銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

145 / 146
第百二十八話:イゼルローン方面派遣艦隊始動 宇宙暦797年9月3日~10月上旬 統合作戦本部~仮司令部~派遣艦隊旗艦ゲティスバーグ

 九月三日、自由惑星同盟政府は海賊討伐作戦「正義の鉄槌」を発表した。イゼルローン、フェザーン、エリューセラ、ロンドニアの四方面にそれぞれ一万隻の艦隊を派遣し、地方部隊と協力して海賊討伐を行う。二年前に実施された海賊討伐作戦「終わりなき自由」をも上回る同盟史上最大規模の治安出動である。

 

 反戦市民連合や進歩党などの反戦派は、二年前の治安出動の際に起きた数々の不祥事を例にあげて、「軍による国民弾圧に道を開く」と反対した。

 

「私は二年前の治安出動に賛成票を投じた。非常時には非常の手段もやむを得ない。そう考えたのだ。だが、それは誤りであった。治安回復の大義名分のもとに、軍人の非行、組織的な人権弾圧がまかり通った。あの時に投じた賛成票は、二〇年の政治家人生の中で最も悔やむべき一票であったと悔やんでいる。二年前の過ちを繰り返してはならない。私は治安出動に反対の意志を表明し、もって政治家としての責任を果たすものである」

 

 進歩党委員長ジョアン・レベロはこのように述べて、治安出動反対の論陣を張った。反戦派議員は次々と演壇に立ち、長時間の演説をして議事進行を阻止した。議事妨害は少数党による一種の調整要求である。議事妨害が行われたら、多数党と少数党の間で意見調整が始まるのが同盟議会の慣例だった。しかし、与党国民平和会議は、「市民は迅速な問題解決を求めている」として、調整要求に応じずに採決を強行。治安出動は賛成多数で可決された。海賊討伐を望む世論もこれを受け入れた。

 

 かつてルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは自派の圧倒的な議席数を背景に強行採決を濫発して権力を強め、銀河連邦を簒奪するに至った。その反省から、同盟では少数党による議事妨害は多数党の専制を防ぐ手段として広く受け入れられてきた。帝国領遠征の際も遠征反対派が議事妨害を行って、遠征推進派に抵抗している。強行採決が世論に受け入れられるのは、極めて異例な事態であった。

 

 一部の反戦派系を除くマスコミは海賊討伐作戦を肯定的に報じて、応援ムードを盛り上げた。市民の圧倒的な支持を背景に、関連予算もあっさり議会を通過。強烈な追い風を背に討伐軍の編成は進んでいった。

 

 イゼルローン方面派遣軍総司令官と派遣艦隊司令官を兼ねる俺に与えられた戦力は、艦艇一万六〇〇隻、将兵百二七万人に及ぶ。七八〇年代から九〇年代前半にかけて建造された主力世代艦が中心となり、ここ三年で建造された新世代艦が加わる。その他、拠点制圧を担当する地上部隊は二三万人、補給や整備などにあたる支援部隊は一一万人。予算も装備も潤沢でハード面の不安はない。

 

 問題はソフト面だ。公式には気鋭の若手、叩き上げのベテラン、市民軍の英雄、忠実な愛国者で構成された精鋭部隊ということになっている。だが、気鋭の若手とは実戦経験に乏しい者のことであり、叩き上げのベテランとは経験があるが意欲に乏しい者であった。市民軍の英雄とはクーデター鎮圧の功績によって実力以上の地位を得た者のことであり、忠実な愛国者とは愛国心をアピールするのが上手なだけの者であった。

 

「練度は劣悪、戦意も低く、協調性にも欠けています。軍規違反者は再編前と比べると倍増、勤務能率は三〇パーセント低下しました。どうにかなりませんか?」

 

 俺は統合作戦本部統括担当次長クレメンス・ドーソン大将に、イゼルローン方面派遣艦隊に編入される予定の部隊のデータを示した。

 

「新人事基準で規範意識と忠誠心のある者を選りすぐった。結束力のある精鋭部隊ができるはずだったのだがなあ……」

 

 困った表情のドーソン大将は口髭をひねる。彼がトリューニヒトの命令を受けてロックウェル大将や国防委員会人事部とともに作成した新人事基準は、従来よりも忠誠心、愛国心、従順性、規範意識などを重視したものだった。しかし、このような精神的な部分を客観的に判断するのは困難である。そうなると、仕事そっちのけでアピールに励む者、要領の良い者ばかりが評価される。真面目な者を集めようとして、かえって不真面目な者ばかりが集まった。

 

「予備役に編入された者、地方に飛ばされた者を呼び戻すわけにはいきませんか?」

「それはできん。忠誠心に欠ける者を能力本位で登用した結果が、アルバネーゼとラッカムの麻薬組織、去年の帝国領遠征、そして今年のクーデターだ。軍閥の暴走は許さないという姿勢を徹底せねば、軍は市民の信頼を完全に失う」

 

 ドーソン大将はきっぱりと言った。トリューニヒトとともに政治主導の軍部を作ろうと戦ってきた彼にとっては、忠誠心が疑わしい者の復帰は断じて認められないのだ。俺が強気だったら、「負ければ信頼を失います」と言い返したかもしれない。だが、小心者の俺には、すがるような目でドーソン大将を見ることしかできなかった。

 

「いかがいたしましょう?」

「前政権の人員整理によって予備役に編入された者には、愛国的な者も多い。彼らを現役に復帰させるよう、国防委員会に依頼しよう。しばらく現場から離れているが、それでも十分戦力になるはずだ」

「ありがとうございます」

 

 さすがはドーソン大将だ。すぐにトリューニヒトと俺の両方が満足できる解決策を思いついてくれた。

 

「明らかに忠誠心に欠ける者と入れ替える。至急リストアップするように」

「わかりました」

「あとは捕虜交換から戻った正規艦隊経験者を優先的に配属しよう。イゼルローン方面派遣艦隊は議長閣下の理想とする新しい軍隊のモデルケース。貴官には何としても功績を立ててもらわねばならんからな」

「議長閣下と次長閣下の期待を裏切らぬよう、努力いたします」

「貴官には説明するまでもないだろうが、海賊討伐作戦は艦隊のみで戦うものではない。地方部隊との協力も重要になる。協力体制を築くのもまた派遣艦隊司令官の任務に含まれる。艦隊を指揮するよりもずっと重要な任務かも知れん。なにせ地方部隊には忠誠心が疑わしい者が多い。そのような者を使うのは、並大抵の苦労ではなかろう。やはり、能力本位の登用はよろしくないな」

 

 急に声を低くして、わざとらしい口調でドーソン大将は念を押す。彼が何を言いたいのか、鈍い俺にも理解できた。粛軍人事によって、地方部隊の人材の質は向上した。艦隊の質が不安なら、地方部隊を活用しろと言外に言っているのだ。

 

「肝に銘じておきます」

「国土を面に見立てて防衛する新戦略構想では、正規艦隊、地方部隊、行政、市民が一体となった協力体制が不可欠となる。貴官が市民軍で見せた調整手腕に期待している」

「ご指導ありがとうございました」

 

 深々と頭を下げた。最近のドーソン大将は粛軍人事で評判を落としているが、身内への優しさは昔から変わらない。彼が元上官だったことに心の底から感謝した。

 

「まあ、誰も貴官の用兵には期待しておらんからな」

 

 ドーソン大将の付け加えた余計な一言が心に突き刺さった。どうしてこの人は無駄に嫌味なのだろうか。感謝の気持ちがほんの少しだけ薄れるのを感じながら、次長室を退出した。

 

 再招集された予備役軍人と正規艦隊経験者の帰還兵の加入によって、イゼルローン方面派遣艦隊の質はだいぶ向上した。だが、長らく第一線から離れていた者を中核に据えても、正規艦隊のような動きは期待できない。質の問題を完全に克服するのは不可能であった。

 

 将兵の質に問題があるならば、せめて運用で補わなければならない。参謀長チュン・ウー・チェン少将、副参謀長セルゲイ・ニコルスキー准将、作戦部長クリス・ニールセン大佐、情報部長ハンス・ベッカー准将、人事部長リリヤナ・ファドリン大佐、後方部長オディロン・パレ大佐など、おなじみの面子を参謀チームの上層部に起用。部隊規模の拡大にともなって、参謀の人数は三倍以上に増えた。俺の知り合いだけでは数が足りず、チュン少将に旧シトレ派、ニコルスキー准将に旧ロボス派の知り合いを集めてもらって、ようやく人員を確保した。

 

 指揮官人事は思い通りにならなかった。直轄部隊二二〇〇隻は俺自身、第一分艦隊二三〇〇隻は派遣艦隊副司令官を兼ねる前第二方面巡視艦隊副司令官ジョゼフ・ケンボイ少将、第二分艦隊二〇〇〇隻は前マルーア星系警備司令官アーロン・ビューフォート少将、第三分艦隊二一〇〇隻は前第六五戦隊司令官ファビオ・マスカーニ少将、第四分艦隊二〇〇〇隻は前ケイマン星系警備司令官ハイメ・モンターニョ少将がそれぞれ率いる。

 

 四名の指揮官のうち、ビューフォート少将は信頼できる。エル・ファシル警備艦隊にいた時の上官で、俺に艦隊指揮の基礎を教えてくれた人物だ。エル・ファシル危機においては、星系警備司令官代行を務めて内戦を防いだ。前任地のマルーア星系でも海賊討伐に実績をあげた。リーダーシップ、用兵、運用のすべてに優れ、対海賊戦の経験も豊富。いち早く反クーデターを表明したこともあって、トリューニヒトの覚えもめでたい。人格、能力ともに派遣艦隊の中核として期待できる提督である。

 

 マスカーニ少将は、第六五戦隊を率いて市民軍の最初期から参加し、主力の一翼を担った。主に正規艦隊でキャリアを積み、帝国領遠征では第八艦隊に所属した。用兵は柔軟性に欠けるが、堅実な運用能力を持つベテラン提督である。分艦隊レベルではリーダーシップや運用能力が人並み以上にあれば、十分に通用する。

 

 問題はケンボイ少将とモンターニョ少将である。ケンボイ少将は「軍規に厳しい」と評判だったが、実際は厳罰主義が行き過ぎて将兵を萎縮させるタイプの提督。モンターニョ少将は「忠実で献身的な勇将」と評判だったが、実際は部下を酷使して実績をあげるタイプの提督。どちらも指揮能力は高いし、上の受けも良いが、リーダーシップに問題がある。旧人事基準では准将でキャリアを終えていたはずだ。それが忠誠心重視の新人事基準では、昇進の対象となった。新人事基準で作られたリストの中から、一番優秀そうな者を選んだのが仇となった。

 

 戦隊司令官人事も妥協の連続であった。同盟軍人の一万人に一人しかいない将官は、すべて実力と実績の両方が飛び抜けた選ばれし者である。しかし、帝国領遠征や粛軍人事によって多くの人材が失われ、将官に至る門がいささか広くなった。その結果、本来ならば将官に成り得ない人材が大挙して門を潜り抜けた。大佐に長く在任したにも関わらず実績に乏しく、数年後の予備役編入が確実視されていた者。実績はあるが、資質の欠如から昇進を見送られた者。資質はあるが実績も経験も十分でないために、将官昇進はまだ早いと思われる者。そんな者が新たに将官となったのだ。

 

 古参の准将で粛軍人事の対象にならなかった者でも、能力の高い者は要職に就いていて簡単には動かせない。大佐までは飛び抜けた実力者だったが、将官としては物足りない。簡単に動かせる古参の准将は、そんな者ばかりである。

 

 能力のある者を選べない以上、より無難な者を選ぶしかない。二線級の人材が名を連ねる候補者リストの中から、トラブルを起こしそうにない者、俺や分艦隊司令官との意思疎通ができそうな者を選んだ。それに再招集された予備役将官や捕虜交換で返ってきた将官を若干名加えて、イゼルローン方面派遣艦隊の上級指揮官人事は固まった。

 

 支援部隊指揮官には、モンテフィオーレ基地兵站集団司令官ジェリコ・ブレツェリ准将が就任した。ダメ元で国防委員会に希望を伝えたら、あっさり通ってしまったのだ。俺との特別な関係が考慮されたらしい。個人的に親密で後方支援の実績もあるブレツェリ准将の就任は、珍しく満足できる人事であった。

 

 イゼルローン方面派遣軍副司令官を兼ねる地上部隊総司令官には、前第一五陸兵師団長ロマン・ギーチン少将が就任した。市民軍で活躍した彼は、トリューニヒトが派閥の看板として期待している若手将官である。何としても武勲を立てさせたいというトリューニヒトの意志がはたらいているのは、言うまでもない。

 

 トリューニヒトが押し込んできた市民軍の英雄は、ギーチン少将だけではなかった。「市民軍を率いたエリヤ・フィリップスの下に、再び市民軍の英雄が集って活躍する」というドラマを演出したいのであろう。あまり有り難くはないが、トリューニヒトは俺のスポンサーだ。予算だけ貰っておいて、意向を無視するのは不誠実というものであろう。五か月前に市民を熱狂させたフェレンツ・イムレ大佐、ファン=バウティスタ・バルトゥアル少佐、ネルソン・ハーロウ大尉、アルベルタ・グロッソ准尉といった人々がイゼルローン方面派遣軍に名を連ねることとなった。

 

 シェリル・コレット大佐とエドモンド・メッサースミス大佐も引き続き俺の下で働くことになった。俺としては参謀としての経験を積ませたかったのであるが、トリューニヒトが二人に俺直属の指揮官としての活躍を期待したため、駆逐群を指揮させることにした。戦艦群や巡航群の数倍の艦艇を動かす駆逐群は、艦隊用兵の基本を習得するにはちょうどいい。

 

 あのエリオット・カプランも俺の元で再び働くことになった。トリューニヒトはカプランと面会してからすっかり気に入ってしまったらしく、統合作戦本部に転属させようとする伯父の国務委員長アンブローズ・カプランの意向をはねつけて、イゼルローン方面派遣艦隊に押し込んできた。俺直属の指揮官として武勲を立てさせるつもりでいるつもりなのは、言うまでもない。

 

 カプランを直属で使いたくなかった俺は口実を作ろうと思って、シェリル・コレットに「カプランと一緒に働きたいか」と質問した。カプランが第三六戦隊にいた頃、まだ太っていた彼女に体重を質問するというとても失礼な真似をやらかした。コレット大佐が拒否したら、それを口実にカプランをビューフォート少将にでも預けるつもりでいたのだ。

 

「カプラン君ですか?」

 

 コレット大佐の吊り目気味の目がきらきらと輝いた。彼女の目がこんなふうに輝くのは、喜んでる時だ。意外な反応に驚きつつ話を続ける。

 

「どうかな?」

「いつ戻ってくるか楽しみにしてたんですよ。そろそろかなあと思ってたんです」

「えっ!?」

「第三六戦隊で最初の友達ですから」

「そうなのか?」

「まだ人見知りしてた頃の私に、話しかけてきてくれたのが彼だったんですよ」

「言われてみれば、帝国領遠征の前の大佐はあまり人と話さなかったなあ」

「トレーニングのやり方とか、色々教えてくれて」

「そ、そうか……」

 

 こんなに嬉しそうな顔をされては、手も足も出なかった。カプランが俺の直属になることを伝えて、コレット大佐をさらに喜ばせる以外の道は、俺には残されていなかったのである。

 

 カプランが戻ってくることが確定したとなると、今度は配置を考えなければならない。あんな奴ではあるが、階級は大佐だ。旗艦級戦艦の艦長、もしくは群司令でなければ釣り合わない。なるべく迷惑を掛けない配置を必死になって考えた。

 

「司令官閣下がお悩みになるお気持ちはわかります。カプラン大佐に戦艦群を任せて砲戦を経験させるか、巡航群を任せて機動戦を経験させるか、駆逐群を任せて防御戦を経験させるか。あるいは旗艦級戦艦を任せて操艦をさらに勉強させるか。私が閣下でも迷うでしょう」

 

 俺の相談を受けた人事部長ファドリン大佐は、大きすぎる胸を抱え込むように腕を組み、悩ましげにため息をついた。どうやら、彼女は本気で迷っているらしい。

 

「人事部長はどう思う?」

「私には人を見る目がありません。カプラン大佐を最も理解なさってる閣下に判断いただきたく思います」

 

 残念そうに首を振るファドリン大佐。カプランが第三六戦隊で人事参謀をしていた頃、彼女は人事副部長だった。女性は仕事ができない者を露骨に嫌う傾向が強い。ファドリン大佐もその例に漏れず、カプランを嫌っていた。しかし、クーデターの終盤の活躍で見直したらしく、今は「人事なのに人を見る目がなかった」と後悔しきりだった。

 

 そして、俺は人を見る目があるということになっている。カプランを参謀チームから追い出すために、「リーダーシップがある」「指揮官向きだ」と嘘をついて回った。駆逐艦艦長になったカプランが俺の意図と全く関係ないところで活躍したせいで、「フィリップス提督はカプランの才能を見抜いて艦長に転出させたのだ」ということになってしまった。困ったことにカプラン本人までそう信じ込んでしまってるのだ。今や俺はカプランの最大の理解者ということになっていた。

 

「そう簡単には決められないよ」

 

 あんないい加減な人間をどう扱えばいいのか、俺にはさっぱり分からない。

 

「人事資料をもう一度ご覧になりますか?」

「頼む」

 

 ファドリン大佐からカプランが駆逐艦艦長だった頃の人事資料を受け取って目を通す。「リーダーシップがある」「仕事熱心」「期待度大」などといった褒め言葉が並ぶ。否定的な評価は「経験浅く、技能に劣る」ぐらいだが、これも「自分の手でじっくり育てたい素材」と続く。俺がこの目で見た印象と人事資料の評価がさっぱり結びつかないのだが、俺以外の人間が全員褒めているからには、やはりカプランは何らかの能力があるのかもしれないと思い直した。

 

「ゲティスバーグの艦長なんていかがでしょう?操艦経験を積みつつ、閣下の用兵を直に学ぶにはちょうど……」

「それはやめとこう」

 

 即座に却下した。旗艦ゲティスバーグの艦長には俺の命を預けられる人間を選びたい。カプランが役に立つ人間だとしても、旗艦の艦長だけは勘弁してほしい。

 

 いくら考えても、カプランにどの部隊を任せるべきか判断がつかなかった。結局自分では決められず、チュン少将と相談して、カプランに第二九一戦艦群司令を任せることに決めた。

 

 アルマは第八強襲空挺連隊第三大隊長として、イゼルローン方面派遣軍に加わる。第八強襲空挺連隊はクーデターに参加したにも関わらず、前連隊長ペリサコス大佐と側近数名が逮捕されるに留まり、再編は行われなかった。新連隊長ジャワフ大佐がどんな取引をしたのかはわからないが、第八強襲空挺連隊はトリューニヒトに忠誠を誓い、海賊討伐に参加することとなったのである。

 

 副官は市民軍の時と同じくユリエ・ハラボフ中佐が務める。彼女の続投が決まるまでには、紆余曲折があった。

 

「もう一度言ってくれないかな?」

「ですから、仕事に私情を挟みたくないと申しました」

 

 イゼルローン方面派遣艦隊編成が決まった当日に、副官就任依頼の通信を入れた。すると、拒否の返事が返ってきたのだ。彼女が俺を見る時の冷たい目を思い出す。あまりに頼りなさすぎて、愛想を尽かしてしまったのだろうか。

 

「やはり俺は上官として頼りなかったか」

「そんなことはありません」

「君が俺に対して抱く感情なんて、他に思い当たらないぞ。確かに君みたいなしっかりした人から見れば、俺は頼りない上官だ。それは認める」

 

 何も映っていないスクリーンに向かって話しかけた。彼女は今回も三月末の時と同じく画像をオフにして、音声のみで俺の通信に応じている。表情が見えないのが不安をかき立てる。

 

「頼りないとは思っておりません」

 

 まったく抑揚のない声が真っ暗なスクリーンの向こうから帰ってくる。頼りないと思っているのでなければ、嫌いということなのだろうか。しかし、提督が部下に「俺のことを嫌いなのか」と聞くなんて、さすがにみっともなさすぎる。

 

「とにかく、副官を任せられるのは君しかいないんだ。これからも俺を助けてくれないか。頼りない上官だからこそ、君の補佐を求めている。そう思ってくれて構わない」

 

 副官になってもらえなければ困るという気持ちを言葉に乗せて、スクリーンの向こうに送る。返事は返ってこない。一分、二分と時間が過ぎていく。真っ暗な画面の向こうにいる彼女は、一体どんな顔をしているのだろうか。いつもの冷たい表情でいいから見せて欲しい。何もわからないというのは、小心者の俺にはこたえる。

 

「お引き受けします」

 

 その返事が返ってきたのは、五分が過ぎた頃だった。こうして、ユリエ・ハラボフ中佐は再び俺の副官となったのである。

 

 文民の専門家からなる治安アドバイザーチームの編成、現地義勇兵の活用など、二年前の海賊討伐作戦では用いられなかったアイディアも交えつつ、俺はイゼルローン方面派遣艦隊を編成していった。

 

 

 

 イゼルローン方面派遣艦隊の編成が終わったのは、九月半ばの事だった。それから半月掛けて訓練を行い、一〇月一日にハイネセンを出発した。それと前後して、フェザーン方面派遣艦隊、エリューセラ方面派遣艦隊、ロンドニア方面派遣艦隊も出発した。

 

 最初の目的地であるカナンガッド星系に到達したイゼルローン方面派遣艦隊は、分艦隊ごとに分かれて周辺星系への展開を開始。星系に入った部隊は、戦隊単位に分かれて星系内航路の要衝に展開。戦隊はさらに群単位に分散して警戒にあたる。

 

 二年前の海賊討伐作戦においてイゼルローン方面の平定を担当したドーソン提督は、作戦宙域を一〇〇以上の戦区に分けて、戦区担当部隊が海賊を捕捉したら、他戦区の部隊や地方部隊を呼び寄せて包囲して潰す戦略を採用した。この戦略では正規艦隊が主、地方部隊が従となる。

 

 俺の持つ戦力は二年前のドーソン提督と比べると、質量ともに劣る。そこで地方部隊との協力体制をより強化して、派遣艦隊と地方部隊を同行させた。粛軍人事で中央から追われた人材を吸収して強力になった地方部隊を中核戦力として、よそ者で戦力的にも弱体な派遣艦隊はその助っ人という形で作戦を遂行するのだ。

 

 フェザーン方面、エリューセラ方面、ロンドニア方面の各派遣艦隊も活動を開始した。イゼルローン方面派遣艦隊も負けてはいられない。

 

 同盟国内で正規軍と海賊の戦いが始まった頃、帝国の内戦は終わりに近づきつつあった。保守派貴族軍の支配地域で勃発した民衆蜂起は、改革派軍の援助を受けてみるみるうちにその勢いを増していった。主力が出払ってしまって、手薄になった貴族領警備部隊は苦戦を強いられた。一部の警備部隊は化学兵器や生物兵器を用いて反乱を抑えようとしたが、改革派軍に保守派貴族の残虐さを宣伝する材料を与えただけであった。

 

 保守派貴族軍主力はガイエスブルグ要塞で改革派軍主力と対峙をしていて、鎮圧に赴く余裕はない。要塞で釘付けにされている間に領地を失ってしまう。そんな不安がガイエスブルグ要塞にいる貴族を激しく動揺させた。自壊を恐れたブラウンシュヴァイク公爵は、フレーゲル男爵ら強硬派の意見を容れて、決戦を準備していると専らの噂だ。

 

 改革派軍も決戦を望んでいた。経済状況の悪化によって高まった民衆の不満は、臨界点に近づきつつあった。改革派最高指導者の帝国宰相リヒテンラーデ公爵は警察を使って反抗を押さえ込んでいるが、内戦を終わらせなければ根本的な解決には至らない。フェザーン側辺境を平定したキルヒアイス上級大将の部隊は、主力部隊と合流するべくガイエスブルグ周辺宙域に向かい、決戦に備えようとしている。

 

 帝国内戦終結を控えた今、対帝国戦の最前線にあるイゼルローン方面軍の役割は増大した。しかし、政府とイゼルローンの関係はうまくいっているとは言えなかった。独自路線を歩むイゼルローン方面軍は、トリューニヒトが伸ばした粛軍の手をことごとく跳ね除けた。

 

 イゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将は軍部反戦派の大物にして、反トリューニヒトの急先鋒として知られる人物だ。トリューニヒトの最大の政敵だった故ジェシカ・エドワーズの友人でもあり、その他の交友関係もことごとく反トリューニヒト的な者ばかり。去年から何かとトリューニヒトと角付きあわせてきた。

 

 帝国領遠征戦犯の断罪問題では、グリーンヒル大将やキャゼルヌ少将らを擁護して免罪させた。憂国騎士団のイゼルローンでの活動を禁止し、インタビューで公然と批判した。戦犯断罪に全力を尽くしたトリューニヒトから見れば、許し難い存在であろう。

 

 クーデターの際にも疑わしい動きを見せた。クーデター反対を表明したにも関わらず、クーデター首謀者グリーンヒル大将の娘を副官として機密に関与させ続けた。目的を明らかにしないまま、部隊を動員した。「ヤンはグリーンヒル大将と通謀しているのではないか」と疑う者もいる。

 

 国防委員会の指導にも忠実ではなかった。教育部が出した「新兵教育における精神教育の時間を増やすように」との通達を黙殺し、逆に精神教育の時間を減らした。人事部が新人事基準を用いるように指導しても、無視して旧人事基準を使い続けた。規律違反取締り強化期間に入っても一切取締り強化を指示せずに、国防委員会が課した摘発ノルマも完全に無視した。粛軍人事の対象となった方面軍副司令官・イゼルローン要塞事務監キャゼルヌ少将の解任に全力で抵抗して見送らせた。

 

 ヤン大将はグリーンヒル大将やキャゼルヌ少将の苦労の程を知っていたから、擁護したのであろう。憂国騎士団に敵対したのは、リベラリストとして暴力性を容認できない気持ち、自分自身や親友のジェシカ・エドワーズがが襲撃された経験によるものであろう。国防委員会の指導に従わなかったのは、合理性を重視し精神論を嫌うリベラリストとしての信念ゆえであろう。それはそれで筋は通っているが、その筋を通そうとする限り、トリューニヒトと共存し得ないのは明白であった。

 

 ヤンの部下にも、トリューニヒトと共存し得ない者は多い。イゼルローン方面軍ナンバーツーのキャゼルヌ少将は、旧シトレ派の幹部で有力戦犯でもある。分艦隊司令官アッテンボロー少将は、旧シトレ派のプリンスで筋金入りの自由主義者。要塞防御司令官シェーンコップ少将は、強烈な反骨精神の持ち主。副官フレデリカ・グリーンヒル大尉は、クーデターでトリューニヒト政権を打倒しようとしたグリーンヒル大将の娘。彼らはヤンがトリューニヒトとの共存を望めば、立場をなくしてしまう。

 

 イゼルローン方面軍には、旧シトレ派、旧第二艦隊系、旧第四艦隊系、旧第六艦隊系、旧第一〇艦隊系という五系統の将兵がいる。それなのにトリューニヒトの切り崩しを受けること無く、鉄の結束を誇る。トリューニヒト派がイゼルローンに赴任しても、コリンズ大佐のように理由をつけて追い払われてしまう。二〇〇万の将兵が全員トリューニヒトと共存できないような背景を持ってるとは思えないから、ヤンの手腕によるものだろう。もしかしたら、複雑な構成の部下を一つにまとめ上げるために、あえてトリューニヒトを共通の敵に仕立て上げているのかもしれないが。

 

 ヤン・ウェンリーという人は、ハイネセンとイゼルローンの間にある四〇〇〇光年の距離、要塞と駐留艦隊の武力、首脳部の強力な結束を活かし、イゼルローン方面軍を反トリューニヒト派の楽園とした。前の歴史の本では学者肌で政治音痴とされていたが、今の俺の目には一流の政治家に見える。ヤンが用兵と統率と実務の天才なのは知っていた。それに加えて政治までできる。彼の才能には底というものが無いのであろうか。

 

 内戦終結で一気に緊張が高まるであろう帝国との国境、その国境を守る部隊は天才指導者のもとで政府との対決姿勢を強める。そんな不穏な状況の中、イゼルローン方面派遣艦隊はカナンガッド星系を中心とする五星系で作戦行動を開始した。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。