点と言えよう。クーデターよりも、派閥全体で抱えている帝国領遠征の敗戦責任という爆弾の方が大きな不安要素であった。

 

 最も打撃が少なかったのは、国家救済戦線派だった。一人も評議員にならなかった。軍事裁判にかけられた者も全派閥の中で最も少ない四人。代表世話人のアラルコン少将とファルスキー少将を始めとして、市民軍に参加した者は全派閥の中で最も多く、クーデター鎮圧の主力部隊であった。巨大な功績を盾に発言力を高めるものと予想された。

 

 トリューニヒト派のダメージを最小限に抑えつつ、国家救済戦線派の台頭を抑えこむ。それがトリューニヒトにとっての最良のシナリオだ。

 

 短期間で地方平定に成功したドーソン大将は、多少ではあるが失地を回復した。四方面の討伐軍のうち三方面をトリューニヒト派の提督が担当したことによって、派閥としてもクーデター鎮圧に貢献したというイメージを作るのに成功した。市民軍で活躍した二〇代から三〇代の軍人を抜擢することで、手駒を増やした。鮮やかな手際といえる。

 

 それに対し、国家救済戦線派封じ込め策は強引過ぎて気分が悪かった。クーデターを恐れるトリューニヒトの気持ちもわからなくもない。だが、国家救済戦線派はトリューニヒトの政権復帰に大きく貢献したのだ。ちゃんと功績に報いなければ、それこそクーデターを招くのではないかと心配になる。

 

 

 

 入院中の首都防衛軍司令官ロモロ・ドナート中将は、来週にも退院して職務に復帰する見通しだった。そうなれば、俺は首都防衛軍司令官代理の職を離れて、新しい任務が与えられる。

 

 現在、国防委員長ネグロポンティと統合作戦本部長代理ドーソン大将は、大規模な海賊討伐作戦を準備中と言われる。国内治安回復とトリューニヒト派の点数稼ぎの一石二鳥を兼ねているのであろう。

 

 幸いにも四月に始まった帝国内戦は、しばらく続きそうだった。ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の改革派軍が保守派貴族軍を帝国内地のアルテナ星域で打ち破り、レンテンベルグ要塞を攻略。改革派軍のキルヒアイス上級大将は、イゼルローン側辺境からフェザーン側辺境に侵入して、保守派貴族の資金源となっているフェザーン交易の遮断を試みる。物量に優る保守派貴族軍は反攻作戦を準備中であった。

 

 帝国内地の三分の一とイゼルローン側辺境を支配する改革派軍に対し、保守派貴族軍は帝国内地の三分の二とフェザーン側辺境を支配下に置く。改革派軍は正規軍の比率が高い精鋭だが、経済力に劣る。フェザーン交易を押さえる保守派貴族軍は、フェザーン方面から資金と傭兵をいくらでも集められる強みがあるが、正規軍の比率が低く質に劣る。一方的な展開は考えにくい。帝国の内戦が続いている間に、得意の治安分野で成果を出して支持率を高めようとトリューニヒトは考えているようだ。

 

 一方、帝国内戦への介入を主張する者もいる。第一〇方面管区司令官ポルフィリオ・ルイス中将が統合作戦本部に提出した作戦案は、世間を驚かせた。内戦勝利後の民主化改革、対等講和などを交換条件に保守派貴族軍と軍事同盟を締結。イゼルローン駐留艦隊、第一艦隊、宇宙艦隊直轄の独立部隊からなる四万隻の遠征軍をイゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将に指揮させて、イゼルローン回廊から改革派軍の支配地域に侵攻し、保守派貴族軍と共同で改革派軍を倒そうというのである。

 

 この現状でルイス中将の案が通る可能性は低い。帝国領遠征の悪夢はまだ記憶に新しい。国内はクーデター後の混乱から立ち直っていないし、警戒されているヤン大将に四万隻もの大部隊を任せようというのも非現実的だ。ただ、ロボス元帥とアルバネーゼ退役大将が不正な政治工作で遠征案を通した例もある。ルイス中将は手段を選ばないことで悪名高い人物。失地回復を目指す旧シトレ派に話を持ち込まれたら少々厄介だ。動向に注意を払うべきであろう。

 

 明日、六月二三日はトリューニヒトと久しぶりに面会する。最近は強引過ぎるやり方に不満を感じることもある。クリスチアン大佐に託された動画を見終えた後では、今年に入ってからの躍進にも何か裏があるように感じる。それでも、トリューニヒトと会えるのは嬉しかった。


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