銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十一話:本当に俺が失くしたもの 宇宙暦788年12月 惑星パラス、パラディオン市

 腕時計を見る。パラディオン到着まであと一分。今日は何度時計を見たことかわからない。一分ですら、永遠のように長く感じる。

 

「お疲れ様でした。パラディオン宇宙港に到着いたしました。長旅お疲れ様でした」

 

 アナウンスとともに船のハッチが開いた。外はタッシリ星系に属する惑星パラス。この星の東大陸にあるパラディオン市が俺の故郷だ。自由惑星同盟に属する惑星の中でもパラスの住みやすさは屈指だが、そのパラスにあってもパラディオンは最高の居住環境を誇っている。

 

 気候は年間を通じて温暖。空気も水も綺麗。自然豊かで春の桜と秋の紅葉の美しさは筆舌に尽くしがたい。食べ物は何でも美味しいけど、ピーチパイは銀河一。

 

 文化的にも恵まれている。ケニーズ通りは演劇の七大聖地の一つ。フライングボールのパラディオン・レジェンズはパラディオンっ子の誇りだ。まさにこの世の天国といえる。

 

 白眼視に耐えかねて、逃げるように出て行ってから四九年。パラディオンの風景画像を端末で見ては、ため息をついたものだ。いつか帰りたいと願いながらついに帰れなかった。夢の中ではあるが、故郷に戻ってきたのだ。

 

 歩くのももどかしくなり、ハッチに向かって走り出す。係員に「お客様!危ないですよ」と声をかけられるが、そんなのは知ったことではない。懐かしい故郷が待っているのに歩いてなんていられるか。

 

 ハッチから出てタラップを駆け下りる。日差しが眩しい。四十九年ぶりのパラディオンの陽光のなんと暖かいことか。地面に足が着いた。パラディオンの土だ。足に力を込めて一歩一歩踏みしめながら歩くと、涙が流れた。帰ってきた。俺は帰ってきたのだ。生きていてよかった。

 

 到着ロビーに入った途端、俺の感動は打ち砕かれてしまった。ものすごい人だかり。報道陣もいる。スーツを着た人たちが並んで「おかえりなさい」の横断幕を持っている。その前には満面の笑顔を浮かべた五〇代ぐらいのやはりスーツを着た男性が立っていた。

 

 俺がたじろいでいると、男性は歩み寄ってきて俺を強く抱擁し、「フィリップス君おかえり!君はパラスの誇りだ!」と叫ぶ。報道陣のカメラのフラッシュが一斉に焚かれる。やっと故郷に帰れたのにまだ英雄を続けないといけないのか。そう思うと、頭がクラクラした。

 

「惑星知事閣下直々のお出迎えなんて凄いな!」

 

 ビール片手でご機嫌なのは父のロニー。パラディオン市警の警察官だ。最後に会ったのが宇宙暦七九九年。あの時は五十五歳だったから、宇宙暦七八八年という設定の夢の中では四十四歳になる。目の前の父は常勤職に就けない俺を心配し、兵役が満了したら警察官の採用試験を受けるよう勧めてくれた頃の父と同じだ。しかし、俺の顔を見て「なんでお前が俺の息子なんだ」と憎々しげに吐き捨てた姿が重なって見える。

 

「患者さんからも『エリヤ君のお母さん』って呼ばれるのよ」

 

 にこにこして父にビールを注ぐのは母のサビナ。看護師をしている。最後に会った時は五十四歳だったから、目の前の母は四十三歳ということになる。目の前の母はドン臭い俺が兵役をまっとうできるのか心配していた頃の母と同じだ。しかし、俺が言い返せないのをいいことにネチネチ嫌味を言っていた姿が重なって見える。

 

「あんた、ホント男前になったよね。英雄になると顔つきまで変わるのかな」

 

 俺の顔を感慨深げに見つめる細身の女性は姉のニコール。七九九年の時点では結婚していたが、現時点ではまだジュニアスクールの非常勤教師だ。俺の二歳上だから今は二十二歳。目の前の姉は大人しい俺の保護者を自認していた頃の姉と同じだ。しかし、徹底して俺を無視して歩いていて俺が前にいてもよけずにわざとぶつかった姿が重なって見える。

 

「クラスでもお兄ちゃん大人気でさー。ちっちゃい頃のアルバム持ってくとみんな大喜びするのよね」

 

 母の「いいかげんにしなさい」という言葉を聞き流してマフィンをパクパクつまんでる太った少女は妹のアルマ。七九九年の時点ではハンバーガーショップの店員だったが、現時点ではミドルスクールに通っている。俺の五歳下だから今は十五歳。目の前の妹は俺に懐いていて、兵役に就くことが決まった時に大泣きした頃の妹だ。しかし、俺を名前で呼ばず「生ごみ」と呼んで、俺が触った場所に消毒スプレーを吹きかけた姿が重なって見える。

 

 現実ではとことん冷たかった家族がこの場では逃亡者になる前の暖かい家族に戻っている。嬉しいはずなのになぜか強い違和感を感じた。目の前の暖かい家族と冷たい仕打ちをした家族が重なって見える。

 

 もう無理、俺はこの人達と笑い合うことができない。俺は勢い良く席を立つと、無言でファミリールームを出た。

 

「ちょっと、どうしたの?ねえ、エリヤ!?」

 

 慌てる家族の声を無視して、早足で自分の部屋に入りロックをかける。部屋の電気を消すと、ベッドに入って布団を頭からかぶった。パラディオンの十二月は暖かいのに、俺の体は震えていた。

 

 

 到着二日目は忙しかった。朝に市役所を表敬訪問。外壁には「英雄フィリップス兵長凱旋」の垂れ幕が下がり、庁舎のホールには大勢の市民が俺を見るために詰めかけていた。暇人が多いなと思いながら、笑顔を作って手を振ると歓声があがる。名誉市民称号を授与された後、市長と一〇分ほど対談した。

 

 午後からは母校を訪問し、在校生の歓迎を受ける。存在感皆無の生徒だった俺が初めて学校で主役になって気恥ずかしかった。職員室に行くと、在校中は俺のことなんか眼中になかったはずの教師達が「君には注目していたんだ」などと言うのには失笑を感じる。

 

 夕方からは市内のホテルで市主催の祝賀会が開かれた。こういう場に出るのは遠慮したかったけど、父が勝手に俺の出席を承諾したらしく出ないわけにはいかなかった。集まった人達に握手をして回り、写真撮影にも応じた。地元政財界の偉い人に親しげに声をかけられ、にこやかに応対した。こういうのは物凄く苦手なのに、断れずに頑張ってしまう性分が情けない。クリスチアン少佐がいてくれたらと思う。

 

 三日目からは地元メディアの出演・取材で大忙しだった。父が俺に断りなしで承諾してしまうものだから、休む暇もないほどにスケジュールが詰まってしまう。文句を言おうにも、父の顔を見るたびに記憶の中の怖い顔がちらついて言えない。その間に俺の携帯端末にはミドルスクールやハイスクールの同級生から誘いのメールがたくさん来ていた。そのほとんどが覚えてない名前だ。もともと縁がなかった奴らなんだろう。

 

 辛うじて覚えてる名前の中には運動部のスターや優等生がいた。目立ってたから覚えてるけど、当時は俺なんか眼中になかったはずだ。なんでこいつらが俺のアドレスなんか知ってるのか不思議だけど、俺と仲が良かったごく数人の誰かが教えたんだろう。会ってみたい気持ちもあるけど、会ったところで話すことがないのもわかっている。迷った挙句、『ミドルスクールの同級生二〇人ぐらいで集まって祝賀会開こうと思うけどどう?』という内容のメールにのみ返信した。

 

 祝賀会の会場は偶然にも広報担当チームの打ち上げをしたレストランと同じチェーンだった。いろんなジャンルの料理を出し値段も安いから、金をかけずにパーティーをするには手頃なのだ。扉を開けると、笑い声や話し声で溢れかえっていた。既に盛り上がっているようだ。ちょっと引いてしまう。盛り上がってる場所にいると居場所がないように感じてしまうのは地味キャラの悲しさだ。「俺が主役なんだ」と自分に言い聞かせて奥に進む。

 

「おー、来た来た」

 

 立ち上がって手を叩いた大男はミロン・ムスクーリ。フライングボール部のスターだった男だ。こいつを覚えているのにはバスケで目立ってた以外にも理由がある。現実の俺が捕虜交換で帰った時にはムスクーリは極右組織に所属していて、俺を街角で何度もつかまえては「卑怯者め!」と罵倒し、岩のような拳で殴りつけたのだ。スポーツマンらしい爽やかな笑顔で俺を歓迎する目の前のムスクーリと、悪鬼のような形相で俺を殴りつける記憶の中のムスクーリが重なる。

 

「エリヤ、ひさしぶりー」

 

 手を振ってる丸顔の女の子はルオ・シュエ。彼女はミドルスクールでの数少ない友達だった。捕虜交換で帰ってから連絡したら、「あんたはもう友達じゃない。二度と連絡しないで」って返信が来て着信拒否食らったっけ。

 

「こっちこっち」

 

 俺の手を引いて用意された席に連れてってくれたのはフーゴ・ドラープ。信望が厚く、クラス代表を務めた。特別に仲が良かったわけでもないけど、誰にでも分け隔てなく優しい奴だった。捕虜交換で帰ってから街角で見かけて話しかけたら、物陰に連れて行かれて「話しかけないでくれ。お前と話してるとこ人に見られたくないんだよ」って言われたけどな。

 

 家族と同じだ。目の前のこいつらが俺に冷たい仕打ちをした時のこいつらに見える。体が恐怖で震える。

 

「顔色悪いけど大丈夫か?」

 

 ムスクーリは心配そうに俺を見る。曖昧に笑う俺。

 

「遠慮しないで飲みなよ」

 

 ルオが俺のコップにビールを注ぐ。今の俺は酒を飲まない。いや、飲めない。逃亡者の汚名を負って生きることに耐えられずに酒に溺れ、アル中で何度も入院して長い断酒治療の末に酒を断ったからだ。あの断酒治療を思えば、酒を飲む気なんてなくなる。だが、怖くてルオがつぐ酒を断れない。

 

 みんなが口々に俺のエル・ファシルでの活躍を褒め称え、脱出行やメディア出演の話を聞きたがった。何とか説明しようと頑張ったけど、舌が思うように動かなくてしどろもどろになる。

 

 ダメだ。ここにはいられない。立ち上がって早歩きで店の出口に向かう。追いかけてきたドラープの「やっぱ具合悪いのか?送ろうか?」という声を無視してそのまま店の外に出てタクシーをつかまえて乗った。

 

 真っ暗な自分の部屋。故郷に帰っても安らげる場所はここだけなのか。逃亡者だった時と同じじゃないか。

 

「俺のどこが英雄なんだよ。全然変わってねーじゃん」

 

 初日の夜から家族とはほとんど会話がない。父と事務連絡的なやりとりをするぐらいだ。ベッドの上で寝っ転がって端末を見ると、祝賀会に出ていた連中から俺の体調を心配するメールが何通も来ていた。全部削除する。

 

「今度こそうまくやれると思ってたんだけどなあ…」

 

 嘘だ。そんなことは思っていなかった。パラディオンの風物を懐かしむことはあったけど、家族や友人を懐かしむことはなかった。彼らのことを思い出すのは、受けた迫害を思い出す時だけだった。彼らと再び良い関係を結べる日が来るとは思えなかった。故郷は風物だけで成り立つものではない。人間関係もひっくるめての故郷だ。

 

 とっくの昔に俺は故郷をなくしていた。結局のところ、今回の帰郷はそれを確認する作業でしかなかった。


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