銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二十五話:家族の真実 宇宙暦797年6月下旬~7月10日 ハイネセン~パラディオン~エクサルヒア警察官舎

 六月下旬に首都防衛軍の指揮権を本来の司令官ロモロ・ドナート中将に返還した俺は、同日付で首都防衛軍副司令官と第三巡視艦隊司令官の職を解かれた。そして、一か月の長期休暇を与えられた。

 

 当初はハイネセンのジェリコ・ブレツェリ准将宅で過ごそうと思っていた。今年に入ってからの俺は、休日をブレツェリ准将夫妻とともに過ごすことが多かったのだ。彼らが作ってくれるフェザーン風料理が何よりも楽しみだった。

 

「せっかくの休暇なのに、ハイネセンで過ごすこともないんじゃないか?」

 

 しばらく家に泊めてくれるように頼むと、ブレツェリ准将は意外にも渋い顔をした。

 

「他に行きたい場所もないんですよね。フェザーン観光なんか行ったら、一か月どころじゃ済まないですし」

「せっかくの長期休暇なんだ。家族に顔を見せてきたらどうだね?もう九年も帰っていないのだろう?」

「いやあ、なんか気まずくて……」

 

 九年前に帰郷した時、前の人生で家族や元同級生に抱いた恐怖が蘇ってきた俺は、逃げるように故郷を離れた。それからというもの、故郷の人間とは一切連絡を取っていなかった。去年の妹との復縁をきっかけに、家族とは連絡を取るようになったが、どこかよそよそしさが残っていた。

 

「そうやってぐずぐずしているうちに九年が一〇年、一〇年が二〇年、二〇年が三〇年と積み重なっていく。人間関係というのは、一度すれ違ってしまえば、なかなか元に戻せないものだ。私にもそうやって疎遠になった友人は多い。気がついた時には、相手はとっくに墓の中なんてことになったら、取り返しがつかないぞ?」

「いやあ、別に……」

 

 パラディオンの街は懐かしいが、もう一度会いたい人は特にいないというのが本音だ。長いこと会ってない両親や姉なんかより、戦友や部下の方がずっと親しみを感じる。

 

「君のことだ。家族より軍の仲間にずっと親しみを覚えているのではないか?」

「あ、いや、そんなことはないですよ」

 

 ブレツェリ准将にあっさり本音を見抜かれた俺は、みっともないぐらいにうろたえてしまった。

 

「軍の仲間と親しく付き合うのは大いに結構。だが、それだけなのは良くないぞ。良くも悪くも軍というのは、特殊な社会だ。ずっと中にいると、その特殊さが普通だと思ってしまう」

「確かにおっしゃる通りです」

「生涯を軍で過ごすわけにもいくまい。将官のポストは佐官と比べると遥かに少ない。現在のポストの任期が終わった時に進むべきポストが空いてなければ、その時点で予備役編入だ。定年まで務められる将官は、ビュコック提督やルフェーブル提督のように極端に昇進の遅い将官ぐらいだよ。昇進の早い君はそれだけ退役も早くなる。順調に出世したとしても、統合作戦本部長を何年かやれば、そこであがりだからな。遅くとも四〇代半ばまでには、軍を退くことになるはずだ」

 

 軍を退く日がいつかやってくるなんてことは、考えもしなかった。だが、ブレツェリ准将の言う通り、昇進の早い者はそれだけ退役が早くなるのは事実である。士官学校出身者の大半は、五〇前に大佐の階級で退役する。将官になれないままで七、八年が過ぎると、後進の大佐にポストを譲り渡すよう迫られるのだ。未熟な二〇代のうちに将官に抜擢されて、業績をあげられずに三〇代で予備役編入されるケースも珍しくはない。早すぎる昇進はかえって軍人としての寿命を縮めるのだ。

 

「そういえば、ダゴンの英雄リン・パオ元帥とユースフ・トパロウル元帥は、ほんの短い間だけ統合作戦本部長を務めて、四〇代半ばで軍を退きましたね。民間では仕事らしい仕事をできずに、九〇過ぎまで生きたとか」

「やれ二〇代で准将だ、三〇代で少将と言っても、戦争しかできない者が早く昇進したところで、長すぎる余生を持て余すだけさ。軍から離れた後の人生を充実させるには、軍と関係ない人間関係を作ることだ。そういう意味で家族や同郷人はとても大事だぞ」

「なるほど、わかりました」

 

 数多くの軍人の人生を見詰めてきたベテランならではの訓戒に、俺は深く頷いた。

 

「アルマ君も里帰りするそうだ。ちょうどいいではないか。一緒に行ったらどうだ?」

「アルマと一緒にですか……」

「気が進まないようだな」

「別に気が進まないってことはないですよ」

 

 思いっきり嘘をついた。

 

「ならば一緒に帰るといい。彼女は喜んで受け入れるはずだ」

「しかし……」

 

 帰るとしても、アルマと一緒は嫌だ。彼女の身長は俺より六センチも高い。並んでいると、俺の背の低さが目立ってしまう。だから、広報の仕事でもアルマとの共演だけは頑なに拒否した。

 

「やはり身長を気にしているのか?」

「そ、そ、そんなことはありません!ないんです!」

「そんなことだと思っていた」

 

 懸命に否定する俺に、ブレツェリ准将は呆れた顔をする。

 

「ダーシャがいつも言っていたよ。エリヤは身長を気にし過ぎだとね。あの子にとっては、そこもまた君のかわいいところのようだったが」

 

 あの馬鹿、そんなことまで父親に言ってやがったのか。俺もダーシャは体重を気にし過ぎだと思ってたけど、誰にも言わなかったぞ。

 

「ほんと、あいつはいらないことばかり言いますね。困ったものです」

「こういうくだらんことも気軽に言い合えるのが家族というものさ」

 

 冗談めかして笑うブレツェリ准将。彼が七か月前に三人の子供を亡くしたことを思い出し、俺は言葉を失った。

 

「マテイともフランチともダーシャとも、永久に馬鹿話ができなくなった。だが、君は違う。君の家族はまだ全員生きている」

 

 ブレツェリ准将は表情を引き締めた。そして、ゆっくりと噛みしめるように語る。ダーシャは二度と父親にいらないことを言えない。ブレツェリ准将は二度と子供と馬鹿話ができない。それは途方もなく重い事実だった。

 

「一度故郷に帰って、家族に会ってきなさい。私からのお願いだ」

「わかりました」

 

 ノーと言えるわけがなかった。こうして、俺は九年ぶりに故郷パラディオンに帰ることになったのである。

 

 

 

 アルマとともにハイネセンポリスを出発した俺は、一〇日間の船旅を終えてタッシリ星系第四惑星パラスの衛星軌道に到達した。

 

 本来ならば一週間の行程であったが、軍が派遣した護衛部隊の都合で三日も遅れた。現在の同盟の国内航路は宇宙海賊の脅威に晒されている。ハイネセン-タッシリ航路を通行する民間船には、船団を組むこと、護衛部隊とともに行動することが義務付けられていた。こんなところにも国内治安悪化の余波が現れているのだ。

 

「着陸施設のトラブルのため、本船は今しばらく衛星軌道上にて待機いたします。パラディオン宇宙港への到着予定は、あと一時間ほど遅れます。お客様にはご迷惑をお掛けいたします」

 

 船内に流れたアナウンスは、長旅に疲れた俺をさらにうんざりさせた。船旅をしていて、到着寸前の足止めほどいらいらすることはない。糖分を補給して心を落ち着かせようとマフィンの箱に手を伸ばしたら、空っぽだった。アルマの方を見ると、案の定笑顔でマフィンを口に運んでいる。

 

「なあ、アルマ」

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 パッチリした目を喜びに輝かせながら、もぐもぐとマフィンを食べる妹。そんな目で見られると弱い。

 

「何でもないよ」

 

 つくづく俺は小心者だ。俺の船室にやってきて、当然の権利のように俺の菓子を食い散らかしていく妹に手も足も出なかった。

 

 気を紛らわすために、端末を開いて週刊国防新聞の電子版を読む。首都防衛軍司令官ドナート中将が三月三一日の惑星間ミサイル爆発事故の責任を取って辞任するというニュースが第一面に掲載されている。

 

 事故が発生した時点では、入院中のドナート中将の代わりに俺が司令官代理を務めていた。ドナート中将は直接の責任者とは言えない。しかし、事故に至るまでの管理体制の不備、隠蔽工作を行った首都防衛軍参謀二一名の人事などに関する責任を問われて辞任に追い込まれたのである。第七歩兵軍団司令官エリアス・フェーブロム少将が後任に予定されているらしい。

 

 ドナート中将は旧シトレ派、フェーブロム少将はトリューニヒト派。隠蔽工作に関わった首都防衛軍の旧シトレ派参謀は、軍法会議に告発された。アラルコン少将、ファルスキー少将、ミゼラ准将ら国家救済戦線派将官は予備役に編入されて、首都防衛軍を去った。これでトリューニヒト派以外の勢力は首都防衛軍から一掃された。首都防衛軍参謀を司令部から追放した俺が言うことではないが、憂国騎士団を戦犯断罪に使ってから、トリューニヒトのやり口がどんどん荒っぽくなっているようで心配になる。

 

 有力ネットコミュニティサイトを幾つか検索して、一連の首都防衛軍粛清に関する世論の反応を調べてみた。旧シトレ派に近い進歩党の支持者、国家救済戦線派に近い統一正義党の支持者を除けば、概ね好意的なようだ。帝国領遠征やクーデターを引き起こした軍部に失望した市民は、トリューニヒトの豪腕に拍手喝采を送ったのである。

 

 ひと通り検索を終えた俺は、再び週刊国防新聞電子版を開いた。第二面の四分の一ぐらいを使って、イゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将の留任決定を伝えるニュースが掲載されていた。紙面の幅からもわかるように、ヤン大将の留任決定は大方の予想を裏切らない結果だった。

 

 クーデターが起きた時、ヤン大将はクーデター参加拒否以外の意思表示をせずに、配下部隊を動員して不信を買った。「ドーソン大将から受けた反乱鎮圧命令を実行しようとしただけ」とヤン大将は言い張り、他に優先事項があったことから、この問題はさほど重視されなかった。宇宙艦隊副司令長官への栄転を名目に、ヤン大将からイゼルローン方面軍の指揮権を取り上げようとする動きも一部にはあった。だが、トリューニヒトの主要支持層である女性と若者に絶大な人気を誇るヤン大将の排除は、危険な賭けである。結局、なし崩し的に留任が決まった。

 

「休暇中なのにこんなの見てるの?お兄ちゃんはほんと仕事人間だね」

 

 マフィンを食べ終えて手持ち無沙汰になったのか、アルマが端末を覗きこむ。

 

「暇さえあれば、船内のトレーニングルームで筋トレかランニングに励む。休憩時間には教本を読む。そんな奴には言われたくないな」

「トレーニングは趣味だから」

 

 彼女にとってのトレーニングは、趣味ではなくて呼吸ではないか。そんなことを思ったが、あえて口には出さない。

 

「俺にとっては、人事が趣味なんだよ。ほら、人付き合いって面白いだろ」

「趣味じゃなくて呼吸じゃないの?」

 

 俺があえて使わなかった表現を使いやがった。だが、幼い顔に無邪気な笑みを浮かべられると、何も言えなくなってしまう。ダーシャが「アルマちゃんの愛嬌は才能」と言っていたのを思い出した。

 

「趣味だよ」

 

 この妹に口では敵わないと思いつつ、俺は会話を打ち切った。ちょうどいいタイミングで着陸施設復旧を伝えるアナウンスが流れる。アルマを船室から追い出すと、急いで荷物をまとめた。

 

 俺とアルマは故郷パラディオンの宇宙港に降り立った。ターミナルビルには、大勢の市民が出迎えに詰めかけていた。大きな歓声と拍手で出迎えてくれる市民に対し、俺は笑顔で手を振って応える。アルマも笑顔で応えるが、やや引きつっている。

 

 それから、ターミナルビルの四階の多目的ホールで記者会見に臨んだ。地元マスコミの記者からさまざまな質問が飛んでくる。

 

「フィリップス提督の帰郷は実に九年ぶりだそうですね」

「軍務に精励していたら、いつの間にか九年も経っていました」

「久しぶりのパラディオンの印象はいかがですか?」

「昔と全然変わってなくて安心しました」

「パラディオンでは、いかがお過ごしの予定でしょうか?」

「まずは実家に帰って、自分の部屋でゆっくり寝たいと思っています」

「フィリップス提督は甘党でいらっしゃいますね。パラディオン名物のピーチパイは今が旬の季節ですよ」

「もちろん楽しみにしています」

「結婚のご予定は」

「まだ考えていません」

「史上最年少の二九歳一か月で中将に昇進なさったフィリップス提督には、キャメロン・ルーク元帥、ウォリス・ウォーリック元帥に続く三人目の惑星パラス出身元帥の期待がかかっています」

「郷里の英雄に比べられるなんて、恐縮の至りです。皆さんの期待を裏切らないよう頑張ります」

 

 ハイネセンの記者に比べると、はるかに素朴な質問ばかり。それほど受け答えに気を使う必要は無かった。だが、隣にいるアルマは緊張でカチカチに硬くなっている。まだまだマスコミ慣れしていないようだった。

 

 記者会見を終えると、宇宙港からパラディオン市内に向かう。市内では大勢の市民が街頭に集まって、同盟国旗やタッシリ星系共和国旗を振りながら、俺とアルマを歓迎してくれた。パラディオン市政庁、在郷軍人会パラディオン支部、母校のオールストン・ハイスクールを表敬訪問した。

 

 

 

 パラディオン市政庁が用意してくれた公用車で実家に向かっている間、アルマは疲れきった顔になっていた。

 

「ねえ、九年前もこんな感じだったの?」

「まあ、こんな感じだったね」

 

 俺の返事を聞いたアルマは、肺を空にするような大きい溜め息をついた。アルマの弱ったところなんて、救国統一戦線評議会との戦いの真っ最中でも見なかった。よほどこのフィーバーに参ってるようだ。

 

「やっぱ、私は英雄って柄じゃないなあ。お兄ちゃんみたいに平然と受け止められないよ」

「受け止めるって、何を?」

「みんなの期待」

「俺だって受け止められないよ」

「そんなことないでしょ。期待を受けるために生まれてきたみたいに見える。九年前からそうだった」

「そんな立派なものじゃないって」

「徴兵される前のお兄ちゃんは、こんな感じじゃなかったのになあ。遠くに行っちゃった気がして寂しかった。やっと手が届いたような気がしたけど、やっぱりまだ遠いね」

「慣れだよ慣れ。俺だって九年前はアルマのように戸惑ってたんだから」

 

 優しそうに見える笑顔を作ってアルマにアドバイスをした。なんか、今の人生で初めて兄らしいことをしたような気がする。

 

 車窓から実家が見えると、アルマの表情に生気が戻ってきた。パラディオン市の中心部からやや外れた住宅地区の中の古びた集合住宅。パラディオン市警察のエクサルヒア官舎に俺の実家はあった。

 

 俺とアルマは公用車を降りて、エクサルヒア官舎の敷地内に入る。戸数三〇〇の大規模官舎だけあって、敷地面積は相当なものだ。中には公園もあれば、運動場もある。ジュニアスクールの五年度から徴兵されるまでの八年間を俺はこの官舎で過ごした。だが、懐かしいという気持ちはほとんど感じない。九年前は今の人生を始めて間も無くて、周囲に気を配る余裕がなかった。ゆっくりこの敷地内を見て回るのは、前の人生から数えると六〇年ぐらいぶりであろうか。懐かしさを覚えるほどの記憶も残っていない。

 

「どうしたの?あまり懐かしくない?」

 

 アルマが不思議そうに俺を見る。

 

「いや、そんなことはないよ。思ったよりずっと寂れた感じがして、ちょっとびっくりしてた」

 

 俺は慌てて周囲に視線を向けて、パッと思いついた印象を述べて取り繕った。

 

「そっかあ。無理は無いよね。九年前はほぼ満杯だったこの官舎も、今じゃ二〇〇世帯住んでるか住んでないかぐらいまで減ったから」

「一〇〇世帯も減ったのか。やっぱ古いのが嫌なのかな?」

「違うよ。人員整理。財政難でパラディオン市警察の定員が三割近く削減されたの」

「三割も!?」

 

 思わず目を丸くしてしまった。警察官の定員削減自体は、財政難にあえぐ地方ではさほど珍しくもない。三割どころか六割削減した自治体、警察を解散して民間の警備会社に警察業務を委託した自治体すら存在する。だが、家族が関わってくると、現実味が格段に違ってくる。

 

「お父さんもだいぶ前から整理対象候補にあげられててね。毎年、年度末が近づくたびに退職勧告に怯えてるよ」

「そっか……」

 

 警察官に限らず、公務員の人員整理が行われる際に真っ先に目を付けられるのは、勤続年数の長いベテランである。今年で勤続三〇年目になる父のロニーは、交通警察部門の警部補という最も整理対象になりやすい立場。それほど優秀なわけでもない。父が感じる不安のほどは、想像に難くなかった。

 

「でもね、お兄ちゃんがクーデターとの戦いで活躍したおかげで、『今年も首が繋がった』って喜んでたんだよ」

「そんなの関係あるの?」

「あるよ。英雄の親を辞めさせちゃったら、世間体が悪いでしょ?」

「まあ、確かにそうか」

 

 あまり認めたくないことではあるが、法の下の平等が建前の同盟でも家族の七光というものは厳然と存在する。俺の七光が父の首を繋いでくれるのならば、少しは親孝行ができたということになる。

 

「辞めさせる人を選ぶって難しいんだよ。能力や人柄に大差なかったら、そういう微妙なところも分かれ目になるの」

「家族の評判も関係してくるのか。なんか嫌な話だね」

「九年前のエル・ファシルで逃げた人の家族なんて、今年は危ないんじゃないかな」

「何だって!?」

 

 反射的に大声をあげて、アルマを睨みつけた。エル・ファシルの逃亡者が絡んでる話を黙って聞き流すなど、俺には不可能だ。

 

「あ、ほら。二年前のグランド・カナル事件、覚えてる?護衛部隊が一隻を残して民間船を見捨てた事件」

「覚えてるけど、それがどうした?」

 

 俺の豹変にうろたえるアルマ。だが、配慮する心の余裕など、俺にはなかった。

 

「結構大騒ぎになったでしょ?民間船を見捨てて逃げた艦の乗員もバッシングされたよね」

「だから、それがどうしたんだ?」

「お父さんの同期の友達にオラジュワンさんって人がいてね。その人の弟が逃げた巡航艦で副長をしてたの。グランド・カナル事件関係者の個人情報がネットに流れてから、オラジュワンさんは職場で嫌がらせされるようになってね。年度末に退職勧告受けたの」

「そんなの偶然だろ」

 

 口では否定したが、内心では分かっていた。オラジュワンという人は、弟の悪評の巻き添えになって退職に追い込まれたのだ。自由惑星同盟とはそういう国である。

 

「だから、今年はエル・ファシルの……」

「それでいいと思ってんのか!?」

 

 アルマの言葉を遮って、問い詰める。前の人生の彼女は逃亡者になった俺に対し、執拗な攻撃を加えてきたのだ。エル・ファシルの逃亡者を嫌ってる可能性は十分にある。

 

「いいとは思ってないよ……」

「本気でそう思ってんのか?コレット大佐とか、内心で見下したりしてなかったか!?」

「そんなわけないでしょ!」

 

 怒鳴り返したアルマの目には、涙が溜まっていた。

 

「私が家族の罪まで責めるような人間に見える?コレットさんを見下してたように見える?お兄ちゃんには、私はそんなふうに見えてたの?」

 

 涙ながらに問いかけてくるアルマの姿に怒りが引いていき、代わりに罪悪感が広がっていく。あのダーシャが親友と呼び、クーデターでは最初から最後まで俺の側で戦ったアルマ。妹であるかどうか以前に、一人の人間として信頼するに足る実績を示した。そんなアルマを信用しきれなかった自分の狭量さが恥ずかしくなった。怒りをぶつけずに、落ち着いて話すように努めなければならない。

 

「九年前のエル・ファシルでの俺は、本当に紙一重でさ。あと五分決断が遅れてたら、リンチ提督に言われたとおりに逃げて、今頃は逃亡者として叩かれてたと思う。そして、アルマにも迷惑かけてた。そう思うと、エル・ファシルの逃亡者のことは、他人事とは思えなかった。だから、いらついてしまった」

「そんなことは……」

「あるんだよ」

 

 アルマの目をまっすぐに見詰め、強い口調で言い切った。前の人生の経験を口にできないのがもどかしい。しかし、気持ちだけは伝えなければならない。そうしなければ、本当の意味で九年前、いや前の人生も含めると六九年前のエル・ファシルから始まった悪夢は完全に終わらないのだ。

 

「思い返してみると、人生って偶然の連続でね。数秒判断が遅ければ危なかったとか、咄嗟の一言のおかげでうまくいったとか。そんなことばかりだよ。アムリッツァでは、俺の部隊は弾薬切れ寸前だった。ボーナム総合防災公園の戦いだって、まったく成算がなかった。どうして生き残れたのか、今になってもわからない。外から見れば、すべて計算済みのように見えるかもしれないけど、実際はそうでもなくてさ。非常時に落ち着いて計算する余裕なんかないよ。その場その場を切り抜けようと必死であがいてたら、生き残ってしまった」

 

 潜り抜けてきた戦場が脳裏に浮かんでは消える。俺の九年間の軍歴において、確信を持って決断できた戦いは何一つなかった。

 

「内心はいつも不安だらけ。終わった後も後悔ばかり。何年経っても、『あの時の判断は正しかったのか』と疑わずにいられないような判断もある。英雄と言われていても、内実はその程度だよ。九年前のエル・ファシルの五分。その差が俺の運命を変えた」

 

 ひと気のない夕暮れ時の官舎敷地内。俺の独白だけが静かに響く。

 

「この年で提督になれたのは、みんながチャンスをくれたおかげだよ。エル・ファシルで五分決断が遅れたら、俺はこんなにチャンスを貰えなかった。人生って不公平だよね。立っている場所の違いで運命がまったく変わるんだから」

 

 前の人生では、逃亡者のレッテルが俺からチャンスを奪った。チャンスが巡ってくるか否か。それだけで人生はまったく変わる。本人は気づいていないだろうが、目の前にいるアルマだってそうだ。前の人生では愚鈍で意地悪なデブだったのに、今の人生で陸戦専科学校に入学したことがきっかけで運命が開けて英雄となった。

 

「アルマも知ってる通り、元々俺は冴えない奴だったよね。勉強も運動もできなかった。友達もいなかった。それがエル・ファシルでたまたま英雄になったおかげでチャンスをもらって、人生が変わった。世の中にはどんな生き方をしても必ず英雄になれる人もいるかも知れないけれど、俺はそうじゃなかった。俺は偶然で英雄になった。だったら、偶然で逃亡者になっていたかもしれない。他の人もそう。エル・ファシルの逃亡者だって、リンチ提督の下にいたという偶然、そして決断が遅れたという偶然のおかげで逃亡者になった」

「偶然っていうのはわかるよ。私もお兄ちゃんが英雄になったおかげで、学科が駄目だったのに専科学校に入れた。教官にもダーシャちゃんにも会えた。お兄ちゃんが逃亡者になってたら、今頃はアルバイトでもしてたのかな。意地悪な先輩にしょっちゅう鈍臭いって叱られて、休みの日は家でゴロゴロ。つまんないつまんないって言いながら毎日を過ごしてたのかな。想像するだけで怖くなる」

「今頃は俺のせいで、逃亡者の家族って叩かれてたかもしれないよ?」

「ああ、そっか。お父さんの首も危なくなるね。エル・ファシルの逃亡者の家族って、私にあり得たかもしれない未来なんだ。やっとわかった」

 

 前の人生で自分が歩んだ運命をアルマは想像力によって正しく理解した。そして、俺も前の人生で自分が家族に憎まれた理由をやっと理解できた。

 

 前の歴史では、帝国領遠征の損害は今よりも大きく、クーデターは四か月も続いた。今と比べると、ずっと財政難は深刻だったろう。警察の人員削減もより厳しく行われたはずだ。俺が逃亡者になれば、警察の人事担当者は良い口実ができたとばかりに父を退職させようとしただろう。警察を辞めさせられたら、当然官舎からも追い出される。五〇過ぎでこれといった特殊技能も持っていない元警官に、良い再就職が見つかるとは思えない。母は看護師、姉は教師。一家で路頭に迷うことはないだろうが、生活は苦しくなる。失職の危機が俺に対する憎悪を生んだのではないか。

 

 当時は怯えるばかりで、周りがまったく見えてなかった。家族とまともに話せなくて、家計の状況などもまったくわからなかった。六〇年近く経ってようやく状況が理解できるなんて、皮肉なものだ。

 

「そういうこと。だから、あまり無神経なことを言ってほしくなかった」

「ごめん」

「わかってくれたらいいんだ。エル・ファシルの逃亡者、そしてその家族にはあまり冷たくしないでほしい。俺達にあり得たもう一つの未来なんだから」

 

 俺の言葉にアルマは深く頷く。前の人生の経験を一切引き合いに出さずに、エル・ファシルの逃亡者を擁護する言葉。ようやく見付けることができた。これでようやく逃亡者擁護の戦いに踏み出せる。深い満足感を覚えた時、俺達を呼ぶ声がした。

 

「エリヤ!アルマ!こんな所にいたのか!」

 

 叫んでいるのは父のロニー。母のサビナ、姉のニコールの三人が駆け足で近づいてきた。

 

「いつまで経っても帰ってこないから、心配してたんだぞ」

 

 喜び九割、困惑一割といった表情の父。身長は俺より三、四センチ高い。髪の毛は年の割に白髪が多い。顔つきは良く言えば人が良さそう、悪く言えば押しに弱そう。服装はポロシャツにスラックス。典型的な中年男性の普段着である。当たり前ではあるが、メールに添付された画像とそんなに違わなかった。

 

「相変わらずエリヤもアルマも寄り道好きだねえ。今日も買い食いしてたの?」

 

 母はやれやれといった感じで俺とアルマを見る。身長は俺より二、三センチほど高く、女性にしてはがっしりしている。顔は優しそうだが、目に宿る光は強い。動きやすい服装を好む母らしく、半袖のパーカーを着ていた。

 

「英雄になっても、あんたらは変わんないね。ま、英雄になったぐらいで変わられたら困っちゃうけどさ」

 

 姉は笑顔で軽口を叩きながら、俺とアルマの肩をぽんぽんと叩く。小さい頃から俺と良く似ていると言われたやや男っぽい顔。職場からそのまま直行してきたのか、半袖のブラウスにズボンを履いている。シンプルではあるが、細身の姉には良く似合う。身長は父とほぼ同じ。忌々しいことに姉も妹も俺より背が高いのだ。

 

 家族と話しながら敷地の中を歩き、実家のあるD棟に入り、エレベーターで三階までのぼった。作りが全体的に古臭い感じがする。壁はひび割れていて、照明は薄暗い。ハイネセンの高級士官用官舎に住む俺から見れば、驚くほどに古ぼけていた。エル・ファシル警備艦隊に赴任した際に視察した下士官世帯向けの官舎よりややマシといった程度。地方財政の困窮ぶりをこんなところで実感させられる。

 

 九年ぶりに足を踏み入れた実家も貧相な感じがした。やはり自分や知り合いの軍人が住む官舎と比べてしまうのである。警察の階級を軍の階級に例えると、警視監は中将、警視長は少将や准将、警視正は大佐、警視は中佐や少佐、警部は大尉、警部補は中尉や少尉、巡査部長は下士官、巡査は兵卒に相当する。タッシリ星系警察では、警視監は市警察を統括する州警察の長官、あるいは州警察を統括するパラス惑星警察の主要六部長を務める。警部補の父は市警察の係長職。自分がこの九年間でどれほど家族と遠く離れた場所に行ってしまったのかを、官舎は如実に物語っていた。

 

 ダイニングルームに入ると、テーブルの上に積み上げられている山盛りの食べ物が目についた。見るからにこってりしたマカロニ・アンド・チーズ、ほくほくのフライドポテト、こんがり焼けたローストチキン、大皿いっぱいのジャンバラヤ、さっぱりしてそうなシーザーサラダ、ぶつ切りの白身魚が浮かぶフィッシュチャウダー、厚切りのパンにハムとチーズを挟んだサンドイッチ。どれも俺とアルマの好物ばかり。当然、デザートは別に用意しているはずだ。しんみりした気持ちはあっという間に吹き飛ぶ。

 

 ビールをがぶがぶ飲みながらトリューニヒトのようにぽんぽんと適当なことを言う父。俺とアルマに食べ過ぎるなと言い、父の適当な発言に突っ込みつつも満更でもなさそうな母。俺とアルマの皿が空になると、どんどん食べ物を放り込んで飲み食いする有様を楽しむ姉。脇目もふらず飲み食いに勤しむアルマ。

 

 昨年の八月に初めてブレツェリ家を訪れた時のことを思い出した。他人の家族の団らんに混ぜてもらっただけなのに、本当に楽しかった。自分が団らんの一員であるというのは、また違った楽しさがある。

 

「いきなりしんみりした顔になってんね。どうしたのさ?」

 

 姉のニコールが興味深そうに俺を見る。

 

「友達の家に行った時のことを思い出したんだ」

「ダーシャちゃんかあ」

 

 何もヒントを与えてないのに、姉はぴたりと当てた。

 

「何で分かるの?」

「弟の結婚相手だよ。探り入れるに決まってんじゃん」

 

 楽しげに笑ってからビールを飲み干す姉を見て、男前という言葉が頭の中に浮かんだ。前の人生では、彼女は俺を擁護したために何者かに腕を折られた。それ以来、俺を徹底的に無視するようになった。しかし、今の人生では昔と変わらぬ面倒見の良い姉として振る舞っている。

 

「姉ちゃんには、ほんと敵わないなあ」

 

 ごく自然に苦笑が浮かんだ。彼女を何の屈託も無しに「姉ちゃん」と呼ぶのは、何年ぶりだろうか。

 

「携帯端末で何度か話したことあるよ。感じのいい子だったね」

「ダーシャはいい奴だからね。会ったらもっと好きになってたよ」

「残念だね、本当に」

 

 姉は一瞬だけ軽く目を伏せて、それからビールを自分のグラスに注いでグイと飲み干した。ビールと一緒に目に見えない何かを飲み干しているかのように見えた。

 

「ま、頑張りな。あんたはまだ生きてんだから」

 

 大きく口を開けて笑うと、姉は俺の皿にジャンバラヤをどさっと放り込んだ。俺は無言で頷き、ジャンバラヤを口に入れる。

 

 母らしい大味な味付けを舌で楽しみながら、帰ってきて良かったと心の底から思った。そして、きっかけを作ってくれたジェリコ・ブレツェリ准将とダーシャに改めて感謝した。この日、俺は本当の意味で家に帰った。


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