銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十二話:一刀両断 宇宙暦788年12月 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 俺は逃げるように故郷を出ると、エルゴン星系のシャンプールに向かった。同盟軍においては准尉以下の下士官兵の人事業務は所属部署を管轄する方面管区司令部、もしくは正規艦隊司令部が担当している。エル・ファシル失陥にともなって星系警備艦隊が廃止された後の俺は、その上位にあるシャンプールの第七方面管区所属ということになっていた。広報活動に従事していた時も統合作戦本部広報室への出向という形だった。

 

 現在の立場は待命中。管区司令部があるシャンプール基地内の宿舎で次の任務を待っている。待命中は仕事をしなくても通常の八割の給与をもらえる。兵長の基本月給は一四四〇ディナールなので俺はその八割の一一五二ディナールを毎月受け取っている。民間人なら到底生活が成り立たないような安月給だが、軍隊にいる間は部隊宿舎に住めて食事も支給されるので不自由なく暮らせた。

 

 しかし、いくら食うに困らなくても目標も義務もない生活は人間の心を荒ませる。兵役満了後は地元で就職しようと思っていた。さほどレベルの高くないハイスクールの就職コースを出て、これといったスキルも持たない俺が地元以外で正規雇用の職を得るのは難しいからだ。その選択がなくなった今、俺は目標を見失っていた。次の配属先もまだ決まっていない。英雄にはなるべく身近にいてほしくないと思うのが人情らしく、俺を引き取ろうという部署がなかなか見つからないのだ。

 

 部屋に閉じこもって政治・経済・法律などの本を読んでいたけど三日でやめた。やり直しのための知識を蓄えても、やり直せる場所がなければ虚しいだけだ。暇潰しに携帯端末でネットを見ると、検索サイトのニュース欄に「国防委員会がリンチ少将の戦功捏造疑惑の調査を開始。勲章剥奪か」という見出しが出ている。携帯端末をぶん投げた。

 

 ハイネセンで英雄をやっていた頃のことを思い出す。目立つのは嫌だった。持ち上げられるのは居心地が悪かった。それでもやるべきことがあった。やり直せるという希望もあった。

 

「あれが懐かしくなるなんて、我ながら弱ってるな…」

 

 いつまでもこのままということはない。どこかの部署に配属されて、兵役を継続することになるだろう。兵役が満了したらどうする?地元に帰って就職という選択肢は消えた。ハイネセンに出て非正規雇用で食いつなぐのは論外。そうなると、クリスチアン少佐が言うように兵役満了時に下士官志願することになるんだろうか。かなり狭い門だったはずだけど。職業軍人になる自分が想像できないな。クリスチアン少佐には「軍人に向いている」って言われたけど。

 

『短い間だったが、貴官とは任務を共にした仲間だ。貴官が軍服を着ていようといまいと、小官にとっては家族だ。小官には軍人として、家族として貴官を守る義務がある。ルシエンデス曹長やガウリ軍曹もそうだ。苦しい時は小官らを思いだせ』

 

 クリスチアン少佐の言葉が脳裏に浮かぶ。今の俺は苦しいから少佐を思い出してるのかな。俺の頭であれこれ考えても意味が無い。相談してみよう。軍隊生活が長い少佐の話を聞けば、もっと具体的なイメージが掴めるかもしれない。床に落ちている端末を拾って少佐に職業軍人の道に興味があるというメールを送る。もちろん故郷で起きたことは伏せた。返ってくるだろうか。

 

 宿舎の食堂で夕食を食べて、共同浴場の風呂に入ってから部屋に戻ると、少佐から「確認したら返信せよ。小官より説明する」という返信。ファイルがいくつも添付されていた。「下士官選抜要項」やら「幹部養成所案内」やらいう題名のファイルだ。開いてざっと目を通してから「確認しました」と返信すると、携帯端末の着信音が鳴った。クリスチアン少佐からだ。すぐに出る。

 

「お久しぶりです、少佐」

「うむ。小官は社交辞令は苦手だ。すぐに説明に入りたいが良いかな?」

「お願いします」

「我が軍の軍人には士官・下士官・兵がいる。そのうち、兵の過半数は兵役従事者。残りは職業軍人の志願兵。志願兵の身分は不安定だから、安定雇用を望む貴官の要望には沿わないだろう。本来は兵役従事前のミドルスクール卒業者、若年の非正規労働者の受け皿だ。よってこの選択肢は除外だ」

 

 現実の俺は白眼視に耐えかねて故郷を離れると、志願兵となった。当時の同盟軍はラグナロック作戦で侵攻してきた帝国軍を迎え撃つために志願兵を大々的に募集しており、三〇過ぎで何のスキルもない俺でも入隊できたのだ。しかし、エル・ファシルの逃亡者リストは軍隊の中まで流れてきていた。

 

 同盟軍ではリンチは禁止されているが、それは建前にすぎない。下士官や古参兵からのリンチは風物詩と言っていい。ただでさえドン臭い俺が世間公認の卑怯者の肩書きまで背負っているのだ。

 毎日のように暴行を受け、人が手足を動かそうとするのを見るだけで怯えるようになった。さんざんに罵倒され、人が口を開こうとしているのを見るだけで怯えるようになった。金や物を脅し取られ、給料を前借りまでして差し出した。食事をさせてもらえず、三日間何も食べられなかった。ロッカーに閉じ込められて勤務に出られなかったことを無断欠勤と報告されて懲罰を受けた。「私は卑怯者です」という言葉をひたすら書き取りさせられたこともあったっけ。

 

 嫌なことをたくさん思い出してしまった。この調子だと、兵として再び勤務にしたら、帰郷した時のように記憶の中の光景と重なってしまう。身分も安定しないし、志願兵は無しだ。目指すなら下士官か士官だな。下士官の権力をもってすればリンチを受けることも無いし、士官ともなれば下士官だって頭を下げてくる。

 

 ふと少佐に聞いてみたくなった。

 

「なるほど。ところで少佐は軍隊の中のリンチに関してどう思われますか?」

「言うまでもなかろう」

 

 声のトーンが不機嫌そうになる少佐。ああ、こういう人にとっては言うまでもないか。兵隊は殴れば殴るほど強くなると思ってるんだろうな。

 

「我が子を殴る親、弟を殴る兄など話にならん。日頃から身を正していれば、黙っていても兵は懐いてくる。ひとたび突撃すれば、死なせてはならないと奮い立った兵が後に続く。それが上官や古兵の威厳というものだ。兵を殴って言うことを聞かせようというのは臆病だからだ。臆病だから威厳がない。そのような上官になってはいかんぞ。兵に尊敬される上官を目指せ」

 

 意外だった。少佐のような度胸と腕力が売りのタイプは「拳で言うことを聞かせる」のに肯定的だと思っていた。だけど、否定の仕方も少佐らしく竹を割ったようで、「らしいな」と思った。

 

「お教えいただき感謝いたします」

「うむ。気になったことはすぐ人に聞く。その率直さは貴官の長所だ。大事にせよ」

「はい」

 

 人の上に立つ人ってこういう人なんだなあ。俺が少佐になることがあるとしたら、その時にはこの人の足元に手が届いているだろうか。

 

「では続けるぞ。下士官に任官するに専科学校卒業、 功績による昇進、兵役満了時の下士官試験の三つの経路がある。専科学校が一番簡単だが、受験資格は十六歳から十八歳までだ。残念ながら貴官の年齢では無理だな」

 

 軍の専科学校は同盟では結構ポピュラーな進学先の一つだ。二年の教育を受けて卒業したら、伍長に任官できる。初任給は地方のヒラ公務員並み。そこそこの大学を出ても、同じぐらいの初任給が出る職に就くのは難しい。しかも、同盟軍は慢性的に士官が不足しているものだから、有能な下士官はどんどん士官に登用される。軍艦の戦術オペレーター、整備主任といった専門職の士官はほとんど下士官出身だ。定年まで勤めれば多額の退職金を手にして恩給生活入りできる。とてもおいしいんだけど、残念なことに俺の学力では手が届かなかった。ミドルスクールでもっと勉強しておけば良かったと思う。

 

「兵から功績によって昇進するには勤務成績がよほど優秀でないといけない。だから、この経路での昇進者は熟練の古参志願兵が多い。兵役一年目で経験が浅い貴官では難しかろう」

 

 俺には仕事ができないという致命的な欠点がある。経験豊富でも難しいというか無理だと思う。

 

「貴官が目指すとすれば、兵役満了時の下士官試験だ。兵役期間中に上等兵まで昇進した者は志願資格を得る。志願者の中から選抜試験に合格した者が昇進できるが、形だけの試験だから間違いなく通る。小官としてはこれがお勧めだな」

 

 これはとても魅力的だ。誰でも通るというのがいい。しかし、志願資格を得るには再来年まで兵役を務めなければならない。ドン臭い俺のことだから、根性の悪い下士官に目をつけられるかもしれない。安定した下士官は魅力だけど。でも無理だ。リンチを受けた思い出が蘇ってくる。

 

「参考までに士官になる方法も教えていただけますか?」

「いいだろう。士官に任官するには士官学校卒業、幹部候補生養成所修了の二つの経路がある。士官学校の受験資格は専科学校と同じ十六歳から十八歳までだから、やはり貴官の年齢では対象外だな」

 

 士官学校は同盟では国立中央自治大学、ハイネセン記念大学と並ぶ最難関校だ。受験資格があっても、俺の学力では無理だ。地方のハイスクールの就職コースでも成績悪い方だったからな。となると、幹部候補生養成所か。

 

「幹部候補生養成所に入所するには、上官の他に将官を含む士官二名の推薦を受ける必要がある。『勤務成績優秀な准尉または曹長』、あるいは『下士官、もしくは上等兵以上の兵で幹部適性が認められる者』。そのどちらかを満たした者が入所資格を得る。かく言う小官もこの経路で准尉から幹部候補生を経て士官になった」

 

 つまり、俺は『下士官、もしくは上等兵以上の兵で幹部適性が認められる者』として、士官を狙えばいいんだな。推薦で行けるらしいし。

 

 士官になれば特別扱いなんだよな。従卒が身の回りの世話をしてくれる。個室に住めるし、食事も専用の士官食堂だ。下士官に敬語使われるのもいいよな。なんかワクワクしてきた。

 

「貴官が士官を目指すなら、『幹部適性が認められる者』で推薦を受けることになるだろう。何と言っても貴官はエル・ファシルの英雄だ。推薦者はすぐ見つかるはずだが…」

 

 急に奥歯に物が挟まったようになる少佐。いいところなのにそういうのやめろよ。不安になるじゃないか。

 

「准尉や曹長なら無試験で入所できるのだが、軍曹以下のものは試験を受けて幹部適性があることを示さねばならん。人物審査と体力検定は貴官なら問題なく通るだろうが…。学力試験が問題なのだ。士官学校の入試と同レベルの問題が出る。だから、『幹部適性が認められる者』の資格で幹部候補生養成所に入る者は滅多におらんのだ」

 

 俺は肩をがくっと落とした。無理じゃん。

 

「小官としてはやはり兵役満了後に下士官志願するべきだと思う。士官に興味があるのはわかる。だが、貴官はまだ若い。時間はいくらでもある。焦って無理をすることはない。貴官ならいずれは士官に昇進できる。今はじっくり経験を積んで未来に備えるべきだ。大勢の部下を率いるだけが貢献ではない。下士官として与えられた仕事をコツコツとこなしていく。目立たないが、偉大な貢献だ。黙々と働く下士官たちが士官の活躍を支えるのだ」

 

 いろいろ勘違いされてるっぽいけど、それは置いとく。置いとくとしても、結局はどん詰まりか。ここまで親身に乗ってもらったのに少佐には申し訳ないな。俺って本当にダメな奴だ。嫌になる。

 

「ちょっと時間をいただけますか…」

「ダメだ。今すぐ決めろ」

 

 ちょ、ちょっと待てよ。なんだよそれ。考える時間ぐらいくれよ。

 

「考える時間がないと…」

「貴官は無為に耐えかねて小官に相談したのだろう!?さらに無為の時を重ねてどうする!迷うだけ時間の無駄だ!たった二つの選択肢だぞ!片方を選ぶだけだ。一瞬ではないかっ!」

 

 なんだ、その強引な話の持って行き方は。だけど、これ以上引き伸ばすのは不可能そうな雰囲気だ。仕方ない。考えてもわからない時は…。

 

「わかりました。では、今からコイントスをします。表が出たら下士官目指して、裏が出たら士官目指します」

「よし!」

 

 考えても答えが出ない時は選択を天に委ねる。それが俺のやり方だ。ハイスクールのテストで答えがわからなかった時は、シャープペンを倒して答えを選んだものだ。ことごとく外したけどな。

 

 コインを投げる。床に落ちた。出たのは…、表だ。つまり下士官…。

 

 兵役満了まで勤めあげる。兵として過ごした日々のことを思い出す。

 

「裏が出ました!士官目指します!」

「よく言った!後は努力をするだけだ!」

「はい!頑張ります!」

「貴官ならできる!貴官も自分を信じろ!」

「ありがとうございました!」

「うむ。夜ももう遅い。今日は寝て明日のために英気を養え」

「はい!」

 

 携帯端末のスイッチを切る。

 

「うわあ…、マジで士官目指すのかよ…」

 

 こともあろうにあのクリスチアン少佐にとんでもない約束をしてしまった。少しでも手抜きをしたら容赦なく詰められそうだ。

 

「馬鹿すぎるだろ、俺…」

 

 すごくめんどくさい事になってるはずなのに俺の顔は笑っていた。


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