銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二十七話:トリューニヒト粛軍 宇宙暦797年7月末~9月上旬 ブレツェリ家~官舎

 昨年の帝国領遠征敗北以来、市民の間に高まった軍部改革の声は、四月に起きた救国統一戦線評議会のクーデターによって最高潮に達した。閉鎖的な軍運営が軍人の暴走を招いたとみなした市民は、政治主導の軍運営を望んだ。

 

 軍の政治的中立が失われることを恐れた旧シトレ派は、徹底的に軍部改革に抵抗。帝国領遠征の戦犯を擁護し、従来通りの軍運営を続けようとした。しかし、世論の攻撃から守り通したグリーンヒル大将、派閥重鎮のヤオ中将らがクーデターを起こしたために面目を失った。これまで連携してきた反戦派も改革支持に回り、完全に孤立した旧シトレ派は抵抗を諦めたのである。

 

 最後の抵抗勢力が潰えたことによって、軍部改革を阻む者はいなくなった。俺が休暇を終えてハイネセンに戻った七月末頃から、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは世論の圧倒的な支持を背景に軍部改革に乗り出す。国防委員長ネグロポンティ、統合作戦本部長代理ドーソン大将、宇宙艦隊副司令長官臨時代理から国防政策担当議長補佐官に移ったロックウェル大将の三名が改革の推進役となった。

 

 第一一艦隊など全員がクーデターに加担した部隊は、すべて解体された。一部がクーデターに加担した部隊、一時的に救国統一戦線評議会の命令を受け入れた部隊、惑星ハイネセンにあって日和見した部隊は解体こそされなかったが、再編の対象となって徹底的な人員入れ替えが行われた。

 

 解散された部隊や再編対象部隊に所属していた者は、すべて徹底的な取り調べを受けた。特に責任が重いとみなされた者は、軍法会議に送られた。軍法会議に送るまでもないが十分に責任があるとみなされた者は、予備役に編入された。上官の命令に従っただけの者に対しても重い処分が検討されたが、「さすがにそれは不当だ」「さすがに何百万人も処分するのは無茶」との意見が多数を占め、大佐以上の階級を持つ指揮官、中佐以上の階級を持つ参謀が予備役編入されるに留まった。その他の者は地方の警備部隊や教育部隊に転出させられた。

 

 クーデターに関与しなかった後方勤務本部長ランナーベック大将、地上軍総監ペイン大将、前首都防衛軍司令官ドナート中将ら一三名の軍高官は、監督責任を問われて予備役に編入された。陸戦隊総監グリーソン中将、大気圏内空軍総監ホッジズ中将ら九名は閑職に回された。

 

 地方反乱軍を出した第四方面管区、第九方面管区、第一一方面管区は再編の対象となった。第四方面管区司令官リリュー中将、第一一方面管区司令官アモーディオ中将は、監督責任を追及されて予備役に編入された。第九方面管区司令官イリインスキー中将は、半年の減給処分のみで現職に留任した。リリュー中将が旧シトレ派、アモーディオ中将が旧ロボス派であるのに対し、イリインスキー中将がトリューニヒト派であったことが処分の差に繋がったと言われる。最大の反乱部隊を出した辺境総軍は解体されたが、司令官ルフェーブル大将は予備役編入を免れた。

 

 グリーンヒル大将ら救国統一戦線評議会幹部の裁判はまだ続いていたが、クーデター関係者の処分は一段落したといえる。

 

 トリューニヒトはクーデターに関わった者の処分と平行して、将官クラスや大佐クラスの人事異動に着手した。政治色の濃い者や過激思想を持つ者が「世代交代」の名目で予備役に編入され、「適材適所」の名目で中央から追放された。

 

 保守的な軍長老の技術科学本部長フェルディーン大将や戦略部長シャフラン大将、アルバネーゼ退役大将と親密な国防委員会事務総局次長ユーソラ中将、ウィンターズ主義派教育者の国防研究所所長ナラナヤン中将、シトレ退役元帥の腹心だった宇宙艦隊副参謀長マリネスク少将、国家救済戦線派の理論家と言われる第一艦隊第三分艦隊司令官ミュラトール少将など、反トリューニヒト的な軍高官が次々と予備役に編入された。三九歳のマリネスク少将、四四歳のミュラトール少将の予備役編入は、世代交代が単なる口実に過ぎないことを物語る。

 

 帝国領遠征軍総司令部の作戦主任参謀だった第一八方面管区司令官コーネフ中将、情報主任参謀だったバンプール星系警備司令官ビロライネン少将といった帝国領遠征の戦犯は、一階級降等の上で予備役に編入された。アムリッツァ会戦で第一二艦隊を使い潰して不評を買った辺境総軍第二分艦隊司令官ブラツキー少将、統括参謀として第三六戦隊を監視した第二四一支援群司令カウナ大佐など、戦犯とはいえないまでも遠征推進に深く関わった者も全員予備役に編入された。

 

 クーデター鎮圧の功労者だった国家救済戦線派のアラルコン少将、ファルスキー少将、ミゼラ准将らは、既に予備役に編入されていた。それに加えて、第一歩兵軍団司令官カヴィス少将、第一空挺軍団副司令官リリエンバーグ准将、第四五歩兵師団長ワン准将らは、世代交代を理由に予備役に編入。第五陸戦軍団司令官代理カンニスト准将、第一〇三歩兵師団長ハッザージ准将らは辺境の警備司令官に転出。国家救済戦線派幹部は首都圏から一掃された。第二大気圏内空軍司令官ロジャー少将ら反戦派将官も首都圏から追放された。

 

 一連の人事によって異動対象となった者は大将から二等兵までおよそ三八一万人、軍を追われた者は将官だけで四一一人に及ぶ。全軍の一割に及ぶ凄まじい粛軍人事である。

 

「まるでラングトン疑惑ではないか。これは民主主義のやり方ではない。独裁だ」

 

 リベラリストの進歩党委員長ジョアン・レベロは、トリューニヒトの強引な粛軍を激しく批判した。例にあげたラングトン疑惑とは、銀河連邦首相となったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦軍統合参謀長クラーク・ラングトン大将を陥れるために仕掛けた陰謀を指す。ラングトン大将の失脚をきっかけに軍部の反ルドルフ派は一掃された。ルドルフを引き合いにしたレベロの激烈な批判も世論の共感を呼ばなかった。

 

「レベロ委員長は軍部にお友達が多いですからねえ。気が気でないのでしょう」

 

 ニュースキャスターのウィリアム・オーデッツは、冷笑を浮かべてレベロと旧シトレ派の親密な関係を皮肉った。

 

「しかし、交友関係は私的な事。軍部改革は公の事。けじめは着けなければいけません。トリューニヒト議長も軍部には多くの友人を持っていらっしゃいますが、心を鬼にして改革に取り組んでおられます。これは軍部を市民のもとに取り返す戦い。議長の戦いではなく、我々市民の戦いであるということを忘れてはならないでしょう」

 

 一転して、オーデッツは厳粛な面持ちになって軍部改革への支持を訴える。「軍部改革は市民の戦い」というのは、最近のトリューニヒトが良く口にする言葉だ。今やマスコミはトリューニヒトの応援団と化していたのである。

 

 

 

 トリューニヒトの苛烈な粛軍人事は、市民の溜飲を大いに下げた。しかし、悪者を追い出したらそれで解決とは行かないのが現実である。空いたポストには、後任を任命しなければ組織は機能しない。粛軍人事と後任人事の両方が成功して初めて、改革を成し遂げたことになるのだ。最初に注目の的となったのは、首脳人事である。

 

 軍部トップの統合作戦本部長クブルスリー大将、ナンバーツーの宇宙艦隊司令長官ビュコック大将は留任した。二人とも監督責任を問われる立場であり、反トリューニヒト派でもある。トリューニヒトとしては、できるものならこの機に排除したかっただろう。しかし、正規艦隊再建という大事業を推進するにあたって、彼らの名声は必要不可欠であった。

 

 統合作戦本部長代理ドーソン大将は、クブルスリー大将の復帰に伴って統括担当次長に戻った。彼もまた監督責任を問われる立場であったが、クーデターの事後処理に振るった手腕が評価され、トリューニヒトの厚い信頼もあって不問とされた。粛軍人事の功績から国防委員会事務総長もしくは統合作戦本部幕僚総監への起用も取り沙汰されているが、当分の間は現職に留まって海賊討伐作戦の指導にあたるものと思われる。

 

 後方勤務本部長には、後方支援集団司令官シンクレア・セレブレッゼ大将が起用された。早くから将来の後方勤務本部長候補と目されていたが、三年前のヴァンフリート四=二攻防戦の失態によって逼塞を余儀なくされた。今年の二月の捕虜交換において、四〇〇万の捕虜を迅速に移送した功績で復活を遂げて、遂に後方部門の頂点を極めた。彼は元々ロボス派だが、中央に呼び戻してくれたトリューニヒトに好意的だった。軍部掌握を狙うトリューニヒト、人事秩序の維持を望む軍部、清新な人事を期待する市民のすべてを満足させる人事であった。

 

 地上軍総監には副総監ギオー中将、技術科学本部長には艦艇技術開発部長シェンク技術中将が昇格し、共に大将に昇進した。両名ともにトリューニヒト派。兵科出身者のポストとされていた技術科学本部長への技術科出身者起用は注目を集めた。

 

 首都防衛軍司令官には、予想通りトリューニヒト派の第七歩兵軍団司令官フェーブロム少将が就任し、同時に中将に昇進。クーデター鎮圧の際には、救国統一戦線評議会に加担した部下に捕らえられて活躍できなかったフェーブロム中将であったが、トリューニヒトに対する忠誠心を評価されて昇進を果たした。

 

 国防委員会事務総局の部長職一一のうち、八つをトリューニヒト派が占めることとなった。クーデター派の牙城となった情報部は徹底的に粛清されて、アルバネーゼ退役大将の系列に連なる生え抜きは姿を消し、憲兵隊と監察総監部から移ってきたトリューニヒト派の人材に占められた。教育部からはリベラルなウィンターズ主義派が追放されて、全体主義的なグリニー主義派が主要ポストを独占した。

 

 軍運営の透明化を掲げるトリューニヒトは、監察と憲兵重視の方針を打ち出した。国防委員会監察総監を中将ポストから大将ポストに格上げし、前辺境総軍司令官ルフェーブル大将を起用。方面管区司令官級だった憲兵司令官を国防委員会部長級に格上げし、通信部長ルスティコ中将を起用。大物の起用によって権威を高めようとしたのである。

 

 統合作戦本部と宇宙艦隊総司令部の幹部ポストにもトリューニヒト派が進出していった。ドーソン大将に勝るとも劣らない神経質ぶりで有名なジェニングス少将の宇宙艦隊副参謀長就任は、特に注目された。宇宙艦隊総司令部の管理機能強化が表向きの理由であったが、ビュコック大将の監視役として送り込まれたのは明らかだった。

 

 ハイネセンに駐屯する艦艇部隊や地上部隊は、一部の警備部隊を除けば対帝国戦に用いられる外征部隊。全軍の中で最も優秀な将兵で構成される精鋭部隊である。しかし、粛軍人事で基幹要員が失われてしまった。トリューニヒトはその穴を自分に忠実な者で埋めようとした。

 

「ほう、二二歳の駆逐艦艦長か」

 

 新聞をめくったジェリコ・ブレツェリ准将は、大して面白くもなさそうに呟いた。今日も俺はブレツェリ家で夕食を食べていた。ギバニッツァというフェザーン風パイを食べ終えてから質問をした。

 

「どんな人ですか?」

 

 予想は付いている。だが、手続きとしてこの質問は必要だった。

 

「市民軍の英雄らしい。ハイネセンポリス決戦の功績で中尉から大尉に昇進して、駆逐艦ナーシサルⅧの艦長代理に就任したそうだ」

「またサプライズですか……」

 

 思わずため息をついてしまった。優秀で忠実な人材など、なかなかいるものではない。そして、トリューニヒトは能力より忠誠心を重視する。トリューニヒトに忠実な者は、資質や経験に関係なく登用された。市民軍に参加して功績をあげた者も登用された。そのため、実戦経験の乏しい者、経験はあるが能力に欠ける者などが多数含まれた。

 

「議長はフレッシュな若手、叩き上げの苦労人、義勇軍で活躍した民間人を好んで抜擢する。どうすれば市民に受けるのか、良くわかっている」

「まあ、確かに市民は喜ぶでしょうが……」

 

 トリューニヒトは「硬直化した軍部人事に風穴を開ける」と称して、大胆な抜擢を行った。「年功序列にとらわれず、優れた者を抜擢する」と言って、二〇代や三〇代の若手を抜擢した。「埋もれていた人材を発掘する」と言って、下士官や兵卒から叩き上げた老軍人を抜擢した。「軍の常識にとらわれない人材を求める」と言って、市民軍で活躍した義勇兵に正規軍階級を授与してポストを与えた。小説であればこのような人事は大成功するのだろうが、俺には不安しか感じられなかった。

 

「若手が滅多に登用されないのは、経験や技能が乏しいからだ。年を取っても埋もれているのは、軍に長年いたのに大した仕事ができなかったということだ。軍が民間人を重用しないのは、軍事が常識の世界だからだ。抜擢すれば才能がいきなり開花する。そんな都合の良い話は、そうそうあるものではない。結局のところ、教育と経験に優る才能は無い。つまらん結論だが、そこそこ年を取ったエリートが一番強いということになるな」

「トリューニヒトは凡人のための政治を標榜し、『凡人は弱い。だから団結しなければならない』と考えている凡人主義者です。団結を乱す非凡さの存在を許せない。だから、非凡なエリートを遠ざけて、凡人を近づけようとしてる。その気持ちは分かるんですよ」

「忠誠心のある凡人を集める。それもそれでひとつの見識ではあるな。なにせ非凡な者は扱いにくい」

「トリューニヒトは信頼関係を大事にする人です。抜擢人事で恩を売りつつ、話題を作ろうとしてるんでしょう。とてもうまい手だとは思います。しかし、限度があると思うんですよ。結束した凡人は強いですが、凡人は何人集めても凡人です。戦争では非凡な人に頼らなければ、勝てない場面もあります。帝国領遠征で第一二艦隊の非凡な人達と一緒に戦って思い知りました。一〇〇万人の俺より、一人のヤン・ウェンリーの方がずっと役に立つ場合もあるんです」

「ほう、ヤン提督や旧シトレ派をそこまで高く評価してるとは意外だな。嫌いだとばかり思っていたが」

 

 興味の色がブレツェリ准将の細い目に宿る。

 

「嫌っているように見えましたか?」

「君とヤン提督はエル・ファシルの英雄で年齢も近い。何かと比較される立場だ。旧シトレ派とは首都防衛軍司令部で衝突した。市民軍には旧シトレ派はほとんど参加しなかった。外野からは確執があるように見えるな」

 

 付き合いの深いブレツェリ准将にも、俺がヤンや旧シトレ派を嫌ってるように見えた。つまり、俺のことを良く知らない人から見てもそのように見えるということだ。これはまずい。

 

「ヤン提督と俺なら、文句なしにあちらが上。比べるのも馬鹿馬鹿しいぐらいです」

 

 俺には味方の血を一滴も流さずにイゼルローンを落とすことは不可能だ。ヤンと同じ策略を使って同じ部下を使ったとしても、やはり不可能だろう。あれはヤンの判断力やリーダーシップがあって初めて可能になるのだ。アムリッツアで見たヤンの戦いぶりも人間業とは思えなかった。比較対象になると思う方が間違っている。

 

「旧シトレ派の人は苦手ですが、戦争では敵いません。大局的な視点で戦略を練る、敵の大軍に何の躊躇もなく立ち向かうなんてことは、俺みたいな凡人にはできないですよ。第一二艦隊の人達の記憶が脳内に残っている限り、旧シトレ派を嫌いになるのは無理です。本当に格好良かったですから」

 

 第一二艦隊のシトレ派軍人は、命を投げ出すことを何とも思ってなかった。苦境にあっても冗談を飛ばす余裕を忘れなかった。理解はできなかったけど、本当に格好良いと思った。ボロディン中将の最後の訓示には、心の底から感動した。理念に賛同できなくても、理念を貫こうとする姿には深い共感を覚えたものだ。

 

「なるほど。それは嫌いになれないな。格好良いと思ったものを嫌うのは無理だ」

 

 ブレツェリ准将は口元に微笑みを浮かべる。

 

「今や俺と旧シトレ派の間は、どうしようもなくこじれてしまいました。彼らは俺のことをトリューニヒトの手先と思っています。誰とは言いませんが、俺に尾行を着けた人もいました。俺自身、第一一艦隊と首都防衛軍では旧シトレ派を引っ掛けて司令部から追放しました。俺は彼らを警戒しているし、彼らも俺を警戒している。俺の仲間は俺が彼らと対立することを期待し、彼らの仲間は彼らに俺と対立することを期待する。こうなると、腹を割って話そうというわけにもいかなくなります。理解はできないし、信用もできないけれど、格好良いとは思う。そんなところです」

「尊敬はしているが、なるべく遠くから尊敬したいと言ったところか」

「ああ、そうです。そんな感じです」

「今さら『尊敬しています』と言ったところで、君の立場なら裏があると思われるのがオチだ。議長はビュコック大将やヤン大将の武勲をいつも讃えているが、誰一人として議長が彼らを本気で尊敬してるとは思っていないからな。遠くから何も言わずに尊敬するのが一番だろう」

 

 ここで「旧シトレ派と腹を割って話せ」なんて無茶を言わず、旧シトレ派の悪口を言って俺に迎合しようともしない。ブレツェリ准将のそんなところが俺は好きだった。ペチェニツァというフェザーン風ソーセージをつまんでから、軽く微笑む。

 

「誰かに好かれたら別の誰かに嫌われてしまう。残念ですが、それが人間関係ですから。ダーシャは良い奴でしたが、それでも万人に好かれるというわけにはいきませんでした」

「あの子は好き嫌いがはっきりしていた。だから、敵も多かった。同期のアッテンボロー提督とは不倶戴天の間柄だったな」

「ああ、良く悪口言ってましたね。根本から合わないようでした。ダーシャと仲良くできる人は、たぶんアッテンボロー提督とは仲良くできない。アッテンボロー提督と仲良くできる人は、ダーシャと仲良くできない。そんな印象を受けましたね。アッテンボロー提督はドーソン大将とも不仲。たぶん、俺とも相性悪いんでしょう。面識はありませんが」

 

 ダーシャは人の好き嫌いが激しい。俺と親しい関係にあるトリューニヒトのことも嫌ってた。しかし、ダーシャと仲良くしつつ、トリューニヒトとも付き合うことはできた。ダーシャも「トリューニヒトは嫌いだけど、トリューニヒトを好きなエリヤは好きだ」と言ってた。しかし、ダスティ・アッテンボローに対する嫌いっぷりは次元が違ってた。「あいつと仲良くできる人間性の持ち主って時点で近寄りたくない」とまで言ってた。誰かに好かれたら、誰かに嫌われる。それは諦めなければならない。

 

「私は彼と少しだけ面識があるが、まあ君とは無理だろうな。君はおよそ反骨精神というものを持ち合わせていないが、彼は反骨精神の塊だ。君は愚直だが、彼は怜悧だ。正反対でも仲良くできる者はいるが、この組み合わせはそうもいかんだろう」

「遠くから何も言わずに尊敬するぐらいがちょうどいいんです。実績ある名将なのは事実ですし」

「君は用兵が下手だが、彼は天才的だ。どこまでも対照的だな」

「ほっといてください。気にしてるんですから」

 

 俺が軽くむくれると、ブレツェリ准将は苦笑した。

 

「しかし、君もこれから正規艦隊司令官だ。用兵が下手だなどとは言ってられないぞ。無能な指揮官は人殺しに等しいからな」

「ええ、頑張らないと……」

「それもあの名誉ある第一二艦隊の司令官。ボロディン提督の名を辱めない戦いをせんとな」

「そうなんですよね」

「随分浮かない顔をしてるな。どうした?」

「第一二艦隊は思い入れのある艦隊。その司令官を拝命するのは、この上ない名誉。しかし、ボロディン提督の名を辱めない戦いができるかどうか、不安でたまらないのです。第一二艦隊に加わる部隊の訓練を視察しましたが、酷いものでした。将兵の技量、指揮官の運用能力ともにかつての第一二艦隊の足元にも及びません」

 

 第一二艦隊司令官に内定した俺は、運用構想を練るために、個艦単位、群単位、戦隊単位の訓練をそれぞれ視察した。しかし、粛軍人事で基幹要員がことごとく入れ替えられてしまったせいか、驚くほどが動きが悪かった。去年の帝国領遠征で戦ったラインハルトの部下よりずっと酷い。それに加えて戦意も低かった。

 

「仕上げるまでどれぐらい時間がかかりそうだね?」

「参謀長は三年かかると言っていました。かなり甘く見積もって三年だそうです」

「どんなに遅くとも、帝国内戦は年内に終わると言われてるな。敵が内政に二年を費やしたとしても、間に合わない計算か」

 

 ブレツェリ准将の予測は彼独自のものではなく、同盟とフェザーンの専門家が等しく共有する常識的なものだった。

 

 七月にシャンタウ星域で初めての戦術的勝利を得た保守派貴族軍であったが、フェザーンルートを遮断された影響は大きく、戦力の補充もままならなくなった。物量任せの消耗戦を継続できなくなった保守派貴族軍の前線はじりじりと後退していき、八月には本拠地ガイエスブルク要塞の周辺まで改革派軍の部隊が姿を見せるようになる。数日間にわたる小競り合いの後、両軍の主力はついに衝突した。激戦の末に改革派軍が大勝利を収めたが、保守派貴族軍の主力を壊滅させるには至らなかった。

 

 優勢にある改革派軍は内戦前半の消耗戦で疲弊しており、保守派貴族軍を攻めきれずにいる。保守派貴族軍も侮り難い戦力を残してはいるものの、改革派軍の主力を撃破する力はなかった。両軍ともに決め手を欠いたまま、ガイエスブルグ要塞周辺で睨み合いを続けた。純軍事的に見れば、内戦は膠着状態に入ったかに見える。しかし、経済的にはそうでは無かった。

 

 四か月にわたる内戦は、帝国経済に深刻な影響をもたらした。両軍ともに大金を投じて軍需物資を買い集めたために生活必需品が急騰し、民衆生活を窮迫させた。保守派貴族私兵軍の通商破壊、改革派軍のフェザーンルート攻撃による流通路の遮断は、さらなる窮迫をもたらした。自給能力を持たない単一農業惑星や鉱山惑星は飢饉に見舞われて、多くの餓死者が出た。帝国内地の工業地帯では生産活動が大幅に縮小され、失業者が街頭に溢れた。

 

 民衆の不満が高まる中、保守派貴族軍は増税に踏み切った。最大の資金源だったフェザーンルートはキルヒアイス上級大将によって遮断され、保守派貴族軍不利と判断した帝国国内の金融業者も貸し渋りを始めた。彼らが頼れる資金源は、税金しか残されていなかったのだ。しかし、去年の一時的な辺境失陥及び帝国内地の大反乱、そして目の前で起きている保守派貴族軍の敗北は、帝国と貴族の支配が絶対的なものでないことを民衆に教えた。保守派貴族軍の支配地域において、相次いで民衆が蜂起した。

 

 今やブラウンシュヴァイク公爵直轄領の惑星ヴェスターラントですら、代官のシャイド男爵が民衆反乱軍に追放される有様。保守派貴族軍は足元から崩れつつある。前の歴史と違ってシャイド男爵は生きているらしく、ヴェスターラントの虐殺が起きる気配はない。それでも、保守派貴族軍がそう長くないのは明らかである。しかし、改革派軍も保守派貴族軍の自壊をのんびり待っていられる状況ではなかった。民衆の窮乏は彼らの支配地域でも起きているのだ。不満が爆発する前に決着を着けなければならない。だから、専門家は「遅くとも年内に終わる」と予測しているのだ。

 

 改革派軍と保守派貴族軍のどちらが勝ったとしても、勝者は圧倒的な権威のもとに新体制を築き上げるだろう。専門家は新体制構築が完了するまでの期間を一年から二年と予測した。これまでの戦闘の推移から、内戦に参加している帝国正規艦隊はさほど損害を受けずに済むものと思われる。二年間で同盟の戦力が帝国に追いつくのは、絶望的であった。

 

「一人前の下士官を育てるには一五年、一人前の艦長を育てるには二〇年かかると言われます。今は戦時中ですので五年は短くなりますが。予備役に回された人、辺境に飛ばされた人を呼び戻さなきゃ、ちゃんと動ける艦隊は作れないですよ」

「だが、それは議長が認めんだろう」

「そうなんですよ」

 

 考えれば考えるほど溜め息が出る。新艦隊の編成にあたって、俺はかなり大きな裁量権を与えられた。普通の司令官は参謀と専門スタッフしか選べないが、現時点で新艦隊の司令官に内定した五名は一から艦隊を作っていくという特殊な立場にある。そのため、分艦隊司令官から群司令まで選ぶことを許された。

 

 俺は用兵能力が低い。だから、オーソドックスな運用でも十分戦える指揮官を配下に揃える必要があった。だが、国防委員会が用意した候補者リストに載っている人材は、経験が浅い若手、経験はあるが意欲と能力に欠けるロートル、上の受けは良いが部下の受けが良くない者ばかり。粛軍人事によって飛ばされた者は、リストから除外されている。

 

 粛軍人事で飛ばされなかった者のうち、それなりに優秀な者は他の司令官内定者四名との取り合いになる。そうなると、個人的なコネが物を言う。俺は他の四名と比べると、正規艦隊での勤務経験が少ない。そのため、優秀な人材を見付けても他の四名に取られてしまう。来てくれたのはエル・ファシル動乱の際に俺の上官だった前マルーア星系警備司令官アーロン・ビューフォート少将、市民軍で共に戦った前第六五戦隊司令官ファビオ・マスカーニ少将のみだった。

 

 困り果てた俺は国防委員会と談判して、粛軍人事で飛ばされた人材も候補者リストに加えるように頼んだ。今は亡きルグランジュ率いる旧第一一艦隊には、優秀な人材が多かった。彼らを呼べたら、ルグランジュ中将との約束も果たせる。だが、「それはできない」の一点張りだった。トリューニヒトやドーソン大将やロックウェル大将にも頼んでみたが、やはり駄目だった。そんなわけで自分の手足となるべき指揮官を消去法で選ぶという不毛な作業を強いられていた。

 

「他の司令官も人選には苦労しているらしい。モートン提督は直轄の三個戦隊をすべて大佐に指揮させるとか聞いたな」

「随分思い切ったことしますね」

「司令官を空席にして、副司令官の大佐に代理をさせるそうだ。君が首都防衛軍を指揮した時と同じだな。モートン提督がいた第九艦隊系の部隊には、粛軍で飛ばされた者が多い。残った者もほとんどは元司令官のアル・サレム提督に引っ張られてしまう。少ない手駒を有効活用する苦肉の策だろう」

「うまい手ですね。俺も考えておきましょう」

 

 この手を使えば、准将に分艦隊、大佐に戦隊、中佐に群を指揮させることができる。多用しすぎるのはまずいが、一階級下の者も候補にできるのはありがたい。

 

「まあ、編成が決まるまでは、皮算用にすぎんがな。六万隻で一万二〇〇〇隻の艦隊を五つ編成するか、一万隻の艦隊を六つ編成するか。ずっと揉めてるだろう?」

「今後の国防戦略の方向性に関わる問題ですからね。議論を尽くすに越したことはないですよ」

 

 部隊編成によって、採用できる戦略や戦術も変わってくる。だから、簡単に増やしたり減らしたりするわけにはいかない。同盟軍の正規艦隊は平均すると一万三〇〇〇隻前後。一万二〇〇〇隻の艦隊を五つ編成すれば、従来通りの運用ができる。一万隻の艦隊を六つ編成すれば、運用も大きく変わる。

 

 一万隻の艦隊を六個編成するように主張したのは、国防政策全般を担当する国防委員会戦略部だった。彼らは帝国領遠征の戦訓から、「国土内での防衛戦争は、艦隊決戦ではなく補給線の遮断によって決する」と結論づけた。そして、これまでバーラトに集中していた艦隊母港を地方に分散させて、平時は航路保安に従事するものとした。小編成の艦隊による国土防衛戦略。それが戦略部の唱える新戦略構想だった。

 

 一方、同盟軍の戦力運用計画を担当する統合作戦本部作戦参謀部は、一万二〇〇〇隻の艦隊を五つ編成するように主張した。彼らはアムリッツァ会戦の戦訓から、「主力決戦が最終的な勝敗を決する。帝国艦隊との正面戦闘に耐えうる打撃力と防護力を確保するためにも、従来型に近い編成を維持するべきである」と結論づけた。国内航路の中心にあるバーラトにすべての正規艦隊を置き、敵が攻めてきたら迅速に国境に展開させて阻止する水際決戦戦略。ダゴン星域会戦以来の実績を誇る防衛戦略の堅持を作戦参謀部は訴えた。

 

 戦略部の新戦略構想は、トリューニヒト派に支持された。補給線の確保及び遮断は、トリューニヒトの支持者が多い地方部隊の航路保安任務に通じるところがある。正規艦隊を地方に常駐させるというのも国内治安重視のトリューニヒト派好みだった。

 

 作戦参謀部の構想は、旧シトレ派に支持された。旧シトレ派は正規艦隊経験者が多く、従来通りの運用で力を発揮できる。また、「軍隊は市民を守るもの。戦闘に市民を巻き込んではならない」という旧シトレ派のノーブレス・オブリージュは、有人惑星が多数存在する星域での戦闘も辞さない新戦略構想を容認できなかった。治安維持に正規艦隊を用いるのも、リベラルな旧シトレ派には受け入れられないことだった。

 

 どちらが正しいのかは、俺には判断がつかなかった。前の歴史の本には、こんな議論は載ってなかった。それに同盟の持ってる艦隊戦力に大きな差があって、前の歴史で通用した戦略がそのまま通用するとは限らない。五個艦隊もしくは六個艦隊もあれば、二度にわたるラインハルト・フォン・ローエングラムの同盟領遠征の展開はまったく違っていたはずだ。ラグナロック戦役において同盟軍が急遽編成した第一四艦隊と第一五艦隊が一万隻編成だったはずだが、会戦用の決戦戦力だから、新戦略構想の判断材料とはならない。

 

 意地の悪い人は、「トリューニヒト派は三つ目の艦隊司令官ポストが欲しくて、一万隻構想を支持しているのだろう」などと言う。現時点で新艦隊司令官に内定している五名のうち、俺を含む二名がトリューニヒト派、一名が旧ロボス派、一名が旧シトレ派、一名が派閥色の薄い人物だった。六個目の艦隊司令官ポストをトリューニヒト派が手に入れたら、正規艦隊でのトリューニヒト派の勢力は圧倒的なものになる。しかし、そんな次元で国防戦略の方向性に関わる議論をやっているとは、あまり思いたくない。その可能性を完全に否定できる材料がないのが残念だが。

 

「だが、早く決めてもらわんと困るぞ。海賊のせいで物価はどんどん上がっている。宅配便も以前の倍以上時間がかかるようになった。早く正規艦隊を編成して、海賊を討伐してほしいものだ。不便で不便でたまらん」

「すぐに動ける正規艦隊は、第一艦隊だけですからね。フェザーン方面に一個艦隊、イゼルローン方面に一個艦隊を派遣するとしても、新しい艦隊が最低一つは必要です」

 

 ため息が出そうになったため、マフィンを食べて糖分を補給した。治安に強いのを売りにしてきたトリューニヒトにとって、海賊討伐作戦は最優先事項のはずだ。市民も海賊対策の遅れに苛立っている。一体どうするつもりなのだろうか。第一一艦隊を解散しなければ、さっさと海賊を討伐できたのに。どうも、最近のトリューニヒトの考えることはわからない。

 

 

 

 トリューニヒトから通信が入って来たのは、ブレツェリ家で夕食を食べて帰って間もなくの事だった。

 

「やあ、エリヤ君。時間はあるかな」

 

 いつもと変わらない暖かいトリューニヒトの笑顔。どんなに不満を感じても、この笑顔一つで心が溶けてしまうのだから、本当に俺は現金だ。

 

「ええ、大丈夫です。どんなご用件でしょうか?」

「海賊討伐作戦の指揮を君に頼みたいと思ってね。イゼルローン方面航路を担当してもらう」

 

 買い物を頼む時のような気軽な口ぶりだったため、一瞬何を頼まれたのかわからなかった。海賊討伐作戦の指揮なんて、クブルスリー大将やドーソン大将のような大物がやるような大任ではないか。動揺を抑えつつ、質問をする。

 

「艦隊編成の目処がついたんですか?」

「ついてないよ」

「では、編成後に俺が指揮をとることになるのでしょうか?」

「市民は一日も早い問題解決を望んでいる。悠長に待っている暇はない」

 

 正規艦隊は編成しないが、海賊討伐は始める。一体何を考えているのか。俺には飲み込めない。

 

「海賊討伐のために任務部隊を臨時編成する。『イゼルローン方面派遣艦隊』。それが君の率いる部隊だ」

「臨時編成ですか?」

「そうだ。国防委員会と相談しながら編成したまえ。ネグロポンティ君には、なるべく君の希望を叶えるように話しておこう」

「わかりました」

「派遣艦隊は司令官直属部隊と四個分艦隊の一万隻編成。配下の分艦隊は司令官直属部隊と三個戦隊の二〇〇〇隻編成。戦隊は五〇〇隻編成で頼む。任務が終わっても解散するのがもったいないような良い部隊を作ってもらいたい」

 

 トリューニヒトは物凄く人の悪い笑いを浮かべた。要するに臨時編成の任務部隊を一万隻編成で作らせて、遠征終了後に正規艦隊に衣替えさせるつもりなのだろう。そうやって、戦略部の一万隻編成六個艦隊構想を既成事実化してしまうつもりなのだ。

 

「期待しているよ、エリヤ君」

 

 とんでもない人だと思いつつ、笑顔を向けられるとつられて笑ってしまう。この人には本当に敵わない。そう思わずにはいられなかった。こうして、俺はイゼルローン方面派遣艦隊の編成と海賊討伐を引き受けることになった。


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