銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二十六話:老貴族の黄昏 宇宙暦797年7月11~18日 公立体育館~カフェ・ワシントン~パラディオン市内のホテル

 どうも俺は貧乏性らしい。ゆっくり休むということができないのだ。せっかく故郷に帰ってきても、与えられた時間をしっかり使わなければいけないと思ってしまう。

 

 帰郷二日目の午前はタッシリ星系政庁で星系首相、パラス惑星政庁で惑星知事と面談。午後からは市内でパレード。夕方は地元テレビ局の番組にゲスト出演。夜は地元政財界の主戦派が開催する激励会に出席した。

 

 三日目は退役軍人協会、愛国遺族会、戦没者遺児支援協会、傷痍軍人援護会といった軍関連団体を訪問。これは軍の広報が入れた予定ではなくて、俺自身の希望だった。今後の俺は正規艦隊司令官として一〇〇万を越える将兵を率いる立場。退役軍人や戦没者遺族の生の声を聞き、軍人と社会の関わりについての理解を深める必要を感じたのだ。軍隊の中にいては聞けないような話をたくさん教えてもらって、いろいろと勉強になった。ただ、反戦市民連合系の遺族団体である反戦遺族協会に訪問拒否されたのが心残りだった。

 

 四日目は犯罪者社会復帰支援センター、失業者宿泊所、野宿者保護施設、薬物中毒者更生施設、アルコール中毒者更生施設などを訪問した。退役軍人には野宿生活を送る者、困窮のあまり犯罪に走る者、軍隊で覚えた麻薬やアルコールの依存症に苦しむ者も多い。前日の団体訪問で拾い上げられなかった退役軍人の境遇を理解するためには、こういった施設を訪れる必要があった。前の人生で困窮して犯罪を重ねて、麻薬やアルコールに依存した自分の経験を見詰め直す意味もある。

 

 四日目でやりたいことを終えてしまった俺は、五日目から暇を持て余すようになった。前の人生で逃亡者になる前の記憶がだいぶ薄れていて、旧知の名前を思い出しても全然懐かしく感じなかった。行動範囲が狭かったから、これといって行きたい場所もない。そういうわけでアルマとともに名物のピーチパイを食べ歩き、余った時間はひたすら近所の体育館でトレーニングに励んだ。

 

 俺は朝のトレーニングメニューをひと通りこなして、プロテインドリンクを飲みながら休憩中だった。平日の朝に公立体育館のトレーニングルームを利用する者は少ない。おかげで注目されなくて済んだ。

 

 数少ない利用者の視線は、逆立ち片手腕立て伏せをするアルマに釘付けだった。一本だけで全体重を支えるアルマの腕は、軍服の上からは想像できないぐらい筋肉が付いている。上半身はフィットネス用のブラトップのみを着けているため、綺麗に割れた腹筋が見える。ニコルスキー准将やコレット大佐の筋肉もなかなかの物だが、アルマは別格だった。幹部候補生養成所時代に見たカスパー・リンツの筋肉には及ばないが、性差を考慮すれば止むを得ないところだ。

 

 俺もわりと鍛えてる方だとは思う。かつてバラット軍曹が「筋肉は努力を裏切らない」と言った通り、正しいトレーニングをすれば筋肉は着実に増えていく。それが楽しくて、よほど忙しい時以外はトレーニングを欠かさなかった。雑誌で「体育会系提督」と紹介されたこともあるし、ネットでは「筋肉で戦争をしてる」と書かれることもある。それでもアルマには及ばない。

 

 心のなかに広がる敗北感を打ち消すため、アルマが持ってきたマフィンの袋を開けた。そして、立て続けに口に入れる。いつもアルマは俺の菓子を勝手に食べてしまう。たまにはこれぐらい許されるだろう。

 

 二時間後、俺とアルマはパラディオン市中心部の「カフェ・アトランタ」の前にいた。平日午前中だというのに、長蛇の列ができている。パラディオン、いや惑星パラスで最もおいしいと評判のピーチパイ目当てに、彼らは並んでいるのだ。あまりの人の数に恐れをなした俺は、アルマに伺いを立てた。

 

「なあ、人が多すぎないか?出直そうよ」

「だめ」

「こんな暑い中、ピーチパイを食べるためだけに並ぶのってきついだろ」

「きつくない」

「今日みたいな日は、ピーチパイよりアイスクリームの方がおいしいと思うんだ」

「ピーチパイがいい」

 

 アルマは一切の妥協を拒んだ。俺が勝手にマフィンを食べてしまったことにまだ腹を立てているのだ。カフェ・アトランタのピーチパイをおごるまでは、許してもらえそうになかった。

 

 うんざりしながら、列の最後尾に向かう。英雄の名前を使えば並ばずに店に入れるかもしれないが、そんなのは俺のプライドが許さない。注目を浴びないように、わざわざイメージと違う服装を選んだ意味もなくなる。

 

 ふと、行列の中に見覚えのある姿が見えた。上品なジャケットにジャボと呼ばれる帝国風の胸飾りが良く似合う老人。体躯は抜き放った細身の剣のようだ。美しく刻まれたしわ、綺麗に整えられた銀髪と口髭が、端整な顔に年輪の深みを加える。理性ではなく本能がこの人物が高貴な存在であることを教えてくれる。

 

 地方都市のカフェの前では、老人の貴族的な風貌はどう見ても場違いであった。だが、誰も好奇の視線を向けようとしない。ここにいるのは当然であると言わんばかりの傲然とした雰囲気が力づくで周囲を納得させているのだ。

 

「あのお爺さん、まるで貴族みたい。なんで並んでるのかな?」

 

 アルマが極めてまっとうな疑問を抱く。老人のように高貴な存在と、ピーチパイを食べるために並ぶという庶民的な行為を結びつけるのは、非凡な想像力の持ち主以外には不可能であろう。

 

「さあ、わからないな」

 

 軽く受け流して、見なかったことにしようと思った。老人のことは嫌いではないが、こんな時には絶対に会いたくないタイプだ。

 

 老人の顔がこちらに向いた。偶然では無かった。視線が俺をまっすぐに捉えている。服装を変えてカモフラージュしているが、そんなものが鋭敏な老人に通用するはずが無かった。老人は口元に微笑を浮かべて、ゆっくりとこちらに歩いてくる。逃げられないと悟った。

 

「久しいな。息災であったか」

 

 老人の短い問いには、生まれながらにして人の上に立つ者のみ持つ鷹揚さが凝縮されていた。

 

「どうにか永らえておりました」

 

 俺は直立不動になり、なぜか敬礼で応じる。

 

「ふむ、それは重畳であるな」

 

 老人は尊大に頷いた。圧倒的な風格の違いが老人の尊大さを素直に受け入れさせる。こうして俺と門閥貴族マティアス・フォン・ファルストロング伯爵は、予想もしなかった場所で一〇か月ぶりの再会を果たした。

 

 

 

 カフェ・アトランタの狭い店内。俺とアルマとファルストロング伯爵は同じ席に座り、ピーチパイを食べている。炎天下の中、一時間近く並んだだけの価値はあった。惑星パラスで一番うまいピーチパイということは、すなわち銀河で一番おいしいピーチパイなのだ。アルマは満面の笑みでかぶりつく。ファルストロング伯爵はナイフとフォークを使い、綺麗に切り分けては口に入れる。

 

「ほう、妹にせがまれて来たのか」

「はい」

「女性というのは、甘い物が好きであるからな。わしも若い頃は良く付き合わされたものだ。おかげでオーディンの甘味にすっかり詳しくなってしまった」

 

 勝手にマフィンを食べてアルマに怒られたこと、代償としてカフェ・アトランタのピーチパイをおごるように求められたことを伏せて事情を説明すると、ファルストロング伯爵は苦笑気味に感想を述べた。海千山千の老貴族も若い頃は女性に弱かったと知って、少し親しみを覚えた。

 

「兄も結構甘い物が好きなんですよ。ここに来る前に私のマフィン、全部勝手に食べちゃったんです」

 

 隠そうとしていた事実をアルマがあっさりばらした。まだ根に持っているらしい。

 

「その埋め合わせということか。納得がいった」

 

 ファルストロング伯爵は人の悪い笑みを浮かべる。宮廷政治で培った鋭敏さをこんな場所で発揮しないでほしいと心の底から思いながら、四つ目のピーチパイを口にした。

 

「ええ、兄は本当に食いしん坊で困ります」

「はっはっは、勇名高い提督も妹君から見ればただの食いしん坊か」

「兄が兵役に行ってから、実家の食費が三分の二になったんですよ」

「五人家族なのに、一人で食費の三分の一を使っていたとは。呆れたものだ」

 

 自分の大食いを棚に上げて攻勢に出るアルマ。愉快そうに笑うファルストロング伯爵。妙に意気投合してしまってる。俺は苦境を切り抜けるべく、自分から質問をした。

 

「ところで伯爵閣下はなぜパラディオンにいらしたんですか?」

「卿が帰郷していると聞いてな。今を時めく英雄兄妹の顔を拝んでみるのも一興であろう」

 

 真面目くさった顔で俺とアルマの顔を見に来たと語るファルストロング伯爵。聞かなければ良かったと後悔した。

 

「……というのは冗談でな。ただの旅行じゃよ。先日、中央情報局をめでたくお払い箱になった記念にな」

「お払い箱ですか?」

「トリューニヒトにしてみれば、改革市民同盟と付き合いの深いわしは扱いづらいのであろう。それに亡命してきたのは一一年前。持ってる情報もすっかり古くなった。ここらが潮時だろうて」

 

 ファルストロング伯爵が就いていた中央情報局特別顧問は、亡命者に与えられるポストとしては最高級のものだった。俸給は同盟軍中将や各委員会部長職と同等。専用のオフィスと秘書、運転手付きの公用車を与えられる。誰もが羨む地位を失ったのに、実にさばさばしたものだった。

 

「そういうことでしたか」

「年金はたっぷり出る。亡命の際に持ち込んだ資産もまだまだ残っている。暇もある。ならば、同盟国内をゆっくり旅してみようと思うた。亡命してから一一年、ハイネセンとイゼルローン以外に行ったことがなかったでな」

「なるほど。この時期にパラディオンにお越しになったのは、やはりピーチパイですか?」

「卿ではあるまいし、食べ物目当てに立ち寄ったりはせんよ。七三〇年マフィアゆかりの地を巡っておるのだ。この店のピーチパイもかのウォリス・ウォーリックが贔屓にしておったと聞いて食べに来た」

 

 どうやらファルストロング伯爵の中では、俺は食いしん坊ということになったらしい。それはともかくとして、同盟史上最高の軍事集団と言われる七三〇年マフィアの一員ウォリス・ウォーリック提督は、惑星パラスの出身。パラス第二の都市パラディオンにもウォーリック提督ゆかりの場所は多い。七三〇年マフィアゆかりの地を巡っているファルストロング伯爵が立ち寄るのも当然といえよう。だが、なぜ七三〇年マフィアなのだろうか。

 

「なぜ七三〇年マフィアゆかりの地を巡ろうとお考えになったのですか?」

 

 取り繕ったところでファルストロング伯爵にはすぐに見抜かれてしまうと思った俺は、ストレートに疑問をぶつけることにした。

 

「卿らにとっては、アッシュビーら七三〇年マフィアは英雄であろう?」

「ええ」

 

 そんなのは確認するまでもないことだ。同盟軍史上最高の戦術家ブルース・アッシュビー元帥とその腹心六人は、全員が士官学校七三〇年度卒業者だったことから、「七三〇年マフィア」と呼ばれる。帝国軍相手に連戦連勝し、第二次ティアマト会戦では帝国の軍制に根本的な変更を迫るほどの巨大な戦果をあげた。彼らに匹敵する英雄といえば、ダゴン星域会戦に勝利して亡国の危機を救ったリン・パオとトパロウルの両提督ぐらいだ。

 

「彼らが活躍した時期は、わしが幼年学校から士官学校に進む時期とちょうど重なっておってな。戦うたびに味方が惨敗するものだから、それはもう悔しくて悔しくてたまらんかった。早く一人前の軍人になって、アッシュビーをやっつけてやりたいと願ったものじゃよ」

 

 ファルストロング伯爵はとても懐かしそうに語る。勝敗なんてとっくの昔に超越してしまったような風格のある彼も、一〇代の頃は味方の敗北を心から悔しがる純粋な少年だったようだ。

 

「ああ、そういえば当時の軍務尚書が無念のあまり憤死したと聞いたことがあります」

「学校でも教官が『そんなことでアッシュビーに勝てるか』と喚いて、わしらの尻を必死で叩いておった。授業が終わったら、仲の良い者同士で集まってアッシュビーを倒す戦略を話し合ったものだ。当時はすべての国民がアッシュビーを憎み、アッシュビーを倒すことを願った。敵役ではあったが、あの男はわしらにとっては紛れも無いスーパースターであったな。後にも先にもあれだけ人の心を掴んだ提督はおるまいて」

「アッシュビー提督を始めとする七三〇年マフィアは、伯爵閣下にとっては思い出のスターなのですね」

「そういうことになるな」

 

 心の底から嬉しそうに笑うファルストロング伯爵を見て、ふとラインハルト・フォン・ローエングラムについて考えた。彼は第六次イゼルローン攻防戦、第三次ティアマト会戦、エルゴン会戦、アスターテ会戦、アムリッツァ会戦で同盟軍を叩きのめした。今の同盟の少年少女にとって、ラインハルトはどのような存在なのだろうか?少年時代のファルストロング伯爵にとっての七三〇年マフィアのようなスーパースターなのだろうか?

 

「思えばわしはずっと前ばかり見てきた。ここらで昔を振り返ってみるのも悪くない。そう思った時、七三〇年マフィアが頭の中に浮かんできた。かつての敵をしのびながら旅をするのもまた一興というものだ」

「なるほど、良くわかりました」

 

 俺は深く頷いた。権謀術数に生きた老貴族がすべてを失った時、思い出のスターゆかりの地を巡ることを思い立つ。まるでロードムービーの題材のようだ。

 

「卿と会えたのは僥倖であった。地元のことは地元の者が一番詳しかろう。案内せよ」

「案内ですか?」

「うむ、食費は全額払うぞ」

 

 どうやら、ファルストロング伯爵は俺を食べ物で釣れると思っているらしい。案内するのはやぶさかではないが、食べ物目当てと思われては困る。どう答えるべきだろうか。

 

「喜んでお引き受けします!」

 

 元気に答えたのは、ファルストロング伯爵と俺が話している間、ひたすらピーチパイを注文しては胃袋に収めていたアルマだった。

 

 

 

 その日から二日間、俺とアルマはファルストロング伯爵をウォーリック提督ゆかりの地に案内した。地元民の生活感を味わいたいというファルストロング伯爵の希望で、文化発信地のケニーズ通り、ショッピング街のアンダーブルック通り、ウォーリック提督が子供時代に住んでいたウェスト・トリニティ地区、俺の実家のあるエクサルヒア地区にも行った。

 

 ファルストロング伯爵がパラディオンで過ごす最終日の夜。俺達三人はファルストロング伯爵が泊まっているホテルのレストランでディナーを共にした。

 

「これで卿らとも最後か。時が過ぎるのは早いものだ」

 

 ファルストロング伯爵は意外にも残念そうだった。

 

「本当に楽しかったです」

 

 満面の笑顔でそう言った後に、アルマは馬鹿でかいナジェールエビの香草焼きを豪快に食いちぎる。この二日間、アルマはひとかけらの遠慮もなく、ファルストロング伯爵の支払いで食べまくった。「本当においしかったです」の間違いではないかと思ったが、黙って三杯目のスープを飲み干した。

 

「わしも年を取ったようだ。若い者に物を食べさせるだけで楽しい気持ちになるとはな。このマティアス・フォン・ファルストロングが最後は好々爺になって人生を終えるというのも、それはそれで悪くない」

 

 自嘲半分、照れ半分といった感じでファルストロング伯爵は微笑む。最初に会った時から思っていたことだが、こんな人が宮廷闘争に深入りするなんてさっぱり理解できない。

 

「帝国貴族がみんな伯爵閣下のように優しい人だったら、同盟と帝国も戦争せずに済んだのでしょうね」

 

 エビの香草焼きを食い尽くしたアルマは、口の周りの食べかすをナプキンで拭いてからしみじみと言った。

 

「わしのような者しかおらんから、戦争が終わらんのだ」

「ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵みたいな感じ悪い人と伯爵閣下は違うでしょう?」

 

 アルマにかかれば、帝国最大の門閥貴族も「感じ悪い」とばっさりである。これは女性ならではの感性だろう。男性の俺には、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵やウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵の強面は威厳たっぷりに見える。

 

「何も変わらんよ。わしもオットーもウィルヘルムも」

「リッテンハイム侯爵は味方を撃って逃げた人じゃないですか」

 

 アルマは形の良い眉をひそめて嫌悪感を示す。敵国の内戦とはいえ、先日のキフォイザー星域会戦でリッテンハイム侯爵が演じた醜態は、軍人として認められるものでは無いのだ。

 

 帝国内戦の初戦はラインハルト率いる改革派軍が優位だった。改革派軍は初戦のアルテナ会戦で勝利して、レンテンベルク要塞を攻略。正面決戦の不利を悟った保守派貴族軍は、物量の優位を生かして次々と新手をぶつけた。消耗戦を強いられた改革派軍は、戦術的には勝利を重ねたものの疲弊が激しく、決定的な勝利を得られない。このまま消耗戦が続けば、数に劣る改革派軍は確実に敗北する。

 

 改革派軍は状況を打開すべく、思い切った手に出た。全軍を二つに分けて、ラインハルト率いる本隊は帝国内地で保守派貴族軍の主力を拘束する。その間にキルヒアイス上級大将率いる別働隊は、フェザーン側辺境の制圧に向かう。保守派貴族軍の最大の資金源であるフェザーンルートを遮断し、物量の優位を覆すのが目的だ。

 

 五月から六月にかけて、キルヒアイスの別働隊は六〇回以上の戦闘にことごとく勝利して、辺境の保守派貴族軍拠点を攻略していった。保守派貴族軍副盟主のリッテンハイム侯爵は、辺境に所領を持つ貴族とともに辺境救援を主張。一方、盟主のブラウンシュヴァイク公爵は「本隊を破れば、辺境の別働隊は立ち枯れる」として、消耗戦の継続を主張した。両派は激論の末に決裂し、七月の初めにリッテンハイム侯爵は辺境の領主とともに独断で辺境奪回に向かった。

 

 リッテンハイム侯爵とキルヒアイスはキフォイザー星域で衝突。戦いはキルヒアイスの一方的な勝利に終わる。一目散に逃げ出したリッテンハイム侯爵は、退路を確保するために前方にいた自軍の輸送部隊を攻撃。間一髪でガルミッシュ要塞に逃げ込んだものの、怒った部下の自爆攻撃によって殺害された。

 

 保守派貴族軍は副盟主と総戦力の三割、そして辺境奪回の機会を永遠に失った。シャンタウ星域で初めて戦術的勝利を収めたブラウンシュヴァイク公爵配下の主力とは明暗を分ける形となった。改革派軍はここぞとばかりにリッテンハイム侯爵の醜態を糾弾。キフォイザー星域会戦の映像は、フェザーンを経由して同盟のマスコミの手に渡り、門閥貴族の腐敗ぶりを示す格好の素材として全土に放映されたのである。ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムの名前は、卑怯者の代名詞として全銀河に鳴り響いた。

 

「わしもウィルヘルムの立場なら、そうしたかも知れん。卑怯な振る舞いではあるが、気持ちはわかる」

 

 意外にもファルストロング伯爵はリッテンハイム侯爵に同情的だった。アルマは驚きで目を丸くする。ファルストロング伯爵が亡命するきっかけとなったベーネミュンデ侯爵夫人の皇后擁立問題では、リッテンハイム侯爵はファルストロング伯爵と対立する陣営にいたはず。恨み重なる政敵の醜態なのに、なぜ理解を示すのだろうか。不思議に思った俺は、アルマとファルストロング伯爵の会話に割って入った。

 

「確か、伯爵閣下とリッテンハイム侯爵は政敵同士でしたよね?」

「そうじゃな」

「もっと厳しいことをおっしゃるとばかり思っていました」

「帝国にいたら、そうしたであろうな。ウィルヘルムを蹴落とす良い機会を見逃したりなどせぬ。じゃが、今のわしは異国に老醜の身を横たえる敗残者。政敵だの派閥だのは、もう終わった話じゃよ」

「では、改めてお伺いします。伯爵閣下はリッテンハイム侯爵の件をどのようにお考えなのでしょうか?」

 

 姿勢を正して質問をする。前の歴史の本では、ひたすら門閥貴族を愚かで卑劣な存在として書いていた。門閥貴族の価値観には、一分の理も存在しないかのように見えた。しかし、歴史の本の価値判断がそれほどあてにならないことは、同盟軍人と直に接して学んだ。門閥貴族に主張すべき理があるとしたら、それは一体どんなものなのだろうか。興味を強くそそられる。

 

「門閥貴族というのはな、生まれつきの権力者なのだ。生まれながらにして家を背負い、家に仕える者を背負う。そして、命ある限り権力者としての責任を果たさねばならぬ。血が与えてくれた権力は、心臓が止まるまで手放せんからな。ウィルヘルムはリッテンハイム一門二四家の総帥。自分の家の他に一門の家にも責任がある。戦いのさなかに命を落とせば、核を失ったリッテンハイム一門は瓦解するであろう。ならば、何と言われようと生き残らねばならん。一門が結束していさえすれば、一時の汚名などいずれ取り返せる。そう考えるのが門閥貴族というものだ」

 

 血の与えてくれた権力は、心臓が止まるまで手放せない。命ある限り権力者としての責任を果たさなければならない。ファルストロング伯爵が語る門閥貴族の権力と責任は、民主主義の国で生まれ育ち、前の人生で貴族無き帝政を経験した俺には、とても新鮮だった。

 

 同盟の権力者と関わって、彼らの背負う責任の重み、その重みが生む権力への執念を知った。今の俺には、権力というものがどれほど重いものか良く理解できる。自分の意思とは無関係に権力を持たされて、死ぬまで責任を果たさねばならないとしたら、それは途方もなく辛い人生のように思える。卑怯としか見えなかったリッテンハイム侯爵の行為も、権力者としての義務感と考えると別の顔が見えてくる。

 

「同盟の政治家に権力を与えるのは市民です。市民の支持を失うか、引退すれば、政治家は権力者をやめて一介の市民に戻れます。支持基盤を他の者に譲渡することだってできます。しかし、門閥貴族に権力を与えるのは血筋。家臣や領民の支持を失っても、引退したくなっても、血筋を捨てることはできない。どんなにボロボロになった権力でも、持ち続ける義務がある。辛いですね」

「それゆえに門閥貴族は強い。下級貴族や平民とは、権力に賭ける執念が格段に違う。権力のためなら、どんな卑劣な真似もできる。同盟と違って、大衆受けを気にする必要がないからな。執念深い卑怯者が喧嘩に強いというのは、理解できるじゃろう?」

「はい」

「喧嘩に強い者が必ずしも戦争に強いわけではないというのが面白いところでな。むしろ、喧嘩の下手な者ほど戦争には強い。戦争で卑怯な真似をしたら、兵を失望させて士心を失う。家門を大事にすれば、公平を欠いて士心を失う。宮廷では百戦錬磨のウィルヘルムは、戦場では卑怯で不公平な指揮官となる」

「門閥貴族として優れた資質も軍人としては仇になるということですか」

「そうじゃな」

 

 実に明快であった。門閥貴族の強さと弱さがすっきりと理解できる。

 

「要するに門閥貴族はエゴイストってことでしょうか?家を守ろうとする強烈なエゴが門閥貴族の強さ。でも、それって国を運営するには向いてないような」

 

 アルマは本当に言葉を選ばない。聞こえの悪い表現でずばっと突っ込んでくる。真っ直ぐなダーシャの親友だけのことはある。

 

「まあ、向いとらんな」

 

 ファルストロング伯爵は実にあっさりと認めた。門閥貴族として国家の中枢にいた者がこれでいいのかと思ってしまうぐらいだ。

 

「同盟の者がイメージするような貴族の放蕩者なんてのは、帝国貴族では少数派でな。この世の人間の大多数は凡庸な者。凡庸な者同士では、教育に金を掛けた者の方が優秀になるのは道理。幼少の頃から家門を背負って立つべく文武を仕込まれた門閥貴族の子弟は、概ね常人より優秀じゃよ。しかし、それもあくまで家門を守るための能力。優秀なエゴイストが集まったら、手柄争いと足の引っ張り合いが始まるのは火を見るより明らかであろう。じゃから、帝国には猛将や闘将はおっても、アッシュビーのような名将はおらんのだ」

 

 門閥貴族は優秀なエゴイスト。一人のプレイヤーとしては優秀でも、エゴが強すぎてチームプレーはできない。そんなイメージがファルストロング伯爵の話から掴み取れた。

 

「ローエングラム元帥はどうでしょう?」

 

 質問せずにはいられなかった。ここまで話を聞くと、やはり門閥貴族としてラインハルトをどう考えているのか聞きたくなる。

 

「わしが亡命した時には、ローエングラム元帥は一〇かそこらの子供だった。一人の人間としては良く分からん。じゃが、門閥貴族をなるべく使わん方針には覚えがあるな。当時は暴挙と思った。じゃが、ローエングラム元帥の戦いぶりを見ていると、なかなかの卓見だったように思えてくる」

「覚えがあるんですか?」

 

 門閥貴族を使わない方針は、ラインハルトの独創とばかり思っていた。しかし、ファルストロング伯爵は覚えがあるという。かつてラインハルトのような改革者がいたということだろうか。これも前の歴史の本では読んだことのない話だ。

 

「今上陛下の父君にあたる故ルートヴィヒ皇太子殿下は、門閥貴族に嫌われておってな。まあ、わしも亡命前はあの方を引きずり降ろそうとした側にいたのじゃが。しかし、わずかながらルートヴィヒ殿下を盛り立てようとする者がおった。その者達はルートヴィヒ殿下が門閥貴族に嫌われているのを逆手に取り、下級貴族や平民を積極的に登用した。家門を背負わぬ寒門の者は、個人的な恩義で動く。たとえ寒門を見下していても、親衛隊や秘書団は寒門で固めるのが門閥貴族の倣い。じゃが、ルートヴィヒ派の者は門閥貴族が就く高位ポストにまで寒門を登用しようとした」

 

 現皇帝エルウィン=ヨーゼフの父親であるルートヴィヒ皇太子が門閥貴族に嫌われていたのは、かなり有名な話だ。だからこそ、門閥貴族排除を狙うリヒテンラーデ公爵とラインハルトは、エルウィン=ヨーゼフを擁立した。しかし、皇太子の生前に支持者がいたという話は、初めて聞いた。帝国の派閥抗争の実態は、同盟にはなかなか伝わってこない。ラインハルトの活躍と直接関係ないせいか、前の歴史の本でも見かけなかった。

 

「結果はどうだったんですか?」

「中心となったのは、ツァイスという男じゃ。わしが亡命した時は上級大将。亡命してから三年ぐらい後に帝国元帥に進み、宇宙艦隊司令長官となった。あの男が宇宙艦隊司令長官をしている間、エルゴン星系まで押し上げた前線は同盟軍の反撃を受けてイゼルローンまで押し戻された。第五次イゼルローン攻防戦では、要塞が陥落寸前まで追い込まれた。その次の年にタンムーズ星域で同盟軍に惨敗して辞任に追い込まれた。結果的には失敗したのであろうな」

 

 どれも俺の記憶にある戦いだった。イゼルローンまで前線を押し戻した同盟軍の反撃とは、六年前の「自由の夜明け」作戦。エル・ファシル義勇旅団が活躍したことになっている戦いだ。第五次イゼルローン攻防戦は言うまでもない。四年前のタンムーズ星域会戦は、あのロボス元帥が元帥号を獲得した戦いだ。ツァイス元帥は後任のミュッケンベルガー元帥と比べると明らかに失敗した。

 

「発想は良くても、結果が出るとは限らないんですね」

「結果を出す力はまた別じゃからな。ツァイスは発想力だけ、ローエングラム元帥は結果を出す力もあったんじゃろう。世間の者は最初に思いついたか否かをさも一大事のように言うが、そんなことには何の意味もない。結果を出せたかどうかが問題じゃて」

「おっしゃる通りです」

 

 ツァイス元帥がなぜ失敗したのかはわからない。登用する人材を誤ったのかもしれないし、良い人材を登用したのにツァイス元帥自身の用兵手腕がついていかなかったのかもしれない。いずれにせよ、ラインハルトと同じアイディアを持っていても、それだけではラインハルトになれないということが分かる。

 

「まあ、しかしツァイスも仕事をせんかったわけでも無いようじゃが」

「どういうことですか?」

「ちょっと時間をもらえるかな」

 

 そう言うと、ファルストロング伯爵はポケットから分厚いメモ帳を取り出して、とんでもなく早さでめくりだした。俺とアルマは鮮やかな手つきに見入ってしまう。ピタッと手を止めると、ファルストロング伯爵はあるページを示した。

 

「二月にローエングラム陣営の分析を頼まれた時のメモじゃよ。あまり役には立たんかったがな」

 

 ラインハルト陣営の幹部の名前が帝国語で書き連ねられている。名前の横には、ラインハルトの元帥府に登用される前の階級、丸や三角やバツ印などのマークが付されていた。

 

「これは?」

「ローエングラム陣営の人的構成の傾向じゃよ。オーベルシュタイン家の次男坊以外は知らん者ばかりじゃから、中央情報局の持っとるわずかな経歴情報を頼りに分析した。一定の傾向はあった」

「オーベルシュタイン参謀長をご存知なのですか?」

 

 前の歴史で銀河最高の謀略家と言われ、今もラインハルトの知恵袋として活躍するパウル・フォン・オーベルシュタイン。それをファルストロング伯爵が知っているというのは、気になる話だ。

 

「オッフェンブルク一門には珍しく真っ直ぐな若者じゃったな。素直に過ぎて行く末が少々心配であった。あのような者が栄達するのは、結構なことだ」

 

 まったく想像もしなかった感想が返ってきた。海千山千のファルストロング伯爵から見れば、あのオーベルシュタインも正直者なのか。それとも、ファルストロング伯爵が亡命した後に変わったのか。いずれにせよ、俺には計り知れないことだ。

 

「では、ローエングラム陣営の傾向について話すとしようか」

 

 門閥貴族が分析したラインハルト陣営の傾向とは何なのか。心臓が高鳴る。

 

「中将級以上の艦隊司令官一〇名のうち、七名がツァイスの元帥府に在籍した経験がある。アムリッツァ会戦で戦死した中将一名もやはりツァイスの元帥府に在籍しておった」

「ほとんどがツァイス元帥の元部下?」

「この者達は寒門出身にも関わらず、ローエングラム元帥に引き立てられる前から、少将や准将の階級を持っていた。門閥貴族でもこれほど早い出世はなかなかできるものではない。まして、寒門ではな。ルートヴィヒ皇太子派の拡大を狙ったツァイスが有望な若手を元帥府に集めて、元帥権限で階級を引き上げたということになろう」

 

 確かにラインハルト陣営の主要提督は、若い上に出身身分も低い。それなのにラインハルトに仕える前から高位にあった。前の人生で読んだ提督たちの伝記では、ラインハルトに仕える以前の経歴は驚くほどに簡潔だった。異常に早い昇進も有能さゆえとされていたが、尉官や佐官の権限では目立つ功績を連続してあげるのは不可能に近い。そして、帝国軍は信賞必罰が不公平な軍隊。武勲をあげても上司に横取りされるなんてのは、珍しくもないと言われる。尉官や佐官の頃にツァイス元帥の引き立てを受けたと考えれば、彼らの異常な出世の背景も理解できる。

 

 ルートヴィヒ皇太子は若くして死亡し、失敗続きのツァイス元帥は軍を追われて、その派閥は崩壊した。門閥貴族に敵対的なルートヴィヒ=ツァイス派の引き立てによって、異常な出世を遂げた寒門出身の若者。彼らが派閥崩壊後に軍内部でどのような視線に晒されたかは、想像に難くない。前の人生で読んだ伝記によると、ウォルフガング・ミッターマイヤー提督は少将の高位にあったにも関わらず、門閥貴族の私怨で殺されかけた。ラインハルト配下の提督が共有する反門閥貴族感情のルーツは、ルートヴィヒ=ツァイス派にあったのかもしれない。

 

「なるほど、確かにツァイス元帥は大きな仕事をしたようです」

 

 ツァイス元帥の人事が及ぼした影響の大きさに深く嘆息した。ファルストロング伯爵は興味深そうに、アルマは不思議そうに俺を見た。

 

「ほう、卿はローエングラム元帥を随分と高く評価するのだな」

「去年の帝国領遠征でさんざん苦しめられました。気にするなという方が無理ですよ」

「卿をしてこう言わせるとはな。ローエングラム元帥はアッシュビーに優るとも劣らぬスターらしい。同盟の若者は幸せだ。強大な敵がいれば、心を一つにできる」

 

 ファルストロング伯爵は優しそうな笑いを浮かべる。だが、俺は笑う気になれなかった。強敵を前にしても、同盟軍の派閥争いは止むことがない。かつての帝国国民が心を一つにしてアッシュビー元帥を憎んだように、同盟市民がラインハルトを憎める日は来るのだろうか。不安は募る。

 

「そうできたらいいんですけどね」

「半生を賭けて権力を求めてきたわしもすっかり脂っけが抜けてしもうた。半生を平凡に生きてきた卿も今は英雄であろう。わしも卿も変わった。ならば、他の者が変わる可能性を信じても良いのではないかな?」

 

 他の者が変わる可能性を信じろ。老人の言葉は俺の心に深く刺さった。この席にいる者はみんな変われた人間だ。料理が盛られた皿を空き皿に変える機械と化しているアルマもそうだ。市民軍にも凡人から英雄に変わった者がたくさんいる。曇った心にうっすらと陽光が差し込んできたように感じた俺は、笑顔で三品目のシーフードピラフを注文した。


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