銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十三話:逃げられない逃げたくない 宇宙暦788年12月 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 現在所属している第七方面管区の司令部に幹部候補生養成所への推薦状を申請すると、司令官ワドハニ中将と参謀のアッペルトフト大佐、ベナッシ少佐の三人が推薦人になってくれた。しかも、サポートチームまで組んでくれるという。

 

 第七方面管区後方部のイレーシュ・マーリア大尉が学力指導、シャンプール基地教育隊の体育教官バラット軍曹が体育指導を担当。その他、必要に応じて科目ごとの担当者が付いた。俺はワドハニ中将の従卒として九時から五時まで勤務し、勤務時間外を試験勉強に充てる。

 

「話がうまく進みすぎて怖いんですよね」

 

 ルシエンデス曹長と久々に携帯端末で話す。

 

「ワドハニ司令官も必死なのさ」

「司令官がですか?」

「エル・ファシルは第七方面管区の管轄下だったろ?」

「そうですね」

「エル・ファシルを失陥したせいで司令官の立場はかなり悪くなってる。だから、少しでも点数稼いでおきたいんだろうよ」

「俺が幹部候補生になると点数になるんですか?」

「部下が活躍すれば上司の株も上がるからな。数年に一人しか受からないような超難関試験の合格者を部下から出したら、司令官の手柄ってことになる。その合格者が知名度抜群の英雄とくれば、手柄が一層際立つってもんだ」

「利用されてるみたいで気分悪いですね」

「君も司令官を利用すればいいんだ。世の中持ちつ持たれつだぜ」

 

 曹長の言うとおりだ。俺には後がない。士官になれなかったら、兵役満了まで兵を続けることになる。勝ち方を選ぶような贅沢は俺には許されていない。使えるものは何でも使うつもりでないとダメなんだ。

 

 翌日。イレーシュ大尉に呼ばれて学力試験を受けた。士官学校受験と同じ公用語・古典語・数学・社会科学・自然科学の五科目で、現時点の俺の学力を測るのだという。問題文の意味自体がわからないほど高度な問題から、問題文の意味がわかる簡単な問題まであったけど、どれも答えがわからないという点では等しかった。士官学校入試ではミドルスクールレベルの問題が出るけど、俺がミドルスクール卒業したのは六十四年前。ハイスクールに入ったけど、それも卒業したのは六十二年前。当時だって全然勉強ができなかったんだ。今やってできるわけがない。

 

「これはどういうことかな」

 

 イレーシュ・マーリア大尉は姓がイレーシュ、名がマーリア。姓、名の順で名乗るのはマジャール系の特徴なのだという。一八〇センチを超える長身の女性だ。栗色の髪、切れ長の目、筋の通った高い鼻、薄い唇、肌は真っ白で非の打ち所のない美形。目力が異様に強くて怖そうな印象を与える。そんな彼女が俺を冷たい目つきで見下ろす。片手には俺が書いた答案。

 

「自分にしては良く出来たほうだと思います」

 

 シャープペン転がして選んだ答えが思いの外当たっていた。しかし、彼女はその答えが気に入らなかったらしく、目つきがさらに冷たくなる。

 

「フィリップス兵長。君はハイスクール卒業してたよね?」

「はい」

「徴兵されてからは補給員をやっていたよね?」

「はい」

「書類書いてたよね?計算もしてたよね?」

「はい」

「本当だよね?」

「はい」

「どうして、こんなに間違ってるのかな?九割間違いだよ」

「卒業からだいぶ経ってますから」

「私は君より五、六年ぐらい早く卒業している」

 

 声のトーンが落ち着いているのがかえって怖い。容赦の無さを感じる。

 

「君さ、本当に幹部候補生になろうと思ってるの?冗談じゃないよね?」

「はい」

「でも、この学力だとハイスクールの入試だって落ちるよ」

「はい」

「勉強する気ある?」

「はい」

「地獄見るよ。覚悟してね」

「はい」

 

 美貌と長身と目力がもたらす威厳に押されてしまって、「はい」以外の返事ができない。クリスチアン少佐とは別の意味で押しが強い。

 

「ちょっと待ってて」

 

 何かを決意したらしい大尉は俺に渡した問題集と参考書を全部取り上げると、カバンに入れて部屋を出て走りだした。一〇分ぐらいすると駆け足の音が聞こえてきて、ドアの前で止まる。入ってきたのは本を十冊ぐらい抱えた大尉。まったく立ち止まらずに俺に近づいてきて、本を俺の胸に投げ出すような感じで押し付けた。

 

「これ、ミドルスクール入学間もない子向けの問題集と参考書。公用語、古典語、数学、社会科学、自然科学の全科目。これが今の君のレベル」

「はい」

「わからないことがあったら聞いてください。何を聞いても私は怒りません。『こんなこともわからないのか』と怒るほど、私は君の学力に期待していません。他の先生達も同じです」

「はい」

 

 イレーシュ大尉は俺の頭を両手でガチっと挟むと、腰を落として俺と同じ目線になり、俺の目をまっすぐに見つめながらにっこり笑う。

 

「三ヶ月で仕上げてね」

「はい」

 

 涙目で答える俺。肉食獣に捕捉された草食獣ってこんな感じなんだろうなと思った。

 

 三時間後。俺は基地の体育館で体力測定を受けていた。クリスチアン少佐が言っていたように軍人にとって体力は重要な能力だ。兵や下士官はもちろん、指揮官や参謀だって体力を使う。だから、士官学校入試でも体力試験は重視され、合格者には運動部や少年クラブチームで活躍したスポーツマンが多く含まれている。体力が最低基準に満たない者は門前払いを受ける。これは俺が受ける試験も同じだ。

 

「貴官は本気で取り組んだのか?」

 

 測定結果を見て渋い顔をするのはバラット軍曹。浅黒い肌、短く刈り込んだ黒い髪、ぎょろりとした大きな目。体格はがっちりしている。猛犬のような印象だ。

 

「腕立て、腹筋、持久走、懸垂、走り幅跳び、遠投。どれも我が軍の求める最低基準を満たしていない。級外だ。最低でも六級。できれば五級はほしい」

 

 同盟軍の体力検定級位は特級から六級までの七段階があり、現場に立つ大尉までは級が高いほど昇進に有利になる。昨日読んだ体力検定基準表によると、六級は軍人に要求される最低限の体力なんだそうだ。クリスチアン少佐は『体力検定は貴官なら問題なく通る』と言ってたけど、問題ありまくりじゃねえか。

 

「取り敢えず六級相当の力を身につけることを目指そう。明日から一日二時間のトレーニング。メニューは新兵体力錬成プログラム級外コースを使用。三か月を目処にする」

 

 一日二時間のトレーニングか。人生でそんなに体を使ったことなんか無いぞ。ジュニアスクールからハイスクールまでずっとベースボール部だったけど、練習サボりまくってたからな。

 

「クリスチアン少佐から『フィリップス兵長は根性がある。ビシビシしごいてやってくれ』と言われておる。貴官の根性に期待しているぞ」

「え?軍曹は少佐とお知り合いなんですか?」

「うむ。小官は三年前まで少佐の部下だったのだ。あの頃はまだ大尉であられたが。小官は軍人になって十二年になるが、あの方ほど素晴らしい上官はいなかった」

 

 軍曹は懐かしそうに目を細める。

 

「尊敬する上官に貴官のような軍人精神の持ち主の指導を託される。これほど名誉なことは無い。必ず貴官の肉体を精神に釣り合うほど逞しくしてみせる!一緒に頑張ろう!」

 

 目を輝かせて俺の両手を強く握る軍曹。頭の中で「無理だ。俺なんかが努力したところで」という声がしたけど、すぐに打ち消す。やってもいないのに無理だなんて言ったら、目の前の人に申しわけない。「逃げられない。やるしかない」と思った。

 

 生まれてこの方、努力なんてしたことなかった。ただひたすら時間をやり過ごしてきた。逃亡者になる前は面白くない授業、上達すると思えない部活、仲良く出来ると思えないクラスメイトをひたすらやり過ごしてきた。逃亡者になった後は罵倒や暴力をひたすらやり過ごしてきた。自分程度が努力して乗り越えられるとは思えなかった。誰かが自分の努力に期待していると思えなかった。英雄としてメディアに出まくってた時も期待はされていたけど、俺という人間に対する期待ではなくて、英雄という虚像に対する期待だった。

 

 しかし、今は多くの人が俺に期待して支えようとしてくれる。生まれて初めての経験だ。未だかつてない重圧を感じる。今の俺は学力も体力も最低に近い。明日からは自分の無能さに打ちのめされる日々が続くだろう。それでも、期待してくれる人達を失望させるようなことはしたくない。心の底からそう思った。


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